千葉家庭裁判所松戸支部 昭和45年(家)426号 審判
〔主文〕事件本人の未成年者安田宏に対する親権を喪失せしめる。
〔理由〕一 本件申立の実情
申立人は主文と同旨の審判を求め、その理由とする実情の要旨として次のとおり述べた。
申立人は、事件本人の夫であり申立人の父である安田利助(以下単に父利助という)とその先妻亡ヨシノとの間の三女であり、事件本人は父利助の後妻であり、本件未成年者安田宏(昭和三九年六月三日生、以下単に未成年者宏という)は父利助と事件本人との間の三男であつて、申立人と未成年者宏とは異母姉弟の関係にある。父利助と事件本人は、事件本人の肩書住所において野天風呂「○○荘」を経営し、同人らの間には未成年者宏を含めて四人の嫡出子があるが、事件本人がやたらに外出したりして子供たちの面倒を看ないため、父利助も自己が老令であることから子供の養育に困り、昭和四〇年五月一〇日末子である未成年者宏の養育を申立人夫婦に依頼し、以来未成年者宏は申立人夫婦と同居している。申立人夫婦には子供がないため、正式に未成年者宏を養子として入籍しようと考え、父利助もこれを承諾したので当裁判所に養子縁組許可の審判の申立(昭和四〇年(家)第五三九号事件)をしたところ、事件本人が承諾しなかつたため、申立人はやむなく同事件を取下げた。しかし、最近に至り申立人は事件本人も未成年者宏を養子にやることを承諾したと聞いたので、再度当裁判所に養子縁組許可の審判の申立(昭和四五年(家)第三三五号事件)をしたところ、同事件についても事件本人は不同意の意思を表明している。事件本人はかつて精神病にかかつたことがあり、その精神状況は平常であるとは思えず、また事件本人は未成年者宏を自分が養育すると言つているが、その真意の程は不明であり、実際問題として未成年者宏を事件本人が養育できる状況ではない。従つて、事件本人が未成年者宏の養子縁組に同意しないのは消極的な親権の濫用にあたる。
二 当裁判所が認定した事実関係
当裁判所調査官の調査報告書および<証拠略>を総合すると次の事実を認めることができる。
イ 申立人の父利助はその先妻亡ヨシノとの間に申立人を含めて四人の嫡出子をもうけたが、同ヨシノが昭和三六年六月二〇日に死亡したため、昭和三八年四月一一日事件本人と婚姻し、未成年者宏以外の二男一女をもうけた後、昭和三九年六月三日に未成年者宏が出生した。父利助と先妻亡ヨシノとの間の嫡出子はそれぞれ独立し、現在、父利助は事件本人の肩書住所において妻である事件本人および未成年者宏以外の嫡出子三名と同居し、同所において野天風呂「○○荘」を経営している。
ロ 未成年者宏は、出生以来約一年間父母の手許において養育を受けていたが、当時事件本人が乳呑子である未成年者宏を家に置いたまましばしば家をあけ時には外泊したりしたため、父利助は幼少の未成年者宏の養育に困つただけでなく、「○○荘」の営業にも支障を来たしたので、昭和四〇年五月一〇日前後のころ申立人に未成年者宏の養育を一時的に依頼し、そのころ未成年者宏は申立人ら夫婦に引取られた。
ハ 申立人は、同人ら夫婦の間に子供ができないため、かねてから父利助に同人の子を一人養子として貰いたい旨申入れていたが、父利助から将来はともかくとして現在はその意思のない旨断られていたところ、叙上の事情から未成年者宏を引取りその養育を始めたのを幸に、父利助に懇請してその承諾を得たので、正式に養子縁組をすべく、申立人ら夫婦は昭和四〇年七月一九日当裁判所に養子縁組許可の審判の申立<略>をした。同事件の申立書には、上記養子縁組につき父利助および事件本人名義の「養子縁組承諾書」と題する書面が添付されていたが、当裁判所から事件本人への照会の結果およびその後の事実調査により事件本人には同縁組に同意する意思が全くないことが明らかになつたため、申立人ら夫婦は昭和四一年一二月一五日該申立を取下げたが、未成年者宏の養育はそのまま続けていた。
ニ その後、申立人が人づてに事件本人が未成年者宏の養子縁組に同意した旨を伝え聞いたので、申立人ら夫婦は昭和四五年六月九日再度当裁判所に養子縁組許可の審判の申立<略>をしたが、当裁判所の事実調査により事件本人に前事件と同様上記縁組に同意する意思のないことが明らかとなつた。
ホ 申立人ら夫婦は未成年者宏とともに申立人の肩書住所に居住し、これという資産もなく申立人の夫澄夫の○○士としての月、五、六万円の収入および申立人の内職による若干の収入によつて生計を維持しており、経済的には余裕のある生活とは言えない。申立人はかつて左卵巣切除の手術を受け、自己に子供を生む能力がなくかねてから父利助に養子を一人欲しい旨切望していたので、未成年者宏に対しては実子と同様もしくはそれ以上の愛情を傾けてその養育を続けており、未成年者宏も物心もつかない生後一一か月余で申立人ら夫婦の手許に引取られたため同人らを真実の親と思いすつかり同人らになじんで、現在幸福な生活をしている。叙上の事情から、申立人は万一事件本人から未成年者宏の引渡しを要求されても、これに応ずる意思は毛頭ない。
一方、事件本人は、父利助および中学校三年生になる長男外二名の子供と肩書住所で同居し、父利助の経営する「○○荘」(その建物の所有名義は事件本人)の営業収入月収約二〇万円位により生計をたてており、経済的には申立人ら夫婦よりもはるかに裕福な生活をしていると認められる。父利助の後妻として同人と婚姻した事件本人は、強情で自己中心的な異状な性格の持主であるところ、父利助が老令(明治三一年)にもかかわらず極めて壮健で独断専行的な強固な意思の持主であり、両者の性格が一致しないこと、二五歳も年齢のひらきがあること、および同人が事件本人の意思を抑圧する態度を持続し、かつては度々暴力を振う挙に出たこともあつたこと等のため、事件本人は自らの意思を自由に表明できず、しばしば夫婦の間に離婚の危機もあつたようであるが、終局的な破綻にまでは至らず、ここ数年は一応平静な形で今日に至つている。
へ 申立人は、「事件本人はかつて精神病にかかつたことがあり、その精神状況が平常であるとは思えない」と主張するが、事件本人が父利助のすすめもあつて昭和四〇年二月に福島県○○市○○町○○(当時)の精神科○○病院で受診した結果精神分裂病様反応と診断されているが、これは短期間の入院加療によつて少なくとも二、三年前の病前状態に落ちつける程度のもので、家庭裁判所調査官の事実調査時の状況とを併せ考えれば、これのみをもつて事件本人の精神状況が平常でないとは、にわかに断定することはできない。また申立人は、「事件本人は未成年者宏を自分が養育すると言つているが、その意思の程は不明であり、実際問題として未成年者宏を養育できる状況ではない」と主張するので、この点について審按するに、事件本人は上記認定のとおりの性格を有する女性であるが、自己の生んだ子供に対しては、その愛情が真の母親としての正しい適切なものであるかどうかは別として、異状な執着を示し、未成年者宏の引取り養育については強くこれを主張している。事件本人は、未成年者宏が申立人方に引取られた後のある時期において、一時的に未成年者宏の養子縁組に対し同意の意思を表明した事実があつたと推認できるが、これは父利助の抑圧によるものであつて事件本人の真意から出たものとは認めることができず、未成年者宏が申立人方に引取られた際も事件本人の意思は全く無視され父利助の一方的な意思でそれが決定されたものと認められ、また上記認定の事件本人の性格および家庭の状況を考えると、事件本人が未成年者宏を養育できない状況にあるものとは直ちに認定することはできない。しかしながら、事件本人は裁判所の事実調査に対しては未成年者宏の引取り養育を強く主張しているものの、未成年者宏が申立人方に引取られた昭和四〇年五月一〇日前後のころ以後今日に至るまで、申立人または父利助に対して積極的に未成年者宏の引取りを要求するとかその挙に出たとかの事実が認められないのみならず、未成年者宏がどのように生育しているのかを探知した形跡も認められない。あるいは父利助からの報復を危惧するあまりそのような要求もしくは行動をとらなかつたのではないかとの推測もできないことはないが、事件本人が未成年者宏の母親として真に同人の幸福をねがいその養育を希求しているならば、事件本人の叙上の消極的な行動は真の母親としての適正な愛情に基づくものとは到底認めることができず、ただ単に申立人に対する反感から感情的に未成年者宏の引取り養育を主張しているものと認めるのが相当である。
三 当裁判所の判断
親権者の子に対する身上監護の内容としての監護教育義務の履行に関しては、児童福祉法等各種の公法規定による規制が設けられており、親権者はこれらの公法上の規制に反しない限りどのような程度方法で子の監護教育をなすかの自由を有しているが、親権者がその義務である監護教育の職分を不当に行使し、または不当になおざりにして子の福祉を著しく害した場合には親権の濫用としてその親権を喪失せしめられることがある。親権者が一五歳未満の子の養子縁組に代諾する行為は身分行為の代理権として実質的には身上監護の一内容をなすものであるから、親権者が不当に代諾をせず子の福祉を著しく害した場合には親権喪失の原因たり得ようが、問題は当該親権者の不代諾という行為がはたして不当であるかどうか、またその行為を基因として具体的に子の福祉を著しく害する結果が発生したかどうかを充分に審理判断したうえでないと、にわかにそれが親権喪失とは断定できないこと当然である。代諾権を有する父母の意思が一致せず一方が反対した場合、民法上それについての規定がなく、そのために親権の行使が不能となり養子縁組が成立せず、結果としては反対した親権者の意思が実現したという形にはなるが、ごく例外的には子の福祉に反する場合があるとしても、一般的には親権の行使をさせない方が子の利益に合致するのであろうとの考えによるものである。
代諾権者である事件本人が未成年者宏の養子縁組に反対しているために未成年者宏と申立人ら夫婦との養子縁組が成立しないこと叙上認定のとおりであるが、事件本人の不代諾という行為が親権の行使として不当であり親権の濫用にあたるかどうかを審按するに、上記認定の事件本人および申立人両者の性格、資質、家庭の状況、および未成年者宏が申立人ら方に引取られた事情ならびに同人のその後の成育の経過を総合すると、未成年者宏にとつては、申立人ら夫婦の養子として生長していく方が同人の福祉という点からみて好結果をもたらすであろうことは充分に首肯できる。
しかし、いま仮りに未成年者宏の養子縁組が成立しないため同人が事件本人の許に引取られ養育されることになつた場合を考えるに、一時的には混乱が生ずるとしても、それによつて未成年者宏に対して著しい不利益ないし福祉に反する結果が確定的に発生するともまた即断できないところであるから、事件本人の不代諾という行為によつて必ずしも著しく未成年者宏の福祉を害するとまで断定することはできない。
しかしながら、およそ幼児に対する監護教育義務は当該未成年者に対する積極的な哺育、保護育成が重要な内容をなすものであるが、事件本人には、叙上認定のとおり父利助の意思に抑圧された同人の意に反した行動をとれなかつたこと、および父利助の独断によつて未成年者宏が申立人方に引取られたこと等同情すべき事実が認められるとしても未成年者宏にとつて最も哺育育成を必要とした生後一一か月余であつた昭和四〇年五月一〇日前後のころから今日に至るまで、未成年者宏の養子縁組に反対しながら同人に対する積極的な監護教育を何らなそうとせず、申立人ら夫婦にその全責任を委ねて六年余の長期間を黙過して親権不行使の状態を継続し、結果として自己の親権者としての責任を放棄していることは、そのこと自体未成年者宏の福祉を害すること著しいものであつて親権の消極的な濫用にあたると認めるのが相当である。
よつて、事件本人の未成年者宏に対する親権を喪失せしめるべきものと認め主文のとおり審判する。(立沢貞義)