名古屋地方裁判所 平成2年(ワ)2074号 判決 1997年3月26日
原告 がっこうコミュニティユニオン・あいち
被告 愛知県
主文
一 原告の請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一請求
一 被告は、原告に対し、金三〇〇万円及びこれに対する平成二年七月三〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 被告は、愛知県教育委員会委員長名及び愛知県立佐屋高等学校長名をもって、後記陳謝文を縦横それぞれ一メートルの白紙に墨書して、愛知県庁西庁ロビー内掲示板及び愛知県立佐屋高等学校玄関壁面に一か月掲示せよ。
三 訴訟費用は被告の負担とする。
四 第一項につき仮執行宣言
記
陳謝文
当職は、貴職員団体に対し、一九八九年四月以来長期にわたって貴職員団体の交渉要求を拒否してきたことをここに深く陳謝するとともに、今後かかる違法行為を行わないことを誓約します。
年 月 日
愛知県教育委員会委員長
愛知県立佐屋高等学校
学校長 松永美成
がっこうコミュニティユニオンあいち 御中
第二事案の概要
本件は、原告が愛知県教育委員会(以下「県教委」という。)及び愛知県立佐屋高等学校(以下「佐屋高校」という。)の校長に対し、同高校における勤務条件について、地方公務員法(以下「地公法」という。)五五条に基づく交渉を申し入れたところ、県教委及び同校長のいずれもこれに応じなかったとして、被告に対し、国家賠償法に基づき、慰謝料の支払と陳謝文の掲示を求めている事案である。
一 当事者間に争いのない前提事実
1 原告及び伊藤について
(一) 原告は、愛知県内の公立学校の教職員を構成員として、昭和六三年三月二七日結成された職員団体であり、地公法五二条ないし五四条の要件を満たす登録団体である。
(二) 伊藤忠良(以下「伊藤」という。)は、昭和五七年四月一日県教委から愛知県公立学校教員に任命され、同日付けで愛知県立名古屋西高等学校教諭に補せられた後、平成元年四月一日付けで佐屋高校教諭に補せられ、現在に至っている。
伊藤は、原告結成と同時にその構成員(以下「組合員」という。)となり、昭和六三年度から平成元年度は書記次長、平成二年度は副委員長の地位にあった。
2 県教委及び松永校長について
(一) 県教委は、県公立学校教員の任命権者であり、原告所属組合員らの給与、勤務時間その他の勤務条件に関し、及びこれに附帯して、社交的又は厚生的活動を含む適法な活動に係る事項に関し、適法な交渉の申入れがあった場合においては、その申入れに応ずべき地位に立つものである。
(二) 県立学校長は、学校管理者として勤務時間の割り振り、休暇の承認、執務環境の整備などに関する権限を与えられているから、原告所属組合員の勤務条件等に関し、適法な交渉の申入れがあった場合においては、その申入れに応ずべき地位に立つものである。
松永美成(以下「松永校長」という。)は、昭和六三年四月から平成三年三月三一日まで佐屋高校の校長の地位にあった。
3 松永校長に対する交渉申入れについて
(一) 予備交渉に至るまでの経緯
(1) 平成元年四月五日付け申入れ(以下、年は特に断らない限り平成元年を指す。)
四月五日、伊藤は、左記七項目(以下「四・五申入事項」という。)を交渉事項とする原告の交渉申入書を持参して松永校長に交渉を申し入れた
<1> 原告の執行委員会に伊藤が出席することについて
<2> 組合掲示板の設置について
<3> 職員更衣室について
<4> 職員休養室について
<5> アスベストについて
<6> 指定休の取扱いについて
<7> 指導部交通指導における勤務時間等について
(2) 四月八日付け申入れ
四月八日、伊藤は、四・五申入事項<1>について急ぎ交渉を実施して欲しい旨、文書により松永校長に申し入れた。
(3) 四月一二日付け申入れ
四月一三日、原告は、四・五申入れ事項<1>について緊急に交渉に応じられたい旨の同月一二日付け交渉申入書を松永校長宛に郵送したが、松永校長はこれに対して特に回答をしなかった。
(4) 四月一五日訪問
四月一五日、原告執行委員長杉本正次(以下「杉本」という。)ほか四名の執行委員は、佐屋高校に赴き、松永校長に四・五申入事項の説明をした。
(5) 五月九日付け、同月一八日付け申入れ
原告は、五月九日付け、続いて同月一八日付け交渉申入書をそれぞれ松永校長宛に郵送して、交渉日程の設定を要求したが、松永校長はこれらに対し何ら回答をしなかった。
(二) 予備交渉の実施
(1) 六月一九日から二一日にかけて、松永校長と原告執行委員墨総一郎(以下「墨」という。)との間で、電話による予備交渉が行われ、同月二七日に本交渉を行うことを双方で確認した。
(2) 同月二二日、原告は、左記二二項目(以下「六・二二申入事項」という。)を交渉事項とする交渉事項申入書を松永校長に提出した。
<1> 原告の執行委員会に伊藤が出席することについて
<2> 組合掲示板の設置について(職員室内に設置することを要求する。)
<3> 指導部交通指導における勤務時間等について(その違法性を認めること)
<4> アスベストについて(本校の状況を報告し、除去計画などの公開を求める。)
<5> 育児時間について(九月から育児時間を要求する。)
<6> 措置要求に対する管理職の妨害について
<7> ビラまきなど正当な組合活動に対する管理職の妨害行為(不当労働行為)について
<8> 伊藤に対する差別的取扱い(行事から外すなど)について
(<6>、<7>、<8>に関しては、謝罪し、改めることを要求する。)
<9> 職員更衣室について
<10> 職員休養室及び休憩コーナーについて
(措置要求に関して)
<11> 学習合宿について
<12> 下校当番における勤務時間等について
<13> 通常の勤務時間の割り振りについて
<14> 措置要求の際の職専免について
<15> 本校における校則・体罰等生徒に対する人権侵害について
<16> 職員会議等のあり方について
<17> 本校における禁煙・分煙対策と喫煙室・喫煙コーナーの設置について
<18> 管理職による授業内容への不当な介入及び授業監視について
<19> 職員写真について
<20> 指定休の取扱いについて
<21> 新任教員に対する超過勤務の押しつけについて
<22> 校内の各種予算について(図書、生徒会、県費、P費など)
(三) 本交渉の実施
六月二七日午後四時から約一時間、原告と学校当局との間で本交渉が行われた(以下「六・二七本交渉」という。)。当日交渉がなされのは、六・二二申入事項<1>ないし<8>の八項目のみであった。
(四) 九月一一日付け申入れ
原告は、九月一一日付け交渉申入書を松永校長宛に郵送して、左記二項目(以下「九・一一申入事項」という。)を交渉事項とする交渉を申し入れ、同月二一日までに交渉日時を回答するように要求した。
<1> 伊藤の組合活動に関わる不当労働行為について
<2> 年休取得等の勤務条件の確認について
(五) 二月三日付け申入れ
平成二年二月三日、伊藤は、左記四項目(以下「二・三申入事項」という。)を交渉事項とする原告の交渉申入書を持参して松永校長に交渉を申し入れた。
<1> 年休処理簿の改訂とそれに伴う年休処理の運用の変更について
<2> 勤務時間の割り振り及びその変更について
<3> 原告組合活動に対する不当労働行為について
<4> 六・二七本交渉での未解決部分と積み残しの項目について
(六) 二月二〇日訪問
同年二月二〇日、杉本ほか六名の執行委員は、佐屋高校に赴き、松永校長に交渉の応諾を要求した。
4 県教委に対する交渉申入れ
(一) 本交渉に至るまでの経緯
原告は、平成元年七月七日付け文書及び一〇月三日付け文書により、松永校長の不当労働行為をやめさせること等を交渉項目として、県教委に交渉を申し入れた。
同月六日、原告と県教委との間で、交渉を開催すること、交渉項目の一つとして佐屋高校の問題を取り上げることが決まったが、原告は、一一月一七日付け文書により、佐屋高校における管理職による原告に対する不当労働行為について、重ねて県教委に交渉を申し入れた。
同月二二日、原告と県教委との間で、同月三〇日に本交渉を行うこと、インフルエンザ接種及び人事異動の問題とともに、佐屋高校における不当労働行為の問題を交渉項目の一つとすることが確認された。
(二) 本交渉の実施
一一月三〇日、原告と県教委の間で本交渉が行われた(以下「一一・三〇本交渉」という。)。同日の交渉は、まずインフルエンザ接種について、次に人事異動について、順次進められたが、県教委は、交渉開始後約一時間が経過した時点で、時間切れを理由として一方的に交渉を打ち切った。原告は、佐屋高校における不当労働行為の問題についても交渉をするため、そのまま交渉を継続するか、打ち切るのであれば次回の日程をその場で決定するよう要求したが、県教委はこれに応じなかった。
二 争点及び争点に関する当事者の主張
1 原告
(一) 松永校長の交渉拒否の違法性
次のとおり、松永校長が原告からの適法な交渉の申入れに対して交渉を拒否していることは明らかである。これは、地公法に明記された交渉に応ずべき義務の不履行であり、同法で保障された原告の交渉を求めることのできる地位を否認するものであって、違法である。
(1) 本交渉日設定が遅れたこと
松永校長は、原告の四月五日付け、八日付け、一二日付けの交渉申入れを無視し何の回答もせず、同月一五日、四月中に交渉日程を決定する旨約束したにもかかわらず、右約束を破り五月に入っても交渉日程を決定せず、五月九日付け、一八日付けの交渉日程決定要求にも応じないなど、原告の交渉申入れを無視し続け、その態度は六月一八日まで二か月半の長期に及んだ。
(2) 六・二七本交渉が形式だけの見せかけのものであったこと
六月二七日に本交渉が実施されたとはいえ、<9>以下の交渉事項は積み残しとなり、交渉することのできた<1>から<8>についても、松永校長は予め用意した回答に固執するなど不誠実な態度に終始したのであって、六・二七本交渉は、形式だけの見せかけの交渉というべきである。
(3) 六・二七本交渉後の交渉を拒否したこと
松永校長は、六・二七本交渉の際積み残しとなった<9>以下の交渉事項について、八月中(夏期休業中)に交渉に応ずる旨約束したにもかかわらず、右約束を破り、その後も、九月一一日付けの回答期限付き申入れに対して右期限までに回答せず、平成二年二月三日付けの申入れにも応じず、同月二〇日、交渉日程の予定を立てる旨約束したにもかかわらず、右約束を破り、今日まで交渉を拒否し続けている。
(二) 県教委の交渉拒否の違法性
次のとおり、県教委が原告からの適法な交渉の申入れに対して交渉を拒否していることは明らかである。
(1) 県教委は、一一・三〇本交渉の際、次回の交渉日程を決めず交渉の席から立ち去った。
(2) 県教委は、その後も原告からの再三の交渉再開要求を拒否し続け今日に至っている。
ところで、県教委は、地方教育行政の組織及び運営に関する法律三四条により、県立学校長に対し任命権者として服務監督権限を有し、県立学校長が違法行為をなしたときは、それを是正するため指導助言若しくは指揮命令できる立場にある。
したがって、県教委の右交渉拒否は、<1>地公法に明記された交渉に応ずべき義務の不履行であり、同法で保障された原告の交渉を求めることのできる地位を否認するものであること、<2>任命権者として松永校長に交渉拒否をやめさせることができる立場にありながらこれを不当に怠っていることの二点において違法である。
(三) 原告の損害
松永校長及び県教委の違法な交渉拒否は、原告の登録団体たる存在を否認する行為であり、原告の職員団体としての社会的評価ないし存在価値を著しく低下させるもので、原告の名誉を毀損し、また、原告の職員団体としての諸活動に大きな支障を生じさせた。
これを金銭に見積れば、慰謝料として少なくとも三〇〇万円を支払わせるのが相当である。
また、原告の職員団体としての社会的評価ないし存在価値の低下と名誉の毀損は、右慰謝料の支払では回復できないものであるので、右回復のため、第一の二記載の陳謝文を墨書して所定の期間、所定の場所に掲示させることが相当である。
2 被告
(松永校長関係)
(一) 事実経過
(1) 四月五日付け、八日付け申入れについて
原告は、松永校長が四月五日付け、八日付けの交渉申入れを無視し何の回答もしなかった旨主張するが、事実に反する。当時松永校長は、日常業務に加え、年度初めの諸会議出席で多忙を極めていたため、右申入れに対しては、伊藤が交渉申入書を持参する都度、同人に対し、時間ができるまで待って欲しいという意味で「当分交渉を受ける暇がない。」旨伝えていた。また、四・五申入事項<1>(伊藤の原告執行委員会への出席の件)については、伊藤に対し、年次有給休暇を取って出るよう回答していた。
(2) 四月一五日訪問について
杉本ら原告組合員は、事務室も通すことなく突然校長室に押しかけ、接客中であった松永校長に交渉に応じるよう要求し、具体的な事項について同校長の回答を迫った。
(3) 六月二二日申入れについて
六・二七本交渉における交渉時間については、六月二一日の予備交渉で午後四時から一時間と決定していたにもかかわらず、原告が翌二二日に提示した交渉事項(六・二二申入事項)は二二項目にも及ぶものであった。これらは、原告ないし伊藤が愛知県人事委員会に対して申し立てた措置要求の対象事項とほとんど重なっているうえ、<1><2><3><6><7><8><11><15><16><18><19><21>は勤務条件に該当せず、<5>については松永校長は適法な当局に該当しないものであるから、原告の要求するところの交渉というものは、とても真摯な交渉の申入れとは考えられないものである。
また、原告が従前提示していた四・五申入事項が七項目であったことに照らせば、二二項目の提示は、初めから交渉時間内の交渉終了を不可能にし交渉すること自体ないしは交渉を継続させること自体を目的とする、いわばためにするものであるとさえ推測される。
(4) 六・二七本交渉の実施について
松永校長は、原告から提示のあった二二項目に及ぶ交渉事項について一時間の交渉時間内でスムーズに交渉を進行させるため、二二項目全部について予め回答を用意して六・二七本交渉に臨み、交渉の初め一括回答の提案をしたのに、原告はこれを拒否し、円滑な交渉に協力しようとしなかった。当日の交渉において<9>以下の交渉事項が積み残しとなったのは、専ら、このような原告の非協力的な対応に起因するものである。
また、松永校長は、<1>から<8>について回答した後、原告側の質疑に対して誠実に対応している。然るに、原告側は、同校長の回答が自分たちの意にそぐわないと、納得する回答がなされるまで威圧的に迫るなど、その態度は、交渉に名を借りた強迫ともいうべきものであり、地公法五五条の予期している平穏で秩序正しい話し合いとはほど遠いものであった。
(5) 学習合宿反対のビラ配付と組合掲示板の強行設置
佐屋高校では、中退者を減らす目的で、平成元年度の行事計画の一環として学習合宿を企画していたところ、伊藤は、これに反対する「学習合宿をやめさせよう」と題する原告名義のビラを、七月五日には佐屋高校の全職員に配布し、同月一二日にはこれを下校中の生徒に配付し、同高校の教育現場において深い混乱を生ぜしめた。
また、伊藤は、同月一一日、原告の組合掲示板を無許可で設置し(撤去を命じたが従わないため、翌一二日、管理職が撤去した。)、九月七日にも、同様の挙に出た(これも撤去を命じたが従わないため、管理職が撤去し、同月三〇日、原告に返却した)。
(6) 九月一一日付け申入れについて
松永校長は、九月一一日付けの交渉申入れに対し、交渉に応じることができない旨回答したが、それは、以上の経緯に照らし、佐屋高校の教育現場において発生した混乱が収まるまでの間、一時交渉の応諾を留保する旨の意思を示したものにすぎず、原告との交渉の一切を拒否したものではない。
(7) その後の原告の対応
原告は、松永校長から組合掲示板の返却がなされた平成元年九月三〇日以降、平成二年二月三日付け交渉申入れまでの間、同校長に対して交渉続行の申入れを全くしなかった。
(8) 二月二〇日訪問について
松永校長は、平成二年二月三日付け申入れの後、墨から電話で、交渉日として、平成二年二月一三日、一四日、二〇日、二一日の打診を受けたが、一三、一四両日は終日出張で不在であり、二〇、二一日両日は推薦入学とその処理で時間がない旨伝えていた。それにもかかわらず、墨ら原告組合員は、同年二月二〇日、いきなり集団で佐屋高校に押しかけ、松永校長に面会を強要し、交渉応諾を要求した。しかし、松永校長はこの時期、学年末の卒業認定、就職、進学、新入生の入試、選抜業務等による多忙のため、予定が立たず、交渉を持つことができなかった。
(二) 地公法五五条の定める職員団体交渉制度と交渉応諾留保の正当理由
ところで、地公法五五条の定める職員団体交渉権は、労働組合法で認められている団体交渉権とは異なり、団体としてその代表者を通じて、苦情、意見、希望、不満を表明し、かつ、これについて十分な話し合いを行い、証拠を提出することができるという意味において、地方公共団体の当局と交渉する自由というに等しいものであって、実質は懇談ともいうべき交渉をするについての権利である。
このような職員団体交渉権の法的性格に照らせば、職員団体からの交渉申入れの際には、その交渉の必要、時期について、交渉が公務(学校運営)に与える影響、交渉をするに際しての職員団体の対応の仕方、代替手段が取られているかどうか等を総合的に考慮して決すべく、公務の繁忙時には、交渉事項との関係において合理的と認められる範囲で、繁忙時を外し、公務に支障なきときに交渉に応ずれば足りるものと解すべきであり、また、その交渉に応ずることによって、公務に支障が生ずることが予想されたり、地公法五五条の本来の目的を達成し得ない恐れがあると判断されるときは、当局は、当該交渉の申入れに対し、その支障や恐れが解消したと認められるときまで、その応諾を留保できるものと解すべきである。
(三) 松永校長の対応に違法性がないこと
(1) 本交渉日を六月二七日に設定したことについて
松永校長が一回目の本交渉日を六月二七日に設定したことは、年度初めの多忙さのため、交渉のための日程が取れなかったことに起因しており、不当に交渉応諾を拒否したものではない。
(2) 六・二七本交渉の実質について
松永校長が一括回答の提案をしたのは、一括回答後、質疑応答の時間をできるだけ多く確保しようとしたものであり、交渉を形式化する意図は全くなかった。また、この提案は、交渉時間が一時間と決定された後に提出された二二項目の内容について整理し、交渉をできるだけスムーズに進行させるための提案として、極めて常識的かつ合理的なものであり、交渉事項のできるだけ多数について予め当局の見解を明らかにすることは原告にとっても利益となる提案であった。
しかし、原告はこれを拒否し、実際には、<1>から<8>までの八項目についてのみ一括回答をなし得たにとどまるが、その後、松永校長は、<1>から<8>について、原告の質疑に誠実に対応し説明している。
したがって、六・二七本交渉が形式だけの見せかけの交渉でないことは明らかである。
(3) 六・二七本交渉後の交渉応諾を留保したことについて
松永校長が二回目以降の交渉応諾を留保したのは、(一)記載の事実経過のとおり、<1>原告が、六・二七本交渉の場においても、松永校長の一括回答の提案を拒否し、地公法五五条の趣旨に則り時間内に円滑に対処しようとする同校長に協力しようとしないばかりでなく、<2>原告には、四月一五日の突然の訪問や、六・二二申入事項の内容、六・二七本交渉の際の態度等から窺えるように、基本的に、平穏かつ自由な雰囲気の中で交渉しようとする真摯な姿勢、態度に欠け、原告の見解と異なる見解が示されると威圧的にこれを追及して一方的見解を押しつけるなどの言動が随所に見られ、地公法五五条の予期する自由な言論と健全な交渉が保障されない恐れがあり、<3>学習合宿反対のビラ配付や組合掲示板の強行設置に見られるように、交渉を求めた事項についても、原告の信ずるところを強行的に実現させようとする姿勢も随所に見られ、それによって現実に校務が阻害されるまでに至ったことから、以上のような状況が改善されない限り、原告との間で交渉を持ったとしても、それによって地公法五五条の予期する目的は達成できないと感じたためである。
以上に加え、原告が申し入れた交渉項目が原告ないしは伊藤から申し立てられた措置要求の対象事項とほとんど重なっており、その審査手続の過程で、原告と学校当局の意見がそれぞれ相手方に開陳され、地公法五五条の予期する本来の目的が実質的には達成されていること、原告の申入れにかかる個々の事項については、松永校長及び県教委がその申入れ時に誠実に対処していることをも考え合わせ、これらをもとに、(二)記載の交渉応諾留保の正当理由の有無を検討すると、松永校長が第一回の本交渉日を六月二七日に設定し、その前後における原告の対応を考慮して二回目以降の交渉応諾を留保したことは、いずれも正当の理由があるというべきである。
仮に、松永校長の態度には正当な理由が認められないとしても、校長が、交渉の応諾を留保できると信じたことには相当の理由があり、違法性の意識がなく、かつ、そのことについての落ち度も存しない。
したがって、いずれにしても、松永校長の対応は、損害賠償の対象となり得べき行為とはいえない。
(県教委関係)
(一) 事実経過
県教委が一一・三〇本交渉を約一時間で打ち切ったのは、予め、原告との間で、交渉時間が一時間と決定されていたためである。
その後、県教委は、平成二年三月六日に原告との間で人事異動の問題について話し合いを持とうとしたが、その際、原告がテープレコーダーによる記録を主張したため、話し合いに入ることができなかった。なお、右話し合い決裂後、原告所属組合員一〇数名が県庁九階教育長室前に座り込み、ハンドマイクを使ってアジ演説を行った。
また、県教委は、同月一五日付け文書により、四月中旬に交渉を持ちたい旨原告に伝え、同年四月一一日、県庁において、県教委の担当者と伊藤、墨との間で、交渉を持つ方向で準備を進めることを確認し、同年五月二日を交渉日と予定して、交渉時間、司会進行役、記録・確認の方法について話し合いを行ったが、折り合いがつかなかった。
その後も、県教委は、同年六月一二日を交渉日と予定して、原告と再度折衝したが、右と同じ点で折り合いがつかず、本交渉に入ることができなかった。
(二) 県教委の対応に違法性がないこと
(一)記載のとおり、県教委は、本交渉予定日を平成二年五月二日及び同年六月一二日の二回にわたって想定し、さらに面談による予備交渉を実施すべく努力していたところ、原告が予備交渉の段階に進んで本交渉の実現に向けて努力することを放棄ないしは拒絶したものにほかならず、本交渉に至らなかった責任はすべて原告にある。
第三争点に対する判断
(松永校長関係)
一 証拠(甲第一ないし第九、第二七、第二八、第三〇号証、乙第一号証、第二号証の一、二、第一一ないし第一三号証、第一八号証の一ないし一二、第一九号証の一ないし八、第二〇号証の一ないし五、第二一号証の一ないし三、第二二号証の一ないし七、第二三号証、検証(第二回)の結果、証人松永美成(第一、二回)、同伊藤忠良、同墨総一郎(第一回)の各証言)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。
1 六・二七本交渉に至るまでの経緯
四月一日付けで佐屋高校に配転されることになった伊藤は、三月二八日、佐屋高校を訪れ、松永校長に、毎週金曜日は原告の執行委員会に出席するため午後学校を出なければならないが、執行委員会出席に当たっては年休扱いにしないで欲しい旨要望したが、松永校長はこれを認めず、年休を取って出席するよう伝えた。四月四日にも伊藤は松永校長に、右の件につき、組合休暇が取れれば組合休暇で出席させて欲しい旨希望を述べたが、松永校長は、組合休暇の取得要件が定かでなかったため、県教委と連絡を取って返事する旨答え、即答を避けた。
四月五日、伊藤の執行委員会出席の件について、原告執行委員長杉本から松永校長に電話があり、毎週金曜日は年休を取らずに出席できるよう、学校としては黙認して欲しい旨依頼があったが、松永校長は、勤務を解くには年休等正当な根拠がなければ認められない旨答えた。
同日午後、伊藤は、同人の執行委員会出席の件等前提事実(一)(1)<1>ないし<7>記載の七項目(四・五申入事項)を交渉事項とする原告の交渉申入書を持参して松永校長に交渉を申し入れた。これに対して松永校長は、「年度初めで学校内外ともに会議が多いので、当分交渉を受ける暇がない。」旨答えた。実際、松永校長の年度初めのスケジュールは、四月五日入学式、六日始業式に始まり、四月には、愛知県立高等学校長会の家庭部会及び農水部会において定例会のほか全県単位の会議と地区合同の会議があるうえ、四月から七月にかけて、愛知県高等学校体育連盟の理事会が二回、サッカー部会が数回予定されていたほか、日本教育会も二、三回予定されており、これらに加えて、毎週月曜日には学校連絡委員会、木曜日には職員会議が行われるなど日程が詰まっていた。
また、松永校長は、四・五申入事項のうち、原告が緊急を要する旨指摘した事項(<1>及び<7>)については、次のとおり個別に対応していた。すなわち、四・五申入事項<1>(原告の執行委員会に伊藤が出席することについて)は、右のとおり、三月二八日、四月四日と伊藤が松永校長に要望していた件と同じであり、伊藤が毎週金曜日午後原告の執行委員会に出席するにつき、年休扱いしないでできれば組合休暇にして欲しいというものであったが、松永校長は、県教委教職員課に問い合わせた結果、教職員組合には組合休暇が認められていないことを知り、四月五日その旨伊藤に回答した。また、四・五申入事項<7>(指導部交通指導における勤務時間等について)は、佐屋高校指導部の担当で四月七日から一三日までの六日間実施が予定されていた学校周辺の通学路における交通指導に伴う時間外勤務を問題とするもので、指導時間が午前八時から八時三〇分までと、午後三時四〇分から四時一〇分までであるところ、佐屋高校の勤務時間の午前の開始時刻が八時三〇分であったことから、交通指導を担当すると三〇分の時間外勤務となること、ところが、交通指導は給特法及び給特条例に定められた時間外勤務を命じることのできる場合に当たらないこと、これら二つの問題点を指摘して、交通指導の中止を求めるものであった。この点について松永校長は、県教委の指導を受け、四月一一日、交通指導を担当する者については、午前の勤務時間の開始時刻を八時とし、翌日の勤務時間を三〇分短縮するという形で勤務時間の割り振り変更を実施した。
四月八日、松永校長は伊藤から、四・五申入事項<1>について緊急に交渉に応じられたい旨の申入れを受け、四月五日同様、「年度初めで学校内外ともに会議が多いので、当分交渉を受ける暇がない。」旨答えたが、四月一三日にも、四・五申入事項<1>につき緊急に交渉に応じられたい旨の交渉申入書(四月一二日付け)が原告から松永校長宛に郵送された。
四月一五日、杉本ほか四名の執行委員が事前の約束も連絡もなしに佐屋高校を訪れ、事務室も経由せず、こもごも「校長交渉を求める。」、「アスクを馬鹿にするな。」などと言いながら校長室に入ってきて、松永校長に交渉に応じるよう要求し、「事前に交渉もしていないので応じられない。」として帰るよう求める松永校長との間で、「帰れ。」、「帰らない、交渉に応じろ。」といったやりとりがなされた。その中で原告側から「警察を呼びたければ呼べ。」というような発言も出た。原告側が訪れた際、松永校長は、校長室で職員と懇談中であったが、松永校長と懇談していた職員らは、右やりとりのうちに校長室から出て行き、事態を聞きつけた教頭二人が校長室に駆けつけるといった有様であった。
事態を収拾するため、松永校長が「今日は交渉日ではないから私は答えないが、話は聞こう。」と言って、原告側を応接セットに座るよう勧めたところ、原告側は、<1>伊藤の金曜日の午後の授業を午前に時間割変更すること、<2>金曜日の午後、伊藤が原告の執行委員会に出席することを黙認すること、<3>火曜日第六限から伊藤が原告の高校部会に出席することを黙認すること、<4>勤務時間外に及ぶ交通当番・下校当番を直ちに中止すること、<5>正式の校長交渉を四月中に実施することを要求し、松永校長に回答を求めた。
松永校長は、<1><2><3>については、いずれも認められない旨(<2><3>については、年休を取って出席されたい旨も)、<4>については、勤務時間の割り振りが遅れたことについて今後気を付ける旨、それぞれ答えた。<5>について、松永校長は、「四月当初は年度初めで、校務並びに校外における校長の仕事が多忙なのでなかなか日程が取れない。いつやれるかの見通しを四月中に返事する。」と回答したが、結局日程が取れなかったため、四月二八日、「公務のため、当分交渉に応じられない。」旨伊藤に伝えた。
原告は、五月九日付け、続いて同月一八日付け交渉申入書を松永校長宛に郵送し、交渉事項として、伊藤の勤務時間の取扱い(四・五申入事項<1>及び<7>を指す。)に、新たに休養室等厚生面に関する問題を加えたうえ、交渉日程の設定を要求したが、松永校長はこれには特に回答をしなかった。
六月一九日から、松永校長と原告執行委員墨との間で、電話による予備交渉が行われ、同月二七日に本交渉を行うことを双方で確認し、交渉時間は午後四時から一時間とすること、交渉人数は、原告側が高校の役員三名、佐屋高校側が校長及び教頭二名計三名とすること、カメラ・録音テープ等を持ち込まないことが決まり、交渉事項については、原告側から改めて事前に文書で示すことが松永校長から提案された。
六月二二日、原告は、松永校長の右提案を受けて交渉事項申入書を松永校長に提出したが、それは、前提事実(二)(2)記載のとおり、<1>原告の執行委員会に伊藤が出席することについて、<2>組合掲示板の設置について(職員室内に設置することを要求する。)、<3>指導部交通指導における勤務時間等について(その違法性を認めること)等二二項目(六・二二申入事項)からなるものであり、これらのうち<5><6><7><8><11><14><15><16><17><18><19><21><22>は、四月以降の原告の交渉申入事項の中にはなかったものであった。
2 六・二七本交渉の実施
六月二七日午後四時から約一時間、原告と学校当局との間で本交渉が行われた。出席者は、原告側三名、佐屋高校側が松永校長と教頭二名計三名であった。
松永校長は、同月二二日に原告から申入れのあった前記二二項目全部について予め回答を用意して交渉に臨み、交渉の初め、二二項目を一括回答したい旨述べたが、原告側がこれに反対し、<1>から<8>に限って一括回答することで双方折り合いがついた。そして、<1>から<8>までについて松永校長が一括回答した後、右回答をめぐって順次質疑応答がなされ、<8>が終わった時点で交渉時間とされた一時間が経過し、<9>から<22>は積み残しとなった。
当日の交渉は概ね平穏に行われたが、交渉事項<2>の組合掲示板の設置について、松永校長が、「これは勤務条件の問題ではないし、愛高教(愛知県高等学校教職員組合)にも認めていない。」旨回答したのに対し、原告側から、「(松永校長が認めなくても)実力行使で作る。撤去したら法的にどういうことになるかわかっているか、校長は首を洗って待っていて下さいよ。」といった趣旨の発言が出た。
交渉終了に当たって、積み残しとなった項目について原告側が交渉継続を要求したところ、松永校長は、「平常の日ではなかなか時間が取れないが、夏休み期間中であれば時間は十分に取れるので交渉に応じる。」旨答えた。しかし、この後九月まで、原告から松永校長に対する交渉申入れはなかった。
3 学習合宿反対のビラ配付と組合掲示板の設置
佐屋高校では、中退者を減らす目的で、平成元年度の行事計画の一環として、成績不振者等問題のあった生徒を対象として、夏休み期間中の一定の時期を選んで合宿させて学習させる、いわゆる学習合宿の実施を計画していたところ、伊藤は、これに反対する「学習合宿をやめさせよう」と題する原告名義のビラを、七月五日佐屋高校の全職員に配布し、同月一二日にはこれを下校中の生徒に配付した。
これにより、学習合宿の対象となった生徒のうち一名が参加を拒否し、参加した生徒の中にも動揺を来した者が出、マスコミから生徒に対するインタビューの申込みも多数あった。保護者の間にも動揺が広がり、PTA役員宅に問い合わせや苦情、不信感を表明する電話が夜遅くまである一方、直接伊藤に苦情を言いに行った保護者もあり、九月のPTA役員会では、学校の方針に反対のビラを校門の外で配った伊藤に対し、苦情、苦言が相次いだ。
また、伊藤は、七月一一日、原告の組合掲示板を松永校長に無許可で職員室に設置し、松永校長が撤去を命じたが従わないため、翌一二日、学校側で撤去したということがあったが、伊藤は、九月七日にも同様の挙に出て、松永校長が撤去を命じたがこれにも従わないため、学校側で撤去した。
4 九月交渉拒否
原告は、九月一一日付け交渉申入書を松永校長宛に郵送し、交渉事項として、<1>伊藤の組合活動に関わる不当労働行為及び<2>年休取得等の勤務条件の確認の二点(九・一一申入事項)を掲げて交渉を申し入れ、九月二一日までに交渉日時を回答することを要求した。これに対し松永校長は、九月三〇日、伊藤に口頭で、交渉に応じることができない旨回答した。松永校長がこのように答えたのは、原告が七月五日、一二日両日に行った学習合宿反対のビラ配付後、生徒に動揺が広がり、保護者からの苦情が相次ぐなど、学校運営上支障を来したことから、このような事態を招いた原告に対する憤りが冷めやらず、原告との交渉に応じるだけの心の余裕を失っていたためであった。
5 二月交渉拒否
九月一一日以後約五か月間、原告から松永校長に対する交渉申入れはなかったところ、平成二年二月三日、伊藤は、年休処理簿の改訂とそれに伴う年休処理の運用の変更について等前提事実(五)<1>ないし<4>記載の四項目(二・三申入事項)を交渉事項とする原告の交渉申入書を持参して松永校長に交渉を申し入れた。
同日午後、松永校長は、墨から電話で、交渉日として、二月一三日、一四日、二〇日、二一日の打診を受けたが、一三、一四両日は終日出張で不在であり、二〇、二一両日は推薦入学とその処理で時間がない旨答えた。
同年二月二〇日昼頃、松永校長は、墨から電話で、当日午後四時以降の面談を求められたが、当日佐屋高校では、午前中に推薦入学の面接が行われ、午後は、同月二二日の合格発表に備えて、松永校長を交えた合否判定会議の開催が予定されていたため、墨にその旨伝えて、当日は面談することができない旨返答した。
ところが、同日午後四時前頃、当日病気を理由に欠勤していた伊藤を初め、杉本、墨ら原告執行委員七名が佐屋高校を訪れ、応対に出た事務長に松永校長との面談を要求した。その際、原告側は、はちまきをし、腕章を付けるなどしたうえ、「校長は交渉に応じろ」と記載のある横断幕様のものを持ち、墨は小型テープレコーダーを持っていた。事務長と原告側が廊下で、「本日は選抜業務があるので面談に応じられない。」、「選抜業務が終わるまで待つ。」といった押し問答をしているのを聞いた松永校長は、廊下に出て、選抜業務中であるから帰るように原告側に言ったが、原告側はこれに応じず、交渉日の決定を要求した。松永校長は、学校が選抜業務で多忙を極めている時期に、しかも、予め当日の日程を説明して面談できない旨伝えてあったにもかかわらず、集団で面談を求めに来た原告側の態度はあまりにも非常識なものであると感じ、「生徒にビラを配り、校務を混乱させるような団体とはまじめな交渉ができないおそれがあると既に答えてある。」旨述べた。
6 その後の経緯
平成二年三月二日、松永校長は、墨から電話で交渉日の打診を受けたが、三月一〇日までは成績会議や選抜委員会があり、その後は二次募集の可能性があって予定が立たないため、その旨墨に答えるということがあったが、それ以降同年七月一八日に本件訴えが提起されるまでの間、原告から松永校長に対する交渉申入れ等はなかった。
その後、松永校長は原告から、同年一一月頃、「原告の執行委員会に伊藤が出席することを黙認しろ。黙認しなければ交渉には応じない。」旨言われたことがあった。
また、松永校長は、同年一二月、原告との間で予備交渉を持ち、同月二八日を交渉日として提案したが、原告からは回答期日に回答はなく、その後になって期日に回答するのを忘れていた旨の電話があるといったことがあったり、平成三年二月には、原告から交渉申入れを受け、同年三月一五日を交渉日として提案したが、原告がこれを拒否するというようなこともあった。
二 ところで、地公法五五条一項は、「地方公共団体の当局は、登録を受けた職員団体から、職員の給与、勤務時間その他の勤務条件に関し、及びこれに付帯して、社交的又は厚生的活動を含む適法な活動に係る事項に関し、適法な交渉の申入れがあった場合においては、その申入れに応ずべき地位に立つものとする。」と規定するが、一方で、地公法は、労働組合法の適用を全面的に排除し(五八条一項)、職員の争議行為を禁止している(三七条一項)。
これは、<1>地方公務員は、地方公共団体の住民全体の奉仕者として、実質的にはこれに対して労務提供義務を負うという特殊な地位を有し、かつ、その労務の内容は、公務の遂行すなわち直接公共の利益のための活動の一環をなすという公共的性質を有するものであって、地方公務員が争議行為に及ぶことは、右のようなその地位の特殊性及び職務の公共性と相容れず、また、そのために公務の停廃を生じ、地方住民全体ないしは国民全体の共同利益に重大な影響を及ぼすか、又はそのおそれがあること、<2>地方公務員の給与、勤務時間その他の勤務条件が法律及び地方公共団体の議会の制定する条例によって定められ(地公法二条、二四条六項)、また、その給与が地方公共団体の税収等の財源によってまかなわれるところから、専ら当該地方公共団体における政治的、財政的、社会的その他諸般の合理的な配慮によって決定されるべきものであることによるものであって、このような場合には、私企業における労働者の場合のように団体交渉による労働条件の決定という方式が当然には妥当せず、争議権も団体交渉の裏付けとして本来の機能を発揮する余地に乏しいという理由に基くものである(最高裁判所昭和五一年五月二一日大法廷判決・刑集三〇巻五号一一八七頁)。
それ故、憲法二八条の定める労働基本権の保障は地方公務員にも及ぶとはいえ、それは地方公務員を含む地方住民全体ないしは国民全体の共同利益のためにこれと調和するように制限されることもやむを得ないというべきであって、その結果として、地公法五五条の定める職員団体と地方公共団体の当局との交渉には団体協約を締結する権利を含まないものとされ(同法五五条二項)、右交渉拒否に対する不当労働行為制度による担保も存在しないものとされているのである(同法五八条一項)。したがって、地公法五五条の定める交渉は、労働組合法六条にいう団体交渉権に基づく団体交渉とは実質的に異なるものといわなければならない。
もっとも、地公法五五条の定める交渉も、理念的には憲法二八条に由来するものというべきであるから、登録を受けた職員団体は、勤務条件の維持改善を図るため、地方公共団体の当局と対等の立場で折衝することができ、当局も、正当な理由がある場合を除いて、交渉の申入れに対して誠実に応ずべきことが期待され、単に、職員団体が当局に対し、勤務条件に関し、苦情、意見、希望、不満を表明することができるにとどまるものということはできず、当局が職員団体との交渉に応ずることを不当に拒否した場合には、同法五五条に反する違法なものとなる余地があると解すべきである。
そして、右違法性の有無は、交渉事項の内容、交渉の必要性の程度、交渉申入れの経緯、交渉申入れに対する当局の対応等諸般の事情に照らし、当局において、職員団体が当局に対し交渉を求める地位を尊重しなければならないという公序に違反したものと評価されるか否かによって判断するのが相当である。
三 以上を踏まえて、本件について松永校長の対応に違法性があるか否か検討する。
1 本交渉日の設定が遅れたことについて
原告は、松永校長が原告の四月当初からの再三の交渉申入れを無視し続け、その態度が六月一八日まで二か月半の長期に及んだとして、これが違法である旨主張する。
しかし、前認定のとおり、松永校長は、伊藤を通じて交渉申入れを受けた都度、伊藤に、「年度初めは学内外で会議が多く、当分交渉を受ける暇がない。」旨述べているのであって、原告の交渉申入れを無視したものではないうえ、実際、松永校長の年度初めのスケジュールは各種会議への出席等で詰まっていたこと、そして、四月当初から原告が緊急交渉を求めていた伊藤の執行委員会への出席の件(四・五申入事項<1>)については、それが適法な交渉事項に当たるか否かはさておき、県教委にも照会したうえ、四月五日の時点では松永校長の最終的な回答を伝えていたこと、指導部交通指導における勤務時間の問題(四・五申入事項<7>)についても、指導期間の途中からとはいえ、勤務時間の割り振り変更を実施し、それなりの対応をしていること、六・二二申入事項<3>(四・五申入事項<7>と同じ)<5><6><9>(四・五申入れ事項<3>と同じ)<10>(四・五申入事項<4>と同じ)については、原告ないし伊藤から申し立てられた措置要求事項と重なり、その審査手続の過程で、原告と学校当局の意見がそれぞれ相手方に示されている結果、それぞれ相手方の意見を確認することができていること、松永校長は、六月一九日以降、原告との間で予備交渉を重ね、六月二七日には本交渉を実施していることに照らせば、松永校長が不当に本交渉日の設定を遅らせたということはできない。
2 六・二七本交渉における松永校長の対応について
原告は、六月二七日に本交渉が実施されたとはいえ、それは形式だけの見せかけの交渉であり、松永校長は不誠実な態度に終始したとして、これが違法である旨主張する。
しかし、松永校長は、予備交渉段階で交渉時間が一時間と決まった後において、原告が交渉事項を七項目(四・五申入事項)から一挙に二二項目(六・二二申入事項)に増やして提示し、しかも、この中には必ずしも勤務条件に該当しないものが多数含まれていたにもかかわらず、原告の提示どおり二二項目全部を交渉事項とすることに同意し、予め二二項目全部について回答を用意し、本交渉当日も、右二二項目のうち<1>から<8>までの八項目を一括回答した後、予定時間まで原告からの質疑に応答し、積み残しとなった<9>以下についても、夏休み期間中であれば交渉に応じる旨答えるなど、それなりの誠意を持って本交渉に臨んでいるものと認められるのであって、これをもって違法であるということもできない。
3 六・二七本交渉後の交渉拒否について
原告は、六・二七本交渉後松永校長が交渉を拒否し続けているのは違法である旨主張する。
しかし、九・一一申入事項<1>(二・三申入事項<3>)、二・三申入事項<4>すなわち六・二二申入事項<9>以下のうち<11><15><16><18><19><22>は、いずれも勤務条件に該当するとは認め難いこと、九月三〇日、松永校長が伊藤に交渉に応じることはできない旨述べたのは、原告が七月五日、一二日両日に行った学習合宿反対のビラ配付後、生徒に動揺が広がり保護者からの苦情が相次ぐなど学校運営上支障を来したことや、組合掲示板の問題が六・二七本交渉の交渉事項となり、その際松永校長が組合掲示板の設置を認めなかったのにもかかわらず、七月一一日、九月七日の二回にわたり原告がこれを強行設置したことに起因しており、これらの事情は、それ自体では交渉拒否の正当な理由となるものではないとはいえ、また、学習合宿の実施や組合掲示板の設置を認めないことの当否はさておき、右のような一連の原告の行動によって松永校長が原告に対し不信感を抱き、原告との交渉を行なうのを厭う気持ちになったのも理解できなくもないこと、また、確かに、松永校長は二月二〇日の原告の交渉応諾要求に対しても、交渉に応じることができない旨述べた事実はあるが、それは、当日午前には推薦入学の面接、午後には合否判定会議が行われており、その旨予め原告に説明して面談要求には応じられない旨伝えてあったにもかかわらず、原告の執行委員が交渉応諾を要求する横断幕様のものを持つなどして集団で押しかけるという、社会一般の常識から見て穏当を欠く行為に出たからであること、実際、松永校長は当時、高校入試の諸事務で多忙を極めていたこと、右九月一一日の交渉申入れから平成二年二月三日の交渉申入れまでの間、原告から松永校長に交渉申入れはなされておらず、その後も同年三月二日から同年七月一八日の本件訴え提起まで原告から松永校長に交渉申入れ等接触はなかったこと、以上の事実に加え、前認定の六・二七本交渉に至る経緯及び平成二年三月以降の経緯に照らすと、松永校長の右対応をもって、原告との交渉を不当に拒否したものと認めることはできない。
四 したがって、その余の点について判断するまでもなく、松永校長の対応について不法行為の成立を認めることはできない。
(県教委関係)
一 まず、原告は、県教委が一一・三〇本交渉の際、次回の交渉日程を決めず交渉の席から立ち去ったことをもって、県教委が原告との交渉を不当に拒否している旨主張するので、この点について判断する。
地公法五五条七項、五項後段によれば、交渉に当たる当局は、予め取り決めた交渉時間の終期が到来したときは、終期の到来とともに交渉を打ち切ることができるのであり、この理は、予め取り決めた交渉の議題のすべてについて交渉が終わっていなくても、また、意見の一致が見られないときでも、同様である。
そうすると、本件では、前提事実及び前記認定事実のとおり、予備交渉において、本交渉における交渉時間が一時間と決まったこと、一一・三〇本交渉は、予備交渉で決まった交渉事項に沿って、すなわち、インフルエンザ接種及び人事異動の問題について順次進められ、県教委が交渉の席を立ったのは、交渉開始後一時間が経過した時点であり、時間切れを理由とするものであったことは明らかであるから、本件は、地公法五五条七項、五項後段により、県教委において交渉を打ち切ることができる場合に当たるというべきである。
したがって、原告の右主張には理由がない。
二 次に、原告は、県教委が一一・三〇本交渉後原告からの再三の交渉再開要求を拒否し続け今日に至っている旨主張するので、この点について判断する。
1 証拠(甲第一〇ないし第一五号証、乙第一四ないし第一七号証、証人内藤六市、同大河原皓視、同墨総一郎の各証言)及び弁論の全趣旨によれば、一一・三〇本交渉後の経緯は次のとおりであったことが認められる。
原告は、平成二年二月一九日付け文書により、一一・三〇本交渉の際に積み残した問題について、県教委に早急に交渉の場につくことを要求した。
これを受けて、同年三月六日、県教委教職員課人事第一係管理主事二名が原告側と面談したが、面談時のテープ録音を要求する原告側との間で話し合いが決裂し、その後、原告側は、県庁の教職員課の前付近に座り込み、ハンドマイクを使ってアジ演説を行うというようなことがあった。
同月一五日、県教委は、同日付け文書により、原告に対し、話し合いの期日として、三月中は日程の調整がつかないが、四月中旬に機会を持ちたい旨、及び実施期日、会の持ち方等について四月上旬に連絡を取りたい旨回答した。
同年四月一一日頃、県教委と原告との間で予備交渉が行われ、同年五月二日に本交渉を行うことが双方で確認されたが、交渉時間、司会、確認方法等については、折り合いがつかなかった。すなわち、原告側は、交渉時間については九〇分ないし一二〇分を、司会については、交渉の機会毎或いは一交渉の前半後半で原告側と県教委側が交代することを、交渉結果の確認方法としては、交渉の都度、交渉結果を文書で確認することをそれぞれ要求したが、県教委側は、交渉時間は一時間とし、司会は県教委側から出すことを主張し、文書確認の方法を取ることについてはこれを拒否した。
そのため、予備交渉の続行期日として、同月二五日が予定日とされたが、原告側の都合で翌二六日に変更され、同日もまた、原告側の都合で廷期された。
同月二六日、原告から県教委宛に「交渉に関する確認書」と題する書面が提出され、同月二八日、県教委教職員課人事第一係大河原管理主事と墨との間で予備交渉を持てないことについて電話でやりとりがなされた後、五月二日の本交渉予定日に原告から県教委宛に「交渉に関する確認並びに要求」と題する書面が提出されるまで、双方の間で何ら接触はなかった。
同年五月二日、同月三〇日、大河原管理主事は、再度交渉日を設定するため墨に電話をかけ、同年六月一二日に本交渉を行うことが双方で確認され、同月五日から八日にかけて、大河原管理主事は墨に電話で予備交渉に向けて催促をしたが、同月八日、墨から電話で、原告執行委員会の結論として、予備交渉を持つことはできない旨の回答を得た。
2 以上の事実によれば、県教委が一一・三〇本交渉後原告からの再三の交渉再開要求を拒否し続けているという事実は認められず、むしろ、原告との交渉を実施すべく予備交渉の段取りを進んで調整しているのを原告側で拒否した事実が認められ、これに、交渉時間、司会、交渉結果の確認方法についての県教委の提案があながち不合理なものとはいえないことも加味すれば、県教委が原告との交渉を不当に拒否したものとは到底いえないというべきである。
三 したがって、その余の点について判断するまでもなく、県教委の対応について不法行為の成立を認めることはできない。
第四結論
以上によれば、原告の本訴請求は、いずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 熊田士朗 山本剛史 西理香)