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千葉家庭裁判所八日市場支部 昭和38年(家)95号 審判 1964年2月07日

申立人 川上京子(仮名)

主文

申立人の氏を「山中」に変更することを許可する。

理由

一、本件申立の趣旨は、申立人は昭和七年一一月二八日山中一男と婚姻し、昭和九年一二月一八日同人の籍に入り、四名の子を挙げたが、昭和三七年一〇月二二日同人と協議離婚をし婚姻前の氏(川上)に復した。しかし申立人は昭和二五年二月一〇日以来肩書住所において「山中塗料店」を営んで来たので、今さら川上の氏では営業上信用上支障を来し、社会生活上極めて不便不利であるから、その氏を山中に変更したい、というにある。

二、そこで申立人及び山中一男の各申述書などの資料に基いて審理するに、申立人は前記の通り山中一男と婚姻して、東京都及び満洲で会社勤めをした同人と共に生活し、昭和二二年に引揚げて来て、昭和二五年二月頃から肩書住所で、名実共に申立人が単独で塗料販売業を開業して現在に至り、その間山中一男は勤務の都合上東京都に別居しているうちに他の女性と親しくなり、同人の申出によつて前記のように協議離婚をするに至つたが、同人との間に、昭和一〇年二月八日生れの長子及び昭和二三年一月三日生れの末子など四名の子を挙げ、長子は東京都に就職し、その他三名の子は申立人と同居している、前記の営業は山中塗料店という屋号をもつて終始し、営業上の取引関係、預金関係、納税、電話加入等すべての面において、「山中塗料店代表者山中京子」又は「山中京子」という呼称を使用して来た、等の各事実が認められる。

三、氏の変更は「やむを得ない事由」がある場合に限られるのである。東京高等裁判所(昭和二四年五月一九日四民決定、高裁民集二巻一号)が説示するように「氏は名と統合して人の同一性を表わす称号であるが、戸籍編成の基礎をなす重要な意義をも有し、その変更はその戸籍に属する者全部に及び、一般社会に対する影響も名の変更の比ではなく、軽々に変更されるときは一般人のこうむる迷惑は至大であるのみならず、遂には戸籍制度の円滑な運用をも阻害する結果を生ずるので、真にやむを得ない事由がある場合でなければ、その変更を許すべきではない」のである。それが軽々に変更されると、選挙、徴税などの行政事務上にも支障を来すし、取引上も混乱を来し、税金や債券を免かれるため、或は又前科や犯罪を隠すために悪用される恐れもある。名の変更の場合の「正当な事由」に比べて、氏の変更事由を一層厳格に制限しているのは、それが重大な意義及び影響性を持つているからなのである。

戸籍の筆頭者に配偶者があるときは氏の変更の申立は配偶者と共にすべきものとし、又氏の変更を許可するには同一戸籍内の満一五歳以上の者の陳述を聴かなければならないと規定されているのも右のような重大性があるからである。

婚姻によつて氏を改めた夫又は妻は離婚により婚姻前の氏に復し、養子は離縁によつて縁組前の氏に復するのであるが(民法七六七条、七七一条、八一六条)、離婚した妻や離縁した養子が民法により復氏した後、戸籍法一〇七条により、もとの夫や養親の氏に変更して婚姻又は縁組中の氏を称することが軽々しく許されるなら、民法の強行規定の趣旨に反し民法の精神を没却し、第三者をして、なお婚姻又は縁組が継続しているものと誤信させ、社会生活や取引の安全を害することがあるばかりでなく、他方の配偶者や養親の気持にそぐわず、その利益を害する結果となることがあるから、このような氏の変更の許可は慎重でなければならない。

四、民法七六七条の法意については、婚姻による改氏の還元であるとされ、夫婦同一氏の原則の当然の反射であり、離婚の公示のために必要なのである、と説かれて来たが、夫婦同一氏の原則そのものについては種々議論されており、学者が、前記規定の存在自体、新法の精神から考えると、かなり問題のある規定であると論じ、民法七六七条の存するもとにおいても、特にわざわざ戸籍法一〇七条による氏の変更を申立てたものに対しても、なお一般的強行規定の存在を理由に、これを拒否することは必ずしも妥当ではないというべきであろう、とか、あるいは又、婚姻に際し、たとえ夫の氏を称することにきめた(民法七五〇条)としても、決してそれは夫の氏の単なる継続ではない、それが夫個人の表象手段であるのと全く同様の意味において、妻個人の表象手段ともなるのであり、その氏に対する関係において、夫妻のどちらにも優越的地位がないということは新法の精神から考えて当然のことといわねばならない、夫婦の同一氏ということは、まさにそのような意味においてであり、それは決して夫の氏が妻の氏を吸収したのでもなく、いわんや、夫の家に妻が入り、その結果妻は夫の家の氏を称している、という旧法の構成とは全く異ならねばならない、従つて離婚に際し夫たり妻たることが解消しても、そして婚姻前に他の氏を称していたからといつて、婚姻中称した氏がその人の表象手段であることを今さら法律上強制的に停止させることは甚だ妥当ではない、従つて離婚による当然復氏を規定した前記規定を夫婦同一氏の原則の当然の反射であるというのは論理が飛躍しているのではなかろうか、等と論じていることには注目すべきものがあるのではないかと考える。

五、ところで、申立人と山中一男が離婚するに至つた原因について、両者の申述を照合考察すると、山中一男は申立人との性格不一致に因るものであるといつているが、同人に親しい女性ができたために同人の申出により、申立人が同意して離婚するに至つたものと認めるのが相当であり、従つて離婚の責任は山中一男にあつたというべきである。申立人が本件申立をするに至つた根源が右のように山中一男の所為にあつたことは明らかであり、申立人の氏を山中に変更することを許可すべきか否かについて審究するに当り、この山中一男の有責性ということを考慮することは妥当且つ必要のことではないかと考える。

次に申立人の山中への氏変更について、山中一男の意向をきくに、同人は、それに全然反対しないのみか、かえつて賛成している。この点も本件について考慮してもよい重要なことではないかと考える。

さて、申立人に川上の氏を継続して使用させることは、申立人に社会生活上、経済的活動上甚だしい不便不利益を与え、社会にとつても利益でないかどうか、氏を山中に変更することにより申立人及び社会に及ぼす影響はどうか、という本件における最も重要な点について考究すると、申立人は前記のように昭和九年一二月以来山中の呼称を使用して社会生活を続けて来たのであり、又昭和二五年二月以来山中京子名義で、山中一男とは全く関係なく単独で前記営業を継続し、あらゆる面で山中京子の呼称によつて来たもので、その山中の呼称は永年にわたる社会生活及び経済的活動に伴つて広く深く滲透しているものと認むべきである。従つて申立人をして山中の呼称の使用を許さず、正式に川上の呼称を使用させることに決定すれば(通称として、山中の呼称を使用することはできるが)、申立人に前記各面において甚だしい不便不利益を与えるに至ることは明らかであり、又社会にとつても利益でないと考えられるのみならず、諸種の面において混乱を生ずるものと思われる。

税金や債務を免かれるためとか、前科や犯罪を隠すために氏の変更を悪用する恐れがあるという、前記三項前段に記載したような弊害は本件の場合全くない。

その他いずれの点から観ても、申立人が氏を山中に変更することによつて弊害を生じたり、社会に不利益を及ぼしたりするようなことがあるものとは認められず、反対に、それにより申立人の不利益、不便を消失させ、その社会生活及び経済的活動上極めて好都合となり、社会にとつても利益であると認められる。以上のような各事実と、立法的に離婚離縁による当然復氏、ひいては婚姻による夫婦同一氏の強制という現行制度について、前記のように批判検討されるべきものがあると論じられていること等を併せて考究すれば、申立人の本件変更の申立は戸籍法一〇七条一項の「やむを得ない事由」に該当するものと解しても、さしつかえないと考える。

よつて主文のように決定する。

(家事審判官 花岡学)

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