大判例

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名古屋地方裁判所 昭和27年(ワ)1764号 判決

原告 古川善次郎

被告 服部[金圭]三

一、主  文

被告は原告のために別紙目録<省略>記載の不動産につき、昭和二十七年四月二十六日附売買を原因とする所有権移転登記手続をなせ。

訴訟費用は被告の負担とする。

二、事  実

原告訴訟代理人は主文第一、二項同旨の判決を求め、その請求の原因として、次の通り述べた。原告は被告と昭和二十七年四月二十六日別紙目録の不動産につき、代金百八十万円、同年五月二十五日を受渡期日とし、登記手続申請と同時に代金を支払うこと、若し買主に於て債務不履行があつた場合は、催告其の他の手続を省略して手附金(五十万円である)は違約金として没収し契約は当然失効する。又売主に於て不履行があつた場合は手附金を倍額にして返還し買主に於て契約を解除しうるものとする旨の売買契約を締結し、同日原告は被告に対し、手附金五十万円を支払つた。然して被告は約定の期日が過ぎても尚登記手続をなさないのでこれを求めると述べ被告の抗弁事実に対し、被告の代理人であつた訴外室賀鏡次郎(以下訴外室賀と呼ぶ)が原告の代理人であつた訴外亡沢井秀次郎(以下訴外沢井と呼ぶ)の許に来て本件契約の受渡を請求した事実は認めるが訴外沢井の妻千代子が訴外室賀の提供した登記書類の受領を拒絶したのは、通常取引に於て登記に要する印鑑証明は証明後一ケ月乃至三ケ月内のものを使用するのが常識であるのに、訴外室賀が持参したそれはいずれも証明後一年以上も経過した古いものであつたから、千代子はこのような証明書は使用不能であると考え新しいものと取替えて来れば受渡に応ずる旨を告げたのみである。社会常識から言えば斯様に通常使用されていない古い印鑑証明を以つてしては登記手続を為すにつき書類が完備したものと謂えないから、被告の履行提供は信義誠実の原則にてらし完全なものとはいえない。故にこれを原告方にて拒絶し、履行しないからとて、なんら債務不履行にはならない。たとへ印鑑証明が法律上有効であつたとしても古いものは使用しないのが取引の常識であつて、此の常識に副うべくなしたものであるから原告に何ら責に帰すべき事由もない。と附陳した。<立証省略>

被告訴訟代理人は原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。との判決を求め答弁として原告主張事実中原被告間に於て原告主張のような売買契約が成立した事実は争わないと述べ抗弁として次の通り陳述した。被告は原告との約定の期日たる昭和二十七年五月二十五日に受渡を為すべく被告の代理人であつた訴外室賀及び仲介人中島平八の二名をして原告代理人沢井秀次郎方へ赴かしめた。当時被告所有の別紙目録不動産は、未だその前主の登記名義になつていたから、この前主から原告に直接に移転登記をなす目的で登記手続に必要な一切の書類を持参したが、沢井は不在であり事情を知つて主人より委任されていた同人の妻千代子は訴外室賀に対し何の理由もなく印のみ押捺した印鑑証明のしてない印鑑証明用紙を提供され度い旨強要して同訴外人が契約通り残額百三十万円の交付と同時に移転登記手続をなすよう要請してもこれに応じようとしなかつたのである。

即ち原告代理人は被告代理人の為した有効な履行提供にも拘らず契約に従つた代金の提供を為さなかつたから原告に於てその責に帰すべき債務の不履行があり、従つて本件売買契約の特約により右契約は同年五月二十五日限りで失効したから右契約の存続を前提とした原告の請求は失当である。と述べた。<立証省略>

三、理  由

原被告間に於て昭和二十七年四月二十六日原告主張の如き売買契約が締結されたこと、原告が同日手附金として金五十万円を被告に支払つたことは当事者間に争いがない。そこで被告の抗弁について判断する。先ず訴外室賀が被告の代理人として、原告の代理人であつた訴外亡沢井の家に契約の受渡の請求に赴いたことは当事者間に争いがないが、証人上田早苗の証言により真正に成立したものと認められる甲第二号証、証人沢井千代子、同中島平八、同室賀鏡次郎(但し後述認定に反する部分を除く)同古川為三郎の各証言を綜合すると次のような事実を認めることができる。即ち昭和二十七年五月二十五日室賀が登記申請に必要な書類を携えて訴外中島平八と同道して沢井方に赴いたところ、訴外沢井秀次郎は不在でその妻千代子が彼等と応待したが、同女が室賀に対し印鑑証明は新しいものであるかと訊ねたところ、室賀は印鑑証明は古いが、古くても登記ができるからいゝではないかと答えた。しかし千代子は印鑑証明の新しいのを持つて来てくれと主張して譲らなかつたので、遂に当日はそれ以上交渉が進展せず物別れになつて了つたこと、従つて室賀から千代子に対し残代金百三十万円の請求をするに至らないで物別れになつたが、原告方としては当日は日曜であつたが(昭和二十七年五月二十五日が日曜であつたことは暦の上で明かである)現金で代金の用意はしており二十五日に代金の授受が行われなかつたので翌二十六日には、右現金の中金百二十万円を株式会社東海銀行矢場町支店支店長振出の小切手に替えてこれをその代理人沢井に預けてあつたことが認められる。右認定の事実から推論すれば、被告が提供した債務の履行の受領を原告が拒絶したのは、原告がその代金支払債務を履行しない為ではなく、被告の提供した登記に必要な書類の中印鑑証明が古かつた為であるというべきである。右認定に反する証人室賀の証言及び被告本人訊問の結果は措信できない。そこで古い印鑑証明による履行の提供が不完全な履行であるか、或は債権者である原告がこれを拒絶した行為は正当であるか否かについて判断する。成立に争ない甲第五号証の一乃至四、証人新井与市の証言及び被告本人訊問の結果によれば法律上は不動産登記手続に必要な印鑑証明は古くても有効であるので、強いて申請があれば古い印鑑証明によつても登記を受附しなければならないのであるが、登記所としてはなるべく新しいものを要望しており各法務局管内によつてその取扱は区々であるが、登記申請前一ケ月内のもの或は三ケ月内のものを要請するので一般の常識としては右期間内の印鑑証明でなければ登記申請は受附けられないものと考えていること、本件土地については被告は一年以上も前に交附された古い印鑑証明で(沢井方に室賀が持参したもの)後日移転登記手続を了していること、但し右登記手続に際しては古い印鑑証明をそのまゝに受理したものではなく、所管法務局である名古屋法務局広路出張所から右印鑑証明を発行した市町村役所に対し再調査の照会をした上右登記申請を受理していること等が認められる。これら認定事実によれば、被告の古い印鑑証明による本件履行の提供は法律上は完全なものというべきであるが、登記手続に関する現在の社会常識からすれば古い印鑑証明では登記申請は受理されないものと考えられているから、原告代理人である沢井が古い印鑑証明を拒絶し、新しい印鑑証明を要求したのは不動産取引の常識上当然のことであるといえる。沢井が不動産仲介業者であつて、不動産登記手続に通暁していれば、なおのこと、支障なく登記手続を完了するに必要な新しい印鑑証明を、債務者である被告に要求するのは職業上当然のことゝ云えよう。取引は信義誠実の原則に従つて行わるべきものであり、たとえ法律上有効適法な履行であつても取引の常識上有効適切な履行でないと考えられる場合には、債務者は債権者の請求があれば更に取引上も有効適切な履行をなすべきことが取引上の信義誠実の原則から要求されるものというべきである。よつて被告の古い印鑑証明による履行の提供を拒絶した原告にはこの点において何等責むべき責任なく、従つて、右履行拒絶を前提とする原告の履行の不提供もその責に帰すべきものではない。故に、原告に債務不履行があつたので、契約の規定に従つて、原被告間の売買契約は消滅しているとの被告の抗弁は理由がない。

果して右の如くであるとすれば原被告間の契約は依然存続していると解すべきであつて、この契約に基ずいてなす原告の請求は全部正当であるからこれを認容し訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用して主文の如く判決する。

(裁判官 和田嘉子)

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