大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

名古屋地方裁判所 平成4年(レ)5号 判決 1992年10月07日

控訴人 甲野一郎

被控訴人 フクホー株式会社

右代表者代表取締役 福井正男

右訴訟代理人支配人 福井正次

主文

一  原判決を取り消す。

二  被控訴人の請求を棄却する。

三  控訴費用は、第一、二審とも、被控訴人の負担とする。

事実及び理由

一  控訴の趣旨

主文と同旨。

二  事案の概要

本件は、貸金業者である被控訴人が、控訴人に対し、貸付金残元金四万九三八六円並びにこれに対する平成三年一月七日から同年二月一一日まで年一八パーセントの割合による利息及び平成三年二月一二日から支払済みまで年三六パーセントの割合による遅延損害金の支払を請求したところ、原判決が被控訴人の右請求を認容したので、控訴人が控訴した事案である。

1  前提となる事実((二)(4) のうちの領収書交付の事実以外は争いがない。)

(一)  控訴人は、平成元年一〇月九日、浪費者であることを理由として準禁治産宣告を受け、控訴人の妻である甲野春子(以下「春子」という。)が控訴人の保佐人となった。

(二)(1)  被控訴人は、平成二年一〇月一一日、控訴人に対し、金五万円を、利息年四七・四五パーセント、遅延損害金年五四・七五パーセント、平成二年一一月一五日を第一回目の支払日とし、第二回目以降については、前回支払をした日の翌日から三五日目の日を支払日として、利息と随意の額の元金を支払う、控訴人が支払日を一回でも徒過したときは、直ちに期限の利息を失うとの約定で、貸し渡した(以下「本件消費貸借契約」という。)。

(2) 控訴人は、本件消費貸借契約締結の際、<1> 自らの意思で、被控訴人に対し、本件消費貸借契約を申し込んだものであって、右申込にあたり、借入申込書を自筆で作成した上、居住地の証明として住民票謄本を提出し、また、収入の証明として社会保険証を提示してその写しを提出した、<2> 申告した勤務先であるタカヤマ産業株式会社に自己が在籍していることを被控訴人に確認させるため同社に架電した、<3> 被控訴人が同業他社からの借入件数及びその金額、勤務及び収入の状況等を聞いたのに対して、「月収は手取二〇万円あり、勤務年数も長い。他に借金もあるが、一度も遅れたことはない。貴社の支払は毎月七日にする。」と述べた。

この間、控訴人は、被控訴人に対し、自己が準禁治産者であることを告げていない。

(3) 被控訴人は、平成二年一一月五日に二〇〇〇円(元金三七五円及び利息一六二五円)、同年一二月一〇日に二三〇〇円(元金四三円及び利息二二五七円)、平成三年一月七日に二〇〇〇円(元金一九六円及び利息一八〇四円)を各弁済した後、同年二月一二日の支払日を徒過し、期限の利益を失った。

(4) 本件消費貸借契約の締結は、貸金業の規制等に関する法律に従ってなされたものであり、被控訴人は、(3) の各弁済に対して、同法一八条及び同法施行規則一五条による領収書を控訴人に交付した(<証書番号略>)。

(三)  控訴人は、平成四年四月二七日、被控訴人に対し、本件消費貸借契約を取り消す旨の意思表示をした。

2  争点

被控訴人は、控訴人が本件消費貸借契約を取り消すことのできない事由として、次の(一)及び(二)のとおり主張し、控訴人は、これを争っている。

(一)  無能力者の詐術

被控訴人は、1(二)(2) のとおり、自己の経済能力、法律的能力、返済計画を力説する控訴人の言動によって、疑う余地なく控訴人が通常の能力者であると誤信し、その結果、本件消費貸借契約を締結したものであって、仮に控訴人が準禁治産者であることを知っていれば本件消費貸借契約を締結しなかったのであるから、控訴人の右言動は、能力者たることを信じさせるための詐術に当たる。

(二)  事後同意又は法定同意

(1)  被控訴人は、平成三年二月七日、しず子に対し、本件消費貸借契約の追認と同債務の弁済を求めた(右弁済を求めた点は争いがない。)。

(2)  しず子は、同月一八日、被控訴人に対し、「本月二一日までに私が何とかするので待ってほしい。」と述べた。

しず子は、これによって、控訴人のなした本件消費貸借契約に同意を与えたものである。

(3)  仮に前項の同意があったと認められなくとも、被控訴人の(1) の行為は、控訴人のなした本件消費貸借契約に同意をするか否かの催告に当たるものである。そして、(2) のとおりしず子が確答の猶予を被控訴人に求めてから一か月後の同年三月一八日の経過をもって、民法一九条二項の準用又は類推適用により、同意があったと見なされる。

三  争点に対する判断

1  無能力者の詐術について

(一)  民法二〇条にいう「詐術ヲ用ヰタルトキ」とは、無能力者が能力者であることを誤信させるために、相手方に対し積極的に詐術を用いた場合に限るものではなく、無能力者が無能力者であることを黙秘していた場合でも、それが、無能力者の他の言動と相挨って、相手方を誤信させ、又は誤信を強めたものと認められるときは、なお詐術に当るというべきであるが、単に無能力者であることを黙秘していたことの一事をもって、右にいう詐術に当たるというのは相当ではない。そして、ある行為が詐術に当たるとするためには、無能力者が能力者であることを信じさせる故意をもって当該行為をしたことを要すると解すべきである。

(二) 本件において、被控訴人は、控訴人の二1(二)(2) の言動をもって、能力者たることを信じさせるための詐術に当たると主張する。なるほど、当審証人河合勝己の証言及び弁論の全趣旨によれば、控訴人は本件消費貸借契約を締結する際、自己が準禁治産者であることを告げず(この点は争いがない。)、そのため被控訴人において控訴人が準禁治産者であることを知りえなかったこと、もし仮に被控訴人において控訴人が準禁治産者であることを知っていれば本件消費貸借契約を締結しなかったであろうことが認められる。しかし、控訴人の二1(二)(2) の<1>ないし<3>の言動は、専ら借金に対する自己の弁済意思及び弁済資力の存在を強調しようとするものであって、ただちには、控訴人の黙秘の態度と相挨って控訴人が能力者であるとの誤信を誘起し、又は誤信を強める内容の行為であると言うことはできない。また、当審における控訴人本人尋問の結果によれば、控訴人は、準禁治産者の宣告を受けた後にあっても、保証人の同意を得ることなく借財をしたときはこれを取り消すことができるということを十分認識していなかったことが窺われ、そうすると、控訴人としては、本件消費貸借契約締結の際、自己が準禁治産者であることをことさら秘匿する必要性があることを自覚していたともただちには言い難いので、控訴人の右言動が控訴人を能力者であることを信じさせる故意をもってなされたと認めるには十分でない。

(三) したがって、本件においては、控訴人は自己が準禁治産者であることを単に黙秘していたに過ぎないものというべきであり、控訴人の二1(二)(2) の言動をもって能力者たることを信ぜしめるための詐術に当たるということはできない。

2  事後同意について

(一)  当審証人河合勝己及び同甲野しず子の各証言によれば、被控訴人の従業員である河合は平成三年二月一五、六日頃、控訴人の兄に電話をした際、控訴人が準禁治産宣告を受けており、同人の妻しず子がその保佐人になっていることを知り、同月一八日、控訴人自宅を訪れしず子に対し、本件消費貸借契約の債務の弁済を求めた事実及びこれに対してしず子が「何とかする、待ってほしい。」と応答した事実がそれぞれ認められる。

(二)  右しず子が河合に対し「何とかする、待ってほしい。」と述べた事実をもって、本件消費貸借契約について保佐人の同意があったと評価することができるか否かについて検討するに、しず子の右発言文句は、極めて漠然としていてそれ自体から一義的にその意味内容を確定することは困難であるから、それがなされた時の状況等に照らし、これを確定するほかない。そして、当審証人甲野しず子は、右発言は河合に早く帰って欲しかったことから出たものであるとの趣旨の証言をしており、また、河合は既に控訴人が準禁治産者でることを知っており、保佐人であるしず子の同意を得ることが肝要であることを十分認識していたことが窺われるのであるから、河合がしず子の右発言により本件消費貸借契約に同意を与えられたものと理解したとすれば、金融業者の従業員である河合としては、その旨の念書をしず子から徴する等の措置を執ることが自然であるとも考えられるのにこのようなこともしていないことを考え併せると、河合自身右発言を同意の趣旨と理解していなかったとも考えられ、しず子の右発言をもって、直ちに本件消費貸借契約についての同意があったと評価することはできないものと言わざるを得ず、他に右の同意があったことを認定するに足りるだけの証拠はない。

(三)  なお、被被控訴人は、しず子が、河合に対し、「平成三年二月二一日まで」と自ら期限を示して支払の猶予を求めたとの趣旨の主張をし、証人河合もそれに沿う証言をしているが、右に認定した事情に照らせば、しず子が河合に期限を示して再来訪を促すような経過であったとは認め難く、仮にしず子がそのような期限を示したとしても、その期限に確定的に支払をするという趣旨のものとまで解することは到底困難である。

(四)  もっとも、当審証人河合勝己及び同甲野しず子の証言によれば、しず子は、河合の訪問を受けた際、本件消費貸借契約の効力を積極的に争っていないことが認められる。しかし、そもそも準禁治産者の保佐人は、準禁治産者の取り消しうべき行為につき、自ら取消権を有するものではなく、準禁治産者による取消がない限り、その行為の効力を否定できる立場にないのであるから、保佐人が準禁治産者のした行為の有効性を積極的に争わなかったからといって、直ちに準禁治産者の行為に同意を与えたと認めるべきものではない。

3  民法一九条二項の準用又は類推適用

(一)  民法一九条二項は、条文上、無能力者の法定代理人についての規定であることは明らかであるところ、準禁治産者の保佐人は、法定代理人ではないから、同項が直接適用される場合ではない。

(二)  準禁治産者の保佐人について、同項の規定を準用又は類推適用をすることができるか否かについて検討するに、民法一九条は取り消し得べき無能力者の法律行為につき相手方の催告権を認めることによってその法律行為の有効・無効を早期に確定させ、もって相手方の保護を図る趣旨であるところ、同条二項が定める無能力者の法定代理人は、相手方から催告を受けた場合に追認権と取消権のいずれをも行使することができるのであって、無能力者のした法律行為の有効・無効を確定させ得るのに対し、準禁治産者の保佐人は、催告後の事後同意によって準禁治産者の行為を有効に確定することは可能であるが、取消権を有しないから準禁治産者の行為の無効を確定することはできない。この点を考慮すると、準禁治産者の保佐人を無能力者の法定代理人と同様に扱うことはできないと言わなければならない。

(三)  したがって、準禁治産者の保佐人について民法一九条二項の準用又は類推適用を主張する被控訴人の見解は、採用できない。

4  結論

以上のとおりであるから、被控訴人の本訴請求は理由がなく、これを認容した原判決は失当であって、本件控訴は理由がある。

(裁判長裁判官 大内捷司 裁判官 矢尾渉 裁判官 住山真一郎)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例