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名古屋地方裁判所 昭和25年(ワ)1074号 判決

原告 佐藤伸子 外一名

被告 小山幸一 外二名

一、主  文

被告小山幸一は原告佐藤正に対し金二千九百九十六円二十五銭、被告樋上伊三郎は原告佐藤伸子に対し金二千三百八十四円五十銭、被告足利力松は原告佐藤伸子に対し金二千六百五十二円九十八銭を夫々支払え。

原告等の其の余の請求は之を棄却する。

訴訟費用は全部原告の負担とする。

本判決は原告勝訴の部分に限り仮に執行することができる。

二、事  実

原告等訴訟代理人は、被告小山幸一は原告佐藤正に対し愛知県海部郡彌富町大字浦字西前新田弍拾四番ノ四所在の木造瓦葺平屋建居宅建坪九坪三合及木造瓦葺平屋建店舗建坪十一坪九合五勺の家屋(以下右二戸を甲家屋と称する)を明渡し且昭和二十一年八月一日より同二十二年八月末日迄一ケ月金五円、昭和二十二年九月一日より同二十三年十月十日迄一ケ月金十二円五十銭、昭和二十三年十月十一日より同二十四年五月末日迄一ケ月金三十一円二十五銭、昭和二十四年六月一日より同二十五年七月末日迄一ケ月金五十円、昭和二十五年八月一日より右家屋明渡済に至る迄一ケ月金二百七十五円の各割合による金員を支払え。被告樋上伊三郎は原告佐藤伸子に対し右同所二十五番地上建設の木造瓦葺平屋建居宅二戸建一棟建坪二十六坪六合の内西側一戸建坪十三坪三合(以后乙家屋と称する)を明渡し且昭和二十一年八月一日より同二十二年八月末日迄一ケ月金六円、昭和二十二年九月一日より同二十三年十月十日迄一ケ月金十五円、昭和二十三年十月十一日より同二十四年五月末日迄一ケ月金三十七円五十銭、昭和二十四年六月一日より同二十五年七月末日迄一ケ月金六十円、昭和二十五年八月一日より右家屋明渡済に至る迄一ケ月金百五十七円の各割合による金員を支払え。被告足利力松は原告佐藤伸子に対し右同所二十五番地建設の木造瓦葺平屋建居宅二戸建一棟建坪二十六坪六合の内東側一戸建坪十三坪三合(以後丙家屋と称する)を明渡し且つ昭和二十一年八月一日より昭和二十二年八月末日迄一ケ月金八円、昭和二十二年九月一日より昭和二十三年十月十日迄一ケ月金二十円、昭和二十三年十月十一日より昭和二十四年五月末日迄一ケ月金五十円、昭和二十四年六月一日より同年十一月末日迄一ケ月金八十円、同年十二月一日より昭和二十五年七月末日迄一ケ月金六十円、昭和二十五年八月一日より右家屋明渡済に至る迄一ケ月金百五十七円の各割合による金員を支払え。との判決並担保を条件とする仮執行の宣言を求め、其の請求原因として、

(一)  訴外川西機械製作所は其の所有する右甲家屋を一ケ月金五円の賃料で被告小山に、同乙家屋を一ケ月金六円の賃料で被告樋上に、同丙家屋及右家屋に附属する建坪三坪の物置を一ケ月八円の賃料で被告足利に夫々賃貸していたところ、原告佐藤正は甲家屋を、原告佐藤伸子は乙丙両家屋並右物置を夫々昭和二十年十月十六日右訴外会社より買受け何れも昭和二十一年八月一日その所有権移転登記を了したので原告等は右各家屋に付き被告等に対する賃貸人たる地位を承継した。

(二)  原告等が本件家屋を買受けるに至つた事情は原告等及其の父母は元名古屋市熱田区新尾頭町百十三番地に居住し、皮革並喞筒製造業を営んでいたが昭和二十年三月十九日の空襲により全焼したので家族七人は同月二十日愛知県海部郡彌富町大字荷ノ上九百三番地の現住所に引越し訴外服部重之より原告等が現在居住する家屋を借受け之に居住していたところ其の後家主服部重之より右家屋の明渡を請求せられたので原告等の父佐藤豊吉は自ら居住する目的を以て原告等の名義を以て本件家屋を買受けたものである。而して原告等が現在居住する賃借家屋は現在も引続き家主より其の明渡を求められて居る状態であり、又原告佐藤正名義で原告等の父佐藤豊吉が経営する皮革、喞筒製作販売業の為にも甲家屋を原告等の住居及右営業用店舗とし、乙丙両家屋を右営業用工場として夫々自ら使用する必要がある。尚原告等が本件家屋を買受けた際には、右訴外会社が被告等賃借人を立退かせた上空家として本件家屋を原告等に引渡す約旨であつたし、又被告等も直ちに本件家屋より立退くことを承諾しているということを右訴外会社代理人等より聞かされていたので原告等は右自己使用の目的に供し得ると信じて売買契約をした次第であつた。仍て原告は昭和二十一年三月以来被告等に対し右家屋の賃貸借契約の解除を申入れ、屡々家屋の明渡を請求したが被告等は之に応じなかつたので、昭和二十一年九月十六日被告等に対し家屋明渡調停の申立をしたが其の調停も不調に終つた。

本件家屋の賃貸借は昭和二十一年三月解約の申入を為したるときより六ケ月を経過したる昭和二十一年九月、遅くとも右調停申立後六ケ月を経過した同二十二年三月十六日限り終了したものである。然るに被告足利力松が右丙家屋に附属する前記物置一棟を原告佐藤伸子に対し昭和二十四年十一月末日明渡したのみで其の余の部分については被告等は明渡を為さない。

(三)  而して本件家屋は昭和十三年以前に建築されたものであつて、昭和十五年十月十九日現在に於ける賃料は甲家屋については一ケ月金五円、乙家屋については一ケ月金六円、丙家屋及其の附属物置については一ケ月金八円であつたが、丙家屋の構造は乙家屋と同様であるから丙家屋のみの賃料は一ケ月金六円であると解するを相当とする。

仍て原告は被告等に対し昭和二十一年八月一日より右賃貸借終了に至る迄は賃料を、賃貸借終了後右家屋明渡済に至る迄は賃料相当の損害金を夫々本訴に於て請求するものであるが、其の額は右停止統制額に対し昭和二十二年物価庁告示第五四二号、昭和二十三年同告示第一〇一二号、昭和二十四年同告示第三六八号による停止統制額に対する修正率を乗じたる最高家賃に相当する金員及昭和二十五年八月一日以降右家屋明渡済に至る迄は昭和二十五年物価庁告示第四七七号による停止統制額に代るべき家賃額に相当する金員として、被告小山幸一の居住する家屋に付ては敷地二十五坪、坪当賃貸価格金三十四銭九厘、坪当地代金一円七十四銭、地代相当額金四十三円五十銭、建物の賃貸価格金八十円、純家賃額金二百三十二円、合計家賃額金二百七十五円、被告樋上伊三郎及同足利力松の居住する二戸建一棟の家屋については敷地五十六坪、坪当賃貸価格金三十四銭九厘、坪当地代金一円七十四銭、地代相当額金九十七円四十四銭、建物の賃貸価格金七十五円、純家賃額金二百十七円五十銭、合計家賃額金三百十四円九十七銭なるところ、同被告等は其の各一戸に居住するものであるから、各一戸の家賃は金百五十七円宛(端数は切捨)である。

仍て被告等に対し右家屋の明渡並右計算により賃料及損害金の支払を求むる為本訴請求に及んだと陳述し、被告の抗弁に対し被告等が其の主張の如く弁済供託したことは認めると述べた。

被告等訴訟代理人は原告等の請求を棄却するとの判決を求め答弁として、原告主張事実中(一)の事実、(二)の事実中原告主張の日時に右調停の申立があつたこと、被告足利力松が原告主張の物置一棟を原告佐藤伸子に返還したること、及(三)の事実は孰れも之を認むるも、原告等が罹災したる点は不知、其の余の原告主張事実は全部否認する。被告等が原告より家屋明渡の請求を受けたのは昭和二十一年四月中頃であるが其の後原告は家賃の受領を拒絶したので被告等は昭和二十一年三月分より同二十三年三月分迄の家賃として被告小山は合計金百二十五円、被告樋上は合計金百五十円、被告足利は合計金二百円を昭和二十一年九月十日より昭和二十三年四月二十七日迄の間四回に亘り夫々名古屋司法事務局に弁済供託した。尚家賃は停止統制額の修正によつて当然値上せられるものではなく、賃貸人の増額の意思表示を俟つて始めて増額せらるるものであるが、既に経過した期間の家賃については従来の家賃額で確定したものであるから爾後に於ける賃貸人の家賃値上請求により遡及して既往の家賃が増額するものではないと述べ、原告主張の賃貸借解約申入の正当事由に付き、被告小山幸一は家族五名、被告樋上伊三郎は家族六名、被告足利力松は家族九名であり、而して被告小山は古着商、被告樋上は東洋倉庫株式会社運輸課事務員、被告足利は日本煉瓦株式会社名古屋工場の工員で、孰れも窮乏の生活を為し居り、経済上他に移転すること不可能なる状態である。之に反し原告等は其の父母と共に一戸を借受け父母の扶養を受けつゝ生活して居るものであつて、現在原告等親子は住居に困窮していない。現に被告足利力松が昭和二十四年十一月末日に明渡した同人賃借家屋に隣接する物置すらも原告等が自ら之を使用することなく、訴外河村基に賃貸し同訴外人は家族五名と共に右家屋に居住している状態である。従つて原告等は本件家屋の賃貸借契約の解約申入を為すに付き正当の事由を欠くものであると述べた。<立証省略>

三、理  由

被告等が訴外川西機械製作所より夫々原告主張の家屋を賃借していたところ原告等が同訴外会社より昭和二十年十月十六日右家屋を買受け昭和廿一年八月一日その所有権移転登記を了し、夫々其の所有権として被告等に対し本件家屋の賃貸人たる地位を承継したことは本件当事者間に争いのないところであり、原告法定代理人佐藤豊吉及被告小山幸一各本人訊問の結果によれば原告等が昭和廿一年三月頃自ら本件家屋を使用する必要あることを理由として被告等に対し右家屋の賃貸借契約解約の申入を為したることが認められる。仍て右解約の申入に付き正当事由が具備しているか否かに付て案ずるに借家法第一条の二による賃貸借契約解約の申入は賃貸人が自ら家屋を使用することを必要とする場合其の他正当の事由ある場合に限り之を為し得るものであるが、正当事由の存否は当事者双方の職業、資産、家族、家屋使用の必要の程度等凡ゆる事情を比較衡量し且つ住宅の払底せる現下の社会情勢をも斟酌すべきことは勿論であるから、今茲に原告及被告等双方の立場を審按するに、証人横井東松同服部重之の各証言及原告等法定代理人佐藤豊吉本人訊問の結果を綜合すれば、原告等親子四人は昭和二十年三月十九日名古屋市に於て戦災を受け、郷里に疎開したが、疎開先の家屋も狭かつたので、昭和二十年八月頃、愛知県海部郡彌富町大字荷の上九百三番地の現住所に来り、訴外服部重之より八畳一間の家屋を借受け居住していることが認められ、又右佐藤豊吉の供述及成立に争なき甲第一号証を綜合すれば原告等の父佐藤豊吉は昭和二十一年一月十六日より海部郡彌富町に於て皮革、喞筒製造業を開始し、各所に其の工員を分散せしめて其の業務を行つていることが認められる。而して当裁判所の検証の結果によれば原告等親子が居住している家屋は国鉄及近鉄の彌富駅より約十五丁隔りたる辺鄙な場所にある小屋にも等しい建坪約七坪位の木造瓦葺平屋建の家屋であり、原告等は其の家屋の一部なる八畳一間に親子四人が居住していること、従つて佐藤豊吉の営業としては甚だ不便であることが十分認められる。而して証人服部重之の証言及右佐藤豊吉の供述を綜合すれば、服部重之は右家屋を佐藤豊吉に対し昭和二十年十一月末日迄と期間を定めて賃貸したところ、同人の弟が外地より引揚げて来たので佐藤豊吉に対し之が明渡を請求していることが認められる。更に又証人横井東松の証言及右佐藤豊吉の供述を綜合すれば佐藤豊吉は原告等の名義を以て本件家屋を訴外川西機械製作所より買受ける際売主たる川西機械製作所の社員が本件家屋は昭和二十年十一月末日迄には居住者をして明渡さしめると約束したので、之を信じて右家屋を自己の住宅及工場に使用する目的を以て買受けたことが認められる。然らば以上の事実を綜合すれば原告等が本件家屋を使用する必要は十分にあり又原告等が本件家屋を欲すること切なるものあることは之を推測するに難くない。

然れども一面翻つて被告等の立場を考えて見るに、当裁判所の検証の結果によれば、被告小山幸一の居住する家屋は木造瓦葺平屋建一棟で(登記簿上は二棟になつているが事実上は一棟である)其の間数も事実上は三間で其の一室は古着商の仕事場(店舗ではない)として使用し他の六畳一室を居間とし、奥の四畳半一室を家族の寝室として使用していること及右家屋は狭隘で普通の炊事場すらなく僅かに居間の横に板張を設けて辛じて炊事をして居ることが認められ、又被告樋上伊三郎及被告足利力松の居宅は木造瓦葺平屋建二戸建一棟で同被告等は各其の一戸に居住し居り、其の各一戸は孰れも六畳、八畳の二間で他には炊事場と土間の玄関とがあるに過ぎないことが認められる。而して被告小山幸一本人訊問の結果によれば、被告小山方は家族五人、被告樋上方は家族六人、被告足利方は家族九名が夫々右家屋に居住していることが認められるから現在の住宅事情の下に於ても余裕あるものとは謂い得ない。従つて、被告等三家族を樋上、足利両被告の居住する家屋に同居せしめ、被告小山の居住する家屋を原告に明渡すと云うようなことは到底不可能であると思われる。而して被告小山幸一本人訊問の結果によつて認められる被告小山幸一は古着商を営んで一ケ月一万円の收入を得、被告足利力松は日本煉瓦株式会社の工員をして一ケ月九千五百円の收入を得ている事実及被告樋上伊三郎は伊藤鉄工所の工員として勤務している事実並に本裁判所の検証の結果によつて認め得る被告等の三名の生活程度等を考え合せると、今被告等が他に借家を求めて転居するなどゝ云うことは経済上到底出来ないことであることが認められる。然るに被告等に現在適当な転居先があることについては原告に於て何等主張立証しないところであるから之を認むるに由がない。然らば以上の事情を綜合すれば被告等が本件家屋を明渡すことの困難なることも亦之を認むるに難くない。

仍て当事者双方の以上の事情を比較検討して考え合せるに、原告は狭く且つ不便なりとはいえ兎も角現在親子四人が居住するに差支なき場所を持つて居るに反し、被告等は本件家屋を追出さるゝ時は忽ち家族五人乃至九人の者が其の日から路頭に迷わざるを得ない結果となる。次に原告は仮令川西機械製作所側の言を軽信して被告等が昭和二十年十一月末日迄に本件家屋を明渡すものと信じて之を買受けたにしても、現に人の賃借している家屋を、而も其の賃借人について調査することなく、賃借人が明渡すや否やを確めずして之を買受けたことは余りにも軽卒であり、家屋払底の現下の情勢に於ては家屋明渡について紛争が生ずるのは当然のことであり、之は凡て原告自らが招いた結果であると謂わなければならない。之に反し被告等としては従来川西機械製作所より本件家屋を借受け平穏に生活していたのに拘らず突如として原告が之を買受け、原告だけの事情に基いて明渡を求められることは被告等にとつて洵に迷惑至極な話であると謂わなければならない。又所有者なるが故に所有者に於て必要とする時は何時でも六ケ月間の猶予期間をおいて明渡を求められると云うならば、資力ある者は何時にても他人の居住する家屋を買入れて其の賃借人を追出し自己が居住することが出来ることになつて、賃借人を保護せんとする借家法の精神は没却せられることになるであろう。又原告は現在自己の居住する家屋は家主から明渡を求められて移転先に困窮していると云つているが、若し真に原告が困窮しているならば被告足利力松が昭和二十四年十一月末日物置一棟を明渡した時直ちに之に引越すべき筈であるのに拘らず原告は交通並に営業上便利であると思われる右家屋に引越さず之を訴外河村某に賃貸し河村某をして家族と共に居住せしめていることは原告が真に其の云う程の困窮さを感じていない証左であると解せられないこともない。

以上の事情を綜合して考え合せると、原告が被告等に対して本件家屋の明渡を求むるときは、其の明渡によつて原告の得る利益に比し被告等の失う利益余りにも甚だしく到底社会観念上公平であるとは認められないから結局原告の右賃貸借契約解約の申入は其の正当の事由を欠き失当であると謂わなければならない。原告は住宅事情の緩和する迄今暫く明渡を猶予すべきである。

次に原告の被告等に対する賃料及損害金の請求について案ずるに、原告は原告主張の右賃貸借契約解約の申入が効力を生ずる迄は賃料として、右解約の申入が効力を発生した後は損害金として、原告が本件家屋の所有権移転登記を為したる日なる昭和二十一年八月一日以降本件家屋明渡済に至る迄賃料相当の金員の請求をしているものであるが、原告は賃料と云うも損害金と云うも、其の求むるところは賃料相当の使用料であるから、原告の用いる法律的用語に捉らわれることなく、原告の請求する本件家屋の使用料について、其の請求の当否を判断するを以て相当と解する。

然るところ、前記認定の如く原告主張の賃貸借解約の申入は無効であるから、原告佐藤正と被告小山幸一との間には前記甲家屋に付、原告佐藤伸子と被告樋上伊三郎及被告足利力松との間には前記乙及丙家屋に付夫々賃貸借契約が存続している訳であるから、被告小山幸一は原告佐藤正に対し、被告樋上伊三郎及被告足利力松は原告佐藤伸子に対し夫々賃料を支払わなければならない筋合である。

而して原告は本訴に於て昭和二十二年九月一日に遡り昭和二十二年物価庁告示第五四二号による停止統制額の修正率により値上したる賃料を請求し、又其の後の物価庁告示により停止統制額の修正率が改正される毎に其の都度其の改正の時迄遡つて値上したる賃料の支払を請求するを以て其の当否について案ずるに、家賃は統制額の修正により当然其の最高額迄増額せられるものではなく、賃貸人の値上の請求を俟つて始めて統制額の範囲内に於て賃貸人の請求した額迄増額せられるものと解すべきところ、賃料値上の請求権は形成権であるから原則として将来に対してのみ其の効力を生ずるものと解するのが普通であるが、昭和二十五年物価庁告示第四七七号は昭和二十五年八月十五日に公布して同月一日以降の家賃に付統制額を修正しているのであるがら同告示自体賃料値上請求の遡及効を認めていると解さなければならない。然らざれば八月十五日に公布して八月一日以降の賃料の増額を認めることは無意味であるからである。此の法理は右昭和二十五年物価庁告示第四七七号のみならず他の修正率に関する告示についても同様に解すべきものである。蓋し斯く解せされば毎月末日或は毎年盆暮等に賃料を支払う場合に於ては、其の支払期に至る迄は賃料の値上を請求しないのが社会上普通であるに拘らず、其の支払期に至つて告示による修正率迄の賃料の値上を請求しても時既に遅く経過した期間に付ては賃料値上の効果が生じないとあつては、右告示が殊ど公布即日より其の効力を生ずるものとした意味が大半没却せられるに至るからである。但し賃貸人が異議を留めずして旧割合による賃料を受領した時は賃貸人は賃料値上の請求権を抛棄したものと解すべきであるから既払部分につき遡及して賃料の値上を申入れ其の不足分を請求することが出来ないことは勿論である。然し賃貸人が賃料支払に付紛争あるため旧割合によつて賃料を弁済供託した場合には、賃貸人が之を承認しない限り賃貸人に於て賃料値上請求権を抛棄したものとは解せられないから、賃貸人は弁済供託後に於ても賃料値上を遡及的に請求し得るものと解すべきである。

仍て本件に付て案ずるに、本件家屋が孰れも昭和十三年以前の建築であること、昭和十五年十月十九日現在に於ける本件家屋の家賃の停止統制額が原告主張の如くであること、被告樋上伊三郎の居住する乙家屋と被告足利力松の居住する丙家屋とが其の構造同一であること、被告足利力松が昭和二十四年十一月末日原告主張の物置を原告佐藤伸子に返還したること、及本件各家屋の敷地の坪数、敷地の賃貸価格、各家屋の賃貸価格が孰れも原告主張の如くであること、原告等が昭和二十年十月十六日本件家屋を買受け被告等に対する賃貸人たる地位を取得したことは孰れも本件当事者間に争がない。然らば右停止統制額たる甲家屋に付ては金五円、乙家屋に付ては金六円、丙家屋及物置については金八円(但し昭和二十四年十二月一日からは丙家屋についてのみとなり其の額は乙家屋と同一になる)に付昭和二十二年物価庁告示第五四二号、昭和二十三年同告示第一〇一二号、昭和二十四年同告示第三六八号による修正率を夫々乗じ右各告示施行の日から夫々計算すると、被告小山の賃借する家屋については原告が賃料を請求する昭和二十一年八月一日以降昭和二十二年八月末日迄は一ケ月金五円の割合にて合計金六十五円、昭和二十二年九月一日より昭和二十三年十月十日迄は一ケ月金十二円五十銭の割合にて合計金百六十六円六十七銭、昭和二十三年十月十一日より昭和二十四年五月末日迄は一ケ月金三十一円二十五銭の割合にて合計金二百三十九円五十八銭、昭和二十四年六月一日より昭和二十五年七月末日迄は一ケ月金五十円の割合にて合計金七百円となる。而して昭和二十五年八月一日よりは同年物価庁告示第四七七号によるべきところ、右家屋の敷地は二十五坪、坪当賃貸価格は金三十四銭九厘、建物の賃貸価格は金八十円なるにより之により右告示に基き家賃金を計算すると一ケ月金二百七十五円なることが明である。而して右家賃支払時期については本件当事者は何も主張しないから民法第六百十四条により毎月末日に支払うべきものと解する。原告は昭和二十五年八月一日以降の賃料は右家屋明渡済に至る迄の分を予め請求するけれども、本件最後の口頭弁論期日以後に弁済期の到来する賃料は将来の給付である。従つて之を予め請求するには其の請求を為す必要あることに付原告に於て主張立証しなければならないのに拘らず原告は此の点に付何等主張立証を為さないから、之を認むるに由なく、従つて原告の将来の給付の請求は之を認容することができない。然らば昭和二十五年八月一日以降の一ケ月金二百七十五円の割合による賃料は本件最後の口頭弁論期日たる昭和二十六年三月三十日迄に弁済期の到来したる昭和二十六年二月末日迄の分を本訴に於て請求し得べく、而して其の額は金千九百二十五円であることが計算上明である。然らば、以上、昭和二十一年八月一日以降昭和二十六年二月末日迄の賃料の合計額は金三千九十六円二十五銭となる。然るに被告小山が昭和二十一年八月一日以降昭和二十三年三月末日迄の家賃として金百円(昭和二十一年七月分迄の弁済供託の分については原告の本訴請求と関係がないから判断を省略する)を弁済供託したことは本件当事者間に争がない。従つて右金百円を昭和二十一年八月一日以降の家賃に充当すると結局現在被告小山幸一が原告佐藤正に対して支払うべき金額は金二千九百九十六円二十五銭と云うことになる。

次に被告樋上伊三郎の賃借する家屋について、被告小山幸一に対すると同様の方法によつて賃料を計算すると、原告が賃料を請求する昭和二十一年八月一日以降昭和二十二年八月末日迄は一ケ月金六円の割合にて合計金七十八円、昭和二十二年九月一日より昭和二十三年十月十日迄は一ケ月金十五円の割合にて合計金二百円、昭和二十三年十月十一日より昭和二十四年五月末日迄は一ケ月金三十七円五十銭の割合にて合計金二百八十七円五十銭、昭和二十四年六月一日より昭和二十五年七月末日迄は一ケ月金六十円の割合にて合計金八百四十円となる。而して昭和二十五年八月一日以降は同年物価庁告示第四七七号によるべきところ、右家屋は被告足利力松の居住する一戸と共に一棟を為すところ其の一棟の敷地は五十六坪、坪当賃貸価格金三十四銭九厘、建物の賃貸価格金七十五円なるにより之により右告示に基き家賃額を計算すると一ケ月金三百十四円九十七銭となり、従つて被告樋上伊三郎の居住する一戸家賃額は其の二分の一なる金百五十七円(原告の主張に従つて円以下切捨)なることが明である。而して右家賃支払時期については被告小山幸一の賃借家屋について説明したと同一の理由により毎月末日と解すべく、又原告は右家屋明渡済に至る迄の賃料相当額を請求するけれども、被告小山幸一の分について説明したと同一の理由よにり本件最後の口頭弁論期日後に弁済期の到来する分については之を認容することができない。従つて昭和二十五年八月一日以降の一ケ月金百五十七円の割合による賃料は本件最後の口頭弁論期日たる昭和二十六年三月三十日迄に弁済期の到来したる昭和二十六年二月末日迄の分を請求し得るに止まるべく、而して其の額は金千九十九円であることは計算上明である。然らば以上昭和二十一年八月一日以降昭和二十六年二月末日迄の賃料の合計額は金二千五百四円五十銭となる。然るに、被告樋上伊三郎が昭和二十一年八月一日以降昭和二十三年三月末日迄の家賃として金百二十円を弁済供託したることは本件当事者間に争がない。従つて右金百二十円を昭和二十一年八月一日以降の右家賃に充当するときは結局現在被告樋上伊三郎が原告佐藤伸子に対して支払うべき金額は金二千三百八十四円五十銭ということになる。

最後に被告足利力松の賃借する家屋については前記と同様の方法により賃料を計算すると、其の額は、原告が賃料を請求する昭和二十一年八月一日以降昭和二十二年八月末日迄は前記丙家屋と其の附属物置とを加えて一ケ月金八円の割合にて合計金百四円、昭和二十二年九月一日より昭和二十三年十月十日迄は同一家屋につき一ケ月金二十円の割合にて合計金二百六十六円六十六銭、昭和二十三年十月十一日より昭和二十四年五月末日迄は同一家屋にて一ケ月金五十円の割合にて合計金三百八十三円三十二銭、昭和二十四年六月一日以降同年十一月末日迄は同一家屋にて一ケ月金八十円の割合にて合計金四百八十円、昭和二十四年十二月一日以降昭和二十五年七月末日迄は右丙家屋のみであるから一ケ月金六十円の割合にて合計金四百八十円となる。而して昭和二十五年八月一日以降は昭和二十五年物価庁告示第四七七号によるべきところ其の一ケ月の家賃は前記被告樋上伊三郎の分に付て説明したと同一理由により一ケ月金百五十七円である。以上の賃料の支払時期は毎月末日であると解せらるべきこと、弁済期未到来の賃料の請求が認容出来ないこと、従つて昭和二十五年八月一日以降の賃料の請求は昭和二十六年二月末日迄の分に止めるべきこと、而して其の額が金千九十九円になることは孰れも被告樋上伊三郎の分について説明したと同様である。仍て以上の賃料を計算すると昭和二十一年八月一日以降昭和二十六年二月末日迄の賃料の合計額は金二千八百十二円九十八銭となることが明である。然るに被告足利力松が昭和二十一年八月一日以降昭和二十三年三月末日迄の家賃として金百六十円を弁済供託したることは本件当事者間に争がないから右金百六十円を昭和二十一年八月一日以降の右家賃金の支払に充当するときは結局現在被告足利力松が原告佐藤伸子に支払うべき金額は金二千六百五十二円九十八銭ということになる。

以上の理由に原告等の本訴請求中原告佐藤正が被告小山幸一に対し金二千九百九十六円二十五銭、原告佐藤伸子が被告樋上伊三郎に対し金二千三百八十四円五十銭、同じく原告佐藤伸子が被告足利力松に対して金二千六百五十二円九十八銭の各支払を求むる部分は正当であるから之を認容すべきも、其の余の部分は失当であるから之を棄却すべきものとし、訴訟費用の負担に付民事訴訟法第九十二条、仮執行の宣言に付同法第百九十六条第一項を夫々適用し主文の如く判決する次第である。

(裁判官 松本重美)

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