名古屋地方裁判所 平成元年(行ウ)9号 判決 1994年8月26日
原告
安保東子
右訴訟代理人弁護士
西尾弘美
同
竹内平
同
水野幹男
同
荻原剛
被告
名古屋南労働基準監督署長
都合壮
右指定代理人
松本晴男
外三名
主文
一 被告が原告に対して昭和五九年五月一七日付でなした労働者災害補償保険法による遺族補償年金給付及び葬祭料を支給しない旨の処分を取り消す。
二 訴訟費用は被告の負担とする。
事実及び理由
第一 原告の請求
主文と同旨。
第二 事案の概要
本件は、訴外矢作電設株式会社(以下「訴外会社」という。)に取締役開発部長として勤務していた原告の亡夫安保喜和(以下「喜和」という。)が、訴外会社の業務として韓国に出張中の昭和五八年二月二二日脳出血のため死亡したことが、業務に起因するものであるとして、原告が被告に対し、労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)に基づく遺族補償年金給付及び葬祭料の請求をしたのに対し、被告が、喜和の死亡原因は業務上の事由による疾病とは認められないとして、右各請求について不支給処分の決定をしたため、原告が右処分の取消しを求めた事案である。
一 争いのない事実
1 喜和の訴外会社における地位
喜和は、名古屋市港区昭和町一八番地所在の訴外会社に昭和五二年三月一日入社以来、取締役開発部長として勤務し、一貫して溶湯管理機器(3Eメーター等)の新製品開発、販売、市場開拓、メンテナンス等の業務に従事していた者である。
2 喜和の従事していた業務
3Eメーターを実際に稼動させるためには、得意先に設置されている鋳造炉にあわせて調整しなければならないことから、喜和の従事していた3Eメーターの販売及び取引先開拓の業務は、得意先や販売先に直接出向いて説明・調整することが不可欠であるという業務の性質上出張が多く、年間を通して所定労働日数の半分程度は出張しており、その出張先は、3Eメーターの販売地域が広域にわたることから、埼玉、茨城、山梨等関東・甲信越の広範囲にわたっていた。
また、喜和は、出張日以外は、社内において出張データの整理、顧客に対する報告書の作成、特許に関する調査等の業務に従事していた。
3 喜和の韓国出張と本件発症
(一) 喜和は、昭和五八年二月一五日から、韓国釜山市所在の釜山鋳工株式会社(以下「釜山鋳工」という。)へ納入した3Eメーターの使用方法、測定法等の指導及び釜山市内の鋳鋼工場の市場開拓を目的として、訴外会社販売代理店である日新鉱産株式会社(以下「日新鉱産」という。)の社員大崎俊彦(以下「大崎」という。)と同行して出張した。
なお、右出張のころ、韓国は寒冷期であった。
(二) 喜和は、同日一二時三〇分に韓国に到着した後、午後二時から3Eメーターの販売先である釜山鋳工を訪問して、約二時間にわたり挨拶等を行い、同月一六日、一七日は、右釜山鋳工で3Eメーターのテストなどを行い、一七日には、世宇産業株式会社と3Eメーター販売に関する協議を行った。
また、同月一八日には四社を回って3Eメーターの説明を行った。
そして、現地到着四日目の同月一八日夜、釜山市内の料理店「鮮美」において開催された日新鉱産主催の夕食会に出席し、約一時間後の午後八時四五分ころ、夕食会が終わり立ち上がったとき突然倒れて意識不明の状態となり、釜山市東区草梁三洞一一四七番地所在のチムレ病院に搬送されて入院、治療を受けたが、同月二二日午後二時一五分、脳出血により死亡した。但し、脳出血発症の形態、原因の詳細は不明である。
(三) 喜和は、大正八年七月四日生まれであり、死亡当時満六三歳であった。
4 喜和の健康状態
喜和は、高血圧の基礎疾患を有していた。すなわち、喜和は、訴外会社入社以降、最大血圧が一五〇を上回ることとなり、昭和五六年五月一三日の定期健康診断において高血圧と診断され、治療を受けていた。
5 本件処分等の経過
(一) 原告は、喜和の死亡は業務上の事由によるものであるとして、昭和五八年六月二日、被告に対し、労災保険法に基づく遺族補償年金給付及び葬祭料の請求をした。
(二) 被告は、喜和の死亡は業務上の事由によるものとは認められないとして、昭和五九年五月一七日付けをもって支給しない旨の処分(以下「本件処分」という。)をなし、原告に通知した。
(三) 原告は本件処分を不服として、愛知労働者災害補償保険審査官に対し、審査請求をしたが、同審査官は審査の結果、喜和の死亡は、同人の基礎疾患の高血圧症が自然的経過によって発症したものとみるのが相当であり、業務上の死亡とは認めがたいとして、昭和六一年二月一七日右審査請求を棄却した。
(四) さらに、原告は、右決定を不服として、労働保険審査会へ再審査請求をしたが、同審査会は、審査の結果、喜和の従事した業務と本件疾病発症との間に相当因果関係は認められず、むしろ喜和に既に存在していた基礎疾患が自然経過的に進行し、たまたま韓国出張中に脳出血を発症し、死亡するに至ったとみるのが相当であるとして、平成元年二月一〇日付けをもって右再審査請求を棄却した。
二 本件の争点
本件の争点は、喜和の死亡が、業務上の事由によるものであるか、すなわち、喜和が従事していた業務と本件脳出血発症との因果関係の有無である。
三 争点に関する当事者の主張
1 原告の主張
(一) 喜和の業務の過重性について
(1) 韓国出張前の業務
喜和は、3Eメーターの開発責任者であり、また、その販売・営業の責任者たるセールスエンジニアとして、出張業務及び社内業務に従事していた。
昭和五六年ころから、喜和は疲労を訴えるようになったが、このころから3Eメーターの類似製品が販売されるなど、同業者間の競争が激しくなり、喜和は訴外会社から、売上目標(ノルマ)を決められたうえ、顧客の新規開拓や販売業務に従事し、責任者として肉体的、精神的に大きな負担を負っていた。
ところで、喜和の業務は必然的に出張を伴うものであるが、出張業務は、出張に備えた留守中の業務の整理、段取り、連絡、出張期間中の日常業務の事前処理等で多忙を極めることは経験則上明らかであり、出張業務自体が、肉体的、精神的負担を増大させるものである上、喜和の従事していた3Eメーターの立会調整は、長時間を要するとともに売買契約の成否を決する重要なものであり、喜和の責任は重大であった。
また、喜和の出張は所定労働日数の半分ほどもあり、出張先も広範かつ遠方が多く、また出張の日程も得意先の希望に合わせて組まれたため、不規則・過密なものとなり、早朝出発・深夜帰宅も多く、昼食の取れないこともしばしばあるなど、出張業務による負担は過大なものであった。
そして、韓国出張前の昭和五八年一、二月も、遠方への出張が多く、喜和の出張業務は明らかに過密・過重であった。
(2) 韓国出張について
喜和は韓国に出発する前日、遅くまで準備し、睡眠を充分とれないまま出発した。
海外への出張は、国内のそれより期間も長く、業務上の連絡なども不都合になるなど、国内のそれにも増して肉体的、精神的負担を増大させるものであるが、喜和は、韓国出張中、前記争いのない事実記載のとおりの業務に従事し、このような肉体的負荷を受けていたものである。加えて、韓国出張は、喜和にとって初めての海外出張である上、この出張は訴外会社にとって海外進出を成功させるための重要な第一歩であり、失敗の許されないものであったから、喜和に対して精神的にも多大な負担を与えていた。
また、前記争いのない事実記載のとおり、喜和が韓国に出張した二月ころは韓国は寒冷期であることに加え、戸外が厳寒であるのに対し、炉のある工場は高温であり、このような寒暖の差の激しい場所を行き来することは、喜和に対して多大な肉体的負担を与えたものである。
(二) 業務起因性について
(1) 認定基準について
被告主張の新認定基準は、旧認定基準の災害主義を踏襲するものであり、業務と疾病等との間に超相当因果関係とも呼ぶべき厳格な因果関係を要求するもので不当である。
認定基準の問題は、いかなる場合に労災保険法一条所定の「業務上の災害」に該当するかという問題に帰着するところ、労働者災害補償制度の趣旨は、被告主張の民法上の不法行為における無過失賠償理論に基づく損害賠償ではなく、労働基準法(以下「労基法」という。)一条にいう労働者が人たるに値する生活を営むための必要を充たすべき労働条件の最低基準を定立することを目的に、負傷、死亡又は疾病が「業務上」であることのみを要件に療養補償、遺族補償などを行う法定救済制度であるところに求められるべきものである。このような趣旨からすれば、労基法七九条にいう「業務上死亡した場合」とは、業務と死亡との間に合理的関連性があることをいい、当該業務に従事したために基礎疾病を悪化させ死亡に至ったことが推定されれば足りると解するべきである。
(2) 仮に、右文言を労働者の死亡と業務との間に相当因果関係がある場合でなければならないと解するとしても、死亡が業務遂行を唯一の原因とする必要はなく、既存の疾病が原因となって死亡した場合であっても、業務の遂行が基礎疾病を誘発又は増悪させて死亡の時期を早める等、それが基礎疾病と共働原因となって死亡の結果を招いたと認められる場合には、労働者がかかる結果の発生を予知しながら、あえて業務に従事する等災害補償制度の趣旨に反する特段の事情がない限り、右死亡は、業務上の死亡であると解するべきである。
(3) 安全配慮義務違反について
また、労災補償制度の前記のような趣旨からすれば、使用者の安全配慮義務違反は、相当因果関係の有無の判断に当たって重要な要素として考慮されるべきであり、使用者の安全配慮義務違反により労働者の基礎疾病を増悪させる等して労働者が死亡した場合には、業務と死亡との間には相当因果関係があるというべきである。
そして、本件においては、訴外会社は、喜和の高血圧が治療を要するものであることを熟知していたから、喜和の高血圧が悪化しないよう万全の予防措置を講じ、適切な治療を受けさせるとともに、基礎疾病が悪化しないよう適正な労働に配置して、労働負担を軽減させる措置をとるべきであったのに、これを怠った安全配慮義務違反が存する。
(4) 結論
以上のとおり、喜和に基礎疾患たる高血圧症があったとしても、前記のとおり喜和の従事していた業務による労働負担が喜和の心身に加えられて基礎疾病を悪化させ、死亡に至ったというべきであり、また右労働負担は訴外会社の安全配慮義務違反によるものであるから、喜和の死亡は、労基法七九条にいう「業務上死亡した場合」に該当するものというべきである。
2 被告の主張
(一) 業務起因性の判断基準について
(1) 認定基準の存在
労災保険法に基づく保険給付の対象となる業務上の疾病の範囲に関して、労基法七五条二項に基づいて定められた同法施行規則(以下「規則」という。)三五条別表第一の二第九号は、「その他業務に起因することの明らかな疾病」が、労災保険法上の保険給付の対象となる旨定めている。
脳出血の発症は、規則三五条別表第一の二第一号ないし第八号のいずれにも該当しないことは明らかであるから、労災保険法に基づく保険給付の対象となるためには、これが「その他業務に起因することの明らかな疾病」に該当することを要するところ、右「その他業務に起因することの明らかな疾病」に該当するか否かについては、労働省において次のとおり認定基準が定められている。
① 労働省労働基準局は、昭和三六年二月一三日付け基発第一一六号「中枢神経及び循環器系疾患(脳卒中、急性心臓死等)の業務上外認定基準について」(以下(旧認定基準)という。)を設けていた。
② その後、労働省では、旧認定基準以降の医学的知見等について、専門医師等で構成された「脳血管疾患及び虚血性心疾患等に関する専門家会議」における検討結果を踏まえ、昭和六二年一〇月二六日付け基発第六二〇号「脳血管疾患及び虚血性心疾患等の認定基準について」(以下「新認定基準」という。)を制定し、左記に該当する疾患を規則三五条別表第一の二第九号に該当する疾病として取り扱うものとした。
Ⅰ 次に掲げるイ又はロの業務による明らかな過重負荷を発症前に受けたことが認められること。
イ 発生状態を時間的及び場所的に明確にし得る異常な出来事(業務に関連する出来事に限る。)に遭遇したこと。
ロ 日常業務に比較して、特に過重な業務に就労したこと。
Ⅱ 過重負荷を受けてから症状の出現までの時間的経過が、医学上妥当なものであること。
③ 右通達の解説では、右の新認定基準について、次のとおり説明されている。すなわち、右の「過重負荷」とは、脳血管疾患及び虚血性心疾患等の発症の基礎となる病態(血管病変等)をその自然経過を超えて著しく増悪させ得ることが医学経験則上認められる負荷をいい、この自然経過とは、加齢、一般生活等において生体が受ける通常の要因による血管病変等の経過をいうとされ、また、右「異常な出来事」とは、極度の緊張、興奮、恐怖、驚がく等の強度の精神的負荷を引き起こす突発的又は予測困難な異常な事態、緊急に強度の身体的負荷を強いられる突発的又は予測困難な異常な事態、急激で著しい作業環境の変化とされている。
④ さらに、新認定基準に別添された「脳血管疾患及び虚血性心疾患等の認定マニュアル」(以下「マニュアル」という。)には、右②記載のⅠロの要件について、次のとおり、具体的基準が示されている。
すなわち、前記「特に過重な業務」とは、当該労働者の通常の所定業務と比較して特に過重な精神的、身体的負荷と客観的に認められる業務であり、客観的とは、医学的に血管病変等の急激で著しい増悪の要因と認められることをいうものであるので、当該労働者のみならず、同僚労働者又は同種労働者にとっても、特に過重な精神的、身体的負荷と判断されるものであるとされている。
⑤ また、右マニュアルには、発症と業務との関連について、医学経験則上、発症と最も密接な関連がある業務は、発症直前から前日までの間の業務であること、したがって、この間の業務が特に過重と客観的に認められる場合には発症に直接関与したものと考えられること、発症前一週間以内に過重な業務が継続している場合には、この間の業務は血管病変等の著しい増悪に関連があると考えられること、したがって、発症直前から前日までの間の業務が特に過重と認められない場合であっても、発症前一週間以内に過重な業務が継続しているか否かについて十分留意する必要があること、発症前一週間よりも前の業務は、急激で著しい憎悪に関連したとは判断し難いので、発症前一週間よりも前に、たとえ過重な業務が継続していても、通常、この業務だけで発症との関連を認めることはできないこと等が言えると説明され、また同マニュアルには、過重性の評価に当たっては、業務量(労働時間、労働密度)、業務内容(作業形態、業務の難易度、責任の軽重など)に限らず、更に参考として、作業環境(暑熱、寒冷など)、発症前の身体の状況等を十分調査の上総合的に判断する必要があるとの説明がなされている。
(2) 新認定基準の趣旨
本件のように、負傷に起因しない脳血管疾患については、労働者本人の素因又は基礎となる動脈硬化等による血管病変や動脈瘤等の基礎的病態(以下「血管病変等」という。)が、加齢や日常生活等の私的な要因によって増悪し発症に至るものがほとんどであり、また、その発症には著しい個体差が認められ、業務自体が右血管病変等の形成に当たっての直接の要因とはならず、特定の業務との相関関係は認められないといわれている。しかし、個別的事案によっては、本来的には私病である血管病変等が業務上の要因によって急激な血圧変動や血管収縮を引き起こし、自然的経過を超えて急激に著しく増悪した結果、脳血管疾患を引き起こしたと医学的に認められる場合もあり、その意味で、例外的に、急激な血圧変動や血管収縮を起こし得る態様の業務の場合、血管病変等を自然的経過を超えて急激に著しく増悪させ得るという意味での有害因子・危険を認め得る場合もある。新認定基準は、いかなる場合に、このような急激な血圧変動や血管収縮が業務によって引き起こされ、血管病変等が自然的経過を超えて急激に著しく増悪し発症に至ったと認定できるかについての基準を設けたものである。
(3) 新認定基準の合理性
新認定基準は、前記専門家会議が取りまとめた昭和六二年九月八日付け「過重負荷による脳血管疾患及び虚血性心疾患等の取扱いに関する報告書」に全面的に依拠したものであり、右報告書の内容は、労働生理衛生学の成果をも含めた最新、最高の医学的知見であるから、これに基づいた「その他業務に起因する疾病」に該当するか否かの判断は、最も合理的なものであり、それは同時に、業務と疾病発症との間の因果関係に関する医学的経験則を示すものであり、右基準に該当しない業務態様の場合には、医学経験則上、業務と疾病発症との間の因果関係自体が一般的に否定されるべきものである。
(二) 相当因果関係について
(1) もっとも、右認定基準は、設定されている有害因子別に発症する疾病の業務起因性の肯定要素の集約であるから、この基準の要件と異なる形態で発症する疾病を全て否定しているわけではなく、認定基準に該当しない疾病であっても、業務と疾病との間に相当因果関係が立証される疾病については、業務上の疾病として取り扱うものである。
(2) 業務と疾病との間に業務起因性が認められるためにはその両者の間に相当因果関係が存在しなければならないところ、これが肯定されるためには、業務と疾病との間に条件関係が存するだけでは足りず、当該業務に一般的にみて当該傷病等を発生させる危険、有害因子の存することが必要である。
ところで、労働者の傷病等の発生原因は通常複数の原因が結果発生に絡みあって条件関係を形成していることが多く、その結びつきも結果発生に対して同等ではなく強弱様々であるから、競合する原因の一つとして業務が考えられる場合であっても、直ちに業務起因性を認めることができず、傷病等の結果発生が業務に内在ないし通常随伴する危険の現実化と認め得るか否かが問題であり、この点、一般的抽象的には、業務が傷病等に対して、他の原因と比較して相対的に有力な原因となっていることを要するというべきである。
そして、右相対的有力原因の内容が、業務に内在ないし通常随伴する危険の現実化と認め得るか否かが問題となることから、当該業務が当該事案において有力原因であるか否かだけでなく、客観的に他の事案にあてはめても発症の原因となり得るであろうという事実をいうものとして、その意味での普遍妥当性が必要と解すべきであり(客観的相対的有力原因説)、具体的には、右業務の危険性の有無の判断は、医学経験則、すなわち、当該疾病を発生させる危険を有する業務であることが医学的に承認されているか否かによって判断されるべきものである。
(三) 喜和の死亡が業務に起因しないものであることについて
(1) 喜和の韓国出張前の労働負担について
① 出張業務について
喜和は、訴外会社において、出張を日常的な業務としていたから、社内業務を日常業務とする場合と異なり、出張業務そのものによって肉体的、精神的負担が生じることはないことに加え、出張計画の実施については、喜和本人の自由裁量に任されていたことから、出張に伴う労働密度が苛酷ということもなく、出張業務の内容についても、セールス活動及び納入に関するメーター調整等であって、主に技術の提供、指導等の軽い労働であった。
また、社内業務も販売等に関する報告書作成、特許に関する調査等の業務が主であり、肉体労働ではなかった。
② 労働時間及び休日について
喜和の訴外会社における労働時間が恒常的に長時間であったとは認められず、発病前六か月の期間中に、時間外労働、深夜労働又は休日労働はなく、発病前三か月間中についても、休日は月に六ないし一〇日あり、休日出勤もないため十分休息がとれていたというべきである。さらに、発病前二週間すなわち二月一日から同月一四日までの間の勤務状況についても、出勤日が一一日、休日が三日であり、その間の出張は五日間であることから、通常月と比較しても特に多いとは認められず、遠方出張は二月九日の山梨県都留市が最後であり、二月一一日及び二月一三日は休日であるから、喜和は韓国出張前に十分休息がとれていたものというべきである。
(2) 韓国出張中の業務は争いのない事実記載のとおりであるが、喜和の韓国出張の用務は、すでに成立している商談について、3Eメーターの取扱を説明、指導する程度のものであって、日本国内における出張業務と何ら変わるものではなく、出張の時期についても喜和自らの判断で選択したものであり、韓国出張が重要かつ多大な精神的負担を負うものであったとはいえないし、その業務内容も過重ではなかった。
(3) 喜和の健康状態について
喜和は争いのない事実記載のとおり、昭和五六年三月一六日から高血圧性心疾患、高脂血症の治療のため、自宅近くの田中内科皮フ科医院(以下「田中医院」という。)に通院し、血圧安定降下剤(以下「降圧剤」という。)の投与を受けていたが、右薬剤の服用状況は良好とはいえなかった。
(4) 以上のとおり、喜和の脳出血は出張中に発症したものではあるが、これが日常業務に比較して特に過重な身体的、精神的負担又は突発的な出来事を原因として発症したものとは認められず、むしろ、喜和は本件発症の相当前から高血圧状態にあり、この治療としての降圧剤の服用状況の不良に伴う高血圧の増幅、加えて同人の血清総蛋白が低値であることによる血管の弱化及び加齢、遺伝等の諸原因による自然的経過によってたまたま出張中に脳出血が発症したものである。
(四) 安全配慮義務について
なお、安全配慮義務違反が業務起因性の判断要素となるとの原告の主張は、契約上の債務不履行として民事損害賠償請求権を基礎づけるための概念たる安全配慮義務違反を、無過失責任を前提とする労災補償制度との質的差異を無視して労災補償の場面に持ち込もうとするものであり、無過失責任主義に立脚する労災補償制度に反する失当な主張である。
第三 争点に対する判断
一 業務起因性の判断基準について
1 労基法及び労災保険法による労働者災害補償制度の趣旨は、労働に伴う災害が生ずる危険性を有する業務に従事する(労働)者について、右業務に内在ないし随伴する危険性が発現し、労働災害が生じた場合に、使用者の過失の有無にかかわらず、被災(労働)者の損害を填補するとともに、被災者及びその遺族の生活を保障しようとすることにあるものと解される。そして労基法及び労災保険法が労災補償の要件として、労基法七五条、七九条等において「業務上負傷し、又は疾病にかかった(死亡した)」、労災保険法一条において「業務上の事由により」と規定するほか、何ら特別の要件を規定していないことからすると、業務と死傷病との間に業務起因性があるというためには、当該業務により通常死傷病等の結果発生の危険性が認められること、すなわち業務と死傷病との間に相当因果関係の認められることが必要であり、かつこれをもって足りるものと解するのが相当である(最判昭五一年一一月一二日・集民一一九号一八九頁参照)。そしてこの理は本件脳出血のような脳血管疾患及び虚血性心疾患等の非災害性の労災に関しても何ら異なるものではない。
したがって、業務と結果発生との間に合理的関連性ないし条件関係があれば足りる旨の原告の主張は採用できない。
2 これに対し被告は、脳血管疾患及び虚血性心疾患等に関する業務起因性については、規則三五条別表第一の二第九号に定める「その他業務に起因することの明らかな疾病」と認められることが必要であり、また、右「その他業務に起因することの明らかな疾病」の認定に関しては、新認定基準にいう「業務による明らかな過重負荷」等の認定基準に該当する事実の存在することが必要である旨主張する。
しかし、労基法七五条二項が業務上の疾病の範囲を命令で定めることにした趣旨は、業務上の疾病に関する相当因果関係は傷害の場合ほどに明確でないため、その点を命令で明らかにしようとしたことにあるのであって、これにより相当因果関係の認められる範囲を拡張したり、制限しようとしたものではないというべきである。また、「その他業務に起因することの明らかな疾病」の認定に関する新認定基準についても、それはあくまで下部行政機関に対する運用のための通達であって、行政の適正、迅速処理のための判定基準を示したものにすぎないものであるから、相当因果関係の存否の判断を直接拘束するものでないことはいうまでもない。
もっとも、右認定基準が脳血管疾患及び虚血性心疾患等に関する専門家会議の報告に基づき定められたものであるなどの経緯に照らすと、新認定基準は業務起因性について医学的、専門的知見の集約されたものとして、高度の経験則を示したものと理解することができるのであって、本件脳出血のような脳血管疾患の発症に関する相当因果関係の有無を判断するに当たっては、右専門家会議の報告及び新認定基準の示すところを考慮することの必要性を否定することはできない。
3 相当因果関係の判断基準について
業務と本件脳出血のような脳血管疾患等の発症に関する相当因果関係の有無の判断に当たり基礎とされるべき事実と基準については次のとおり考えるのが相当である。
(一) 前記労災補償制度の趣旨から明らかなとおり、業務起因性が認められるためには、業務に内在ないし随伴する危険性が発現したものと認められることが必要であるが、本件脳出血のような脳血管疾患の発症については、もともと被災(労働)者に、素因又は動脈硬化等に基づく動脈瘤等の血管病変が存し、それが何らかの原因によって破綻して発症に至るのが通常であると考えられるところ、右血管病変は医学上、先天的な奇形等を除けば、加齢や日常生活等がその主要な原因であると考えられており、右血管病変の直接の原因となるような特有の業務の存在は認められていない。また、右血管病変が破綻して脳出血等の脳血管疾患が発症することは、右血管病変が存する場合には常に起り得る可能性が存するものであり、右脳血管疾患を発症させる危険を本来的に内在する特有の業務も医学上認められていない。
したがって、こうした脳血管疾患等の発症の相当因果関係を考える場合、まず第一に当該業務が業務に内在ないし随伴する危険性の発現と認めるに足りる内容を有すること、すなわち当該業務が過重負荷と認められる態様のものであること(以下「業務過重性」という。)が必要であり、そしてさらに、前記のとおり脳血管疾患の原因としては加齢や日常生活等も考えられ、業務そのものを唯一の原因として発症する場合はまれであり、むしろ複数の原因が競合して発症したと認められる場合が多いことに鑑みると、「相当」因果関係が認められるためには、単に業務が脳血管疾患等の発症の原因となったことが認められるというだけでは足りず、当該業務が加齢その他の原因に比べて相対的に有力な原因と認められることが必要であるというべきである。
(二) ところで、新認定基準はその付属のマニュアル等により、業務過重性の判定基準を示しているところであり、右新認定基準等に沿って業務過重性を判断することにも一定の合理性のあることは前に述べたとおりである。
しかし業務過重性について、右新認定基準が、日常の業務に比して特に過重な肉体的、精神的負荷と客観的に認められる業務でなければならないとしたうえ、客観的とは、「医学的に」「急激で著しい増悪」の要因と認められることをいうものであるから、被災者のみならず、「同僚又は同種労働者」にとっても、特に過重な肉体的、精神的負荷と判断されるものでなければならないとしている点は、結果として相当因果関係の判断に特別の要件を付加することになるものであって採用できない。
なぜなら、一般に因果関係の立証は、「自然科学的証明ではなく、特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認しうる高度の蓋然性を証明することであり、通常人が疑いを差し挾まない程度に真実性の確信を持ちうるものであることで足りる」(最判昭五〇年一〇月二四日民集二九巻九号一四一七頁参照)と解されていること、とりわけ、医学的な証明を必要要件とすると、精神的、肉体的負荷の一つとされるストレスや疲労の蓄積といったものが高血圧症に及ぼす影響や高血圧症と脳出血の発生機序について、医学的に十分な解明がなされているとはいい難い現状においては、被災労働者側に相当因果関係の立証について過度の負担を強いる恐れがあり、殆どの場合業務と脳血管疾患等との間の因果関係が否定される結果になりかねないこと、このような結果は、現在の社会の実情に照らし、労災補償制度の趣旨にも合致しないと考えられるからである。また、右新認定基準等により業務過重性判断の基準とされる「同僚又は同種労働者」についても、当該被災者の年齢、具体的健康状態等を捨象して、基礎疾患、健康等に問題のない労働者を想定しているとすれば、それは、多くの労働者がそれぞれ高血圧その他健康上の問題を抱えながら日常の業務に従事しており、しかも高齢化にともないこうした問題を抱える者の比率が高くなるといった社会的現実の存することが認められることを考慮すると、業務過重性の判断の基準を社会通念に反して高度に設定したものといわざるを得ないものであって、同じく採用できない。
(三) しかして、高血圧症等の基礎疾患を有する労働者の業務過重性の判断に当たっては、それが当該業務に従事することが一般的に許容される程度の疾患等を有する労働者であり、これまで格別の支障もなく同業務に従事してきているといった事情が認められる場合は、当該労働者を基準にして、社会通念に従い、業務が労働者にとって自然的経過を超えて基礎疾患を急激に増悪させる危険を生じさせるに足りる程度の過重負荷と認められるか否かにより判断するのが相当である。
そしてこのような過重負荷の存在が認められ、これが原因となって基礎疾患等を増悪させるに至ったことが認められれば、当該労働者が、結果発症の危険性のあることを知りながら、これを秘匿するなどして敢えて業務に従事したなどの特別の事情のない限り、原則として、右過重負荷が自然的経過を超えて基礎疾患を増悪させ死傷病等の結果を招来したこと、すなわち業務と結果との間に因果関係の存することが推認されるとともに、被告側から、基礎疾患が重篤な状況にあったこと、あるいは業務外の肉体的、精神的負荷等が原因となって発症したものであること等につき、特段の反証のない限り(被告が相当程度の立証の負担をすることが労災補償制度の立法趣旨及び公平の理念に合致するものと解する。)、さらに右過重負荷が結果発症に対し、相対的に有力な原因であると推認し、相当因果関係を肯定することができるものと解するのが相当である。
二 本件脳出血の発症が業務に起因するものであるか否かについて
成立に争いのない甲第一号証、第二号証の一及び二、第三号証、第四号証の一ないし三、第五号証、六号証、一〇号証、一一号証、一三号証、一四号証、一六ないし二二号証、二七号証の一ないし三、第三一号証、三二号証、三七号証、三八号証並びに第四九号証、乙第一一号証の三、原本の存在及びその成立について争いのない甲第六六号証、乙第一〇証、一一号証の一及び二、第一三ないし一五号証、一六号証の一ないし三、第一七号証、二一号証、二三号証並びに二四号証の二、原告本人尋問の結果真正に成立したと認められる甲第一五号証の一及び二、第三三号証並びに第四六ないし四八号証、右本人尋問の結果原本の存在及びその成立が認められる甲第三九ないし四五号証、弁論の全趣旨によって真正に成立したと認められる甲第六八号証、乙第二六号証の一、第三三及び三四号証、同じく弁論の全趣旨によって原本の存在及びその成立が認められる乙第一二号証、証人岩間利夫、同神戸政義、同大崎俊彦、同田渕哲雄の各証言及び原告本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すれば、以下の各事実が認められる。
1 喜和の国内における業務内容
(一) 3Eメーターの開発の経過及びその特色等
(1) 3Eメーターは、昭和五〇年ころ、訴外会社の親会社であった矢作製鉄株式会社、右矢作製鉄株式会社グループの矢作鋳造株式会社及び訴外会社の三社の共同により開発が発案され、その後、昭和五二年六月ころ、訴外会杜内においてコンピューター制御のための演算式が作成され、昭和五二年一〇月ころ、第一号機が訴外会社において製作され、その後開発部において、改良が加えられていた。
(2) 3Eメーターは、鋳造工場において溶解された鋳鉄の成分を分析する装置であるが、その名前の由来は、右鋳鉄の強度に影響を与える成分であるカーボン、シリコン及び炭素当量の三つの要素(エレメント)を同時に測定することができる装置であるという点にあり、従前の製品に比べた特徴は、右三つの要素を一度に測定することができるという点と、溶湯を直接の分析対象として簡便な方法で分析ができるという点にあった。
(二) 喜和の訴外会社入社の経緯
(1) 喜和が訴外会社に入社したのは、前記のとおり昭和五二年三月ころであり、3Eメーターの開発当初は、企画、立案等には従事していなかった。
しかし、喜和は、もともと冶金関係の専門家として、前記矢作製鉄株式会社に勤務し、訴外会社入社のころは、その購買部長・参事の職にあったところ、3Eメーターが前記のとおり鋳物を対象とする製品であったことから、冶金の知識を買われて訴外会社に取締役として入社するに至ったものであり、喜和の入社前には訴外会社の職制上存在しなかった開発部の部長の職に就くとともに、右開発部は3Eメーターに関する業務を主要な内容としており、さらに喜和が、それまで名前のついていなかった3Eメーターを「直読式3Eメーター」と命名し、3Eメーターに関する特許出願のための準備や調査等の作業は喜和のみが開発部内で行なっていた等、喜和は訴外会社に入社以後しばらくの間別個の業務に従事していたことを除いて、もっぱら3Eメーターに関する業務に従事していた。
(2) また、訴外会社の開発部長として、3Eメーターの販売業務の責任者となり、部下の監督のみならず、喜和自身いわゆるセールスエンジニアとして、矢作製鉄株式会社に勤務していた間には経験のない営業(セールス)の業務に従事することとなった。
(3) 右のとおり喜和は訴外会社の取締役・開発部長とされていたが、取締役とは名ばかりで、実際は僅か二名の部下とともに、後記のとおり直接個々の顧客の下に出向いて販売、調整立会等の業務に従事していたものである。
(三) 3Eメーターに関する営業形態等
(1) 3Eメーターの販売業務は当初、3Eメーターに使用する消耗品のカップの製造販売の特許を有していた会社を代理店として委託していたが、その後、右代理店から、売上のノルマが達成できない旨の申し出を受けて、開発部が直接販売業務に従事することとなった。
(2) 顧客先の開拓としては、業界紙等に3Eメーターの広告を出したり、訴外会社の商品を取り扱う問屋を通じた問い合せを受けるなどであり、顧客先からの直接の電話等もあった。
(3) 右のように顧客先から3Eメーターに関する問い合せがあると、その商談の進展具合によって、3Eメーターのカタログを持参しての商品説明を行ったり、3Eメーターのサンプルを直接顧客先に持ち込んで溶湯の測定のデモンストレーションを行うなどの営業活動を行い、商談がまとまった場合には、売り上げた3Eメーターを顧客先の鋳造炉にセットしたうえ、後記のとおり、立会や調整業務に従事するとともに、取引終了後も、顧客先からクレームがあれば、工場に出向いてクレーム処理に当たるなどしていた。
(4) 右のような販売活動は、開発部員内部で一応の担当が決められており、喜和は、出張費用の節約等の考慮もあって、東海地方や名古屋近郊等への出張とともに、主に遠距離の出張を担当していた。
出張に当たっては社用車又は電車等の公共交通機関を利用していたが、3Eメーターを現地に持参する必要があるときには、社用車を利用し、重量約一二ないし一五キログラム程度の3Eメーター本体を右社用車に出張者が積み込んで顧客先に運搬し、公共交通機関を利用する場合には、宅配便であらかじめ顧客先に送っていた。
(四) 喜和が従事していた3Eメーターの立会及び調整業務の具体的な内容
(1) 喜和は、3Eメーターに関する立会及び調整業務に従事していたが、立会とは、3Eメーターを現場に持参して実際に溶湯を測定して出た数値データを顧客先に説明するということであり、調整とは、後記のとおり、顧客先が使用している鉄屑の性質等に合わせて、当該顧客先に納入した3Eメーターの測定結果が適性な値を示すように3Eメーターを微調整する作業であった。そして、いずれの作業も、後記のとおり顧客先の工場内の炉の付近で行う必要があった。
すなわち、前記のとおり3Eメーターの特色は溶湯を直接の分析対象とするところにあったが、その測定方法が溶湯の温度の低下の具合をコンピューター解析するという方法であったため、3Eメーターのセンサーが接続されている溶湯受けのカップに、溶湯を冷やさないで注ぐ必要があり、また測定値をデジタル表示する本体部分も右センサーとコードで接続されているため、炉からほぼ四、五メートルほど離れた場所に設置されるのが通常であった。
(2) また、右カップに溶湯を注ぐため、長さ2.5メートルほどのひしゃくで炉内で溶解している溶湯をすくう作業が必要であり、この作業は危険を伴うため、ほとんど顧客先の従業員によって行われていたが、炉が存するのは工場の中であり、炉の中の溶湯は摂氏一三〇〇度ほどの高温になることから、3Eメーターを設置した場所も高温になることがあり、また、溶湯は鉄屑を原料とすることから、炉の近辺の床には、鉄屑が散乱しているような現場もあり、このような場合転倒の危険も存し、このような工場内での作業環境は、良好とは言えずむしろ劣悪な場合が多々あった。
(3) さらに、顧客先によっては、一旦鉄屑を溶かして3Eメーターで測定した後、炉の中の溶湯を流して再度溶湯を作ってその測定をしなければならない場合もあり、右測定と測定の間は、炉の性能によっても異なるが一ないし二時間ほどかかるのが普通であり、その間、喜和は3Eメーターの説明等を顧客先に対して行っていた。
(4) 喜和は、このように3Eメーターの立会調整を顧客先の工場において行っていたが、特に調整については、測定した溶湯の凝固したものを、サンプルとして訴外会社に持ち帰ったうえ、その成分を矢作製鉄株式会社内の専用の分析機によって厳密に分析し、3Eメーターの分析結果と右分析機の分析結果を対照し、さらに調整を行う必要のある場合もあったため、喜和は、顧客先での立会や調整による分析結果をメモする必要があった。
(5) また、3Eメーターの販売後の故障に伴う修理や測定結果に関するクレーム等のいわゆるアフターサービスも開発部の仕事であり、クレームが、実際には顧客先の操作上の不手際が原因である場合でも、3Eメーターの設置されている顧客先の現場へ出向く必要があり、またこのような操作上の不手際が判明したような場合にも、冶金の知識を有する喜和が顧客先にその旨の説明を行う必要があった。
(6) このように、3Eメーターに関する業務は出張を伴うものであり、また顧客先に出向く時間や作業の終了時間等も、このような立会調整の業務内容から、基本的には顧客先の都合が優先され、これによって出張計画を立てる必要があった。
(五) 喜和の従事していた社内業務
喜和が従事していた出張以外のいわゆる社内業務としては、前記出張における立会の結果収集したデータの分析結果の対比検討や、それに基づく顧客先に対する右検討結果の報告書の作成及び出張報告書の作成等があり、また3Eメーター開発の初期の段階では、3Eメーターの特許出願に関する調査等もなされていた。
(六) 3Eメーター販売の推移及び売上の目標
発売当初、3Eメーターは順調な売上を記録していたが、特許出願したものの結局3Eメーターに関する特許権は取得できず、また、同業者が3Eメーターと同様の製品の発売を始めたこともあり、昭和五六年ころから、3Eメーターの売上が伸び悩み、喜和ら開発部員は一人月間一台という売上目標(ノルマ)の達成が困難になり、昭和五七年一〇月ころには、喜和他の開発部員は、当時の訴外会社常務の福岡也から、売上の伸び悩みについて叱責されることもあった。
(七) 喜和の昭和五八年度の出張業務
(1) 喜和は、前記争いのない事実記載のとおり、昭和五八年二月一五日に韓国に出張したが、韓国出張前の昭和五八年度における出張状況は次のとおりであった。
① 一月五日まで正月休みであったが、同月六日、山梨県都留市所在の佐藤鋳造に調整立会のため出張し、同日夜は東京都下の娘宅に宿泊し、翌七日埼玉県川口市所在の三共鋳造に調整立会のため出張した。
なお、娘宅へ宿泊した際の喜和は仕事に疲れ切った様子であったため、これを心配した娘から原告に対し、喜和の健康を気遣って電話のあったことがある。
② その後、同月一一日、三重県桑名市所在の桑名物産へ、クレーム処理及び調整立会のため午後一時に時間を指定されて出張し、この作業は午後五時まで行われるとともに、同日さらに、愛知県大府市所在の杉産業に出張して、3Eメーターの改造のための打ち合せを三時間ほどかけて行った。
③ 翌一二日、愛知県海部郡七宝町所在の南濃鋳工に3Eメーターの調整及び現場での測定の立会を行うため出張し、午前中この作業を行うとともに、昼からは、前記桑名物産に、前回の測定報告等を行うため出張した。
④ 翌一三日、前記南濃鋳工に前日の続きの測定立会のため半日出張し、翌一四日名古屋市南区所在の名晃製作所に現地での測定のため出張した。
⑤ 同月一八日さらに右名晃製作所に一四日の続きの現地測定のため出張し、翌一九日前記三共鋳造に立会及び打ち合わせのため出張し、朝名古屋を出発して昼ころ現地に到着して、その日は東京に宿泊し、翌二〇日同じく埼玉県川口市所在の白鳥鋳物にクレーム処理及び現場での立会調整のため出張した。
⑥ 同月二五日には、静岡県榛原郡所在の東鋳造にクレーム処理のため出張し、この作業は一日中かかった。
⑦ 同月二七日及び二九日には、前記名晃製作所に納入後の検収のため出張し、両日とも半日ずつ現場立会を行った。
⑧ 二月に入ってからは、二日に、前記三共鋳造に現場での立会及び商談や打ち合せのため出張し、右用務は一日中かかり、夜自宅に帰った。
⑨ 翌三日、神奈川県川崎市所在の三菱自動車に、現地での立会及び打ち合せのために出張し、夜自宅に帰った。
⑩ 同月七日には、開発部員の岩間利夫(以下「岩間」という。)とともに、長野県上田市に出張し、同市所在の高沢産業で、打ち合せを行った後、午後二時ころ、同市所在のアート金属工業で、三時間ほど現場立会を行った後打ち合せを行い、その日は同市近辺で宿泊し、翌八日、大雪の中を出発し、そこから茨城県茨城郡所在の岩井産業に出張し、その日は東京で宿泊し、さらに翌九日、東京から前記山梨県都留市所在の佐藤鋳造に出張して一日中現場の立会を行い、夜名古屋の自宅に帰った。
(2) 以上の出張のうち、愛知県及び三重県内等比較的近距離の出張は、自動車を利用しており、また、二月七日の上田市への出張は、岩間の運転する自動車に同乗して現地へ出向いたが、それ以外の比較的遠方への出張は、いずれも国鉄を利用しての出張であった。
(3) 以上のとおり、一月六日から二月九日までの三五日間に延べ二〇ヵ所一七日出張し、そのうち一〇日は遠方出張であった。
(八) 訴外会社における勤務状況や残業について
(1) 昭和五八年ころの訴外会社の勤務時間は、午前八時〇〇分から午後四時一五分までであったところ、訴外会社の勤務日報(乙第一三号証)上は、喜和は右五八年一月及び二月の間、残業及び休日出勤をしていないことになっている。
(2) しかしながら、実際には部下とともに残業することがしばしばあり、また喜和は出張の際、自宅から直接顧客先に出向いたうえ、出張業務終了後直接自宅に帰宅することが多く、顧客先の都合により午後五時を過ぎても、3Eメーターの立会調整の業務に従事する必要等から、その帰宅時間も時には深夜午前二時ころに及ぶこともあり、喜和は、実際は、恒常的に訴外会社の正規の勤務時間外にも業務に従事していたこと、韓国への出張を間近に控えた同年二月一一日は公休日であったが、前日の業務を続行するため出勤していたことが認められる。
(3) 右のとおり、喜和が時間外勤務及び休日勤務に従事していたにもかかわらず、勤務日報上勤務時間がすべて午前八時から午後四時一五分までに統一され、訴外会社の書類上これが把握されていなかったのは、喜和が訴外会社の取締役の地位にあったため、出退時間の管理が喜和自身によって行われていたことと、残業手当の支給対象ではなかったこと等の事情によるものと推認される。
2 喜和の韓国出張の経緯及び韓国における業務内容
(一) 韓国出張の経緯
(1) 訴外会社の販売代理店であり、韓国内の業者との取引関係を有していた日新鉱産が、釜山鋳工に3Eメーターを紹介したことが切っ掛けで、訴外会社は、昭和五八年一月ころ、日新鉱産を介して、訴外会社にとって初めての3Eメーターの海外への販売となる右釜山鋳工との取引を成立させた。
(2) そして、3Eメーター販売後当然の手順として必要となる3Eメーターの現地での立会調整を行う目的とともに、そのころ既に販売台数の伸び悩んでいた3Eメーターのシェアを韓国等の海外に拡大するチャンスであるとして、3Eメーターの販売の責任者である喜和が韓国へ出張することとなった。
(3) 喜和は、海外出張は初めての経験であった。
(二) 韓国出張の日程の決定経緯
(1) 前記のとおり、昭和五八年一月ころ、釜山鋳工との間で売買が成立したが、売買契約成立の後できるだけ早い時期に3Eメーターに関する取扱説明や立会調整等をする必要があったことは国内における取引と同様であり、また釜山鋳工との取引でも当然そのように約束されていたうえ、韓国では旧正月として二月末ころに会社が一週間程度休業する習慣があったため、喜和は、右旧正月による休業の前に韓国に出張する必要があり、寒冷期にもかかわらず、同年二月一五日に韓国出張を計画した。
(2) 韓国出張には大崎も同行する予定であったため、喜和は訴外会社において一度だけ大崎と面会して韓国出張の打ち合せ等を行った。
(3) 当初、韓国出張の予定は三日間であったが、韓国出発前に喜和は出張期間を一日延長して、四日間の出張計画(二月一八日帰国予定)を立てて出張し、韓国に到着した後、さらに予定を一日延長して二月一九日に帰国する予定に変更した。
ところで、前記のとおり、喜和は韓国出張前の昭和五八年一月から二月一〇日にかけて、国内での出張業務に従事し、暦上は休日である同月一一日にも前日の業務の続きを行っており、また同月一二日の土曜日は、訴外会社において会議が行われ、喜和もこれに出席しており、出発前の一四日にも、少なくとも訴外会社の定時の勤務時間業務に従事していた。
(三) 韓国における具体的業務
(1) 喜和は、韓国出張の当日(昭和五八年二月一五日)、午前二時ころまで、韓国出張の準備をし、午前五時ころ起床して名古屋始発の新幹線で新大阪に向かい、同日午前一一時一〇分、大阪空港発の航空機で韓国に出発した。
なお、当日喜和を空港に見送った部下の一人は、喜和の顔色が悪かったことから、喜和に対し、「体は良いですか」と尋ねたところ、喜和は、「(医者に)診て貰ったから大丈夫」と答えている。
(2) そして、同日午後〇時三〇分に韓国釜山空港に到着し、今回の3Eメーターの納入先である釜山鋳工が手配した自動車で、空港から同社に直接出向き、同社において、約二時間にわたり挨拶や商談、3Eメーターの日本における実情等の話を行い、同日午後四時ころ、同社の自動車で釜山市内の国際ホテル(以下「ホテル」という。)に到着し、同日午後六時三〇分ころ、同市の「金門」という日本食の食堂で日本食の夕食をとり、食後ホテルに戻って宿泊した。
(3) 同月一六日、ホテルから釜山鋳工の自動車で同社に向かい、同社において、3Eメーターの取扱方の説明を行った後、実際に3Eメーターをセットして溶湯の汲取りテストを行った。右テストは三〇回ほど繰り返され、喜和は、汲取りの作業にはほとんど従事しなかったものの、始めのうちは、電気炉のそばで右テストに立ち会う等し、喜和は、終日釜山鋳工において立会、調整等の業務に従事した。
釜山鋳工の構造は、事務所と電気炉のある工場が別棟になっており、事務所から工場に出入りするためには一旦戸外に出る必要があった。
(4) 翌一七日も、喜和は、釜山鋳工において3Eメーターに関する業務を行ったが、3Eメーターの測定値と比較すべき湿式分析(時間をかけて、より正確にカーボンやシリコンの値を測定する方法)のデータが出ていなかったため、右データ対比の作業は翌日に回すこととし、午後には、釜山鋳工において、世宇産業株式会社の関係者と3Eメーターの販売に対する協議を行った。右世宇産業株式会社は、3Eメーターに使用する消耗品のカップを製造している会社であり、韓国における3Eメーターの販路拡大を目的とした協議であった。
同日の業務予定が午後三時ころに終了したため、大崎は、喜和を釜山市内の観光に案内した。
(5) 翌一八日、喜和は、午前九時ころ、釜山鋳工に出向いてデータ対比等の作業に従事し、その後釜山市内から四、五〇キロメートル離れた昌原市の工業団地にある統一産業株式会社、南栄金属株式会社及び泰州実業株式会社を順次訪問して、3Eメーターの販売のためのカタログ説明等の営業活動を行い、また釜山市内に戻って、釜山鋳工の付近に所在する信一金属工業株式会社を訪問して同じく3Eメーターのカタログ説明等を行い、最後に再度釜山鋳工に立ち寄った。
(6) 右一八日における釜山鋳工以外の四社の訪問は、当初の韓国出張の予定にはなく、前日に急遽予定されたものであるが、このように急遽予定を追加したのは、前記のとおり喜和の当初の予定は同月一八日帰国であったのが一日延長され、同月一七日に終了予定であった釜山鋳工における3Eメーターの立会業務が同月一八日にずれこんだため、一八日の日程を3Eメーターの販売のため有効に利用しようとしたものと推認される。
(7) なお、喜和は、統一産業株式会社及び南栄金属株式会社については事務所だけでなく工場も見学し、泰州実業株式会社及び信一金属工業株式会社については事務所にのみ立ち寄った。
(8) 喜和は、午後六時ころホテルに戻り、午後七時四五分ころ、ホテルから一〇メートルほど離れている日本食のレストランである「鮮美」で行われた夕食会に出席し、本件脳出血の発症に至った。
(9) 喜和の韓国出張中の釜山の気温及び天候は、別表一のとおりであり、昭和五八年二月一五日から一七日までの天候は快晴、晴又は曇で、気温も日中は摂氏一〇度を超える日もあったが、発症当日の同月一八日の気温は摂氏〇度以下となって急に冷え込み、午前九時には雪が観測されている。
3 喜和の健康状態
(一) 昭和五〇年以降、喜和が受診した矢作製鉄株式会社及び訴外会社の一般健康診断における喜和の血圧値の推移は別表二のとおりである。
なお、喜和は昭和五四年度の右健康診断において耳鳴りの症状を訴えているが、既往症として特に高血圧症を申告していない。昭和五五年度春季の健康診断の結果、最大血圧一六八、最小血圧九〇を記録し、血圧再検査を指示され、再検査の結果は、最大血圧一六八、最小血圧八六であった。昭和五六年度春季の健康診断において、喜和は、健康診断受診票により、高血圧で治療を受けていること、自覚症状として耳鳴りがすること、風邪でもないのに頭が痛んだり重いことがときどきあり、目の前が急に暗くなったりふわっとすることがときどきある旨申告していた。血圧測定の結果は、最大血圧二〇〇、最小血圧九〇であり、前年同様再検査を指示されたが、病院において治療中とのことで再検査は受けていない。昭和五七年度春季の健康診断においても、喜和は、健康診断受診票により、高血圧で治療を受けていること、耳鳴りがすること、風邪でもないのに頭が痛んだり重いことがときどきある旨申告しているが、血圧測定の結果は、最大血圧一五六、最小血圧八八でほぼ正常の領域であった。
(二) 喜和は、昭和五六年三月一六日から田中医院において、高血圧症、高脂血症(疑)の病名で治療を受け始め、同年七月一三日からは、田中医院においてほぼ一か月に二回程度の割合で継続的に通院治療を受けるとともに、降圧剤の投与を受けていた。
田中医院において測定された喜和の血圧値の推移は別表三のとおりであり、昭和五六年度における最大血圧は一八七、同五七年度におけるそれは一六八であり、概ね一三〇台から一六〇台の間を推移していた。
(三) 田中医院へ通院して降圧剤投与を受けた日とその次の投与日の間隔を、右通院日に渡された降圧剤の服用予定日数と対比すると、通院日の間隔の方が右服用予定日数を上回ることがあり、喜和は、投与された降圧剤を毎日欠かさず服用していたとは言えないが、喜和は、元来几帳面な性格であり、自宅でも血圧計で自己の血圧値を測定するなどして常に血圧値を気にかけていたことなどからすると、主治医の田中英雄医師も述べているとおり、喜和の降圧剤の服用状態は概ね良好であった。
(四) また、喜和は、韓国出張前に田中医院で、右田中医師に韓国出張の健康上の是非について診断を受けたが、田中医師は、心電図及び血液検査を行った結果、格別異常が認められなかったので、従来どおり降圧剤を服用することを指示したのみで、韓国出張自体は健康上問題がない旨回答し、喜和は、最終的に二月一二日に田中医院で一四日分の降圧剤の投与を受けて韓国出張に出掛けた。
4 脳出血の危険因子等について
(一)(1) 医学上、脳出血の危険因子(リスクファクター)として一般的には、高血圧、糖尿病、肥満、タバコ・酒、年齢等が挙げられているところ、喜和は、六か月毎に受けていた血液検査において血糖値に異常はなく、また肥満体ではなく、タバコは吸わず、酒もほとんど飲まなかった。
(2) 医学上、高血圧症については遺伝的要素が肯定されているけれども、脳出血の遺伝については否定的である。なお、喜和の父親は八〇歳のときに脳出血で死亡しているが、右喜和の父親の脳出血の原因が高血圧症であるか否かについては不明である。喜和の兄弟に脳出血、脳梗塞を発症した者はいない。
(3) 医学上、血清総蛋白のうち、アルブミン値が通常よりも少ない場合、血管の弱化を招来するとされているところ、喜和が受けていた血液検査の結果によれば、右血清総蛋白は参考基準値を若干下回っているが、アルブミン値は参考基準値の範囲内であった。
(二) ストレスないし疲労の蓄積と高血圧症
(1) 肉体的疲労、精神的緊張等のストレスが高血圧を増大させ脳血管疾患等を増悪させる危険因子の一つであり、これらストレスないし疲労の蓄積が、正常者に比して高血圧症等の疾患を有する者に対してより大きく作用し、容易に血圧の上昇を招くことが医学的にも知られており、この点は、新認定基準及びその付属マニュアル等においても認められているところである。
(2) もっとも、ストレスないし疲労の発生要因は種々であって業務のみではないことや、ストレスないし疲労の発生及びその受容の程度及び身体に与える影響についても個体差が存し、現在の医学水準ではストレスないし疲労の蓄積といったものを客観的定量的に把握できないことも確かであり、このことから、ストレスないし疲労の蓄積と高血圧症の増悪との間の因果関係を医学的に肯定することはできないとの見方も生ずるわけであるが、法的因果関係は必ずしも厳密に医学的な証明を要するものではなく、ましてストレスないし疲労の蓄積が定量的に把握できなければ因果関係を肯定することができないといった性質のものでないことは前示第三の一の3から明らかであり、むしろ、ストレスないし疲労の蓄積と高血圧症の増悪との間の因果関係についても、通常人の目から見て日常の業務により受ける程度を越えたストレスないし疲労の蓄積が認められ、これが高血圧症を増悪させたものと判断され、また医学的にも、厳密にその機序、程度を証明することまではできないにしても、そのような作用のあることが矛盾なく証明された場合には、因果関係を推認して妨げないものと解される。
(3) また寒冷昇圧試験により、高血圧症等の疾患を有する者は正常者に比して著しい血圧の上昇を示すことも知られている。
5 医学的所見について
(一) 喜和の本件脳出血発症の業務起因性について、中部労災病院の福村亮医師は次のとおり意見を述べている。
①喜和の死因は脳出血である。②本人は医師の管理を受け、日常生活においても健康管理に注意していた。血圧値も略正常範囲にコントロールされていた。③厳冬時初めての外国出張で一種の緊張状態にあったことは、日常の生活態度より想像され、平常より高血圧の状態にあったと考えられる。④しかし、業務内容より、肉体的、精神的に強いストレスが加わったとは考え難く、業務上と判断することは困難である(乙第二二号証)。
(二) 同じく中部労災病院の伊藤博治医師は次のとおり意見を述べている。
①死亡原因は高血圧性脳出血と推定される。血圧は一応コントロールされていた。父親が脳出血で死亡している点、遺伝的要因が考えられる。②初めての海外出張で精神的緊張のあったことは十分考えられる。③但し出張業務は国内における通常の業務と同じであり、又この業務遂行中に特に強度の精神的緊張又は身体的努力を要するようなことはなかった。又突発的、災害的事実もなかった。④発病前日と発病日に著しい気温の差が認められるが、発病時には室内にて暖房もあり、寒冷にさらされて血圧が上昇し、発病したものとは考えられない。⑤したがって、本件脳出血が業務に明らかに起因しているとは考え難い(乙第二三号証)。
(三) 証人田渕哲雄医師は次のとおり意見を述べている。
①ストレスは高血圧症増悪の危険因子であることが疫学的にも認められ、またストレスは脳卒中の発症にも関わっていることが医学的にも認められつつある。②喜和が継続的に治療を受けていた田中医院におけるカルテには、傷病名として「高脂血症、高血圧性心疾患」との記載がなされているが、昭和五七年から五八年ころの病状は、当時の血糖値、心電図その他の検査結果によるかぎり、特に危険、異常を疑わせるところはなく、このような傷病名を付すまでもないのではないかと思われる程良くなってきている。③高血圧症の症状にしても、投薬等による治療効果あるいは喜和の健康管理の努力などによって、良くコントロールされ、WHOの重症度分類ではⅠ期、東大第三内科高血圧重症度分類でも軽症群に分類される状態に落ち着いていた。④脳に関しては前記のとおり一時的に目眩の自覚症状も認められたが、この点も昭和五七年から五八年にはなくなっている。⑤国内出張業務も時間的に不規則で拘束性の強い労働であったことから、慢性的疲労状態にあった。⑥昭和五八年一月二二日田中医院において診察を受け、「血圧値も良く、血液生化学検査、心電図ともに異常はなく、韓国出張に関しても特に支障はないと判断した。出張中もいつもの降圧剤を服用するよう指示した」旨の田中主治医の意見により、韓国出張が医療上問題がないとするのは、最終診察日から韓国出張までの間にされた喜和の出張状況に照らして相当でない。韓国出張直前におけるストレスと疲労の蓄積は大きなものがあった。⑦韓国出張によるストレスは、このような過労状態にある喜和にとって、著しく過重な負担であり、同人の高血圧症を悪化させ、本件脳出血発症の有力な原因となったものであるから、業務起因性が認められる(甲第四九号証)。
(四) なお、右医師らの所見は、喜和が高血圧症の基礎疾患を有していたが良くコントロールされ、重篤な状態にはなかったこと、本件韓国出張が喜和に対する肉体的、精神的ストレスとなり喜和の高血圧症を増悪させる要因となったとしている点では概ね一致しているが、福村亮医師、伊藤博治医師は、業務の内容から、強いストレスが加わったとは考え難い、あるいは強度の精神的緊張又は身体的努力を要するようなことも又突発的、災害的事実もなかったとして、業務起因性を認めるのは困難である旨、新認定基準等に則った判断をしているのに対し、田渕哲雄医師が、韓国出張直前におけるストレスと疲労の蓄積は大きなものがあり、喜和が過労状態にあったことを前提に、韓国出張によるストレスは、同人の高血圧症を悪化させ、本件脳出血発症の有力な原因となったものであるから、業務起因性が認められるとしている点が注目されるところである。
三 以上認定の事実を総合すれば、本件脳出血の発症による喜和の死亡の業務起因性について次のとおり認めることができる。
1 業務過重性について
(一) 喜和は、訴外会社の取締役開発部長として、3Eメーターに関する国内の出張業務に従事しており、右出張は3Eメーターの立会調整や顧客のクレーム処理等が中心であったところ、右立会調整は、売買契約が終了した後のものとはいえ、顧客先に納入した3Eメーターが顧客先の炉の溶湯を正確に測定できるかどうかを確認する作業であり、売買契約に付随する重要な職務であって、一定の精神的負担を負っていたとは認められるが、右立会調整業務自体の肉体的負担については、高温の炉のある工場内で作業するとはいえ、3Eメーター本体は炉から五、六メートル離れた位置にあり、また溶湯をひしゃくですくう作業は顧客先の従業員が主に行っていたことからすれば、喜和の受けていた肉体的負担は問題とすべき程度ではなかったというべきである。
(二) しかしながら、出張業務自体についてみると、喜和は開発部の中で主に遠方の出張を担当していたうえ、出張は、長距離の移動や、その前後の社内業務との兼合、また業務時間が不規則になること等、社内業務に比して肉体的、精神的負担は多大であることは社会通念上是認されるところであり、そのことは、出張を通常業務としていたとしても何ら変わるところはないというべきであり、むしろ、喜和の場合についていえば、月の半分程度を出張業務に従事し、残りが社内業務であったことに照らせば、出張のみを通常業務としていたわけではなく、却ってその頻度からいって出張に伴う肉体的、精神的負担は多大であったというべきである。そして、このことは遠方への出張の場合に現地に宿泊していたとしても変わることはなく、また出張先で宿泊すること自体ある程度の負担を伴うものと認めることができる。
(三) ところで、右出張に伴う肉体的、精神的負担が本件発症の直接の原因となる程度に過重であったとみることは、出張日程と発症との時間的間隔が大きいことや、国内における出張の態様自体は従前と同程度で推移していたものと認められるうえ、本件発症の直前に出張回数や出張距離等が特に増加したとは認められないこと等に照らして相当ではないが、韓国出張前の昭和五八年一月及び二月における喜和の出張状況は前記認定のとおりであり、特に韓国出張直前の二月の出張状況を見れば、二日及び三日に埼玉県及び神奈川県に連続して日帰りの出張をし、間に日曜日等を挾んで、七日から九日までの間に、長野県、茨城県及び山梨県へ宿泊を伴う出張を行っているのであるから、これらの期間の出張は、喜和にとって肉体的、精神的負担となり、疲労が蓄積されていたとみるのが自然である。しかも、右出張後の二月一〇日以降韓国出張前日の一四日までの間も、一三日の日曜日を除いて、本来休日である二月一一日も含めて通常業務に従事していることに照らせば、韓国出張の出発前にこれら出張業務に伴う肉体的、精神的疲労が十分回復していたと見るのは社会通念上相当でない。加えて、喜和は韓国出張当日午前二時ころまでその準備をして睡眠不足の状態であったことからすれば、喜和が韓国出張に出発したとき、喜和は相当高度の疲労状態にあったものと推認でき、このような疲労の蓄積は、ストレスとして、身体の血圧コントロール機能に対する障害となって、血圧を上昇させる恐れが多分に存したということができる。
(四) そして、喜和にとって、韓国出張は初めての海外出張であり、そのこと自体が相当な肉体的、精神的負担であったというべきであることに加え、国内における出張に比べ長期間外国に滞在しなければならないため、自宅に戻ってストレスを発散させ、疲労の回復を図ることができないことによる疲労の蓄積も存したと認められ、こうした負担は、韓国への渡航経験の豊富な大崎と同行したことや、韓国において日本語が通じたこと等によって多少緩和されたとしても、なお重大であったと言うべきであり、さらに、釜山鋳工での3Eメーターの立会業務の都合上、当初の予定を変更して、韓国出張を一日延ばさざるを得なかったことも、喜和の肉体的、精神的負担を増大させたものと認めることができる。
また、本件韓国出張の用向きも、釜山鋳工へ納入した3Eメーターの立会調整に止まらず、海外への販路拡大を兼ねたものであり、このような海外への販路拡大の持つ意味は、3Eメーターの販売業務に従事していた喜和の置かれていた当時の状況、すなわちライバル会社が現われ、売上が伸び悩んでいたという状況の下で、販売責任者たる取締役開発部長の喜和にとって、非常に重要なものであり、それに伴う精神的負担も多大なものであったと認められる。
(五) しかも、喜和が韓国出張に出向いたころ、韓国は寒冷期であったところ、寒冷は高血圧症を増悪させるストレスであると医学上認められており、特に前記認定のとおり、本件発症当日はそれまで最高気温が一〇度近かった三日間の気候と異なり、急に冷え込んで気温が氷点下となったのであり、右死亡当日の釜山の気象条件すなわち寒冷によるストレスは、喜和に対する肉体的負担であったと認められる。
また、寒暖の差の激しいところを出入りする場合にも、右環境の変化にともなう血圧の調整が困難となって高血圧を増大させる場合があると医学上認められ、その意味で寒暖の差の激しいところへの出入りも、ストレスとして血圧の上昇を来す虞が十分に存するところ、前記認定のとおりの喜和の死亡当日の行動からすると、暖房設備の存する屋内や自動車内と、氷点下の気温である屋外とを頻繁に出入りしていたことが認められ、このことも、喜和の肉体に対する負担(ストレス)であったと認められる。
2 相当因果関係の存在
(一) 以上説示のとおり、喜和は、それまで従事していた業務により、すでに相当の疲労を蓄積させた身体状況にあったところ、本件韓国出張に伴う肉体的、精神的負担が重なり、これが高血圧症の基礎疾患を有する喜和にとって脳出血を発症させる危険性のある過重負荷となったこと、このような過重負荷が、喜和の高血圧を急激に増大させ、もって自然的経過を超えて、基礎疾患たる脳血管病変を悪化させた結果、本件脳出血を発症させたものであり、したがって、他に特段の事情の認められない本件においては、本件韓国出張と喜和の死亡の間には相当因果関係が存したものと認めるのが相当である。
(二) もっとも、高血圧症は脳出血の危険因子のうちでも、最も発症の危険性の高いものとされており、喜和について、右のとおり他の危険因子としては加齢程度しか見当たらないことからすると、本件脳出血発症の原因としては、右高血圧症によって血管病変が自然的経過によって増悪し本件脳出血の発症に至ったのではないかとの見方ができないではない。
しかしながら、喜和の高血圧症の程度は前記認定のとおりであって、重篤なものであったとは認められず、また降圧剤の服用状況が杜撰でいわゆるリバウンド現象(降圧剤の服用を中断すると血圧値が上昇する現象)等が生じたとは認められず、むしろ前記認定のとおり降圧剤による血圧値のコントロールは良くなされていたことが認められることからすると、本件脳出血発症が、高血圧症の自然的経過による増悪を原因としていたと認めることはできない。
また、右のようにコントロールされていた血圧値が、韓国出張中に突然高血圧状態となったことについても、ストレスないし疲労の蓄積に対する人間の対応力には一定の限界があること、ストレスないし疲労の蓄積がその限界を超えた場合は高血圧が急激に悪化することがありうるとする首肯するに足りる医学的見解があることに照らし、右認定を左右するには足りないというべきである。
第四 結論
そうすると、喜和の死亡には業務起因性が認められるから、これと異なる判断の上にたってなされた本件処分は、違法であって取消を免れない。
よって、原告の請求は理由があるから認容し、訴訟費用の負担について、行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官福田晧一 裁判官潮見直之 裁判官黒田豊)
別紙<省略>