名古屋地方裁判所 平成13年(ワ)1999号 判決 2002年12月27日
主文
1 被告は原告に対し,500万円及びこれに対する平成13年5月26日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 原告のその余の請求を棄却する。
3 訴訟費用はこれを2分し,その1を原告のその余を被告の各負担とする。
4 この判決は第1項に限り仮に執行することができる。
事実及び理由
第1請求
被告は,原告に対し,962万円及びこれに対する平成13年5月26日(訴状送達の日の翌日)から支払い済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2事案の概要
本件は,A株式会社の放送部長である被告が,ラジオ番組ディレクターである原告の上司にあたるBに,原告はレコード会社から金を受け取っている等の虚偽の事実を述べたため,原告の名誉が侵害された上,仕事を失ったとして,原告が被告に対し,民法709条,710条に基づいて,慰謝料,逸失利益等の損害962万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。
1 争いのない事実
(1) 被告は,A株式会社の放送部長である。
(2) Aは,同社が放送する番組について放送時間の枠を割り振って,複数の番組制作会社に番組制作を依頼しており,毎週土曜日午前11時から午後5時までの番組枠について,平成12年4月から株式会社Cに対し番組制作の依頼をしていた。Cは,同番組枠において,原告をディレクターとして起用し,音楽番組(以下「本件番組」という。)を制作してAに供給していた。
(3) 被告は,平成13年1月ころ,Cの代表取締役であるBに対し,原告の評価ないし評判等について述べた(以下「本件言動」という。)。
2 争点
(1) 本件言動の違法性―被告が噂を噂として伝えたか事実として伝えたか,原告に関する噂の有無,被告が噂を信じるについて相当の理由があったか,被告が積極的に伝えたかBの質問に答える形で伝えたに過ぎないか。
(原告の主張の要旨)
原告がレコード会社から金を受け取っている旨の噂があったとしても,被告はそれを軽率に信じ,Cの代表取締役であるBからの質問に答えるというよりは,むしろ積極的に,しかも,本件噂を単に噂として伝えたのではなく,噂が真実であるかのように伝えたものであるから本件言動には違法性がある。
仮に,被告がBに噂を噂として伝え,かかる噂が存在していたとしても,その実態の調査もせずに,噂話だけを理由として,実質的に番組制作会社を決定する権限のある者が,特定の人物をディレクターとして採用しないように制作会社に指示をすることは原告の営業上の利益を不当に害するものとして不法行為を構成する。しかも,被告の主張する噂の出所は,いずれも番組制作に関してCと競争関係にある同業他社の者の話であり,その内容の真偽について確認もせずに,「噂の存在自体が悪い。」と評価を下すことに過失があることは明白である。
(被告の主張の要旨)
原告には前記のような噂があり,被告がそれを信じたことに相当の根拠がある上,被告はBとの仕事上の打合せの場で,Bからの質問に答える形で,しかも,前記噂を単に噂として伝えただけであって,噂が真実であるかのように伝えたものではないから違法性は存しない。すなわち,被告は原告について,業界の複数の関係者から,「過去に他社でトラブルを起こした。」とか「レコード会社から金銭を受け取っている。」との噂を聞いていたのであり,噂が真実であろうとなかろうと,このようなよからぬ噂のある人物を自社で放送する番組のディレクターとして採用することを避けたいと思うのは当然である。被告の立場として,Aに不測の問題を生じさせないために,このような人物を排除することは当然執るべき措置であるし,噂の内容があたかも真実であるが如く伝えているのであれば格別,噂をあくまで噂として,真実であるか否かについての点を留保して述べている点で,その違法性は格段に低い。しかも,重要な点は,被告がBに対して上記発言をしたのは,仕事の打合せの席のことであり,しかも,Bから,原告を番組担当とすることの可否を尋ねられた際に,これに答える形で答えたのであり,かような話が他に伝播されることも予定されておらず,企業内であれば,人事考課に当たるものであることからしても,違法性はない。
(2) 本件言動と原告が仕事を失ったこととの因果関係,損害額
(原告の主張の要旨)
本件言動により,原告は,平成13年4月以降,A及び株式会社Dの番組担当から一切はずされ,また,原告の名誉及び信用は著しく傷つき,次の損害を被った。
原告は,平成12年10月からは毎月32万円の委託料で,本件番組の制作業務の委託を受けており,平成13年4月以降も継続して業務を請け負う予定であった。本件番組自体に原告が起用されることはなかったとしても,Cが本件番組に代わって割り振られ,現在放送している番組枠については,原告が起用されたはずであり,その場合には前記金額と同額程度の委託料が支払われるはずであった。また,原告は,Dの番組の制作業務について,毎月24万円の委託料で平成13年4月以降番組制作をするように告げられていたのに,本件言動によって,上記2局から番組制作をはずされる結果となった。そして,番組編成は半年毎になされ,契約の更新が義務づけられているわけではないが,番組の打ち切りや変更等を行うべき特段の理由がない限り,委託契約を更新するのが一般的であることから,原告は上記各金額の少なくとも1年分の収入を失ったことになる。また,その精神的損害も大きい。よって,本件言動により原告が被った損害額は下記のものとなる。
ア 逸失利益
(ア) 本件番組又は本件番組に代わる番組に関する委託料月額32万円の1年分 384万円
(イ) Dの番組に関する委託料月額24万円の1年分 288万円
イ 慰謝料 200万円
ウ 弁護士費用 90万円
エ 合計 962万円
(被告の主張の要旨)
原告が本件番組の制作をはずされたのは,本件番組の制作をCから別会社に変更した結果に過ぎない。そして,本件番組の制作委託会社をCから他社に変更したのは,番組編成上の理由に加えてCの企業努力の欠如が原因であり,原告とは全く関係がない次元の事柄であるから,本件言動と原告が本件番組の制作をはずされこととの間には因果関係がない。また,原告がAの番組のディレクターをしていたのは,あくまでもAが同番組の制作を依頼したCとの業務委託契約によるものであって,原告とAには契約関係がないから,原告,C間の業務委託関係の終了とA及びその従業員である被告の言動とは因果関係がないはずである。
Dの制作担当については,少なくとも具体的な委託の話があったにもかかわらず,本件言動によってこれが破談になったというような事実はなく,原告に損害が発生したとは認められない。
第3争点に対する判断
1 争点(1)(本件言動の違法性―被告が噂を噂として伝えたか事実として伝えたか,原告に関する噂の有無,被告が噂を信じるについて相当の理由があったか,被告が積極的に伝えたかBの質問に答える形で伝えたに過ぎないか。)について
(1) 認定事実
証拠(甲5,甲6,乙1ないし乙3(乙3のうち下記認定に反する部分を除く。),証人B,原告本人,被告本人(下記認定に反する部分を除く。)及び第2の1摘示の事実及び弁論の全趣旨によれば次の各事実が認められる(争いのない事実も同時に摘示する。)。
ア Aは,同社が放送する番組について放送時間の枠を割り振って,複数の番組制作会社に番組制作を依頼しており,毎週土曜日午前11時から午後5時までの番組枠について,平成12年4月からCに対し番組制作の依頼をしていた。Cは,同番組枠において,原告をディレクターとして起用し,本件番組を制作してAに供給していた。
イ Cは,Dが50パーセント以上の出資をして設立された番組制作会社であるところ,被告はDからAに出向し,同社において,放送部長の職にあり,番組編成の原案を作成してAの取締役会に諮るなど同社の番組編成に当たって重要な役割を果たしていた。
ウ 被告は,番組制作会社であるE株式会社の代表取締役であるFから,番組制作の打合せをしている際に,「原告は余り評判が良くないようだ,レコード会社から金品を受け取っているのではないかという噂を耳にしたことがある。」旨聞かされた。また,被告は,株式会社Gの専務取締役であるHからも打合せ中に,「原告は余り評判が良くないし,Iからも出入り禁止を言い渡されているとの噂がある。」旨聞かされた。
エ Aは,平成12年10月にCとの本件番組に関する6か月契約を更新したが,平成13年4月からの新年度の番組編成に当たり,リスナーからの意見等も考慮に入れた総合的な判断から,番組の構成を変更し,本件番組の放送時間を午後1時から午後5時までの4時間に短縮し,制作会社についても,企業努力が見られないと判断されるCから他社に変更する方針が決められた(Cの企業努力が真実足らなかったか否かは本件において判断を要しない事項である。)。そしてCには毎週土曜日午前6時から午前9時の時間枠について,番組の制作を依頼することとなった。
オ 原告は,本件番組の制作に熱意を持って取り組んでいたが,音楽の選曲に関しては決定権がなく,レコード会社から金品を受け取るような立場にはなかったし,現にこのようなことはなかった。Bは,原告のディレクターとしての能力を高く評価していた。
カ 被告は,平成13年1月16日ころ,Cの事務所を訪れ,Bに対して,本件番組に割り当てられている毎週土曜日の午前11時から午後5時までの時間帯を土曜日の午後1時から午後5時までとし,Cを担当からはずすこと,Cには毎週土曜日午前6時から午前9時の時間枠について番組制作を依頼する予定である旨伝えた。このような番組編成を予期していなかったBは理由を尋ねたところ,被告は番組編成上の理由と答えた。その直後,被告は,担当している原告には問題があり,レコード会社から金品等をもらっているとの噂があるという話をした。Bは,原告を高く評価していたため,新しく割り振られる予定の3時間枠で原告を使ってよいか尋ねたところ,被告は,「噂の真偽はともかく,そういう噂のあるような人間を使うのは問題である。」旨答えた。
キ その後,同月19日ころに被告から「この前の話は決定です。」と電話で伝えられ,Bは,同月22日ころ,原告に真偽を確認したところ,原告はこれを強く否定した。同月25日のCの役員会においては,時間枠の短縮の問題及び原告の問題が協議された。そして,原告については,もしそれが事実であるとすると,Cの監督責任が問われかねない問題であり,DはAに出資をしている会社であるし,CはDの出資する会社であることから考えても徹底的に調査すべきであるとの結論となった。
ク 上記取締役会の意を受けたBは,同日,A事務所に被告を訪ね,Cの役員会で原告のことを報告したと述べたところ,被告は,「それは言って欲しくなかった。あくまでも編成上の理由であって原告とは関係がない。」と答えた。Bは,「役員会では原告の件が問題となったので,その真偽を尋ねたい。証拠はあるのですか。」と尋ねたところ,被告は,「証拠はあるが,Aの営業的な部分等に影響が出てくるので今は言えない。」旨答えた。Bは,被告が証拠があると言うからには,噂は事実かもしれないと思った。
ケ Cは同年4月から割り当てられた土曜日の午前6時から9時までの時間帯に,新番組を制作することとなったが,同番組に原告を起用することを断念した。原告は,その後,各番組制作会社に自分を起用してくれるように依頼したが,アルバイト的な仕事しか与えられなかった。
(2) 事実認定の補足説明
前記認定事実に副うB供述は,その供述内容が明確であり,供述態度も真摯である。同人は,前記のように,Cの取締役会の意向を受けて,原告についての噂が真実か単なる噂に過ぎないのかを確認するという目的をもって被告に面談したのであるから,記憶違いが生じる虞れはほとんどないと考えられる。また,同人が虚偽の供述する可能性についても,Cと被告との利害関係からして考えがたい。すなわち,被告がAの番組編成においてどの程度の決定権を持っていたかは証拠上はつまびらかではないものの,番組編成の原案を作成して取締役会に諮る権限を有していたこと自体は当事者間に争いがない。そして,番組制作会社の立場から見れば,少なくとも主観的には,こうした役職に就いている者は力関係において上位であると認識していることは疑いを差し挟む余地はなく,かような上位者に関する不利益な事実についての供述は高度の信用性を有すると認められる。
なお,Bは,本件番組からのCの降板や時間枠の短縮がなされた根拠として原告の問題が取り上げられたかのような供述をしているが,番組からの降板や時間枠の変更の問題は,不祥事が明らかになり企業の監督責任が直接問われているような場合を除いては,被告の主張するように,個人の資質,能力とは次元を異にする事柄であり,原告個人に問題があるならば,直裁に原告の当該番組からの降板だけが問題となるであろう。Bは時間枠の変更の問題の直後に被告から原告の話がなされたために,両者を結びつけて誤解したものに過ぎないと認められるのであって,このことが同人の供述全体の信用性に影響を及ぼすものとは認められない。この点に関する被告の供述内容は,「番組の変更の話が一旦終わり,新番組の話が出たときに,Bから原告の起用の話が問いかけられた。」というものであるが,1月16日段階の両名の会話は番組枠変更の予定の段階でのものであるから,その番組枠変更の話が聞かされた直後に,Bから次の番組のスタッフの起用の話が出るのは極めて不自然であり,被告はその意図はともかくとして,番組枠変更の話に続けて原告の話を持ち出したと認められる。
被告は,「被告は原告との個人的なつきあいがほとんどなく,被告が前記クのような言動を採る合理的根拠はない。」と主張しているところ,原告,被告間に個人的なつきあいがほとんどないことはこれを認めることができる。しかし,前記のように,被告がCの番組降板の話と同じ機会に原告の話を持ち出したこともあって,原告の話がCの取締役会で協議されることになってしまったために,単なる噂話でしたとは言いづらくなり,かような言動に及んでしまったことは人間の自尊心のありようを考えると十分に了解が可能である。
(3) 判断
番組制作会社の代表取締役であるBに対して,前記職にある原告がレコード会社から金品を受け取っているという虚偽の噂を単なる噂としてでなく,あたかもそれが事実であるかのように,しかも相当な根拠に基づかずに告げた被告の前記クの言動は,違法性があると認められる。
2 争点(2)(本件言動と原告が仕事を失ったこととの因果関係,損害額)
(1) 逸失利益について
ア 本件番組又は本件番組に代わる番組に関する委託料について
前記(第3の1(2))に判示したように,原告が本件番組の制作をはずれたのは,本件番組の制作をCから別会社に変更した結果に過ぎず,同変更について原告のことは理由となっていないと認められるから,前記クの被告の言動(以下「本件不法行為」という。)と原告が本件番組をはずれたこととの間には因果関係がない。したがって,本件番組にかかる原告への委託料月額32万円(甲1)の喪失を本件不法行為と因果関係がある原告の逸失利益と認めることはできない。しかし,証拠(証人B)によれば,Cは本件不法行為がなかったとしたら本件番組の代わりに割り当たられた時間枠における新番組で原告をディレクターとして起用していたと認められるから,同番組における委託料の喪失と本件不法行為との間の相当因果関係はこれを肯定できる。新番組における原告への委託料は,時間枠が3時間に過ぎないものの,早朝の時間帯であることを考え併せ,控えめに見ても月額20万円程度に達すると認められる。そして,弁論の全趣旨によれば,ラジオ番組は毎年4月から新編成になり,10月には大幅な変更が行われることは少ないことが認められることからして,逸失利益の算定期間は1年とするのが相当である。これに基づき,本件番組に代わる番組にかかる委託料についての原告の逸失利益は240万円と認める。
なお,被告は,「Cと原告の間の業務委託関係についての決定権はCにあるのであって,被告の本件言動と原告の委託料の喪失との間には相当因果関係がない。」という趣旨の主張をしているのでこの点について判断を加える。確かに,本件不法行為と原告,C間の委託関係の終了ないしは委託契約を結ばないという不作為との間に,Cの企業としての判断が介在していることは認められるが,それ故に両者の間に相当因果関係が欠けると言うためには,Cが一般的にはあり得ない特殊な判断をしたような場合等に限られると解するのが相当である。本件では本件不法行為がCの判断に重大な影響を与えたことは確実であり,かつその判断が社会通念上十分あり得る判断である以上は,Cの判断が介在するが故に因果関係が否定されるというようなものではない。
イ Dからの手数料について
証拠(原告本人)によれば,原告は,平成12年秋ころ,Cから平成13年4月以降,Dから番組の制作業務について,週に2回程度担当できないかとの話をされたことが認められるが,他方証拠(証人B)によればそれは単なる打診の範囲を超えるものではなかったと認められるから,当該番組での委託料の喪失を本件不法行為との相当因果関係がある損害と認めることはできない。
(2) 慰謝料について
前記認定にかかる諸事情,特に,本件不法行為は,前記認定にかかる場面で特定の人物に対してなされた言動であるから伝播性は大きくないものの,その内容は番組制作スタッフとしては今後の仕事を継続するうえで致命的ともなりかねない性質のものであること,原告は実際に経済的不利益を被っていること,伝播性が小さい点も名古屋の放送業界自体が狭いことからすると必ずしもこれを重視すべきでないこと等の諸要素を総合考慮し,200万円をもって慰謝するのが相当である。
(3) 相当弁護士費用について
本件事案の性質,内容,立証の難易,請求額,(1)(2)の金額その他諸般の事情を総合考慮し,本件不法行為と相当因果関係があるとして被告が負担すべき弁護士費用は60万円と認める。
(4) よって,原告の請求は(1)ないし(3)の合計500万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成13年5月26日から支払い済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し,その余の請求は理由がないからこれを棄却することとし,訴訟費用の負担について民事訴訟法61条,64条,仮執行宣言について同法259条1項を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 樋口英明)