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名古屋地方裁判所 平成8年(ワ)1331号 判決 1997年11月28日

東京都千代田区神田司町二丁目九番地

原告

大塚製薬株式会社

右代表者代表取締役

大塚明彦

右訴訟代理人弁護士

村林隆一

同右

松本司

同右

今中利昭

同右

吉村洋

同右

浦田和栄

同右

辻川正人

同右

岩坪哲

同右

田辺保雄

同右

南聡

同右

冨田浩也

同右

酒井紀子

同右

深堀知子

名古屋市東区葵三丁目二四番二号

被告

大洋薬品工業株式会社

右代表者代表取締役

新谷重樹

右訴訟代理人弁護士

脇田輝次

右輔佐人弁理士

小野信夫

名古屋市西区児玉一丁目五番一七号

被告

マルコ製薬株式会社

右代表者代表取締役

小島茂雄

右訴訟代理人弁護士

高橋譲二

右訴訟復代理人弁護士

榎本修

主文

一  被告大洋薬品工業株式会社は、原告に対し、金二万一三六〇円及びこれに対する平成八年四月二〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告マルコ製薬株式会社は、原告に対し、金四万九七七〇円及びこれに対する平成八年四月二〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  原告のその余の請求をいずれも棄却する。

四  訴訟費用は、原告に生じた費用、被告大洋薬品工業株式会社に生じた費用の各一〇分の一を被告大洋薬品工業株式会社の負担とし、原告に生じた費用、被告マルコ製薬株式会社に生じた費用の各一〇分の一を被告マルコ製薬株式会社の負担とし、その余を原告の負担とする。

事実及び理由

第一  請求

一  被告らは、平成一〇年一〇月二八日までの間、別紙目録(一)記載の物質を製造し、輸入し、又は使用してはならない。

二  被告らは、前項記載の物質を廃棄せよ。

三  被告らは、平成一〇年一〇月二八日までの間、別紙目録(二)記載の医薬品を製造し、又は販売してはならない。

四  被告らは、前項記載の医薬品を廃棄せよ。

五  被告らは、それぞれ第三項記載の医薬品についてなされた別紙目録(三)記載の医薬品製造承認について、厚生省薬務局長に対し承認整理の届けを提出せよ。

六  被告大洋薬品工業株式会社は、原告に対し、金三〇万六八〇〇円及び内金一〇万円については、平成八年四月二〇日から、その余については、平成八年一二月一九日から、それぞれ支払済みまで、年五分の割合による金員を支払え。

七  被告マルコ製薬株式会社は、原告に対し、金七七万五四二〇円及び内金九万九五四〇円については、平成八年四月二〇日から、その余については、平成八年一二月一八日から、それぞれ支払済みまで、年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

一  争いのない事実等

1  原告は、次の二件の特許権の特許権者であったが、これらの特許権は、平成八年四月二八日の経過により、存続期間が満了した。

(一) 新規化学化合物の特許権(以下「甲特許権」といい、その特許発明を「甲発明」という。)

出願日 昭和五一年四月二八日(特願昭和五一-四七八九二号)

優先権 一九七五年四月二九日のニュージーランド(NZ)特許出願に基づく優先権主張

公告日 昭和六〇年六月二五日(特公昭和六〇-二六七八四号)

登録日 昭和六一年二月二八日(登録第一三〇四〇七八号)

発明の名称 新規カルボスチリル誘導体

特許請求の範囲 別紙「甲特許権の特許請求の範囲」記載のとおり

(二) 製剤の特許権(以下「乙特許権」といい、その特許発明を「乙発明」という。)

出願日 昭和五一年四月二八日(特願昭和五九-二一四〇九五号)

優先権 一九七五年四月二九日のニュージーランド(NZ)特許出願に基づく優先権主張

公告日 昭和六一年九月三日(特公昭和六一-三九二八八号)

登録日 昭和六二年四月二二日(登録第一三七六二一三号)

発明の名称 新規カルボスチリル誘導体を含有する気管支拡張剤

特許請求の範囲 別紙「乙特許権の特許請求の範囲」記載のとおり

2  原告は、別紙目録(一)記載の物質(以下「塩酸プロカテロール」という。)を有効成分とする気管支拡張剤(商品名「メプチン」)を製造・販売している。

剤型としては、塩酸プロカテロールを〇・〇五ミリグラム含有する錠剤「メプチン錠」・〇・〇二五ミリグラム含有する錠剤「メプチンミニ錠」及び一ミリリットル当たり〇・〇〇五ミリグラム含有するシロップ「メプチンシロップ」等がある。

3  被告らは、右「メプチン」同様、「塩酸プロカテロール」を有効成分とする気管支拡張剤の製造・販売を企図し、薬事法一四条所定の医薬品製造承認を受け、これを現に製造・販売している。被告らの各承認年月日及び医薬論の商品名は、別紙目録(三)記載のとおりである。

4(一)  被告らの前記各医薬品(後発品)の製造承認の申請には、次の資料等を添付しなければならない(薬事法一四条四項、同法施行規則一八条の三)。

<1> 物理的化学的性質並びに規格及び試験方法等に関する資料として、規格及び試験方法に関する資料

<2> 安定性に関する資料として加速試験に関する資料

<3> 吸収、分布、代謝、排泄に関する資料として生物学的同等性に関する資料

(二)  右各資料のうち、<2>及び<3>を得るためには、甲発明の技術的範囲に属する塩酸プロカテロールを自ら製造するか、又は輸入若しくは他より購入して使用し、乙発明の技術的範囲に属する医薬品を製造する必要があるところ、被告らは、これを得るために、甲特許権及び乙特許権の存続期間中である昭和六二年に、塩酸プロカテロール及びこれを有効成分とする気管支拡張剤を、業として製造使用した(以下、この製造使用を「本件製造使用」という。)。

本件製造使用に係る気管支拡張剤の量は、少なくとも、錠剤が三〇〇〇錠、シロップ500ml一が一五検体である(甲一四)。

5(一)  被告大洋薬品工業株式会社(以下「被告大洋薬品」という。)は、平成八年七月から一〇月にかけて、塩酸プロカテロールを有効成分とする気管支拡張剤であるカテプチン錠0.05mg(CATEPTIN TAB 50MCG NO VOLUNE)を、少なくとも合計金五一万七〇〇〇円販売した(甲一〇)。

(二)  被告マルコ製薬株式会社(以下「被告マルコ製薬」という。)は、平成八年七月から一〇月にかけて、いずれも塩酸プロカテロールを有効成分とする気管支拡張剤である

<1> カプテレノール錠0.025(CAPTERENOL TAB 25MCG NO VOLUME)を少なくとも金五六万三七〇〇円

<2> カプテレノールシロップ(CAPTERENOL SYR 5MCG 500ML)を少なくとも金一一二万六〇〇〇円の合計金一六八万九七〇〇円販売した。

二  争点

1  被告らによる本件製造使用は、原告の甲特許権及び乙特許権を侵害するか。

2  原告は、甲特許権及び乙特許権の存続期間満了後においても、被告らに対し、差止請求権を有するか。

3  原告は、被告らに対し、本件製造使用及び前記一の5の製造販売による損害の賠償を求めることができるか。

三  争点に関する当事者の主張

1  争点1について

(原告の主張)

被告らによる本件製造使用は、原告の甲発明及び乙発明の技術的範囲に属する物の製造使用である上、本件製造使用は、技術の進歩を目的とするものではなく、医薬品の販売を目的とするものであるから、特許法六九条にいう「試験又は研究のためにする特許発明の実施」に当たらない。したがって、被告らによる本件製造使用は、原告の甲特許権及び乙特許権を侵害する。

(被告らの主張)

被告らによる本件製造使用は、甲特許権及び乙特許権の存続期間満了後に市販品を製造販売する予定の下に、前記一の4のとおり、製造承認申請をするためのデータを得る目的でしたものであるから、特許法六九条にいう「試験又は研究のためにする特許発明の実施」に該当する。したがって、被告らによる本件製造使用は、原告の甲特許権及び乙特許権を侵害するものではない。

(被告マルコ製薬の主張)

特許法六八条にいう「特許発明の実施」とは、同法六七条二項にいう「特許発明の実施」と同様、「特許発明を利用して商業的・工業的生産活動を行い、若しくはこれによって製造された商品ないし製品を市場に投入して流通させる等の行為」を指し、本件製造使用のような準備行為は、これに該当しないというべきである。

また、仮に、本件製造使用が、「特許発明の実施」に該当するとしても、特許法等の一部を改正する法律(平成六年法律第一一六号。以下「改正法」という。)附則五条二項は、改正法公布日(平成六年一二月一四日)前に「発明の実施である事業の準備をしている者」に通常実施権を認めた規定であるところ、「実施である事業」とは、その立法趣旨からして、単なる準備行為にとどまらず、特許発明を利用して、商業的・工業的な生産活動を行い、若しくはこれによって製造された商品ないし製品を市場に投入して流通させる等の行為を指し、製造承認取得のために、僅かな量を用いて行う各種試験行為は、「実施である事業の準備」にとどまると考えるのが妥当である。

このように、改正法附則五条二項の規定は、本件製造使用のような準備行為が、特許権侵害を構成せず、違法性を有しないとの立場に立っているものと解することができる。

更に、本件製造使用は、本件特許権の存続期間内における被告製剤の製造・販売を企図してなされたものではなく、専ら本件特許権の存続期間満了後における製造・販売を目的としたものである。したがって、被告製剤は、市場において、原告製剤と何ら競争関係に立つことはなかったのであり、その意味において、本件特許権の存続期間内に本件特許発明を独占的に実施し得る原告の法的地位を何ら脅かすものではなかったのであるから、特許権侵害行為としての実質的違法性を欠くものと評価すべきである。

2  争点2について

(原告の主張)

被告らが、本件各特許権の侵害をなさずに、医薬品の製造承認申請を行うとすれば、甲特許権及び乙特許権の存続期間が満了した日の翌日である平成八年四月二九日以降に、塩酸プロカテロールを製造又は輸入若しくは他より購入して使用し、乙発明の技術的範囲に属する医薬品を製造する必要があった。

この場合、被告らが、被告ら医薬品の製造・販売を開始できるのは、薬事法上、平成一〇年一〇月二九日以後となる。すなわち、医薬品製造承認申請に添付する加速試験の試験期間は、六箇月を要し、かつ、申請に対する厚生省の審査には、二年を要するからである。

しかるところ、被告らは、甲特許権及び乙特許権を侵害する本件製造使用を行ったために、早期に、塩酸プロカテロールを有効成分とする気管支拡張剤の市販品を製造・販売することができるようになったものである。

このような場合には、特許権の存続期間経過後であっても、信義則上、特許権に基づく差止請求が認められるべきであり、原告は、被告らに対し、特許法一〇〇条一項、民法一条二項に基づき、平成一〇年一〇月二八日までの間、塩酸プロカテロールを製造し、輸入し、又は使用すること及び塩酸プロカテロールを有効成分とする気管支拡張剤を製造し又は販売することについての差止請求権を有する。

また、原告は、被告らに対し、特許法一〇〇条二項及び民法一条二項に基づき、「その他の侵害の予防に必要な行為」として、塩酸プロカテロール及び塩酸プロカテロールを有効成分とする気管支拡張剤の廃棄並びに同医薬品についてされた医薬品製造承認について、厚生省薬務局長に対し承認整理届(医薬品の製造承認を、申請者の行為によって、将来に向かって取り消す効果を有する届出)を提出することを求めることができる。

(被告らの主張)

差止請求権は、特許権の存続期間中に、特許権が有効に存続していることを絶対の必須条件として認められる権利であるところ、甲特許権及び乙特許権は、既に存続期間が満了しているのであるから、原告が、これらに基づいて、差止めを求めることはできない。何人も、特許権存続期間満了後は、当該特許発明を自由に利用することができるという特許法上の大原則を忘れてはならない。

3  争点3について

(原告の主張)

(一) 本件製造使用によって、原告は、その実施料相当額の損害を被った。

被告らが本件製造使用において製造使用した量は、前記一の4(二)のとおりであり、昭和六二年当時の本件甲発明及び乙発明の実施品の薬価は、次のとおりである。

<1> ミニ錠剤(0.025mg含有) 四二円七〇銭

<2> 錠剤(0.05mg含有) 七一円二〇銭

<3> シロップ(1ml) 二〇円八〇銭

(二) また、実施料率は、薬価の二〇パーセントが相当であるから、右実施料相当額は次のとおりとなる。

(1) 被告大洋薬品について

カテプチン錠0.05mg 四万二七二〇円

(42720=71.2×3000×0.2)

(2) 被告マルコ製薬について

<1> カプテレノール錠0.025 二万五六二〇円

(25620=42.7×3000×0.2)

<2> カプテレノール錠0.05 四万二七二〇円

(42720=71.2×3000×0.2)

<3> カプテレノールシロップ 三万一二〇〇円

(31200=20.8×500×15×0.2)

(三) 被告らの平成一〇年一〇月二八日までの間における塩酸プロカテロールを有効成分とする気管支拡張剤の製造・販売は、本件製造使用があったからこそ初めて可能になったものであるから、原告は、被告らに対し、右製造・販売によって被った損害の賠償を求めることができる。前記一の5の販売行為により、被告大洋薬品は、少なくとも金二〇万六八〇〇円の利益を、被告マルコ製薬は、少なくとも金六七万五八八〇円の利益をそれぞれ得たが、この利益は、原告が被った損害と推定される。

(被告らの主張)

被告らによる本件製造使用は、前記一の4のとおり、製造承認申請をするためのデータを得る目的でしたものであるから、原告が、それによって損害を被った事実はない。したがって、原告は、被告らに対し、本件製造使用による損害の賠償を求めることができない。

原告には、甲特許権及び乙特許権の存続期間満了後には、法的に保護されるべき権利利益は何ら存在しないから、被告らに対して、前記一の5の販売行為により被った損害の賠償を求めることはできない。仮に、特許権存続期間満了後における経済的利益をも保護するとすれば、特許法が予定している以上の過大な利益を特許権者に与えることになり、特許権存続期間を法定して、特許権者とそれ以外の者との利益の調整を図った法の趣旨が全うされなくなることは明らかである。

第三  当裁判所の判断

一  争点1について

1  被告らが、医薬品製造承認申請に必要な資料を得るための加速試験及び生物学的同等性試験に使用する目的で、甲特許権及び乙特許権の存続期間満了前である昭和六二年に、塩酸プロカテロール及びこれを有効成分とする気管支拡張剤を、業として製造し、右の各試験に使用した(本件製造使用)こと、塩酸プロカテロールは甲発明の技術的範囲に属し、塩酸プロカテロールを有効成分とする気管支拡張剤は乙発明の技術的範囲に属すること、については、当事者間に争いがない。

2  そこで、すすんで、本件製造使用が、特許法六九条にいう「試験又は研究のためにする特許発明の実施」に当たるかどうかについて、判断する。

特許法は、発明の保護及び利用を図ることにより、発明を奨励し、もって産業の発達に寄与することを目的とするものである(同法一条)ところ、試験又は研究は、発明を生じさせる基礎となり、技術の進歩をもたらすものであるから、それを特許権の実施に当たるとして禁じることは、かえって技術の進歩を阻害することになり、右目的に反することになる。そこで、同法六九条は、試験又は研究のためにする特許発明の実施には、特許権の効力が及ばないとしたものと解される。そうすると、同法六九条にいう「試験又は研究のためにする特許発明の実施」に当たるというためには、当該実施行為が、技術の進歩をもたらすようなものでなければならず、そのような性質を有しない実施行為には、特許権の効力が及ぶというべきである。

3  証拠(甲六、一四)と弁論の全趣旨によると、右1の医薬品製造承認申請に必要な資料を得るための加速試験及び生物学的同等性試験の内容は、次のようなものであることが認められる。

<1> 加速試験

一定の流通期間中の品質の安定性を短期間で推定するために実施される試験であり、最終製品を、四〇度又は貯蔵温度プラス一五度で、六か月間以上保存し、製品の品質を測定する方法で行う。

<2> 生物学的同等性試験

新医薬品として承認を与えられた医薬品と生物学的に同等であることを証明するために実施される試験で、最終製品を原則として健康人に投与して、血中濃度を測定する方法で行う。

右のとおり、加速試験及び生物学的同等性試験は、製品の品質の安定性及び既に承認を与えられた医薬品と生物学的に同等であることを明らかにするためにされるもので、それ自体としては、技術の進歩をもたらすものとは認められないりまた、その他、右の本件製造使用が、技術の進歩をもたらすものというべき事情についての主張立証はない。

したがって、本件製造使用は、特許法六九条にいう「試験又は研究のためにする特許発明の実施」に当たるとは認められない。

4  よって、被告らによる本件製造使用は、原告の甲特許権及び乙特許権を侵害する行為であると認められる。

5  なお、本件製造使用が特許権侵害に当たるとすると、被告らは、甲特許権及び乙特許権の存続期間満了後に塩酸プロカテロール及びそれを有効成分とする気管支拡張剤を製造し、右加速試験及び生物学的同等性試験をした後に医薬品製造承認申請をしなければならないが、右認定のとおり、加速試験には六箇月間要するほか、証拠(甲六)と弁論の全趣旨によると、医薬品製造承認申請をしてから、承認されるまでに約二年を要することが認められるから、甲特許権及び乙特許権の存続期間満了後、約二年六箇月間は、塩酸プロカテロールを有効成分とする気管支拡張剤を製造し、市場において販売することができないことになる。しかし、これは、薬事法が医薬品の製造について規制を設けている結果であって、特許権の効力として、製造販売が制限されるものではない(後述のとおり、原告は、被告らに対し、甲特許権及び乙特許権の存続期間満了後は、特許権に基づき、差止めを求めることはできない。)。

また、特許法六七条二項、同法施行令一条の三第二号は、薬事法が定める医薬品の製造承認を受けることが必要であるために、その特許発明を二年以上実施することができなかった場合には、特許権の存続期間を、延長登録の出願により延長することができる旨を定めていて、薬事法による規制と特許権の存続期間について調整する規定を設けているが、特許法が調整しているのは、医薬品の製造承認を受けることが必要であるためにその特許発明を実施することができなかった場合に限られており、薬事法による規制のために、特許権の存続期間満了後、すぐに特許権を実施することができなかった場合について調整する規定はない上、右存続期間の延長も、特許発明を二年以上実施することができなかった場合に出願をすることによって初めて認められるのであって、薬事法による規制がある場合に常に調整を行うものではないから、薬事法による規制があることにより、右のとおり、甲特許権及び乙特許権の存続期間満了後も一定期間、塩酸プロカテロールを有効成分とする気管支拡張剤を製造し、市場において販売することができない結果が生じるとしても、そのことが、特許法の右調整規定の趣旨を没却するとまでいうことはできない。

したがって、被告らが、甲特許権及び乙特許権の存続期間満了後も一定期間、右気管支拡張剤を製造し、市場において販売することができない結果が生じることが、特許法上許されないものであるとか、特許法の趣旨に反するものであるということはできない。

6  次に、被告マルコ製薬は、本件製造使用は、特許発明の実施に該当しないし、仮に該当するとしても、違法性を有しないなどと主張するので、この点について検討する。

(一) 特許発明の実施とは、本件特許発明のような物の発明については、その物を生産し、使用し、譲渡し、貸し渡し、若しくは輸入し、又はその譲渡若しくは貸渡しの申出(譲渡又は貸渡しのための展示を含む。)をする行為を指称するものであるところ(特許法二条三項)、本件製造使用が、右「実施」の概念に含まれることは、その条文の文言上、明らかである。

被告マルコ製薬は、特許法六七条二項が、「特許権の存続期間は、その特許発明の実施について(薬事法の製造承認)を受けることが必要であるために、その特許発明の実施をすることが二年以上できなかったときは、五年を限度として、延長登録の出願により延長することができる。」と規定していることから、医薬品の製造承認申請のために必要な試験行為は、「特許発明の実施」に含まれないとされていることが明らかであると主張する。

しかし、前記のとおり、特許法は、二条三項に「実施」についての定義規定をおいているのであるから、同法六七条二項の「その発明の実施」についても、右定義によるべきであり、次のとおり読めば、定義規定との間に齟齬はない。すなわち、同条項は、特許発明の実施(定義規定にいう実施)に該当する行為のうち、薬事法による製造承認を受けなければできない行為が、薬事法の製造承認を受けることが必要であるために、二年以上できなかったときは、延長登録の出願をすることができる、との規定であり、同項の「その特許発明の実施」は、「実施に当たる行為のうち、薬事法による製造承認を受けなければできない行為」の意味と解すべきである。このように、同法六七条二項の規定は、同法六八条の「実施」を同法二条三項一号と同義と解することの妨げにはならず、同被告の主張は採用できない。

(二) また、改正法附則五条二項の規定は、改正法公布日(平成六年一二月一四日)前に「発明の実施である事業の準備をしている者」に通常実施権を認めたものであるが、右規定は、特許法二条三項所定の「実施」概念に何ら改変を加えるものではなく、存続期間満了前に、「実施」を伴わない準備行為をしていた第三者の信頼を保護する趣旨の規定であると解すべきであるから、これをもって、本件製造使用行為が本件特許権を侵害しないことの根拠とすることはできない。

更に、本件製造使用が、専ら本件特許権の存続期間満了後における製造・販売を目的としたものであり、存続期間内における原告との市場競合の可能性がなかったとしても、これによって、原告は、少なくとも実施料相当額の損害を被っているということができるのであるから、被告らによる本件製造使用が実質的違法性を有しないということもできない。

以上に反する被告マルコ製薬の主張は、採用することができない。

二  争点2について

前記第二の一1のとおり、甲特許権及び乙特許権の存続期間が既に満了した以上、原告が、被告らに対し、これらの特許権に基づいて、差止めを求めることはできない。

なお、前記一の5のとおり、被告らは、本件製造使用を行わなかったとすれば、甲特許権及び乙特許権の存続期間満了後、一定期間(約二年六箇月間)は、塩酸プロカテロールを有効成分とする気管支拡張剤を製造し、市場において販売することができなかったものと認められるが、特許権に存続期間が設けられている以上、特許権は、その期間内においてのみ効力を有することは明らかであって、右事実は、特許権の効力を存続期間満了後も認めることの根拠となり得るものではない。

三  争点3について

1  本件製造使用によって、原告は、その実施料相当額の損害を被ったものと認められる。そして、被告らが本件製造使用において製造使用した量は、前記第二の一4(二)のとおりであり、証拠(甲一二、一四)によると、昭和六二年当時の本件甲発明及び乙発明の実施品の薬価は、次のとおりであったことが認められる。

<1> ミニ錠剤(0.25mg含有) 四二円七〇銭

<2> 錠剤(0.05mg含有) 七一円二〇銭

<3> シロップ(1ml) 二〇円八〇銭

2  また、証拠(甲一三)によると、医薬品については、契約による実施料率が一〇パーセントを超える高額な実施料の支払事例が存すること、前記一の5認定の事実に弁論の全趣旨を総合すると、被告らは、本件製造使用を行ったために、これを行わなかった場合に比べて早く、塩酸プロカテロールを有効成分とする気管支拡張剤を製造し、市場において販売することができるようになったものと認められることを考慮すると、本件における実施料は、右製造使用量に薬値を乗じたものの一〇パーセントが相当であると認められる。したがって、右実施料相当額は、次のとおりということになる。

(一) 被告大洋薬品について

カテプチン錠0.05mg 二万一三六〇円

(21360=71.2×3000×0.1)

(二) 被告マルコ製薬について

<1> カプテレノール錠0.025 一万二八一〇円

(12810=42.7×3000×0.1)

<2> カプテレノール錠0.05 二万一三六〇円

(213630=71.2×3000×0.1)

<3> カプテレノールシロップ 一万五六〇〇円

(15600=20.8×500×15×0.1)

以上合計 四万九七七〇円

3  右のとおり、被告らは、本件製造使用を行ったために、これを行わなかった場合に比べて早く、甲特許権及び乙特許権の存続期間満了後に、塩酸プロカテロールを有効成分とする気管支拡張剤を製造し、市場において販売することができるようになったものと認められる。

しかし、存続期間満了後に塩酸プロカテロールを有効成分とする気管支拡張剤を製造・販売することは、特許法の禁じるところではなく、被告らが本件製造使用を行わなかった場合に、甲特許権及び乙特許権の存続期間満了後、一定期間、右気管支拡張剤を製造して市場において販売することができないのは、薬事法の規制が存するためであるから、被告らが、本件製造使用を行ったために、これを行わなかった場合に比べて早く、甲特許権及び乙特許権の存続期間満了後に、右気管支拡張剤を製造して、市場において販売することができ、その結果、原告が損害を被ったとしても、その損害について、原告が、特許法によって保護されている利益を侵害されたとして、被告らに対して、損害賠償を求めることはできないものというべきである。

第四  総括

以上のとおり、本訴請求は、不法行為による損害賠償として、被告大洋薬品に対し、損害金二万一三六〇円及びこれに対する不法行為の後である平成八年四月二〇日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で、被告マルコ製薬に対し、損害金四万九七七〇円及びこれに対する不法行為の後である平成八年四月二〇日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で、それぞれ理由があるから、右限度においてこれを認容し、その余は失当であるから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法八九条、九二条、九三条を適用し、仮執行宣言については相当でないので付さないこととし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 野田武明 裁判官 森義之 裁判官 鈴木和典)

別紙

甲特許権の特許請求の範囲

1 一般式

<省略>

(Ⅰ)

(式中、R1、R4及びR5はそれぞれ水素原子、又は1~4個の炭素原子を有するアルキル基を表わし、R4及びR5のうちの少なくとも一つは水素原子であり、R2及びR3は同一であつても異つていてもよく、水素原子、1~4個の炭素原子を有するアルキル基、アルキル部分中に1~4個の炭素原子を有する直鎖又は分枝鎖水素原子を含むフエニル低級アルキル基を表わし、式

<省略>

で表わされるカルボスチリル骨格は式

<省略>又は<省略>

を表わす)

で表わされる新規5-(1-ヒドロキシ-2-置換アミノ)-アルキル-8-置換カルボスチリル又は-3、4-ジヒドロカルボスチリル誘導体またはその薬剤的に使用できる酸付加塩。

2 R4およびR5がともに水素原子を表わし、R2が水素原子そしてR3が1~4個の炭素原子を有するアルキル基を表わす特許請求の範囲第1項に記載の化合物。

3 化合物が5-〔(1-ヒドロキシ-2-イソプロピルアミノ)ブチル〕-8-ヒドロキシカルボスチリルまたはその薬剤的に使用できる酸付加塩。

4 化合物が5-〔(1-ヒドロキシ-2-イソプロピルアミノ)ブチル〕-8-ヒドロキシカルボスチリル塩酸塩である特許請求の範囲第3項に記載の化合物。

5 化合物が5-〔(1-ヒドロキシ-2-イソプロピルアミノ)ブチル〕-8-ヒドロキシカルボスチリル塩酸塩1水和物である特許請求の範囲第3項に記載の化合物。

別紙

乙特許権の特許請求の範囲

1 一般式

<省略>

(Ⅰ)

(式中、R1、R4及びR5はそれぞれ水素原子、又は1~4個の炭素原子を有するアルキル基を表わし、R1及びR5のうちの少くとも一つは水素原子であり、R2及びR3は同一であつても異なつていてもよく、水素原子、1~4個の炭素原子を有するアルキル基、アルキル部分中に1~4個の炭素原子を有する直鎖又は分枝鎖アルキル基を含むフエニルアルキル基を表わし、式

<省略>

で表わされるカルボスチリル骨格は式

<省略>又は<省略>

を表わす)

で表わされる5-(1-ヒドロキシ-2-置換アミノ)-アルキル-8-置換カルボスチリル又は-3、4-ジヒドロカルボスチリル誘導体又はそれらの薬剤的に使用できる酸付加塩の少くとも1種類を活性成分として含有することを特徴とする気管拡張剤。

別紙

目録 (一)

左記式

<省略>

で表される5-〔(1-ヒドロキシ-2-イソプロピルアミノ)ブチル〕-8-ヒドロキシカルボスチリル塩酸塩1/2水和物(一般名 「塩酸プロカテロール」)

別紙 目録 (二)

別紙目録 (一)記載の物質を有効成分とする気管支拡張剤

別紙

目録 (三)

被告名 販売名 承認年月日

マ製薬株式会社 カプテレノール錠0.025 平成元年 8月30日

カプテレノール錠0.05 平成元年 8月30日

カプテレノールシロップ 平成元年 8月30日

大洋薬品工業株式会社 カテプチン錠0.05mg 平年元年11月 7日

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