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名古屋地方裁判所 平成19年(ワ)1246号 判決 2009年7月07日

原告

X1

原告

X2

原告

X3

上記3名訴訟代理人弁護士

田巻紘子

渥美玲子

伊藤大介

高梨基子

稲垣宏子

中山弦

樽井直樹

湯原裕子

仲松正人

林真由美

西本哲也

被告

中部電力株式会社

同代表者代表取締役

同訴訟代理人弁護士

水野正信

主文

1  被告は、原告X1に対し、金1500万円及びこれに対する平成18年9月12日から支払済みまで年5分の割合による金員並びに原告X3及び原告X2に対し、各金750万円及びこれに対する平成18年9月12日から支払済みまで年5分の割合による金員を、それぞれ支払え。

2  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

3  訴訟費用は、これを2分し、その1を原告らの負担とし、その余は被告の負担とする。

4  この判決は、第1項に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第1  請求

1  (主位的請求)

被告は、原告X1(以下、「原告X1」という)に対し、金3000万円及びこれに対する平成18年9月12日から支払済みまで年6分の割合による金員並びに原告X3(以下、「原告X3」という)及び原告X2(以下、「原告X2」という)に対し、各金1500万円及びこれに対する平成18年9月12日から支払済みまで年6分の割合による金員を、それぞれ支払え。

(予備的請求)

被告は、原告X1に対し、金3000万円及びこれに対する平成18年9月12日から支払済みまで年5分の割合による金員並びに原告X3及び原告X2に対し、各金1500万円及びこれに対する平成18年9月12日から支払済みまで年5分の割合による金員を、それぞれ支払え。

2  仮執行宣言

第2  事案の概要

1  事案の要旨

本件は、被告火力発電所に勤務していたB(以下「亡B」という)の相続人である原告らが、亡Bが被告を定年退職後、悪性胸膜中皮腫により死亡したのは、被告勤務中、被告の安全対策の不備により石綿粉じんにばく露したためであり、被告には安全配慮義務違反があるとして、被告に対し、主位的に雇用契約上の債務不履行に基づく損害賠償請求として慰謝料及びこれに対する亡Bが死亡前にした催告(以下「本件催告」という)が亡Bの死亡後に被告に到達した日の翌日である平成18年9月12日から支払済みまで年6分の割合による遅延損害金の支払、並びに予備的に不法行為に基づく損害賠償請求として慰謝料及び亡Bの死亡日の後である同日から年5分の割合による遅延損害金の支払を求める事案である。

2  前提となる事実(争いのない事実等及び掲記の証拠等によって容易に認定できる事実)及び法規制等

(1)  当事者等

ア 被告は、昭和26年に電気事業再編令及び公益事業令により中部地方の電力供給を一手に引き受ける電力会社として設立された、電気事業、電気機械器具及び電気設備の製造、販売、賃貸、修理、運転、保守並びに電気通信事業等を目的とする資本金4307億7736万2600円、社員数1万6000人以上の株式会社である。

本店を名古屋市に置き、営業地区は愛知、岐阜、三重、長野、静岡の中部5県にまたがる。現在、発電設備として火力発電所11か所、水力発電所182か所及び浜岡原子力発電所を擁している。

イ 亡Bは、昭和33年4月に被告に入社した被告元社員である。亡Bの被告勤務中の配属部署は、別紙1のとおりである。なお、「名古屋火力センター」とは各火力発電所の統括部署であり、後に「火力センター」と各称変更された。また、被告火力発電所の組織は、大きく分けて事務部門と技術部門があり、技術部門には燃料課、機器の修理や性能管理をする保修課(昭和40年ないし同45年ころ以前は、技術課ないし技術係である。以下、これらを合わせて「保修課」という)及び発電を担当する運転課(昭和35年ないし同38年以前は運転係である)があった(書証省略)。

亡Bは、平成11年7月に60歳で被告を定年退職した後、平成17年2月ころから、せき、微熱、寝汗、体がだるいなどの症状を呈して中皮腫を発症し、同年5月、左胸膜悪性中皮腫の診断を受け、同年6月左肺を全部摘出し横隔膜、胸膜及び心膜の一部を切除する手術を行い、その後放射線療法や化学療法を行うも、平成18年3月に再発し、放射線療法等を行ったが、平成18年9月9日悪性胸膜中皮腫により死亡した。死亡時67歳であった。(書証省略)

ウ 原告X1は、亡Bの妻、原告X3及び原告X2は、亡B・原告X1間の子である。

(2)石綿及び石綿ばく露による中皮腫の発症についての知見

ア 石綿(アスベスト)とは、細かくほぐすと綿のような繊維状となる一群の鉱物の総称であり、クリソタイル(温石綿)、アモサイト(褐石綿)あるいはクロシドライト(青石綿)等の種類がある。糸や布に織ることができ、引っ張りや摩擦・摩耗に強く、電気を通さず、燃えず、高熱に耐え、断熱、防音、耐薬品性、耐腐食性に優れ、比表面積が大きいため他の物質と密着しやすく、安価であることから、広く工業原料等に用いられてきた。(書証省略)

イ 石綿線維は、粉砕したときに縦に裂けて細かい繊維になる傾向があり、人の鼻毛や気管・気管支の繊毛を通り越して肺胞にまで到達しやすく、吸入されやすい繊維の代表でもある(書証省略)。人が石綿にばく露することで、石綿肺、肺がんあるいは胸膜・腹膜等の中皮腫等の健康被害を起こすことがある。

石綿ばく露による健康被害は、直接石綿又は石綿製品を取り扱う作業をすることによるばく露だけでなく、同作業の周辺等で作業を行うことによるばく露、石綿を取り扱う労働者が持ち帰った作業衣や石綿袋による家庭内ばく露、石綿鉱山や石綿工場の近隣に居住することによる近隣ばく露、石綿を含む建材、とりわけ吹付石綿のある空間での作業等によるばく露等によって起こることがある(書証省略)。

ウ 中皮腫とは、肺を取り巻く胸膜や、肝臓や胃等の臓器を囲む腹膜等体腔の表面を覆う中皮細胞の腫瘍である。発生部位では、胸膜が最も多く、腹膜、心膜と続く(書証省略)。中皮腫は、そのほとんどが石綿を原因とするものであり、中皮腫の診断が確かであれば、その疾病は石綿を原因とするものと考えてよいとする知見もある(書証省略)。また、中皮腫は、肺がんに比べ、低濃度の石綿ばく露によっても発症することがあり、石綿を不純物として含有する鉱物の取扱い作業、石綿又は石綿製品取扱い作業の周辺における作業によるばく露、家庭内ばく露又は近隣ばく露等による発症がみられる。

中皮腫は、潜伏期間(石綿ばく露開始から中皮腫発症までの期間)が非常に長く、平成11年ないし同13年までの3年間に労災認定された中皮腫の平均潜伏期間は38年、最小で11.5年である。同期間はばく露量が多い人ほど短くなる。悪性中皮腫の予後は極めて悪い。(書証省略)

エ 労働基準法上の事業主の災害補償責任及び労災補償における業務上疾病の範囲について厚生労働省労働基準局長が行政通達の形で明示した「石綿による疾病の認定基準について」(平成18年2月9日付基発第0209001号)によれば、石綿ばく露労働者に発症した胸膜、腹膜、心膜又は精巣鞘膜の中皮腫であって、次の(ア)又は(イ)に該当する場合は、労働基準法施行規則別表第1の2第7号7の「石綿にさらされる業務による中皮腫」に該当する。

(ア) じん肺法に定める胸部エックス線写真の像が第1型以上である石綿肺の所見が得られていること。

(イ) 石綿ばく露作業への従事期間が1年以上あること。

上記(ア)又は(イ)に該当しない中皮腫の事案については、厚生労働省に協議すること。

(3)  石綿による健康被害に関する知見と法規制等の歴史的経緯

別紙2のとおり

(4)  被告火力発電所における石綿の存在

ア 火力発電所のシステムについて

被告火力発電所では、蒸気を作るボイラー、蒸気によって発電機を回転させるタービン及び発電機の3つが主要な機器であり、被告では、このボイラー、タービン及び発電機の3つ1組を「1ユニット」と呼び、各火力発電所ごとに、それぞれ1号機、2号機などの番号をつけている(蒸気の力でタービンを回して発電する汽力発電方式の場合。名火発電所のようなガスタービン発電所では、ガスの力でタービンを回すためボイラーは存在せず、蒸気タービンの代わりにガスタービンが存在する)。これら主要設備はパイプやダクトなどの配管でつながり、電気、燃料、蒸気、ガス、冷却水及び海水などの系統が絡み合い、それぞれにモーター、ファン、ポンプ及び圧縮機など附属設備がつき、全体を中央制御室において制御する。

イ 被告火力発電所では、亡Bの入社当時から、発電量の増大のためにボイラーを大型化する必要からボイラーを屋外に設置することとし、タービン及び発電機などをタービン建屋といわれる1つの建物内に設置していた。複数のユニットが同じタービン建屋内に存在し、各ユニット間に仕切りなどは存在しなかった。

ウ 被告火力発電所における石綿の存在

被告火力発電所においては、①ボイラーやタービン、配管等に、保温・断熱材として石綿を含有する部材(以下「保温材」という)が巻き付けられる、②設備機器室、予備電源室及び変圧器室などの防音材・断熱材として石綿を含有する吹き付けがされる、③建物の耐火ボードや床材、変電設備の変圧機の防音材、送電・配電のための地中線用のセメント管及びシール材やジョイントシートに石綿を含有する製品が使われるなど、石綿が使用されていた(書証省略)。

(5)  その他

ア 亡Bの悪性胸膜中皮腫による死亡は、石綿へのばく露が原因であったところ、亡Bが、被告での業務以外で石綿にばく露したという事情はない(弁論の全趣旨)。

イ 労災認定

亡Bは、平成17年8月15日、名古屋南労働基準監督署へ療養補償給付申請を行い、同年12月15日、名古屋南労働基準監督署長から業務上の災害として支給決定がなされた。

ウ 被告は亡Bの被告在籍中、同人に対し、雇用契約上の安全配慮義務を負っていた。

3  争点及び当事者の主張

本件の主たる争点は、(1)被告の安全配慮義務の発生時期及び内容、(2)被告の安全配慮義務違反の存否、(3)被告の安全配慮義務違反と亡Bの中皮腫発症及び死亡との相当因果関係、(4)損害の発生とその数額である。

(1)  争点(1)(被告の安全配慮義務の発生時期及び内容)について

(原告らの主張)

ア 亡Bの業務は、以下のとおり常に石綿にばく露する危険を伴うものであった。

(ア) タービン建屋内の粉じんについて

被告火力発電所では、機器や配管等に取り付けられている石綿含有保温材が以下の際に粉じん化し、大量の石綿粉じんが発生し、その場にいた従業員は石綿にばく露する危険があった。

a 日常の運転に伴う振動による石綿粉じんの発生及び飛散

火力発電所の機器及び配管等は、火力発電所の運転に伴い数百度以上の高温に達するため、これらに取り付けられている保温材は乾燥し、熱疲労を生じて壊れやすい状態となっていた。

また、配管及び機器等には、その内部に液体・気体を通すものが多数あるところ、火力発電所の運転のため、ウォーターハンマー現象(流体が定常的に管内を流れている状態において、弁の開閉等によって流れが瞬時に停止したとき、管内に急激な圧力上昇が生じ、これが上流側に伝達して管に衝撃を与えて大きな振動をもたらす現象)が起こり、配管に取り付けられた保温材が割れたり破損したりして粉じん化しやすい状態となった。

さらに、配管は金属製であるため、その内部を高温の蒸気や水が通ることによって伸びるが、配管に取り付けられた保温材及び外装板は伸びないため、保温材及び外装板と配管との間にすき間が生じ、保温材が脱落することがあった。

これらの保温材は、日常の運転に伴うモーター等回転機器による振動やウォーターハンマー現象による振動等によって粉じん化し、タービン建屋中に飛散・浮遊していた。

石綿粉じん自体は目に見えないが、石綿はその他の保温材の成分とともに粉じん化するから、火力発電所で粉じんが発生している場合、石綿粉じんが含まれていると見るべきであるところ、火力発電所内では常に粉じんがもうもうと舞い、床に堆積し、歩くと舞い上がるなど、目で見ても大量の粉じんが発生していることが分かる状態であった。

b 保温材の取付け、取り外し工事による粉じん化

機器及び配管等への保温材の取付工事の際、成型した保温材を機器及び配管等の形に合わせてのこぎり等で切断する作業や保温材の一種である石綿布団(石綿織布で作った袋にロックウール、MGフェルト等の繊維を入れ、石綿糸で縫い合わせたもの)を作成する作業が当該機器及び配管等の周辺で行われ、大量の粉じんが発生した。また、保温材の取り外し工事の際も、劣化した保温材が発散し、大量の石綿粉じんが発生した。火力発電所における保温材の取付け、取り外しは、以下の場合等に行われる。

(a) 火力発電所建設時の保温材の取付け

火力発電所建設時には、大量の保温材の切断及び取付工事が行われた。

(b) 定期点検時の保温材の取り外し、取付け

火力発電所では、電気事業法にのっとり、発電量の多寡にかかわらず、定期点検を行うことが義務づけられている。

定期点検の際は、対象箇所に取り付けられた保温材をすべて取り外し、点検終了後再び取り付ける作業が行われた。

(c) 日常の補修作業による取り外し、取付け

火力発電所では、その運転業務に従事する社員(以下「運転員」という)が日常業務として担当ユニットの巡視・点検を行っており、このとき不具合が発見されると、その都度補修作業が行われた。この際、不具合箇所の特定及び補修のため、保温材を取り外し、補修後再び取り付けることがあった。

(イ) 亡Bの業務履歴と石綿ばく露の機会

a 新入社員教育期間(昭和33年4月~同年6月)

研修は、現場教育を重視するものであり、タービン建屋内で行われることが多かった。三重火力発電所及び新名古屋火力発電所は、当時建設作業中であり、亡Bは、保温材の取付け作業が行われている現場で研修を受けた。

b 新名古屋火力建設所及び同発電所における試運転・運転業務(昭和33年7月~同37年12月)

新名古屋火力発電所(建設中は新名古屋火力建設所と称した)においては、1ないし4号機が1つのタービン建屋内に納められており、亡Bの配属された昭和33年から4号機が運転を開始する昭和37年6月までの4年間は、常時どこかのユニットの建設が行われている状態であった。

(a) 新名古屋火力建設所における試運転業務(昭和33年7月~同34年3月、同年7月~同35年2月、同年6月~同36年3月)

試運転業務とは、火力発電所建設時の機器の試運転操作及びその準備であり、まず、シーケンスチェック(配線等が図面通り行われているか及びその結線状態を確認する作業)を行った後、モーター等の機器類が単体で正常に稼働するかを確認する単体試運転を行い、その後、設備に通常運転時と同様の負荷をかけて負荷試運転を行うというものである(以下、火力発電所建設時のものを「試運転業務」という。なお、定期点検時等、建設時以外にも機器の試運転操作等を行うことがあるが、これらは「定期点検中の試運転業務」などと明記する)。

火力建設所では、試運転を行いながら順次保温材を取り付けていくため、試運転業務中は、終始そのユニットのどこかで保温材取付工事が行われている状態であり、亡Bはその中で、1日中作業を行った。

(b) 新名古屋火力発電所における運転業務(昭和34年3月~同年7月、同35年3月~同年6月、同36年3月~同37年12月)

(あ) 定期点検業務におけるばく露の機会

当時は、保修課体制が十分確立しておらず、請負業者も十分に育成されていなかったことから、定期点検の諸業務についても運転員が行った。亡Bは、定期点検業務に伴う保温材の取り外し、取付け作業を自ら行い、あるいは保温材の取り外し、取付け作業を行っている現場で定期点検業務を行うことがあった。

(い) 巡視・点検業務におけるばく露の機会

運転員は、巡視・点検によって、故障を発見した際、その部位及び原因を特定するため自ら保温材を取り外したり、保温材の取り外し、取付け作業を伴う補修作業を自ら、又は保修課員や請負業者とともに行うことがあった。

c 四日市火力建設所及び同発電所における試運転・運転業務(昭和37年12月~同38年12月)

(a) 四日市火力建設所における試運転業務(昭和37年12月~同38年5月)

四日市火力建設所では1ないし3号機の建設及び試運転が並行して行われており、建設工事に伴って発生する石綿粉じんの量は甚大であった。亡Bは保温材の取付け作業現場の直近で、1日中試運転業務を行った。

(b) 四日市火力発電所における運転業務(昭和38年6月~同年12月)

亡Bは、四日市火力発電所における運転業務に従事した。

四日市火力発電所における運転業務の内容と、それによる石綿ばく露状況は、前記新名古屋火力発電所におけるものと同様である。昭和38年当時も亡Bら運転員が現場で請負業者や保修課員と一緒に補修作業をしたり立ち会ったりしていた。

d 名火ガスタービン建設所及び名火発電所に関する業務(昭和38年12月~昭和60年6月)

名火発電所(建設中は名火ガスタービン建設所と称した)は、旧名古屋火力発電所の建物を利用し、その設備を一部流用して建設された発電所である。旧名古屋火力発電所は大正13年に建設された建物であり、その建物内には建設以来の大量の石綿粉じんが堆積していた。また、昭和40年10月から始まった旧名古屋火力発電所設備の撤去作業により、設備に使用されていた保温材が破壊され、大量の石綿粉じんが発生した。また、発電所が運転を開始してからは、運転による保温材の粉じん化もあった。これらの粉じんは、撤去工事後もタービン建屋内の中央制御室や送電変電業務を行う電気室に至るまで浮遊・堆積しており、建屋内を歩くと足跡がつき、石綿を含んだ粉じんが床から舞い上がるような状態であった。亡Bは、日常的にこのような劣悪な環境の中で業務を行った。

(a) 本店火力部における業務(昭和38年12月~昭和41年6月)

本店火力部は、火力発電所の建設に関する計画から営業運転開始までのすべての業務を管理監督する部署である。亡Bは、同部電気工事課において、名火発電所の建設、主に電気に関する業務を担当した。

亡Bは、旧名古屋火力発電所の設備等の撤去作業及び建設作業の状況を把握し、管理監督するために、しばしば名火ガスタービン建設所に出向いた。同所では、建設現場における大量の保温材取扱い工事が行われていた。

(b) 名火ガスタービン建設所における業務(昭和41年7月~昭和42年5月)

亡Bは、電気、計測機器担当として、電気、計測機器の撤去、設置に係る作業管理業務のほか、ガスタービン、発電機及び電気設備の試験、試運転業務に従事した。同業務は、名火ガスタービン建設所内の、保温材の破壊を伴う旧設備の撤去及び建設工事における保温材取扱い工事の周辺で行われた。

(c) 名火発電所における業務(昭和42年5月~昭和60年6月)

亡Bは、昭和56年12月までは、運転業務に従事し、同月、同発電所が廃止された後は、同発電所の解体業務に当たった。同発電所廃止前、亡Bら運転員は発電、運転、巡視・点検、補修及び定期点検業務のほか、送電変電業務にも従事していた。

なお、名火発電所の営業運転時間は、次第に減少していったが、定期点検は、電気事業法の定めに従って定期的に行われるものであるし、巡視・点検についても、機器は運転状況に関わりなく、錆びたり、寒冷期に凍結したりする危険があるから、営業運転時間の多寡によって定期点検、巡視・点検業務や補修作業の頻度等が変化することはなかった。

また、保修課体制が一応整った後の名火発電所での業務でも次のようなものがあった。①亡Bらは定期点検の際、業者の行う工事に立ち会い、定期点検が行われている時期に同じタービン建屋内で巡視・点検業務を行うなどした。②亡Bらは、巡視・点検業務において故障を発見した際、請負業者の行う補修工事に立ち会ったり、自ら補修作業を行ったりすることがあった。

e 新名古屋火力発電所発電課における運転業務(昭和60年6月~平成11年7月)

(a) 運転業務の内容

当時の新名古屋火力発電所における運転員の基本的な業務及び石綿ばく露の機会は、前記名火発電所におけるものと同様である。

このころの新名古屋火力発電所は老朽化しており、数十年間の定期点検、補修作業等によって発生した粉じんが建屋内の随所に堆積していた。

(b) 吹き付けアスベストの撤去作業

平成6年ないし同8年ころ、被告においては、タービン建屋に使用されていた吹き付けアスベストの撤去作業が行われた。

亡Bは、巡視・点検時に同作業を行っている周辺を通行することがあった。

(c) 新名古屋火力発電所1ないし4号機撤去工事

平成10年末ころ、新名古屋火力発電所1ないし4号機のタービン建屋及びボイラーが撤去された。

当時、同建屋及びボイラーに取り付けられていた保温材のうち、約9割が建設時に取り付けられた石綿を含有する保温材のままであったところ、撤去工事の際、これらの保温材の取り外しにより、大量の粉じんが発生した。

亡Bは、同撤去工事の間、同じ発電所の敷地内にある5及び6号機の運転員としての業務を行っていた。

イ 亡Bの健康被害に対する被告の予見可能性の発生時期

(ア) 安全配慮義務は、使用者が労働者の生命及び身体等を危険から保護するよう配慮すべき義務であり、生命及び健康が人間にとって絶対的かつ最も根源的な権利である以上、使用者が負っている安全配慮義務もまた、極めて高度な絶対的な義務である。したがって、安全配慮義務違反の前提となる使用者による予見可能性の内容は、安全性に疑念を抱かせる程度の抽象的な危惧があれば足り、生命、身体に対する障害の性質、程度や発症の頻度等の具体的なものまでは必要とされない。本件においても、被告の安全配慮義務違反の前提となる予見可能性の内容については、がん原性物質としての石綿の危険性についての具体的な認識は必要ではなく、石綿を含む粉じんの吸入によって何らかの健康被害が生じるかもしれないという抽象的な危惧があれば足りるというべきである。

(イ) わが国では、遅くとも昭和20年代の終わりころには、石綿肺の発生機序、病理、症状の重大性及びその対策の必要性に関する基本的な医学的知見や、具体的な予防対策に関する基本的な知見が明らかになり、遅くとも昭和30年代の初めころにはその詳細な知見が確立した。

(ウ) 昭和22年に制定された労働基準法、同施行規則及び旧労働安全衛生法は粉じんの種類を特に限定することなく、また、粉じんを発散させる作業自体だけでなく、粉じんを発散させる作業が行われている場所における作業についても「粉じん作業」ととらえ、粉じん等による危害を防止するために必要な措置を講ずるものであった。

(エ) 被告が電力会社であり、日ごろから水力発電所建設の際のトンネル工事や火力発電所における石炭燃焼などにより生ずる粉じんと関わり合いをもつ業種であること、被告発電所に使用する大量の保温材を購入するため、石綿加工・製造会社との関係も深いこと、被告が元々、国策により、法令に基づいて設立され、中部地方の5県に対する電力供給を地方独占企業として一手に引き受けてきた会社であり、それゆえに政策等と極めて密接な関わりをもって経営されてきた歴史をもつこと等から、被告は、上記知見及び法規制について、他の一般企業と比較しても容易に知り得る立場にあり、また、実際に、被告はその設立当初から一貫して粉じん及び石綿について最先端の知識を得ていた。

(オ) 以上の事実等から、遅くとも亡Bが被告に入社した昭和33年の時点では、被告において、石綿がじん肺の一種である石綿肺を発生させるなど、人の生命健康に対して重大な悪影響を及ぼすことについては、予見可能であったというべきである。

(カ) 仮に、がん原性物質としての石綿の危険性についての予見可能性を要するものであるとしても、昭和10年にアメリカで石綿肺に合併した肺がんの症例が報告され、その後石綿肺患者の肺がん症例について世界各国で石綿ばく露労働者を対象にした疫学的調査が行われたこと、昭和34年に開催された国際じん肺会議で、南アメリカのワグナーらが、クロシドライト鉱山労働者の家族、近隣住民及び石綿運搬者などの32例の胸郭中皮腫の発症を認めたと報告していることを考慮すれば、被告はそのころからがん原性物質としての石綿の危険性について予見可能であったといえる。

ウ 被告の安全配慮義務の発生時期及び内容について

(ア) 被告は、亡Bが入社した昭和33年当時から、じん肺による健康被害についても、がん原性物質としての石綿の危険性についても予見可能性を有していたから、そのころからこれを防ぐために、亡Bに対し、石綿粉じんにばく露させないようにする注意義務があったものといえる。

(イ) 一般に、行政法令上の安全基準や衛生基準は、安全配慮義務のうち労働災害の発生を防止する見地から、特に重要な部分について最低の基準を公権力をもって強制するために明文化したものにすぎないことから、これらの基準を遵守したからといって安全配慮義務を尽くしたことにはならないし、じん肺が「不治の病」であり、予防のみが対処方法であることを鑑みても、使用者が負う安全配慮義務は、特に高度なものが要求される。

これらによれば、被告が亡Bに対して負っていた安全配慮義務の具体的内容は、以下のとおりであり、被告は、これらの安全配慮義務を、一体として総合的、体系的に尽くすべきであったというべきである。なお、亡Bの業務による石綿粉じんへのばく露は甚だしいものであったが、仮に、亡Bが粉じんを直接発生させる作業に自ら従事せず、そのすぐ近くに居たわけでもなく、建物内に浮遊する粉じんの量が多量でないとしても、被告のすべきであった粉じん対策の内容に変わりはない。

また、仮に、じん肺対策としてこれらの対策を行う義務があったとまではいえないとしても、被告は、亡Bの被告入社時から、がん原性物質としての石綿の危険性について予見可能であったのは前記のとおりであり、被告は、がん原性物質としての石綿ばく露に対するより厳重な対策として、同安全配慮義務を負っていたといえる。

a 作業場における粉じん発生防止義務

被告には、以下の措置を講じることなどによって、作業場における粉じんの発生を防止することが可能であり、これをすべき義務があった。

(a) 石綿を含有しない保温材を使用する。

(b) 保温材取付工事の際、粉じんが大量に発生する保温材の切断・加工の工程を密閉され、換気が適切に行われた別の作業場において行う。

(c) 火力発電所の運転時の振動による保温材の粉じん化及び配管の伸長による保温材の脱落を防ぐため、同振動や配管の伸長を具体的に調査し、その実態に即して、振動や伸長があっても保温材が脱落しないような外装板の施工、材質などの工夫をする。

(d) その他、作業全体の湿式化、集じん工具・設備の使用など

b 粉じんの飛散防止、除去義務

被告には、以下のような措置を講じるなどして、発生した粉じんの飛散防止、除去をすることが可能であり、これをすべき義務があった。

(a) 1ユニットの建設、定期点検、補修工事、その他の要因によって生じた粉じんに、他ユニットにおける業務を行う労働者がばく露することを防ぐため、建屋内を仕切って各ユニットごとに密閉装置を講じることを可能にする。

(b) 一旦発生した粉じんが建屋内に滞留しないように適切な換気、清掃を行い、建屋や中央制御室の出入口にクリーンルームを設け、労働者がばく露し、また作業衣に付着した粉じんが他空間に広がらない措置を講じる。

(c) その他、粉じん職場の散水、集じん設備の設置、エアカーテンやウォーターカーテンの設置など

c 作業環境の管理義務

被告は、実際に、被告建屋において粉じんがどの程度飛散・浮遊しているか、作業環境状態を正しく把握すべき義務があった。

d 労働時間短縮、福利厚生施設の充実義務

被告は、労働者が粉じんにばく露する可能性のある時間を短縮する、建屋内に粉じんにばく露しない安全な場所を確保するなどの措置を講ずべき義務があった。

e 個々の労働者に対する防護義務

被告は、個々の労働者に対して、JIS規格にのっとり石綿粉じんに対応できるマスクを支給し、使い方を教示し、フィルターの交換等を行うべき義務があった。

f 健康管理義務

被告には、粉じんにばく露する可能性のある労働者各人に対して、定期的にじん肺検診等適切な健康診断を行うべき義務があった。

g 安全教育、周知義務

被告には、労働者に対して、粉じんの危険性、人体への有害性、粉じんを発生させる作業及び粉じんばく露の危険のある環境、その防護策について具体的な安全教育を行い、これを周知させるべき義務があった。

(被告の主張)

ア 原告らの亡Bの業務が常に石綿にばく露する危険を伴ったとの主張は争う。仮に同危険があったとしても、それは以下のとおり極めて限られた機会及び程度にとどまるものであった。

(ア) タービン建屋内の粉じんについて

タービン建屋は広大であり、上部には換気のため天窓が設けられており、建屋内には常に熱による上昇気流があったから、建屋内で発生した粉じんが長期間建屋内に残留することはなかった。

a 日常の運転に伴う振動により発生した石綿粉じんが飛散しないこと

保温材は外装板によって覆われているから、劣化して粉じん化したとしても外部に飛散することはない。通常運転時に、建屋内に常時石綿粉じんが浮遊ないし堆積していたという事実はない。

亡Bら運転員は、巡視あるいは現場機器の操作など限られたときに現場に出るほか、基本的には中央制御室か、古くは詰所内で業務をしているのであって、仮に現場に石綿粉じんが浮遊していても、運転員がこれにばく露するのは限られた時期のみである。

b 保温材の取付け、取り外し工事による粉じん化について

保温材の取付け、取り外し工事を行うのは請負業者であって、亡Bが、直接石綿製品を取り扱う業務に従事したことはない。

(イ) 亡Bの業務履歴と石綿ばく露の機会

a 新入社員教育期間

亡Bの被告入社後3か月間にわたって研修が行われたが、この間の亡Bの業務は机上業務であり、石綿粉じんにばく露する機会はない。

b 新名古屋火力建設所及び同発電所における業務

被告火力発電所タービン建屋内に常時石綿粉じんが浮遊ないし堆積していたという事実はないことは前述のとおりである。

(a) 新名古屋火力建設所における試運転業務

試運転業務において、亡Bが直接石綿含有製品を取り扱う作業を行うことはなかった。試運転業務における亡Bの石綿ばく露の機会は、試運転を行う機器の周辺で、請負業者が保温材の取付け、取り外し作業を行っている場合に、その付近を通行したり、試運転立会いのため一定時間滞在する場合に限られる。

(b) 新名古屋火力発電所における運転業務

(あ) 定期点検業務におけるばく露の機会

すべての運転員が定期点検要員として定期点検業務に従事したわけではないし、定期点検の業務は年々変化していき、運転員が手を下す作業は順次減っていった。運転員が、定期点検要員として保温材の取付け、取り外し作業を行ったのは極めて限定された一時期のみである。

(い) 巡視・点検業務におけるばく露の機会

巡視・点検業務において、運転員は、故障を発見した場合は、原則として保修課に補修を依頼し、請負業者が保修課の指示で補修作業を行う。立会いが必要な場合も、保修課の従業員が立ち会い、運転員が立ち会うこともない。

c 四日市火力建設所及び同発電所における業務

亡Bの四日市火力建設所及び同発電所における試運転・運転業務による石綿ばく露の機会が、非常に限られたものであったことは、前記新名古屋火力建設所及び同発電所における試運転・運転業務について述べたものと同様である。

d 名火ガスタービン建設所及び名火発電所に関する業務

被告火力発電所タービン建屋内に常時石綿粉じんが浮遊ないし堆積していたという事実はないことは前述のとおりである。

(a) 本店火力部における業務

本店火力部における業務は、基本的に机上業務であり、業務の必要により同建設所へ出かけることはあったが、工程管理業務に必要な範囲に立ち入ったにすぎず、基本的に石綿粉じんにばく露することはなかった。

(b) 名火ガスタービン建設所における業務

名火ガスタービン建設所における試運転業務等における石綿ばく露の機会が限られたものであったことは、前記新名古屋火力建設所の試運転業務について述べたものと同様である。また亡Bが担当した電気・計測機器は、配管や調整弁の一部に石綿を含有するシール材やリボンテープが用いられていたにすぎず、ボイラー、タービン等とは違い、機器本体等には石綿含有製品は使用されていなかった。

(c) 名火発電所における業務

名火発電所における運転業務等による石綿ばく露の機会が、非常に限られたものであったことは、前記新名古屋火力発電所における運転業務について述べたものと同様である。

さらに名火発電所は、昭和49年以降、非常用電源として電力需給逼迫時など緊急時にのみ運転されることとなり、機能確認のため月1回程度1ないし2時間の定例運転を行うほか、常時停止している状況にあった。

このように低稼働であったので、タービン等に使われている保温材の劣化も少なく、請負事業者による保修作業はほとんど不要であり、定期点検時における保温材の補修や取替えの必要性も、他の発電所に比べて格段に少なかった。

巡視・点検も、昭和50年代に入ってからは、目視と異音・異臭など外観の確認程度であり、巡視・点検の際に石綿粉じんを吸入する可能性は極めてわずかであった。

e 新名古屋火力発電所発電課における業務

新名古屋火力発電所のタービン建屋内に、常時石綿粉じんが飛散、堆積していた事実はないこと、同発電課における業務における石綿粉じんの機会が非常に限られたものであったことは、前記昭和30年代における新名古屋火力発電所及び同運転課における業務のところで述べたとおりである。

f その余の原告らの主張はいずれも争う。

イ 亡Bの健康被害に対する被告の予見可能性の発生時期

(ア) 使用者の安全配慮業務は、抽象的な危惧では足りず、当該労働者への危険が現実に予見可能となった時期から発生する。

(イ) 石綿粉じんによるじん肺の危険性については、昭和30年ころまでは、専ら石綿鉱山及び石綿工場で働く労働者について一部の専門家や研究者による散発的な研究がされていた程度である。

(ウ) 昭和31年5月の特殊健康診断指針、昭和33年3月付労働省労働衛生試験研究「石綿肺の診断基準に関する研究」及び昭和35年4月施行のじん肺法は、石綿鉱山及び附属工場並びに石綿工場従業員など、石綿を常時取り扱う場所における作業に従事する労働者を対象として、労働省がじん肺に対する石綿の危険性を研究し、法規制をしたものである。特化則等も、直接的には、石綿製品の製造や加工段階において稼働する労働者の健康を確保することを主眼とする規制である。このように、じん肺に対する石綿の危険性は、石綿鉱山又は石綿製品の製造、加工段階等において、石綿を常時取り扱う場所における作業に従事する労働者について存在するものと認識されてきた。

(エ) また、石綿の安全性に関する責任は、一次的には、製造業者、施工業者、国などにあるところ、被告は、石綿製品を取り扱う作業をすべて専門事業者等に委託しており、石綿製品の最終ユーザーにすぎないから、このような被告に、労働省においても研究段階であった時期や、製造業者及び施工業者への規制の時期と同時期に、労働者への健康被害に対する危険の予見が可能であったということはできない。

(オ) 本件で、亡Bは、石綿を直接取り扱う作業に従事したことはなく、その担当業務において石綿粉じんにばく露することがあったとしても、極めて限られた機会及び程度にとどまっていたのは前記のとおりであり、同人は総じて、石綿製品を通常の用法に従って使用していたにすぎないと評価できる。被告は、このような亡Bに石綿製品の製造・加工段階等において石綿粉じんに直接ばく露する労働者と同様にじん肺による健康被害が発生することを予見することはできなかった。

(カ) がん原性物質としての石綿の危険性について見ても、石綿は、少なくとも昭和47年ころまでは、じん肺対策として規制されていたのみであって、この時点で、石綿製品の一ユーザーにすぎない被告に、がん原性物質としての石綿の危険性についての予見可能性はない。

また、昭和50年10月、改正特化則により、石綿にがん原性物質としての危険性があるとして規制がなされたが、①特化則が、元々直接的には、石綿製品の製造や加工段階において稼働する労働者の健康を確保することを主眼とする規制であったこと、②わが国の石綿の輸入量は、1960年代よりむしろ増加を続け、昭和49年にピークとなり、その後1990年代に入るまで年間約30万トン前後の石綿が輸入されていること、③世界的にも、石綿製品については、昭和60年代までは、「管理して使用する」べきものと認識されていたところ、昭和60年代に入り、昭和61年に採択されたILO石綿条約でクロシドライトの使用が禁止され、平成元年にWHOがクロシドライト及びアモサイトの使用禁止について勧告するなど、「使用を禁止する」という流れが強まり、これを受けて、わが国においても、規制強化がなされるようになった経緯、④最も毒性の強いクロシドライトでさえ、平成7年まで製造・使用などが禁止されていなかったこと、⑤現在に至るまで事業者に対し、石綿製品の回収が義務づけられていないことなどに照らせば、少なくとも昭和60年代以前においては、石綿製品について、ユーザーが通常の用法に従って使用する限り危険性はないとの認識が社会通念上存在していた。したがって、石綿製品の一ユーザーにすぎない被告には、同時期以前の石綿のがん原性物質としての危険性につき法的義務としての安全配慮義務を負わせるような程度の予見可能性は存しなかった。

ウ 被告の安全配慮義務の発生時期及び内容について

(ア) 昭和60年代以前について

被告が、亡Bが業務上石綿粉じんにばく露した程度でじん肺による健康被害が生じることを予見し得なかったこと、石綿のがん原性物質としての危険性を予見し得なかったことは前述のとおりであるから、亡Bに対し石綿粉じんによる健康被害を予防すべき安全配慮義務を負っていなかった。

仮に、被告が亡Bに対し、粉じん対策として何らかの安全配慮義務を負っていたとしても、①昭和30年ごろまでは、石綿鉱山や石綿工場で働く者についても、何ら法規制がされていなかったこと、②昭和31年5月の特殊健康診断指針が、あくまでも使用者の自発的措置を勧奨するものであり、強制にわたることのないようにすべきことが明記されていること、③また、じん肺法及び特化則等の対象が前記のとおりであったことに照らすと、同義務の内容は、後記(2)被告の主張ア(ア)において被告が実際に尽くした義務の内容を超えるものではない。

(イ) 昭和60年代以降について

前記社会動向及び法規制の内容に照らせば、昭和60年代以降被告が負っていた安全配慮義務の内容は、後記(2)被告の主張ア(イ)において、被告が実際に尽くした義務の内容を超えるものではない。

(2)  争点(2)(被告の安全配慮義務違反の存否)について

(原告らの主張)

ア 被告が、亡Bの石綿ばく露について対策を講じなかったことは以下のとおりである。被告が主張する対策は、いずれも実効性のないものであった。

(ア) 作業場における粉じん発生防止義務について

a 被告のノンアスベストないし低アスベスト化対策は、昭和62年まで行われず、また、昭和62年以降についても、劣化更新に伴ってしか対策を講じず、石綿含有量5パーセント以下の製品であれば石綿を含んでいてもノンアスベストと称するなど、不十分なものであった。

b 被告は、保温材の取付けの際の切断、加工作業を、タービン建屋内の保温材を取り付ける機器の側で行っており、粉じん作業を行っている場所を密閉するなどの措置は行っていなかった。

また、被告では、平成6年ないし同8年ころ新名古屋火力発電所吹き付け石綿の撤去工事の際の対策が不十分であり、新名古屋火力発電所1ないし4号機の撤去工事の際にも、粉じんが新名古屋火力発電所の敷地の内外に漏れ出ないようにする手段は何ら講じられていなかった。

c 被告は、保温材の脱落を防ぐという観点から、外装板の材質や施工に工夫することはなかった。

その他、作業全体の湿式化、集じん工具・設備の使用などは行われていなかった。

(イ) 粉じんの飛散防止、除去義務について

a タービン建屋内はユニットごとに遮断されておらず、粉じん作業を行っているユニットを密閉することはできなかった。新名古屋火力発電所においては、運転員の詰所が存在しなかった昭和37年ころまでは、中央制御室にはベテラン運転員が常駐するのみであり、亡Bらは、粉じんの舞う現場に長机において常駐していた。

b 換気、清掃は適切にされていなかった。クリーンルームは、亡Bが定年退職した平成11年まで作られなかった。

c その他粉じん職場への散水、集じん設備の設置、エアカーテンやウォーターカーテンの設置などは行われていなかった。

(ウ) 作業環境の管理義務について

被告では、粉じん作業を行っていない状態で、かつ水洗によって粉じんを除去した後に環境調査を実施しており、実効性のある形での粉じん測定や環境調査を行っていなかった。

(エ) 労働時間の短縮、福利厚生施設の充実義務について

行われていなかった。亡Bが被告に勤務し始めた当初には、被告火力発電所では労働者のための詰所すら作られておらず、ベテランの運転員は中央制御室に詰めていたが、それ以外の者は、粉じんが飛散、浮遊する現場で1日の勤務の大半を過ごしていた。

(オ) 個々の労働者に対する防護義務について

マスクの着用については、労働者の自主性にまかせるものとして、被告として対策を講じることはなかった。

(カ) 健康管理義務について

亡Bが、被告においてじん肺検診等を受けた事実はない。

(キ) 安全教育、粉じんの危険性及び防護策についての周知義務の懈怠

行われていなかった。

イ 以上の被告の無策により、亡Bは、前記石綿ばく露の各機会に大量の石綿粉じんにばく露し、被告はこれを漫然と放置してきたものであって、被告には安全配慮義務違反が存在する。

(被告の主張)

ア 被告の、各時期における労働者の石綿ばく露に対する対策の実施状況は、以下のとおりである。

(ア) 昭和62年以前について

a 被告は、昭和29年3月に衛生委員会規程を、同年9月に衛生規程を制定し、火力発電所に勤務する社員に対し、衛生教育、疾病予防措置、健康診断及び結核対策などを実施した。

また、昭和29年ないし昭和34年にかけて、全火力発電所を対象として、年2回のじん埃などの測定を行い、昭和33年以降、各火力発電所従業員に対するじん肺検診を順次実施した。

b 被告は、昭和47年10月の労働安全衛生法施行に伴い、従来の衛生管理規程を廃止し、新たに安全衛生管理規程及び安全衛生管理要則を制定し、粉じん作業従事者に対する特殊健康診断を3年ごとに実施する旨規定した。

亡Bら火力発電所の運転員らは、石綿製品を直接取り扱う作業に従事しなかったため、特殊健康診断を受診すべき対象に該当しなかったものである。

c 被告は、昭和50年1月に火力関係安全衛生要領書(以下「要領書」という)を制定し、石綿について、有害物質として位置づけた上で、局所排気装置の使用、作業場への関係者以外の立入禁止及びその旨の表示、必要に応じた防じんマスクその他保護具の着用などを定め、さらに昭和54年2月には要領書を改正して火力関係安全衛生指針(以下「安全衛生指針」という)を制定し、石綿の主な用途として保温材を挙げ、保温材の取付け、取り外し工事を作業環境の測定の必要な作業とするなど、特化則制定・改正等を踏まえた対策について規定した。

d 被告における具体的な石綿粉じん対策の実施状況は以下のとおりである。

(a) 作業場への立入禁止措置について

被告火力発電所では、粉じん作業中は、該当作業場について関係者以外の者が立ち入らないようにロープを張るなどして明示されており、運転員が巡視・点検中に粉じん作業場に入ることはなかった。

(b) 清掃などについて

被告火力発電所においては、清掃業者に対し、定期的にタービン建屋内の清掃を委託しており、清掃業者によって清掃が実施されていた。また、定期点検、保修作業などの業務終了後には、その都度後片付けし、清掃がされていた。

(c) 作業環境測定について

被告は、作業環境測定として、6か月以内に1回、該当作業場について定期的に空気中の粉じんの濃度を測定し、作業環境の保全に努めた。同測定の大半は、作業中に実施されていた。

(d) 防じんマスク等保護具について

被告火力発電所においては、防じんマスクその他の保護具は、必要に応じて着用されていた。

運転課においては、必ずしも防じんマスク等の保護具は備え付けられていなかったが、これは、運転課従業員が直接石綿含有製品の取扱い作業を行って石綿粉じんにばく露する状況にはなかったためであり、亡Bら運転員は、防じんマスクが必要な場合には、保修課から借用して使用することが可能であった。

(e) 石綿粉じんの有害性の周知、教育について

安全衛生指針は、被告社員が守り、かつ請負業者等に指導するマニュアルであり、全火力発電所に周知されていたところ、同要領書及び安全衛生指針には、石綿の危険性について記載されており、亡Bら火力発電所従業員には、当然にこれを読み、理解し実践することが期待されていた。

また、保温材に石綿が含まれていること及びその危険性について、亡Bら運転員に対しては、会社の上長、先輩からOJTや当直の中の勉強会の機会などに教育が行われていた。

(イ) 昭和62年以降について

a 被告は、昭和62年11月、「火力関係アスベスト(石綿)の使用状況及び対策要領について(基本方針)」を策定し、ボイラー、タービン等におけるノンアスベストパッキンへの取替え計画を推進し、平成3年7月、「火力貯蔵品(アスベスト製品)のノンアスベスト化について(基本計画)」を策定して、貯蔵品改廃申請時は、貯蔵品をすべてノンアスベスト製に仕様変更することとした。

さらに、昭和63年9月に、「既存建築物の吹付けアスベストの対策について(通知)」により、全社に吹き付けアスベストについてアスベスト飛散防止処理工法を採ることなどを通知した。

b 新名古屋火力発電所の本館3階壁面のアスベスト吹き付け材の撤去作業の際、被告は、壁面を目張りしたビニールシートで覆って外部とは隔離し、同作業エリアへの出入りに際しても、粉じんを外部に出さないために前室(クリーンルーム)を設置し、作業エリア内からの排気についても除じん装置を設置するなど、適切な粉じんの飛散防止措置を行っており、同撤去作業の現場付近を通行したとしても、石綿粉じんにばく露することがないように対策が採られていた。亡Bが、同作業によって石綿粉じんにばく露した事実はない。

イ 以上のとおり、被告は、その当時の石綿粉じんの危険性についての知見を前提として適切に安全配慮義務を尽くしてきたものといえ、被告には安全配慮義務違反は存在しない。

(3)  争点(3)(被告の安全配慮義務違反と亡Bの中皮腫発症及び死亡との相当因果関係)について

(原告らの主張)

前記のとおり、被告には、亡Bが入社した当初から一貫して安全配慮義務違反があり、これによりタービン建屋内には、常に大量の粉じんが飛散・堆積し、亡Bは日常的にこれら大量の粉じんにばく露してきた。

また、亡Bは、自ら直接粉じん作業である保温材取扱い作業を行う、同作業に立ち会う、あるいは同作業と同じ作業場内で作業を行う業務等、石綿ばく露の危険性の高い業務の際にも、マスク等呼吸用保護具を付けることはなかった。そのため、亡Bは、40年以上にわたって大量の石綿にばく露し、その結果、中皮腫発症・死亡に至ったのであって、被告の安全配慮義務違反と亡Bの中皮腫発症及び死亡との間には相当因果関係が存在する。

(被告の主張)

ア 亡Bがその担当業務において石綿粉じんにばく露したとしても、非常に限られた機会、範囲にとどまることなどから、亡Bが被告の火力発電所において石綿粉じんにばく露し、その結果、中皮腫を発症・死亡したことについての因果関係には多大な疑問が残る。

イ 仮に、昭和50年10月に改正特化則により石綿ががん原性物質に位置づけられた時点で、被告に亡Bに対する何らかの安全配慮義務違反が生じたとしても、当時、同人が勤務していた名火発電所は、機能確認のために月1回1ないし2時間の定例運転を行うほか、常時停止している状態にあり、昭和60年6月までの同発電所における勤務による亡Bの石綿ばく露の機会は極めてわずかなものであった。そして、昭和60年代以降は、被告は適切な安全対策をしていたのであり、加えて、被告が亡Bに対し安全配慮義務を負う以前に、亡Bが、それ以後より多く石綿ばく露の機会があったことなどからは、被告の安全配慮義務違反と亡Bの死亡との間に相当因果関係はないものといえる。

(4)  争点(4)(損害の発生とその数額)について

(原告らの主張)

ア 亡Bの慰謝料について

(ア) 被告が、行政法規を遵守せず、41年間にわたり安全配慮義務違反を行ってきたこと、亡Bの悪性中皮腫発症から死亡に至るまでの精神的肉体的苦痛が筆舌に尽くし難いものであったこと、被告が亡Bに対して誠意ある対応をせず、本訴訟においても自己の責任を認めていないこと、従前のじん肺訴訟で認められた慰謝料額との比較、被告と同じ電力会社である関西電力株式会社が、その業務による石綿ばく露を原因とする疾病で死亡した元社員の遺族に対して支払った特別弔慰金の額が6000万円であること等を踏まえれば、被告の安全配慮義務違反により亡Bの被った精神的肉体的苦痛を慰謝するのに必要な金額は、4000万円を下ることはない。

(イ) 原告らは、これを、原告X1について2000万円、原告X3及び原告X2についてそれぞれ1000万円の割合で相続した。

イ 原告ら固有の慰謝料について

原告らが、亡Bの苦しみを見ながら看護に追われ、夫であり父である同人を失ったこと、被告の行為の違法性が極めて高く、また被告の不誠実な態度が原告らに精神的苦痛を与えたこと、原告らが原告ら代理人に、請求額の一定割合を弁護士報酬として支払う旨約したこと等を踏まえれば、被告の安全配慮義務違反によって原告らの被った精神的苦痛を慰謝するのに必要な金額は、原告X1について1000万円、原告X3及び原告X2について、それぞれ500万円を下ることはない。これらについては、不法行為に基づく損害賠償請求との関係では、原告ら固有の慰謝料請求として請求し、債務不履行に基づく損害賠償請求との関係では、亡Bの慰謝料の加算事由として請求する。

(被告の主張)

原告ら主張の慰謝料額は、亡Bの家族構成、年齢及び生活状況などを勘案すると過大である。

第3  当裁判所の判断

1  認定事実

証拠(省略)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

(1)  被告火力発電所における保温材による石綿ばく露の機会について(書証省略)

ア 石綿を含有する保温材による石綿ばく露は、保温材が粉じん化して飛散した場合に起こる。保温材は、切断、その他の加工の際のほか、劣化によって粉じん化することがある。

イ 切断・加工の際の粉じん化

火力発電所建設に伴う保温材取付工事の際に、対象である機器及び配管等の前で、その形状に合わせて保温材をのこぎり等で切断する作業が行われることがあった。例えば、配管の曲部は直管部に使用する保温筒を切断して施工する場合があるが(書証省略)、これにより石綿粉じんが発生し、飛散することがあった。また、定期点検及び日常の補修の際に劣化した保温材を取り替える場合があり、このときに交換部位によってはのこぎり等で保温材を切断する必要があった。なお、点検、補修の際に取り外された保温材は劣化していなければ再利用された(定期点検の際、取り替えられる保温材は、原告ら主張によっても、建設時に取り付けられる保温材の10分の1程度である)。

ウ 劣化による粉じん化

一旦配管等に取り付けられた保温材は外装板によって被覆されており、保温材が劣化により粉じん化しても通常の状態であれば外部に出ることはなかったが、外装板がずれるなどして保温材がむき出しになることがあった。また、定期点検等で、被覆、固定されていた保温材が外された場合に、劣化して粉じん化していたものがこぼれ出ることがあった。

(2)  亡Bの業務履歴と石綿ばく露の機会

ア 新入社員教育期間(昭和33年4月~同年6月)

亡Bは、別紙1の三重火力発電所(三重県四日市市)及び新名古屋火力建設所(名古屋市(以下省略))での研修として、火力発電所建設に伴う保温材取付工事中のタービン建屋内を見学することがあった(証拠省略)。

イ 新名古屋火力建設所及び同発電所における業務(昭和33年7月~同37年12月)

新名古屋火力発電所1号機は、昭和32年2月に着工され、同33年10月に火入れを行い、以後試運転がされて、同34年3月に営業運転を開始した。その後、2号機が同35年2月に、3号機が同36年2月に、4号機が同37年5月に、5号機が同39年1月に、6号機が同年7月に、それぞれ営業運転を開始した(書証省略)。

(ア) 試運転業務(昭和33年7月~同34年3月、同35年6月~同36年3月)

亡Bは、昭和33年7月から同34年3月までの間に1号機の、昭和35年6月から同36年3月までの間に3号機の各試運転業務に従事した。

この業務は、機器設置後、同一ユニットの機器・配管等に対する保温材の取付工事が行われるのと並行して行うため、同業務に従事する社員は、請負業者が保温材の取付け作業を行っている周辺で作業を行うことになった。

(イ) 運転業務(昭和34年3月~同年7月、昭和35年3月~同年6月、昭和36年3月~昭和37年12月)

運転業務は、①中央制御室における発電制御、②計器類の監視、③機器の起動・停止操作等発電ユニットの運転操作、④巡視・点検及び⑤定期点検時の業務に分けられる。なお、新名古屋火力発電所では、昭和30年代後半に運転員の詰所ができるまで、運転員は中央制御室に詰める者を除き、業務に従事しないときも機器や配管から仕切られていない場所で長いすに座って待機していた(証拠省略)。

a 巡視・点検業務

これは、運転員が、担当するユニットを巡回し、異音、異臭、温度及び振動状態の良否、並びに燃料や温水等の漏洩等につき、五官の作用により、異常の有無及び機器の運転状況を確認する業務である。この際に、配管の故障箇所や内容を特定するために保温材を取り外すことがあった。また、昭和30年代には、保修課による補修体制も十分に整っておらず、補修を請け負う業者(以下「請負業者」という)にも十分な知識や技術がなかったため、運転員は、巡視・点検業務において故障が発見された際、自ら修理したり、請負業者による修理作業に立ち会ったりすることがあった。

b 定期点検時の業務

ボイラー、タービン、電気及び計測設備については、電気事業法により定期点検・開放分解点検を行うことが義務づけられており、昭和の時代には、当初1年に1度、後に2年に1度実施されていた(書証省略)。

定期点検には1ユニットにつき数十日を要し、その際、点検対象となる配管及び機器に巻かれた保温材は取り外され、点検終了後再び取り付けられ、石綿を含有するパッキンの交換等も行われた。保温材の取付け、取り外し作業は定期点検の初めと終わりに集中したが、他の一部の工程とは並行して行われた。

定期点検業務において、機器の分解・組立てを行うのは請負業者であり、保修課が担当部署としてこれを管理していた。しかし、請負事業者が点検業務を行う前に点検に支障がないように各種機器を操作し、点検終了後試運転を行う(定期点検中の試運転業務)のは運転課の業務であり、運転員の一部がこれに従事し、当時は、運転員の一部も定期点検要員として工程管理、現場管理及び点検箇所の試運転立会いを行った。また、定期点検は、ユニットごとに順次行い、その間、他のユニットは通常運転をすることが多かった(書証省略)。そして、新名古屋火力発電所では、1ないし4号機が1つのタービン建屋内に納められ、各ユニット間に間仕切りなどは存在しなかった。

ウ 四日市火力建設所及び同発電所における業務(昭和37年12月~同38年12月)

(ア) 四日市火力発電所(所在地省略)は、昭和36年6月に1、2号機の基礎工事が着手され、1、2、3号機がそれぞれ昭和38年6月、7月、9月に運転を開始した(書証省略)。

(イ) 同所における試運転(昭和37年12月~同38年5月)、運転業務(昭和38年6月~同年12月)の内容は、巡視・点検中に故障を発見した場合、保修課に補修を依頼し、請負業者が行う補修作業の立会いも保修課員が立ち会うこととなったこと、四日市火力発電所は当時完成まもなく、定期点検が行われた事実はないことのほか、前記イの新名古屋火力発電所における試運転・運転業務と同様である。

エ 名火ガスタービン建設所、名火発電所における業務(昭和38年12月~昭和60年6月)

(ア) 名火発電所(名古屋市港区(以下省略))は、昭和40年ころからの冷房需要の増加により夏期昼間の電力需要が増大したことを受け、需要ピーク時の予備力として働く火力発電所として、名古屋火力発電所(名古屋市港区(以下省略)所在、大正13年建設、昭和39年廃止)の用地及び設備を一部流用して建設されたガスタービン発電所である。名火発電所は、認可出力3万キロワットの小規模な発電所であり、所属員も、少ない年では所長及び他の発電所との兼務者2名を含めて8名であった。

昭和42年5月に営業運転を開始し、同44・45年夏期には、連日昼間運転を実施したが、同51年6月に休止、同52年5月には一旦休止を解除されたが、昭和56年12月に営業運転を終え、同57年10月に、最後の確認運転を終えた。発電時間、発電電力量は、別紙3(省略)のとおりである(書証省略)。

(イ) 亡Bは、昭和38年12月~昭和41年6月、被告火力発電所建設の管理監督を行う部署である本店火力建設部電気工事課(職制変更の後「本店火力部火力建設課」)に在籍し、名火ガスタービン建設所における電気、計測設備についての旧設備の撤去、新設備の設置作業の工程管理業務を担当していた。昭和41年4月に、名火ガスタービン建設所が設置された後、亡Bは、本店での机上業務のほか、同建設所へ出かけることがあった。

(ウ) 亡Bは、同年7月、同建設所に転出し、昭和42年5月まで、同建設所近くの旧事務棟(書証省略)から、同建設所に赴いて同工程管理業務に従事した。亡Bの担当業務は、主にタービン、発電機、電気、計測設備の試運転、試運転に伴う工程調整、検査業務であった。

試運転業務の内容は、前記イ(ア)の新名古屋火力発電所における試運転業務と同様である。

(エ) 昭和42年5月~昭和58年7月、亡Bは、名火発電所における運転業務に従事した。この間、名火発電所が営業運転をしない時期も、定期的に機器の状態確認等のため運転を行い、また、巡視・点検、定期点検も行われていた。

運転業務の内容は、日常の補修作業及び請負業者が同作業を行う際の立会業務がなくなったこと並びに運転員の待機場所のほか、前記イ(イ)の新名古屋火力発電所における運転業務と同様である。ただし、定期点検は、名火発電所は、ボイラーがないため、1回当たりの定期点検にかかる日数は他の発電所より少なく、20日から1か月程度であった(書証省略)。

また、保修課体制の確立により、発電課の従業員が業者の定期点検作業に立ち会ったり指示監督をすることは少なくなっていった(証拠省略)。

(オ) 昭和58年7月~昭和60年6月、亡Bは、発電所廃止に係る作業管理業務に従事した。

オ 新名古屋火力発電所における運転業務(昭和60年6月ないし平成11年7月)

亡Bは、昭和60年6月から平成11年7月31日定年退職まで、新名古屋火力発電所発電課において勤務した。亡Bの発電課における業務は、日常の補修作業及び請負業者が同作業を行う際の立会業務がなくなったこと並びに運転員の待機場所のほか、前記イ(イ)の新名古屋火力発電所における運転業務と同様である。

ただし、このころ、発電課の従業員が業者の定期点検作業に立ち会ったり指示監督をすることはなくなっていた(書証省略)。また、定期点検は昭和60年代ころから、順次請負事業者の責任施工に移行し、ほとんどの業務を請負事業者が行うこととなった(書証省略)。

(3)  被告のじん肺対策及び石綿対策について

ア 被告は、昭和29年3月に、衛生委員会規定、同年9月に衛生規程を定め、社員に対する衛生教育、疾病予防措置、健康診断等の実施について定めた。また、昭和29年~同34年、火力発電所において年2回のじんあい等環境調査(各事業場における温度、湿度、じんあい、落下細菌、照度、騒音等の調査)を行った(書証省略)。

イ 被告は、昭和33年に名港火力発電所においてじん肺検診を行い、昭和34年にじん肺検診報告をまとめた。また、昭和35年ころから、順次火力発電所において、じん肺検診を行い、昭和48年にこれらのじん肺検診の実施報告を取りまとめた(書証省略)。

ウ 被告は、昭和47年10月、安全衛生管理規程及び安全衛生管理要則を定め、粉じん作業従事者について、3年ごとに特殊健康診断を行う旨定めた(書証省略)。

エ 被告は、昭和50年1月、要領書を制定し、昭和54年2月には、同要領書を改正して安全衛生指針を定めた。要領書は、特化則上の特定化学物質(第2類)(以下「特定化学物質」という)として石綿を挙げ、その危険性、有害性として、永年にわたり粉じんを吸入すると肺に慢性の繊維増殖を形成する(じん肺、石綿肺)こと、せき、たんなど気管支炎症を伴う呼吸困難を起こすことについて記載し、特定化学物質を取り扱う作業に当たっては、事前に取り扱う物質の危険性、有害性を把握し、災害を防止するための必要な措置を定めることを定め、①屋内作業場の一定の個所から特定化学物質の粉じん等が発散する場合は局所排気装置(換気装置)を使用すること、②有害物質を取り扱う作業場には、関係者以外の者が立ち入ることを禁止し、その旨を見やすい個所に表示すること、③必要に応じ防じんマスクその他保護具を着用すること、④作業場の整理整とん、清掃に努めることについてなどを定めたものである。

安全衛生指針は、要領書の内容に加えて、石綿の主な用途が保温材である旨記載し、作業環境測定を行うべき作業として、保温材の取付け、取り外し工事を挙げ、⑤石綿を含む第1、2類の特定化学物質を取り扱う作業場について、6か月以内に1回、定期的に空気濃度を測定することについて定めたものである。そして、被告は、定期点検時などに作業環境測定として粉じんの測定を行った。(書証省略)

被告が、昭和50年に、当時唯一の石炭火力発電所であった武豊火力発電所において粉じんを中心とした環境調査を行ったところ、その結果はデジタル粉じん計によると0.2mg/m3であった。また、被告がこれを含む調査結果を昭和52年4月に取りまとめた文書には、じん肺予防は主として傍系あるいは下請会社が注意すべきものとして挙げられている。(書証省略)

オ 被告は、昭和62年11月4日、環境庁及び厚生省から県及び市に対する「アスベスト廃棄物の処理について」との通知に沿って、保温材、パッキン類のノン石綿化の推進のため、「火力関係アスベスト(石綿)の使用状況及び対策要領について(基本方針)」を策定し、保温材について、新規購入の手配に当たっては、ノン石綿材料であることを明記し、請負業者側が石綿入り仮設物を使用しないよう指導すること、現状の石綿の使用先、範囲を把握すること、劣化更新時期に合わせて順次ノン石綿化をはかること、パッキンについて、代替パッキンに順次変更していくこと、請負業者の石綿入り製品の取扱いに関する指導を強化すること等を定めた(書証省略)。

カ 被告は、昭和63年9月30日、「既存建築物の吹付けアスベストの対策について(通知)」を策定し、厨房、書庫等、常時利用する者のいる場所や機械室等利用者等が吹き付けアスベストに接触する可能性がある場所についてのアスベスト飛散防止の対策を定めた(書証省略)。

キ 被告は、平成3年6月27日、「パッキン類のノンアスベスト化の推進について」を策定し、貯蔵品、在庫品については新規補充時ノン石綿化をはかること、新規購入品はノン石綿製品とすること、定期点検等を利用し、順次計画的にノン石綿製品とすることを定めた(書証省略)。また、平成3年7月18日、「火力貯蔵品(アスベスト製品)のノンアスベスト化について(基本計画)」を定め、平成4年度の貯蔵品改廃申請時には、貯蔵品をすべてノンアスベスト製に仕様変更することを定めた(書証省略)。

(4)  被告が行ったその他の粉じん対策

被告が一般的な作業環境保全策として行ったもののうち、粉じん対策ともなり得るものは次のとおりである。

ア 被告は、火力発電所のタービン建屋内では機器の発する熱気のため上昇気流が発生することから、1、2階に空気取入口を、建物上部に同排出口を設けて換気を行った(書証省略)。

イ 被告は、火力発電所のタービン建屋の床を定期的に清掃していた(人証省略)。

ウ 被告は、定期点検や日常の補修作業の際、作業を安全に行うためのスペースを確保するべく、周囲にロープを張らせるなどした。よって、運転員はその中に立ち入ることはなかったが、その周囲を通行したり周辺で作業をすることはあった(人証省略)。

エ 請負業者に対しては作業時にマスク等を着用するよう指示している関係上、運転員らが自己の判断で被告の予算内で購入して着用することもあった(人証省略)。ただし、被告社員は、前記石綿粉じんにばく露する機会のある運転業務や建設現場における業務等を、マスク等保護具なしで行うことが日常的にあった(人証省略)。

2  争点(1)(被告の安全配慮義務の発生時期及び内容)について

(1)  亡Bが、被告勤務中、石綿のがん原性を前提としない、じん肺の一種である石綿肺を発症する危険が存在する程度(以下「じん肺基準」という)の石綿粉じんにばく露するおそれのある作業に従事したかについて検討する。

ア じん肺基準の石綿粉じんにばく露するおそれのある作業(以下「ばく露作業」という)の範囲について

まず、自明のこととして、直接石綿粉じんを発生・飛散させる作業(以下「直接作業」という)に従事していなくても、同作業が行われている傍らで別の作業を行ったことにより、直接作業に従事した者と大差のない石綿粉じんを吸入する状況にあった者はばく露作業に従事したということができる。そして、前記知見等(別紙2)で指摘した法令や通達にいう「場所における作業」とは正にこれをいうのであり、その意義は、粉じん発生源から発散する粉じんにばく露する範囲内で行われる作業のうち、粉じん発散の程度、作業位置、作業方法及び作業姿勢などからみて、当該作業に従事する労働者がじん肺にかかるおそれがあると客観的に認められるすべての作業(以下「場所における作業」という)をいう趣旨であると解される。

イ そこで、以下、亡Bが従事した被告業務について順次検討する。

(ア) 新入社員教育期間

同期間において、建設作業中の火力発電所を見学した事実は認められるものの、その頻度・滞在時間や見学位置を認めるに足る証拠はない。

したがって、同期間の作業がばく露作業であったとは認められない。

(イ) 各発電所における試運転業務について

まず、火力発電所建設に伴い石綿を含有する保温材をのこぎり等で切断した上、配管等に取り付ける作業は、粉じん障害防止規則(別紙2のセ)に照らしてばく露作業に該当するものと認められる。そして、試運転業務は、前記認定のとおりこれと並行して、その周辺において行われたのであるから、同業務も、場所における作業としてばく露作業に該当するものと認められる。

この点、保温材の取付けの作業範囲への立入りは一応制限されたことが認められるが、制限の目的が同作業を安全に行うためのスペースを確保することにあるにすぎない以上、発生した粉じんがロープを越えて飛散することがあったと推認される。また、前記(1(3)エ)調査結果によると発電所内の粉じん量はわずかであり、またその他の粉じん検査も同様の数値であったとしても、これらが試運転業務が行われていた場所において測定されたとは認められないから、その結果は前記判断を左右しない。

そして、亡Bが、同作業に従事した期間は別紙1記載の昭和33年7月1日~同34年3月末、同35年6月16日~同36年3月22日及び同37年12月16日~同38年5月末、並びに昭和41年7月1日~同42年5月28日であり、その合計は約33か月となる。

なお、原告らは、亡Bが、昭和34年7月~昭和35年2月に、新名古屋火力発電所2号機の試運転業務を行ったと主張し、亡Bの陳述書(書証省略)には、同人が生前、1号機及び2号機の試運転業務を行った旨の記載がある。しかし、同陳述書は当時から長期間経過後に作成されたものである上、同人が3号機の試運転業務を行ったという記載がないなど信用することができず、また、その当時、亡Bは運転課運営係に属していたものであって、この間に試運転業務に従事したと認めるに足りる証拠はない。よって、これらについては、亡Bがばく露作業に従事したとは認められない。

(ウ) 各発電所における運転業務について

まず、運転員が運転業務の傍ら自ら保温材の取付け、取り外し作業を含む故障箇所の確認作業や補修作業を行った時期があったことが認められるが、その有無・頻度には人によって大差があり(人証省略)、亡Bがこれを行ったと認めるに足りる的確な証拠はない(書証省略)。

次に、請負業者が年に1度の定期点検において、また、定期点検以外にも補修作業のために保温材の取付け、取り外しを行ったことがあったと認められる(なお、亡Bが定期点検の際、定期点検要員として、請負業者が保温材の取付け、取り外し作業を行っていた際に、その場で現場管理等のため立ち会ったと認めるに足りる証拠はない)。そして、亡Bが運転業務及び定期点検中の試運転業務に従事していた際に、これらの作業が行われている近辺を通行するなどして石綿粉じんにばく露する可能性があったと一応推測できる。しかし、定期点検の際の保温材取扱い工事は分解点検を行う個所など限定された個所に限られていたこと(人証省略)、保温材の取り外しが行われてもそれが劣化していなければ、粉じんは発生しないし、被告における保温材の劣化状況を具体的に認めるに足りる証拠はないこと、また、保温材は劣化していなければ再利用され新たな保温材を加工する必要はなかったこと等からは、これが場所における作業としてばく露作業に該当すると推認することはできない。日常の補修作業についても同様である。

さらに、前記認定のとおり亡Bが新名古屋火力発電所で運転業務に従事している間、他のユニットの建設が行われていたところ、各ユニット間に仕切りなどは存在しないから、亡Bが運転業務に従事していたユニットにも、石綿粉じんが飛来し、亡Bがこれにばく露する可能性があったと一応推測できる。しかし、同火力発電所のタービン建屋は広大なものであり(書証省略)、また、全体として換気がなされ、清掃も行われていたことを考慮すると、これが場所における作業としてばく露作業に該当すると直ちに推認することはできない。

ウ その他の原告らの主張について

原告らは、火力発電所に常時石綿粉じんが飛散・浮遊していたことなど種々主張するが、いずれもそれらを裏付けるに足りる的確な証拠はなく(甲19の7(省略)を始めとする陳述書及び人証は、下請業者に対してはマスクの着用を指示しており、かつ、自ら必要を感じればマスクを入手し着用することは可能であったのに運転員らはこれを着用しなかったこと、亡Bはじん肺の一種である石綿肺に罹患したものではなく、低濃度のばく露でも発症する中皮腫に罹患したものであること等に鑑みると、にわかに信用できない)、採用することができない。

エ 以上によれば、亡Bは試運転業務に従事している期間について、ばく露作業に従事していたものと認められる。

(2)  亡Bの健康被害に対する被告の予見可能性の発生時期

わが国においては、前記知見等(別紙2)のとおり、昭和30年代に入ってからは、石綿粉じんによる健康被害に関する通達や行政機関による研究結果の公表が相次いだ上、昭和35年4月制定のじん肺法は、場所における作業がばく露作業に該当することを明らかにした趣旨であると解されるから、被告は、この時点において、亡Bが試運転業務に従事することによって、じん肺基準の人体に有害な濃度の石綿粉じんにばく露し、じん肺その他何らかの深刻な健康被害を受けることを予見し得たものといえる。また、ばく露期間についても、じん肺法所定の健康診断を要する期間が1年ないし3年を基準としていたことから、ばく露作業の従事期間が合計1年程度に達する見込みの者についてはその危険があると判断することができたものと認められる。

以上によれば、被告は、既にばく露作業の従事期間が約9か月間に達している亡Bを、昭和35年6月16日から新名古屋火力発電所の3号機の試運転業務に従事させる時点では、その当初から、前記予見可能性があり、それによる被害を回避するべき安全配慮義務を負っていたものというべきである。

この点、原告らは、昭和22年の労働基準法等の法規制を根拠に被告には亡Bの入社当初から前記予見可能性があり、安全配慮義務を負っていたと主張するが、同法規制は粉じんの種類や作業方法を特定しないものであって、これにより前記予見可能性があったとは認め難く、原告らの同主張は採用できない。また、原告ら主張の昭和20年代以前の研究についても石綿粉じんの発生・飛散状況や被ばくの程度についてまで特定・確定された研究とは認められないから、同様である。

これに対し、被告は、じん肺法、特化則等は、石綿製品の製造や加工段階において稼働する労働者の健康の確保を主眼とする規制であり、昭和60年代以前においては、石綿製品について、ユーザーが通常の用法に従って使用する限り危険性がないと考えられていたから、この時点では予見可能性はないなどと主張する。しかし、じん肺法及び特化則等の規制対象は結果として石綿製品の製造・加工業における作業が中心となったとしても、これに限定されるものではない上、被告は、保温材等多くの石綿製品を使用した火力発電所を複数有する電力会社であって(書証省略)、昭和30年代以降、保温材の補修作業等を行う請負業者を指導し、これを育てる立場にあったことが認められ(証拠省略)、また、そもそも、被告自身がこれらの法令の制定を受け、要領書及び安全衛生指針を定めて対策を行っていたことに照らし、このような被告を石綿製品の一般の最終ユーザーと同視することはできない。よって、被告の前記主張は採用できない。

(3)  被告の安全配慮義務の発生時期及び内容について

火力発電所建設時の保温材取付けに伴う切断作業は一定の場所で継続して行われるものではなく、広範囲の対象機器や配管に対し、移動しながら一部ずつ作業するものであること、のこぎりといった手動式の道具による粉じんの発生及び発散の程度は限られたものであることに、粉じん障害防止規則(別紙2のセ)の趣旨を併せれば、被告は、昭和35年6月16日以降、各職場に適切な呼吸用保護具を備え付けた上、試運転業務に従事する亡Bに対し、火力発電所建設時の保温材取付け作業が行われている場では石綿粉じんが飛散していること、石綿粉じんの人体に対する有害性について、注意喚起・指導し、試運転業務を行う際にはこれを着用するよう具体的に指示するべき安全配慮義務を負っていたものというべきである。

3  争点(2)(被告の安全配慮義筋違反の存否)について

(1)  被告は、じん肺法、特化則等の制定を受け、要領書及び安全衛生指針を定めて対策を行ったものの、粉じん作業には請負業者が従事したとの認識のもとに、じん肺予防も主に請負業者において注意すべきであると判断していたことが認められ(書証省略)、現に、粉じん作業者に対する特殊健康診断は亡Bら被告火力発電所に勤務する社員はその対象としていなかったことが認められる(弁論の全趣旨)。そして、呼吸用保護具の各事業場への備付けがどのように行われ、被告が社員に対し、どのような基準で使用を指示したかが明らかにされないことに照らしても、被告は亡Bに対し、呼吸用保護具の使用にかかる前期義務を履行しなかったものと推認できる。

(2)  これに対し、被告は、特化則等を遵守して業務の基本方針として要領書及び安全衛生指針を定めたのであり、社員は当然にこれを読み理解し、自ら実践することが求められていたと主張する。しかし、被告自身がじん肺予防は主に請負業者において注意すべきであると判断していたにもかかわらず、社員に対し自らじん肺予防を実践することを求めるのは酷である。むしろ、被告には、単に要領書及び安全衛生指針を定めるのみでなく、社員に対し、その内容について周知させ、安全な方法により作業すべきことを徹底する義務があったというべきであるから、これに関する被告の主張は採用できない。

また、被告は、保温材に石綿が含まれていること及びその危険性について、上司や先輩からOJTや当直の中の勉強会の機会に教育をしていたと主張するが、具体的にどのような安全教育がなされたかについて認めるに足りる証拠はなく、義務を尽くしたとはいえない。

4  争点(3)(被告の安全配慮義務違反と亡Bの中皮腫発症及び死亡との相当因果関係)について

(1)  業務上の石綿粉じんばく露と亡Bの死亡等との相当因果関係

まず、被告社員は、石綿粉じんにばく露する機会のある建設現場における業務をマスク等保護具なしで行うことが日常的にあったことに、前記3の認定事実を併せれば、亡Bは、マスク等保護具を着用することなく、試運転業務を行うことが日常的にあり、その際に石綿粉じんを吸入したことが推認できる。

そして、前記認定のとおり、中皮腫による死亡は石綿へのばく露が原因であることが多いこと、亡Bの試運転業務に従事した期間が約33か月(昭和35年6月16日以降では約24か月)に及ぶこと、石綿粉じんばく露開始から中皮腫発症までの平均潜伏期間が38年であるのに対し、亡Bの場合は約47年と概ね照応することに、亡Bが被告での業務以外で石綿にばく露したとの事情はないことを考え併せると、業務上の石綿粉じんばく露と亡Bの死亡等との間には相当因果関係が存するものと認められる。

(2)  被告の安全配慮義務違反と亡Bの死亡等との相当因果関係

前認定のとおり、中皮腫は低濃度の石綿ばく露によっても発症することがあるところ、甲19の10(省略)によれば、亡Bの右肺は健康であり、左肺にも石綿粉じんばく露との関連を示す所見が認められず、また、ばく露開始から発症までの期間も平均潜伏期間を超える長期であったことに照らすと、亡Bが多量の石綿粉じんを吸入したとは認め難いこと、亡Bの試運転業務従事中のばく露量とその他の機会におけるばく露量とを比較すれば前者が格段に多いと推認できること、被告の義務違反以前の試運転業務は1年に達しないのに対し、義務違反後のそれは24か月に及ぶことからすると、亡Bが昭和35年6月16日以降の試運転業務に際し、適切な呼吸用保護具を使用していれば、粉じん吸入量は少量にとどまり、中皮腫を発症することはなかったものと推認することができる。

したがって、被告の安全配慮義務違反と亡Bの死亡等との間には相当因果関係が認められ、これに反する被告の主張は採用できない。

(3)  以上によれば、原告らが主張する粉じん除去義務、健康管理義務等について検討するまでもなく、被告は亡Bに対し、同人の死の結果に対し、雇用契約上の安全配慮義務違反に基づく損害賠償責任を負う。

5  争点(4)(損害の発生とその数額)について

亡Bの、中皮腫発症から死亡まで、それによる精神的肉体的苦痛の程度が大きいこと(証拠省略)、その後の入院期間が8か月、通院期間が8か月に及ぶこと(証拠省略)、治療内容も左肺全部、横隔膜、胸膜及び心膜の摘出手術、放射線療法、化学療法、再発、再度の放射線療法と苦痛なものであったこと、被告が試運転業務の現場の状況を把握しさえすれば容易に前記安全配慮義務を尽くすことができたはずであること、被告からその元社員である亡B及びその遺族に対し、亡Bが被告業務中に石綿粉じんにばく露したことにより中皮腫発症、死亡に至ったことにつき、謝意が表明された事実は存在しないこと(証拠省略)、これにより原告らも精神的苦痛を被り、本訴提起にかかる弁護士費用も負担するに至ったこと、他方、被告がじん肺に関する諸法令に沿って一応の対応をしており、明確にこれに反した事実があったとは認められないこと等、本件に関する一切の事情を鑑みれば、被告の過失行為と相当因果関係を有する亡Bの受けた精神的苦痛を慰謝するには、3000万円の支払が相当であり、原告らは、これを、原告X1において2分の1(1500万円)、原告X2及び原告X3において各4分の1(750万円)ずつ相続した。なお、原告らが主張するその余の事案に関する慰謝料額については、本件とは事案を異にするものと解されるから、慰謝料算定事情として考慮できない。

6  遅延損害金について

(1)  起算点について

証拠(省略)によれば、亡Bは、死亡の1日前である平成18年9月8日、被告に対し、雇用契約上の安全配慮義務違反の存在を指摘した上、病状について、手術や放射線治療を受けるも腫瘍が転移し、同年8月28日からホスピスに転移して緩和ケアを受けるも、意識の混濁が生じているなどとして慰謝料3000万円の損害賠償を請求する旨催告し、これが亡B死亡後の同月11日に被告に到達したこと、被告はこのころ亡Bが死亡したことを知ったことが認められ、これによれば、本件催告の到達した平成18年9月11日をもって、被告の安全配慮義務違反に基づく損害賠償債務は履行遅滞に陥ったものと解するのが相当である。

(2)  利率について

安全配慮義務違反の根拠となる雇用契約が商行為であるとしても、安全配慮義務の不履行に基づく損害賠償請求権は、雇用契約上の債務それ自体ではなく、また、雇用契約上の債務と同一性を有するものともいえず、安全配慮義務の履行を怠ったことから別途生じた債務であるし、同債務の消滅時効は、民法所定の10年間と解するのが相当であることとの均衡からも、商法514条の適用はなく、民法上の法定利率によるべきものと解するのが相当である。

第4  以上の次第で、原告らの主位的請求は、主文第1項の限度で理由があるから、同限度でこれを認容し、その余の部分は理由がないから棄却し、主文のとおり判決する。なお、予備的請求によっても同様の結論となるから、これについては判断を要しない。

(裁判長裁判官 多見谷寿郎 裁判官 遠藤俊郎 裁判官 奥村周子)

別紙1 亡Bの業務履歴

時期

所属

業務(争いある時期を除く)

昭和33年4月1日~

同月30日

本店火力部

研修

昭和33年5月1日~

同月31日

本店三重火力発電所

研修

昭和33年6月1日~

同月30日

本店新名古屋火力建設所電気課

研修

昭和33年7月1日~

昭和34年3月28日

本店新名古屋火力建設所試運転課

試運転

昭和34年3月29日~

昭和34年7月15日

本店新名古屋火力発電所運転課

運転

昭和34年7月16日~

昭和35年2月28日

本店新名古屋火力発電所運転課運営係兼新名古屋火力建設所(原告は、新名古屋火力建設所にて試運転業務に従事したと主張)

昭和35年3月1日~

同年6月15日

本店新名古屋火力発電所運転課

運転

昭和35年6月16日~

昭和36年3月22日

本店新名古屋火力発電所運転課試運転係兼新名古屋火力建設所

試運転

昭和36年3月23日~

同年7月15日

本店新名古屋火力発電所運転課

運転

昭和36年7月16日~

昭和37年6月26日

本店新名古屋火力発電所運転課運転第2係

運転

昭和37年6月27日~

同年12月15日

本店新名古屋火力発電所運転課運転第4係

運転

昭和37年12月16日~

昭和38年5月31日

本店四日市火力発電所試運転課

試運転

昭和38年6月1日~

同年10月31日

本店四日市火力発電所運転課

運転

昭和38年11月1日~

同年12月15日

本店四日市火力発電所運転課運転第4係

運転

昭和38年12月16日~

昭和41年5月31日

本店火力建設部電気工事課

昭和41年6月1日~

同月30日

本店火力部火力建設課(職制改正)

昭和41年7月1日~

昭和42年5月28日

本店名火ガスタービン建設所

電気・計測機器担当

昭和42年5月29日~

昭和44年1月31日

本店名火発電所

運転

昭和44年2月1日~

昭和47年5月31日

本店新名古屋火力発電所名火発電所

運転

昭和47年6月1日~

昭和58年6月30日

本店名古屋火力センター新名古屋火力発電所名火発電所(職制改正)

運転

昭和58年7月1日~

昭和60年6月17日

名古屋火力センター新名古屋火力発電所名火発電所(職制改正)

発電所廃止作業管理

昭和60年6月18日~

平成元年6月30日

名古屋火力センター新名古屋火力発電所発電課

運転

平成元年7月1日~

平成11年7月31日

火力センター新名古屋火力発電所発電課(職制改正)

運転

平成11年7月31日

定年退職

別紙2

石綿による健康被害に関する知見と法規制等の歴史的経緯

ア 石綿を取り扱う事業場においては、戦前から、石綿を原因とする労働災害として、じん肺の一種である石綿肺が発生しており、石綿により石綿肺という健康障害が起こる危険があることは認識されていた。(書証省略)

イ 昭和22年に制定された労働基準法(昭和22年法律第49号)には、使用者に対し、粉じんの種類を限定することなく、粉じん等による危害を防止するために必要な措置を講ずべき義務(42条)などを定め、同法施行規則(昭和22年厚生省令第23号)は、石綿肺を除外することなく「粉じんを飛散する場所におけるじん肺症及びこれに伴う肺結核」を業務上の疾病に指定し(35条7号)、労災補償の対象とした。

ウ 昭和22年に制定された労働安全衛生規則(昭和22年労働省令第9号。以下「旧安衛則」という)は、石綿粉じんを除外することなく「粉じんを発散する等衛生上有害な作業場においては、その原因を除去するため、作業又は施設の改善に努めなければならない(172条)」とし、以下のことを義務づけた。

① 粉じんを発散する屋内作業場において、場内空気のその含有濃度が有害な程度にならないように局所における吸引排出、機械又は装置の密閉、換気等適当な措置を講じること(173条)

② 屋外又は坑内の著しく粉じんを飛散する作業場における、注水その他粉じん防止の措置(ただし、作業の性質上やむを得ない場合は、この限りでない)(175条)

③ 粉じんを発散し衛生上有害な場所への必要ある者以外の者の立入禁止及びその旨の掲示(179条)

④ 粉じんを発散し衛生上有害な場所における業務において、同時に就業する労働者の人数と同数以上の防護衣、保護眼鏡、呼吸用保護具等適当な保護具の備付け及び同保護具を常時有効かつ清潔に保つこと(181条、184条)

エ 昭和31年5月、労働省労働基準局長が、都道府県労働基準局長に対し、「特殊健康診断指導指針について」と題する通達(昭和31年5月18日付基発第308号)を発出し、「けい肺を除くじん肺を起こし又はそのおそれのある粉じんを発散する場所における業務」として、石綿又は石綿製品を切断し又は研まする等石綿粉じんを発散する場所における作業や、石綿又はこれを含有する岩石を積み込み、若しくは運搬する作業を挙げ、これらの作業に従事する労働者に対して、胸部X線検査を行うことを、使用者の自発的措置として勧奨した。(書証省略)

オ 昭和33年3月、労働省労働衛生試験研究として、「石綿肺の診断基準に関する研究」が取りまとめられ、石綿肺がけい肺(けい酸の粉じんを吸入することによるじん肺の一種)と同等の有害性を有することやその被害の実態、作業場単位での環境衛生調査の結果や石綿肺の診断基準等が示された。(書証省略)

カ 昭和35年4月、じん肺法(昭和35年法律第30号)が施行された。同法は、その2条1項2号において、「粉じん作業」を、「当該作業に従事する労働者がじん肺にかかるおそれがあると認められる作業」と定義し、①使用者及び粉じん作業に従事する労働者は、じん肺の予防に関し、粉じんの発散の抑制、保護具の使用その他について適切な措置を講ずるように務めなければならない(5条)こと、②使用者は、常時粉じん作業に従事する労働者に対して、じん肺に関する予防及び健康管理のために必要な教育を行わなければならない(6条)こと、③常時粉じん作業に従事する労働者等について、新規に従事する際及びその後1年ないし3年以内ごとにじん肺健康診断を行い、記録を5年間保存すべきこと(7、8条、17条)などを定めた。

粉じん作業の範囲については、同年に制定されたじん肺法施行規則(昭和35年号外労働省令第6号)において、じん肺を発生するおそれがあると医学上、衛生工学上客観的に判断されるすべての作業を別表第1に列挙し、これらの作業のうち実際上じん肺にかかるおそれがないと認められる作業のうち、類型的に表現し得るものを別表第2に掲げて別表第1に掲げる作業から除くこととし、それ以外の作業であっても、個々の事業場における個々の作業について、その作業がじん肺にかかるおそれのないものであれば、都道府県労働基準局長が個別に認定することにより、別表第1の作業から除くこととしていた。じん肺法施行規則別表第1の23号(昭和53年改正後は24号)には、「石綿をときほぐし、合剤し、紡績し、紡織し、吹き付けし、積み込み、若しくは積み卸し、又は石綿製品を積層し、縫い合わせ、切断し、研まし、仕上げし、若しくは包装する場所における作業」が規定されていた。

そして、「労働衛生保護具検定規則の一部を改正する省令の施行並びに防じんマスクの規格及び防毒マスクの規格の適用について」と題する通達(昭和37年7月24日付基発781号)では、前記ウ④のうち粉じんマスクの使用に関し、特級又は1級のマスクを使用すべき作業として、石綿を切断等する場所における作業が挙げられた。

キ 労働省は、昭和43年9月、「じん肺法に規定する粉じん作業に係る労働安全衛生規則第173条の適用について」と題する通達(昭和43年9月26日付基発第609号)を都道府県労働基準局長に対して発出し、じん肺法に規定する粉じん作業を行う作業場のうち、旧安衛則173条(前記ウ①)に基づき粉じん抑制のため局所排気装置を通常設置する必要のある事業場として、石綿に係る装置による、ときほぐしをする作業、合剤をする作業、吹き付けをする作業、りゆう綿をする作業、紡織をする作業及び石綿製品に係る装置による、切断する作業、研まする作業を指定した。

ク 昭和46年1月、労働省は、都道府県労働基準局長に対し、「石綿取扱い事業場の環境改善について」と題する通達(昭和46年1月5日付基発第1号)を発出し、最近石綿粉じんを多量に吸入するときは、石綿肺を起こすほか、肺がんを発生することがあることが判明し、また、特殊な石綿によって胸膜などに中皮腫という悪性腫瘍が発生するとの説も生まれてきたとし、じん肺法施行規則別表第1第23号に掲げる作業のうち、前記昭和43年9月26日付基発第609号通達に定めるもの以外の石綿取扱い作業についても技術的に可能な限り局所排気装置を設置させること、じん肺健康診断を完全に実施させ、異常者の早期発見に努めさせること等について、事業場に対し、監督指導を行うよう指示した。

ケ 昭和46年5月、特定化学物質等障害予防規則(昭和46年労働省令第11号。以下「旧特化則」という)が施行され、石綿を、通常の作業時における継続的又は繰り返しのばく露による慢性的な障害を起こし、又は起こすおそれの大きいものとして、「第二類物質」に該当するものとし、石綿粉じん対策として、①石綿粉じんが発散する屋内事業場では、一定の性能の除じん装置を有する局所排気装置を設置しなければならないこと、局所排気装置の設置が著しく困難なとき、又は臨時の作業を行うときは、この限りではないが、全体換気装置を設け、又は石綿を湿潤な状態にする等必要な措置を講じなければならないこと、②石綿を製造し、又は取り扱う作業場への関係者以外の者の立入禁止及びその旨を見やすい箇所へ表示すべきこと、③石綿を常時製造し、又は取り扱う屋内作業場について、空気中の石綿の濃度測定を半年に1回実施すること、④石綿を製造し、又は取り扱う作業場に、呼吸用保護具(マスク等)を、同時に就業する労働者の人数と同数以上備付け、常時有効かつ清潔に保持すべきこと、⑤労働者を石綿等を常時取り扱う作業に従事させるときは、作業場以外の場所に休息室を設けること、⑥石綿を製造し、又は取り扱う作業に労働者を従事させるときは、洗眼、洗身又はうがいの設備、更衣設備及び洗濯のための設備を設けなければならないこと等が定められた。なお、旧特化則は石綿のがん原性を前提としておらず、局所排気装置の性能要件における許容濃度として、2mg/m3(33本/cm3)と定めた(書証省略)。

コ 昭和47年、国際労働機関及び世界保健機関の国際がん研究機関が、それぞれ石綿のがん原性を認めた。

サ 昭和47年6月、労働安全衛生法(昭和47年法律第57号)が制定され、事業者に、石綿を取り扱う事業場で使用する局所排気装置について定期に自主検査を行うこと、建設業、製造業等の業種で新たに職務に就くことになった職長等に対して、石綿粉じんに係る作業方法の決定及び環境の改善の方法等安全衛生教育を行わなければならないことを義務づけ、健康管理手帳制度の創設等を定めた。これ伴い、旧特化則が労働安全衛生法に基づく省令として再制定された(昭和47年労働省令第39号。以下「特化則」という)。

シ 昭和50年9月、特化則が改正され、石綿を発がん性物質として特別管理物質とするとともに、石綿吹き付け作業の原則禁止、局所排気装置の性能要件強化(前記許容濃度が2mg/m3(33本/cm3)から5本/cm3と改められた(書証省略))、石綿等の作業環境測定記録の保存期間を3年から30年への延長、石綿等を製造し、又は取り扱う業務を行う者についての特殊健康診断の実施、石綿を貼り付けた物の破砕、解体等、石綿粉じんを発生しやすい特定の作業についての原則湿潤化の義務づけ等、規制強化が行われた(昭和50年10月施行。以下「改正特化則」という)。

ス 労働省は、昭和51年2月、都道府県労働基準局長に対し、「石綿粉じんによる健康障害予防対策の推進について」と題する通達(昭和51年5月22日付基発第408号)を発出し、①石綿製品関係事業場のみならず断熱工事関係事業場を把握する必要があること、②石綿、特にクロシドライトについて有害性の少ない物質への代替を促進し、石綿又は石綿製品の新規導入は避けること、③環境中の石綿粉じんの抑制濃度基準についての指導強化、④屋内作業場における石綿又は石綿製品の製造又は取扱い作業について、実態に応じ、密閉工程の採用又は局所排気装置の設置をすること、石綿、その空容器、石綿製品等の運搬に際しての発じんを防止すべきこと、石綿粉じんが堆積するおそれのある作業床は、少なくとも毎日1回以上水洗により清掃すること、⑤呼吸用保護具(マスク)の使用、さらに、⑥石綿取扱い業務に従事する労働者のみならず、当該労働者の着用する作業衣を家庭に持ち込むことにより家族に危険が及ぶおそれがあるとして、労働者に作業衣の持ち出しを禁じること、⑦作業終了後及び必要に応じ手洗い、洗面及びうがいを励行させること等について指導するよう指示した。

セ また、昭和54年4月25日公布の「粉じん障害防止規則」(昭和54年労働省令第18号)は、屋内において固定式の機械・設備を用いて行う作業である特定粉じん作業(2条、別表2)以外の粉じん作業については、全体換気装置による全体換気の実施又はこれと同等以上の措置を講じなければならない(5条)が、臨時の粉じん作業を行う場合に当該労働者に有効な呼吸用保護具を使用させた場合はこれを適用しないとし(7条2項)、また、岩石又は鉱物を裁断し、彫り、仕上げする場所における作業を屋内で、手持式工具を用いて行う場合は当該労働者に有効な呼吸用保護具を使用させなければならない(27条、別表3の4号、別表1の6号)と定めた。

ソ 昭和61年、クロシドライト(青石綿)の使用を禁止する「石綿の使用における安全に関する条約(ILO石綿条約)」が採択された。

タ 昭和61年、国内での工場周辺住民の中皮腫発症が報告され、昭和62年には同発症例についての記事が新聞に掲載された。また、同年、学校施設における吹き付け石綿の使用が社会的に問題となり、環境庁及び厚生省は、「建築物内に使用されているアスベストに係る当面の対策について」と題する通達(昭和63年2月1日付環大規第26号、衛企第9号)を発出した。

チ 平成元年、WHOからアモサイト(茶石綿)について使用禁止の勧告がなされ、平成7年、国内において、クロシドライト(青石綿)及びアモサイト(茶石綿)の製造、輸入、使用等が禁止された。

ツ 平成16年、石綿製品の製造などが禁止された。

<以下別紙省略>

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