名古屋地方裁判所 平成9年(行ウ)13号 判決 1998年3月27日
原告
甲野太郎(仮名)(X)
被告
地方公務員災害補償基金愛知県支部長 鈴木礼治(Y)
右訴訟代理人弁護士
藤井成俊
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第三 争点に対する判断
一 争点1について
1 原告の治療経緯等
(一) 前記争いのない事実の1、〔証拠略〕によれば以下の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
原告は、平成二年九月二〇日に背筋を痛め、その後一週間程度、自宅で湿布等を貼るなどして療養していたが、背中、腰の痛み等の自覚症状が消退しないため、同年一〇月二日、山田整形外科を受診し、足の親指を牽引したり、レントゲン写真を撮るなどの検査を行った結果、椎間板ヘルニアと診断された。
そして、原告は、平成四年九月一二日、同病院の山田俊明医師から本件負傷は治ゆしたとの診断を受けたが、同医師から痛みが続くのであれば通院するように指導されたことから、その後も通院を継続した。
原告の同病院における治療内容は、牽引、電気、腰を伸ばした後湿布するといった簡単な運動療法及び理学療法に留まり、その内容は通院期間中ほとんど変わらなかった。また、投薬についても、内服薬、外用薬の処方を受けたが、その内容は消炎鎮痛を目的とする薬物及び胃腸薬等であり、かつ投薬内容も通院期間中ほとんど変化はなかった(なお、平成四年七月、同年九月から同五年四月まで、同五年八月及び同六年五月以降は、内服薬は投与されなかった。)。
(二) 原告は、平成四年五月二五日、自らの判断により名古屋市内の協立総合病院で腰椎レントゲン、MRI、CT等の検査を受け、椎間板ヘルニアと診断された。
原告は、その後、一か月におよそ一回程度の頻度で同病院に通院するようになったが、同病院での治療内容は、痛み止めの内服等の投与及び両下肢の検査、湿布等であり、山田整形外科における治療内容とほとんど同じであった。
しかして、原告は、協立総合病院の平光医師及び河内医師から、「境皮髄角手術」という外科的治療法の可能性を示唆されたが、同手術は成功するか否か確実でなく、時間の経過により成功率も下がること、かえって後遺症が残る可能性もあること等の説明を受けたため、同手術は行わなかった。
2 医師の意見等の概要は以下のとおりである。
(一) 山田俊明医師の意見(〔証拠略〕)
(1) 傷害保険後遺障害診断書(平成四年九月一四日付け・乙第五号証)
症状固定日・平成四年九月一二日
傷病名・腰部椎間板ヘルニア
自覚症状・腰痛、重いものを持つと鈍痛があり、長時間の坐位で腰板あり。
他覚症状および検査結果等・ラセーグ(-)、左下肢の知覚ほぼ正常、長母趾伸筋、腓骨筋群やや筋力低下あり。腰椎MRI L4/5後方膨隆(+)
緩解の見通し・症状固定
(2) 被告の照会に対する回答書(平成五年一〇月二〇日付け・乙第六号証)
初診時の症状
腰椎挫傷 後に左下肢筋力低下を認め、腰部椎間板ヘルニア
治療状況等
平成三年一月頃 腰痛、神経学的には著変なし、理学療法、薬物療法を行う。
平成四年一月頃 腰痛残存、理学療法、薬物療法を続ける。
平成四年六月頃 腰痛、理学療法、ときどき薬物療法を続ける。
平成四年九月頃 腰痛、他院にてMRI精査
本件負傷の程度
他院にてMRI精査あり参照されたい。現在神経症状はなし。
今後の治療の見通し
症状固定
(3) 障害診断書(平成五年一二月三日付け・乙第七号証)
療法の内容・経過 理学療法を行う。
障害の状態の詳細 腰痛、自覚症状(重い物を持つと鈍痛、長時間坐位で腰痛あり)
(二) 協立総合病院医師平光尚志作成の障害診断書(平成五年一二月二七日付け・甲第一号証)
傷病名・腰部椎間板障害
治ゆ又は症状固定について・未定
療養の内容等・薬物療法及び自立的機能訓練処方など継続した。
障害の状態・腰部可動域制限、ラセーグ徴候右五〇度、左六〇度、両下肢筋力低下、左足甲部分知覚障害
腰部可動範囲・前屈四二度、後屈三二度、右側屈八度、左側屈一〇度
(三) 協立総合病院医師河内賢作成の診断書(意見書)(平成一〇年一月五日付け・甲第二号証)
病名 腰部椎間板障害
附記 平成一〇年一月五日現在、腰椎可動域前屈六〇度、後屈三〇度、左側屈二〇度、右側屈二一度、左下肢(足部)知覚障害あり、右下肢筋力低下(四程度)、ラセーグ徴候右五〇度、左六〇度、平成八年五月二〇日MRIでは、腰椎L4/5椎間板変性を認める。自覚症状として、頭痛、両下肢しびれを訴え、MRI所見と矛盾しない。これは、平成五年一二月二七日の平光医師の診断時と比較し、可動域制限は改善されています。下肢神経症状は、ほぼ不変であり、現在のところ、コルセット装着、鎮痛剤処方にて症状をコントロールしている状態である。
3 ところで、地方公務員災害補償法上の治ゆとは、発症前と同じ健康状態に回復したこと(完治)を意味するものではなく、医学上一般的に認められている医療行為をなしても治療効果が期待できず、症状固定の状態になった場合をいうものと解するのが相当である。
そこで、前記1、2で認定した事実に基づいて検討するに、原告には、本件受傷以来、腰痛、重いものを持つと鈍痛がある、長時間の坐位で腰痛が出る等の自覚症状が残存するものの、山田俊明医師から平成四年九月一二日に症伏固定の診断を受けた前後を通じ、その自覚症状の内容は同一であるばかりか、治療内容も、症状緩和のための運動療法、理学療法及び消炎鎮痛剤の投与であって、原告が訴える痛みに対する対症療法が継続されていたものに過ぎないこと、本件受傷から右の症状固定の診断時までに既に二年が経過していること、その後の加療によっても原告の前記自覚症状は改善されていないこと等を総合考慮すると、本件負傷は、遅くとも山田俊明医師による症状固定の診断時(平成四年九月一二日)において慢性化し、通常の医療行為をなしても治療効果が期待できない状態になっていたものと解するのが相当である。
なお、前記認定のとおり、平成五年一二月二七日付けの平光医師作成の障害診断書と同一〇年二月五日付けの河内医師作成の診断書によれば、原告の腰椎の可動域は右の期間中に、前屈が四二度から六〇度に、左側屈が一〇度から二〇度に、右側屈が八度から二一度にそれぞれ拡大していることが認められるが、〔証拠略〕によれば、前屈の正常可動範囲は四五度であることが認められるから、前屈については原告はもともと正常人と同程度の可動域を有していたものであること、また、左側屈及び右側屈については、その測定方法が自動運動によるものであるところ、右側定値は当日の体調、気候によっても影響を受けるものであること等を考慮すると、右の各測定値の差をもって治療効果があったものと速断することはできないものというべきである。
また、協立総合病院の平光医師は、平成五年一二月二七日付けの診断書において症状固定時期は未定としているが、同病院における治療内容も腰痛等に対する対症療法に過ぎないこと、また、平光医師が原告を診察していたのは一か月に一回程度であるから、平光医師の診断よりも原告の主治医であり原告の症状を最もよく把握している山田俊明医師の診断の方がより正確であると認められることからすると、平光医師の右診断も前記認定を覆すに足りないものというべきである。
そうすると、原告の本件負傷は、平成四年九月一二日に治ゆしたものと認めるのが相当であるから、本件処分中、同日以降の治療費について療養補償費を支給しないとした被告の判断に違法はない。
二 争点2について
原告が本件請求を行った日が、平成五年八月六日であることは当事者間に争いがない。ところで、地方公務員災害補償法六三条は、療養補償を受ける権利について、二年間これを行わないときは時効によって消滅すると規定しているところ、右消滅時効は、療養補償を受ける権利が発生した日の翌日から進行し、被災者が補償請求をすることにより中断するものと解するのが相当である。そして、右の療養補償を受ける権利が発生した日とは、被災者において療養費用の支払義務が確定した日と解するのが相当であるから、本件においては、平成三年八月五日以前に発生した治療費の療養補償を受ける権利は特効により消滅したものというべきである。
なお、原告は、原告本人尋問において、原告が勤務する大府市役所の人事課の担当者から、腰痛事案については公務災害の認定が難しいと言われ、さらに担当者が異動した際に引き継ぎがなされずに放置されたため、本件療養補償費の請求が遅れた旨供述している。しかし、仮に右の事実が存在したとしても、被告と大府市とは別個独立の機関であり、被告において療養補償費の請求手続につき大府市の職員を指揮、監督する権限を有しているものではないから、被告が前記消滅時効を援用することが信義則に反するものとはいえない。
よって、本件処分中、被告が平成三年八月五日以前の治療費について療養補償費を支給しないとした判断に違法はない。
三 争点3について
診断書、処方箋、その他の意見書等の文書料については、地方公務員災害補償法二七条一号の「診察」に含まれるものと解されるところ、同条が補償の対象とするものは、療養上相当と認められるものに限定されていることにかんがみれば、右文書料は、療養補償の実施上必要と認められるものに限られ、病気休暇届等の服務関係上の法律関係の確定等、他の目的に使用するために交付を受けたような場合は含まれないと解するのが相当である。
しかるところ、原告が本件で療養補償を求めている障害診断書は、原告の後遺障害に関する診断書であって、原告が保険金請求のために作成してもらったもの(原告本人尋問の結果)であり、本件請求のように療養補償費の支給を求める場合に添附することが求められている文書(地方公務員災害補償法一二条一項、同基金業務規程七条三項)には該当しないから、本件障害診断書料は、療養補償の実施上必要と認められるものには該当しないものというべきである。
よって、本件処分中、被告が本件障害診断書料を支給しないとした判断に違法はない。
四 争点4について
1 〔証拠略〕によれば以下の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
原告は、平成四年五月から協立総合病院に通院するようになったが、同病院への通院は、従前から通院していた山田整形外科の山田俊明医師の指示あるいは紹介によるものではなく、自らの判断で検査のために受診したことが契機となったものであった。しかして、原告が名古屋市熱田区所在の協立総合病院に通院するには、自宅から約三〇分程度を要するところ、原告の住居地あるいは勤務先である大府市役所周辺には、山田整形外科のほかにも、少なくとも三か所の整形外科を診療科目とする病院があった。
2 ところで、地方公務員災害補償法二七条四号は、移送費(通院費)を療養補償の対象としているが、右規定によれば、右移送費(通院費)は療養上相当と認められるものに限られているところ、右療養上相当と認められる場合とは、医学上又は社会通念上必要かつ相当な場合を指すものと解するのが相当である。
しかして、前記認定事実によれば、協立総合病院への通院は主治医であった山田俊明医師の指示によるものではなく、また、同病院での診療内容は、前記一1(一)、(二)で認定したとおり、山田整形外科での診療内容とほぼ同様であったこと、また、原告が大府市内の整形外科の診療科目を有する病院ではなく、協立総合病院に通院しなければならない特段の理由を認めるに足りる証拠もないことからすると、協立総合病院への通院は医学上又は社会通念上必要かつ相当な場合に該当しないものというべきである。
よって、本件処分中、被告が協立総合病院への移送費(通院費)を支給しないとした判断に違法はない。
第四 結論
よって、原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法七条、民事訴訟法六一条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 林道春 裁判官 由本剛史 片野正樹)