名古屋地方裁判所 平成15年(わ)2308号 判決 2006年2月24日
主文
被告人を無期懲役に処する。
未決勾留日数中590日をその刑に算入する。
名古屋地方検察庁で保管中の包丁1本(同庁平成16年領第101号符号56)を没収する。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は,
第1 平成15年3月30日午後7時50分ころ,名古屋市a区b町c丁目d番地付近路上において,A(当時22歳)に対し,殺意をもって,所携の包丁(名古屋地方検察庁平成16年領第101号符号56)でその腹部を突き刺して左上腹部刺切創の傷害を負わせ,同年4月1日午前零時15分ころ,同人を,収容先の同市e区fg丁目h番i号所在のB病院において,上記傷害に基づく上腸間膜静脈損傷による多臓器不全により死亡させて殺害した。
第2 上記第1記載の日時及び場所において,上記Aに対する犯行に引き続き,Aに同行していて,上記犯行後,被告人が上記包丁を手にして自己に向き直るのを見て,同様の被害を避けようと,引いていた自転車を被告人側に倒してその場から逃れたC(当時22歳)の自転車荷物かごから,同人が所有又は管理する現金約7000円及び財布1個ほか17点在中の手提げかばん1個(時価合計約1万1000円相当)が路上に投げ出されたのを見て,これを持ち去ろうと拾い上げて窃取したところ,同人がこれを取り戻そうと被告人に近づこうとしているのを認めて,取り返されるのを防ごうと考え,Cに対し,上記包丁を手にしたまま,「来るな。」と申し向けて脅迫し,その反抗を抑圧した。
第3 通行人を殺害して金品を強取しようと企て,平成15年4月1日午後零時22分ころ,名古屋市j区k町l丁目m番地付近路上において,同所を通りかかったD(当時22歳)に対し,殺意をもって,所携の上記包丁でその腹部を突き刺すなどした上,同人から,同人所有の現金約4万1000円及び長財布1個ほか約105点在中のトートバッグ1個(時価合計約16万6000円相当)を強取したが,同人に全治約1か月間を要する腹部刺創等の傷害を負わせたにとどまり,殺害の目的を遂げなかった。
第4 平成15年6月30日ころ,名古屋市n区pq丁目r番s号所在のE方敷地内において,同人所有の婦人用自転車1台(時価約5000円相当)を窃取した。
第5 平成15年8月28日午前3時40分ころ,名古屋市n区pt丁目u番v号所在のF方資材置場において,同所に設置された物置内から,同人所有のグラスセット2箱ほか1点(時価合計約3000円相当)を窃取した。
(証拠の標目)
(事実認定の補足説明及び弁護人の主張に対する判断)
弁護人は,判示第2の強盗について,被告人が被害者であるCに対して反抗を抑圧するに足りる脅迫を加えた事実はないから,窃盗罪が成立するにとどまり,判示第3の強盗殺人未遂については,被告人に被害者であるDを殺害する意思はなかったと主張し,被告人も,当公判廷において,これに沿った供述をするとともに,第2回公判において,判示第1の殺人における殺意を否定した。
また,弁護人は,判示第1ないし第5のいずれの犯行時においても,被告人が心神喪失又は心神耗弱の状態にあったと主張する。
そこで,当裁判所が判示各事実を認定し,心神喪失等の主張を採用しない理由を補足して説明する。
第1判示第1及び第3の各犯行における殺意の存在について
1 関係証拠によれば,判示第1及び第3の各犯行に使用された凶器は,判示のとおりの包丁(以下「本件包丁」ともいう。)であること,被告人はその性能を認識していたこと,第1の犯行においては,被告人が,被害者であるAの腹部をねらって同包丁で突き刺し,その左上腹部に,全長7.7センチメートル,深さ約15センチメートルの,空腸,横行結腸,上腸間膜静脈等に損傷を与える刺切創を負わせていること,第3の犯行においては,Dの胸部付近をねらって同包丁で突き刺し,その左腹部には,長さ約4センチメートル,深さ約10センチメートルの,肋骨を切断,肝臓を貫通し,心臓の約1センチメートル下を貫通している若干下方向の刺創を負わせていること等が認められる。
2 そうすると,被告人が,一見して殺傷能力を有する本件包丁の形状及び性能を認識した上で,A及びDの身体の枢要部をねらって同包丁で突き刺したこと,刺創の深さ等から被告人による刺突行為がいずれも相当な強さであったことが認められ,このことに,被告人が,捜査段階においては一貫して殺意を有していたことを認める供述をし,公判廷においても,殺意を否定する一方で,包丁を持っていたので,殺しても構わないと思っていた,あるいは,相手の腹部辺りを刺したら,死亡するのではないかと考えていた旨述べていることをも併せ考慮すれば,被告人が,確定的殺意をもって判示第1及び第3の各犯行に及んだものと認定することができる。
3 よって,判示第1については殺人罪が,また判示第3については,強盗殺人未遂罪がそれぞれ成立すると認められる。
第2判示第2の犯行における強盗罪の成否について
1 検察官は,判示第2の,被告人がCに対して「来るな。」と言って手提げかばんを持ち去った行為は,Cに脅迫を加えてその反抗を抑圧して手提げかばんを奪い取ったものであって強盗罪に該当すると主位的に主張する。これに対して,弁護人は,同犯行における被告人の行為は,Cの自転車の荷物かごから落ちた上記かばんを拾い上げたあとで,「来るな。」と言ったのみであって,反抗を抑圧する暴行・脅迫及び財物の強取がないから,強盗罪には当たらないと主張している。
2 Cの供述調書によれば,Cは,その被害状況について,「被告人は,Aを包丁で刺した後,Cの方を向いて,包丁を突き出してきた。Cは,自転車を被告人に向かって倒し,走って逃げた。10メートルくらい走ったところで振り返ると,被告人は2メートルくらい追い掛けてきて,Cの方を見ていたが,倒れている自転車の方に戻っていった。被告人は倒れた自転車のところでしゃがみ込んだが,電信柱があり,よく見えなかった。被告人は自分の自転車の方に行き,自転車の向きを変えて東の方に行こうとした。このとき,被告人が,Cの手提げバッグを自転車の前かごに入れるのが見えた。被告人が自転車を走らせようとしたので,自分のバッグをとられてしまうと思い,被告人に向かって何か叫んだところ,被告人が包丁を手に持ったまま何か言い返してきた。」と供述していることが認められる。
一方,被告人は,捜査段階から,Cの手提げかばんが路上に落ちているのを見て,これを持っていくことを決めた旨述べており,被告人の述べている犯行動機からも合理的な内容で,この供述の信用性を疑わせる証拠はない。
そうすると,被告人が,Cに対して,本件包丁を突き出した時点で手提げかばんを奪取する目的を有していたとは認められず,また,Cに何か言い返した(なお,被告人は,「来るな。」と言ったと述べていることからすると,Cは,「来るな。」と言い返されたと認められる。)のは,被告人が,Cの手提げかばんを自分の自転車の前かごに入れ,同自転車を走らせようとした後のことであると認められ,その際,Cと被告人の距離は約13.8メートル離れていたことをも考慮すると,被告人は,既にCの手提げかばんを取得した後に,Cに対し,「来るな。」と言ったことが認められる。
3 以上によれば,被告人が,Cの手提げかばんを取得するまでに,財物奪取の目的で,Cに暴行又は脅迫を加えた事実は認められず,同かばんを取得した行為は窃盗罪に該当すると認められる。
したがって,強盗罪が成立するという検察官の主位的主張は採用できない。
4 しかしながら,被告人が,Cに対して,「来るな。」と言ったのは,Aを本件包丁で刺した直後であり,かつ,Cがそれを目撃していたことなどの事情を考慮すると,包丁を手にした被告人が「来るな。」と言ったことのみでも,Cの反抗を抑圧するに足りる脅迫がされたと認めることができる。
被告人は,捜査段階においては,手提げかばんを取り戻されないようにする目的もあった旨述べているところ,その供述の任意性に疑いはなく,被害者の接近を防ぐ方法として自然かつ合理的な行動といえる。加えて,被告人は,捜査段階において,Cの供述と異なる部分について捜査官から問われた際にも,自己の記憶に従って供述していることが認められる。
以上の事情を総合すれば,被告人の捜査段階における上記供述は信用性が高いと言うべきである。(被告人は,公判廷において,Cに,「来るな。」と言った際には,手提げかばんを取り戻されることを防ぐ目的はなかった旨述べているが,捜査段階における供述を変遷させており,変遷の理由も明らかではないから信用できない。)
そうすると,被告人が,Cに対して,「来るな。」と言った行為は,財物窃取の後,取得した財物を取り返されるのを防ぐ目的で行われた,反抗を抑圧するに足りる脅迫と認められる。したがって,判示第2については,事後強盗罪が成立するというべきであるから,弁護人の窃盗罪のみが成立するとする主張も採用できない。そこで,検察官の予備的な訴因に基づいて事後強盗罪を構成すると認めることとする。
第3責任能力について
1 弁護人は,被告人が軽度精神遅滞の状態にあり,反社会性パーソナリティー障害及び境界性パーソナリティー障害に罹患していた上,本件犯行直前,被告人が孤独な状態にあったこと,将来の生活にも不安を抱えていたこと,大切にしていた飼い猫が手術を受けたことによって精神的衝撃を受け,精神的に追い詰められており,強い情動支配あるいは欲求支配の下で本件各犯行に及んだものであって,本件各犯行当時,被告人の行動制御能力は存在していなかったか著しく減弱していたと主張する。
2 医師G作成の精神鑑定書には,本件各犯行当時,被告人は,軽度精神遅滞,反社会性パーソナリティー障害及び境界性パーソナリティー障害に罹患しており,それらを背景に,不安・焦燥と憤怒を呈する社会的不適応状態にあったが,是非善悪の弁識能力及びそれに従って行動を制御する能力はいずれも保たれていた旨の記載があり,同医師は,当公判廷においても,上記鑑定書と同趣旨の供述をしている。
G医師は,被告人の供述調書を始めとする関係証拠を検討し,6回にわたる被告人との面接,身体的検査及び心理学的検査等に基づき,資料からうかがわれる被告人の当時の精神症状が,精神疾患の国際的な診断基準(DSM-Ⅳ)を満たすものか判断して上記鑑定を行っており,その資料や面接回数,用いた方法,診断基準,判断の前提となる事実関係の把握について特に問題となる点は見当たらない。鑑定の内容も,捜査段階において被告人に対する簡易鑑定を実施した医師H作成の精神鑑定書(甲222)の内容及び同医師の公判供述と符合している。
そうすると,G医師による上記鑑定の経過及び結果は,専門家の判断として十分信用するに足りるものである。
3 上記各精神鑑定によれば,被告人について,精神疾患の存在は否定されており,被告人が平成7年ころから通院しているIメンタルクリニックの医師Iも,当公判廷において,被告人は,軽症のうつ状態にあったが,幻覚妄想等の精神病の症状は存在しなかった旨述べている。関係証拠を検討しても,被告人が本件各犯行当時,幻覚や妄想等の影響を受けていた形跡はうかがわれない上,各犯行状況に関する被告人の供述は,各被害者の供述等と異なる部分もあるが,その重要部分についてはおおむね符合していることから,記憶も相当程度保持されていると認められる。
判示第1及び第3の動機については必ずしも明確ではないものの,両親や姉ら家族とも疎遠になって孤独感を強めていたこと,I医師から,結婚するような相手がいないのかなどと言われ,将来の生活に不安を抱くようになっていたことに加え,被告人が飼っていた猫が避妊手術を受けた際,手術のためとはいえ,自身が大切にしていた猫が腹部を切られたことを契機に,他人と比べて自分だけが不幸であるような感覚に陥り,憤りを覚え,かねてから人の死体等に興味を抱いていたことも相俟って,幸せそうな若い女性を刺せばうっ憤が解消されるのではないかなどと考え,包丁で人を刺すことを決意して判示第1の犯行に及び,その際,人を刺した感触を感じることができず,うっ憤を解消することができなかったことから,再度同様の犯行に及ぶことを決意し,判示第3の犯行に及んだと言う被告人の供述は,余りに短絡的で身勝手ではあるが,了解不可能とまでは言えない。
4 また,被告人は,判示第1及び第2の犯行の際には,変装のために普段使用していない眼鏡をかけて出掛けていること,Aらの前に声を掛けた女性は,その服装等を見て,被告人が考えていた対象である幸せそうな若い女性とは異なると判断して犯行を思いとどまっていること,判示第3の犯行前に女性3人を見かけた際には,人数が多く実行できないと考えて犯行に及んでいないこと,いずれも犯行後には直ちに逃走していること,奪った品物のうち被告人が不要な物を捨てる際には,広告紙等で包むなどして外からは見えない状態で処分していること,判示第3の犯行後,本件包丁を洗剤で洗い,着衣に血痕が付着していることに気づいたことから着衣を捨て,移動に使用した自転車も,取り付けてあったかごや傘立てを取り外した上で地下鉄駅付近の自転車置き場に放置して処分していること,公訴時効が完成する時期及びそのときの自分の年齢を確認するなどしていること,逮捕されるよりは死ぬ方がよいと考え,警察が来たときに備えて自殺する準備をしていたこと,判示第4の犯行においては,窃取してきた自転車のかごを付け替え,記載されていた被害者の氏名及び住所を除光液で消していることなども認められるのであって,犯行前後の行動は合理的である。
5 なお,G医師による鑑定結果から,被告人が軽度精神遅滞の状態にあることは認められるものの,被告人が,25歳ころまでは,社会内で仕事をするなどしながら生活しており,その後も一人暮らしをするなどしていたことからすると,被告人の軽度精神遅滞は,是非善悪の弁識能力及び行動制御能力を著しく減弱させるものではないと認めるのが相当である。
6 上記の事情を総合すれば,被告人が本件各犯行当時,是非善悪を弁識する能力及びそれに従って行動する能力が著しく減弱していたとは認められず,弁護人の主張は採用できない。
(法令の適用)
1 罰条
判示第1の事実について
平成16年法律第156号による改正前の刑法(以下「改正前刑法」という。)199条(裁判時においては上記改正後の刑法199条に該当するが,これは犯罪後の法令によって刑の変更があったときに当たるから,刑法6条,10条により軽い行為時法の刑によることとする。)
判示第2の事実について
刑法238条(刑の上限は,行為時においては改正前刑法12条1項に,裁判時においては上記改正後の刑法12条1項によることとなるが,これは犯罪後の法令によって刑の変更があったときに当たるから,刑法6条,10条により軽い行為時法の刑による。)
判示第3の事実について
刑法243条,240条後段
判示第4及び第5の各事実について
いずれも刑法235条
2 刑種の選択
判示第1及び第3についていずれも無期懲役刑を選択
3 併合罪の処理
刑法45条前段,46条2項本文,10条(犯情の重い判示第1の無期懲役刑で処断)
4 未決勾留日数の算入
刑法21条
5 没収
刑法19条1項2号,2項本文(主文記載の包丁1本は,判示第1ないし第3の犯罪行為の用に供した物で,被告人以外の者に属しない。)
6 訴訟費用
刑事訴訟法181条1項ただし書(負担させない。)
(量刑の理由)
第1判示第1の被害者であるAの身上,経歴等
Aは,昭和55年6月23日出生し,小学校では児童会長を,中学校では生徒会長を務める一方,スポーツや音楽にも打ち込んでいた。やがて,人を助ける仕事をしたいなどと考え,将来は青年海外協力隊員として海外で活動することを希望するようになり,看護師となることを志して,高校卒業後,平成11年4月に名古屋市内の看護専門学校に入学した。平成14年3月には国家試験に合格して,同年4月から,同市内のリハビリテーション病院で看護師として勤務しており,希望していた青年海外協力隊員となるために着実に努力を重ねていた。
病院での勤務態度は真面目で,医師や同僚,患者からも信頼されており,また,父親の法廷における供述,友人らが作成したDVDの内容からも,Aの人柄,同人が家族からいかに愛されていたか,逆に家族にとって精神的な大きい支えになっていたか,また,周囲の人々のAに対する思い,その仕事に対する評価及び将来への期待の大きさなどをうかがい知ることができる。
第2被告人の身上,経歴及び本件各犯行に至る経緯等
被告人は,中学卒業後1年ほどしてから,飲食店等で勤務するなどしていたが,交際していた男性から経済的援助を受けるようになったため,25歳ころからは働くことをやめ,さらに,平成14年8月ころからは父親からも経済的援助を受けながら生活していた。
平成5年ころ,被告人が大切にしていた飼い犬が死亡したことを契機に,うつ状態となったことから,精神科の病院に通院するようになり,その後も平成15年8月まで通院を継続していた。そして,被告人は,平成15年3月に,飼い猫が避妊手術のため,開腹手術を受けたことを契機に,家族とも疎遠になって,孤独感を強めていたこと,通院していた精神科の医師の言葉を聞いて,将来の生活に不安を抱くようになっていたことなども相俟って,他人と比べて自分だけが不幸であるような感覚に陥り,憤りを感じるとともに,以前から人の死体等に関心を持っていたこともあって,人を,特に幸せそうな若い女性を刺せばうっ憤が解消されるのではないかと考えるようになった。
第3量刑上特に考慮した事情
1 本件のうち,判示第1及び第3において,被告人は,いずれも通行中の各被害者に対して本件包丁でその腹部を突き刺し,トートバッグを奪われないように抵抗したDに対しては,本件包丁で更に何度も切りつけて同バッグを奪っている。Aの左上腹部には,全長7.7センチメートル,深さ約15センチメートルもの刺切創が,Dの腹部にも,同人の心臓の約1センチメートル下を貫通する刺創がそれぞれ認められ,その部位や深さ等を見ても,被害者の生命を奪うおそれの高い,非常に危険かつ悪質な犯行である。人を刺す目的で自宅から本件包丁を持ち出し,変装をした上,対象を探し回るなど,計画性も認められる。判示第1の犯行直後には,Aが刺された場にいてこれを目撃していたCの手提げかばんを窃取し,これを取り返されるのを防ぐため同人に脅迫を加えるという判示第2の犯行にも及んでおり,その態様や犯情も悪質である。そして,判示第3の犯行後には,血痕の付着した着衣や使用した自転車等を処分するなどの罪証隠滅行為にも及んでおり,犯行後の情状もよくない。動機については,上記のとおり,明確でない部分もあるが,人を刺すことでうっ憤を解消しようとしたというのであり,余りに短絡的で身勝手と言うほかなく,酌量の余地は全くない。
2 Aは,被告人から幸せそうな女性であると思われただけで,その生命を奪われることとなったもので,余りに理不尽であり,その結果はまことに悲惨かつ重大で取り返すことのできないものである。Aに何ら落ち度がないことはいうまでもなく,その受けた肉体的苦痛の大きさ,恐怖感,絶望感等の精神的衝撃の大きさ,将来への希望を抱きながら,その実現に向けて努力を積み重ねている中,22歳という若さでその生涯を終えることとなった無念さは察するに余りある。
Aから刺されたことを伝えられ,救急車内で意識を失っていく娘の姿を目の当たりにし,病院に搬送された後も長時間にわたって回復することを願い続けていたのに,その願いも叶わず,娘を失った両親の精神的打撃の大きさは,父親の証言からも十分にうかがい知ることができる。被告人に対して極刑を望んでいる遺族としての怒りの大きさは,最愛の娘を,理由にもならない理由で無惨にも奪われた肉親として無理からぬものと理解できる。
Dも,幸い医師の適切な処置もあり,一命は取り留めたものの,何ら落ち度がないにもかかわらず,生命の危険にすらさらされた全治約1か月間を要する腹部刺創等の重い傷害を負わされたのであって,その受けた肉体的苦痛はもとより,恐怖感等の精神的衝撃も非常に大きかったことは容易に想像でき,財産的被害も金品合わせて20万円を超えている。Dも被告人に対して極刑を望んでいる。
目の前で友人であるAが包丁で刺され,自身も同様の事態に遭う危険にさらされた上,事後強盗の被害を受けたCの精神的衝撃も大きく,その財産的被害も少なくない。
もちろん,窃盗による財産的被害も軽視できるものではない。
それにもかかわらず,被告人側から,Aの遺族やほかの被害者らに対する被害弁償等の慰謝の措置は何ら講じられていない。
3 被告人は,報道でAが重体となっていることを十分に認識していたにもかかわらず,判示第1及び第2の各犯行を敢行した2日後に判示第3のDに対する強盗殺人未遂の犯行にも及んでいることからは,被害者に対する憐憫の情や自己の非道な所業に対する悔悟の念もうかがわれない。そして,被告人の性格的偏りや規範意識の鈍麻は著しい上,親族による更生への援助も十分には期待できない状況を考慮すると,再犯の恐れも否定できない。
以上に加えて,連続して通行中の若い女性をねらった,いわゆる通り魔事件として,本件が地域住民らに与えた不安や恐怖は大きく,社会に与えた衝撃も相当に大きい。
4 本件各犯行,特に判示第1及び第3の犯行態様の悪質性,動機の身勝手さ,Aの死亡という結果の重大性,Aの遺族及びDの峻烈な処罰感情,社会に与えた衝撃の大きさなどを考慮すると,被告人の刑事責任は極めて重いと言わなければならず,幸いDが一命を取り留めたこと,被告人が本件の背景となった軽度精神遅滞の状態となり,パーソナリティー障害に罹患したのは,不遇な生育歴による影響がないとは言えないこと,被告人は,外形的事実はいずれも認めて反省の態度を示していること,前科がないことなどの被告人のために酌むべき事情を最大限有利に斟酌しても,無期懲役に処して,自己の犯した罪の重大さ,遺族あるいは被害者自身の怒りの大きさを改めて認識させるとともに,永年の間に培われてしまった人格の偏りを矯正するよう努めさせることが社会生活に復帰させるため不可欠と思料される。そこで,主文のとおり被告人を無期懲役に処することとした。
(求刑-無期懲役及び主文記載の包丁1本の没収)
(裁判長裁判官 伊藤新一郎 裁判官 丹羽芳徳)
裁判官鈴木清志は差し支えのため署名押印できない。裁判長裁判官 伊藤新一郎