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名古屋地方裁判所 平成19年(行ウ)31号 判決 2008年11月27日

原告

同訴訟代理人弁護士

岩井羊一

田巻紘子

岡村晴美

被告

地方公務員災害補償基金

同代表者理事長

処分行政庁

地方公務員災害補償基金愛知県支部長 B

同訴訟代理人弁護士

藤井成俊

主文

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第1請求

1  地方公務員災害補償基金愛知県支部長(以下「愛知県支部長」という。)が原告に対し平成16年12月22日付けでした地方公務員災害補償法に基づく公務外認定処分を取消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

第2事案の概要

本件は,原告が,a市役所職員であったC(以下「亡C」という。)のうつ病発症及びこれに続く自殺が公務に起因するものであると主張し,愛知県支部長が平成16年12月22日付けでした地方公務員災害補償法に基づく公務外認定処分(以下「本件処分」という。)の取消しを求めた事案である。

1  争いのない事実等(後掲証拠等によって認められる事実を含む。)

(1)  亡Cの身上・経歴等

ア 亡Cは,昭和21年○月○日に出生し,昭和47年4月にa市に採用され,土木課業務係,税務課(後に,総務部市民税課に名称変更)市民税係,係長に昇任して消防本部予防課予防係,管理部秘書課広報係(クレーム対応),課長補佐に昇任して教育委員会社会教育課,総務部行政課,図書館(後に,主幹に昇任し,その後中央図書館に名称変更),平成12年4月から課長に昇任して総務部市民税課における勤務を経て,平成14年4月1日,初めての福祉系の部署となる健康福祉部b課(以下「b課」という。)に異動となり(以下「本件異動」という。),同年5月27日に死亡するまで同課課長として勤務した。

イ 死亡時55歳であり,穏和で親しみやすく,部下に対しても冗談や雑談を気軽にする一方,責任感が強く,真面目で几帳面であり,与えられた仕事を誠実にこなす性格であった。昭和49年4月に原告と結婚し,同人との間に,2人の子がいた。平成14年○月○日には長男に初孫が誕生し,同年4月には次男が高校に進学しており,仕事帰りに初孫の顔を見るのを楽しみにするなど,家庭環境に精神疾患発症の原因となるような特段の問題はなかった。(<人証省略>,原告本人,弁論の全趣旨)

(2)  亡Cの公務

ア 勤務時間等について

(ア) 亡Cのうつ病発症前約6か月間における時間外勤務時間は,本件異動前の平成13年11月から平成14年1月にかけては,零であり,平成14年2月が18時間,3月が24時間45分,本件異動後の4月が32時間,5月が34時間である。また,平成13年11月に3時間,12月に1日,平成14年2月に1日,3月に1日,年次有給休暇を取得している。(<証拠省略>)

(イ) 本件異動後の平成14年4月1日から死亡の3日前である同年5月24日までの亡Cの勤務状況は別紙のとおりであり,概ね朝8時ないし8時15分ころ出勤して,19時ころ退勤していた。退勤時間については,同年4月には17時15分に退勤する日もあったが,21時ころとなることもあった。また,この間,同年4月21日と5月12日のいずれも日曜日に出勤した(出勤時間は不明である。)以外は,土日・祝日の出勤はなく,他方,年次有給休暇は取得していない。(<証拠省略>)

イ 担当事務について

(ア) 本件異動前の総務部市民税課は,本件異動当時課員23名であり,税務申告の時期には多忙であったものの,亡Cは,課長として,市民税係及び税制係を統括し,かつ,収納係を含めた同課全体を統括していたが,対人関係・担当事務ともに問題なく遂行していた。(<証拠省略>,原告本人,弁論の全趣旨)

(イ) 本件異動後の健康福祉部は,少子・高齢化対策,福祉,健康づくりなどを所管する部署であり(<証拠省略>),b課の外,介護高齢課,保険年金課,市民課などがある。同部の部長であるD(以下「D部長」という。)は,亡Cの同期であったが,同じ部署で仕事をしたことはなく,また,同人より2歳年下で,厳しい上司であると評判の人物であった。また,D部長と亡Cの間には,図書館勤務で亡Cの同僚であったE(以下「E次長」という。)が次長として亡Cと同時期に着任した。(<証拠省略>)

(ウ) b課は,課を統括する課長,これを補佐し,かつ,後記ファミリーサポートセンターに関する事務を担当する課長補佐の外,児童福祉や母子保護に係る事務を担当する児童母子係4名,保育所の管理運営等を担当する管理係及び保育計画等を担当する保育係各3名の正職員に,2名の嘱託職員を加えた14名で構成されていた。課長補佐のF(以下「F補佐」という。)は平成13年4月から,児童母子係長のG及び管理係長のHは平成10年4月から,管理係主任のI(以下「I主任」という。)は平成12年4月から,それぞれb課において勤務していた。(<証拠省略>)

(3)  亡Cのうつ病発症と自殺

亡Cは,平成14年4月26日ころから同年5月6日ころまでの間に,国際疾病分類第10回改訂版第Ⅴ章「精神および行動の障害」(以下「ICD-10」という。)における「F32.2精神病症状を伴わない重症うつ病エピソード」を発症した(<証拠省略>)。そして,同年5月27日午前7時ころ,亡Cが自宅居間で縊死しているのが発見された。うつ病による自殺念慮からの自殺であった。

(4)  公務災害の認定請求に関する手続の経緯等

原告は,亡Cの死亡が公務に起因するものであるとして,平成14年11月15日,愛知県支部長に対し,地方公務員災害補償法に基づき,公務災害の認定を請求したが,同支部長は,平成16年12月22日付けで同死亡を公務外の災害であると認定する旨の本件処分を行い,同月24日,その旨原告に通知した。原告は,平成17年2月17日,本件処分を不服として,地方公務員災害補償基金愛知県支部審査会に対し,審査請求をしたが,同審査会は,平成18年12月8日,これを棄却する旨の裁決を行い,同月11日,その旨原告に通知した。さらに,原告は,平成19年1月10日,同裁決を不服として,地方公務員災害補償基金審査会に対し,再審査請求をしたが,同日から3か月以上経過しても裁決がされなかったため,平成19年4月12日,本件訴訟を提起した。

2  争点及び当事者の主張

本件の争点は,亡Cの自殺の公務起因性であり,とりわけ,公務とうつ病発症との間の相当因果関係が争われており,その中で特に,本件異動に伴う職務内容の変化やその後の職務の困難さ及びD部長による注意指導が,亡Cに大きな心理的な負荷を与えたかが問題とされている。

(1)  原告の主張

ア 公務起因性の判断基準について

公務上の災害というためには,公務と疾病や死亡等の災害との間に相当因果関係までは必要ではなく,合理的関連性があれば足りると解すべきである(合理的関連性説)。仮に,公務と災害との間に,相当因果関係が必要であるとしても,相当因果関係の内容としては,公務が,本人を基準として過重であり,また,他の原因と共働原因となって災害を招いた場合であれば足りるというべきである。

また,仮に,本人を基準とするのではなく,その職種,職場における地位や年齢,経験等が類似する者で職務の軽減措置を受けることなく,日常の職務を遂行できる健康状態の者(以下「平均的労働者」という。)を基準とすべきであるとしても,亡Cは,通常想定される範囲の性格傾向を有し,それまで支障なく異動にも適応して職務を遂行してきた者であり,公務以外に災害の原因となりうる要因はなかったから,亡Cにとって職務が過重であったならば,公務起因性が認められるべきである。

イ 公務とうつ病発症・悪化との間の相当因果関係の存在

以下のとおり,亡Cの平成14年(以下,同年中の日付は,同年の記載を省略する。)4月以降の公務は,それぞれ心理的負荷となるものであり,同人は,これらの業務を異動直後から突発的,連続的に重ねて抱えていた。その上,D部長からは,叱責のほか,日常的にパワーハラスメントというべき厳しい指導を受け,日常業務を行う上で常に緊張を強いられることになった。これによって,平均的労働者であった同人にとっても過大な心理的負荷を受けて,うつ病を発症し,さらに,その後の公務(後記JCからの苦情)によって,これを悪化させ,自殺に至ったのであるから,公務と亡Cのうつ病発症,悪化との間には相当因果関係があり,亡Cの死亡には公務起因性が認められる。

(ア) b課への人事異動

そもそも人事異動自体がうつ病発症の引き金となる危険性があり,特に,異動のあった年度の4月,5月は忙しく,その危険性が高くなる。そして,4月3日,D部長は,課別の検討課題を例示し報告書様式を示して,4月23日までに検討課題について報告書を作成・提出すること及びその後D部長によるヒアリングを行うこと(以下「本件報告書の提出」及び「本件ヒアリング」という。)を管理職員に指示したところ,当時,b課では,少子化対策のため色々な事業が新たに始まったところであり,児童の関係の法律等の改正に伴う事務も多く,健康福祉部の中でも重要度の高い課題を多く抱える部署であったことから,D部長からb課に示された課題は他課の2倍近くであった。年齢が高くなって仕事を覚えにくくなっていた亡Cにとって,未経験の福祉部門で専門用語を覚えながら大量の課題の内容を把握することは大変な作業であった。また,後記のとおり,亡CはD部長からパワーハラスメントを受けており,本件ヒアリングが予定されていたことによる心理的負荷はかなり強かった。このようなことから,亡Cの本件異動による精神的負担は通常の異動によるものに比べ,一層重いものとなった。

(イ) 保育システムに関する問題

a市は,保育園の入所申請から児童台帳の登録,口座振替等保育に関する総合的なシステムを,平成14年度から更改する計画(以下「本件保育システム」という。)を立てていたが,その完成が遅れていた。

本件保育システムによる第1回目の保育料の引き落としは4月26日に予定されていたことから,この問題は非常に緊急性が高かったにもかかわらず,亡Cがこの事実を初めて知ったのは同月8日であった。また,本件保育システムが完成しても,不具合のため保育料が正確に引き落とされるか不安があり,もし,金額を間違えて引き落とすようなことがあれば,重大なミスとして市民の厳しい批判にさらされることになり,新聞沙汰にもなりかねなかった。また,同月10日,委託業者の担当者と情報システム課,b課で打ち合わせをし,早期にシステムを完成させること,口座振替データの確定を4月15日までに行わなければならないため,これを最優先させること,委託業者が担当者を数人常駐させて対応することが決まった(以下「4月10日打ち合わせ」という。)が,依然としてこれらの不安が残る状況であった。そのため,亡Cは,同日帰宅後,原告に対し,仕事を辞めたいなどと述べた。

(ウ) ファミリーサポートセンターの開設に関する業務について

a市は,平成14年度の事業として,育児の援助を行いたい者と育児の援助を受けたい者をセンターの会員として組織化することとし,7月1日からの援助活動開始を予定していたため,4月以降,早期に事業要綱,会則を決定し,会員希望者への説明会を行い,会員募集を行う必要があった(以下「ファミリーサポートセンター計画」という。)。そのため,担当のF補佐も亡Cも4月15日には会員募集が始まるという認識であり,F補佐は,2月,3月の時点で要綱を作成するなどして準備をしておき,年度が変わった後すぐに上司の決裁を得て事業に着手するつもりであった。そして,このような経緯等から,D部長の決裁は当然簡単に下りるものと考えられていた。しかし,F補佐の起案した要綱や会則にD部長の決裁が下りず,同月15日の会員募集は中止となった。その後も,4月15日,同月26日,5月17日と回数を重ねて説明しても決裁が下りず,予定通り遂行できないかもしれないという事態は,課の責任者である亡Cに大きな精神的負担を与えた。

(エ) JCからの苦情について

c青年会議所(以下「JC」という。)では,5月26日に開催が予定されていた地元の祭りである「d祭」において収益事業を行い,その収益金で保育所に紫外線防止シートを寄付することを計画していたため,保育園に対し紫外線防止シートに関する簡単なアンケートを実施するべく,a市に協力を依頼し,b課では協力を見合わせていたところ,同月23日,JC幹部2名がa市役所を訪れ,b課が保育園アンケートについて協力を拒否しているとして抗議した(以下「JCからの苦情」という。)。亡Cは,その経緯を承知しておらず,同幹部らからa市は協力しないという事実を新聞社にも公表しますよなどと強い表現と口調で抗議を受けて,強いショックを受け,おろおろした様子となり,過重な精神的負荷を受けた。

(オ) D部長のパワーハラスメント

D部長は,部下に対し,非常に厳しい言葉で,大声で,叱責するように,事細かな指示,指導を日常的に繰り返していた。亡Cは,異動まもなくでこのような厳しい指導に慣れていなかったこともあって,大きな心理的負荷を受けた。

a 具体的な例としては,特に,ファミリーサポートセンター事業での指摘では,要綱自体に不備があったわけではないにもかかわらず,亡C,E次長及びF補佐に対し,要綱や会則の段階で定める必要がないような細部まで,また,直し方が同人の気に入らなかったとしか言いようがない理由で,大声で,叱責と受けとれるような厳しい質問が繰り返しあり,指摘された事項と違う事項を後で指導することもあったことから,このような指導は部下に対する嫌がらせ,つまりパワーハラスメントと評価できる。

b また,5月1日の保育園入園の決裁の際,同部長が部屋から出てきて,b課の担当の者に,亡Cにも聞こえるような大きな声で「下の子を入れないのに上の子を入れてもいいのか。」と叱責したため,数日後に亡CがD部長に説明に行ったことがあった(以下「5月1日付け保育園入園決裁の件」という。)。部下の出した結論に対し,突然頭ごなしに大きな声で疑問をぶつけるような公務の指示,質問の仕方は,パワーハラスメントに当たる。

c D部長は,亡Cのことを,「万年平課長」などと公言するなど,明らかに見下した態度であった。

(2)  被告の主張

ア 公務起因性の判断基準について

地方公務員の負傷又は疾病や死亡に公務起因性が認められるには,公務との間に相当因果関係があることが必要である。この相当因果関係が認められるには,その間に条件関係があることを前提として,これに加えて,社会通念上,公務が当該傷病等を発生させる危険を内在又は随伴しており,その危険が現実化したといえる関係にあることを要し,同危険性は,被災者と同種の公務に従事し,又は当該公務に従事することが一般的に許容される程度の心身の健康状態を有する職員を基準として判断すべきである。

そして,精神障害に起因する自殺の場合,公務起因性が認められるためには,被告理事長作成の「精神疾患に起因する自殺の公務災害の認定について」(<証拠省略>)(以下「認定基準」という。)が示すように,(ア)自殺前に公務に関連してその発生状態を時間的・場所的に明確にしうる異常な出来事,突発的事態に遭遇したことにより,驚愕反応等の精神疾患を発症したことが,医学経験則に照らして明らかに認められること,(イ)自殺前に,公務に関連してその発生状態を時間的,場所的に明確にしうる異常な出来事・突発的事態の発生,又は行政上特に困難な事情が発生するなど,特別の状況下における職務により,通常の日常の業務に比較して特に過重な職務を行うことを余儀なくされ,強度の肉体的過労,精神的ストレス等の重複又は重積によって生じる肉体的,精神的に過重な負担に起因して精神疾患を発症していたことが,医学経験則に照らして明らかに認められることが必要というべきである。そして,(イ)のうち,精神的ストレス等を発生させる可能性のある事象としては,a第三者による暴行,重大な交通事故等の発生,b組織の責任者として連続して行う困難な対外折衝又は重大な決断等,c機構・組織の改革又は人事異動等による,急激かつ著しい職務内容の変化,d極度のあつれきを生じるような職場の人間関係の著しい悪化,e重大な不祥事の発生,fその他の上記に準ずる精神的ストレス等を発生させる諸事象が挙げられている。

イ 平成13年10月から翌年5月までの亡Cの公務について,前記ア(イ)のうち,精神的ストレス等を発生させる可能性のある事象のc及びd以外の事情が存在しないことは明らかであり,同c及びdについても,以下に述べるとおりこれらに該当するようなものとはいえない。

(ア) 前記ア(イ)cについて

まず,a市において,課長の職にある者が従来経験したことのない部署に異動することは通例行われるものである。そして,b課が特別に困難な課題を抱えていたわけではない。また,課長の職務は,上司の命を受けて所管の事務を掌理し,所属の職員を指揮監督することであって,自ら事務に従事することはまれであるところ,b課においても課長補佐,係長及び係員が事務に当たっており,亡Cの時間外勤務時間数は亡Cの職務がそれほど過重でなかったことを示すものである。

原告が主張する保育システムやファミリーサポートセンターの問題は,それぞれI主任及びF補佐の担当であり,亡Cの関与は課長として通常の業務にすぎず,また,いずれもまもなく解決されている。

JCからの苦情も,脅迫的というほどのものではなく,亡CとF補佐は,JC幹部の主張を踏まえ,アンケート調査に協力することを決め,問題は解決している。これも地方公共団体がよく受ける内容のものに対する通常の行政判断であった。

以上のとおり原告主張の点を踏まえても,特段の荷重性は認められず,人事異動等による急激かつ著しい職務内容の変化があったとはいえない。

(イ) 前記ア(イ)dについて

D部長が亡Cにパワーハラスメントを行った事実はない。大声で叱責するような口調での指示,指導というだけでは,組織で業務を行う職揚ではよくあることである。

また,D部長からb課への指示は,一般的にはE次長を通して行われており,D部長と亡Cの日常的な接触は,挨拶程度のほか,出張や月2回の部内会議の際だけであった。

亡CがD部長に対し消極的な評価をしていたことが認められるとしても,相性の悪い上司と仕事をすることによるストレスは,精神疾患を発症,あるいは憎悪させるほど強度のものと認めることはできない。

よって,D部長との関係が,極度のあつれきを生じるような職場の人間関係の著しい悪化に当たると認定することはできない。

ウ 亡Cのうつ病発症・悪化及び自殺の原因について

亡Cは,うつ病発症の危険因子の一つであるメランコリー親和型性格,執着性格といった病前性格を有していたため,b課の業務を始める前からb課長への異動に不安を感じており,実際に,b課へ配置転換されると短期間のうちにうつ病に罹患した。このように亡Cのうつ病の発症の主たる原因は亡Cの病前性格であり,また,発症前に亡Cが従事した公務に過重性が認められないから,その発症と公務との間に,相当因果関係は認められない。また,発症後の公務にも過重性は認められず,自殺時,亡Cの足下には,「毎日夜眠れない。もう疲れました。無念!」などと書かれた遺書があったところ,これによれば,自殺の原因は,うつ病に起因した睡眠障害による突発的な事態であったと考えられるから,亡Cの自殺は,同人の私傷病であるうつ病とそれによる睡眠障害の継続が原因であったといえ,公務起因性は認められない。

第3当裁判所の判断

1  地方公務員災害補償法に基づく遺族補償は,職員の公務上の死亡に対して行われる(同法31条)が,公務上の死亡であるといえるためには,公務と死亡との間に相当因果関係のあることが必要である。そして,同法による補償制度が使用者等に過失がなくても公務に内在する危険が現実化した場合に職員に生じた損害を一定の範囲で填補させる危険責任の法理に基づくものであること,また,精神障害,特に,うつ病の成因については,几帳面で真面目な性格等に代表される執着気質,メランコリー親和型といわれるうつ病の病前性格と,公務上及び公務外のうつ病の発症要因になりやすい出来事との関係で精神的破綻が生じるかどうかが決まると解するのが相当であること(<証拠省略>,弁論の全趣旨)からすれば,相当因果関係があるというためには,これらの要因を総合考慮した上で,公務による心理的負荷が,社会通念上,精神障害を発症させる程度に過重であるといえる場合に,当該災害の発生が公務に内在ないし通常随伴する危険が現実化したことによるものとして,これを肯定できると解すべきである。

そして,その判断は,平均的労働者ないしは当該職員と同種の公務に従事し遂行することが許容できる程度の心身の健康状態を有する職員を基準として,勤務時間,職務の内容・質及び責任の程度等が過重であるために当該精神障害を発症させられる程度に強度の心理的負荷を受けたと認められるかを判断し,これが認められる場合に,次に,公務外の心理的負荷や個体側の要因を判断し,これらが存在し,公務よりもこれらが発症の原因であると認められる場合でない限りは相当因果関係の存在を肯定するという方法によるのが相当である。

原告は,合理的関連性の存在で足りる旨及び相当因果関係の判断においても本人を基準として公務の過重性を判断し,また,公務が共働の原因となったかによって判断すべきである旨を主張するが,前記の制度趣旨から採用することはできない。他方,被告が主張する認定基準による方法は,判断手法として有益な面があるとしても,これによらなければ,公務起因性が認められないというものではない。

2  認定事実

証拠(<証拠・人証省略>,原告本人)及び弁論の全趣旨によれば,次の事実が認められ,これを覆すに足りる証拠はない。

(1)  本件異動前後の状況

亡Cは,3月に,4月からの異動先がb課と判明した際,大変な職場であるとして不安な様子を示していた。(<証拠省略>)

亡Cは,4月1日,b課に異動となり,同月2日から5日まで,b課長としてD部長,E次長とともにa市内の保育園20園に人事異動の挨拶に行った。

(2)  本件報告書の提出及び本件ヒアリングの指示

ア 同月3日,健康福祉部において,各課の課長補佐以上全員の出席による部内会議が開かれた。同会議においてD部長は,4月の人事異動を受けて,平成14年度の事務事業実施に当たっての留意事項や検討課題について説明し,管理職員として仕事の管理,部下の育成等にその役割を発揮してほしい旨述べた。そして,本件報告書の提出及び本件ヒアリングを管理職員に指示した。その際に示されたb課の課題は,平成14年度内に実施予定又は見直しが必要なものがファミリーサポートセンター事業を含めて4件,同年度では実施予定がないが,将来の取り組みが必要なものが16事業と,ほかのどの課に比べてもかなり多かった。その後,部内での打ち合わせの際に,亡Cは,検討課題の多さ,困難さなどに驚いた様子だった。(<証拠・人証省略>)

イ 4月23日は,同月3日の部内会議でD部長から指定された課の課題の提出日であったが,b課は課題が多いとして提出期限を延期された。本件報告書の作成者及び担当者は,「職員(保育士)の格付け」を除き,いずれもF補佐以下の課員であり,延期された期日までに提出した。亡Cは,「職員(保育士)の格付け」を担当したほかは,提出課題の割り振りやとりまとめなどを行った。同月21日の日曜日にはそのため休日出勤をした。(<証拠省略>)

ウ 5月9日,b課の係長以上が出席して本件ヒアリングが行われた。説明は,亡Cのほか,F補佐や係長が行い,D部長は,特徴ある保育,子育て支援策,児童館整備計画など重要なものについては,こと細かく,又は厳しく指導や指示をした。この際,D部長は,亡Cの仕事ぶりにつき,課の中でちゃんとやっており,特に問題はないと考えており,E次長の助言もあって順調に行われた。(<証拠・人証省略>)

(3)  本件異動直後の休日

4月6日,亡Cは,次男の入学式に出席した。この際同行した原告は,亡Cがぼんやりしてたばこばかり吸っているという印象を持った。同日及び翌日は,亡Cのb課への異動後,最初の土日であり,市役所等の職員は,異動後1週間は挨拶回りでほとんど自席にいることができず,最初の土日は出勤して机の整理や仕事の把握をすることが多く,亡Cもそれまで異動後最初の土日は出勤していたにもかかわらず,亡Cは,同日職場に行かなくてもいいと言って入学式に行き,翌日も出勤しなかった。

(4)  本件保育システムの完成遅れ

ア 同月8日,亡Cは,I主任らから,I主任の担当業務である平成14年度から本稼動する予定の本件保育システムの完成が遅れていることについて説明を受けた。これは,委託業者によるシステムの構築の遅れのため,4月時点で全体の4割程度しか完成しておらず,未完成部分には,重要部分である保育料引き落としシステムも含まれていた。また,3月,完成部分のシステムを使って作成した保育料決定通知を保護者宛に配布したところ,全通知書2896件のうち10件ないし30件の誤りが生じ,I主任が委託業者に連絡をとってシステムを手直しさせた上で再送付したことがあったため,b課としては,保育料引き落としシステムが完成してもこれによって保育料が正確に引き落とされるかについて不安を感じる状況であった。亡Cは,I主任の報告を受けて,4月9日,電算業務を統括している情報システム課に助言と協力を求めた。情報システム課は,同日まで,このような計画の遅れを知らなかった。亡Cは,この問題について,市民税課に在籍した経験から他のb課職員などに比べてより危機感を抱いた様子であった。なお,亡Cは,前任のJ課長から保育料決定通知の誤りについては引継書による引継を受けたが,本件保育システムの完成自体が遅れていることについては同日まで承知していなかった。(<証拠・人証省略>)

イ 4月10日打ち合わせのとおり対応策が決まった。亡Cは,同日,出張のため,帰庁後,I主任からその報告を受けた。これに基づき,翌11日から委託業者の担当者が常駐して作業に当たることとなり,数日中には委託業者からシステム完成に至るタイムスケジュールの提示を受けとった。I主任は亡Cのとった対応によって負担が軽くなったと感じた。ただ,システムが完成したわけではないため,不安は続いた。この件に関する対応は,以後,I主任が行い,亡Cに報告を行っていた。I主任はこの件で残業や休日出勤を相当数行って下り,亡Cがねぎらうことがあった。(<証拠省略>)

ウ 同年4月26日は,平成14年度最初の保育料の引き落としの日であった。この時点で,新システムは未完成であったため,システムを使わず,データを手入力する方法で引き落としが行われた。b課としては正確に引き落としが行われるか不安はあったが,結果として誤りなく引き落としが行われた。同日は前所属である総務部の管理職以上の歓送会であったが,亡Cはしょんぼりした様子であり,周りから励ましを受けていた。このころ,I主任は,亡Cに対し,このままいけば保育料引き落としシステムは6月くらいには軌道に乗れそうである旨報告し,亡Cは喜んでしばらく雑談をした。(<証拠省略>)

(5)  4月上旬ころの亡Cの様子

ア 4月上旬ころ,明らかな誤りや決裁区分の誤り,誤字脱字の見直しなど,以前の亡Cであればすぐに気づくような間違いが訂正されないままE次長に回ってくることがあり,E次長は,亡Cの注意力が少し弱くなったという印象を持った。

イ 同月10日夜,亡Cは自宅で,原告に,仕事を辞めてもいいかと言った。このとき亡Cの顔は土色でむくみがあるような感じであり,原告が今までに見たことがないほど疲れた様子であった。原告が理由を聞くと,仕事が分からない,眠れないなどと答え,原告が上司に相談したらどうかと勧めても,言っても話にならない旨述べた。原告が,仕事を辞めてどうするのかと聞くと,亡Cは黙っていた。翌11日朝,原告は,亡Cに,仕事は辞めてもいい旨告げた。(<証拠省略>)

ウ 4月以降,亡Cは不眠が続き,食欲もなくなった。また,同居の義母に,仕事上の愚痴をこぼすようになった。

(6)  ファミリーサポートセンター計画

ファミリーサポートセンター計画のとおり予定され,担当のF補佐も亡Cも4月15日には会員募集を始めるという認識であった。そのため,F補佐は,2月,3月の時点で予め要綱等の原案を準備して上司の了解を取り付けておくべきであったにもかかわらず,これが遅れて4月15日の会員募集は延期になった。(<証拠・人証省略>)

同月15日,亡C,E次長,F補佐の3名が,D部長に,ファミリーサポートセンターの事業要綱案と会則案の説明を行った。亡Cらは,準備が遅れていたことから,早期に事業要綱及び会則を決定し,会員希望者への説明会を行う必要があり,また,詳細な実施要領を定める必要は未だないと考えていたのに対し,D部長は,援助活動の実施時間帯や報酬金額及び受渡し方法,会員の遵守事項などを具体的に取り決めるように再検討を求め(<証拠省略>),その了解は得られなかった。この時,D部長は,F補佐らに対し,大きな声で厳しい質問をした。F補佐は,本当に7月1日に援助活動開始ができるのか,非常に不安を感じた。亡Cも,課の責任者としてF補佐以上に不安を感じたようであった。

Cらは,4月26日,5月17日にもD部長への説明を行い,同月22日に同部長の了解を得て,事業要綱及び会則が決定され,会員数は少なかったものの,7月1日に事業が開始された。(<人証省略>)

(7)  4月中旬以降の亡Cの様子

ア 4月中旬ころから,亡Cは,ため息が多くなり,また,同月10日以降,自宅で仕事の愚痴を言う回数が増えた。義母に対し,食が進まず眠れないと訴えるようになり,口数が少なくなった。また,それまでは,次男とともに居間で寝ていた亡Cが,次男にうるさいなどというようになり,これを嫌った次男が別の部屋で寝るようになった。(<証拠省略>,原告本人)

イ 同月末ころ,亡Cは運転が乱暴になった。また,同月29日には,親戚の法事で三重県に出かけたが,亡Cの運転が心配なので原告が一緒に行って運転をした。普段であれば亡Cは遠出をすればついでに色々なところへ立ち寄るところ,この日は朝出かけてどこへも立ち寄らずに帰った。(<証拠省略>)

(8)  5月1日の保育園入園に関する決裁

5月1日,D部長が,兄弟の保育園入園申請につき,兄を入園させ,弟を入園させない旨の決裁をする際,b課の担当者のところへ行き,「下の子を入れないのに上の子だけを入れてもいいのか。」と大きな声で厳しい口調による質問をした。数日後,亡Cは,D部長に,決裁書には記載しなかったが,弟は家族で監護できる状況である旨説明に行き,解決した。(<証拠・人証省略>)

(9)  5月以降の亡Cの様子

5月以降,亡Cは食欲がなく,自宅では食事を勧められて怒るなど,いらいらしたり,元気がなくぼんやりしたりするようになった。また,職場でも,ため息が多くひどく疲れている様子が見え,管理職研修に,資料が半分も読めない状態で参加して,後日感想として最悪の状態で参加したことを大変反省している旨記載することがあった。休日は,一日中布団の中で過ごすので,5月11日,原告がドライブに誘い出したが,運転せずに,助手席でボーっとしていた。

(10)  JCからの苦情について

F補佐は,JCからの要請の趣旨をよく理解していなかったため,協力を見合わせていたもので,亡Cはその経緯を承知していなかった。JCからの苦情を受けて,亡CとF補佐が応対したところ,JC幹部は立腹した様子で,a市は協力しないという事実を新聞社にも公表しますよなどと強い表現で抗議した。これを受けて亡Cはおろおろした様子であった。亡Cは,その場でF補佐と協議の上,同アンケートに協力することを決めた。

(11)  自殺時の状況

ア 発見時,亡Cの足下には,「毎日夜眠れない。もう疲れました。無念!おばあさんこれまで本当にありがとうございました。母さんごめん!感謝。K(亡Cの長男)あとよろしく。L(亡Cの次男)わがまま言わないで。Mさん(亡Cの長男の妻)ありがとう。Nくん(亡Cの長男の子)大きくなってお母さんを助けてネ。家族仲良くネ。」「Oさん奥さん申し訳ありません。家族をよろしくお願い致します。兄ちゃん,P,Q,R(それぞれ亡Cの兄弟)みんなで家族を助けて!」と書かれた二通のメモ書(以下「本件遺書」という。)があった。

イ 亡Cの死後,同人の自宅の机の引き出しの中から,「人望のないD,人格のないD,職員はヤル気をなくす。」と書かれたメモ書き(以下「本件メモ書き」という。)が見つかった。

3  亡Cの担当した事務の内容(公務の質及び量)からする過重性について

(1)  本件異動並びにこれに伴う本件報告書提出及び本件ヒアリングの実施

亡Cは,うつ病発症の約1月前である4月1日に未経験で懸案事項の多い部署である健康福祉部のb課に配属された。しかも,用語や仕事内容の把握に十分な時間のない状況で,D部長から本件報告書提出及び本件ヒアリングの実施を指示され,早期に課の仕事を把握する必要があった。

しかし,a市役所職員として約30年にわたり経験を積み,この間,土木課,税務課市民税係,消防本部予防課,秘書課,教育委員会,総務部行政課,図書館など,次々に未経験の部署への異動を繰り返してきた亡Cと経験等が類似し,同種の公務に従事することが許容できるような市役所職員を前提とすると,その後,さらに,それまで縁のなかった懸案事項の多い部署に異動することも特に過重な職務であるとは言い難い。また,a市役所のような比較的小規模な組織で課長職を歴任する以上,未経験の部署に異動することは通常あり得ることである(<証拠省略>)。そうすると,本件異動は,亡Cのような経歴の市役所職員にとっては,直ちに過重な精神的負荷を生じさせるに足りるものとはいえない。

また,本件報告書の作成については,そのほとんどをF補佐以下の課員が行ったものであり,また,亡Cは「職員(保育士)の格付け」の報告書や総括表を作成しているが(<証拠省略>),これによれば,前記認定の時間外勤務時間内で,亡Cはb課の課題全般につき,課長の職務上必要な範囲では把握していたと認められ,本件ヒアリングも,亡Cのほか,F補佐及び各係長が質問に答え,E次長の助言もあり,順調に行われ,D部長も亡Cの仕事ぶりには満足していた。したがって,これらにより,特段の精神的負荷が生じるとは認められない。また,このような点からすると,亡Cの執務能力が加齢によって低下していたとも認めがたい。

(2)  本件保育システムの完成遅れについて

亡Cは,本件保育システムの完成遅れについて,着任直後の4月8日に突然説明を受け,それが緊急の対応を要し,対応次第によっては重大な結果を招きかねないだけに,それは軽度ではない心理的負荷を生じさせるに足りるものというべきである。しかし,亡Cは,翌9日には情報システム課の協力を取り付け,同月10日には,委託業者を入れての打ち合わせで完成の目処を立てたのであり,亡Cが迅速適切に対処したため一応の解決を見たということができる。その後も,予定通りに進行するか不安はあったにしても,実務の担当者はI主任であり,また,結果として問題は生じず,亡Cは,同月26日ころ,I主任からうまくいきそうだとの報告を受けて喜んでいた。このような経過からすると,その心理的負荷は短期間に止まり,その後も同様な心理的負荷が続いたとは認めがたい。

なお,原告本人は,同月10日夜,亡Cが自宅で,原告に,仕事を辞めたい理由として,業者が契約を破棄したいと言うというようなことを言ったなどと供述するが,同日には完成の目処が立ったこと,陳述書(<証拠省略>)にはそのような記載がないことに照らし,採用できない。

(3)  ファミリーサポートセンター計画について

ファミリーサポートセンターの開設については,予定していた会員募集を延期せざるをえず,その後も数度にわたる再検討とD部長への説明にもかかわらず,結局,5月22日まで1か月以上決裁が下りないことが続いたことから,課の責任者としては,7月の開設に間に合うのかという懸念を持ったものと考えられる。

しかし,担当者のF補佐が起案した要綱等に,決裁権者のD部長が決裁を与えない以上,亡Cとしては何ともしようのない事柄である。また,予定していた会員募集を延期せざるをえなかったのは,亡C着任以前に,F補佐が要綱等を起案し,D部長ら決裁権者の了承を取り付けておくべきであったのに,これが遅れていたことが原因であり,亡Cには直接責任のないことでもある。そうすると,これによる精神的負荷がそれほど重いものであるということはできない。

(4)  全体としての検討

前記(1)ないし(3)の事象が連続して,又は,重なり合うように生じたことを考慮しても,上記(1)ないし(3)の内容に加え,亡Cの時間外勤務時間が月35時間に足りないこと(ただし,5月については26日までである。同月については,うつ病発症による事務処理効率の低下の可能性がある。)を考え併せると,量的にはもちろん,質的にも過重な事務を行ったとは認めがたい。また,b課での勤務を開始した4月1日からうつ病を発症した時期の終期である5月6日までに合計12日間の休日があったことからも,通常であれば疲労状態から回復することができたというべきである。

4  D部長のパワーハラスメントによる心理的負荷について

(1)  D部長の指導の当否

D部長は,部下に対して細かく厳しい指導をする人物であり,また,話し方がぶっきらぼうで命令口調の上,短気なところがあり,時に大きな声を出すことがある(<証拠・人証省略>)。また,前記認定の4月10日夜の原告に対する亡Cの発言や本件メモ書きの記載内容に証拠(<証拠・人証省略>)を併せると,原告を含め部下からは,D部長の指導が部下に対する配慮に欠け,部下の意欲をなくさせるような指導であると評価されていたことが認められる。

しかし,他方,D部長の指導が内容的に不当なものであったと認めるに足りる証拠はない。すなわち,原告は,ファミリーサポートセンター計画について,D部長の決裁は当然簡単に下りるものと考えられていたにもかかわらず,D部長の指導は,要綱や会則の段階で定める必要がないような細部まで,また,直し方が同人の気に入らなかったとしか言いようがない理由で質問が繰り返しあり,指摘された事項と違う事項を後で指導することもあったと主張し,証人Fにはこれに沿う部分があるが,同供述は同人の主観的な認識を述べるにすぎず,客観的にそうであったと認めるには足りなかったり,曖昧であったりするので,原告の主張事実を認めることはできない。保育園入園の決裁の件についても,理由の記載がなく,不審に思った以上は担当者に確認することに問題はない。また,D部長が,部下を,仕事の内容や進め方から離れて,人格非難に及ぶような叱責をしたと認めるに足りる証拠もない。

(2)  亡Cとの関係

D部長が,亡Cを直接名指しして,厳しい指導や叱責をしたとの事実は認められない。すなわち,前記認定の4月10日夜の原告に対する亡Cの発言や本件メモ書きの記載内容からも,亡Cに対する叱責等があったとは窺えず,部下らの供述(<証拠・人証省略>)に照らすと,むしろそのような事実はなかったものと認められる。

また,D部長が亡Cを指して「万年平課長」と述べたと認めるに足りる証拠はない。

他方,本件遺書には,D部長との関係に言及した部分はなく,直接は不眠と疲労を訴えるにすぎない。なお,本件遺書と本件メモ書きは,その発見状況からそれぞれ別の機会に作成された独立した文書と認めるのが相当である。

(3)  評価

そうすると,D部長の指導は,直ちに不当なものとはいえず,また,亡Cに対して厳しい指導が行われたという具体的な事実も認められないから,亡Cに対するパワーハラスメントがあったとまでは認められない。さらに,b課とD部長の席は,パーテーションで仕切られており,また,D部長からの指示は一般にはE次長を通じて行われていたこと(<人証省略>)からすると,亡Cは日常頻繁にD部長と接していたわけではない。いわゆるうるさ型で厳しい上司の下で働くことにより,精神的な緊張を強いられる場面があったとはいえても,通常は,精神障害発症の原因となるような重い精神的負荷が生じるとは認めがたい。亡Cがこのような厳しい指導に慣れていなかったとしても同様である。

5  JC幹部への対応について

うつ病発症後である5月23日のJC幹部への対応は,同席したF補佐が,脅迫といえるようなものではなかったと感じ,また特に心理的圧迫も感じていなかったこと(<人証省略>),その場で,要求をのむという方向で解決し,その後問題が生じたという事情はないことからすれば,以前に秘書課でクレーム係をしていた亡Cの経歴からして,重い精神的負荷が生じるようなものとはいえない。また,亡Cは重症うつ病エピソードの症状を示していたことからしても,その自然的経過を超えて悪化させたことにより本件自殺に至ったとは認めがたいから,その間に相当因果関係が存するとはいえない。

6  検討

(1)  亡Cのうつ病発症・悪化及び自殺の原因について

前記認定の事実及び前記説示に証拠(<証拠省略>)を併せると,亡Cは,次のような経過で,うつ病を発症し自殺するに至ったと見ることができる。

亡Cは,うつ病発症の危険因子であるメランコリー親和型性格,執着性格といった病前性格を有していたため,b課の業務を始める前からb課長への異動に不安を感じていた。本件異動直後に,実際に課題が多く,本件保育システムの完成遅れといった予想外の事態まで生じたことから不安がさらに強化され,亡Cはこれを大きな負担に感じ,4月10日過ぎまでには,意欲の減退ないし将来に対する悲観的な見方,疲労感,注意力の低下,不眠,食欲不振といったうつ病の前駆症状が出現した。その後,短期間のうちにうつ病の症状が次々に加わり,重症うつ病エピソードを発症するに至った。なお,家庭内にうつ病発症の原因がないことは,本件遺書の記載内容から明らかである。

(2)  原告の主張について

原告は,亡Cの病前性格が通常想定される範囲内のものであること,異動に耐える職務遂行能力を有すること,公務以外に災害の原因となりうる要因がなかったことから,亡Cにとって職務が過重であったならば,平均的労働者を基準としても公務起因性が認められるべきであると主張する。

そこで,検討するに,前記のとおり,亡Cの公務は,全体としてみても通常,精神障害を発症しうるような重い精神的負荷を伴うものとは認められず,特に,b課での勤務を初めてまもない4月10日過ぎまでに,うつ病の前駆症状を発症していることからすると,亡Cには,担当事務自体は過重なものではなくても,将来に不安を抱いて容易にうつ状態に陥りやすい傾向があったことが窺われる。そして,これまでの異動において問題なく公務に従事していたとしても,その性格から部下など周囲に気を遣い,明るく振る舞っていた可能性もある。したがって,亡Cの病前性格が通常想定される範囲内にあり,本来異動に耐えうるものであったと認めるには足りないから,原告の主張は採用できない。

(3)  判断

以上のとおりであるから,亡Cと同種の公務に従事し遂行することが許容できる程度の心身の健康状態を有する職員を基準として,勤務時間,職務の内容・質及び責任の程度等が過重であるために当該精神障害を発症させられる程度に強度の心理的負荷を受けたとは認められず,他方,個体側の要因により大きな発症の原因があることが窺えるから,亡Cの公務とうつ病発症等との間に相当因果関係が存在するとは認められない。

第4結論

以上の次第であり,原告の請求は理由がないから,これを棄却することとし,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 多見谷寿郎 裁判官 遠藤俊郎 裁判官 奥村周子)

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