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名古屋地方裁判所 平成23年(ワ)5927号 判決 2014年9月05日

原告

X1

同法定代理人親権者父兼原告

X2

同法定代理人親権者母兼原告

X3

原告ら訴訟代理人弁護士

渥美雅康

渥美玲子

向井小百合

山下陽平

被告

東海市

同代表者市長

同訴訟代理人弁護士

田口勤

菊池龍太

杉浦理絵

主文

一  被告は、原告X1に対し、一億三二三五万二八〇三円及びこれに対する平成二三年一〇月一二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告は、原告X2及び原告X3に対し、それぞれ二二〇万円及びこれに対する平成二三年一〇月一二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

四  訴訟費用は、これを一〇分し、その一を原告らの負担とし、その余を被告の負担とする。

五  この判決は、第一項及び第二項に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

一  被告は、原告X1に対し、一億四五三二万九二四〇円及びこれに対する平成二三年一〇月一二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告は、原告X2及び原告X3に対し、それぞれ四四〇万円及びこれに対する平成二三年一〇月一二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  訴訟費用は被告の負担とする。

四  仮執行宣言

第二事案の概要

本件は、被告の開設するa病院(以下「被告病院」という。)において重症新生児仮死の状態で出生した原告X1(以下「原告X1」という。)に脳性麻痺等の後遺症が残ったことについて、原告並びにその両親である原告X2(以下「原告X2」という。)及び原告X3(以下「原告X3」という。)が、①陣痛促進剤投与判断に係る注意義務違反、②陣痛促進剤投与量に係る注意義務違反、③分娩監視に係る注意義務違反及び④蘇生措置に係る注意義務違反を主張して、被告に対し、診療契約上の債務不履行による損害賠償請求権に基づき、原告X1について、一億四五三二万九二四〇円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成二三年一〇月一二日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を、原告X2及び原告X3について、各四四〇万円及びこれに対する同日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める事案である。

一  前提事実(当事者間に争いのない事実並びに書証及び弁論の全趣旨により明らかに認められる事実)

(1)  当事者等

ア 原告X1は、原告X2及び原告X3の子である。原告X1及び原告X2の国籍はブラジルであり、原告X3の国籍はボリビアである。

イ 被告は、被告病院を開設する地方公共団体である。

(2)  事実経過の概要

ア 原告X3の妊娠等

原告X3は、妊娠したため、平成一九年一〇月一〇日、被告病院を受診し、以後、継続的に被告病院で妊婦検診を受けていた。

イ 平成二〇年○月○日の経過(以下、本判決において、時刻のみ記載している場合は、平成二〇年○月○日の出来事をいう。なお、時刻の表記は二四時間制とする。)

(ア) 被告病院への入院

原告X3は、四時頃、自宅で前期破水(陣痛発来前におこる破水)を生じ、四時五〇分頃、被告病院産婦人科に入院した。

被告病院産婦人科B医師(以下「B医師」という。)は、八時頃、原告X3を診察し、陣痛促進剤であるプロスタグランジンF2α(製品名「プロスタルモン・F注射液一〇〇〇」。以下「プロスタルモン・F」という。)の投与を指示し、一〇時頃から、原告X3に対しプロスタルモン・Fの投与が開始された。

原告X3は、一四時四〇分頃、徒歩にて分娩室に入室した。

原告X3は、一六時一三分頃に排臨(陣痛発作時には胎児先端部が陰裂間に見えるが、陣痛間欠時には、先端部が上方に後退して見えなくなる状態)となり、B医師は、一六時二〇分頃に呼び出されて、分娩処置にあたった。

(イ) 原告X1の出生及び蘇生措置

原告X1の児頭が娩出されたところ、頸部に臍帯の巻絡が一回認められたため、B医師は、臍帯を止血切断し、原告X1は、一六時三六分に出生した(後記のとおり、臍帯切断の時刻については争いがある。)。

原告X1は、出生時、啼泣なし、自発呼吸なし、皮膚色全身蒼白、及び筋緊張なしなどの所見が得られたので、B医師は、背部刺激、バッグ&マスクによる換気を開始し、被告病院小児科C医師(以下「C医師」という。)が呼び出された。

C医師は、バッグ&マスクによる換気を行った後、気管挿管を実施し、メイロン一〇ccを注射した。さらに、C医師は、胸部X線レントゲン撮影を行い、同撮影結果に基づき、挿管した気管チューブの位置を修正し、固定した。

上記措置によっても、原告X1に自発呼吸は認められず、筋緊張の低下が続いたため、C医師は、転院を決断し、一七時二〇分、救急隊に連絡がされ、原告X1は、藤田保健衛生大学病院に搬送された。

(ウ) 藤田保健衛生大学病院での措置

原告X1は、藤田保健衛生大学病院新生児集中治療室(NICU)に入院となり、人工呼吸管理が開始された。原告X1は、重症新生児仮死及び低酸素性虚血脳症(hypox-ic ischemic encephalopathy(HIE))と診断され、さらに、下顎の振戦及び下肢の強直が認められ、頭部CT検査で、硬膜下血腫及び脳浮腫が認められたため、これらに対する治療が開始された。

ウ 平成二〇年五月二二日以降の経過等

(ア) 原告X1は、翌平成二〇年五月二二日に人工呼吸器から離脱し、平成二〇年六月八日に、退院後も低酸素性虚血性脳症のフォローアップを行うこととして、藤田保健衛生大学病院を退院した。

(イ) 原告X1の障害

原告X1は、藤田保健衛生大学病院において、障害固定日を平成二二年五月頃として、脳性麻痺と診断された。

(3)  本件に関する医学的知見

ア 胎児心拍数図の読み方とその意義

(ア) 胎児心拍数基線

一〇分の区画におけるおおよその平均体重心拍数であり、五の倍数として表す。一五二bpm(beat per minute)、一三九bpmという表現は用いず、一五〇bpm、一四〇bpmと五bpm毎の増減で表す。判定には、

① 一過性変動の部分

② 二六bpm以上の胎児心拍数細変動の部分を除外する。また、

③ 一〇分間に複数の基線があり、その基線が二六bpm以上の差を持つ場合は、この部分での基線は判定しない。

一〇分間の区画内で、基線を読む場所は少なくとも二分以上続かなければならない。そうでなければその区画の基線は不確定とする。この場合は、直前の一〇分間の心拍数図から判定する。

a 頻脈

心拍数基線が一六〇bpmを超えるものが頻脈と定義される。

b 徐脈

心拍数基線が一一〇bpm未満のものを徐脈とする。高度、軽度の分類は、原告X1の出生時点で、日本では定義されていない。

(イ) 胎児心拍数一過性変動

a 一過性頻脈

心拍数が開始からピークまで三〇秒未満の急速な増加で開始から頂点までが一五〇bpm以上、元に戻るまでの持続が一五秒以上二分未満のものをいう。三二週未満では心拍数増加が一〇bpm以上、持続が一〇秒以上のものとする(頻脈の持続が二分以上、一〇分未満のものは遷延一過性頻脈と呼ぶ。)。

一過性頻脈は、妊娠中にみられることが多く、分娩中は早期に多い。胎動、子宮収縮、内診などの刺激、臍帯圧迫に伴って認められ、一過性頻脈が存在することは、胎児の生理的反応が維持されていることを意味するが、分娩中はそれが認められないからといって必ずしも胎児の状態が悪化していることを示す訳ではない。

b 一過性徐脈

一時的に心拍数が減少した後、基線に回復するパターンをいう。子宮収縮に関連して生じることが多いが、そうでないものも存在する。一過性徐脈は分娩中しばしばみられ、その分類は胎児の状態を評価するのに重要である。

(a) 早発一過性徐脈

子宮収縮に伴って、心拍数減少の開始から最下点まで三〇秒以上の経過で穏やかに下降し、その後子宮収縮の消退に伴い元に戻る心拍数低下で、その一過性徐脈の最下点と対応する子宮収縮の最強点の時期が一致しているものをいう。その心拍数減少は、直前の心拍数より算出される。一時的な臍帯圧迫でも生じることが報告されているが、低酸素状態やアシドーシス(酸血症)を示唆するパターンではなく胎児機能不全とは診断しない。

(b) 遅発一過性徐脈

子宮収縮に伴って、心拍数減少の開始から最下点まで三〇秒以上の経過で穏やかに下降し、その後子宮収縮の消退に伴い元に戻る心拍数低下で子宮収縮の最強点に遅れて一過性徐脈の最下点を示すものをいう。その心拍数減少は、直前の心拍数より算出される。ほとんどの症例で、一過性徐脈の下降開始・最下点・回復が、おのおの子宮の収縮の開始・最強点・終了より遅れて出現する。

(c) 変動一過性徐脈

一五bpm以上の心拍数減少が三〇秒未満での経過で急速に起こり、その開始から元に戻るまで一五秒以上二分未満を要するものをいう。子宮収縮に伴って出現する場合は、その発現は一定の形をとらず、下降度、持続時間は子宮収縮ごとに変動する。

(d) 遷延一過性徐脈

心拍数の減少が一五bpm以上で、開始から元に戻るまでの時間が二分以上一〇分未満の徐脈をいう。それ以上持続する場合は徐脈と診断される。原因がなくなり単発で正常パターンに回復する時は児の予後はよいことが多いと報告されているが、急速遂娩に踏み切るかどうかは現場の状況により決定されるべきである。

(ウ) 胎児心拍数基線細変動(以下、単に「基線細変動」という。)

一分間に二サイクル以上の胎児心拍数の変動であり、振幅、周波数とも規則性がないものをいい、振幅の大きさによって次のaないしdの四段階に分類される。

a 細変動消失

肉眼的に振幅が認められない。

b 細変動減少

振幅が五bpm以下。

c 細変動中等度

振幅が六~二五bpm。

d 細変動増加

振幅が二六bpm以上。

基線細変動の減少・消失は胎児機能不全の最も重要な指標であり、①胎児のアシドーシス、②母体への薬剤投与、③胎児疾患、④在胎週数の早い胎児、⑤胎児のノンレム睡眠を考える必要があり、②~⑤が否定されたときは胎児機能不全と診断される。

イ 脳性麻痺

脳の発育期に生じた不可逆性の脳障害で、非進行性の病変をもち、その症候は、運動系の機能障害を基本とし、多くが三歳までに発症する。具体的には、新生児期までに生じる脳障害を一般に指す。原因は、障害の生じる時期により、出生前、出生時、出生後に分ける。出生前原因には、胎内感染、胎盤機能不全、胎児期の脳血管障害、遺伝性などのものがあり、出生時原因には、分娩時の機械的損傷、脳出血、無酸素症、低酸素症、脳循環障害などがあり、出生後原因には、重症黄疸(核黄疸)、頭蓋内感染症、脳出血などがある。

ウ 低酸素性虚血脳症(HIE)

仮死を主とした原因で起こってくる低酸素・虚血・虚血後再灌流により、脳細胞の循環・代謝に障害をきたすものである。周産期の仮死によりHIEは、①虚血・低血圧の重症度、②受傷時の脳成熟度、③受傷の長さにより脳病変のパターンが異なる。新生児脳は低酸素に対してきわめて強く、ほとんどのHIEは脳低灌流によって生じるとされている。虚血・低血圧の程度により病態は、プロロング型仮死(prolonged asphyxia)とプロファウンド型仮死(pro-found asphyxia)に分けられる。

(ア) プロロング型仮死

低灌流が遷延する状態により生じ、深部は保たれ、脈絡膜分水嶺(wartershed zone)や灰白質が障害される。未熟児では脳室周囲が受傷しやすいが、三四~三六週頃の脳血管構築の発達により皮質下白質や皮質に受傷部位が変わる。

(イ) プロファウンド型仮死

心停止や胎盤早期剥離にみられるような著明な低血圧で脳血流が完全に途絶した状態による病変で、主に脳幹、深部灰白質が障害される。未熟児・成熟児とも、より代謝が高くシナプス密度の高いところから障害されると考えられ、妊娠八~九か月前半までは視床・脳幹が、九か月ではこれにレンズ核が加わる。四〇週近くなると視床外側部、レンズ核、海馬と皮質脊髄路がもっとも障害を受けやすい。

エ 脳性麻痺の診断基準としての分娩中の低酸素脳症の診断基準

平成一一年に英国医学会誌に発表されたInternational Cerebral Palsy Task Forceの共同声明「急性に発生した分娩中の事象と脳性麻痺との原因関係診断要項」には、脳性麻痺の原因としての分娩中の低酸素脳症の診断基準のうち、全て満たす必要がある基本診断項目として、次の四つが挙げられている。

① 臍帯動脈血中に代謝性アシドーシスの所見が認められること(pH<七かつ不足塩基量≧一二mmol/L)

② 三四週以降の出生早期にみられる中等ないし重症の新生児脳症

③ 痙性四肢麻痺型及びジスキネジア型脳性麻痺(痙性四肢麻痺に比べれば頻度は少ないが運動異常を伴う脳性麻痺)

④ 外傷、凝固系異常、感染、遺伝的疾患などの病因が除外されること

二  争点

(1)  プロスタルモン・F投与の判断に係る注意義務違反の有無

(2)  プロスタルモン・F投与量に係る注意義務違反の有無

(3)  分娩監視に係る注意義務違反の有無

(4)  蘇生措置に係る注意義務違反の有無

(5)  因果関係

(6)  損害

三  争点に対する当事者の主張

(1)  プロスタルモン・F投与の判断に係る注意義務違反の有無

(原告らの主張)

ア プロスタルモン・Fを含む陣痛促進剤は、過強陣痛や子宮破裂及び胎児仮死など重大な副作用のある危険性の高い薬剤であるので、陣痛促進剤を使用する場合には、母体及び胎児の状態を十分観察して、投与の有効性及び危険性を考慮したうえで、慎重に適応を判断する必要がある。

イ 妊娠三七週以降の前期破水の場合、約八〇%の症例においては、二四時間以内に陣痛が発来し、分娩に至ることから、分娩待機とする方法が一般的であって、子宮内感染所見、胎児心拍数モニタリング所見及び陣痛の有無を観察しつつ、自然陣痛の発来を待ち、二四時間が経過しても陣痛が発来しない場合に陣痛誘発を試みるとされている。

ウ 原告X3は、四時頃、自宅で破水し、四時五〇分頃、被告病院に入院したが、当時、妊娠三八週を過ぎており、胎児心音も良好で、五分から六分間隔に陣痛があるなど正常な状態であり、六時頃には、羊水流出も収まってきていた。以上の所見からすれば、本件で原告X3にプロスタルモン・Fが投与された一〇時時点では、未だ前期破水から二四時間が経過しておらず、感染所見も認められないのであるから、陣痛促進剤投与の必要性はなかった。

エ 以上のとおり、原告X3には、陣痛促進剤投与の必要性は認められない上、陣痛促進剤には、胎児機能不全等の重大な副作用があるところ、B医師には、原告X3に対し、事前に、陣痛促進剤投与についての必要性と危険性を十分に説明し、同意を得た上で、陣痛促進剤を投与すべき注意義務があった。

オ しかるに、B医師は、これを怠り、原告X3に対し、陣痛促進剤投与の必要性及び危険性についての十分な説明をしないまま、一〇時頃から、プロスタルモン・Fを投与し、上記注意義務に違反した。

被告は、B医師が八時に回診した際に、遷延分娩による母児感染のリスクがあるため陣痛促進剤を使用すると説明し、原告X3の同意を得たと主張する。しかし、原告X3は外国人であり、日本語を十分に理解できなかったのであるから、上記の説明を行うにあたっては、母国語の文書による説明と同意は不可欠であったにもかかわらず、文書による説明は行われておらず、これに基づく同意も得られていない。仮に、被告の主張を前提として、日本語による口頭の説明で足りるとしても、B医師は、遷延分娩による母児感染のリスクについて説明しただけで、陣痛促進剤投与の副作用について何も説明していないのであるから、十分な説明に基づく原告X3の同意があったとは認められない。

(被告の主張)

ア 原告X3が自宅で破水して被告病院に入院したこと、原告X3は当時妊娠三八週を過ぎていたこと及び胎児心音が良好であったことは認めるが、羊水については、量は減ったものの、流出は続いていた。また、原告X3には、前期破水の直後である入院時は、五分から六分間隔の陣痛が認められたが、被告医師が回診した八時頃には、陣痛はほぼ消失しており、遷延分娩となることが予想された。以上の所見から、原告X3には、同時点で、陣痛促進剤を投与する必要性が認められた。その後、この状態が約二時間続いており、かかる場合に遷延分娩と確定診断できるまで陣痛促進剤の投与を待つことは、かえって感染症が発生するリスクを高めることになる。

日本産科婦人科学会・日本産婦人科医会が作成する「産婦人科診療ガイドライン二〇〇八」(以下「ガイドライン二〇〇八」という。)にも、「妊娠三七週以降の前期破裂において、分娩誘発は、自然陣発を期待しての待機に比べ、新生児感染率や帝王切開率にほとんど差が認められないが、絨毛膜羊膜炎や分娩後の母体発熱を減少させる。したがって、分娩誘発の方が望ましいと考えられるが、分娩誘発と待機両群の違いは大きいものではなく、いずれも選択肢となる。ただし、待機時間が長いと子宮感染が懸念される。」と記載されており、待機時間が長い場合には、陣痛促進剤の投与が望ましいことは明らかである。

イ また、B医師は、八時に原告X3を診察した際、外国人である同原告に配慮して、分かりやすい言葉を使いながら、遷延分娩による母児感染のリスクがあるため、陣痛促進剤を使用すること、過強陣痛を起こす可能性もあり、その場合は対処することを説明し、同意を得た。したがって、B医師には、プロスタルモン・F投与判断に係る注意義務違反は認められない。

仮に、B医師の説明に不十分な点があったとしても、原告X3には、陣痛促進剤の投与の医学的適用があったことに変わりはないから、B医師には、プロスタルモン・F投与判断に係る注意義務違反は認められない。

(2)  プロスタルモン・F投与量に係る注意義務違反の有無

(原告らの主張)

ア プロスタルモン・Fを含む陣痛促進剤を投与するためには、母体が、分娩準備状態にあり、子宮頸管が熟化している状態でなければならず、具体的には、ビショップスコア(Bishop score。妊産婦の内診所見の評価方法。分娩準備状態や分娩開始の切迫度を数量化し、判別しようとする方法である。)が七点以下の症例では、陣痛促進剤投与の前に、頸管の熟化を図るべきである。ガイドライン二〇〇八にも、「注意点」として、プロスタルモン・FなどのプロスタグランジンF2α製剤を「頸管熟化不良な症例に使用する場合」、「Bishop score 七点以下の症例では頸管の熟化を図り、Bishop score 八点以上熟化してから誘発を開始するのが望ましい」と記載されている。

本件では、ビショップスコアが七点であって、頸管の熟化が不十分な状態であるにもかかわらず、過剰な陣痛促進剤が投与されている。

イ プロスタルモン・Fは、使用説明書において、ごく少量からの点滴より開始し、陣痛の状況により徐々に増減することとし、妊娠末期における使用には、通常一mlから二mlを成分量として〇・一μg/kg/分の割合で静注することと記載されている。また、プロスタルモン・FなどのプロスタグランジンF2α製剤は、ガイドライン二〇〇八において、三〇〇〇μgを五%糖液五〇〇mlに溶解して投与する場合には、開始時投与量を〇・五~二・〇μg/分(五・〇~二〇ml/時間)とすると定められている。さらに、プロスタルモン・Fは、日本産科婦人科学会・日本産婦人科医会作成に係る「子宮収縮薬による陣痛誘発・陣痛促進に際しての留意点(改訂二〇一一年版)」(以下「留意点二〇一一」という。)でも、開始時投与量は、一・五~三・〇μg/分(一五~三〇ml/時間)と定められていた。

したがって、被告病院医師は、上記の基準に従って、原告に対し、プロスタルモン・Fを投与すべき注意義務があった。

ウ しかるに、B医師は、これを怠り、使用説明書が定める用量を超える三mlを投与し、しかも、開始投与量が一〇〇ml/時間と、留意点二〇〇六の一・五倍、ガイドライン二〇〇八の五~二〇倍、留意点二〇一一の三~七倍であり、上記注意義務に違反した。

(被告の主張)

ア ビショップスコアは、入院時である四時五〇分頃には、六点であったが、B医師が内診を行った八時の時点では、八点であった。すなわち、展退「八〇%」で三点、他に頸管開大度「二cm」で一点、児頭の位置「-三cm」で〇点、子宮口の位置「前」で二点及び頸部の硬度「軟」で二点の合計八点であった。したがって、原告X3の頸管は、陣痛促進剤が投与できる程度に熟化していたといえる。

ガイドライン二〇〇八には、ビショップスコアが七点以下の症例では、頸管の熟化を図り、八点以上熟化してから誘発を開始するのが望ましいとの記載はあるが、同記載は、「解説」の中に注意点として小さく記載され、語尾も「望ましい」と表現されるにとどまるもので、絶対的な基準ではない。また、日本産婦人科学会・日本産婦人科医会作成に係る「子宮収縮薬による陣痛誘発・陣痛促進に際しての留意点(平成一八年七月版)」(以下「留意点二〇〇六」という。)には、「資料一」として、「カナダの分娩誘発に関するガイドラインではBishopスコアが六点以下では陣痛促進剤使用前に薬剤か機械的方法による頸管熟化を図ることが必要であると述べられている。」との記載があり、陣痛促進剤投与には、ビショップスコアが七点以上である必要はない。

イ B医師が、使用説明書やガイドラインに記載された数値より多い量で陣痛促進剤の投与を開始したことは認めるが、それを超えた量による用法が禁止されているわけではなく、維持量や総投与量は、医師の裁量の範囲内での用法である。

陣痛促進剤の投与量は、プロスタルモン・Fの使用説明書に記載されているとおり、「病症により適宜増減する。」のが通常であり、現在では、留意点二〇一一に記載されているとおり、三mL=三〇〇〇μgを五%糖液あるいは生理食塩水五〇〇mLに溶解して使用することが通常である。また、留意点二〇一一の改正前の版である留意点二〇〇六には、体重を考慮した用法が記載されていたが、留意点二〇一一には、その用法の記載が削除されており、このことからも、体重を考慮した用法は確立した基準とはいえない。

ウ よって、原告らの主張するような頸管の熟化不十分な状態で陣痛促進剤を過剰に投与した注意義務違反は存在しない。また、原告X3以外の妊婦達が問題なく出産してきたことに照らすと、投与量が使用説明書及びガイドラインを超えたことが直ちに胎児仮死、脳性麻痺の結果をもたらすとは考えられず、結果との因果関係も認められない。

(3)  分娩監視に係る注意義務違反の有無

(原告らの主張)

ア 一四時過ぎの注意義務違反

本件では、プロスタルモン・Fの投与を始めるまで、胎児の異常を示す所見はなかったが、プロスタルモン・Fを投与して一時間が経過した一一時の時点で、遷延一過性徐脈が出現した。その後、一過性頻脈はほとんどなくなり、基線細変動も小さなものとなっていた。さらに、一四時過ぎには、四分以上にもわたる遷延一過性頻脈が出現した。これらは胎児の低酸素状態を示唆する徴候であるから、被告病院の助産師及びB医師は、この時点で、直ちに、陣痛促進剤の投与を中止し、酸素投与、母体体位転換を行って、胎児の状態が改善するかの様子を見るべきであった。

しかるに、被告病院の助産師及びB医師は、そのような措置を何もとらず、かえって、午後二時一五分以降は、陣痛促進剤をさらに増量して投与し続けた。

イ 一五時一三分以降の注意義務違反

本件では、一五時〇五分から、遅発一過性徐脈ないし変動一過性徐脈が繰り返し現れるようになり、一五時一三分以降は、高度の遅発一過性徐脈も現れた。かかる所見から、被告病院の助産師及びB医師は、胎児機能不全と診断の上、「監視の強化、保存的処置の施行及び原因検索」、具体的には、陣痛促進剤の投与停止、母体体位変換及び酸素投与等の処置を行うべき注意義務があった。

しかるに、被告病院の助産師及びB医師は、これを怠り、上記注意義務に違反した。

ウ 一五時四〇分頃の注意義務違反

本件では、一五時四〇分頃から、基線細変動の減少ないし消失を伴う高度遅発一過性徐脈が現れていた。したがって、被告病院の助産師及びB医師は、いかに遅くとも、この時点で、「保存的処置の施行及び原因検索、急速遂娩の準備」、具体的には、母体体位転換、陣痛促進剤の投与停止をまず行い、並行して急速遂娩の準備を行うべき注意義務があった。

しかるに、被告病院の助産師及びB医師は、これを怠り、一五時四〇分頃に酸素投与を行った以外の対応はとらなかった。

エ 一五時四五分の注意義務違反

本件では、一五時四五分頃には、基線細変動の減少を伴う二回目の遅発一過性徐脈が出現していたのであるから、被告病院医師は、遅くとも、この時点で、急速遂娩(緊急帝王切開)を実施すべき注意義務があった。

しかるに、被告病院医師は、これを怠り、上記注意義務に違反した。

(被告の主張)

ア 一四時過ぎの注意義務違反について

本件では、一四時〇七分頃から一一分頃にかけて一過性頻脈が生じているが、低酸素を示唆する所見ではなかった。仮に、この時点で既に低酸素状態に陥っていたとすれば、臍帯血PHが七・一二一という高い数値を示すことはあり得ない。したがって、原告らの主張する注意義務違反は認められない。

イ 一五時一三分以降の注意義務違反について

本件では、一五時を過ぎた頃から、一過性徐脈が出現しているところ、一過性徐脈の出現は、胎児に何らかのストレスがかかっていたことを推測させる。しかし、徐脈の出現だけでなく、基線細変動の評価が胎児の状態を評価するには重要であるとする考え方が標準的であるところ、一六時〇五分頃までは、中等度の基線細変動が認められるから、急速遂娩を要する胎児機能不全の状態に陥っていたことはないといえる。したがって、原告らの主張する注意義務違反は認められない。

ウ 一五時四〇分頃の注意義務違反について

原告X1の脈拍が、一五時三〇分頃、九〇台に下がったことがあったため、酸素投与が行われている。また、本件では、一五時四〇分から五〇分にかけて徐脈の出現はあるが、軽度のものであったし、基線細変動も認められ、胎児の低酸素状態を示唆する所見ではなかった。したがって、この時点においても、経過観察が妥当であり、原告らの主張する注意義務違反は認められない。

エ 一五時四五分頃の注意義務違反について

一六時〇五分までは、中等度の基線細変動が認められるのであるから、同時点までは、急速遂娩を要するような胎能機能不全に陥っていたことはない。

なお、一六時〇五分には、基線細変動の減少を伴う一過性徐脈がみられ、これは、胎児機能不全の徴候ともいえる。しかし、そこで、急速遂娩に移行すべきか否かは、分娩の進行状況によるところ、本件では、一四時一五分頃から一五時には、子宮口四~五cmの状態が続いていたのに対して、一五時一五分には、子宮口八cm、一五時四四分には、全開大と、分娩は、一五時以降急速に進行していた。しかも、一六時〇五分以降に、基線細変動の減少が生じていたとして、現場でこれを認識できるようになるのは、心拍数基線の定義からすると、早くても一六時一〇分から一五分頃である。ところが、その頃には、既に排臨、つまり、児頭が見え隠れする状態まで進んでいた。これらの経過を踏まえると、自然に娩出させる選択も、十分合理的であり、急速遂娩をしなかったからといって、注意義務違反はない。

(4)  蘇生措置に係る注意義務違反の有無

(原告らの主張)

ア 娩出に係る注意義務違反

(ア) 原告X1は、一六時三〇分、臍帯が頸部に一回巻絡していることが判明したが、そのような場合でも、無理に巻絡を解除したり、巻絡した臍帯を切断したりせずに、胎児を娩出させてから巻絡を解除すべきであった。しかるに、B医師は、これを怠り、児頭娩出時に、臍帯を切断した。

(イ) 仮に臍帯切断がやむを得なかったとしても、臍帯を切断した以上は、胎児が酸欠状態に陥る危険があり、特に、原告X1は胎児心拍数波形に異常が見られ、胎児の低酸素状態がうかがわれるのであるから、臍帯切断後、速やかに娩出すべきであった。また、原告X1は、肩甲難産であったところ、McRoberts法(妊婦の太股を腹部の方に屈曲させて骨盤の入口角を減らす方法)又はWoods法(術者の手を腹側から児の後在の肩甲の下に入れ、恥骨に向けて回旋させる方法)などの手法を用い、原告X1の速やかな娩出を図る必要があった。しかるに、B医師は、これを怠り、臍帯切断後、原告X1の娩出まで六分間を要した。

被告は、原告X1は、肩甲難産の解除法が必要な状態ではなかったと主張するが、児頭娩出後から一分以上経過しても体幹が娩出されないものは肩甲難産にあたるとされているところ、原告X1は、児頭娩出から娩出まで六分を要しているので、まさに肩甲難産にあたり、その解除法が必要であった。

イ 気管挿管時期に係る注意義務違反

(ア) 新生児仮死の場合の心肺蘇生の手順については、生後三〇秒までに心拍数、呼吸状態、皮膚色について判定し、生後六〇秒には具体的な蘇生治療を開始しなければならず、無呼吸もしくは、心拍数一〇〇bpm未満の徐脈が認められた場合には、直ちにバッグ&マスクによる陽圧換気下に一〇〇%酸素投与を開始することとされているが、バッグ&マスクによる陽圧換気を三分間施行しても、無呼吸、徐脈(六〇から一〇〇bpm)、呼吸窮迫症状から回復できないときは、気管内挿管の適応とされており、必要と認められたときに気管内挿管を躊躇してはならない。

(イ) 本件では、バッグ&マスクによる陽圧換気を三分間施行しても、無呼吸、徐脈(六〇から一〇〇bpm)、呼吸窮迫状態から回復できない状態であったのであるから、蘇生開始までに一分を要するとしても、遅くとも出生四分後には、気管挿管を施行すべきであった。また、出生五分後のアプガースコア(新生児の出生時の状態をあらわす点数法で、皮膚の色、心拍数、反射興奮性、筋緊張及び呼吸努力の五号木について、各項目に〇~二点の採点を行い、その結果を合計する。)と児の神経学的な予後とは相関があるとされ、出生五分後のアプガースコアが五点以下の場合、予後不良が多いとされていることからすると、出生五分以内に児の状態の改善に最善の努力をすべきであり、この点からも、適切な時期に気管挿管を行うべきであった。

(ウ) しかるに、被告病院医師は、これを怠り、一六時三六分に原告X1を娩出した後、背部刺激やバッグ&マスクによる蘇生措置を開始したが、一六時四五分に至るまで、気管挿管を行わなかった。

ウ 気管挿管位置に係る注意義務違反

(ア) 気管の挿管の深さについては、体重三kgの新生児の場合、九cmが目安とされているため、C医師は、気管を挿管する際、九cmの位置に気管を固定すべき注意義務があった。また、挿管位置については、胸部X線写真で最終確認することとされているが、不適切な挿管位置のまま長時間経過するなら緊急に行われるべき蘇生措置の意味がないから、C医師は、気管挿管後、速やかに胸部X線写真による最終確認を行うべき注意義務があった。

(イ) しかるに、C医師は、これを怠り、一六時四五分に挿入長一一cmで気管を固定し、その後、一七時一五分に至るまで、胸部X線写真による最終確認を行わなかったため、約三〇分間、片肺挿管の状態が続いた。

(被告の主張)

ア 娩出に係る注意義務違反について

(ア) 通常は、臍帯は娩出後に切断し、臍帯巻絡が判明した場合も、娩出が可能であれば娩出させてから解除する。しかし、臍帯がきつく巻き付いてそのままの状態で娩出させることができない場合等には、先に臍帯を切断して解除するものであり、B医師が児頭娩出時に臍帯を切断したことに注意義務違反は認められない。

(イ) 臍帯切断後、助産師は、通常のとおり、怒責をかけずに肩甲を娩出しようと試みたが、娩出しないため、すぐ、怒責誘導をした。すると、娩出が進行してきたのであるから、肩甲難産の解除法が必要な状況ではなく、助産師はB医師に解除を依頼することはなかった。B医師も、分娩が進行しないようであれば、解除をいつでも交代できる態勢で見守っていたが、分娩が進行していたので、引き続き見守った。「深呼吸して」「いきんで」などの日本語が原告X3に通じたので、助産師がこういった声をかけて怒責を誘導していると分娩がさらに進行し、怒責が有効であると判断されたため、怒責を継続した結果、分娩に至った。この過程において、B医師に注意義務違反はない。

また、原告は、臍帯を切断した後、娩出までに六分間を要したと主張するが、臍帯を切断した後、娩出までに要した時間は、約三分半であったと考えられる。すなわち、①分娩経過記録によると、娩出の時間は一六時三六分、臍帯切断の時間は一六時三〇分と記録されているところ、前者は、助産師が壁掛け時計で確認した確実な時間であるが、後者は、事後的に分娩経過記録に記載しただけのものと考えられること、②分娩監視装置の記録をみると、一六時三三分過ぎに胎児心拍数曲線が平坦になっており、そのころ分娩監視装置が母体から外されたことがわかるところ、分娩監視装置は、通常、分娩終了と同時に外されるので、分娩監視装置の記録上一六時三三分過ぎと記録されている時点は、実際には一六時三六分であり、分娩監視装置は、約三分間遅れていたと考えられること、③分娩監視装置の記録によると、一六時二九分頃、胎児心拍数が振り切れており、これは、臍帯切断の動作に伴うノイズであると考えられることなどを考慮すると、臍帯切断の時間は、分娩監視装置の記録上一六時二九分頃であり、娩出の時間は、分娩監視装置の記録上一六時三三分頃であって、両者の時間差は、約三分半と考えられる。

イ 気管挿管時期に係る注意義務違反について

(ア) 新生児仮死のほとんどは、バッグ&マスクによる蘇生だけで改善できるのであり、出生四分後には挿管しなければならないという原告らの主張には根拠がない。むしろ、ガイドライン二〇一〇に基づく新生児蘇生法テキストには、「気管支挿管の適応」として、「数分間のマスク&バッグ換気が無効な場合」と記載されており、バッグ&マスクを三分間以上施行してはならない根拠は記載されていない。

(イ) また、原告らは、気管挿管を実施した時刻を一六時四五分であったと主張するが、気管挿管が実施された時刻は一六時四〇分であったと考えられる。仮に、挿管時刻が一六時四五分であったとしても、バッグ&マスクと挿管により、C医師が、本件当時の臨床医学の実践における医療水準に従った処置を行ったことに変わりはないため、C医師には注意義務違反は認められない。

ウ 気管挿管位置に係る注意義務違反について

(ア) 本件では、レントゲン撮影後に、挿管位置を調整しているが、当初の挿管位置が不適切であったということはない。なぜなら、C医師は、気管挿管後、聴診で呼吸音に左右差がないこと、胸郭の動きが良好なことを確認しているし、挿管後すぐに、原告X1の体幹の皮膚色は改善し、SpO2も上昇して、以後ずっと良好な値を示しており、挿管当初から、十分効果は現れているからである。

(イ) また、C医師は、点滴・採血を経て、規定通りポータブルレントゲンで胸郭を撮影し、そこで挿管チューブの位置がやや深いことを確認したため、少し抜いて再固定したが、これは一連の流れの中で可及的速やかに順に行った行為であり、遅れや不適切な処置はなかった。なお、一六時五九分の血液ガス分析結果は、一六時五一分ないし一六時五六分に採血したものを分析した結果であると考えられるが、それは、点滴開始がその時刻であったことを意味するに過ぎず、新生児の血液は、大人から採血する場合と異なり、簡単には採血できず、細い血管から滴るように採血するため、採血開始から終了までに五分程度要することは通常である。

(5)  因果関係

(原告らの主張)

ア 本件では、B医師が、原告X3に対し、医学的必要がなく、十分な説明に基づく同意を得ないまま、プロスタルモン・Fを過量投与したため、原告X1は、胎児機能不全の状態となり、低酸素状態に陥った。その後、B医師及び被告病院の助産師が、分娩監視を怠ったため、原告X1の低酸素状態は進行したところ、B医師が、臍帯切断後娩出までに長時間を要し、C医師が、適切な時期に気管挿管を行わず、挿管位置が不適切であったことから、さらに、低酸素状態が悪化し、その結果、原告X1は、低酸素虚血脳症による脳性麻痺を発症した。

イ 被告は、臍帯動脈血のpHが七・一二一であるからアシドーシスが認められず、「脳性麻痺の原因としての分娩中の急性低酸素症の診断基準」のうち、「臍帯動脈血中に代謝性アシドーシスの所見が認められること(pH<七かつ不足塩基量≧一二mmol/L)」が満たされていないと主張する。

確かに、本件の臍帯動脈血のpHは七・一二一と基準値の七・〇をかろうじて上回っているが、これ自体、数値としては低い値であり、また、不足塩基量は一三・七と基準値の一二を大きく上回っていることから、原告X1が体内で既に低酸素状態に陥っていたことがうかがわれる。また、上記基準は、「脳性麻痺の原因としての分娩中の急性低酸素症の診断基準」であるが、本件では、分娩中の低酸素状態に加えて、分娩後の不適切な蘇生措置によって、低酸素性虚血脳症による脳性麻痺を発症させたことが問題となっており、挿管後の血液ガス分析検査でpHは六・八九四と基準値である七・〇を下回っている。この点を考慮すれば、分娩中から分娩直後にかけての急性低酸素症が脳性麻痺の原因であったといえる。

ウ また、被告は、分娩後のMRI画像において、プロファウンド型の仮死による低酸素性虚血性障害の傷痕が認められないことから、臍帯切断から娩出までのイベントが脳に影響を与えた可能性は否定されると主張する。

しかし、プロファウンド型仮死は、「心停止や胎盤早期剥離にみられるような著明な低血圧で脳血流が完全に途絶した状態による病変」であるが、「新生児脳は低酸素に対してきわめて強く、ほとんどのHIE(低酸素性虚血性脳症)は脳低灌流によって生じる。」とされている。「低灌流が遷延する状態により生じ」るのが、プロロング型仮死である。本件では、臍帯切断後六分の酸素供給の途絶が問題となっているが、「心停止や胎盤早期剥離」はなく、したがって、「著明な低血圧で脳血流が完全に途絶した状態」になっていなかった可能性が高い。しかも、「新生児脳は低酸素に対してきわめて強く」、個人差もあるのであるから、本件のような場合であっても、プロファウンド型の所見を示さないことは十分にあり得ることである。以上によれば、本件において、臍帯切断後六分間の酸素供給の途絶によって、原告X1の低酸素性虚血性脳症が発症したことを否定することはできない。

エ さらに、原告X1の脳性麻痺の先天的要因について、藤田保健衛生大学病院において、先天性代謝異常等検査が行われており、あいち小児保健医療総合センターにおいても染色体検査が行われており、いずれも先天的な異常は認められていない。

(被告の主張)

分娩と原告X1の脳性麻痺との因果関係は、次のとおり、認められない。

ア 「脳性麻痺の原因としての分娩中の急性低酸素症の診断基準」のうち、「基本的診断基準」として、「臍帯動脈血中に代謝性アシドーシスの所見が認められること(pH<七かつ不足塩基量≧一二mmol/L)」を満たすことが挙げられている。しかし、本件では、臍帯血は、pH七・一二一であり、上記基準を満たさない。したがって、原告X1の脳性麻痺が、分娩を原因とする脳性麻痺に該当しないことは明らかである。

イ また、出生後に実施した血液検査の結果は、pH六・八九四であり、臍帯を切断してから、蘇生の効果が現れるまでの間に数値が悪化していたことがうかがわれる。しかし、臍帯切断から、蘇生措置開始までの無呼吸状態は、類型的には、短期間の強い受傷にあたるから、当該無呼吸状態が原因となって発症するとすればプロファウンド型の仮死であるべきところ、原告X1の脳には、プロファウンド型仮死の形跡が全くない。

藤田保健衛生大学病院で平成二〇年六月一三日、平成二一年二月三日及び平成二二年四月三〇日に撮影されたMRI画像には、異常所見が認められないのに対して、平成二二年七月一五日に知多市民病院で撮影されたMRI画像に異常所見が現れていることは事実である。しかし、成熟児がプロファウンド型の仮死に陥った場合、病変が生じるのは、よりエネルギーを必要とする大脳基底核・視床といった脳の中心部であるのに対して、原告X1のMRI画像に現れた異常は、脳の中心部ではない。原告X1の基底核・視床には、損傷もなければ、萎縮もない。

したがって、臍帯切断後、酸素供給が途絶えたことによって、脳性麻痺を発症した可能性は、MRI画像から否定される。

(6)  損害

(原告らの主張)

ア 原告X1の損害

(ア) 後遺障害逸失利益 四五八〇万八九六〇円

a 原告X1は、藤田保健衛生大学病院において、平成二〇年○月○日から同年六月八日まで入院し、以後も、平成二三年四月までは同病院に、その後は、あいち小児保健医療総合センターに通院して、リハビリ治療を受けているが、脳性麻痺による体幹機能障害、立位保持困難、精神発達滞帯の後遺障害が残り、いまだに話すこともできない。これにより、原告X1は、平成二二年五月に障害が固定し、障害者等級二級と診断された。

b 身体障害者等級二級の労働能力喪失率は一〇〇%であり、平成二〇年男子平均賃金は年間五五〇万三九〇〇円、障害固定時の二歳に適用するライプニッツ係数は、八・三二三であるから、原告X1の逸失利益は、次の計算式のとおり、四五八〇万八九六〇円である。

五五〇万三九〇〇円×一・〇×八・三二三=四五八〇万八九六〇円

原告らは、いずれも定住者として、適法な在留資格を有し、長年、日本で生活し、本国に帰国する具体的予定もないのであるから、後遺障害逸失利益の算定にあたっては、日本での生活を前提として、計算すべきである。

(イ) 後遺障害慰謝料 二七〇〇万円

身体障害者等級二級の後遺障害が残った精神的苦痛に対する慰謝料としては、二七〇〇万円が相当である。

(ウ) 入通院慰謝料 二五〇万円

原告X1は、障害固定まで入院一九日、通院約二年の治療を余儀なくされたから、これに対する入通院慰謝料としては、二五〇万円が相当である。

(エ) 付添介護費 五六八二万〇二八〇円

原告X1は、後遺障害のため、一人で立ち上がることも、歩行することもできず、介助を得てかろうじてつかまり立ちできる程度であり、移動は這って行っている。食事、排便、衣類の着脱など、日常生活の全てにわたって介助を必要とする状態である。現在、母親である原告X3が介護しているが、原告X1が常時介護を必要とするため、将来においても働きに出ることができない。したがって、原告X1の生涯にわたる付添介護費用が損害と認められるべきであり、平均余命七四年に対するライプニッツ係数は一九・四五九であるから、その額は、次のとおり、五六八二万〇二八〇円である。

一日八〇〇〇円×三六五×一九・四五九=五六八二万〇二八〇円

(オ) 弁護士費用 一三二〇万円

原告X1は、本件にかかる損害賠償請求を弁護士に依頼したが、その弁護士報酬は一三二〇万円が相当である。

イ 原告X3及び原告X2の損害

(ア) 近親者固有の慰謝料 各四〇〇万円(合計八〇〇万円)

原告X3及び原告X2は、第一子である原告X1が重症新生児仮死の状態で生まれ、重度の後遺症が残ったことで多大な精神的苦痛を受け、しかも、今後、原告X1の介護のために多大な精神的かつ経済的負担を余儀なくされることを考慮すれば、近親者固有の慰謝料として、各々四〇〇万円が認められるべきである。

原告X3は、原告X2に付き添われて被告病院を訪れ、出産のために入院したのであるから、原告X1のために被告と診療契約を締結したのは、原告X3及び原告X2の両名であり、原告X2は、本件の診療契約の当事者であるため、診療契約の債務不履行に関し、固有の損害賠償請求権を有すると考えるべきである。

(イ) 弁護士費用 各四〇万円(合計八〇万円)

原告X3及び原告X2は、本件にかかる損害賠償請求を弁護士に依頼したが、その弁護士報酬は各々四〇万円が相当である。

(被告の主張)

争う。

ア 後遺障害について

(ア) 藤田保健衛生大学の診療録等によると、平成二〇年五月二六日付けで、「たまにしゃっくりのような動きをするが、その時の脳波では同期して発作波はない 背景脳波活動はシビアな抑制はなさそうだった」との記述があること、同月二七日付けで、脳波の異常の五段階評価で軽い方から二番目の評価である「軽度活動性低下か」という記載があることなどから、原告X1の脳は、深刻な受傷を受けていなかったといえる。

(イ) 原告X1が通う知多市立b園の記録などから明らかなように、原告X1は、まだ五歳と幼く、これから成長とともにできることの範囲が広がる可能性が残されている。

(ウ) 以上のように、原告らの主張する後遺障害も徐々に改善される可能性があるから、仮に損害があるとしても合理的な範囲に制限されるべきである。

イ 後遺障害逸失利益について

(ア) 原告X1は、ブラジル国籍であり、在留資格は定住者であるところ、原告X2はブラジル国籍、原告X3はボリビア国籍であるから、いずれ、ブラジル又はボリビアに移り住むことが予想される。したがって、原告X1の基礎収入については、ブラジル又はボリビアで就労した場合の平均的な賃金や為替の水準により、日本における平均収入の約一〇分の一を基準とすることが相当である。具体的には、原告らは、平成二二年五月に障害固定したと主張するので、日本の平成二二年の産業計・企業規模計・学歴計の男子平均賃金五二三万〇二〇〇円の一〇分の一である五二万三〇二〇円を基礎収入とするのが妥当である。

(イ) また、就労可能年数につき、外国人の就労可能年数は、母国の平均寿命をもとに計算し直すことが必要である。そして、平成二〇年の日本人男性の平均寿命が七九歳であるのに対して、ブラジル人男性の平均寿命が七〇歳、ボリビア人男性の平均寿命が六五歳であることからすれば、原告X1の就労可能年数は、六七歳×((七〇+六五)÷二)÷七九で算出されるべきであり、五七歳までとするのが妥当である。

ウ 原告X2固有の慰謝料について

被告との診療契約は、原告X3が、原告X1の出生を条件として、原告X1のために締結した契約であり、原告X2は、契約当事者ではないから、原告X2には、診療契約の債務不履行に基づき、固有の損害賠償を求める根拠はない。

第三争点に対する判断

一  認定事実

(1)  前記前提事実、証拠<省略>によれば、以下の事実が認められる。

ア 入院から出産までの経緯

(ア) 原告X3は、平成二〇年○月○日四時頃、自宅で破水し、夫である原告X2に付き添われて、被告病院を受診し、「前期破水」との診断を受け、そのまま、分娩を目的として、四時五〇分頃、被告病院に入院することになった。同日において、原告X3の妊娠週数は三八週四日であった。

原告X3は、ボリビア国籍であり、平成二〇年○月○日から同月二三日にかけて被告病院において作成された「産褥 クリティカルパス」と題する書面には、「言葉ほとんど通じない」と記載されていたが、「外国の方が受診されたら・・・。」と題する書面の「日本語の会話の程度」という項目では、「ほぼ通じる」、「日常会話はOK」の欄に丸がつけられていた。

また、原告X3の入院時の体重は六五・六kgであり、ビショップスコアは、頸管開大度一cmから二cmで一点、展退四〇~五〇%で一点、児頭の位置-2で一点、頸部の硬差が中で一点、子宮口の位置が前で二点の合計六点であった。

(イ) 原告X3は、CTG(胎児心拍陣痛図。分娩監視装置の一つ。)を装着された。胎児心音は、良好であり、五分から六分間隔で陣痛が認められた。

原告X3は、六時頃には徒歩にてトイレへ行き、歩行はスムーズであり、朝食も摂った。さらに、原告X3の羊水の流出は、この頃、少し治まってきていた。

(ウ) B医師は、八時頃、原告X3を診察し、頸管開大度二cm、進展八〇%、児頭の位置-3、子宮口の位置前で二点、羊水の流出ありとの所見を得た。

B医師は、原告X3が、六時の時点で朝食を摂ることができ、歩行もスムーズであることから、分娩の自然な進行を待った場合、二四時間以上の時間を要することを予測し、また、原告X3が妊娠三八週四日目で前期破水を起こしていることから母児感染の可能性を考慮して、陣痛促進剤投与の必要性があると判断し、プロスタルモン・F三アンプル(含量三〇〇〇μg、容量三ml)に五%のブドウ糖液を加えて五〇〇mlに希釈し(したがって、点滴濃度は六μg/mlとなる。)、一〇〇ml/時間の割合で点滴注入し、三〇分経過する毎に一〇ml/時間ずつ投与量を増加し、最大一五〇ml/時間の割合で点滴注入するよう指示した。

(エ) 原告X3は、一〇時頃、NST(ノンストレトテスト。胎児心拍モニターの一つ。)を装着され、プロスタルモン・F三アンプル(三ml)に五%のブドウ糖液を加えて五〇〇mlに希釈し、一〇〇ml/時間の割合で投与が開始された。同時刻ころには、原告X3には子宮収縮が認められなかった。

プロスタルモン・Fの投与量は、一〇時三〇分頃に一一〇ml/時間の割合へ、一一時〇〇分頃に一二〇ml/時間の割合へと増量され、一一時三〇分頃、徐脈は見られないが頻脈がやや乏しいため、増量せずに様子を見ることになった。そして、一二時時点の総投与量は、一三五〇μgとなった。その後、プロスタルモン・Fの投与量は、一四時一五分頃に一三〇ml/時間の割合へ増量された。

(オ) 原告X3は、一二時一五分頃、ナースコールをし、嘔気、嘔吐を訴えた。また、原告X3は、同じ頃、痛みが強くなっている感じがすると訴えた。

一四時一五分頃に行われた内診では、子宮口四~五cmとの所見が得られた。

そして、分娩進行が認められ、怒責感があったため、分娩室で様子をみることになり、原告X3は、一四時四〇分頃、独歩にて、分娩室に入室した。

B医師は、一五時〇〇分頃、原告X3を診察し、子宮口四~五cm、児頭下降あり、産瘤ありとの所見を得た。また、助産師は、一五時一五分、原告X3を内診し、子宮口八cm、St(児頭の位置)+1との所見を得た。

助産師は、胎児心拍数が九〇台まで低下し、回復に時間を要したため、一五時四〇分頃、酸素五Lの投与を開始した。

原告X3は、一五時四四分、子宮口全開大となり、一六時一三分、排臨となった。

B医師は、一六時二〇分、助産師に呼ばれて、原告X3の分娩処置にあたった。

イ 原告X1出生の経緯

原告X1は、一六時二五分、発露が認められた。

その後、原告X1の児頭の娩出が認められたが、原告X1は、頸部に臍帯の巻絡が一回あり、助産師が用手介助を試みたが、臍帯が頸部にきつく巻き付いていたため成功せず、B医師は、このまま娩出するのが困難であると判断し、臍帯の止血切断を行った。

臍帯切断後、助産師が分娩介助を試みたが、分娩は進行せず、怒責誘導で分娩の誘導が行われたところ、原告X1は、一六時三六分に出生した。

原告X1は、出生時、啼泣なく、出生一分後のアプガースコアは、心拍数一〇〇以下、呼吸なし、筋緊張弛緩、反射反応なし、皮膚色全身蒼白で一点であった。B医師は、原告X1を背部刺激し、バッグ&マスクにて、人工呼吸を開始し、C医師を呼んだ。C医師は、出生から一分経過する前に到着し、B医師と交代して、バッグ&マスクによる換気を続けた。助産師は、渇いたタオルで体を拭くなどして原告X1の保湿に努め、姿勢を保持して、マスク換気の補助を行った。マスク換気を続けていると、心拍数は一〇〇回/分を超え、体幹も徐々にピンクとなった。原告X1は、出生五分後、心拍数一〇〇以上、筋緊張弛緩、反射反応なし、皮膚色幹ピンクとの所見が得られ、これに、バッグ&マスクによる胸郭の動きを考慮すると、同時点のアプガースコアは五点であった。

C医師は、マスク換気を継続したが、原告X1に自発呼吸の徴候がみられなかったので、一六時四〇分から一六時四五分までの間に、気管挿管を実施し、深さ一一cmまで挿管した。

C医師は、挿管後、一六時五六分までに、点滴のためのルート確保と採血を行い、メイロン一〇cc+を注射した。

その後、C医師は、胸部X線写真撮影を行い挿管位置を確認し、挿管チューブが理想的位置よりやや深く挿入されていたため、一七時一五分、二cm抜いて深さ九cmの位置に再固定した。原告X1は、再固定前から、胸郭の動きや呼吸音に左右差はなく、SpO2は概ね九〇%台後半を維持していた。

その後、原告X1は、藤田保健衛生大学病院に転送され、新生児集中治療室(NICU)で治療を受け、重症新生児仮死及び低酸素性虚血性脳症と診断された。

(2)  原告X1出生当時の医学的知見

ア 前期破水及び陣痛促進剤について

(ア) 前期破水の取扱い

ガイドライン二〇〇八には、次の記載がある。

妊娠三七週以降では、分娩誘発を行うか、陣痛発来を待機する。臨床的に子宮内感染が疑われる場合は陣痛発来を待機せず、分娩誘発もしくは帝王切開を行う。妊娠三七週以降の前期破水において、分娩誘発は、自然陣発を期待しての待機に比べ、新生児感染率や帝王切開率にほとんど差が認められないが、絨毛膜羊膜炎や分娩後の母体発熱を減少させる。したがって、分娩誘発の方が望ましいと考えられるが、分娩誘発と待機両群の違いは大きいものではなく、いずれも選択肢となる。ただし、待機時間が長いと子宮内感染が懸念される。

(イ) プロスタルモン・Fの投与量

留意点二〇〇六には、次の内容の記載がある。

a 初期投与量及び増量

〇・一μg/kg/分の割合で投与を開始し、一五分から三〇分ごとに一・五μg/分増量する。本件のように六μg/mlの点滴濃度で点滴を行う場合には、一ml/kg/時間で投与を開始し、一五分から三〇分ごとに一五ml/時間増量すべきことになる。

なお、使用説明書によれば、症状により適宜増減するとされている。

b 維持量及び安全限界

維持量は六~一五μg/分であり、安全限界は二五μg/分である。本件のように六μg/mlの点滴濃度で点滴を行う場合には、維持量は六〇~一五〇ml/時間であり、安全限界は二五〇ml/時間である。

(ウ) プロスタルモン・Fの副作用

使用説明書プロスタルモン・Fを静脈内注射により投与した場合の重大な副作用としては、①心室細動、心停止、ショック、②呼吸困難、③過強陣痛、④胎児仮死徴候が挙げられている。

(エ) 陣痛促進薬投与に当たってのインフォームドコンセント

留意点二〇〇六には、次の記載がある。

産科領域における医療事故の中には陣痛促進薬使用時に発生した事例が存在することは事実であるので、医師は、正しい使用法に従って使用中に発生する有害事象を可能な限り減少させるべき努力するべきである。実際の使用にあたっては、その時点で適切と考えられる使用法を行ったとしても異常に遭遇する可能性があるという医療側、患者側双方の共通した認識が必要であり、そのため、陣痛促進薬を使用する必要性(適応)と手技、方法並びに使用により予想される効果並びに副作用の危険、さらに緊急時の対応などについて、分娩誘発を実施する前に、必ず文書による説明を行い、同意を得ておく必要がある。

イ 胎児心拍数図の読み方の歴史的経緯

平成一五年に日本産科婦人科学会周産期委員会が報告した「胎児心拍数図の用語と定義」は、平成九年に発表された米国National Institute of Child Health and Human Development(NICHD)のリサーチガイドラインに準拠している。これらのガイドラインは、胎児の健康度に関する評価に対して、「基線、基線細変動が正常であり、一過性頻脈があり、一過性徐脈がないとき、胎児は健康である」と「基線細変動の消失を伴った、繰り返す遅発一過性徐脈や高度変動一過性徐脈、又は、高度遷延一過性徐脈や高度徐脈が出現するとき、胎児Well―beingは障害されている恐れがあると判断する」の二点のみであり、これ以外に関しては一致した意見がなかった。その後、上記二例以外のパターンに関しても、胎児Well―being評価と臨床的対応の標準化を早期に確立する必要があるとして、英国、カナダ及び米国において、心拍数パターンを中心とした所見と胎児健康度の解釈及び臨床的対応に対し、三段階に分類したガイドラインが提案され、わが国においても、日本産科婦人科学会及び日本産婦人科医会は、ガイドライン二〇一一において、五段階の評価を記載した。ガイドライン二〇一一の問い「分娩監視装置モニターの読み方・対応は?」に対するAnswerは、別紙のとおりである。

ウ 気管挿管について

(ア) 出生後の気管挿管の適応とタイミング

出生後の気管挿管のタイミングについては、多くの症例は、肩枕を入れて気道を確保し、バッグ&マスクによって人工呼吸が可能なので、あわてて気管挿管をする必要はないが、挿管の適応が認められる主な状況として、人工呼吸で良好な胸郭運動がない場合、または長時間人工呼吸が必要な場合、人工呼吸が十分な臨床状態の改善に寄与していない場合などが挙げられる。

(イ) 気管チューブのサイズと深さ

口唇からの挿入長(cm)は、体重(kg)+六cmが指標となる。

(ウ) 気管挿管の確認方法

a 気管挿管後、以下の①ないし⑦の点をチェックしてチューブ先端の位置が適正であることを確認する。

① 両側の胸部が同時に上下すること

② 呼吸音が両腋下部の肺野で同じ強さで聴取できること

③ 胃に空気の入る音が聴こえないこと

④ 胃部の膨満をきたさないこと

⑤ チューブ先端から呼気の湯気が観察できること

⑥ 児の心拍・色調・活動性に改善がみられること

⑦ 呼気のCO2をチェックする(カプノメーターやカロリメトリー法)

b 気管挿管部位を確認する際には、以下のような方法が挙げられる。

(a) 身体所見などからの確認

① 呼吸音が両肺野上で聞かれ、胃の上で減弱ないし聞こえない。

② 用手換気時の胸部の対称的な動き

③ 換気による胃の膨満はない。

④ 呼気時にチューブ内に水蒸気が認められる。

(b) モニターによる確認

① 呼気CO2検知器またはカプノメーターにより呼気CO2が検出される。最も信頼性が高い指標だが、心停止している場合は、呼気中にCO2が検出されないので注意が必要である。

② 心拍数と皮膚色の改善

③ 最終的には、胸部X線写真で気管チューブ先端が胸椎二~三番の間と鎖骨前端の中点と同じ高さにあることを確認する。

二  争点(1)(プロスタルモン・F投与の判断に係る注意義務違反の有無)について

(1)ア  前記認定事実によれば、原告X3は、平成二〇年○月○日の時点で妊娠三八週四日目であり、四時頃に自宅で前期破水して、四時五〇分頃に被告病院に入院したところ、前記一(2)ア(ア)のとおり、妊娠三七週以降の前期破水においては、分娩誘発及び待機両群のいずれもが選択肢となるが、分娩誘発のほうが望ましいと考えられているのであるから、原告X3には、分娩誘発、すなわち陣痛促進剤であるプロスタルモン・Fの投与の医学的適応があったと認められる。

イ  原告らは、本件で原告X3にプロスタルモン・Fが投与された一〇時時点では、陣痛促進剤投与の必要性はなかったと主張し、その根拠としてD医師作成の意見書(以下「D意見書」という。)を提出する。

そこで検討するに、D意見書には、要旨として、妊娠三七週以降の前期破水の場合、その八〇%が二四時間以内に陣痛が始まり、出産に至るので、感染のおそれがなければ分娩待機とし、二四時間過ぎても陣痛が発来しない場合に、陣痛誘発を試みるのが一般的であるところ、本件では、入院時に感染所見はなく、陣痛周期が五分から六分間隔で認められており、一〇時前時点で陣痛がほぼ消失していたとしても、B医師が、プロスタルモン・Fの投与を指示した八時頃及びプロスタルモン・Fの投与を実施する直前である一〇時前頃には、必ずしも遷延分娩を予測させる所見はなかったのであるから、プロスタルモン・Fを投与する必要性はなく、しばらく様子を見て、自然な進行を待つべきであった旨の記載がある。

しかしながら、ガイドライン二〇〇八の記載内容やE医師作成の意見書(以下「E意見書」という。)に照らすと、D意見書で述べられた根拠は、八時頃及び一〇時頃の時点で、プロスタルモン・Fの投与を行わないで待機することの相当性を示す根拠とはいい得るものの、それを超えて、同時点で、プロスタルモン・Fを投与することが採り得る選択肢の一つではなく、不適切な医療行為であったという根拠として十分なものとはいえない。

(2)ア  ところで、前記一(2)ア(エ)のとおり、留意点二〇〇六には、医師は、陣痛促進薬を使用する必要性(適応)と手技、方法並びに使用により予想される効果並びに副作用の危険、さらに緊急時の対応などについて、分娩誘発を実施する前に、必ず文書による説明を行い、同意を得ておく必要があるとされている。

イ  被告は、八時に原告X3を診察した際、原告X3に対し、外国人である同原告に配慮して、分かりやすい言葉を使いながら、遷延分娩による母児感染のリスクがあるため、陣痛促進剤を使用すること、過強陣痛を起こす可能性もあり、その場合は対処することを説明して同意を得た旨主張する。

そして、B医師は、八時頃の診察の際、原告X3と付添の外国人女性に対し、「赤ちゃんが大きく、膜が破れてお水が出ており、痛みが弱いままだと分娩まで時間が掛かり、ばい菌が入るおそれがあるので、陣痛を痛みを強くする注射を点滴します。痛みが強すぎれば対応します。」という説明をしたと証言するところ、被告病院の看護記録には、B医師が八時頃に原告X3を診察した際、「赤ちゃんも大きいし、誘発して分娩しましょう。」と話した旨が記載されており、B医師が原告X3に説明を行ったことが裏付けられている。また、前記認定事実のとおり、被告病院の診療記録には、「産褥 クリティカルパス」と題する書面に原告X3が日本語に通じていない趣旨の記載がある一方で、原告X3が日常会話程度であれば日本語を理解できることを示す記載も存在しており、これに加え、証拠<省略>によれば、被告病院の看護記録の六時の部分に、「S:日本食大好き、朝ご飯食べられそう。はってくると腰が痛いけど大丈夫。」と記載されるなど、原告X3が助産師とコミュニケーションをとることができていたことを示す記載も認められるのであって、原告X3は、分かりやすい言葉を用いれば、日本語による口頭の説明を理解できたと考えられる。

そうすると、B医師の証言は、B医師が、原告X3に対し、陣痛促進剤の投与に関し上記内容の説明をしたという中心部分については、信用できるところ、かかる説明は口頭で行われており、文書を示して行われたものではないが、前記(1)アのとおり、原告X3には、プロスタルモン・Fの投与の医学的適応が認められることを考慮すれば、B医師は、プロスタルモン・F投与に先立ち、相応の説明を行ったといえ、このような説明を経てプロスタルモン・Fを投与したことが不適切であったとはいえない。

三  争点(2)(プロスタルモン・F投与量に係る注意義務違反の有無)について

(1)  前記認定事実によれば、B医師は、八時頃、原告X3を診察し、頸管開大度二cm、進展八〇%、児頭の位置-3、子宮口の位置前との所見を得ているところ、証拠<省略>によると、同時点の頸部の硬さは中であったと認められることから、同時点の原告X3のビショップスコアは、管開大度二cmで一点、進展八〇%で三点、児頭の位置-3で〇点、子宮口の位置前で二点、頸部の硬さ中で一点の合計七点となる。

被告は、同時点の頸部の硬さは軟であったと主張するが、分娩経過記録には、一三時の時点においても頸部の硬さ中と記載されていることと整合せず、他に同主張を裏付ける客観的証拠もない。

(2)  原告らは、ガイドライン二〇〇八には、「注意点」として、プロスタルモン・FなどのプロスタグランジンF2α製剤を「頸管熟化不良な症例に使用する場合」、「Bishop score七点以下の症例では頸管の熟化を図り、Bishop score八点以上熟化してから誘発を開始するのが望ましい」と記載されているとして、ビショップスコア七点の原告X3にプロスタルモン・Fを投与すべきではなかったと主張し、D意見書にも同趣旨の記載がある。

しかしながら、証拠<省略>によると、原告ら引用に係るガイドライン二〇〇八の記載部分は、産科臨床を行う上で重要と考えられる事柄を記述した「Answer」ではなく、必ずしも検査法及び治療法として確立されたものではない「注意書」にすぎないと認められるから、その推奨度は高くない。また、留意点二〇〇六には、「資料一」として、「カナダの分娩誘発に関するガイドラインではBishopスコアが六点以下では陣痛促進剤使用前に薬剤か機械的方法による頸管熟化を図ることが必要であると述べられている。」との記載がある。これらのことからすると、原告X1出生の時点で、我が国では、ビショップスコア七点以下の場合には、陣痛促進剤投与をすべきではなく、熟化を促進すべきであるとの一般的な医学的知見があったとは認められない。

したがって、B医師がビショップスコアが七点である原告X3に対するプロスタルモン・Fの投与の指示をしたこと自体を不適切であったということはできない。

(3)ア  前記認定事実によると、原告X3の入院時の体重は六五・六kgであったところ、前記の留意点二〇〇六の記載に従うと、プロスタルモン・Fは、投与開始の一〇時〇〇分の時点で六五ml/時間の割合で投与し、以後は一五~三〇分ごとに一五ml/時間の割合で増量していくべきことになる。

イ  本件では、前記認定事実のとおり、プロスタルモン・Fは、一〇時頃に一〇〇ml/時間の割合で投与が開始され、一〇時三〇分頃に一一〇ml/時間の割合へ、一一時〇〇分頃に一二〇ml/時間の割合へと増量され、一四時一五分頃には一三〇ml/時間の割合に増量された。

したがって、少なくとも初期の投与量は留意点二〇〇六の基準を上回っていることとなるが、投与量は症状により適宜増減すべきとされているのであるから、基準と異なる量を投与したからといって、直ちに不適切な医療行為であるということはできない。また、B医師は、最初の投与量こそ基準を上回る一〇〇ml/時間の投与を指示しているが、増量については、三〇分を経過するごとに一〇ml/時間ずつと、基準を下回る量を指示しているのであり、全体として過剰な投与を指示したということはできず、実際の投与量も、基準となる維持量(六〇~一五〇ml/時間)の範囲内であり、安全限界(二五〇ml/時間)を大きく下回っている。

ウ  この点について、E意見書には、要旨、本件のプロスタルモン・Fの初期投与量は、留意点二〇〇六に記載されている数値よりも多いが、投与量の増加のペースが緩やかであり、一二時時点の総投与量は一三五〇μgとなり、留意点二〇〇六に従って投与した場合と同量となるところ、同時点以前の投与についても、プロスタルモン・Fの投与量により悪影響が出たとは認められない旨の記載がある。

そして、前記一(2)ア(ウ)のとおり、使用説明書には、プロスタルモン・F投与の副作用として、①心室細動、心停止、ショック、②呼吸困難、③過強陣痛、④胎児仮死徴候が挙げられているところ、原告X3には、上記の①ないし③の症状は認められず、④についても、一一時頃に遷延一過性徐脈が出現しているが、遷延一過性徐脈は、原因がなくなり単発で正常パターンに回復する時は児の予後はよいことが多いとされているのであって(前提事実(3)ア(イ)b(d))、この徐脈の出現が直ちに胎児の仮死兆候を示すものということはできないし、同徐脈の出現後、原告X3がトイレへ行くため分娩監視装置がはずされ、記録が途絶えている部分はあるが、基線細変動の減少も認められないのであって、上記遷延一過性徐脈の出現をもって、胎児機能不全の徴候であると認めることはできないから、④胎児仮死兆候も見られない。

これに対し、D意見書には、一一時頃に遷延一過性徐脈が認められることなどからも、胎児にダメージがかかっており、胎児が良好な状態にあったとはとてもいえない旨の記載があるが、上記の遷延一過性徐脈に関する知見や徐脈出現後の基線細変動の状況に照らすと、上記意見書の記載をもって、プロスタルモン・Fの投与による副作用が生じていたと認めることはできない。

そうすると、一二時以前のプロスタルモン・Fの投与量により悪影響が出たとは認められない旨のE意見書の記載は合理的なものといえる。

エ  以上によれば、本件のプロスタルモン・Fの投与量は医師の合理的な裁量の範囲内であったということができ、B医師に、プロスタルモン・F投与量に係る注意義務違反があったとは認められない。

四  争点(3)(分娩監視に係る注意義務違反の有無)について

後記のとおり、分娩監視装置の時計は本来の時刻から約三分遅れていると認められるが、本項においては、時刻の表示は分娩監視装置の時計の表示によるものとする。

(1)  一四時過ぎの注意義務違反について

原告は、一四時過ぎには、四分以上にもわたる遷延一過性頻脈が出現し、これは胎児の低酸素状態を示唆する徴候であるから、被告病院の助産師及びB医師は、この時点で、直ちに、陣痛促進剤の投与を中止し、酸素投与、母体体位転換を行って、胎児の状態が改善するかの様子を見るべきであったと主張する。

しかしながら、証拠<省略>によれば、一四時七分頃から四分間以上にわたり、遷延一過性頻脈が認められるが、一過性頻脈が存在することは、通常、胎児の生理的反応が維持されていることを意味するのであって、その後、基線細変動の減少及び消失も認められないのであるから、これをもって、胎児の低酸素状態を示唆する所見であるとはいえず、B医師に、同時点で直ちに陣痛促進剤の投与を中止するなどの注意義務があったとは認められない。

(2)  一五時一三分以降の注意義務違反について

ア 原告は、一五時〇五分から、遅発一過性徐脈ないし変動一過性徐脈が繰り返し現れるようになり、一五時一三分以降は、高度の遅発一過性徐脈も現れたのであるから、被告病院の助産師及びB医師は、胎児機能不全と診断の上、陣痛促進剤の投与停止、母体体位変換及び酸素投与等の処置を行うべき注意義務があったと主張する。

イ 証拠<省略>によれば、遅発一過性徐脈及び変動一過性徐脈等について、次のとおり医学的知見のあることが認められる。

(ア) 二〇〇七年一月発行の「産婦人科研修医のための必修知識二〇〇七」には、次の記載がある。

a 遅発一過性徐脈について

遅発一過性徐脈は、子宮収縮により絨毛間腔への血液量が減少し、それによる胎盤での換気不全で胎児血酸素濃度が低下するために生じるとされている。分娩中の子宮収縮は、正常例においても一時的に胎盤での酸素供給を低下させるが、それは直ちに胎児の低酸素血症を引き起こすことはない。しかし、胎盤機能が低下している場合はその影響が大きくなり、胎児は容易に低酸素血症となる。メカニズムとしては、胎児血酸素濃度の低下から迷走神経を刺激して心拍数が低下する経路が考えられているが、迷走神経反射を介さない、心筋の機能抑制による心拍数低下のメカニズムも考えられている。この場合、胎児の低酸素状態は重症で、アシドーシスに陥っており、基線細変動が減少又は消失していることが多く、基線細変動の状態が遅発一過性徐脈の重症度を左右すると考えられる。遅発一過性徐脈は、子宮収縮により胎児血酸素濃度が一定のレベル以下になる母体側の因子(血管の収縮、過強陣痛など)や胎盤の因子を有する症例及び既に胎児が低酸素状態に陥っている症例に見られるパターンで、基線細変動の状態によらず胎児機能不全と診断される。

b 変動一過性徐脈

臍帯圧迫による動脈の血流障害が胎児の血圧上昇を引き起こし、圧受容器を介した迷走神経反射により心拍数が低下することにより変動一過性徐脈が発生すると考えられている。変動一過性徐脈は、基本的に臍帯圧迫による迷走神経反射によるものであるから、それ自体は胎児状態の悪化を意味しない。しかし、強い血流遮断が長く続く場合や繰り返し発生する場合は胎児血酸素濃度が低下する。このような場合、胎児は低酸素状態・アシドーシスに陥る可能性がある。したがって、心拍数最下点が七〇bpm未満で六〇秒を超えて持続する高度な変動一過性徐脈が繰り返し出現する場合のみ胎児機能不全と判断する。

(イ) 平成二〇年二月に社団法人日本産婦人科医会が発行した「胎児の評価法―胎児評価による分娩方針の決定―」には、胎児機能不全への対応として、母体の体位変換、母体への酸素投与、陣痛促進剤の投与の中止等により胎児低酸素状態の改善のための処置を実施しつつ、急速分娩術の準備を行い、児の状態が改善しない場合には、急速分娩を行うことが記載されている。

ウ 証拠<省略>によれば、原告X1の胎児心拍数図において遅発一過性徐脈と評価し得る徐脈は、一五時一三分頃、一五時二〇分頃、一五時二二分頃、一五時三三分頃に認められるが、この時点では基線細変動の減少及び消失が認められないことからすると、直ちに胎児機能不全と診断すべきであったということはできない。また、証拠<省略>によれば、変動一過性徐脈と評価し得る徐脈は、一五時〇八分頃、一五時一〇分頃、一五時一七分頃、一五時二六分頃、一五時二九分頃、一五時三一分頃、一五時三四分頃及び一五時三七分頃に認められるが、高度の変動一過性徐脈の発生までは認められないことからすると、上記の徐脈の出現から直ちに胎児機能不全と診断すべきであったということはできない。

(3)  一五時四〇分頃の注意義務違反

原告は、一五時四〇分頃から、基線細変動の減少ないし消失を伴う高度遅発一過性徐脈が現れてきたのであるから、被告病院の助産師及びB医師は、いかに遅くとも、この時点で、母体の体位転換、陣痛促進剤の投与停止をまず行い、並行して急速遂娩の準備を行うべき注意義務があったと主張する。

証拠<省略>によれば、一五時四三分頃及び一五時四五分頃に遅発一過性徐脈と評価し得る徐脈が認められる。その時点における基線細変動であるが、基線を読むためには、本来、一過性変動の部分を除き、その部分が少なくとも二分以上続かなければならないところ(前提事実(3)ア(ア))、一五時四〇分頃の原告X1の胎児心拍数図においては、一過性変動の部分を除いて二分以上続いている部分がなく、正確に基線を読むことができないほどに徐脈が頻発しているということができる。そして、その波形の様子は、一五時四〇分までのものとは様相が異なり、明らかに振幅の程度が減少している。このように、遅発一過性徐脈と評し得る徐脈が複数回発生し、かつ、基線細変動の状態にも異常が生じていることに照らすと、被告病院の助産師及びB医師は、遅くともこの時点で原告X1の胎児機能不全を疑い、少なくとも母体の体位転換、陣痛促進剤の投与停止をまず行い、並行して急速遂娩の準備を行うべき注意義務があったと認めるのが相当である。

これに対し、E意見書には、「徐脈の出現だけでなく基線細変動の評価が胎児の状態を評価するには重要であり」、「基線細変動は正常であり、この時点では胎児のwell―beingが障害されているとは断定できない」との記載及び一五時四〇分頃に酸素投与が開始されたことは適切な対応であった旨の記載がある。確かに、原告X1の出生後に発行されたものではあるが、ガイドライン二〇一一にも、遅発一過性徐脈の出現のみで胎児のWell―beingが障害されていると判断するのではなく、基線細変動の状態と併せて判断する旨が記載されているところである。しかし、他方で前記(2)イ(ア)aのとおり、遅発一過性徐脈は基線細変動の状態によらず胎児機能不全と診断されるとの医学的知見が日本産婦人科学会による「産婦人科研修医のための必修知識二〇〇七」に記載されており、遅発一過性徐脈は、それだけで直ちに胎児機能不全と診断し得るかどうかは措くとしても、その出現自体が胎児機能不全の発生について十分に警戒すべき重要な徴表であるということができる。そして、前記のとおり、一五時四〇分頃以降の原告X1の胎児心拍数図には、二分以上続いている基線部分の消失、徐脈の頻発、振幅の程度の減少など、一五時四〇分までのものとは様相が異なる波形が出現していたものであるから、これらの波形異常と遅発一過性徐脈の出現を併せ考慮すると、酸素投与のみでは不十分であったと認めるのが相当である。なお、E医師は、基線の細変動は徐脈が回復して基線が読めるところで評価するところ、その部分には六bpm以上の振幅が認められる旨証言するが、前記のとおり、遅発一過性徐脈の出現後、徐脈から回復した部分には、正確な基線が読み得るほど継続している部分がないのであって、僅かな部分に基線の振幅が認められるからといって、基線細変動が正常であるということはできない。したがって、E意見書の上記記載を採用することはできない。

(4)  一五時四五分の注意義務違反

原告は、一五時四五分頃には、基線細変動の減少を伴う二回目の遅発一過性徐脈が出現していたのであるから、被告病院医師は、遅くとも、この時点で、急速遂娩(緊急帝王切開)を実施すべき注意義務があったと主張する。

一五時四〇分頃から一五時四五分頃の所見に照らし、被告病院の助産師及びB医師には、母体の体位転換、陣痛促進剤の投与停止をまず行い、並行して急速遂娩の準備を行うべき注意義務があったというべきことは、上記認定のとおりである。そして、母体の体位変換や陣痛促進剤の投与停止等により原告X1の状態が改善しない場合には、被告病院の助産師及びB医師としては、一五時四五分頃の時点において、急速分娩の処置をとるべき注意義務があったと認めるのが相当であり、また、そのような処置を行うことも十分可能であったというべきである。

五  争点(4)(蘇生措置に係る注意義務違反)について

(1)  娩出に係る注意義務違反について

ア 臍帯切断について

原告らは、B医師は、臍帯が頸部に一回巻絡していたとしても、無理に巻絡を解除したり、巻絡した臍帯を切断したりせずに、胎児を娩出させてから巻絡を解除すべきであったと主張し、その根拠としてD意見書及び日本産科婦人科学会雑誌六一巻三号(二〇〇九年三月号。甲B一二)を提出する。そして、D意見書には、臍帯切断は、通常は児娩出による呼吸開始後に行うべきものである旨記載され、甲B一二にも、胎児の頸部巻絡が診断された場合には、「無理に巻絡を解除したり、巻絡した臍帯を切断したりせずに、胎児を娩出させてから巻絡を解除する。躯幹の娩出以前に臍帯の巻絡を解除しても、臍帯が圧迫されていることには変わりがなく、むしろ早急な娩出を図ることが好ましい。」と記載されている。

しかしながら、「最新産科学 異常編(改訂第一九版)」(一九九三年二月一五日改訂版発行。乙B五の一)には、臍帯巻絡の処置として、「児頭分娩後にこれを発見した場合には、これを寛解するか、または切断する。」と記載されており、D意見書や甲B一二に記載された対処方法が、原告X1出生当時、医学的知見として確立したものであったとは認め難く、また、前記一(1)イで認定したとおり、臍帯は、原告X1の頸部にきつく巻き付いており、そのままでは、原告X1を娩出させることができない状況であったところ、かかる状況においてまで、一律に児娩出を臍帯切断に先行させることを要求するのは、現実的ではない。

したがって、B医師に、原告X1の頸部に巻絡した臍帯を切断せずに娩出を先行させるべき注意義務があったとは認められない。

イ 速やかな娩出について

(ア) 原告らは、仮に臍帯切断がやむを得なかったとしても、臍帯を切断した以上は、臍帯切断後、速やかに娩出すべきであり、また、原告X1は肩甲難産であったから、McRoberts法やWoods法などの肩甲難産の解除法を実施して、速やかに娩出すべきであったにもかかわらず、B医師は、これを怠り、娩出までに六分間を要したと主張する。

(イ) そこで検討するに、証拠<省略>によれば、原告X1の胎児心拍数図は、一六時二九分の時点で振り切れており、一六時三三分過ぎに波形が平坦となっていることが認められる。分娩監視装置は娩出と同時に外されると考えられるから、上記のような胎児心拍数図の状況からすれば、原告X1の出生の時間は分娩監視装置の時計では一六時三三分過ぎであり、臍帯切断がされた時間は分娩監視装置の時計では一六時二九分頃であると認めるのが相当である。一六時三六分という出生の時間は、助産師が壁掛けの電波時計で確認したというのであるから、正確であると考えられ、分娩監視装置の時計は約三分遅れていたと推認される。

(ウ) そうすると、本件において、臍帯切断から出生までに要した時間は約四分間であり、これをもって直ちに不適切な医療行為といい得るほど娩出が遅れたと認めることはできない。

(2)  気管挿管時期に係る注意義務違反について

ア 原告らは、C医師は、出生五分後のアプガースコアを改善するために、遅くとも出生四分後には、気管挿管を施行すべきであったと主張し、原告らが提出する甲B六(二〇一〇年九月発行の「これならわかる産科学」)には、気管挿管の適応の一つとして、「バッグ&マスクによる陽圧換気を三分間施行しても、無呼吸、徐脈(六〇~一〇〇bpm)、呼吸窮迫症状から回復できないとき」が挙げられている。

しかしながら、「日本版急性蘇生ガイドラインに基づく新生児蘇生法テキスト」(平成一九年一二月一日発行)には、「気管挿管の適応」として、「数分間のバッグ・マスク換気が無効な場合」が挙げられるにとどまっており、バッグ・マスクによる陽圧換気を三分間施行しても無呼吸、徐脈、呼吸窮迫状態から回復しないときは、気管挿管を実施しなければならないという確立した医学的知見が得られていたとまでは認められない。

イ 証拠<省略>によれば、C医師が一六時四〇分から一六時四五分の間に気管挿管を実施したことは認められるが、これ以上の正確な時間は明らかでなく、原告らが主張するように、挿管が一六時四五分であったことを前提にしてC医師の注意義務違反の有無を論じることはできない。また、仮に気管挿管を実施したのが一六時四五分であったとしても、前記アの知見や挿管までバッグ&マスクによる換起が継続されていたことを考慮すると、挿管の時期について不適切な医療行為があったと認めることまではできない。

(3)  気管挿管位置に係る注意義務違反について

ア 原告らは、C医師は、原告X1に気管を挿管する際、九cmの位置に気管を固定すべき注意義務があり、また、気管挿管後、速やかに胸部X線写真により固定位置を最終確認を行うべき注意義務があったのに、これを怠り、一六時四五分に挿入長一一cmで気管を固定し、その後、一七時一五分に至るまで、胸部X線写真による最終確認を行わなかったため、約三〇分間、片肺挿管の状態が続いた旨主張する。そして、原告X1の出生時の体重は三二〇二gであり、前記一(2)ウ(イ)の医学的知見によれば、気管挿管実施の際の挿入長の指標は、三(kg)+六(cm)により算出される九cmとなるから、C医師が当初実施した気管挿管の挿入長一一cmは、これを二cm上回ることになる。

イ しかしながら、上記指標は絶対的なものではなく、医師の相応の裁量を否定する趣旨のものではないと考えられる上、前記認定事実のとおり、C医師が胸部X線写真撮影を行い、挿管位置を確認し、挿管チューブを二cmほど引いて再固定する前から、原告X1の胸郭の動きや呼吸音に左右差はなく、SpO2も概ね九〇%台後半を維持していたことが確認されていたのであるから、当初の挿管位置が理想的なものではなかったとしても、再固定まで片肺挿管の状態が続いていたとは認められず、挿管位置がやや深かったことによる悪影響が生じたとも認められない。したがって、気管挿管位置に関するC医師の処置が不適切であったとまでいうことはできず、同医師に原告ら主張の注意義務違反があったとは認められない。

六  争点(5)(因果関係)について

(1)  本件においては、一五時四五分頃の時点で原告X1の胎児機能不全を示す所見が見られることは上記認定のとおりであり、原告X1は、そのころから胎児機能不全の状態に陥っていたと認められる。

そして、被告病院の助産師及びB医師が、一五時四五分頃の時点で、適切に原告X1の胎児心拍数図等を監視し、母体の体位転換、陣痛促進剤の投与停止をまず行い、並行して急速遂娩の準備を行い、状態が改善しない場合には急速分娩に踏み切るという注意義務を果たしていれば、一五時四五分に近接した時間において原告X1の上記胎児機能不全は解消された高度の蓋然性があるというべきである。

被告病院の助産師及びB医師が上記注意義務を怠った結果、原告X1は、一六時三六分に出生するまで約四八分間胎内で胎児機能不全の状態に置かれていたというべきであり、この間に原告X1の脳性麻痺が発症したと推認するのが相当である。

(2)  被告は、原告X1の臍帯血pHが七・一二一であり、基準を満たさないことから、原告X1の脳性麻痺は分娩を原因とするものではないと主張する。

しかしながら、本件の臍帯動脈血のpHは七・一二一と基準値の七・〇を上回っているが、これ自体、数値としては低い値であり、また、不足塩基量は一三・七と基準値の一二を大きく上回っている。また、挿管後の血液ガス分析検査でpHは六・八九四と基準値である七・〇を下回っている。

以上のことからすれば、原告X1の臍帯血phが七・一二一であることのみをもって、被告病院の助産師及びB医師の注意義務違反と原告X1の脳性麻痺との因果関係が否定されるものではない。

(3)  被告は、原告X1のMRI画像には短期間の受傷の場合に見られるプロファウンド型仮死の所見が全く見られないから、原告X1の脳性麻痺は分娩を原因とするものではないと主張する。

しかしながら、上記認定のとおり、原告X1の脳性麻痺は、約四八分間胎児機能不全の状態に置かれていたことに起因するものと推認されるのであるから、臍帯切断等の短期間に受傷したものということはできず、原告X1のMRI所見とは矛盾しないものであって、上記被告の主張は採用することができない。

七  争点(6)(損害)について

被告の履行補助者である被告病院の助産師及びB医師には、分娩監視に係る注意義務違反が認められるから、被告は、診療契約上の債務不履行に基づき、原告らに対し、上記注意義務違反と相当因果関係が認められる損害を賠償すべき責任を負う。

(1)  原告X1の損害

ア 逸失利益

(ア) 証拠<省略>によれば、原告X1は、平成二二年○月○日、藤田保健衛生大学病院の医師により、脳性麻痺を原因とする体幹機能障害との診断を受けたこと、原告X1は、愛知県から、同年一〇月一日までに脳性麻痺による体幹機能障害、起立位保持困難の障害名で、身体障害者等級二級の認定を受け、障害者手帳を交付されたこと、原告X1は、平成二二年三月、愛知県から、判定区分X1、身体障害二級の判定により療育手帳の交付を受けたこと、原告X1は、五歳の時点で、自分で食事をとることができず、麻痺のため物につかまってやっと少し歩けるという状態であり、言葉を話すこともできないことが認められる。

被告は、原告X1の後遺障害は徐々に改善される可能性があると主張するが、客観的証拠の裏付けを伴うものではなく、上記事実に照らし、採用することができない。

(イ) 上記(ア)で認定した事実によれば、原告X1の障害固定時期は平成二二年○月○日であり、労働能力の喪失率は一〇〇%であると認められる。そして、労働能力喪失期間を一八歳から六七歳までの四九年とし、障害固定時の年齢二歳に対応するライプニッツ係数(年金現価係数)八・三二三三を用い、基礎収入については、障害固定時である平成二二年度の賃金センサスの産業計・企業規模計・学歴計の男子平均賃金である五二三万〇二〇〇円を採用して、逸失利益を算出すると、四三五三万二五二三円(五二三万〇二〇〇円×一・〇×八・三二三三≒四三五三万二五二三円)となる。

被告は、原告X1がいずれブラジルないしボリビアに移り住むことが予想されるから、基礎年収を日本における平均年収の約一〇の一にすべきであると主張するが、原告らはいずれも定住者として適法な在留資格を有し、在留資格も毎回更新され、原告X2は平成九年から、原告X3は平成一三年から、日本で生活しているのであるから、原告らがいずれブラジルないしボリビアに移り住むことが予想されるとはいえない。したがって、被告の上記主張は採用することができない。また、原告らがブラジルないしボリビアに移り住むことが予想されるとはいえない以上、就労可能年数も日本人と同様の基準を用いるのが相当である。

イ 後遺障害慰謝料

原告X1は、被告病院の助産師及び医師の注意義務違反により重篤な身体障害が生じたことによって多大な精神的苦痛を被ったことが認められる。これに対する慰謝料は、二〇〇〇万円をもって相当と認める。

ウ 入通院慰謝料

原告X1の入通院期間に応じた慰謝料は、二〇〇万円をもって相当と認める。

エ 付添看護費

原告X1の身体障害の状態からすれば、日常生活の全てにおいて介助を必要とするというべきであり、将来の付添看護費として平均余命の七四歳に達するまで一日につき八〇〇〇円を認め、総額としてライプニッツ係数を用いて中間利息を控除した五六八二万〇二八〇円(八〇〇〇円×三六五日×一九・四五九=五六八二万〇二八〇円)を認める。

オ 弁護士費用

被告病院の助産師及び医師の注意義務違反と相当因果関係のある弁護士費用として、原告X1につき一〇〇〇万円をもって相当と認める。

カ 合計

一億三二三五万二八〇三円

(2)  原告X3及び原告X2の損害

ア 近親者固有の慰謝料

原告X1に発生した後遺障害の程度等に鑑みれば、原告X3及び原告X2も甚大な精神的苦痛を受けたというべきであり、これに対する慰謝料として、各二〇〇万円を認める。

被告は、本件の診療契約は、原告X3が、原告X1のために締結した契約であり、原告X2は契約当事者ではないから、原告X2には、診療契約上の債務不履行に基づき固有の損害賠償を求める根拠はないと主張するが、原告X2は、将来原告X1の法定代理人になる者として、原告X3と一体となって診療契約を締結したと評価することができるから、原告X2も固有の損害賠償を請求することができるというべきである。

イ 弁護士費用

被告病院の助産師及び医師の過失と相当因果関係のある弁護士費用として、原告X3及び原告X2につき各二〇万円をもって相当と認める。

ウ 合計

各二二〇万円

八  結論

以上によれば、原告らの請求は、主文の限度で理由がある。

(裁判長裁判官 朝日貴浩 裁判官 酒井智之 金納達昭)

別紙<省略>

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