名古屋地方裁判所 平成3年(モ)3808号 決定 1991年12月25日
債権者
梶原雅一郎
右代理人弁護士
岩月浩二
同
宮田陸奥男
債務者
馬場つう子
同
馬場寅太郎
債務者
大成プレハブ株式会社
右代表者代表取締役
幡川宏邦
債務者ら代理人弁護士
瀧川治男
主文
一 債権者と債務者ら間の当裁判所平成三年ヨ第一一一号建築工事禁止仮処分申立事件について、当裁判所が平成三年四月二四日にした仮処分命令(却下部分を除く)を取消す。
二 債権者の仮処分命令の申立(既に前記仮処分命令で却下した部分を除く)を却下する。
三 訴訟費用は債権者の負担とする。
理由
第一事案の概要
債権者は、春日井市知多町四丁目七〇番の土地上に木造瓦葺二階建の居宅(以下被害建物という)を建てて居住しているところ、債務者馬場両名はこれに隣接する同町四丁目七一番の所有土地(以下本件土地という)上に鉄筋コンクリート造五階建、一部三階建の建物(以下本件建物という)の建築を計画し、債務者大成プレハブが右工事を施工している(争いがない)。
本件は、本件建物の三階の別紙図面3の斜線部分によって被害建物が受忍限度を超える日照被害を被るとして発せられた同部分の建築工事禁止の仮処分命令に対して債務者らが異議を申立てたものである。なお、五階の一部の建築工事禁止を求める申立は却下された。
第二主要な争点
本件建物の立面図(<書証番号略>)は別紙図面3、被害建物の敷地の配置図(<書証番号略>)と立面図(<書証番号略>)は別紙図面4、本件建物と被害建物との位置関係は別紙図面1、2のとおりである(<書証番号略>)。
本件建物の敷地は従前は畑であり、被害建物の前面には庭の先に幅員六メートルの道路があるため、被害建物の日照を阻害するものはなかったが、被害建物はほぼ北東から南西に向かって伸びる前面道路と後側の川の間にあって、道路と川に平行に建てられているので(以下便宜、道路側を南、川側を北と呼ぶ)、冬至においては午後三時を過ぎると主要開口部である南向きの窓には日が当たらなかった(<書証番号略>)。
本件建物の建築によって、冬至において、被害建物の南側各開口部(窓の中心部)が日影になる時刻は、一階西側の窓は午後〇時七分から、一階東側の窓は同〇時五七分から、二階西側の窓は午後一時一分から、二階東側の窓は一時三三分からである(<書証番号略>)。
本件建物による被害建物に対する右日影が受忍限度を超えるものであるか否かが争点である。
第三争点に対する判断
1 建築基準法上の日影規制との適合
建築基準法五六条の二は、都市計画法上の用途地域の指定等に応じて、各地域において建物を建築するにはその周囲の一定範囲の土地上には規制時間以上の日影を生じさせてはいけないという形での規制を行い、もって、各地域における日照面での環境を保持しようとしている。右規制は他の建物による複合日影について規定しておらず、直ちに日照被害を被る建物に保障すべき日照の程度を定めるものではないが、右日影規制を除いた時間の日照を保障するのが相当であるとの考えが根底にあることは間違いがない。
そして、その規制内容は一般的、概括的ではあっても、種々の利益衡量を経て、その水準をもって社会的合意とすべく決定されているものであるから、右規制に適合する建物であれば、複合日影などが生じない場合には、隣家に日影を及ぼしたとしても、私法上も受忍限度の範囲内であると一応いうことができる。
本件土地は住居地域に指定されており(争いがない)、建築基準法上の日影規制は、冬至日の午前八時から午後四時までの間に建築建物の敷地の平均地盤面から四メートルの高さの水平面において敷地境界線から水平距離が五メートルを越える範囲には四時間以上、同じく一〇メートルを越える範囲には二時間三〇分以上の日影を生じさせてはならないものとされている。
本件土地の緯度は北緯三五度一四分であるが、建築確認においては、それよりも北方の北緯三五度三〇分の位置(概ね岐阜県各務原市附近)における日影によって確認することとされているところ、本件建物は、右日影規制に適合しており、建築確認もなされている(<書証番号略>)。
被害建物には他の建物による複合日影はなく、本件建物による日影の影響を受けるだけであるから、本件建物による日影被害は受忍限度の範囲内であると一応いうことができる。
2 地域性について
前記のとおり、建築基準法の日影規制は、用途地域の指定内容等に従い一律に定められており、例えば住居地域については二階建以上の中層の建物が多いことを前提として二階部分への日影を考慮した規制がなされている。
債権者は、住居地域に指定された中には、低層の住宅が密集している地域もあり、そのような地域においては、地域の状況に応じ、より規制の厳しい第一種住居専用地域の一階部分における日影の規制を満たすべきであり、本件土地はそのような地域で、しかも最も厳しい日影規制(敷地の平均地盤面から1.5メートルの高さの水平面において敷地境界線から水平距離が五メートルを越える範囲には三時間以上、同じく一〇メートルを越える範囲には二時間以上の日影を生じさせてはならない)をクリヤーしなければならないと主張する。
なるほど、本件地域には一、二階の低層の住宅が多く、半径五〇〇メートル以内には、五階建の建物が三棟、四階建の建物が九棟、三階建の建物は四五棟しか建築されていない(<書証番号略>)。
しかしながら、本件地域に現在比較的低層の住宅しか建築されていないとしても、それは現在までに田畑からの宅地化が余り進んでこなかった結果にすぎず、既に低層住宅地域として宅地化が完成しており、その良好な住居環境を積極的に維持、整備すべき地域として指定された第一種住居専用地域(春日井市において第一種住居専用地域として指定されている地域の日影規制は、敷地の平均地盤面から1.5メートルの高さの水平面において敷地境界線から水平距離が五メートルを越える範囲には四時間以上、同じく一〇メートルを越える範囲には二時間三〇分以上の日影を生じさせてはならないというものであることについては当事者間に争いがなく、これを超える日影規制であるべきだとの債権者の主張は到底採用できない)と本件地域を同視して、それと同程度の日影規制がなされなければならないとまでいうことはできない。
すなわち、本件地域附近では、JR中央線勝川駅と名鉄小牧線味美駅附近に商店街が早くから形成されたが、その周辺一帯はもともと農地であって、徐々に宅地化が進展してきたものの、本件土地附近には現在でも田畑や空地が多く残っているのである(<書証番号略>)。都市計画法上、勝川駅周辺は商業地域に指定されており、その周辺には第二種住居専用地域(日影規制は住居地域と同じ)に指定されている部分があるものの第一種住居専用地域に指定されているところはなく、また、本件建物と川を隔てた北西側は準工業地域(日影規制は住居地域と同じ)に指定されている(<書証番号略>)。
しかも、本件地域は春日井市でも南部に属し名古屋市に近く、JR中央線勝川駅から直線距離で北西約1.2キーメートル、名鉄小牧線味美駅から直線距離で東約八〇〇メートルの位置にあり、交通の便もよく、国道一九号線からは約七〇〇メートルしか離れておらず、幅員六メートルの舗装道路も整備されていて道路状況もよく、勝川駅と味美駅附近に形成された商店街や学校等の公共施設へも近く、生活上の利便性もそれなりのものがある。このような地域であって、今後は市街化区域内に残った農地の宅地化が進むものと思われる(<書証番号略>)。現に、従前田畑であったと思われる本件建物の南側道路を隔てた土地にも二年程前に二階建の建物が数棟建築されたばかりであり、債権者宅の東側土地にも本件建物の建築中に新しく二階建の建物が建築された(<書証番号略>)。
別表
被害建物の開口部が日影になり始める時刻
二階西側窓
二階東側窓
一階西側窓
一階東側窓
冬至三階のまま
一三:〇一:五八
一三:三三:四四
一二:〇七:二一
一二:五七:四六
冬至二階に変更
一三:〇八:一一
一三:三三:四四
一三:〇八:一一
一三:三一:一五
差
〇〇:〇六:一三
〇〇:〇〇:〇〇
〇一:〇〇:五〇
〇〇:三三:二九
立春三階のまま
一三:一一:四八
一四:〇七:〇九
一二:二一:二七
一三:一九:五八
被害建物を寄せたとき
東西の中央に
一三:二二:二七
一三:四三:三三
一二:三五:三五
一三:三三:五三
敷地の中央に
一四:二〇:二六
一四:四七:一八
一四:二〇:二六
一四:三四:四一
そして、住宅土地政策や経済情勢の動向に本件地域の土地の地価の水準からみると、現在の建築基準法上の規制のもとでは今後建築される建物が低層の住宅に限られるものとはにわかに考え難い。現在半径五〇〇メートル以内の範囲内に建築されている四、五階の建物一二棟の内、賃貸用建物は「コーポ知多」「イングA」、「グランドメゾン勝川」等合計八棟、(他は工場一棟、社宅二棟、公共建物一棟)で数は少ないものの最近建った建物もあり(<書証番号略>)、今後の動向をも考えると、本件建物が五階建の賃貸住宅であることをもって直ちに地域にそぐわないものということはできない。
地域の状況は前記のとおりであり、第一種住居専用地域と同等、それも最も規制の厳しい日影規制でなければならないとの債権者の主張は採用できない。
債権者は、本件土地の周辺に現在建っている建物は、一階を主要な生活の場としており、第一種住居専用地域と同等の日影規制をクリヤーできるように配慮されて建築されていると主張するが、本件建物の南側道路を隔てて建てられた二階建の建売住宅の右道路に沿って建てられた建物の一階の開口部には南側の建物により四時間程度の日影が生じていると推測され(<書証番号略>)、必ずしも附近の建物が一階開口部に四時間以上の日照を得られるようには建築されていないから、被害建物の一階への日影をもって受忍限度を超えるものとはいえない。
なお、被害建物の一階開口部である西側窓、東側窓は敷地境界線から水平距離が五メートルを越え一〇メートル以内の範囲内にあって、第一種住居専用地域の内で最も穏やかな規制である四時間未満の日影しかもたらさず、右規制の実質はクリヤーされているともいえる(<書証番号略>)。
3 日照の状況と日照被害の程度
前記のとおり、被害建物には本件建物以外による日影はないから、本件建物が建築されたとしても、冬至においても午前八時から、被害建物の一階西側の窓は四時間七分、一階東側の窓は四時間五七分、二階西側の窓は五時間一分、二階東側の窓は五時間三三分の日照時間があることになり、一階西側窓以外はほぼ五時間以上の日照時間が残るのであって、この程度の日照時間が確保されるならば、本件建物による日影被害が重大であるとはいえない。
なるほど、債権者の主張するように、三階西側部分の建築を差止めて同部分を二階とした場合には、<書証番号略>によれば一階西側の窓は午後一時八分ころから、一階東側の窓は同一時三一分から日影になり、同部分の日照時間が三〇分から一時間改善はされる(二階の開口部が日影になりはじめる時刻はほとんど変わらない。)ところ、債権者は、午後〇時から二時前後の間の日照が熱量からみて特に重要である、また、債権者は家の向きの関係上、立春時においても日影の影響がさほど改善されない特殊事情がある(<書証番号略>)と主張する。
太陽の高度が高いほど床面への単位面積当たりの熱量が大きいことはいうまでもない。しかしながら、前記のとおり、前面道路と敷地の状況から、被害建物は開口部を南東に向けて設けられており、本件建物に対する開口部から部屋の床面への日照の面積がもっとも広いのは午前九時前後であって、午後〇時過ぎには斜め西の方から鋭角的
に太陽光は入り(<書証番号略>参照)、床面への照射はかなり少なくなってしまう状況であって、熱量の点では南向きの家の場合とは事情は異なる。
このようなことからすると、債権者が主張するほど日影による被害の程度は大きいものではなく、本件において三階部分の建築を差し止めることによる改善効果はさほど大きくはない。
4 被害回避の努力と回避の可能性
債務者らは、債権者からの日影の改善要求を汲んで、本件建物を北側に寄せることを検討したが、本件建物への出入を北側に設けられた階段によることにしていたことと、自転車置場のスペースも作る必要があって、三〇センチメートル北に寄せるのが限度であった(<書証番号略>参照)。
債権者は、そのような事態になるのは、利潤追求のあまり建ぺい率と容積率一杯に建物を建築しようとしたためであり、無理があるという。しかしながら地価高騰の折、法の許容する範囲内で土地を有効利用しようとするのは無理からぬところであり、隣家に受忍限度を超える日照被害を与えない以上、その建物の出入口や階段などの構造を問題にすることはできない。
一方、被害建物は、東側境界線との間には約六メートル空けていながら、西側境界線より約1.9メートル空けているだけで、敷地中央よりは西側に寄って建てられており、南北の奥行二三メートルの内、南側の半分以上約一三メートルまでが庭である(<書証番号略>)。
右建物の配置それ自体は、周囲が田畑で建物がない状態を想定すれば常識的なものではあるが、そのような配置であるため、西側の本件建物による日影の影響が大きくなっている結果となっていることは否定できない(<書証番号略>によると、別表のとおり、被害建物が東もしくは南に寄って建てられていれば本件建物による日影被害は少なくてすんだものである。)。
5 交渉経過
債権者は、債務者は日影規制に適合することを主張するばかりで改善の要求に誠実に対応しなかったというが、債務者らは、建築確認後も、地域との建築協定締結まで工事の着手を遅らせ、債権者との間でも事前に交渉の機会を持ち、計画の説明をし、建物の配置を北側に寄せるなどの変更をしている(<書証番号略>)のであって、これ以上の変更要求が理由のないことは以上に述べたところで明らかであり、最後的に債権者の主張を容れなかったからといって、これをもって本件建築工事を差止める理由にはならない。
結論
以上の諸点を考慮すると、本件建物による被害建物への日影は、受忍限度の範囲内にあるものと結論づけざるをえない。
債権者の本件申立ては理由がないので、保全命令を取消して却下する。
(裁判官野田武明)