名古屋地方裁判所 平成元年(行ウ)10号 判決 1991年10月30日
原告
簑田輝良
被告
名古屋西労働基準監督署長柿本慎一
右指定代理人
深谷幸市
同
宇藤元信
同
手島義成
同
高木宏昌
同
小木曽次郎
同
佐藤弘
主文
一 原告の被告に対する、障害等級の変更を求める訴え及び休業補償費五〇〇万円の支払を求める訴えは、いずれもこれを却下する。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告が昭和五九年一二月二一日付で原告に対してした労働者災害補償保険法による障害補償給付の支給に関する処分を取り消す。
2 被告、原告に対し、原告の障害が労働者災害補償保険法施行規則一四条別表一に定める障害等級一四級より上位の障害等級に変更する旨の認定をせよ。
3 被告は、原告に対し、金五〇〇万円を支払え。
二 請求の趣旨に対する答弁
1 本案前の答弁
主文第一、三項と同旨
2 本案の答弁
原告の請求の趣旨1の請求を棄却する。
主文第三項と同旨
第二当事者の主張
一 請求原因
1 原告は、寿化学工業中部株式会社(以下「訴外会社」という。)の作業員として雇用され、同社が請け負っていた東洋プライウッド株式会社飛島工場内でのごみ焼却処理作業に従事していたところ、<1>昭和五三年一〇月四日午前一一時ころ、焼却炉の集じん機の灰だめを点検し、立ち上がろうとした際に、鉄骨の角に頭頂部、左耳上部側頭部を打ちつけ、更に<2>同月五日午前九時ころ、高さ三メートルある焼却炉の煙突の階段を昇って煙道ダンバーを開けようとしたとき、足を踏み外して下に落ち、そのとき、煙道の継板の角に頭頂部を打ちつけ、そのため原告は頭頂部陥没骨折の障害を受けた。
2 被告は昭和五九年三月三一日をもって原告の右障害は治癒したものと認定し、労働者災害補償保険法(以下「労災法」という。)による休業補償を打ち切ると共に、その後遺障害は労災法施行規則一四条別表一に定める障害等級(以下「障害等級」という。)一四級の九に該当するとして、同年一二月二一日付けで同等級に応ずる障害補償給付の支給決定をした(以下「本件処分」という。)。
原告は本件処分を不服として、愛知労働者災害補償保険審査官に対し審査請求をしたが、同審査官は昭和六〇年八月二五日付けでこれを棄却し、原告は更に労働保険審査会に対し再審査請求をしたが、同審査会は平成元年二月一〇日付けでこれを棄却し、原告に同月二二日その旨の通知をした。
3 しかし、原告は頭頂部陥没骨折による症状として、視力低下、耳鳴り、鼻づまり、頭痛、手足の麻痺、痙攣及び左顔面神経麻痺などの症状が現に存し、その障害等級は一四級より上位の等級に該当するものであるから本件処分は違法である。
4 そして、右症状は未だ治癒していないから、原告は昭和五九年四月一日以降も被告に休業補償費を請求することができるところ、同日から昭和六三年一〇月三一日までに原告が受領すべき休業補償費は五五〇万円(一か月の支給額一〇万円の五五か月分)となる。
5 よって、原告は被告に対し、本件処分の取消し及び原告の障害が一四級より上位の障害等級に変更する旨の認定を求めるとともに、休業補償費五〇〇万円の支払いを求める。
二 被告の本案前の主張
1 障害等級の変更(請求の趣旨2)について
右訴えは、特定の行政処分の給付を求める訴えであって、実質において裁判所が行政処分を行うのと同様の結果を生ずるものであるから、三権分立の原則に照らして許されず、不適法な訴えである。
2 休業補償の請求(請求の趣旨3)について
この点について原告の請求は明確ではないが、仮に被告のなした「治癒認定」を争い、昭和五九年三月三一日付けで打切りとなった休業補償給付の継続を求め、以後の休業補償費として金五〇〇万円の支給を求める趣旨であるとするなら、原告は被告に対し、まず労災施行規則一三条所定の手続きに従って休業補償費を請求し、被告の決定を経るべきである。しかるに、原告は被告の右決定を経ることなく直接裁判所に対して休業補償給付を請求するものであって、結局裁判所が行政処分を行うのと同様の結果を生ずるものであるから、三権分立の原則上このような請求は許されず、不適法な訴えといわなければならない。
三 請求原因に対する認否
1 請求原因1のうち、事故の態様については後記四1の限度で認め、その余は争い、傷病名は否認する。
2 同2の事実は認める。被告が本件処分をしたのは、原告が被告に対し、昭和五九年五月一日、労災法に基づく障害補償給付の請求をしたためである。
3 同3、4の事実は否認する。
四 被告の主張
1 原告の症状固定時期
原告は昭和五三年一〇月五日午前一一時ころ、東洋プライウッド株式会社の飛島工場内にあるごみ焼却炉を点検して立ち上がろうとした際、焼却炉の煙突を支える鉄製の支柱で頭部左側部を打撲した。原告は同月一一日、国立名古屋病院で受診し、以後「頭部外傷及び左顔面神経麻痺」の傷病名のもとに加療を続け、その後津島市民病院、名古屋第一赤十字病院、中部労災病院、東海大学病院を経て、昭和五七年七月六日から神奈川県厚木病院に通院し、治療を受けていたが、昭和五九年一月一七日、診療担当医である佐藤醇医師により症状が固定したと診断された。そこで、被告は、原告の症状固定の時期を判断するについて更に慎重を期し、同年三月九日その症状の変化の有無を同医師に照会したところ、症状に全く変化はなく症状固定と考えてよい旨の意見を得たため、原告の症状は同月三一日をもって固定したと判断し、治癒と認定したものである。
2 原告の残存障害の認定
被告は、佐藤醇医師の診断、東京労災病院医師杉浦和朗の意見書、愛知労働基準局地方労災医員田島明の意見等の各医証によって明らかにされた事実及び名古屋西労働基準監督署職員堀田利美作成の補償費調査復命書記載の同人の意見を総合勘案し、原告の残存障害につき、<1>左顔面部に極く軽度の顔面神経麻痺が認められる、<2>外傷性神経症の疑いが濃厚であると判断したものであるが、右障害が神経系の障害であり、しかも局部の神経系統の障害であること、原告が自訴する症状は、自覚症状のみで医師による他覚的所見はなく、かつ器質的損傷も認められないことから、それは心因反応による典型的な外傷性神経症であると認め、頭部外傷後遺症の障害等級一四級の九と認定したものである。
第三証拠
本件記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これを引用する(略)。
理由
一 本件事案の概要について
原告は、訴外会社の作業員として雇用され、同社が請け負っていた東洋プライウッド株式会社飛島工場内でのごみ焼却処理作業に従事していた(争いのない事実)ところ、昭和五三年一〇月五日午前一一時ころ焼却炉の集じん機の灰だめを点検して立ち上がろうとしたとき、鉄骨の角に頭頂部と左側頭部を強く打ちつけた(<証拠略>、原告本人尋問の結果)。原告は同月一一日国立名古屋病院で受診し、以後同病院において頭部外傷及び左顔面神経麻痺の傷病名のもとに加療を続け、その後数か所の病院を転医した後、昭和五七年七月六日から神奈川県立厚木病院に通院し、治療を受けていたが、昭和五九年一月一七日、担当医である佐藤醇医師は原告の症状が固定したと診断した(<証拠略>)。そこで被告は、原告の右症状が同年三月三一日に治癒したものと認定し(争いのない事実)、また原告から障害補償給付の請求があった(<証拠略>)ところから、本件処分を行ったもので、その後の審査請求、再審査請求の推移は請求原因2のとおり(争いのない事実)である。
二 被告の本案前の主張について
請求の趣旨第二項は、処分の取消しを更に進めて、行政庁に対し異なる処分を義務づけることを求める請求であるが、このような請求は、三権分立の原則に照らし行政機関の第一次判断権を害するものとして不適法というべきである。また請求の趣旨第三項は、金員の支払を求める請求であるところ、行政機関である被告はこのような財産上の請求につき被告となる当事者適格を有しない。したがって、原告の被告に対する障害等級の変更を求める訴え及び休業補償費五〇〇万円の支払を求める訴えは、いずれも不適法として却下すべきものである。
三 本件処分の適法性について
1 原告の残存する障害について
(一) (証拠略)によれば、原告は昭和六一年五月二六日神奈川労働者災害補償保険審査官に対し、同日現在の症状について次のように述べている事実が認められる。
「頭痛、めまい、嘔き気、左眼がふさがりやすい、四肢のふるえがある。陥没骨折による身体全体の痙攣が常に残っている。又、痛みも全体にある。電気が通るような痛みや、なにかで切られるような痛みが残っており、顔はねじられたような症状である。歩行も思うようにできない。五分程度歩くと足を引きずるようになり歩行困難となる。この症状は両足に出てくる。両手も曲げた状態から両手指を伸ばす際痙攣のような症状になり、感覚が全くなくなるとは言わないが、自分の自由に動かず、握力も一五程度である。両眼の視力も落ちている。負傷前は左右とも一・〇だったが、現在は眼鏡を使って〇・七程度になっている。夜間は光が反射するので、それ以上に視力は落ちている。」
原告は、本人尋問において、昭和五七年から昭和五九年までの間の症状につき「毎日ふらふらし、苦しいときは血管が張り、掻きむしるようにバタバタしていましたがどうにもなりませんでした。痛みの激しいときは病院やリハビリに行きましたが、それでもどうにもならないので、ベッドに横たわり痛みの治まるのを待って検査をしてもらっていましたが、特別の治療はありませんでした。痛みでバタバタする状態は現在でも続いていますし、頭にこぶができることも指に力が入らないことも続いています。また、巻き舌になりうまく喋れないようにもなります。」と供述している。
(二) 頭頂部の陥没骨折について
原告は、<1>本件事故後一か月後に一宮市民病院で頭部のレントゲン写真を撮ったところ、同病院から頭蓋骨に欠けたところがあり異常があると言われたこと、<2>江南市の広瀬外科でも同様の写真を撮ったところ、頭蓋骨の陥没したところが明確に写っていたこと、<3>東京女子医科大学付属脳神経センター遠山隆医師は原告の左頭頂部の陥没骨折を認め、それを診断書に書いたこと、<4>原告は昭和六二年五月二五日に、森の里病院で頭部のレントゲン写真を撮ったところ、同病院の医師は脳外科の専門でなかったため詳しいことは言わなかったが「正面から見ると前頭骨と頭頂骨の縫合の位置ではない」と言ったので、原告としては、陥没骨折だと思ったと供述し、<4>のレントゲン写真を(証拠略)として提出している。
原告の右供述について検討するに、<1>の供述については、これを裏づける証拠は何ら存在しない。<2>の供述について広瀬外科の広瀬旭医師は、「原告が昭和五五年八月三〇日頭部外傷後の愁訴、特に頭痛を訴えたので、脊椎及び頭部のレントゲン撮影を実施したが、これらのレントゲン検査では特記すべき所見はなかった。特に頭部レントゲン検査では頭蓋骨骨折、同陥没骨折を示している所見はみられなかった」とし(<証拠略>)、法廷でも同様の証言をし、<2>の供述に反する意見を述べている。遠山隆医師は左頭頂部陥没骨折を認める旨の記載のある昭和五八年七月二五日付け診断書を作成しており、<3>の供述に沿う証拠が存する(<証拠略>)が、他方、同医師の所属する東京女子医科大学付属脳神経センター医師川畠弘子は昭和五六年九月一七日付け診断書で「頭・頸部レントゲン及びCT脳波検査を施行する。変形性頸椎症の所見以外特に異常所見を認めず。」として否定的意見を述べている(<証拠略>)事実に照らすと、<3>の供述及び遠山隆医師の右診断書を直ちに採用することはできない。また、証人広瀬旭は、(証拠略)(原告の頭部側面のレントゲン写真)にみられる頭頂部の切れ込み部分は、冠状縫合すなわち骨が縫合している部分で、ここに斜めに隙間があるために右のように写っているだけで、(証拠略)(原告の頭部正面のレントゲン写真)を含めて頭蓋骨の線状骨折、亀裂骨折あるいは陥没骨折と判断する所見はないと証言し、<4>の供述と異なる意見を述べており、したがって同供述及び(証拠略)も直ちに採用することはできない。
そこで、更に頭頂部陥没骨折の有無について検討するに、原告の存在と成立に争いのない(証拠略)によれば、原告が受傷後最初に診療を受けた国立名古屋病院脳外科医師戸田稲三は、昭和五三年一一月八日付けの簡易保険障害診断書兼入院証明書に「頭部レ線写、耳鼻科所見、CT等異常を認めず」と診断しており、同病院の診療録中、昭和五四年一一月三〇日の欄にも「頭蓋XPは異常なし」の記載がある。その後に診療を受けた中部労災病院脳外科医師伊藤博治は、昭和五五年七月一五日付け診断書に「自覚的に頭頂部の陥没を訴えているが、X線写真では異常なし、CTスキャンは異常を認めず、脳血管撮影は異常を認めず、脳波検査は異常を認めず」と診断しており、更に東京労災病院医師杉浦和朗は昭和五九年一二月一日付け意見書で「頭部X―P、陥没骨折歴然とせずCT正常」と診断している事実が認められる。また、原告は前記のとおり、受傷から六日も経過した昭和五三年一〇月一一日になって、初めて国立名古屋病院で受診していることに照らしても、被災時の頭部負傷が陥没骨折というような重傷であったとは、通常考えられない。以上、医証等により明らかにされているエックス線検査等の結果によれば、原告には頭蓋骨骨折はもちろんのこと、頭蓋内出血及び脳挫傷も認められず、したがって、原告の愁訴にもかかわらず、頭部には、外傷性による異常を認めることは困難である。
(三) 視力低下について
(証拠略)によれば、受傷後間もない昭和五三年一一月八日付け国立名古屋病院医師戸田稲三の簡易保険障害診断書兼入院証明書には「視力(測定昭和五三年一〇月二五日)裸眼(左眼)〇・〇四(右眼)〇・〇四、中間透光体・白内障(両)、眼底・異常なし」と記載され、昭和五八年二月八日付け東海大学病院医師佐藤薫の診断書には「両老人性白内障」と診断されている事実が認められ、右事実によれば、原告の視力低下は老人性白内障によるものと認めるべきであり、受傷後間もない時期に眼底に異常がない事実に照らすと、本件業務上の傷病との因果関係を認めるのは困難である。
(四) 耳鳴及び鼻づまりについて
(証拠略)によれば、埼玉医科大学付属病院医師坂田英治の昭和五八年一二月二三日付け診断書には、「病名両外傷性中耳炎残胎症・左耳鳴」の記載があるが、当該診断書の内容は、原告の受傷後五年を経過した時の診断によるものであり、受傷直後治療に当たった国立名古屋病院医師戸田稲三の診断書には「耳鼻科所見異常を認めず」とあることから、両外傷性中耳炎残胎症及び左耳鳴は、本件業務上災害に起因するものと認めることはできない。また、鼻づまりについても右と同様である。
(五) 頭痛及び手足の麻痺、痙攣等について
原告の訴える頭痛及び手足の麻痺、痙攣等の神経症状については、本件に現れたすべての医証等を精査しても他覚的所見はなく、また器質的変化を証明するものもないことから、これらの症状は外傷性神経症によるものと認めるのが相当である。
(六) 左顔面神経麻痺について
左顔面神経麻痺についても、頭蓋骨陥没骨折が前記(二)のとおり認められないことに照らすと、これは外傷によるものではなく、心因性の障害によるものというべきで、(証拠略)によれば、東京労災病院医師杉浦和朗は昭和五九年一二月一日付け意見書で「左に極く軽度の顔面神経麻痺あり」と診断している事実が認められる。
以上の事実によれば、原告は前記(一)のとおりの障害を訴えるけれども、本件処分当時残存した障害のうち、本件業務上災害に起因するものと認めるべき障害は、極く軽度の左顔面神経麻痺及び外傷性神経症であると認めるのが相当である。
2 残存障害の等級について
(証拠略)によれば、前記杉浦和朗はその意見書の総合意見として、原告の残存障害は「訴えの強さを最大限に尊重して第一二級の一二号を適当と考える」と結論づけているが、右意見書の「主訴及び自覚症」欄及び「検査成績(他覚症状)」欄からは、原告の訴えとして頭痛等の自覚症状があったことは認められるものの、その症状に対する医学的検査において異常を示す他覚的所見は全く見当たらず、他に器質的損傷を窺わせる所見も見当たらないことが認められ、また前記1に掲記した各医師中にも右他覚的所見、器質的損傷を窺わせる記載がないことが認められる。そうすると、原告の残存障害は、障害等級第一四級の九(局部に神経症状を残すも(ママ))に該当するものと認定するのが相当である。
3 したがって、本件処分に違法はない。
四 結論
以上によれば、原告の被告に対する障害等級の変更を求める請求及び休業補償費五〇〇万円の支払を求める請求は、いずれも訴えが不適法であるからこれを却下し、原告のその余の請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 清水信之 裁判官 遠山和光 裁判官 菱田泰信)