名古屋地方裁判所 昭和25年(ワ)1197号 判決
原告 長江吉治
被告 長江貞和 外一名
一、主 文
被告長江正義は別紙目録<省略>記載の不動産に付原告の為めに所有権移転登記手続を為せ。
被告長江貞和は原告に対し金二万円を支払え。
被告等は各自原告に対し別紙目録記載の家屋を明渡せ。
被告等は連帶して原告に対し昭和二十三年七月九日以降同年十月十日迄は一ケ月金百円、同年十月十一日以降昭和二十四年五月三十一日迄は一ケ月金二百五十円、昭和二十四年六月一日以降昭和二十五年七月三十一日迄は一ケ月金四百円、昭和二十五年八月一日以降右家屋明渡済に至る迄は一ケ月金千五十八円の各割合による金員を支払え。
訴訟費用は被告等の連帶負担とする。
此の判決は原告に於て執行前担保として各被告に対し各金五万円の担保を供するときは金銭支払並に家屋明渡の部分に限り仮に執行することができる。
二、事 実
原告訴訟代理人は主文第一項乃至第四項同旨並に訴訟費用は被告等の負担とする旨の判決及金銭支払並に家屋明渡の部分に付仮執行の宣言を求め、其の請求の原因として、原告の先代長江貞一は別紙目録記載の土地及建物を所有し、其の建物を昭和十八年十一月頃被告長江貞和に対し家賃金は一ケ月金四十円、毎月末日限り翌月分を前払する約にて賃貸していたところ、原告は家督相続により右不動産の所有権を取得し、被告長江貞和に対する賃貸借関係を承継したものであるが、原告は右家屋を自ら使用する必要に迫られたので、昭和二十二年十一月十日被告長江貞和に対し、右家屋の賃貸借契約解約の申入れを為し、其の頃右家屋の明渡を求めるため瀬戸簡易裁判所に対し家屋明渡の調停申立を為した。然るところ右調停繋属中、原告は被告長江貞和の懇請により、昭和二十三年五月十九日同被告に別紙目録記載の土地及建物を代金十二万五千円にて売渡すこととなり、其の代金支払方法は同日手附金として金一万円を支払い、残金十一万五千円は昭和二十三年六月十五日右不動産の所有権移転登記と同時に之を支払う旨の契約を締結した。
然るに同被告は昭和二十三年六月二十八日に至り原告に対し、昭和二十三年七月三日附の額面右残代金相当額の先日附小切手を原告に交付するにより、右不動産の所有権移転登記手続をせられたい。若し右小切手が不渡になつた場合には原告に於て直ちに右売買契約を解除し得べく、而して其の場合には其の解除の日より五日以内に同被告の費用を以て再び原告に対し所有権移転登記手続を為すと同時に、違約損害金として原告に対し金三万円を支払う旨申入れたので、原告も同被告を信用して其の申入れを承諾し、同日附覚書を作成し、同年七月三日附額面十一万七千六百五十九円二十銭の先日附小切手と引換に右不動産の所有権移転登記申請書類に署名捺印の上之を同被告に交付したところ、同被告は同年六月二十九日、右不動産を同被告の長男被告長江正義の名義に所有権移転登記を為した。
然るに、被告長江貞和が原告に交付した前記小切手は、原告に於て同年七月七日支払人たる有限責任瀬戸市信用組合東部支所に呈示したるところ、不渡になつたので、原告は同日附書面を以て同被告に対し前記覚書に基き右売買契約を解除し、本件不動産の所有権移転登記及違約損害金二万円の支払を請求し該書面は同月八日同被告に到達したが、同被告は之に応じないので、原告は更に同年七月二十六日附及同年九月十五日附書面を以て右覚書の通り契約を履行すべきことを催告したが、同被告は之に対しても尚応じないので原告は已むを得ず、同年九月三十日所有権移転登記手続及違約損害金請求等の調停を申立てたが、被告等は其の調停進行中なる昭和二十三年十一月八日株式会社大道無尽の為めに本件不動産に金七万円の抵当権を設定する等毫も誠意を示さないので、ついに右調停は不調に終つた。
被告等は右売買契約解除後たる昭和二十三年七月九日以後は右家屋を使用する権限なきに拘らず、右家屋に居住し、該家屋を不法に共同して占拠し、原告に対し地代家賃統制令に基く本件家屋の適正賃料相当額の損害を被らしめて居るものである。而して本件建物は昭和十三年以前の建築にして昭和十五年十月十九日当時の家賃の停止統制額は一ケ月金四十円であつたから之に対し物価庁告示による修正率を乗ずるときは本件家屋の適正賃料は昭和二十三年七月九日より同年十月十日迄は一ケ月金百円、同年十月十一日より昭和二十四年五月三十一日迄は一ケ月金二百五十円、昭和二十四年六月一日より昭和二十五年七月三十一日迄は一ケ月金四百円にして、又昭和二十五年物価庁告示第四七七号によるときは昭和二十五年八月一日以降は一ケ月金千五十八円である。
仍て原告は、被告長江正義に対しては本件不動産の所有権移転登記手続を、被告長江貞和に対しては右覚書に基く違約損害金三万円中原告が手附金として既に受領したる金一万円を控除したる残金二万円の支払を、又被告両名に対しては本件家屋の明渡し並に前記適正賃料の割合による昭和二十三年七月九日以降右家屋明渡済に至る迄の家賃相当額の損害金の支払を、夫々求むる為め本訴請求に及んだと陳述し、被告の抗弁事実中原告が被告長江貞和に対し右売買残代金の支払を猶予したる事実及昭和二十三年十月十一日両被告から右代金を受領した事実は否認する。訴外加藤鈴吉が被告の主張の如き金員を持参したことはあるが原告は右売買契約は既に解除済なることを理由として其の受領を拒んだところ、加藤鈴吉は一時の保管方を依頼したので已むを得ず同人の懇請により一時保管し其の後返還したものである。被告長江貞和が其の主張の如き弁済供託を為したることは認むと述べた。<立証省略>
被告訴訟代理人は原告の請求を棄却するとの判決を求め、答弁として、原告主張事実中、被告長江貞和が原告先代より原告主張の如き条件にて本件家屋を賃借したる事実、原告が本件土地及建物を相続により取得し、右被告に対する賃貸借関係を承継したる事実、原告より其の主張の如き解約の申入並に調停の申立があり、而して該調停進行中に被告長江貞和が原告より本件土地建物を原告主張の如き条件にて買受けたる事実及同被告が原告に手附金一万円を支払いたる事実は孰れも之を認める。昭和二十三年六月二十八日原被告間に原告主張の如き契約を為し、其の旨の覚書を作成したることは否認する。被告長江貞和が右同日原告に対し原告主張の如き小切手を振出し原告より本件土地建物の所有権移転登記申請に必要なる書類を受領し、同月二十九日被告長江正義名義に所有権移転登記を為したること、被告長江貞和の振出したる右小切手が不渡になつたこと、原告主張の売買契約解除の通知が其の主張の日に被告長江貞和に到達したること、原告より其の主張の如き調停の申立があり其の調停は不調に終つたこと、被告等が本件不動産に付原告主張の如き抵当権を設定したること、本件不動産を被告等が共同占有して居ること及本件建物が昭和十三年以前の建築なることは孰れも之を認むるも、本件家屋の昭和十五年十月十九日当時に於ける賃料は不知と述べ、抗弁として、被告長江貞和が本件不動産を買受けるに至つたのは原告から家屋明渡の請求を受けたる結果、被告等が居住する為め已むなく買受けたものであり、固より手許に代金相当の金銭を所持しなかつたので、同被告は売買代金を調達する為めに本件不動産を担保に入れて金策をする必要があり、原告も亦之を承知していたので、昭和二十三年六月二十八日原告及被告長江貞和協議の上、被告長江貞和は原告に対し昭和二十三年七月三日付の先日附小切手を振出し、其の呈示期間内たる同年七月十三日迄に、同被告は右不動産を同被告の名義に移転登記したる上、之を担保にして他より金借し、右小切手金を支払うこと、原告はそれ迄右小切手を支払人に呈示せざること、を約した。仍て同被告は昭和二十三年六月二十八日原告主張の如き先日附小切手を振出して原告に交付し、原告より右不動産の所有権移転登記申請書類を受領し、同月二十九日同被告の長男たる被告長江正義の名義に所有権移転登記を為したものであるが、被告長江貞和は其の登記終了後、予て金策を依頼してあつた東春日井郡水野信用組合常務理事花井勇三郎に対し、右不動産を担保として同信用組合よりの金融を依頼したところ、種々なる手続上右小切手の日附なる昭和二十三年七月三日迄には金融が出来ないことが判明したので、同被告は焦慮の上一応原告の諒解を得る必要があり且つ又右事情を説明する必要があると思つたので、右花井勇三郎に依頼して、同人をして昭和二十三年七月六日原告方を訪問せしめ、右小切手金の支払を三ケ月延期せられたい旨申入れしめたところ、原告は花井勇三郎が真実右信用組合よりの金融を斡旋するものならば承知する旨答え、昭和二十三年十月十五日迄延期することを承諾した。因つて被告長江貞和は安心していたところ原告は同年七月七日前記小切手を支払人に呈示したため、右小切手は不渡となるの已むなきに至つた。同被告は其の後金策に奔走した結果昭和二十三年十月初頃漸く残金十一万五千円を調達し、之を原告に対し履行の提供を為したるに原告は其の受領を拒んだので、更に訴外加藤鈴吉をして昭和二十三年十月十一日右金員を原告方に持参せしめたところ、原告は之を一旦受取りたるも数日後之を返金して来た。仍て同被告は已むを得ず昭和二十四年三月三十一日右売買代金残金其の他として金十一万七千六百五十九円二十銭を名古屋法務局に弁済供託したものであると述べ、尚法律論として、仮に本件不動産の売買契約が原告主張の如く解除せられたりとするも、家屋明渡の調停申立当時原告及被告長江貞和間の賃貸借契約は終了して居らなかつたのであるから、右売買契約解除により被告長江貞和の賃借権は復活するものである。従つて原告の家屋明渡の請求は失当であると述べた。<立証省略>
三、理 由
原告先代が別紙目録記載の土地及建物を所有し、其の建物を被告長江貞和に対し原告主張の如き条件にて賃貸していたところ、原告が家督相続により右土地及建物の所有権を取得し右被告に対する賃貸借契約を承継したること、原告が自己使用の目的を以て昭和二十二年十一月十日同被告に対し右家屋の賃貸借契約解約の申入れを為し、同時に瀬戸簡易裁判所に対し家屋明渡の調停申立を為したること、及其の調停の進行中昭和二十三年五月十九日原告が被告長江貞和に対し本件土地及建物を代金十二万五千円にて売渡し、即日手附金一万円を授受し、残金十一万五千円は同年六月十五日支払う旨の契約を為したること、同被告が之に基き同日手附金一万円を原告に支払いたること、同被告が昭和二十三年六月二十八日原告に対し原告主張の如き先日附小切手を振出し、原告が同日同被告に対し右土地及建物の所有権移転登記申請書類を交付し、同被告が右書類により同年六月二十九日右不動産を同被告の長男たる被告長江正義の名義に所有権移転登記を為したること、右小切手が昭和二十三年七月七日不渡になつたこと、原告が同日附書面を以て被告長江貞和に対し右売買契約解除の意思表示を為し該意思表示は同月八日同被告に到達したること、及被告長江貞和が其の主張の如き右売買残代金の弁済供託を為したることは孰れも本件当事者間に争がない。
仍て原告の右売買契約解除の意思表示が有効なりや否やについて案ずるに、成立に争なき甲第五号証及原告本人訊問の結果を綜合すれば、原告及被告長江貞和は昭和二十三年六月二十八日、(一)同被告は本件不動産の売買代金残額金十一万五千円を同年七月三日附の先日附小切手で支払い、原告は即日右不動産の所有権移転登記申請に必要なる書類を同被告に交付し、同被告をして所有権移転登記手続を為さしめること、(二)若し右小切手が不渡になつた時は、右不動産の売買契約を解除し、同被告は自己の費用を以て小切手不渡の日より五日以内に、原告の為めに右不動産の所有権移転登記手続を為し、且つ違約損害金として金三万円を原告に支払うこと、の契約を為したることが認められる。被告長江貞和本人訊問の結果によるも右認定を覆すに足らない。
被告等は昭和二十三年七月六日訴外花井勇三郎を介して原告より右小切手金の支払を昭和二十三年十月十五日迄延期する旨の承諾を得たる旨主張するけれども、証人花井勇三郎の証言によるも右事実を認定し難く他に之を認めるに足る証拠はない。又被告等は右小切手は被告長江貞和に於て金策が出来る迄之を支払人に呈示しない旨の特約があつた旨主張し、被告長江貞和本人も右主張に副うような供述をしているけれども、右供述は原告本人訊問の結果及右甲第五号証の記載、並に本件売買が、原告の自己使用の為めにする明渡請求から始まり、被告長江貞和の明渡拒否に遭い、已むなく売買に進展した経過等を綜合すれば、到底原告が同被告が供述するが如き寛大な処置に出ずるものとは考えられないから右被告長江貞和本人の供述は措信し難い。而して他に右事実を認むるに足る措信すべき証拠もない。
然らば右小切手を呈示期間内に呈示すべからざる旨の特約が右当事者間に成立した事実が認められない以上、原告が右小切手を昭和二十三年七月七日に呈示したことは正当と云うべく、而して之が不渡になつたことは前記の如く本件当事者間に争のない事実であるから、右甲第五号証記載の特約に基き原告が被告長江貞和に対し右売買契約を解除する旨の意思表示を為すことは何等妨げなく、(甲第五号証によれば、右小切手が不渡になつたときは、原告の契約解除の意思表示を俟たずして当然右売買契約は解除される趣旨のように見えるが、此の点は原告が敢えて主張しないところであるから、原告の契約解除の意思表示の効力を論ずるに止めた訳である)従つて右意思表示により本件売買契約は昭和二十三年七月八日限り解除されたものと解するのが相当である。尚原告が昭和二十三年十月十一日本件売買代金残金を一旦債務の弁済として受領した事実は之を認むるに足る証拠がない。
然らば被告長江貞和は右特約に基き遅くとも右売買契約解除の日より五日以内に原告に対し本件不動産の所有権移転登記手続を為すべき義務ありと云うべく、従つて原告より右不動産の所有権移転登記手続を為す際、自己の名義を父長江貞和に貸した被告長江正義も、右不動産の所有権登記を原告に返還するにつき、父長江貞和と共に原告に協力する義務あることは信義誠実の原則上当然のことであるし、又斯様な論法を用いずとも現在所有権者にあらざる被告長江正義が、所有権者たる原告の為めに、所有権移転登記手続を為すことは当然の義務である。然らば原告が被告長江正義に対して本件不動産の所有権移転登記手続を求むる本訴請求は正当であると謂わなければならない。
次に原告の被告長江貞和に対する違約損害金二万円の請求について案ずるに、前記小切手が不渡となつて本件不動産の売買契約が解除されたる時は、被告長江貞和は原告に対し違約損害金として金三万円を支払う旨特約したることは前記認定の通りであり、而して右小切手は不渡となり右売買契約は解除せられたることも前記認定の通りであるから、同被告は右特約に基き原告に対し違約損害金として金三万円を支払うべき義務が発生したものと謂うべく、而して原告は右金三万円より原告が既に同被告より受領したる手附金一万円を控除したる残金二万円を本訴に於て請求するのであるから、原告の右請求は洵に正当であると謂わなければならない。更に進んで原告の被告両名に対する本件家屋明渡の請求について案ずる。被告等両名が本件家屋を共同占有していることは本件当事者間に争がなく、而して右売買契約解除により本件家屋の所有権が原告に復帰したることは前記認定の如くであるから、被告等は右契約解除後は原告の所有家屋を占拠しているものと謂うべきである。被告等は原告及被告長江貞和間の前記賃貸借契約が終了前に本件売買契約が為されたものであるから、右売買契約が解除された場合には売買契約前の状態に復帰し、被告長江貞和の賃借権は復活する旨主張するので此の点について審究する。賃貸借契約の存続中に賃借人が賃貸人から其の賃貸借物件の所有権を取得するときは、賃借権は混同により消滅するが、其の所有権移転契約が解除されたときは、当事者間の法律関係は其の所有権移転の契約がなかつたと同一の効果を生じ、従つて賃借権も消滅することなく、賃貸借関係は当事者間に其の後も存続するに至ることは洵に所論の通りである。本件に於ては右売買契約成立の時に於ては既に原告の為した解約の申入の時より六ケ月の期間は経過していることは明であるが(原告本人訊問の結果によれば原告は昭和二十年末頃より口頭を以て被告長江貞和に対し屡々本件家屋の明渡を請求していることが認められ、又原告が書面(甲第三号証)を以て同被告に解約の申入を為した日は昭和二十二年十一月十日であることは本件当事者間に争のないところであるから、孰れにしても本件売買契約が成立したる昭和二十三年五月十九日当時には解約申入の時より六ケ月の期間が経過していることは明である)原告の右解約の申入が正当事由に基くものなりや否やは未だ確定されて居らないのであるから、一応原告の右解約の申入は其の効なく、原被告間の賃貸借契約は右売買契約当時存続していたものと仮定して考えて見るに、原告本人訊問の結果及成立に争なき乙第一号証を綜合すれば、原告は被告長江貞和に対し、昭和二十年末頃、自己使用の為めに本件家屋の賃貸借契約解約の申入を為し、爾来同被告に対し家屋明渡を請求し続けて来たが、同被告が之に応じないので已むなく家屋明渡の履行を求むる為め、瀬戸簡易裁判所に調停の申立を為した結果、其の調停進行中調停委員の斡旋もあり又同被告が容易に家屋明渡に応ぜざるにより、原告は已むを得ず本件不動産を被告長江貞和に売渡すことを承諾するに至つたことが認められるから、原告の意思としては、被告長江貞和に本件家屋の明渡を求むるか然らずんば之を買取ることを求むるのであつて、同被告に引続き賃貸する意思は全然なく、従つて若し右売買契約が同被告の債務不履行によつて解除された場合には当然其の明渡を求むるのであつて、右売買契約が同被告の責に帰すべき事由によつて解除されても、尚依然として同被告に賃貸するが如き意思は毛頭なかつたことを認むるに難くない。而して被告も亦右家屋の明渡を免れんが為めに已むを得ずして本件家屋及其の敷地を買取つたものであるから、本件家屋の売買契約が成立せざるか、或は又同被告の債務不履行によつて売買契約が解除されて、右家屋を同被告の所有と為すこと能わざるに至つた場合には、当然右家屋を明渡さざるを得ない運命に至ることは万々承知の上右売買契約を締結したるものなることは、原告及被告長江貞和各本人訊問の結果並に当事者間に争のない本件売買が成立するに至つた経過に徴して之を認めるに十分である。さればこそ被告長江貞和は本件家屋の売買契約が解除されることを極度に恐れ、種々奔走したのである。然らば家屋明渡問題の起つていない賃貸借家屋を賃借人が賃貸人から買受けた場合に、其の売買契約が解除されたとき、一旦混同によつて消滅した賃借権が売買契約解除によつて復活する場合と、本件の如き家屋明渡の紛争の打開策として窮余売買契約が成立するに至り、然も其の売買契約が賃借人(買主)の債務不履行によつて解除された場合とは、当事者の意思に於て格段の差があり到底同日に論ずることはできない。本件の如き場合には当事者は言葉や文字に表わすと否とに拘らず、売買契約が不幸にして解除された場合には家屋の賃借権は復活せず、買主は直ちに該家屋を明渡すべきものと解していたと解すべきであるから結局当事者間には売買契約成立の時に黙示的合意により、賃貸借契約解除若しくは売買契約が被告長江貞和の債務不履行によつて解除された場合には賃借権は復活せざる旨の契約が為されたものと解するのが相当である。此の点に付、原告本人は、売買契約解除の場合には被告長江貞和に於て本件家屋を明渡すべき旨の特約があつた旨供述するけれども、該供述は被告長江貞和本人訊問の結果に対比して輙く措信し難い。売買契約解除の場合に賃借権が復活するや否やの法律問題は法律家にあらざる本件当事者の容易に考え及ばざるところであり、又当事者の意思としては売買契約が解除されれば当然家屋を明渡すものと考えていたのであるから、被告長江貞和本人が供述するように、家屋明渡問題については当事者間に言葉に表わしては何等表現されなかつたと見るのが相当である。然し当事者間に言葉に表わしては何等契約がなされなくても、黙示的合意により、当事者間に賃貸借契約解除或は売買契約が被告長江貞和の債務不履行により解除された場合には賃借権は復活せざる旨の合意が為されたと解すべきこと、前記の通りであるから、本件売買契約が被告長江貞和の債務不履行によつて解除された以上、最早や被告長江貞和は本件家屋に居住する権限はないと謂わなければならない。従つて被告長江正義も亦本件家屋に居住する権利はなく被告等両名は現在不法に原告所有の家屋を占拠しているものと謂うべきであるから原告が被告等に対し所有権に基き右家屋の明渡を求むる本訴請求は正当であると謂わなければならない。
最後に原告の被告等に対する右家屋の不法占拠に基く損害金の請求について案ずるに、前記の如く被告等は右売買契約解除後は不法に原告の所有家屋を共同して占拠し、原告が右家屋を他に賃貸することによつて得べかりし賃料相当の利益を失わしめているのであるから、被告等は共同不法行為者として原告に対し連帶して賃料相当の損害を賠償しなければならないことは明である。仍て本件家屋の適正賃料について案ずるに本件建物が昭和十三年以前の建築にかかるものなることは本件当事者間に争がなく、原告本人訊問の結果によれば本件家屋の昭和十五年十月十九日当時に於ける家賃の停止統制額は一ケ月金四十円であつたことが認められるから、之に対し昭和二十二年物価庁告示第五四二号昭和二十三年同告示第一〇一二号、昭和二十四年同告示第三六八号による各修正率を夫々乗じ右各告示施行の日から夫々計算すれば昭和二十五年七月三十一日迄の本件家屋の適正賃料は原告主張の通りであることが認められ、又成立に争なき甲第十号証によれば昭和二十五年八月一日以降の本件家屋の家賃の停止統制額に代るべき金額が原告主張の如く一ケ月金千五十八円であることが認められる。然らば被告等は右売買契約が解除せられたる日の翌日たる昭和二十三年七月九日以降右家屋明渡済に至る迄原告主張の如き割合による損害金を原告に対し連帶して支払うべき義務あることは明であり、従つて之が支払を求むる原告の本訴請求は正当であると謂わなければならない。
以上の理由により原告の本訴請求は凡て正当なるにより之を認容すべきものとし、訴訟費用の負担に付民事訴訟法第八十九条、第九十三条を、仮執行の宣言に付同法第百九十六条を夫々適用したる上主文の如く判決する次第である。
(裁判官 松本重美)