大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。
官報全文検索 KANPO.ORG
月額980円・今日から使える・メール通知機能・弁護士に必須
AD

名古屋地方裁判所 平成3年(ワ)1156号 判決 1992年3月18日

原告

武藤博

右訴訟代理人弁護士

深見章

被告

株式会社第一勧業銀行

右代表者代表取締役

宮崎邦次

右訴訟代理人弁護士

鈴木順二

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、金二五〇万円及びこれに対する平成三年四月二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文と同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、銀行業を営む被告と、被告栄町支店御器所特別出張所(以下「御器所出張所」という。)において、昭和五五年八月四日、普通預金取引(口座番号一三二七一八九)を、昭和五六年一二月一〇日、定期預金取引(口座番号六二〇四二六三)を開設し(以下あわせて「本件預金取引」という。)、被告から総合口座通帳(以下「本件通帳」という。)の交付を受けていた。

2(一)  被告は、平成三年四月一日午前一〇時ころ、被告名古屋駅前支店(以下「名古屋駅前支店」という。)において、前記普通預金口座につき、金二五〇万円の払戻手続を行った(以下「本件払戻」という。)。

(二)  しかし、本件払戻は、後記再抗弁欄に記載のとおり、被告の重大な過失により、原告の本件通帳等を窓口に呈示した無権限者に対してされたものであった。

3  よって、原告は、被告に対し、右払戻をされた金二五〇万円及びこれに対する平成三年四月二日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2(一)  請求原因2(一)の事実は認める。

(二)  同(二)の事実は知らない。

但し、被告の重大な過失との点は争う。

三  抗弁

1  免責約款と印鑑照合

(一) 原告と被告との間の本件預金取引契約には、以下の約定がある(以下「本件取引規定」という。)。

(1) 原告は、本件通帳と原告が予め被告に届け出た印章(以下「本件届出印章」という。)とにより、御器所出張所のほか、被告の国内本支店のどこの店舗でもその普通預金の払戻(次項の当座貸越を利用した払戻を含む。)をすることができる。

(2) 普通預金について、その残高を超えて払戻の請求があった場合には、被告は定期預金を担保に不足額を当座貸越として自動的に貸し出し、普通預金へ入金の上払戻をする。

(3) 原告が本件通帳や本件届出印章を失ったときは、直ちに書面によって御器所出張所へ届出をする。

右届出前に生じた損害については、被告は責任を負わない。

(4) この取引において、被告が払戻請求書に使用された印影と原告が予め被告に届け出た本件届出印章による印鑑(以下「本件届出印鑑」という。)とを被告が相当の注意をもって照合し、相違ないものと認めて取り扱ったときは、右請求書に偽造その他の事故があっても、そのために生じた損害について被告は責任を負わない。

(二)(1) 本件払戻は、本件届出印章が押印された所定の払戻請求書及び被告が原告に交付した本件通帳に基づくものであった。

(2) 被告は、右払戻請求書原告名下の印影と本件通帳上の本件届出印鑑とを相当の注意をもって照合し、相違のないものと認めたので、本件払戻をした。

(3) 本件払戻時には、払戻請求者の受領権限につき、取引通念上、これを疑うべき特別の事情はなかった。

(4) 原告は、本件払戻の後である平成三年四月一日午後二時三〇分ころ、被告に対し、本件通帳及び本件届出印章の盗難の届出をした。

(三) したがって、(一)(3)、(4)の約定(以下「免責約款」という。)によって、被告は責任を負わない。

2  準占有者に対する弁済

(一) 本件払戻請求者は、本件届出印章が押印された所定の払戻請求書及び本件通帳を名古屋駅前支店に持参していた。

(二) 被告は、本件払戻請求者が無権限者であることを知らなかった。

本件払戻時には、払戻請求者の受領権限につき、取引通念上、これを疑うべき特別の事情はなく、被告が本件払戻請求者が無権限者であることを知らなかったことに過失はない。

四  抗弁に対する認否

1(一)  抗弁1(一)のうち、本件取引規定が存在する事実は認めるが、その効力は争う。

右取引規定は被告の内規であって、本件払戻については効力がない。

(二)  同(二)のうち、(1)(4)の各事実は認め、(2)(3)の各事実は知らない。

2(一)  抗弁2(一)の事実は認める。

(二)  同(二)は被告の無過失を争う。

五  再抗弁(抗弁1及び2に対して)

1  本件払戻は、払戻金額が二五〇万円と多額で、かつ、払戻限度額を超過する金額であった上に、払戻請求が払戻請求にかかる預金口座の存しない名古屋駅前支店においてなされている。このような場合、払戻請求を受けた被告においては、最低限、払戻請求書に記載された筆跡と御器所出張所に登録されている署名の筆跡とを照合する義務を負う。

2  本件払戻請求書に記された筆跡は、原告が被告に登録している署名の筆跡と相違していた。名古屋駅前支店及び御器所出張所にはファクシミリが普及しているし、本件払戻請求者は三〇分以上も名古屋駅前支店に在店していたのであるから、本件で実際に両支店間でその筆跡の同一性を確認し、右払戻請求者の払戻請求権限の有無を調査することは、容易に可能であった。右のような場合、印影を照合したのみで漫然と払戻に応じた被告には重大な過失があることが明らかであり、免責約款といえども、このような場合にまで被告を免責する趣旨ではない。

六  再抗弁に対する認否

1  再抗弁1のうち、払戻金額が二五〇万円であること及び本件払戻請求が払戻請求にかかる預金口座の存しない名古屋駅前支店においてなされたことは認めるが、その余は否認ないし争う。

2  同2のうち、両支店にファクシミリが普及していることは認め、筆跡の相違及び本件払戻請求者の在店時間については知らない、その余は否認ないし争う。

第三  証拠<省略>

理由

一請求原因について

1  請求原因1、2(一)の各事実は、当事者間に争いがない。

2  同2(二)のうち、本件払戻が本件通帳を呈示した人物に対してなされたことは、証人矢野浩之(以下「矢野」という。)の証言及び原告本人尋問の結果により認められる。

二抗弁1について

1  抗弁1(一)のうち、本件取引規定が存在する事実は、当事者間に争いがなく、また、<書証番号略>及び証人西野徹(以下「西野」という。)の証言によれば、本件取引規定は原告被告間の本件預金取引契約の合意内容そのものであって被告の内規ではないことが認められる。

2(一)  抗弁1(二)(1)(4)の各事実は、当事者間に争いがない。

(二)  証人矢野の証言によって本件払戻に用いられたと認められる払戻請求書(<書証番号略>)原告名下の印影と原告が本件預金取引を開設にするに際して被告に提出した印鑑票(<書証番号略>、以下「本件印鑑票」という。)の印影との照合の結果、<書証番号略>(前掲)並びに証人西野及び同矢野の各証言に照らせば、同(2)の事実が認められ、これに反する証拠はない。

三再抗弁について

1 ところで、大量かつ定型的な銀行取引に関して、銀行が顧客との間で免責約款を含む取引規定によって定型的な契約を締結すること自体はもとより合理性を有するものというべきであるが、右免責約款といえども、取引通念上、払戻請求権者が正当な受領権限を有しないことを疑わしめる特段の事情があって、銀行が業務上尽くすべき注意を漫然怠ったためにこれを看過したような場合にまで銀行を免責する趣旨でないことは、明らかである。

2 この点、原告は、本件においては、払戻の金額が二五〇万円と高額であり、払戻限度額を超過しており、かつ、払戻の請求が預金口座のある支店とは異なる支店でされているのであるから、このような場合には、銀行としては払戻請求書の筆跡と届出の筆跡を照合すべき義務を負うと主張する。

(一) しかしながら、まず、本件において、払戻が払戻限度額を超過するものであったことを認めるに足りる証拠はなく、かえって、<書証番号略>並びに証人西野及び同矢野の各証言によれば、本件においては払戻限度額は二五〇万円を上回っていたことが認められる。

(二) 本件払戻の金額が二五〇万円であったこと及び払戻の請求が預金口座のある支店とは異なる支店でされたことは、当事者間に争いがない。

しかしながら、証人西野及び同矢野の各証言並びに今日の銀行業務の性質、内容等に鑑みれば、右金額程度の払戻は、銀行の日常業務において頻繁にされているものというべきであり、また、預金口座のある支店と異なる支店でされる払戻も、オンラインシステムの普及した今日において、格別異にするに足りないものというべきである。そして、証人矢野の証言によれば、平成三年四月一日の名古屋駅前支店における同人の取扱件数だけでも二〇〇件を超えるというのであって、銀行においては日常多額かつ多数の件数の払戻請求に応じていることが認められ、他方、払戻の請求は、家族・従業員など預金者本人の使者ないし代理人によってされることも日常的にみられるところであって、これらは当然有効な払戻として扱われなければならないのであるから、筆跡の照合のみで直ちに当該払戻請求者が正当な権利者であるかどうか判断できるわけでもない。したがって、本件程度の金額、支店の相違のみで、銀行に対して印影の照合以外に筆跡の照合等をすべき義務があるということは到底できない。

そして、そもそも、原告本人尋問の結果によれば、本件印鑑票「おなまえ」欄の署名は原告の自筆によるものか否かが原告にも明らかでなく、かつ、原告は署名鑑を銀行に届け出ていなかったことが認められるから、本件で仮にファクシミリ通信で筆跡の照合が試みられていたとしても、権利者かどうかの判断に資するところはなかったものである。

3 このように、本件においては、払戻が権利者によるものでないことを疑わしめる特段の事情もなく、被告は通常の預金払戻業務に際して合理的に要求される程度の注意義務を尽くせば足りるものであるから、本件払戻請求書(<書証番号略>)原告名下の印影と本件通帳上の本件届出印鑑とを照合し、相違がないと認めて払戻に応じた被告に過失ないし責任を認めることはできない。

四結論

以上によれば、原告の本訴請求は、理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官日髙千之 裁判官杉原麗 裁判官住山真一郎)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例