可部簡易裁判所 昭和32年(ろ)36号 判決 1958年11月11日
被告人 山広茂樹
主文
被告人は無罪。
理由
本件公訴事実は、
被告人は自動車運転者であるが、昭和三一年二月二三日午後八時頃、佐伯郡から広島市に向い広第六あ〇一三三号貨物自動三輪車に松丸太約一四石を車体両側に各三寸位突出し積載してこれを運転し、安佐郡沼田町大字大塚下城橋西方巾三、九米の県道を時速約二〇粁にて進行中、進路左側を対面通行し来る二人連を認め、これと擦違うべく道路右端に寄つて進行したが、斯る狭い道路において擦違う場合、自動車運転者としては同通行人との間隔に留意するは勿論であるが、擦違い終つたら速かに左側通行に移り、その間絶えず前方を注視し、若し進路上に人車があるときは何時にても直ちに停車し又は左方に安全に避譲できる程度に徐行し、以て危険の発生を未然に防止しなければならない業務上の注意義務があるのに前記二人連の通行人との離合に気を奪われ前方注視を怠つたため進路上を脇田素之(当三四年)が、無灯火にて自転車に乗り左側通行して進行し来ることに気づかなかつた上、徐行もせず、前記通行人と擦違つた後、直ちに左方に進路を転じないで漫然道路右端を進行した不注意により同人の自転車との距離約七米に接近して初めてこれを認め、左方に転進してこれを避譲しようとしたが、積荷の松丸太が車体横に突出ているのを考慮することなく、ハンドルを僅かに左に切つただけで進行したため同松丸太を同人の右肩に衝突させて同人を左側道路上に転倒させ、右肩及び左背部打撲の傷害を負わせ、同左背部の打撲に因り同年一一月二六日頃まで安静加療を要する左滲出性肋膜炎の傷害を蒙るに至らせたものである。というにある。
仍て按ずるに、当裁判所の検証調書、証人河岡敏雄の供述、同脇田素之の供述(但し後記措信しない供述部分を除く)、被告人の当公廷における供述を総合すると、脇田素之が昭和三一年二月二三日午後八時頃、安佐郡沼田町大字大塚下城橋西方五〇米位の県道上を、自転車に乗つて西方に向け進行中、反対方向から来る被告人の運転する自動三輪車と離合するに際し、何らかの原因によつて自転車諸共に転倒したこと、この転倒の瞬間の状況を目撃した者は、本件被害者である脇田素之を除いて他に存在しないことが認められる。
本件被害者たる脇田素之は、当公廷において、「被告人の運転する自動三輪車と離合する時、自己の右肩の前側の丸い骨の所が右自動三輪車の車体から横に突出て積載してある材木の先端の切口角に当つたため、その衝撃で転倒した」旨の証言をし、司法警察員及び検察官に対する各供述調書中においても同様の趣旨の供述をしている。そこで、本件は専ら脇田の右証言、供述を信用するか否にかかると謂うことができる。
而して、被告人の当公廷における供述、証人脇田素之の当公廷における供述(但し後記措信しない供述部分を除く)、同人の司法警察員及び検察官に対する各供述調書(但し後記措信しない供述部分を除く)を総合すると、被告人は本件事故当日、マツダ一九五三年型、車体の長さ一〇尺・幅六尺の二屯積規格の自動三輪車に、少くとも二屯を超える長さ六尺五寸の松丸太一四石九升を積載し、助手席に被告人の実兄伸雄を同乗させ、一五粁乃至二五粁の時速で本件事故現場を通過したこと、この時、脇田素之は上体に木綿丸首半袖シヤツ、仕事襦袢(旧陸軍用の冬襦袢と同様の木綿裏毛長袖のもの)、国防色ジヤンバー(証第一号)を着用していたこと、同人の当時の体重は約一八、五貫匁であつたこと、同人の運転する自転車の当時の時速は五粁乃至七粁であつたことを認めることができる。
そこで、脇田素之が証言或は供述するように右の条件下において本件事故当時被告人の運転する自動三輪車と離合するに際し、自己の右肩前側の丸い骨の部分と右自動三輪車の積荷松丸太の先端とが衝突したと仮定すると、鑑定人香川卓二作成の鑑定書によれば、右衝突により、被告人は右上膊骨頭の周辺に重さ約一八、五貫匁の物体が四三間余の高所から墜落した際に生ずる衝撃と同じ衝撃を受けたことになり、そのため同周辺部分に肩胛関節の脱臼、肩胛骨・鎖骨・上膊骨等の骨傷、内臓の破砕又はその他の挫傷を受けた筈であり、臨床上重篤なる症候と機能障害を現わしていなければならないことが認められる。
然るに、証人田宮完の証言及び同人作成の証明書によれば、脇田素之が本件事故の翌日である同年二月二四日の夕方頃、医師田宮完の診察を求めに行つたところ、同医師は、脇田素之の衝突したと称する身体局部について、発赤、発熱は勿論のこと他に外部所見上何らの異常も認めることができず、単に右脇田の主訴に基いて右肩に注射したに過ぎなかつたことが認められる。
この事実によれば、脇田素之が証言或は供述するが如く本件自動三輪車と離合するに際し、自己の右肩と右自動三輪車の積荷とが衝突したとする前記仮定事実が経験則上到底起り得ないものと謂わねばならない。
よつて、右仮定事実が存したとする証人脇田素之の当公廷における供述部分、検察官及び司法警察員に対する供述調書の記載部分は経験則に反し、いずれも信用することができない。
而して、右脇田素之の証言或は供述記載を措いて他に右仮定事実を認めるに足りる適確な証拠の存しない本件は、結局犯罪の証明がないことに帰するから、刑事訴訟法第三三六条の規定により無罪の言渡をすべきものである。
よつて主文のとおり判決する。
(裁判官 渡辺宏)