名古屋地方裁判所 平成5年(ワ)468号 判決
原告
浅野郁郎(X)
被告
名古屋市(Y)
右代表者市長
西尾武喜
右訴訟代理人弁護士
鈴木匡
同
大場民男
右訴訟復代理人弁護士
鈴木雅雄
同
深井靖博
同
堀口久
事実及び理由
第三 争点に対する判断
一 原告の主帳する「個人交渉権」は、これを認めるに足りる法的根拠を有しないと言わざるを得ない。その理由は以下のとおりである。
1 まず第一に、不法行為の被侵害利益として「交渉権」を挙げる場合には、交渉の相手方となる者、本件について言えば当局たる教育長が、交渉の申入れに応ずべき義務すなわち一定の作為義務を負うことが必要であると解するのが相当である。なぜならば、右のような作為義務があって初めて、交渉に応じないという不行為が民事上の違法という評価を受け得ることとなるからである。
2 ところで、法五五条は、一項において、「地方公共団体の当局は、登録を受けた職員団体から、職員の給与、勤務時間その他の勤務条件に関し、及びこれに附帯して、社交的又は厚生的活動を含む適法な活動に係る事項に関し、適法な交渉の申入れがあった場合においては、その申入れに応ずべき地位に立つものとする。」と規定したうえ、同二項ないし一〇項において右交渉にかかる事項や交渉の手続等について詳細に定めている。
そして、同一一項において「職員は、職員団体に属していないという理由で、一項に規定する事項に関し、不満を表明し、又は意見を申し出る自由を否定されてはならない。」との規定を置いている。
3 当裁判所は、右各規定を次のとおり解するものである。
(一) すなわち、法五五条一項が、「登録を受けた職員団体」の適法な交渉の申入れに対し、地方公共団体の当局は右交渉の「申入れに応ずべき地位に立つものとする」と規定していること、同二項ないし一〇項において右交渉事項や交渉手続について詳細に定めていることからすれば、「登録を受けた職員団体」の適法な交渉の申入れに対しては、当局は法所定の手続に従って対応すべき行為義務、すなわち交渉の申入れに応ずべき義務を負うと解することができ、したがって前記のとおり、当局が右義務に違反した場合には、民事上違法と評価される場合が存すると言うべきである。
(二) ところが、法五五条一一項についてこれを見るに、同一項の規定とは異なり、「申入れに応ずべき地位に立つものとする」旨の文言は存せず、さらに同二項ないし一〇項を準用する旨の規定その他右各規定と同趣旨の規定も存しない。
すなわち、登録を受けた職員団体の交渉の申し入れに対して当局が一定の作為義務を負うと解する根拠としての法五五条一項の文言及び同二項ないし一〇項の規定は、同一一項についてはこれを見い出すことができないのである。
(三) ところで、原告は、「交渉権」の認められる根拠として、法五五条一一項の規定の沿革について主帳するので、この点について検討するに、昭和二三年政令第二〇一号の一条一項但書において「公務員又はその団体は、この政令の制限内において、個別的に又は団体的にその代表を通じて、苦情、意見、希望又は不満を表明し、且つ、これについて十分な話合をなし、証拠を提出することができるという意味において、国又は地方公共団体の当局と交渉する自由を否認されるものではない。」旨の規定が存したことに由来すること、また、右規定のうち団体に関する部分が、法五五条一項ないし一〇項の職員団体の交渉に関する規定となり、個人に関する部分が同条一一項の規定となったことは、それぞれ明らかであると言うべきである。
しかしながら、右政令の一条一項但書は「自由を否認されるものではない。」と規定しており、右政令の文言から直ちに積極的権利たる作為請求権を導くことは困難であることに加え、右条項の本文は、前記説示の地方公務員法上一定の場合に認められている地方公務委員の団体交渉権そのものを否定する内容であったことも併せ考えると、法五五条一一項の規定の沿革から、個人の交渉権を導き出すことは困難である。
(四) また、法五五条一一項の規定の趣旨は、前記政令第二〇一号一条一項によって否定されていた地方公務員の団体交渉権を一定の要件のもとに認めるべく、同法五五条一項ないし一〇項の規定の整備がなされたのに伴って、同政令一条一項但書に規定されていた公務員個人についての規定を整備するに際し、勤務条件等についての不満の表明、意見の申し出等を地方公務員が行なうことが自由であること、すなわち右不満の表明等を行なったことによって不利益な取扱を受けないという当然のことがらが、法五五条一項の規定によって、右不満の表明等が職員団体の専権であると誤解され、職員団体に加入していないことを理由に右不満の表明等ができないと誤って理解されることがないように、特に念のため明らかにしたものと解する他ない。
そうすると、法五五条一一項をもって、公務員個人の当局に対する「交渉権」を認めたものと解することは、右五五条の規定全体の解釈からもやはり導き出すことはできないと言わざるを得ない。
4 また、現実的に考えても、公務員個人が個別に使用者側に対して「交渉権」を有するとすれば、当局は右公務員個人の申入れに対してすべて対応しなければならず、そのような場合の実際上の不都合は明らかであり、右の道理は、原告の所属する職員団体たる名古屋市教員組合が当局との交渉に不熱心であること、あるいは原告の問題とする事項について交渉をもっていないこと等原告主帳の事実の有無に関わらず、妥当するものと言わなければならない。
二 なお、念のため付言するに、教育長が、原告の本件交渉の申入れを拒否する旨の回答をするに当たり、法五五条一一項に基づく不満又は意見は名古屋市立明豊中学校長を通じて申し出るよう原告に対して申し添えたことは、前記のとおり当事者間に争いがなく、右事実によれば、地方公共団体の職員たる原告が本来行なうことのできる行為を、教育長が妨げたと言うことができないことは明らかであって、この点からも被告の違法行為は認められない。
三 そうすると、原告の本訴請求は、不法行為の前提たる被侵害利益の存在を認めることができないから、その余の点について判断するまでもなく失当である。
よって、原告の本訴請求を棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 福田皓一 裁判官 潮見直之 黒田豊)