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名古屋地方裁判所 平成4年(ワ)774号 判決 1999年9月10日

原告 西川幸子

<他2名>

右三名訴訟代理人弁護士 荻原典子

同 加藤昌秀

同 北村明美

同 柴田義朗

同 新海聡

同 杉浦英樹

同 谷佳代子

同 柘植直也

同 永井克昌

同 羽賀康子

同 兵藤俊一

同 山田幸彦

右訴訟復代理人弁護士 竹内裕詞

同 間瀬聡

被告 三菱農機株式会社

右代表者代表取締役 鴨下明治

右訴訟代理人弁護士 古曳正夫

同 田淵智久

同 山岸良太

同 菊地伸

主文

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告は、原告らに対し、それぞれ一〇三七万三四〇〇円及びこれに対する平成三年九月九日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事実関係

一  請求原因

1(一)  被告は、農業用機械の製造販売を業とする会社であるところ、昭和五八年の後半から昭和六〇年ないし昭和六一年頃までの間に、名称三菱管理機マイミニ、型式名MM三五〇、区分MM三五一S、定格出力二・五馬力/一八〇〇回転、最大出力三・五馬力なる歩行型耕耘機(以下「本件機械」という。)を製造販売した。

(二) 本件機械の形態、構造は、別紙図面記載のとおりであり、本件機械の前進、後退を停止させるためには、右ハンドルの先端付近にある主クラッチレバーを手前に引いて「切」に合わせるか、主クラッチレバーと構造及び機能上一体をなす主クラッチ断レバーを指で押す方法を採ることになるところ、主クラッチレバー及び主クラッチ断レバーは、突起状のため障害物が引っ掛かりやすいハンドルの先端部分に装着されており、ハンドルと主クラッチレバーとの間に障害物が引っ掛かったような場合には操作が不能となる。また、主クラッチレバーが操作不能となった場合に、主クラッチ断レバーも同様に操作不能となるので、これを補完する機能を持たない。そのほか、主変速レバーを「中立」に合わせることにより本件機械の進行を停止させることが物理的には可能であり、かつ、主変速レバーは主クラッチレバーとは構造及び機能上独立した装置になっているものの、本来停止を目的とした装置ではなく、混乱した精神状態に陥った作業者がこれを操作して本件機械の後退を停止させることは不可能である。

2  鬼頭マスエは、昭和五年一二月二一日生の女性であり、農家の主婦として農作業に従事していた。そして、鬼頭マスエは、平成三年九月九日、愛知県知立市八橋町山田谷八番八二所在の圃場(以下「本件圃場」という。)において本件機械を使用し、大根を栽培するため耕地の粗起こし作業に従事中、本件圃場の東南部に植えられた柿の木(以下、単に「柿の木」という。)の手前で方向転換の後、本件機械を後退させて耕耘作業を継続したところ、背後に柿の木が接近したのを認めて危険を感じ、後退を停止させる装置である主クラッチレバーを手前に引いて「切」に合わせようとしたが、柿の木の枝が本件機械のハンドルと主クラッチレバーとの間に挟まって主クラッチレバーを手前に引いて「切」に合わせることができず、後退を続ける本件機械と柿の木の間に身体を挟まれ、本件機械の左右のハンドルを繋いでいる金属製バー部分(以下「金属バー」という。)に胸の中央右側の鎖骨の下付近から左脇腹付近にかけて斜めに強度に圧迫され、右圧迫により胸部挫傷等の傷害を負い、同日右傷害により死亡するに至った(以下「本件事故」という。)。

3  本件事故は、次に述べるとおり、農家の主婦が本件機械を使用する場合に何処でも見られるような状況のもとで発生したものであって、何ら特殊な条件は存在しない。すなわち、

(一) 本件圃場は、耕作作業のため地面が軟弱かつ凹凸のある不安定な状況となっており、本件圃場で本件機械のような耕耘機を操作する場合、操作者自身がバランスを崩し、転倒したり、あるいは耕耘機についても車輪が地面の凹部に入り込む等の操作者の予想を超える動きを起こしやすい。

(二) 本件圃場は比較的狭小で、圃場内に柿の木があり、本件機械のような耕耘機を操作する場合、頻繁に方向を転換したり、柿の木等の障害物に接触し、あるいは挟まれたりする危険がある。

(三) 鬼頭マスエは、耕作や除草といった期間の限定された作業にしか本件機械を使用しておらず、連日本件機械を操作することはないため、本件機械の操作に習熟する機会がほとんどなかった。

(四) 鬼頭マスエは、本件事故当時六〇歳の年配者で、健康体ではあったが、身長約一四七センチメートル、体重約四六キログラムの小柄な体格で非力であり、思ったように身体が動かない等の身体的条件を抱えていた。また、同女は左利きであったから、右側ハンドル先端部分に設置された主クラッチレバー及び主クラッチ断レバーを操作するには支障があった。

(五) そして、鬼頭マスエは、右(一)ないし(四)の作業環境、身体的条件のもとで本件機械を使用し、本件圃場の粗起こし作業に従事中、柿の木の直近まで耕地として利用するため、本件機械を後退させ、柿の木が接近したのを認めて危険を感じ、主クラッチレバーを操作して本件機械の後退を停止させようとしたが、主クラッチレバーが柿の木の枝に接触して適切な処置を採ることができなかった上、非常事態発生の具体的な危険を察知した時点においては、混乱した精神状態に陥り、冷静に本件機械の他の停止装置を操作することも不可能な状況となって、本件事故が発生した。なお、鬼頭マスエが危険を察知してから適切に停止装置を採りうるための時間は、身体の一部が柿の木に接触して本件機械が最終停止位置に移動するまで数秒間のうちさらに極く限られた僅かな時間しかなかった。

4  本件機械は、緊急時において十分機能しうる停止装置を備えておらず、通常有すべき安全性を欠如している。すなわち、

(一) 本件機械の主クラッチレバーについては、ハンドルと主クラッチレバーとの間に障害物が挟まったりすると操作不能の状態になることは前記のとおりであるほか、主クラッチレバーは、通常作業時の停止及び作業切替を目的とし、緊急時の使用は応用でしかない。また、左利きの者にとっては適正作業域になく、操作のため四キログラムの力が必要であり、緊急時には両ハンドルを握った通常の作業状態とは違った姿勢になっている場合もあることを併せ考えれば、緊急時の停止装置として十分な機能を果たしうるものとはいえない。

(二) 本件機械の主クラッチ断レバーについては、ハンドルと主クラッチレバーとの間に障害物が挟まった場合に操作不能となることは主クラッチレバーの場合と同様である上、そもそも取扱説明書に説明がない。そして、右ハンドル付近に設置され、ハンドルを握った状態で右手で操作することが前提となっているため、左利きの者には操作しづらい。特に緊急時において両ハンドルを握った通常の作業状態と異なる姿勢にあるときは、操作が容易ではない。そのほか、小さなレバーであり、操作のため細かな作業を要すること、操作に四キログラムの力が必要であることを考えれば、緊急時の停止装置として十分な機能を果たしうるものとはいえない。

(三) 本件機械の主変速レバーについては、体格や姿勢によっては手を伸ばしても届きにくい位置にある上、本来一速、二速、ニュートラルを切り換えることを目的とし、操作する者にとって危険回避の第一の操作として選択しにくいものであるから、緊急時の停止装置として十分な機能を果たしうるものとはいえない。

(四) 本件機械の左右のハンドル両側に設置されたサイドクラッチレバーについては、ハンドルとレバーの間隔が先端部で一〇・五センチメートルであり、操作者のサイズには合致しない上、クラッチが機能するために要する力は、エンジン作動の状況等により三ないし四から八ないし九キログラムを要し、両ハンドルを握った通常の作業姿勢でなければ操作できないこと、本来緊急時の停止を目的としたものではなく、操作する者にとって危険回避の第一の操作として選択しにくいことを考えれば、緊急時の停止装置として十分な機能を果たしうるものとはいえない。

5(一)  被告は、本件機械が軟弱で不安定な地面の狭小な圃場で使用されたり、操作者の背後に樹木等の障害物が存在することがあること、操作者が足を滑らせたり、バランスを崩すことや、本件機械が窪みにはまり、後退速度が変化する等の事態が起こりうること、これらが原因となって操作者に本件機械と障害物との間に挟まれる危険が生じ、操作者が混乱した精神状態に陥ることを予見することができたから、かかる場合に十分機能を発揮しうる次のような緊急停止装置を本件機械に備えるべき注意義務があった。すなわち、

(1) 本件機械の操作者がレバーを握るという積極的操作をした場合に初めて後退を開始し、レバーを離すと停止するというように、操作者が積極的動作をし続けない限り機械が停止しているようにする装置であり、実際に製品化された例としては、操作者がクラッチを握った時のみ耕耘機が前進又は後退するいわゆる「デッドマンクラッチ」、及び操作者がレバーを握ったときのみに耕耘機が後退するいわゆる「握るとバックレバー」がある。

(2) 仮に右(1)のような装置を装着しない場合には、少なくとも、操作者が停止装置を採る一瞬の機会を逃せば停止できない装置ではなく、障害物が入っても全く機能を失うようなことのない停止装置であり、例えば、停止装置として本件のような主クラッチレバー状のものを設けるのであれば、主クラッチ断レバーは、主クラッチレバーとは独立の構造にし、主クラッチレバーが機能しなくても主クラッチ断レバーは操作できるような構造のものにする。また、万一操作者の身体が本件機械と他の事物との間に挟まれてしまったような場合にも備え、身体が耕耘機の機体の一部に触れることによって自動的に機械が停止するいわゆる「エンジンキルスイッチ」、ハンドルの下部に身体の一部が触れることによって自動的にクラッチが切れるいわゆる「ループ式補助停止レバー」等を例えば耕耘機のハンドルが高く持ち上がったような場合にも身体が触れることによってクラッチが切れる角度に設置する。

(二) そして、当時の技術水準から見て、被告が右(1)、(2)の装置を設計し装着することは容易であり、かつ製造費を高騰させるものでもなかったから、被告には本件機械に右(一)の緊急停止装置を装着しなかった過失がある。

6(一)  次に、被告は、本件機械の使用者の多くが高齢者や機械に未熟な女性であり、しかも作業環境は背後の障害物に接触する危険が大きいことを考え、使用者が障害物と接触するという事態に陥らないよう、本件機械の取扱説明書において、後退の際に安全を確かめるべき理由及びこれを怠った場合に使用者の生命・身体に危険が及ぶことを記載し、かつ、当該箇所に絵図を付記するなどして、使用者の注意を十分喚起すべき注意義務があり、具体的には次のような記載内容の取扱説明書の作成及び警告ラベルの表示等をなすべき注意義務がある。

(1) 平易な表現を用い、特に圧死の危険性及び非常停止装置の操作方法については明瞭な記載をしたうえ、字体・配色に配慮し図解の利用等によって注意を喚起する方法で、取扱説明書に次の①ないし④のとおりの内容を記載する。

① 後退時には背後に樹木やビニールハウスのパイプ等の障害物がないかを十分に注意し、障害物と機械の間に挟まれることのないよう慎重な運転を心掛けること。

② 後退時に背後の障害物に身体があたったような場合、極めて短時間に身体が障害物と機械に挟まれ自力で逃げることができないこと。

③ 機械の後退する力は強く、挟まれた場合、圧力で重傷を負い、あるいは死亡すること。

④ 挟まれそうになった場合には、直ちに主クラッチ断レバーを前に押して機械の後退を止めること。

(2) 取扱説明書の記載が十分かつ明瞭なものであっても、取扱説明書は使用のたびに消費者に現場で注意を喚起するものでないという限界があり、本件機械に関しては、使用現場で取扱説明書を読むことが期待できない。その上、ちょっとしたことで事故が生じやすく、一旦事故が発生した場合には重大な結果が生じる危険が高い。したがって、被告は、本件機械自体に、危険の種類・程度と非常停止装置の所在、操作方法が一目瞭然となるような簡潔・明瞭な内容の警告ラベルを貼付する。

(3) さらに、本件機械の前記使用者層及び、本件耕耘機の操作に運転免許等が要求されないことに鑑みれば、被告は右警告表示を取扱説明書等に明記するだけでなく、販売に際して使用者の研修を行ったり、販売後に定期的講習会を開催するなどして、警告表示を具体的に使用者に伝達する方法を講ずる。

(二) しかるに、本件機械の取扱説明書には、「後退、旋回または移動するときは、必ず『作業機の回転を止め』まわりの安全を確かめましょう」、「主クラッチレバーを急激に入れるとエンストしたり急発進したりして危険です。また後進のときはハンドルが上がり危険ですので特に注意して下さい。」、「大径車輪を装着しての後進はさけて下さい。もしやむを得ずするときは、エンジンの回転を低くし後方に注意し、ハンドルをしっかりおさえて下さい。」との記述があるのみで、後退時の安全確保につき、何に対して、どのような注意が必要なのかといった点や背後の樹木等に挟まれた場合の危険の内容及びこれによって生ずる結果についての記載を欠き、主クラッチ断レバーについても、非常時の停止装置であるという説明はもちろん、その操作方法の記述すら全くなく、わずかに「主な名称」の章に名称と所在が記載されているのみである。右の記述では安全に関する情報の伝達はおろか、機能に関する情報の伝達すらされていない。また、本件機械には警告ラベルは全く貼付されておらず、主クラッチ断レバーに関する説明ラベルもない。被告は、本件機械の使用方法について研修や講習会を行うなどの配慮を全くしていない。

したがって、被告には右(一)の注意義務に違反した過失がある。

7  鬼頭マスエは、被告の5(二)又は6(二)の過失により、本件機械の後退を停止させることができず、本件機械と柿の木の間に身体を挟まれて死亡するに至ったものであるから、被告は、鬼頭マスエに対し、民法七〇九条に基づき、右死亡事故により同女の被った次の損害を賠償すべき義務がある。

(一) 逸失利益 一一七二万〇二一一円

鬼頭マスエは、本件事故当時六〇歳の女性であり、本件事故がなければ平均稼働可能の終期六七歳まで就労することができたところ、この間の逸失利益は、平成二年賃金センサス第一巻・第一表・産業計・企業規模計・女子労働者学歴計の六〇歳ないし六四歳の平均賃金を基礎とし、生活費としてその三〇パーセントを控除した上、新ホフマン方式により中間利息を控除して算定すると、一一七二万〇二一一円となる。

(計算式)二八六万三四〇〇×〇・七×五・八四七三=一一七二万〇二一一円

(二) 死亡慰謝料 一六〇〇万円

(三) 弁護士費用 三四〇万円

8  鬼頭マスエの子である原告らは、法定相続分各三分の一の割合で鬼頭マスエを共同相続し、その権利義務一切を承継した。

9  よって、原告らは、被告に対し、本件損害賠償金として、原告ら各自につきそれぞれ一〇三七万三四〇〇円とこれに対する本件事故発生の日である平成三年九月九日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1(一)  請求原因1(一)の事実は認める。ただし、本件機械の製造販売は昭和五七年頃から平成元年頃までである。

(二) 同1(二)の事実中、本件機械の形態、構造が別紙図面記載のとおりであること、本件機械のハンドルの先端付近にある主クラッチレバーを手前に引いて「切」に合わせること、主クラッチ断レバーを指で押すこと、及び主変速レバーを「中立」に合わせることにより、本件機械の前進、後退を停止させることができることは認めるが、その余の事実は争う。

2  同2の事実中、鬼頭マスエが平成三年九月九日本件圃場において本件機械を使用し、本件機械を後退させて本件機械と背後の柿の木の間に身体を挟まれ、胸部挫傷等により死亡したことは認めるが、その余の事実は争う。鬼頭マスエは、本件機械を後退させた際、停止措置を採らなかったため、死亡したものである。

3(一)  同3(一)の事実は争う。そもそも本件圃場の地面の状況や本件機械の動きは、本件事故発生と因果関係がない。

(二) 同3(二)の事実中、本件圃場内に柿の木があること、柿の木が存在したことにより本件事故が発生したことは認めるが、その余の事実は争う。鬼頭マスエは柿の木が存在していることを十分知りながら柿の木に向かって後退し続けたのであり、また、本件圃場の広さと本件事故発生とは無関係である。

(三) 同3(三)の事実は争う。鬼頭マスエは、本件機械の操作に習熟していた。

(四) 同3(四)の事実は争う。本件機械の後退を途中で停止させるためには、(1)主クラッチレバーを「切」に合わせる、(2)主クラッチ断レバーを右手親指等で押し下げる、(3)左右のサイドクラッチレバーを両方握る、(4)主変速レバーを「中立(N)」にする方法があり、いずれも小柄で六〇歳の健康な女性でも十分操作可能な方法である。仮に鬼頭マスエが左利きであったとしても、日常的に主クラッチレバー及び主クラッチ断レバーを操作していたのであり、これを操作するに支障はない。

(五) 同3(五)の事実は争う。主クラッチレバーが柿の木に接触したことを窺わせる証拠は全くなく、原告ら主張の事故態様は架空の事実を作り上げたものにすぎない。鬼頭マスエは、自らの背後に柿の木があることを知っていたから、身体の一部が柿の木に接触したからといって、混乱した精神状態に陥ることは考えられない。また、身体の一部が柿の木に接触してからでも、停止措置を採ることは容易であり、かつ、本件機械の後退時の速度は秒速二〇センチメートルにすぎないから、鬼頭マスエが停止措置を採り、あるいは脱出措置を採るための十分な時間があった。

4  同4の各事実はいずれも争う。鬼頭マスエは、約六年間にわたり本件機械を使用し、本件機械の主クラッチレバー、主クラッチ断レバー、主変速レバー及びサイドクラッチレバー等を操作してきたものであって、いつも行なっているようにいずれかのレバーを操作することにより、本件事故の発生を回避することができた。本件事故は、鬼頭マスエの不注意によって発生したものである。

5  同5(一)、(二)の各事実は争う。原告らは、架空の事故態様を前提にして被告の注意義務違反をいうものであって失当である上、次に述べるとおり、原告らが主張する緊急停止装置は、本件機械の開発、製造、販売当時はもとより、現時点においても安全装置として確立したものではなく、被告に設置義務が存するものではない。

(1) いわゆる「デッドマンクラッチ」は、クラッチを作業中握り続けるということが必要なので操作上問題があり、本件機械のようにサイドクラッチを設置している機種については、クラッチレバーを握り続けながらサイドクラッチを握ったり離したりすることは困難である。また、操作者は、サイドクラッチ等で一般に握ると切れるという習慣があり、緊急時に逆に握りしめてしまうために危険が場合がある。したがって、被告に右装置を本件機械に設置する義務があるとはいえない。

(2) いわゆる「握るとバックレバー」についても、本件機械のように後退時に作業する機種においては、右「デッドマンクラッチ」の問題がそのまま当てはまる。

(3) いわゆる「エンジンキルスイッチ」については、クラッチを切るわけではないので、作動後もなお数秒間、数十センチメートル機体が動き続けるから、これを設置しても本件事故を回避することはできない。

(4) いわゆる「ループ式補助停止レバー」については、主クラッチ断レバーと比較すると、主クラッチ断レバーの方が短時間で操作できる上、ループ式補助停止レバーの方が木の枝等の障害物によって操作が阻害されやすい。また、ループ式補助停止レバーを、耕耘機のハンドルが高く持ち上がったような場合にも身体が触れることによってクラッチが切れる角度に設置すると、ハンドルが低い位置にあった場合には操作しにくくなり、場合によっては機能を果たさなくなる。したがって、右装置を本件機械に設置する義務があるとはいえない。

6(一)  同6(一)の事実は争う。後方に障害物がある場所で本件機械を後退させれば、操作者が機械と障害物との間に挟まれる危険があることは、一般に明白であり、このような明白な危険については警告表示の義務を生じない。鬼頭マスエ自身、後退時の危険について十分認識し、原告鬼頭富次雄に対し、この点の注意をしている。仮に被告に何らかの警告表示の義務が存在するとしても、本件機械の取扱説明書の記述でもって十分にこれを果たしており、これを超える注意義務を負うものではない。

(二) 同6(二)の事実中、本件機械の取扱説明書の記述に関する事実は認めるが、その余は争う。主クラッチ断レバーについても、説明書に記載があり、主クラッチレバーと一体の棒で繋がれた反対側にすぎず、鬼頭マスエのように約六年間にわたり本件機械を操作しておれば自然に気づく筈のものである。また、鬼頭マスエは、本件機械を購入するに当たり、販売店から本件機械の使用方法を懇切に教えてもらっている。

7  同7、8の各事実はいずれも争う。

第三当裁判所の判断

一1  被告が、農業用機械の製造販売を業とする会社であり、歩行型耕耘機である本件機械を製造販売したことは、当事者間に争いがない。

2  《証拠省略》によれば、次の事実が認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。

(一) 本件機械は、歩行型耕耘機のうち中耕、除草等の管理作業を主体とする小型の管理機に属し、約一〇アール(一反)以下の小規模圃場における畑作用の機械として企画製造された。重量は五八キログラム、動力は単気筒エンジンであり、常用(定格)の一八〇〇回転の状態で出力が二・五馬力であり、エンジンが最大の二〇〇〇回転になると出力が三・五馬力となるが、エンジンが二〇〇〇回転になるのは負荷のない状態においてであるから、作業中に本件機械が出力が三・五馬力になることはない。本件機械の後退時の速度は秒速約二〇センチメートル(時速約〇・七二キロメートル)であり、反力(後退時にハンドルを持ち上げる大きな力)は見られない。

(二) 本件機械を操作するためには、自動車運転のような免許を必要とせず、構造やメカニズムに関する知識を要しない。使用者は、特に講習を受ける必要がなく、販売店からの説明で使用できる。

(三) 本件機械は、国の定めた農業機械安全鑑定基準に適合しており、昭和五七年から平成元年まで約一万二〇〇〇台が販売されたが、本件事故以外に事故発生の報告はない。

二  《証拠省略》によれば、次の事実が認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。

1  鬼頭マスエは、本件事故当時六〇歳で、身長約一四八センチメートル、体重約四六キログラムの体格であり、農家の主婦として農業に従事し、本件圃場のほか一か所の畑と二か所の水田を耕作していた。健康体であり、年齢相応の体力を有し、約九九・二アール(一町歩)の右農地全部をほとんど一人で耕作していた。

2  鬼頭マスエは、昭和五〇年すぎ頃から田植機、コンバイン等の農機具を使用するようになり、昭和六〇年頃多少小さすぎて使いづらかった耕耘機を買い換えることとし、自分の年齢や体力も考えて、少し大きめの小型機である本件機械を購入することに決めた(なお、従前機も被告の製造にかかるものである。)。本件機械の購入には鬼頭マスエが直接当たり、購入先の地元の農機具販売店からその使用方法について説明を受け、以後これを使用していた。この間鬼頭マスエは同販売店に依頼して本件機械のロータリーの刃を数回交換している。

3  鬼頭マスエは、一週間に三、四回本件圃場で農作業に従事し、本件圃場内の事物の存在や位置等その状況を熟知し、また、本件機械は耕作又は除草のために使用しており、耕作の際には何時も本件機械と鍬を使用していた。本件機械は小回りが効くため、単純に往復して片側から残りなく耕起すること(隣接往復耕うん法)が可能であり、鬼頭マスエは、本件圃場の四隅や柿の木の周りまで隈なく耕作しようとする場合等には、本件機械を後退させて使用することがあった。

4  鬼頭マスエの長男である原告鬼頭富次雄は、子供の時から鬼頭マスエを手伝って農作業に従事し、本件機械を使用することもあったが、本件機械の説明書を読まなくても、また、細かく操作方法を教えられなくても、自然に本件機械を操作することができるようになり、本件機械の進行を停止させる際には、主クラッチレバーを手前に引くか、又は両サイドクラッチレバーを握る措置を採っていた。鬼頭マスエは、原告鬼頭富次雄が本件機械を使用している時には、後退時の危険を指摘し、同原告に対し、よく気を付けるように、よく後ろを見るように注意していた。

5  鬼頭マスエは、平成三年九月九日午後五時前頃、本件圃場において、本件機械の機体と柿の木の間に身体を挟まれ、金属バーにもたれかかる状態になり、手はハンドルの上から垂れ下がり、両足は地面に着くか着かないかの状態で耕耘機の左側に出ているところを発見された。既に呼吸、脈拍はなく、救急車で病院に搬送される前の同日午後五時四五分頃(推定)死亡した。本件圃場には、鬼頭マスエが本件機械を使用し隣接往復耕うん法で東側から粗起こしを始め、一往復した後柿の木の南側手前で方向転換して本件機械を後退させ、その後後退する本件機械の機体と柿の木の間に身体を挟まれたことを窺わせる痕跡(耕作の跡)が認められた。当時本件圃場の地面は乾燥しており、特に足場が悪いといった状況もなかった。鬼頭マスエは、金属バーと柿の木の間に挟まり、左側胸部から前胸部正中にかけて左から右上の方向に斜めに高度に圧迫され、左の乳頭がつぶれ、肋骨の骨折が認められた。

三  《証拠省略》によれば、本件機械は、(一)主クラッチレバーを手前に引き「切」に合わせる、(二)主クラッチレバーと一本の棒でつながった反対側である主クラッチ断レバーを右手親指等で押し下げることにより主クラッチを切る、(三)左右のサイドクラッチレバーを両方握る、又は(四)主変速レバーを「中立(N)」にするかのいずれかの方法により停止させることができる構造となっているところ、本件機械の取扱説明書には、主クラッチレバー、主クラッチ断レバー、サイドクラッチレバー及び主変速レバーの各設置箇所と、主クラッチレバー、サイドクラッチレバー及び主変速レバーを操作して本件機械の進行を停止させる方法が記載されており、また、主クラッチ断レバーを操作して停止させる方法は特に記載されていないものの、主クラッチ断レバーは主クラッチレバーと一本の棒でつながった反対側にあって主クラッチレバーの動きに連動するものであり、本件機械の使用者には経験上主クラッチ断レバーを使用する停止措置についても容易にこれを理解できるものと認められるから、右の事実と前示の鬼頭マスエの本件機械の使用年数、頻度等に照らせば、鬼頭マスエは、右各レバーを操作して本件機械の進行を停止する措置を理解していたことはもとより、これに習熟していたものと認めることができる。

四  《証拠省略》によれば、右の検証の際、本件被告訴訟代理人田淵智久が本件機械の停止方法等について再現実験を試みたところ、本件機械を後退させて背中に柿の木の幹が接触した後(なお、背中に柿の木の幹が接触した時点における本件機械の車輪中央部と柿の木の幹外側との距離は約一メートルである。)、主クラッチレバー又は主クラッチ断レバーを切る、左右両方のサイドクラッチレバーを握る、主変速レバーを「中立(N)」に入れるとの各方法により本件機械を停止させることができ、東側に脱出して圧迫事故を回避することもできたことが認められるところ、前示のとおり、鬼頭マスエは、本件機械を約六年にわたって使用しているし(耕作の際には何時も鍬と本件機械を使用していた。)、本件圃場では一週間に三、四日農作業に従事し、本件圃場内の事物の存在や位置等その状況を熟知していたものであるから、本件被告訴訟代理人田淵智久と比較し、本件機械操作の習熟度と本件圃場の状況に関する認識の度合において少なくとも同等以上であることが明らかな鬼頭マスエにおいては、遅くとも背中に柿の木の幹が接触する時点までには、本件機械と柿の木に挟まれる危険を察知し、適時主クラッチレバー又は主クラッチ断レバーを切る、左右両方のサイドクラッチレバーを握る、主変速レバーを「中立(N)」に入れる等の方法で、容易に本件機械を停止させることができ、あるいは東側に脱出して本件事故を回避できたことは明らかというべきである。

もっとも、工学博士池田良夫作成の事故解析報告書である甲第三二号証の一ないし三、第三七号証の一には、本件機械のような耕耘機を使用する者の通常の心理に照らして考えると、鬼頭マスエは、本件事故発生の五秒前までは作業の遂行に焦点を合わせて意識を働かせ、本件機械を停止させることを必要とする状況になく、異常事態が発現した時にそれへの対応策(別の行動)へと意識を切り替えることになったと推定され、かつ、本件事故発生前の五秒から三秒間に緊急避難行動又は緊急停止操作の危険回避行動が採られることの可能性は、一般論としては若干あったかも知れないと推定されるものの、本件の具体的な事実関係のもとでは現実には不可能又は極めて困難であって、本件機械は本件の状況下でも安全が確保できる設計とはいえない旨が記述されている。

しかし、前示のとおり、鬼頭マスエは、本件圃場の四隅や柿の木の周りまで隈なく耕作しようとする場合等に本件機械を後退させて使用していたのであり、前示の本件事故の態様や本件圃場に残された耕作跡によれば、鬼頭マスエは、本件事故当日においても、柿の木の周りまで隈なく耕作するため、柿の木の手前で本件機械を方向転換させた上後退させて使用していたものと認められ、かつ、鬼頭マスエは、本件機械を後退して使用する際の危険性や本件圃場の状況を熟知していたから、当然柿の木の存在を意識し、柿の木付近の一定の地点を耕作の終点の目標として作業をしていたものと認められるのであって、右事故解析報告書がいうように、本件事故発生の五秒前までは作業の遂行に焦点を合わせて意識を働かせ、その後異常事態が発現した時にそれへの対応策へと意識を切り替えることになったとする前提事実自体に疑問がある。また、鬼頭マスエは、それまでにも、柿の木の周りまで隈なく耕作するため、本件機械を後退させて使用していたが、事故を起こしたことはなかったのであって、事前に危険を察知して停止措置を採り、本件機械の機体と柿の木に身体を挟まれる事故を回避することを困難とするような事情はこれを窺うことはできないから、この点に照らしても、右事故解析報告書の記載はにわかに採用することができない。

なお、原告らは、本件機械のハンドルと主クラッチレバーとの間に柿の木の枝が挟まったため、主クラッチレバーの操作が阻害され、本件事故が発生したと主張するが、第一、第二回検証の結果によっても、本件事故発生当日鬼頭マスエの操作する本件機械が、柿の木の枝をハンドルと主クラッチレバーとの間に挟むような位置になることはこれを認めることができず、本件事故直後死亡している鬼頭マスエを発見した柘植直也に対する事情聴取書である甲第三一号証、柘植直也から連絡を受けて本件事故現場に駆けつけた証人鬼頭美佐子の証言中にも、原告らの右主張に沿う趣旨の記載又は供述はなく、他にもこれを認めるに足りる証拠はない(なお、甲第二七号証の一ないし八及び第三五号証は、本件事故態様の正確な再現ビデオや写真ということには疑問があるから、採用することができない。)。

五  以上のとおり、本件機械は、重量五八キログラムの小型の歩行型耕耘機であり、単気筒エンジンを動力とし、出力も定格二・五馬力程度であって、重量や出力の点からみれば、それほど危険性の高い機械であるということはできず、また、進行の速度も遅く、瞬間的な判断、動作が必要とされる場面に遭遇することも比較的少ないものというべきである。そして、本件機械を使用するには免許や構造、メカニズムに関する知識を必要とせず、原告鬼頭富次雄のように本件機械を使用しているうちに自然に操作方法を覚え、特に支障なく本件機械を使用している者もおり、始動、停止の措置を含め本件機械の操作方法に格別難しい点は認められない上、昭和五七年から平成元年まで約一万二〇〇〇台が販売されたが、本件事故以外に事故発生の報告もなかったから、これらの事情を考えれば、通常の知覚、運動能力があれば、本件機械を安全に使用することは可能であったというべきである。そして、鬼頭マスエにおいても、柿の木周辺における後退使用を含め約六年間にわたる本件機械の使用期間中、事故を起こしたことはなく、本件機械に設置された停止装置を機能させて本件事故発生を回避することが容易であったことは前示のとおりであるから、右の停止装置が備えられた本件機械について通常の安全性を欠如したものということはいえず、被告において原告ら主張の緊急停止装置設置の措置を採るべき注意義務があったということはできない(前示の本件の事実関係に照らせば、本件事故は、鬼頭マスエが、約六年間にわたる本件機械の継続的使用による慣れと、作業現場が状況を熟知した本件圃場であったことから、柿の木の周辺における本件機械の後退使用の際の安全性について何時ものような注意を欠き、少なくとも背中に柿の木の幹が接触する時点においては速やかに本件機械の停止措置や危険回避措置を採るべきであったのにこれを怠ったため惹起された可能性を否定することができない。)。

また、鬼頭マスエが、本件機械の後退使用時における危険性を認識していたことは前示のとおりである上、本件機械の取扱説明書に請求原因6(二)の使用上の注意に関する記述があったことは当事者間に争いがないから、これらの事情に照らせば、被告において、右取扱説明書の記述を超えて原告ら主張の内容の警告表示等の措置を採るべき注意義務があったということはできない。

第四結論

以上によれば、他の争点について判断するまでもなく、原告らの本訴請求はいずれも理由がないからこれらを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法六一条、六五条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 髙橋勝男 裁判官 中園浩一郎 高谷英司)

<以下省略>

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