名古屋地方裁判所 昭和24年(ワ)708号 判決
原告 加藤善三郎
被告 河島高太郎
一、主 文
被告は原告に対し金十五万九千九百円及びこれに対する昭和二十四年十月一日より右完済に至る迄年五分の割合による金員を支拂わねばならない。
訴訟費用は被告の負担とする。
この判決は原告に於て金六万円の担保を供託するときは仮に執行することができる。
二、事 実
原告訴訟代理人は主文第一、二項同旨の判決並に仮執行の宣言を求める旨申立て、その請求原因として、(一)原告は昭和二十四年二月十七日被告より土地所有登記名義人訴外林常次郎なる名古屋市中区江川端町五丁目五番の五宅地九十一坪五合五勺を代金十五万九千九百円で代金支拂いと同時に被告は原告は対し右常次郎名義の賣渡証書、土地権利証所有権移轉登記委任状等登記に必要な関係書類を交付して本件不動産の所有権を移轉する約定のもとに買受け、同日被告に対し手附金として金三万五千円を、同年三月二日残代金十二万四千九百円を夫々支拂い、同日被告より右各書類の交付を受けた。(二)而して原告は右書類により前記不動産の所有権移轉登記手続をなさんとしたところ、該不動産は右林常次郎より同年二月二十八日附にて訴外林菊枝名義に所有権移轉登記がなされていた爲これが登記手続をなすことができなくなつた。(三)よつて原告は被告に対し右不動産の登記名義を原告に移轉すべく屡々請求したが、前記の通り訴外常次郎より同菊枝にその移轉登記が爲されている爲被告は右不動産の所有権移轉登記を爲すこと能わざる状況に立至つたので、原告は止むなく同年九月十日内容証明郵便を以つて被告に対し前示賣買契約を解除する旨の意思表示を爲し、該意思表示はその頃被告に到達したから右賣買契約は有効に解除された。從つて被告は曩に原告より受取つた前記賣買代金十五万九千九百円を原告に返還すべき義務があるから原告は被告に対し右代金及び本件訴状送達の日の翌日である昭和二十四年十月一日より右完済に至る迄民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支拂を求める爲本訴請求に及ぶと陳述し、被告の答弁に対し原告は昭和二十四年八月十五日頃被告より原被告共同して訴外林常次郎を相手方とする訴訟を提起すべく交渉を受けたことは認めるが、その主張のような和解契約を爲したことはない。その他の抗弁事実は否認すると述べた。<立証省略>
被告訴訟代理人は原告の請求を棄却する旨の判決を求め、答弁として原告主張事実中(一)、(二)及び(三)の被告が原告よりその主張の頃本件賣買契約解除の意思表示を受けたことはこれを認めるが、その余の点は否認する。然しながら(一)本件不動産は元訴外林常次郎の所有であつたが、同人はこれを訴外山田銀作に対し右不動産の賣渡証書、権利証及び所有権移轉登記の白紙委任状を交付して賣渡し、被告は右銀作より、原告は被告よりいずれも該不動産が登記簿上右林常次郎名義であることを知りながらこれを前記各書類の交付を受けて買受けたものであつて、右林を除く賣渡人は右賣買に際しそれぞれその後者に対し登記義務を負担しない黙示の合意があつたのであるから、被告は右不動産の買受人である原告に対しその所有権移轉登記義務を負担しないというべきであり、從つて登記に必要な右各書類の交付によつて本件賣買契約上の義務を完全に果したのであるから本件賣買代金の返還義務がない。(二)仮に被告に登記移轉義務があるとしても、本件賣買代金の支拂期日は昭和二十四年二月二十七日と定めてあつたに拘らず原告は右支拂期日にこれを履行せず、同年三月二日に至つて始めてその支拂を了した爲、その間を利用して右常次郎が自己にその登記名義の存することを奇貨として同年二月二十八日その妻菊枝に右所有権移轉登記をなしたのであるから原告が右支拂期日に代金の支拂をなしたならば、被告はこれと引換えに登記に必要な前記各書類を原告に交付することができ、原告はこれにより即日その所有権移轉登記を爲し得た筈である。從つて被告の右登記義務が履行不能となつたのは債権者たる原告が右代金の支拂を怠つたこと、即ち原告の責に帰すべき事由に因るものといえるから民法第五百三十六條第二項本文により、その危險は原告の負担となり債務者たる被告は前記登記義務に対する反対給付である右賣買代金の支持を受ける権利を失わないから、原告より受領した右代金の返還義務がない。(三)仮に右主張は理由がないとするも、原告の本件賣買契約の解除は相当の期間を定めて履行の催告を爲さずに突然被告に対し契約解除の意思表示を爲したものであるから無効である。(四)尚以上の抗弁がいずれも理由がないとするも同年九月上旬頃原告と被告との間に於て、原被告両名で費用を分担し原告より前記林常次郎及び同菊枝を相手方として訴訟を提起することとし、被告に対しては本件につき何等の請求も爲さない旨の和解契約が成立しているから原告の本訴請求は失当であると陳述した。<立証省略>
三、理 由
原告は被告より昭和二十四年二月十七日原告主張のような登記簿上訴外林常次郎所有名義の不動産を代金十五万九千九百円で買受け、即日手附金として金三万五千円を支拂い、更に同年三月二日残代金十一万四千九百円を支拂つて被告より右常次郎名義の土地権利証、所有権移轉登記委任状、賣渡証書等登記に必要な関係書類の交付を受けたこと、右不動産は同年二月二十八日附にて右常次郎より訴外林菊枝に所有権移轉登記が爲された爲原告はその所有権移轉登記手続を受けることができなくなつたことはいずれも当事者間に爭がない。よつて被告の抗弁について考えて見るに、成立に爭のない甲第一号証、同第二号証の一、二、同第三乃至第五号及び乙第一乃至第三号証に証人磯山三郎の証言及び原被告各本人の供述(但し証人及び被告本人の供述中後記信用しない分を除く)を綜合すると、本件不動産はもと訴外林常次郎の所有であつたところ同人はこれを訴外山田銀作に対し買主を白紙にした賣主林常次郎名義の不動産賣渡証書、同権利証書、所有権移轉登記申請の白紙委任状及び印鑑証明書を交付して賣渡し、右銀作は更にこれを被告に被告は次にこれを原告に、右各書類を順次交付して賣渡したこと及び右各賣買に際してはいずれも該不動産の登記簿上の所有者が右常次郎名義であることを知つていたこと、而して右常次郎は本件不動産を訴外銀作に賣渡すに当り該不動産が前記書類によつて順次轉賣された場合、最後の買受人たる右書類の所持人に対して直接所有権移轉登記義務を負担する旨の黙示の意思表示を爲し、右銀作及び被告も亦それぞれその後者に対し所謂中間登記を省略して右常次郎に該土地の所有権移轉登記を請求することができる旨の黙示の合意があつたことが窺われるが、不動産の賣買にあつてはこれにより当然買主より賣主に対し登記移轉請求権が発生するものと見るべきであつて、本件賣買契約にあつてもこのことには変りはないと謂うべきところ、原被告間に於てはこの登記移轉請求権をも認めないとする合意があつたことについてはこれを肯認するに足る証拠がない。而して右常次郎は本件不動産の所有権を訴外菊枝に移轉し、その登記を完了したことは前示の通りであるから被告はもはや右常次郎から該不動産の所有権移轉登記を受けることができず、從つて又原告にその移轉登記義務を履行すること能わざる状態にあるものと謂わねばならない。被告は、右登記移轉義務の履行不能はその主張のように債権者たる原告の責に帰すべき事由によつて生じたのであるから、その危險は債権者たる原告に於て負担すべきであると主張するが、証人磯山三郎及び被告本人の各供述によれば本件賣買代金の支拂期日は最初昭和二十四年二月二十七日と定めたところ、その後原告に於て右支拂期日の延期方を申出た爲、双方合意の上右支拂期日を同年三月二日迄延期し、同日原告はその支拂を了したことが認められるから、原告の右代金支拂については何等責むべき理由がないのみならず、本件不動産は右代金支拂の以前である同年二月二十八日既に前記常次郎より菊枝にその所有権移轉登記が爲され、被告の前示登記義務が履行不能となつていたことは前段に認定した通りであるから、原告には何等その責に帰すべき事由があるものということができない。
よつて次に本件賣買契約の解除が有効になされたかどうかについて考えて見ると、凡そ或る不動産について事実上所有権の移轉があつても未だ其の登記が経由されず、登記簿上依然他人の所有名義にあるときは該不動産の賣買は登記の関係より見れば恰も他人の物の賣買と同様の関係にあるから、その法律関係についても他人の権利の賣買に関する民法の規定の準用あるものと解すべく、この場合賣主は右所有名義人より所有権移轉登記を受けて買主にこの移轉登記義務を履行することできなくなつたときは、買主は唯それだけの事由に基いてその賣買契約を解除する権利を有するものと謂わねばならない。しからば本件賣買契約はさきに認定したように他人の物の賣買と同視すべき場合であるから原告は民法第五百六十一條により右履行不能を事由として被告との間の右契約を解除し得べく、而して原告は昭和二十四年九月十日被告に対し本件賣買契約解除の意思表示を爲し、この意思表示はその頃被告に到達したことは当事者間に爭いないから右賣買は右意思表示により有効に解除されたものといわねばならない。被告は右賣買契約の解除は相当の期間を定めて履行の催告を爲さず直ちにその意思表示をしたものであるから無効である旨抗爭するが、民法第五百六十一條の規定は一般原則である同法第五百四十一條乃至第五百四十三條の特別規定と解すべく、しかして右民法第五百六十一條によれば前段に説示した通りただ履行不能の事由のみによつて契約の解除を爲し得べく、その行使については何等制限を設けていないから右解除については原告に於て相当期間を置いて履行の催告を爲すことを要しないものと解すべきである。從つて被告の右主張は到底採用し難い。
次に被告主張の和解契約について考えて見るに、原告は昭和二十四年八月十五日頃被告より原被告共同して訴外常次郎を相手方として訴訟を提起すべく交渉を受けたことは当事者間に爭ないが、被告主張のような和解契約が締結されたことについては輙く信用できない前記証人磯山三郎及び被告本人の各供述を除いては他にこれを認めるに足る証拠がない。然らば被告は原告に対し本件賣買契約解除により曩に原告より受領した賣買代金十五万九千九百円の支拂義務あるものと謂わねばならない。よつて被告に対し右金十五万九千九百円及びこれに対する訴状送達の日の翌日であること記録上明かである昭和二十四年十月一日以降右完済に至る迄民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支拂を求むる原告の本訴請求は理由があるから正当としてこれを認容し、訴訟費用の負担については民事訴訟法第八十九條、仮執行の宣言については同法第百九十六條を適用し主文の通り判決する。
(裁判官 中瀬古信由)