名古屋地方裁判所 平成13年(ワ)2910号 判決 2002年12月18日
主文
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第1請求の趣旨
1 被告は原告に対し,120万円及びこれに対する平成13年7月20日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 被告は原告に対し,別紙記載の謝罪文を縦横各1メートルの白紙に黒書して,瀬戸市役所1階ロビー内掲示板に1か月間掲載せよ。
第2事案の概要
本件は,地方公務員法(以下単に「法」という。)上の職員団体である原告が,瀬戸市教育委員会(以下「本件委員会」という。)との法55条による下記1(4)の交渉に関し,後示2(1)ア,ウの合意成立とその破棄を主張して,被告に債務不履行による損害賠償及び不法行為に対する謝罪文掲示を請求する事案である。
1 争いのない事実及び証拠により容易に認められる事実
(1) 当事者
ア 原告は,被告の設置にかかる小中学校の教職員を構成員とする法52条所定の員団体である。
イ 被告は,同市内に小中学校を設置,管理する地方公共団体であり,本件委員会を組織している。
(2) 被告設置の小中学校の通常の勤務時間等の割り振り
これによる教職員の勤務時間等の割り振り(以下「甲方式」という。)は,以下のとおりである。
午前8時30分~午前10時25分勤務時間
午前10時25分~午前10時45分の間の15分間休息時間
(以下「休息時間A」という。)
午前10時45分~午後1時30分勤務時間
午後1時30分~午後1時50分の間の15分間休憩時間
(以下「休憩時間B」という。)
午後1時50分~午後4時30分勤務時間
午後4時30分~午後5時休憩時間
午後5時~午後5時15分休息時間
(3) いわゆる名古屋方式による勤務時間等の割り振り
一方,名古屋市設置の小中学校で採用されている教職員の勤務時間等の割り振り(以下「名古屋方式」という。)は,おおむね以下のとおりである。
午前8時15分~午前8時30分休息時間
午前8時30分~午後4時勤務時間
午後4時~午後4時45分休憩時間
午後4時45分~午後5時休息時間
(4) 本件交渉及び本件確認書(ただし,合意内容の解釈に争いがある。)
原告と本件委員会は,平成5年10月29日,法55条による交渉(以下「本件交渉」という。)を実施した。同交渉の結果に関し,両者作成の同年12月2日付け確認書(甲2。以下「本件確認書」という。)の3項には,「休憩休息時間を実働拘束時間の外に置くものとすること。つまり,名古屋方式(8:30勤務開始,16:00勤務終了)とすること。」との交渉事項について,以下の確認内容が記載されている。
「休憩休息時間を全職員が取れる時間に置くよう名古屋方式に近い形で,校長会などで指導する。
出張の精選などを含め,出張が16:00に終了するよう,始まりの時刻などを考慮し,条件整備をしていく。
愛日事務協や県へも,出張などが16:00に終了するようにと組合から要望があったことを伝える。」
(5) その後の勤務時間等の実例(ただし,同実施の範囲及びこれが本件交渉の結果に沿ったものであるかにつき争いがある。)
本件交渉後,少なくとも被告設置の幾つかの小中学校では,以下のとおりの教職員の勤務時間等の割り振り(以下「乙方式」という。)が採用された実例があった。
午前8時30分~午後4時勤務時間
午後4時~午後4時15分休息時間
午後4時15分~午後5時休憩時間
午後5時~午後5時15分休息時間
(6) 本件委員会の指導(ただし,その内容や法的効果につき争いがある。)
同委員会は,平成13年2ないし3月ころ,被告設置の小中学校長に対し,教職員の勤務時間等に関する指導を行った。
2 争点
本件の主な争点は,①本件交渉に関する原告主張の合意及びその破棄の有無(下記(1)ア,ウ。請求原因),②これによる債務不履行ないし不法行為の成否(下記(1)オ。請求原因)である。
(1) 原告の主張
ア 原告と本件委員会とは,本件確認書を交わして,名古屋方式に近づけた勤務時間の割り振り,休憩時間の配分方式を採用し,もって,①原告の構成員は,午後4時には帰宅して,自宅にて休養したり自宅研修をすることができる,②本件委員会や学校側は,これを勤務場所を離れての勤務であると扱うとの内容の合意(以下「本件合意」という。)をした。
イ 同合意による勤務時間等の割り振りの具体的運用は,乙方式と同一視でき,これによって,原告の構成員は,前示1(5)のとおり,実質的には午後4時以降は勤務場所から解放され,自由に利用可能な休憩時間をもって疲労回復に努めたり,その時間を組合活動に充てるなどしてきた。
ウ しかるに,本件委員会は,前示1(6)のとおり,平成13年2月から3月にかけて校長会を開催し,被告設置の小中学校長に名古屋方式の見直しを指示し,同年4月以降,甲方式の勤務時間等の割り振りを強行して本件合意を破棄した(以下「本件破棄」という。)。
エ このため,原告の構成員ら教職員にとって,もともと甲方式では,①昼食休憩時間に該当する午後0時から午後1時前後の時間帯は,担任学級の給食指導,清掃指導等に充てられるため,休憩が取れないばかりでなく,②放課中の休息時間Aは,次の授業の準備や児童生徒に事故等が生じないよう管理監督しなければならないなど空洞化しており,③昼休み中の休憩時間Bも,児童生徒の監督指導,学習準備等のために自由に利用できず,④午後3時30分の授業終了後も,児童生徒や教室の管理に関する事務処理,教材研究,各種委員会や部活動の監督等のため学校内での執務に拘束されて,結局午後4時前後までの連続労働が常態だったものが,前示イのとおり,本件合意の結果,午後4時以降勤務場所から解放されていたにもかかわらず,本件破棄によって,再びこれが不可能になった。
オ 本件破棄は,本件合意に対する債務不履行であり,これにより,原告は,構成員の労働条件が以上のように低下し,原告の活動に有形無形の困難が生じて,団結権を阻害された。
また,本件委員会は,一方的通告のみで本件破棄を行うべく企てたが,これは原告の団結権を侵害する不法行為に該当するところ,同委員会は,原告の交渉要請に応ぜず,予備交渉すらしないから,原告の団結権回復のためには,謝罪文の掲示が必要である。
カ よって,原告は被告に対し,①前示債務不履行による損害賠償100万円及び本訴遂行に必要な弁護士費用20万円並びにこれらに対する訴状送達の翌日以降の遅延損害金の支払,②前示不法行為に対する別紙記載の謝罪文の掲示を求める。
キ 後示(2)アないしオの主張はいずれも争う。
原告と本件委員会が本件合意に達したのは,被告設置の小中学校の教職員は児童生徒が学校にいる間は休憩休息を取ることができないという共通認識に基づくもので,そのため,本件委員会は,名古屋方式を参考に,児童生徒が帰宅後の時間帯に休憩・休息時間を集中的に割り振るよう,各校長を指導することに合意したのである。
また,乙方式による場合,本件合意にのっとって,午後4時以降,学校内を勤務場所としない勤務の割り振りがなされたことになるから,当該教職員の勤務時間が8時間に達しないことにはならない。教職員の勤務場所を学校内に限定し,その勤務時間を学校内にとどまる時間であると無前提に主張することの方が問題なのである。
(2) 被告の主張
ア 前示(1)アのうち,原告と本件委員会が本件確認書を交わした事実は認めるが,原告主張の合意の成立は否認する。
本件交渉での合意は,本件確認書にあるとおり,休息休憩時間を全職員が取れる時間に置くという点に重点があり,その実施実例として「名古屋方式に近い形で」と表現したにすぎず,午後4時以降,勤務場所を離れて自宅での勤務を,無条件恒常的に容認する趣旨ではないし,名古屋方式を積極的に容認したものでもない。原告の主張は,午後4時ころ以降,恒常的に拘束から解かれ,自由に利用できることを求めるもので,教職員の勤務態様に対する市民の疑念を生じさせかねず,到底容認できない。
イ 同イのうち,前示1(5)のとおり,市内の幾つかの学校で主張のような実例があり,原告の構成員が所属校を離れていたことは認めるが,これが本件委員会との合意内容に沿ったものであることは否認する。
ウ 同ウのうち,本件委員会の指導は認めるが,その内容は争う。
本件交渉を受けて,本件委員会は,平成6年4月以降被告設置の小中学校に,「当該教職員が勤務時間の中途に割り振られた15分間の休憩若しくは休息が勤務の都合により事実上取れない場合には,休憩,休息時間を午後4時以降にまとめることもやむを得ない。」旨の指導をしていた。しかるに,幾つかの学校では,その趣旨に反し,前示1(5)のとおり恒常的に休憩,休息時間を午後4時以降にまとめ,それ以降は当然のように勤務場所の学校から離れてしまう事例がみられるようになり,その結果,当該教職員の1日の勤務時間が8時間に達せず,学校職員の勤務時間等に関する規則所定の週40時間の勤務時間を満たすことができないという事態を招いた。
そこで,本件委員会は,服務監督権者として勤務時間について再検討し,原則に戻って,前示1(6)のとおり8時間の勤務時間を遵守するよう指示し,その一方で,休憩休息時間の在り方について,より一層の配慮をすべき旨を校長に要請したにすぎない。
エ 同エの事実は否認する。
前示1(2)のとおり,従前から教職員の休息時間は,午前と午後に各15分間ずつ,また休憩時間は,昼休みに15分間と午後4時30分から30分間設定されており,教職員が,常に午後4時前後までの連続勤務を強いられていたものではない。
オ 同オの事実は否認し,法的主張は争う。
本件委員会の前示1(6)の指導は,休憩休息時間を適正に取らせるよう,当然のことを校長に伝達したにすぎず,原告の団結権を侵害したり,その構成員の労働条件を低下させたりするものではない。なお,本件委員会は,原告からの交渉要請や予備交渉に応じていないが,これは,そもそも上記が交渉事項には該当しないからである。
第3争点に対する判断
1 本件債務不履行の成否(前示第2,2(1)オ前段の主張について)当裁判所は,原告主張の事実によっては,同主張の債務不履行が成立する余地がないものと判断するが,その理由は以下のとおりである。
(1) すなわち,前示第2,1(4)の事実及び弁論の全趣旨によれば,原告の主張は,同主張の本件合意が法55条9項に基づく地方公共団体の当局との書面による協定に当たることを当然の前提としているのが明らかである。
しかしながら,地方公共団体の一般職職員の勤務時間その他の勤務条件は,民主的統制に基づいて条例で定めることとされており(法24条6項),法55条所定の職員団体と地方公共団体の当局との交渉に基づく合意も,これと矛盾することは許されないのであって(同条9項),同条2項が,「職員団体と当局との交渉は,団体協約を締結する権利を含まないものとする。」と規定しているのも,このゆえんであると考えられる。そうすると,法55条所定の職員団体と当局との交渉は,法的には,単なる協議ないし意見の交換の性質を有するにすぎないというべきであって,同条9項の協定も,原則として同条10項所定の道義的責任を生ぜしめるにとどまり,法的拘束力を有する団体協約ないしこれと同様の性質を有する法的合意には該当しないと解するのが相当である(最高裁第一小法廷平成10年4月30日判決及びその原審東京高裁平成8年4月25日判決参照)。
したがって,仮に本件交渉の結果,本件合意が成立した場合であっても,特段の事情がない限り,法的拘束力を有するものではなく,原告は,同合意の違反につき債務不履行を主張して,被告に損害賠償を請求することができないというべきところ,かかる特段の事情を認めるに足りる証拠はない。そうすると,その余の点について検討するまでもなく,原告の前示主張には理由がない。
(2) これに対し,原告は,甲方式における教職員の労働実態を種々問題にして本件合意の法的効力を主張しており,甲16,原告代表者の供述の中には,これに沿う証拠があるが,同主張にかかる事態に対しては,甲方式所定の時間帯に休憩,休息時間を確保できるよう求めるべきものであって,これをもって直ちに本件合意の法的効力を基礎付けるに足りる特段の事情になるとは認め難い。
なお,仮に原告主張のとおり,乙方式が,教職員に午後4時以降の所属校からの自由な退去を認めるものであれば,それは教職員に当局の指揮監督からの離脱を認め,以後の勤務時間の自由な利用を許すものであって,違法といわねばならず,これを定めた本件合意も無効というほかはない。
そして,以上のほかに,前示認定を左右するに足りる証拠はない。
2 本件不法行為の成否(前示第2,2(1)オ後段の主張について)この点についても,以下のとおり,原告主張の事実から上記不法行為の成立を認めることはできないといわねばならない。
(1) すなわち,不法行為上の損害とは,法的保護に値する利益の侵害をいうと解するのが相当であり,したがって、損害の賠償を求める者は,自己にこのような法的利益が存在し,これが相手方の行為によって侵害されたことを主張しなければならないところ,原告は,前示第2,2(1)オ後段のとおり,本件破棄によって,原告自身の団結権が侵害された旨を主張している。
しかしながら,原告主張の本件合意の内容は,前示第2,2(1)アのとおり,①原告の構成員は,午後4時に帰宅して,自宅で休養したり研修をすることができる,②本件委員会や学校側は,これを勤務場所を離れての勤務と扱うというものであって,飽くまで,個々の構成員の勤務時間や職務専念義務の範囲等を定めたにとどまると理解されるのであり,これに,原告自体の権利義務に関する格別の内容が含まれているとは認め難いから,本件破棄が,各構成員の権利義務を左右することはあっても,原告それ自体の法的利益に影響を与えるとは容易に考えられない。
したがって,仮に,本件破棄の事実が存在したとしても,これによって原告自体の法的保護に値する利益としての団結権の侵害がもたらされるものとは認めることはできず,その余の点について検討するまでもなく,原告の前示主張も理由がない。
(2) これに対し,原告は,本件破棄による構成員の労働条件の低下が,原告の活動に悪影響を与えている旨を主張しているが,原告のそのような利益自体は,本件合意との関係では,単なる反射的利益にとどまるものであって,特段の事情がない限り,不法行為法上独自の保護に値する法的利益とは認められないというべきところ,上記特段の事情を認めるに足りる証拠も存在しない。そうすると,そのような反射的利益の侵害について主張するにすぎない以上,かかる主張をもって原告の団結権侵害がもたらされることを基礎付ける主張ということはできない。
3 結論
以上の次第で,原告の請求は,すべて理由がない。
(裁判長裁判官 橋本昌純 裁判官 夏目明徳 裁判官 大橋弘治)
(別紙省略)