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名古屋地方裁判所 平成13年(わ)1766号 判決 2001年10月24日

主文

被告人を懲役3年に処する。

未決勾留日数中40日を刑に算入する。

この裁判の確定した日から5年間刑の執行を猶予する。

理由

(犯行に至る経緯)

被告人は、A(大正13年10月8日生)及びB(昭和17年3月1日生)の長男として出生し、両親、妹と共に暮らしていたが、昭和57年ころ母Bが脊髄を患って寝たきりの状態となった。そのため、父Aが仕事を辞めてその介護に専念し、被告人自身も妹と共にその介護を手伝っていた。その後、妹が昭和63年に結婚して家を出たのちは主に父Aと被告人とがその介護に努めていた。平成6年ころ父Aの負担が重くなってきたことから、被告人は、仕事を辞めてBの介護に力を注ぐようになった。しかし、被告人自身も、昭和61年ころから足を引きずって歩くようになって、平成7年ころ脊髄疾患による歩行困難な体幹機能障害となり、回復の見込みがなく将来は車椅子生活となるなどと医師から言われた。しかも、父Aも、平成9年ころ自転車に乗っていて転び、頭の手術を受けた後、平成11年ころパーキンソン症候群、変形性関節症による立ち上り困難な体幹機能障害となった。また、母Bは、リュウマチ、パーキンソン病などをも併発した。被告人は、父Aがほぼ寝たきりの状態となった後、名古屋市a区b町c番地市営d荘e棟f号の自宅において、両親の介護を1人で続けていた。

平成11年ころから父A及び母Bが病身を憂い、いずれも死にたいなどと口にするようになったが、被告人は、両親に対し「冗談言ってはだめだ」と言ったり、「まだ頑張って生きていこうや」と言ったり、「僕の足も動くので、面倒みれるで、もう少し生きよう」などと言ったりして励まし、いさめるなどした。その間、被告人の足の具合が更に悪化し、平成12年12月ころには右足が殆ど動かなくなり、壁の伝い歩きも時間を要するなどかなり歩行困難な状態になった。それでも、被告人は、平成13年に入って両親が入所施設あるいは病院に一時期、入ったことがあり、また、訪問や通所の公的な介護を受けていたが、それ以外の両親の食事、洗濯、排せつの世話など日常生活を営むのに必要な殆どの介護を自己の病をおして献身的に行っていた。

被告人は、同年7月18日、両親の世話を終え、午後10時ころ就寝したが、同日午後11時ころ、両親のいる和室6畳間のベルが鳴り、同室に行った際に、父Aが睡眠薬を手にして「これ全部飲んで死んでやる」と言ったので、その睡眠薬を取り上げたが、同人がなおも胸を指し示しながら「ここを包丁で刺してくれ、そうすれば楽になるから。殺して楽にしてくれ」と言ってきたので、台所から包丁を持ち出し、同人の胸などに着衣の上から包丁の刃先をあてて刺す振りをして包丁では死ねないと言っていさめた。それでも、父Aが「足も動かんし、死にたい」などと言い、また、Bも「もう苦しいから、私も死にたい」と言って哀願した。これを聞くに及び、被告人は、自分の身体が不自由であり、いつまでも両親の介護を続けることもできないと思い、両親の介護に疲れていたことやその介護ができなくなれば同人らは惨めな思いをするであろうと考え、両親の嘱託に応じて同人らを殺害して自分も自殺しようと決意した。なお、被告人は、後記犯罪事実記載の犯行直後ころ、手首を包丁で切るなどして自殺しようと試みたが、失敗に終わり、翌19日午前4時57分ころ110番通報するなどして自首した。

(犯罪事実)

被告人は、

第1  平成13年7月18日午後11時40分ころ、前記和室6畳間において、父A(当時76歳)の殺してほしいとの嘱託に応じて、殺意をもって、同人の頸部を両手で強く絞めつけ、よって、そのころ、同所において、同人を扼頸により窒息死させ、もって、同人の嘱託を受けて同人を殺害した。

第2  引き続き、同時刻の直後ころ、同所において、母B(当時59歳)の殺してほしいとの嘱託に応じて、殺意をもって、同人の頸部を両手で強く絞めつけ、よって、そのころ、同所において、同人を扼頸により窒息死させ、もって、同人の嘱託を受けて同人を殺害した。

(証拠)省略

(法令の適用)

罰条

第1、第2の各行為 各刑法202条

刑種の選択

第1、第2の罪  懲役刑

併合罪の処理     刑法45条前段、47条本文、10条(犯情の重い第2の罪の刑に法定の加重)

未決勾留日数の算入  刑法21条

刑の執行猶予     刑法25条1項

訴訟費用の不負担   刑訴法181条1項ただし書

(量刑の理由)

1  本件は、病のために寝たきりになり徐々に病状が進行している両親を長期間にわたり介護してきた被告人が、両親から死にたいと哀願され、また、被告人自身も進行性の病のために歩行困難である上、更に病状が悪化すれば両親を介護することもできなくなり、両親が惨めな思いをすると将来を悲観し、その嘱託に応じて両親を絞殺したという事案である。

2  両親から殺害を嘱託されたとはいえ、当時、両親の死期が迫っていたという状況や両親が激痛に苦しんでいた訳ではなく、妹や周囲の者に助力を求めたり相談することもできたのに、これをしないまま、被告人の判断で本件各犯行を敢行しており、思慮を欠いた短絡的な犯行であって、厳しく非難される。この犯行により二人の尊い生命を奪ったという結果は誠に重大である。一度に両親を失った妹やその家族に与えた精神的な打撃も大きく、悲しみも深い。さらに、本件が一般社会、殊に身体障害者や老人などを抱えてその介護に努めている家庭に与えた衝撃、影響も軽視することができない。これらからすると、被告人の刑事責任は重いといわざるを得ない。

3  しかしながら、被告人は、両親が病床に伏して以降、本件に至るまで、被告人自身も歩行が困難であるにもかかわらず、献身的な介護を続けてきたこと、被告人は、本件前に両親から死にたい旨哀願された際にはむしろ両親を励ましていたが、両親の病状も徐々に進行し、自分の病状も悪化してきたことから、両親の嘱託を契機に将来を悲観して突発的に本件各犯行に及んだという経緯、動機に酌量すべき点もあること、被告人は、自首し、深く反省しており、両親の冥福を祈っていること、被告人の妹が被告人を宥恕し、今後被告人の面倒を見ると述べていること、被告人に前科前歴がないこと、被告人は病気のために歩行困難な状態にあり、更に症状が悪化することが予想されること、本件を知った多数の者から嘆願書が寄せられていることなど被告人のために酌むべき事情も認められる。

4  以上の諸事情を考慮して主文の刑とし、刑の執行を猶予することとする。

(求刑・懲役5年)

(裁判長裁判官 山本哲一 裁判官 村田健二 裁判官 村田恵美子)

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