大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

名古屋地方裁判所 平成24年(ワ)191号 判決 2012年12月20日

甲事件原告兼乙事件被告

X株式会社(以下「原告」という。)

同代表者代表取締役

同訴訟代理人弁護士

中村弘

中村伸子

甲事件被告兼乙事件原告

Y(以下「被告」という。)

同訴訟代理人弁護士

西村茂樹

主文

一  被告とBとの間の名古屋地方裁判所平成二一年(ワ)第七七二四号損害賠償請求事件の判決について、名古屋地方裁判所書記官は、被告に対する強制執行のため原告に承継執行文を付与すべきことを命ずる。

二  被告の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、被告の負担とする。

事実及び理由

第一請求の趣旨

一  甲事件

(1)  主文第一項と同旨

(2)  訴訟費用は、被告の負担とする。

(3)  仮執行宣言

二  乙事件

(1)  原告が承継執行文を取得したBの被告に対する名古屋地方裁判所平成二一年(ワ)第七七二四号損害賠償請求事件の執行力ある判決の正本に基づく強制執行は許さない。

(2)  訴訟費用は、原告の負担とする。

第二事案の概要

一  本件の甲事件は、原告に勤務していた被告が、勤務中に同僚であるB(以下「B」という。)に暴行を加え傷害を負わせたところ、Bが、原告及び被告を共同被告として、名古屋地方裁判所に対して不法行為及び使用者責任に基づく損害賠償請求訴訟(同裁判所平成二一年(ワ)第七七二四号)を提起し、同裁判所から連帯して支払を命じる一部認容の確定判決(以下「前訴判決」という。)を得たが、原告が、この判決に基づきBに全額を支払ったため、民法五〇〇条によりBに代位して、上記判決に表示されたBの被告に対する権利を行使できるとして、被告に対し、民事執行法三三条一項、二七条二項に基づき、承継執行文の付与の訴えを提起した事案である。

本件の乙事件は、原告が前訴判決に基づいて上記金額を支払い代位取得したとしても、使用者である原告が被用者である被告に損害賠償又は求償を請求することは信義則上できないとして、被告が、原告に対し、民事執行法三五条に基づき、請求異議の訴えを提起した事案である。

二  争いのない事実等

(1)  被告及びBは、平成一九年八月一四日当時いずれも原告の従業員であり、原告の関連会社の社員寮(○○寮)において勤務していた。なお、被告は、平成二〇年二月二九日に原告を退職した。

(2)  被告は、平成一九年八月一四日の午後六時三〇分ころ、名古屋市<以下省略>所在の○○寮の厨房で業務に従事していたBに対し、同人の首の下を押さえるなどの暴行を加えBが床に倒れ負傷したという傷害事件(以下「本件傷害事件」という。)を起こした。なお、被告は、同年一二月一八日、名古屋簡易裁判所にて傷害罪で略式命令を受けた。

(3)  Bは、被告に対して本件傷害事件が被告の故意による不法行為として、また、原告に対しては民法七一五条一項の使用者責任があるとして、原告及び被告に連帯して一三〇二万三二七一円の支払を求める訴訟を名古屋地方裁判所に提起したところ(同裁判所平成二一年(ワ)第七七二四号損害賠償請求事件)、平成二三年九月一三日、原告及び被告に連帯して一三一万二四二五円及びこれに対する平成一九年八月一四日から支払済みまで年五%の割合による遅延損害金の支払を命じるとともに仮執行宣言を付する判決が言い渡され、この判決は確定した(前訴判決)。

(4)  原告は、前訴判決に従い、平成二三年九月一五日、次のとおり合計一五八万〇八四二円をBに支払った(甲三、四)。

ア 元本 一三一万二四二五円

イ 遅延損害金 一三一万二四二五円に対する平成一九年八月一四日から弁済の日である平成二三年九月一五日までの年五%の割合

二  争点

(1)  原告に従業員に対する適切な管理を怠り、また、原告の対応の不備、管理義務等の懈怠からBへの損害賠償金額が増加し、信義則上、被告に対する求償権の行使が制限されるか(争点1)。

(2)  原告が前訴判決に従い上記金額を支払ったことにより、被告に対する承継執行文の付与を求めることができるか(争点2)。

(3)  上記(1)が認められる場合、原告に対し、前訴判決の請求異議が認められるか(争点3)。

三  当事者の主張

(1)  争点1(原告に従業員に対する適切な管理を怠り、また、原告の対応の不備、管理義務等の懈怠からBへの損害賠償金額が増加し、信義則上、被告に対する求償権の行使が制限されるか。)について

ア 被告の主張

本件傷害事件は、Bと被告が就業していた社員寮の厨房内での勤務中に発生した事件であるところ、使用者は、その事業の性格、規模、施設の状況、被用者の業務の内容、労働条件、勤務態度、加害行為の態様、加害行為の予防もしくは損失の分散についての使用者の配慮の程度その他諸般の事情に照らし、損害の公平な分担という見地から信義則上相当と認められる限度において、被用者に損害の賠償又は求償の請求をすることができる。そして、以下の原告と被告の関係等、求償権が制限される諸般の事情から、原告の求償権は、相当程度減額されることになる。

(ア) 被告の就業関係

被告は、平成一六年ころから社員等一五三人が居住している原告の○○寮に妻と居住しながら勤務し、調理主任として、調理のほか、食事のカロリー計算、食材の原価コントロール、アルバイト(パート)従業員の指導、衛生管理等の仕事を担当していた。

被告の労働時間は、朝食、昼食、夕食の調理作業時間は完全に拘束され、寮に居住していたことからその以外の時間にも仕入業者の対応、書類作成・提出等の対応を余儀なくされ、実質的には一日一四時間程度となっていたが、真面目に勤務していた。

(イ) Bの勤務態度等

Bは、平成一九年六月からパート従業員として原告にて勤務を始めたが、同年七月末ころには同勤務を辞めたいと原告に申し出た。Bの勤務態度等は芳しくなく、その他のパート従業員との人間関係も円滑ではなかった。また、Bは、原告に対し、「厨房内での清掃の回数が多い」との苦情を申述しており、その勤務態度等は、真面目なものではなかった。

(ウ) 原告のBに対する対応

原告は、上記事情を認識・把握していたにもかかわらず、Bとその他のパート従業員との人間関係を十分に調査しなかった。そして、当時のパート従業員はBを除いても四人在籍しており、Bが辞職しても業務を滞ることはなかったと推測されるにもかかわらず、原告は、Bの勤務態度を放置していた。

その上で、原告は、パート従業員同士の組み合わせとすることをせず、あえて被告とBとを組み合わせて仕事をさせた結果、本件傷害事件を誘発させた。

(エ) 被告の加害行為の態様

被告は、かっとなったため、Bの首を押させてしまったが、その程度は軽微であり、しかもBが倒れたのち自らバランスを崩したことが原因である。

(オ) その後の原告の対応

原告のC寮長は、Bに対し、平成一九年八月一七日ころ、「お前、もう来れんだろう。」、「(被告がBのことを)案外軽いんだな」と申述した。それまでBは、被告を尊敬し、警察に被害届を出すつもりがなかったにもかかわらず、C寮長の上記発言により、中村警察署へ被害届を提出することを決意した。

また、Bないしその家族は、原告に対し、本件傷害事件を金銭的に解決するため原告担当者と面談している。それにもかかわらず、原告は、その後、積極的に対応することなくBとの交渉を放置した。しかも、被告がBに対する謝罪等を希望していたにもかかわらず、それを遮断し、被告に謝罪させなかった。それのみならず、被告がBと示談交渉する機会を失わせ、被告とBとの間での早期の示談解決の機会を奪った。

その上で、原告は、Bに対し、使用者責任を否定する発言、対応をし、Bに訴訟による紛争解決の選択を決断させた。もし、原告が、積極的に関与して示談交渉をしていたか、または、完全に被告に示談交渉を委ね、被告が示談交渉をしていれば、Bが訴訟による解決を選択した可能性は極めて低く、結果として原告の支払額は少なくなった、またはなかったはずである。

イ 原告の主張

本件傷害事件は、通常人であれば何人も暴行に及ぶことのないような被害者の些細な発言に被告が突然激高して暴行、傷害に及んだという事案であり、もっぱら被告の性格や行動の特異性に起因するとしか考えられない異常行動による犯罪行為であるから、それによって被害者に生じた損害を被告自身が全部負担すべきであることは当然であり、原告の求償権が制限される理由は全くない。

(2)  争点2(原告が前訴判決に従い上記金額を支払ったことにより、被告に対する承継執行文の付与を求めることができるか。)について

ア 原告の主張

本件傷害事件については、被告の故意による不法行為である犯罪行為をも構成する違法行為であるから、民法七一五条三項により被告にて損害賠償義務を全部負担すべきであり、原告は、被告に対し、求償権として、弁済額一五八万〇八四二円及びこれに対する弁済の日の翌日である平成二三年九月一六日から支払済みまで民法所定の年五%の割合による遅延損害金の請求権を有する。

したがって、原告は、民法五〇〇条によりBを代位し、前訴判決に表示されたBの被告に対する権利を、原告による弁済の前後の遅延損害金を含め全部行使することができるので、民事執行法三三条一項、二七条二項に基づき、承継執行文の付与を求める。

イ 被告の主張

上記争点1で主張した事情からすれば、原告の求償権は、信義則上相当と認められる限度に制限されるべきである。

(3)  争点3(上記(1)が認められる場合、原告に対し、前訴判決の請求異議が認められるか。)について

ア 被告の主張

上記争点1で主張した事情からすれば、原告の求償権は、信義則上相当と認められる限度に制限され、これは原告の承継執行文による前訴判決の強制執行に対する異議事由となる。

イ 原告の主張

上記争点1で主張したとおり、原告の求償権が制限される理由は全くない。

第三当裁判所の判断

一  争点1(原告に従業員に対する適切な管理を怠り、また、原告の対応の不備、管理義務等の懈怠からBへの損害賠償金額が増加し、信義則上、被告に対する求償権の行使が制限されるか。)について

(1)  証拠(甲一、一五、乙五)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

ア 被告は、平成一九年八月一四日午後六時三〇分ころ、原告の○○寮の厨房において、自身がパート従業員を指導する役割があったため、Bの休暇の申し出の仕方につき指導しようと考え、Bに対し、急に休暇を取ると他者に迷惑がかかるので、休暇を取るのであれば早めに申し出るように述べて注意した。その後、被告が、「なぜ自分がc番の勤務をしなければならないのだ」と独り言を述べたところ、Bが、被告を元気づける意図で、被告の「人がいいから」である旨を述べた。これに対し、被告が、Bから馬鹿にされているように感じて激高し、人がいいことはないと述べながら、Bに近づき、左手で襟首をつかみ、右手で首の下を押さえた。Bが後方にのけぞる態勢となり、被告は、Bの首を数秒間押さえたところ、Bが言いすぎたとして謝ったために、その手を離したところ、Bは、態勢を崩して仰向けに倒れて後頭部を打撲した(本件傷害事件)。

イ Bは、本件傷害事件について、被告に対する民法七〇九条の不法行為責任に基づいて、また、原告に対する民法七一五条の使用者責任に基づいて、被告及び原告に対し、連帯して一三〇二万三二七一円及びこれに対する不法行為の日である平成一九年八月一四日から各支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求めたが、前訴判決においては、被告に対する民法七〇九条の不法行為責任及び原告に対する民法七一五条の使用者責任を認められたが、Bの損害額については、治療費合計五万九八二六円、休業損害一三万二五九九円、通院慰謝料一〇〇万円、弁護士費用一二万円の合計一三一万二四二五円の限度で認められた。

なお、上記通院慰謝料の判断においては、①本件傷害が故意に行われたものであること、②Bの治療として三か月以上の長期間にわたり通院して加療を受けていること、③Bが強い被害感情を有していること、④被告が謝罪していないこと、他方、⑤暴行の態様が軽微であること、⑥被告が謝罪の意思を示していることの事実が認められ、これらの事実を総合考慮して、一〇〇万円と認められた。

(2)  被告は、原告が、Bの勤務態度が真面目なものではなかったにもかかわらず、Bの勤務態度を放置し、あえて被告とBとを組み合わせて仕事をさせた結果、本件傷害事件を誘発させたと主張する。

しかしながら、Bの勤務態度が真面目でなかったこと、それにもかかわらず、あえて被告とBとを組み合わせて仕事をさせたことを認めるに足りる証拠はない。また、本件傷害行為は、Bの発言(被告は「人がいいから」という発言内容は、必ずしも馬鹿にした言動と解することができない。)に対し、被告が馬鹿にされているように感じて激高した結果に生じた偶発的なものであり、仮にBの勤務態度が真面目でなかったとしても、被告とBとを組み合わせて仕事をさせることによって、本件傷害事件が発生することを予見することは不可能であることからすれば、原告に勤務配置等において何らかの過失があったものということはできない。

したがって、被告の上記主張は採用できない。

(3)  被告は、原告のC寮長の発言から、Bが被害届を提出させる決意をさせ、原告において、積極的に示談に対する対応を放置し、また、被告がBに謝罪することを遮断して謝罪させず、さらには、被告とBとの間での早期の示談解決の機会を奪ったなどと主張する。

確かに、原告のC寮長から、被告がBの首を絞めていないと主張し、また、Bのことを「案外軽いんだな」などと聞いたことから被害届を提出したこと(乙四、五)、被告がBに謝罪しようと思っていたが、原告の担当者からはBに会わない方がよいなどと指示を受けていたこと(甲一五、乙六、被告本人)が認められる。

しかしながら、他方、Bの息子が原告の会社を訪れた際、同人から「(被告の)顔見たらぶっ殺したるから呼ぶな」と言われていたため、被告をBに会わないように指示していたこと(甲一五)も認められる。

そうすると、原告が、被告のBに謝罪することを遮断し、早期の示談解決の機会を奪ったとまではいえず(示談をする機会は、被告にその意思があれば、いつでも出来るはずである。)、原告の上記主張を考慮しても、原告にもBの損害額を増加させる原因があったものと認めることができない。

なお、前訴判決では、通院慰謝料額の算定にあたり、強い被害感情を有していることや被告の謝罪がないことなどの一切の事情を総合考慮しているが、本件傷害事件が被告の故意による不法行為であることを勘案すると、使用者責任を負担した原告が、加害者である被告(被用者)に求償する上で、求償権の範囲を制限するような事情とまではいえない。

したがって、被告の上記主張は採用できない。

(4)  その他、被告はるる事情を主張するが、いずれも原告の求償権の範囲を制限するような事情とまではいえない。

(5)  以上によれば、原告は、前訴判決に基づき、被告と連帯して負担したBに対する損害賠償金全額を支払ったことにより、Bに代位することができる。

二  争点2(原告が前訴判決に従い上記金額を支払ったことにより、被告に対する承継執行文の付与を求めることができるか。)について

上記のとおり、原告は、前訴判決に基づき、被告と連帯して負担したBに対する損害賠償金全額を支払ったのであるから、民法五〇〇条によりBに代位することができ、原告の被告に対する求償権の範囲を制限するような事情は認められず、原告は、Bの債務名義成立後の承継者として前訴判決に基づく強制執行が全額について可能であり、原告の承継執行文の付与を訴えは理由がある。

三  争点3(上記(1)が認められる場合、原告に対し、前訴判決の請求異議が認められるか。)について

上記のとおり、原告の被告に対する求償権の範囲を制限するような事情は認められず、異議事由に該当しない。

したがって、被告の請求異議の訴えは理由がない。

第四結論

以上のとおり、原告の被告に対する承継執行文付与の訴えは理由があり(なお、仮執行宣言の申立は理由がないので却下する。)、他方、被告の請求異議の訴えは理由がないから、主文のとおり判決する。

(裁判官 佐藤真弘)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例