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名古屋地方裁判所 昭和36年(ヨ)424号 判決 1962年5月21日

申請人 黒川孝夫

被申請人 荒川車体工業株式会社

主文

被申請人が申請人に対して昭和三六年一月一三日付で言い渡した解雇の意思表示の効力を申請人が追つて提起する解雇無効確認の訴の本案判決確定に至る迄停止する。

申請人その余の申請を却下する。

訴訟費用は被申請人の負担とする。

(注、無保証)

事実

申請代理人は「被申請人が申請人に対して昭和三六年一月一三日付で言い渡した解雇の効力を申請人が追つて提起する解雇無効確認の訴の本案判決確定に至る迄停止する。被申請人は申請人を被申請会社外山工場に仮りに就労させなければならない。訴訟費用は被申請人の負担とする。」との裁判を求め、申請の理由として次のとおり述べた。

申請人は被申請会社外山工場の従業員であるが、昭和三六年一月一三日付で被申請人から就業規則第三五条に基き解雇する旨言い渡された。

しかしながら右解雇の意思表示は申請人が労働組合活動をしたことを原因とするものであつて不当労働行為として無効である。

仮りに然らずとするも、申請人は解雇に値する就業規則違反行為をしたことがなく問責されるべき事由がないから解雇権の濫用として無効である。

すなわち、申請人は右解雇の言渡を受ける迄被申請人から始末書を書くように強要されたり辞職勧告を受けたりした。その経緯は次のとおりであり、右解雇もこれに基いてなされたものと推断される。

申請人は昭和三一年九月一七日被申請会社に入社し以後約一ケ月の間名古屋工場に勤務した後被申請会社外山工場に勤務するに至つた。そして右外山工場の従業員をもつて組織する申請外荒川鈑金労働組合トヨタ支部(以下組合支部と略称する)の結成準備委員長となり、昭和三四年四月一九日組合支部結成と同時に組合支部書記長に選ばれて労働組合活動に専心していたが、同年五月より昭和三五年七月迄肺結核を患つて被申請会社を休み入院加療し、昭和三五年九月復職後は組合支部代議員を勤めていた。

昭和三五年九月中旬より同年一〇月初旬にかけて被申請会社外山工場の従業員約一〇名が転職のため豊田公共職業安定所に求職の斡旋を求めたが、同安定所は現職者の求職斡旋を拒否したので、右求職者らは組合支部に対し右安定所が職業選択の自由を無視している旨申し出た。そこで申請人は組合支部の執行委員及び代議委員の合同委員会において豊田公共職業安定所のとつた拒否の態度の検討を要請した。同委員会は昭和三五年一〇月下旬頃右安定所の態度は職業安定法に違反するものであるとの見解をとり、申請人の起草した抗議及び質問状を提出することを満場一致で可決した。申請人は組合支部の代表者として昭和三五年一一月二六日右安定所に抗議及び質問状を提出した。

同年一一月二七日毎日新聞朝刊西三河版に、「転職あつせん拒否は職業選択の自由侵す」との見出しで右抗議及び質問状を出すに至つた経過及び組合役員の話として、被申請会社外山工場の従業員の平均給与が他と比較して低い旨の記事が掲載された。

被申請人は昭和三五年一二月一五日付で組合支部に対し外山工場の労務問題を毎日新聞紙上に計画的に掲載させ、被申請人の名誉を傷つけ営業に大きな損害と妨害を与えたという問責の申入をなした上、右抗議及び質問状に関係した申請人及び当時の組合支部執行委員長柴田実等に対しその書くべき内容を示して始末書の提出を強要したが、申請人は提出する理由がないのでこれに応じなかつた。被申請人は更に昭和三六年一月一三日柴田執行委員長沢井延禎副執行委員長及び申請人に対し退職を勧告し、右正副委員長はこれに応じたが申請人はこれを拒否したところ、本件解雇に至つたのである。

組合支部がその組合員に対する豊田公共職業安定所の態度に抗議質問することは憲法による職業選択の自由の保障及び職業安定法の規定からみて違法乃至不穏当とはいえないし、申請人の行為も同じく問責されるべきものではない。またこのような行為が新聞記事になつたとしても申請人及び組合支部が被申請人に対し責任を負うべき限りではない。右は豊田公共職業安定所と組合支部との紛争に関するものであつて、申請人及び組合支部は被申請人を論難攻撃したものではないのである。しかるに被申請人は申請人を解雇するに至つたのであるから、右解雇は申請人が労働組合活動をしたことを原因としたものというの外なく、不当労働行為として無効であり、仮に然らずとするも右事由によつて申請人を解雇するは解雇権の濫用として無効である。

申請人は労働者であつて労働による技倆の進歩と労働自体に喜びを感じるものであり、小人閑居して不善をなすという諺のとおり就労しない限り悪に対する誘惑も多く、現在他に就職することも困難であつて、本案判決を待つにおいては経済面、技術面及び精神面に多大の困難、苦悩を生じる。

よつて申請人は被申請人に対し本案判決確定に至るまで仮りに本件解雇の意思表示の効力を停止すると共に被申請会社外山工場への仮就労を求めるため本申請に及んだ、と陳述し

被申請人主張の解雇事由(い)、(ろ)について、申請人は昭和三五年一〇月ないし一二月の間被申請人主張の日数欠勤しているが、一〇月の欠勤四日は被申請会社の従業員のうち旧挙母市内に居住する多くの者が挙母市の祭礼のため休暇をとるのが通例となつているので、申請人も口頭で上司に届け出て同様に欠勤したものであり、一一月の欠勤三日は組合支部の命により衆議院議員候補者伊藤よし子の選挙応援のため口頭で上司に届け出て欠勤したものであり、一二月の欠勤二日は組合支部の命により愛知県会議員候補者矢頭[金圭]太郎の選挙応援のため口頭で届け出て欠勤したものである。また就業開始時間である午前八時一五分に遅刻したことは昭和三五年九月中一回、同年一〇月中一回、同年一一月中四回、同年一二月中一回あるだけであつて、右の外には遅刻したことはない。当時午前八時一五分までにタイムカードを押せば遅刻扱いされることはなかつたものであつて、遅刻について上司から注意を受けたこともなく、作業場への遅刻ということは本件解雇につき愛知県労働委員会で審理されたとき始めて知つたのである。(疎明省略)

被申請代理人は「本件申請を棄却する。訴訟費用は申請人の負担とする。」との裁判を求め、次のとおり述べた。

(一)  申請人主張の事実のうち、被申請人が申請人に対し昭和三六年一月一三日付で就業規則第三五条に基き解雇する旨言い渡したこと、申請人が昭和三一年九月一七日被申請会社に入社し約一ケ月間名古屋工場に勤務した後右解雇される迄外山工場に勤務していたこと、昭和三四年四月頃荒川鈑金労働組合豊田支部が組織されたこと、申請人が昭和三四年五月より昭和三五年七月まで肺結核により休職となり、昭和三五年九月復職したこと、抗議及び質問状が申請人の起草したものであること、申請人が昭和三五年一一月二六日豊田公共職業安定所に右書状を提出したこと、昭和三五年一一月二七日毎日新聞朝刊西三河版紙上に「転職あつせん拒否は職業選択の自由侵す」という見出しの記事が掲載されたこと、被申請人が組合支部に対し、前記記事を計画的に掲載させ、被申請人の名誉を傷つけ営業に大きな損害と妨害を与えたことについて責任を追求したこと、柴田、沢井両名が昭和三六年一月一三日任意退職したことは認めるが、申請人の組合における経歴、抗議及び質問状が豊田公共職業安定所に提出されるに至つた経過は不知、その余の事実を争う。

(二)  被申請会社は昭和二二年七月設立され、各種自動車ボデーの製作、修理及び販売、各種自動車部品の製作及び販売並びに其の他一般鈑金及び熔接作業等を営業目的とし、現在資本金六千万円、本社のほか豊田市に外山工場、寿分工場を有し、従業員は総数約一、一〇〇名(男約八〇〇名、女約三〇〇名)、その内訳は本社及び名古屋工場約二四〇名、外山工場約六一〇名、寿分工場約二七〇名である。

(三)  申請人を解雇した事由は次のとおりである。

(い)  出勤不良勤務不熱心又は職務怠慢の行為があること。

申請人は元来職務に不熱心であつたが、昭和三五年九月より解雇されるまでの勤務状況は次のとおりである。

稼動日数

無届欠勤

作業場への遅刻

うち就業規則上の遅刻

九月

一二日

一二回

一回

一〇月

二五日

四日

一九回

一回

一一月

二五日

三日

二二回

四回

一二月

二五日

二日

一五回

一回

外山工場における就業時間は午前八時一五分に始まり労働時間八時間、休憩時間四五分であるが、従業員が工場へ入門し又は作業服着換所において着換えをしている時間は右労働時間に算入されない。従業員は午前八時一五分迄に工場へ入門し作業服等の着換えを終了し所属作業部署に到着していることが要求され又これが外山工場における労働慣行として確立されているのに、右時刻までに右のとおり履行されない場合には作業場への遅刻となる。たゞタイムカードに午前八時一五分までに到着していれば就業規則上は遅刻の取扱をしない。しかし被申請会社における作業は順次工程の続くいわゆる流れ作業が主であり、申請人の作業部署も流れ作業となつているので労働時間が開始すると一斉に作業が行われるのが日常であつて、申請人の如く労働時間が開始されてもその作業部署に到着していないのが普通である場合には流れ作業の一定した部署の仕事をさせることができない。しかも申請人は再三にわたる直接間接の上司の訓戒にも耳を傾けないのであるから、かかる作業場への遅刻は就業規則上の遅刻ではないが、勤務振りの怠慢として取り扱うのは当然である。

また申請人は無届欠勤が多く、しかも事後措置に関する手続を熟知しながら無関心を装い、何ら謹慎の色もない。

(ろ)  上長の業務上の指示に従わない行為があること

申請人は前記のとおり無届欠勤が度々であり且つ作業場への遅刻も連日の如き状況であるので、上司より再三にわたり右につき指示を与えた。すなわち、上司である加能工長は申請人に対し昭和三五年九月に三回、同年一〇月に三回、同年一一月に二回、同年一二月に四回作業場への遅刻について注意を与えた。しかし申請人は少しも反省するところがなく右指示に従わなかつた。

(は)  会社の名誉信用を毀損し又は会社に不利益損害を与える所為をなしたこと。

昭和三五年一一月二七日(日曜日)毎日新聞朝刊西三河版に「転職あつせん拒否は職業選択の自由侵す、荒川鈑金労組、豊田職業安定所へ抗議文」なる記事が大々的に掲載された。その記事の内容は「同社は豊田自動車の下請会社として最近APA特需を主に業績は良好だが、約五百人の従業員の多くは、中学卒の養成工を中心に若い従業員が多く、平均給与も八千円から八千五百円と比較的低い(組合役員の話)」とあつて被申請会社の労働条件が真実に反して極めて低劣であり、また「このため一部に転職を希望する者があり職安所を訪れた」「労組側のいい分によると、荒川鈑金工業外山工場(本社名古屋)の組合員約十名が九月中旬から下旬にかけて豊田職安所へ現在の会社をやめて外の会社へ移りたいが転職先をあつせんして欲しいと相談に訪れた」とし、本記事の表題が二号活字で大きく「転職あつせん拒否は職業選択の自由侵す、荒川鈑金労組豊田職安所へ抗議文」とあつて陸続として転職者のある如き印象を与えるものであつた。

しかしながら被申請会社の従業員約一、一〇〇名のうち中学卒の養成工は約二〇〇名に過ぎず、その男女を含む平均賃金は九、一四六円、男子のみの平均給与は一〇、〇〇五円である。また外山工場、寿分工場の従業員は比較的経験の浅い年少者が多く、したがつて賃金の低い者が多いがその平均給与は九、一〇〇円であつて、豊田地区における他の同業者のそれに比して高くこそあれ決して低くはない。しかも被申請会社は機会ある毎に荒川鈑金労働組合にも平均給与額を発表して来た。次に、被申請会社における昭和三五年六月より一二月迄の退職者は全従業員中家事都合によるもの男七〇名(月平均一〇名)、女二一名合計九一名、結婚によるもの男〇、女二〇名合計二〇名であつて、他に転職するために退職した者はない。

右記事の登載に申請人が関与していることは次の事実から明らかとなつた。すなわち、申請人は元来毎日新聞社豊田支局員水谷某と昵懇の間柄であること、既に昭和三五年一一月一四日豊田公共職業安定所へ提出する質問及び抗議文なる文書の原案を作成した上、労組豊田支部のみの合同委員会の開催を要求し同年一一月一九日開催された右委員会において前記作成文書を示し、極めて一方的潤色的発言をなして委員会の賛成を促していること、申請人が質問及び抗議文を清書し、柴田委員長に署名捺印を求めたが拒絶されたので、同人に絶対迷惑をかけぬこととして柴田個人の印鑑を冒用した上、昭和三五年一一月二六日正午過ぎ申請人自ら右質問及び抗議文を持参していること、右の際安定所員から所長に会つて下さいといわれたが、これから新聞社に行かなくてはならないから急ぐと言つて会見を拒否していること、同日午後一時半頃毎日新聞水谷記者から職業安定所長に電話があり、荒川鈑金労組から質問及び抗議文が出ているであろうといわれて、まだ質問及び抗議文を入手していない所長が驚いた事実があること、申請人は平素から被申請会社の労働条件が劣悪である旨宣伝していること等の事実による。

右の如く前記新聞記事のニユースソースは全て申請人にあることが明らかであつて、被申請人は右新聞記事が誇大で虚偽であるため対外的に甚しく名誉信用を毀損された。そして折から迎えた求人募集特に中学校卒業者募集において、卒業予定者の父兄、学校の教職員に甚しく不安を与え、このような事件が新聞沙汰になる会社には推薦できぬと応募者の求職取消が生じ、現在もなおその状態が続いて甚しく困難な立場におかれるに至つた。

(四) 被申請人は申請人の右各行為が懲戒解雇事由としての就業規則第五六条第三号、第四号、第一五号に該当するものと考え、右事由のもとに就業規則第三五条により解雇をなしたものである。従つて本件解雇は何等不当労働行為ではなく、又権利の濫用と目さるべきものではない。

(五) 申請人は昭和三六年二月二日解雇予告手当金を受領し、また同年三月二九日豊田公共職業安定所において新たに就職することを申し出てその認定を受け失業保険法第二六条の二に基く就職支度金を受領し、本件解雇を承認しているから本件仮処分申請は失当である。

(六) 申請人は豊田市所在の黒川米穀店なる商号の米穀等食品販売店に勤務しているのみならず、昭和三六年一月二三日愛知県地方労働委員会に対し本申請と同一の理由をもつて不当労働行為救済の申立をなしており所謂一事不再理の法理から考えても本件仮処分の必要性緊急性はないものというべきである。(疎明省略)

理由

申請人が昭和三一年九月一七日被申請会社に入社し約一ケ月間名古屋工場に勤務した後外山工場に勤務していたが、昭和三四年五月より昭和三五年七月まで肺結核で休職となり、昭和三五年九月復職したこと、被申請人が申請人に対し昭和三六年一月一三日付で就業規則第三五条に基き解雇する旨言い渡したことは当事者間に争がない。

申請人は右解雇は不当労働行為である旨主張するにつき案ずるに、成立に争のない甲第二号証、第一〇号証、乙第三号証、原本の存在及び成立が当事者間に争のない乙第四号証、申請人本人尋問の結果成立の認められる甲第九号証の各記載、証人兼子碩友の証言及び申請人本人尋問の結果によれば、申請人は前記の如く昭和三一年一〇月被申請会社外山工場勤務となつたが、本社及び名古屋工場には労働組合があるに拘らず外山工場には未だ労働組合が組織されていなかつたので、申請外沢井、今井、築山らと共に労働組合結成準備にかかり、昭和三四年四月一九日荒川鈑金労働組合豊田支部を結成し書記長に選ばれ、昭和三五年九月復職後も直ちに代議員に選ばれ教宣部で組合活動を続けていたこと、昭和三五年九月中旬より一〇月上旬にかけて外山工場従業員約一〇名が転職のため豊田公共職業安定所に求職の斡旋を求めたが、同安定所はこれを拒否したため、右求職者等は組合支部に対し右安定所の態度の検討を要請したので、組合支部は同月下旬頃執行委員及び代議員の合同委員会を開催し、右安定所の紹介拒否は職業選択の自由を侵害し職業安定法に違反するものであるからこれに抗議し且つ右抗議に対する安定所の見解を質問する旨を記載した抗議及び質問状を右安定所に提出することを満場一致で可決し、申請人は右抗議及び質問状の原案を起草し、右決議に参加したのみならず、組合支部の代表者として同年一一月二六日右安定所に赴きこれを提出したことを認めることができるが、本件解雇が申請人において右の如く組合を結成したこと、組合運動をしたことの故をもつてなされたことを認めるに足る証拠はない。申請人が組合支部の代表者として職業安定所に対し抗議及び質問状を提出した行為についても、後記認定の如く被申請人はその行為をしたことをもつて申請人を解雇したものではなく、申請人が右抗議に際し新聞社に提供して掲載された記事の内容が被申請人の名誉信用を害する事由等によつて申請人を解雇したものと認められるから申請人が右の如き組合運動をなしたことをもつて本件解雇に及んだものと認めることはできない。

よつて本件解雇が不当労働行為であるとの申請人の主張は理由がない。

次に申請人の右解雇は権利の濫用である旨の主張について判断する。本件解雇につき、被申請人は申請人には前記(い)(ろ)(は)の事実が存在するから就業規則第三五条により解雇したものであると主張するので、被申請人の右主張事実がありや否や、認定された事実に基き解雇権の濫用とみるべきや否やについて以下考察することとする。

先ず(い)の事実について、申請人が昭和三五年一〇月中に四回、同年一一月中に三回、同年一二月中に二回欠勤し、また午前八時一五分を過ぎて遅刻したのが昭和三五年九月中に一回、同年一〇月中に一回、同年一一月中に四回、同年一二月中に一回あることは当事者間に争のないところであるが、成立に争のない甲第一一号証、乙第一号証、第七号証の一乃至一〇の各記載、証人三宅典雄の証言及び申請人本人尋問の結果によれば、次の事実が疎明せられる。

申請人が昭和三五年一〇月中に四日間欠勤したのは旧挙母市の祭礼のためであり、旧挙母市内に居住する従業員が右祭礼に欠勤するのは毎年の通例になつており、同年一一月中に三日、同年一二月中に二日欠勤したのは何れも労働組合の指示により衆議院議員及び愛知県会議員選挙の応援のために欠勤したものであつて就業規則第二九条によれば従業員が欠勤した場合には所定の様式によりその事由と日時を事前に、若しその余裕のない場合には事後速かに所属長を経て届け出なければならないことになつておるが、申請人は右欠勤に際し何れも口頭で上司である小早川班長に届け出たのみで、所定の様式による届出はしなかつた。

また被申請人主張の遅刻については、被申請人会社備付けのタイムカード(乙第七号証の一ないし一〇)によつて申請人の午前八時以後の出勤状況を調べてみると、昭和三五年九月七日より九月二〇日迄の稼動日数一二日のうち、午前八時一分より一五分まで一一回、同三〇分一回、九月二一日より一〇月二〇日迄の稼動日数二五日のうち午前八時一分より一五分まで一九回、同三〇分一回、一〇月二一日より一一月二〇日迄の稼動日数二五日のうち午前八時一分より一五分まで一八回、同一六分より一八分まで四回、一一月二一日より一二月二〇迄の稼動日数二五日のうち午前八時一分より一五分まで一八回、同二〇分一回である。

被申請会社の就業規則第一〇条第一一条によれば就業時間は午前八時より午後五時までの一日九時間であり、うち正午から一時間を休憩時間としているが、外山工場においては通勤上の便宜から就業時間を午前八時一五分より午後五時までとし、休憩時間を四五分に短縮している。そして右工場においては就業開始時間である午前八時一五分迄にタイムカードを押して工場へ入門していれば遅刻にはならないという取扱いをしながら、別に同時刻には各作業部署において作業にとりかかることを要求し、午前八時一五分の五分前に予鈴を鳴らし右五分間において作業服に着替える等必要な作業準備をした後午前八時一五分の本鈴が鳴ると同時に一斉に作業にとりかかる態勢がとられていなければ作業場への遅刻として取り扱つている。

(ろ)の事実について、被申請人主張の無届欠勤について申請人に注意を与えたことは認むべき証拠がないが、証人三宅典雄の証言及び申請人本人尋問の結果によれば、申請人が午前八時一五分迄に作業部署についていないことが度重つたことに対して加能工長及び事務課長三宅典雄が再三注意したに拘らず申請人はこれに従わなかつたことが認められる。

(は)の事実について、前記甲第二号証、第九号証、乙第三号証の各記載、証人三宅典雄の証言及び申請人本人尋問の結果を綜合すれば以下の事実が疎明せられる。

昭和三五年九月中頃被申請会社の従業員のなかに豊田公共職業安定所に対し現職のまま転職斡旋を求めるものが出、これに対して同安定所は豊田地区の事業場間で引き抜き防止のため現在職場で働いている人は他の職場では採用しないことになつているので現職者の転職斡旋を断つたことがあつた。申請人は右事実を聞くやこのような職業安定所の態度は労働力不足のため労働者の移動が激しい当時の豊田地区において一つの社会問題としての意味をもつと考え、毎日新聞豊田通信部へ右事実を電話で連絡したところ、その翌日同通信部の水谷記者が外山工場に申請人を訪れ、申請人、柴田実執行委員長、沢井延禎副執行委員長外一名から事情を聴取した。その際申請人らは水谷記者に対し外山工場従業員の平均給与につき日常見聞しているところに基いて、五〇〇人の従業員の中で二〇才前後の者が過半数おり、その人達の給与は八、〇〇〇円から八、五〇〇円位ではないか、と述べた。同年一〇月末執行委員職場委員の合同委員会において右転職斡旋拒否の問題が提出検討された結果、豊田公共職業安定所に対し抗議と公開質問状を提出することになり、同年一一月中頃右合同委員会は申請人の起草した質問及び抗議文草案を承認し、申請人が代表として豊田公共職業安定所へ右文書を持参提出することになつた。そこで申請人は同月二五日水谷記者に対し電話で二六日に職業安定所へ行く旨伝え、翌二六日豊田公共職業安定所に赴き同所員に右質問及び抗議文を手渡した。

右の如くして組合支部が豊田公共職業安定所に質問及び抗議文を提出したことにつき翌一一月二七日毎日新聞朝刊西三河版に「転職あつせん拒否は職業選択の自由侵す、荒川鈑金労組豊田職安所へ抗議文」という見出しの下に三段抜きで「労組側のいい分によると荒川鈑金工業外山工場(本社名古屋市)の組合員約一〇名が九月中旬から同下旬にかけて豊田職安所へ現在の会社を辞めてほかの会社へ移りたいが、転職先をあつせんしてほしいと相談に訪れた」、「同社はトヨタ自動車の下請会社として最近APA特需を主に業績は良好だが、約五〇〇人の従業員の多くは中学卒の養成工を中心に若い従業員が多く、平均給与も八千円から八千五百円と比較的低い(組合役員の話)」という記事が掲載された。

被申請人は昭和三六年度中学校卒業予定者に対する募集として職業安定所に豊田地区の者男子八〇名、女子八〇名の求人申込をしていたところ、職業安定所から昭和三五年一〇月下旬に男子五〇名、女子三〇名の内定があつたのに同年一二月一五日には男子一一名、女子四名に減少した。そのため被申請人は始めて県外募集をした結果昭和三六年四月迄に男子六四名、女子七名を確保し得たような状態にあつた。被申請人は右の如く昭和三五年一〇月当時の内定者が同年一二月一五日迄に大幅に減少したのは前記新聞記事によつて被申請会社従業員の給料が低く、そのため転職者が出たのであるような印象を一般に与えたからであるとみて、組合支部に対し右記事は被申請人の名誉を傷つけ営業に大きな損害と妨害を与えたとして右記事を掲載せしめた組合責任者の責任を追求したので、昭和三六年一月一三日組合支部執行委員長柴田実同副執行委員長沢井延禎は退職したが、申請人は退職を拒否した。

そこで右認定事実に基き本件解雇の意思表示の効力について判断する。

(一)  被申請人主張の(い)の事由に関する認定事実によれば、申請人に被申請人主張のとおりの欠勤の事実はあるが、右欠勤については申請人は欠勤するに際しいずれも就業規則に定める所定の様式の欠勤届書を提出しなかつたけれども上司に口頭でその旨伝えたものであり、証人兼子碩友の証言及び申請人本人尋問の結果によれば昭和三五年当時被申請会社外山工場においては右届出用紙が備え付けられているにもかかわらず従業員の多くは上司に口頭で欠勤する旨告げるのみで届書による届出をしなかつたような状態にあつたのであり、また申請人が欠勤の理由とするところも怠慢に基くものではなく一応肯けるのであつて、右届出による届出がなされなかつたからといつて直ちに申請人のみを責めることは必ずしも妥当ではない。

遅刻について、被申請会社外山工場では就業開始時間は就業規則の定めによる午前八時を事実上午前八時一五分に変更し、従業員が右時刻迄に入門して事務所前に備え付けてあるタイムレコーダーを押せば遅刻としない取扱いであるから就業規則による八時間労働の開始は午前八時一五分にタイムレコーダーを押した時とみるべきであつて、これにおくれなければ遅刻扱いを受けて問責せらるべきものではない。しかるに被申請会社外山工場では右の如く午前八時一五分迄にタイムレコーダーを押せば就業規則上遅刻扱いとしないとなしながら、作業所遅刻なるものを認め午前八時一〇分に予鈴を鳴らしその時刻迄に作業所内に到達して直ちに作業開始の態勢にあることを要求している。勿論、午前八時一五分にタイムレコーダーを押してもそれより作業所迄に至る時間及び作業服に着換える時間として数分の作業準備期間を要するであろうが、八時間労働の開始の時刻をタイムレコーダーを押した時と定めた以上、それより五分前に作業所に到達することを要求してもこれをもつて従業員を拘束することはできず、右時間以前に作業所に到達しなかつたことをもつて従業員に対し不利益な取扱いをすることはできないものというべきである。したがつて前記認定した申請人の出勤時刻のうち午前八時一〇分以降同一五分までに工場へ入門した場合には被申請人のいう作業場への遅刻という事態が生じるとしても、これをもつて出勤不良勤務不熱心又は職務怠慢の責を負うものではない。

よつて(い)の事由中、申請人に問責せらるべきは午前八時一五分以後の遅刻のみであるが、それについてもその回数は左程多くないからその程度をもつてしては就業規則第五六条第三号に懲戒解雇事由として挙示されている出勤不良、勤務不熱心又は職務怠慢の事実があるものということはできない。

(二)  被申請人主張の(ろ)の事由について、前記の如く被申請人のいう作業場への遅刻という取扱は容認できないから、この点についての注意に従わなかつたからといつても申請人を責めることはできないし、また前記認定の如く一般に外山工場においては欠勤した際に所定の様式による届出がなされず口頭によつて届け出る場合が多く、これに対して被申請人が届書による届出を励行するように周知徹底をはかつたことを認めるに足りる疏明もないから、右の如き状況においてたまたま申請人に対し欠勤届書を提出するよう指示し、申請人がこれに従わなかつたことがあるとしても、これをもつて就業規則第五六条第四号にいう懲戒解雇事由としての上長の業務上の指示に従わないときにあたるものということはできない。

(三)  次に被申請人主張の(は)の事由について、被申請人のいうところは前記新聞記事が被申請会社における従業員の平均給与を実際よりも低く報道し、しかも平均給与が低いために転職者が多いような印象を与えるものであつて、このような事実を曲げた記事内容によつて被申請人の信用は毀損され営業上大きな不利益と損害を蒙つたが、右記事のニユースソースはあげて申請人にあるから申請人は被申請人に対する責任を負うべきであるというのである。ところで右記事のうち組合役員の話とある部分を除いては荒川鈑金労働組合豊田支部が豊田公共職業安定所のとつた転職斡旋拒否の態度に抗議した事実を掲載したに止まるものであつて、単なる経過を報道した記事に過ぎず、右記事部分のみをもつてしては未だ被申請会社において陸続として転職者があるような印象を与えるものではない。次に組合役員の話として書かれてある部分については、前記認定するところによれば申請人は豊田公共職業安定所が転職斡旋を拒否した事実を聞くや毎日新聞豊田通信部へ連絡し、翌日同通信部水谷記者が外山工場に申請人を訪れ申請人ら四人と話し合つたが、その際に申請人らが五〇〇人の従業員の中で二〇才前後の者が過半数いる、その人達の給与は八、〇〇〇円から八、五〇〇円位ではないか、と述べ、その後においても申請人は右職安への抗議について水谷記者に経過を伝えているのであるから「若い従業員が多く平均給与も八千円から八千五百円」とある部分は申請人らが述べたところによつて記事が作成されたものということができる。しかも申請人は水谷記者の訪問が取材活動であつてその際申請人らの述べるところが新聞記事になることは当然予見し得たものであるから、申請人は右新聞記事のうちに組合役員の話として掲載されたことにつき申請人らの発言の限度において原因を与えたものである。

ところで証人三宅典雄の証言によれば昭和三五年一一月頃において被申請会社外山工場の従業員の平均年令は男女合わせて一九才八ケ月、その平均給与は九、〇〇〇円であり、また前記甲第一〇号証の記載によれば豊田公共職業安定所へ転職斡旋を申し込んだ一人である訴外田中義彦(昭和三六年六月一九日現在満一九才)は昭和三五年一一月頃日給三百五、六十円、一ケ月の収入は八、〇〇〇円前後であつたことが疏明される(なお被申請人が右平均給与を疏明する資料として提出した乙第九号証によつても、外山工場における男女従業員の賃金ベースは基準内賃金ベースが八、七五一円八四銭、基準外賃金を含めて九、一〇〇円九六銭であつて、右賃金額中に残業手当金を含むか否か、或は諸控除がなされていないものか否かということは別にして右数字に従えば、申請人のいう平均給与との差は最小二五一円余に過ぎない。)右の如き給与額の実態に加えるに、申請人が水谷記者に対し述べた平均給与額は基本給のみであるか、残業手当を含むのか、或は諸控除がなされたものか否かについて特に説明が加えられたものではないことを考え合わせれば、申請人らの述べた平均給与額である八、〇〇〇円から八、五〇〇円という数字のみをもつて被申請人が算出した平均給与額と比較しその差を強調することはできないばかりでなく、数字上の差額自体も実際問題として会社の名誉信用を毀損する程のものとは考えられないから、申請人が水谷記者に対し故意又は過失によつて被申請人の名誉信用を毀損するような虚偽の事実を告げたというには足りない。また、被申請会社における求人募集が困難になつたことについて、これが右新聞記事によつて惹起されたことを認めるに足りる疏明もない。したがつて、申請人には就業規則第五六条第一五号に懲戒解雇事由として挙示されている会社の名誉信用を毀損し又は会社に不利益損害を与えたときにあたる行為はないものというべきである。

被申請人は就業規則中に従業員を解雇し得る場合として第二五条及び第五六条を定めて解雇基準を示しているのであつて、しかも本件解雇が懲戒処分中の懲戒解雇をなし得る事由としての第五六条第三号、第四号及び第一五号に該当する事実があるものとして、これを理由として就業規則第三五条の通常解雇に及んだのであるからその理由とする右懲戒解雇事由が存在しない限り解雇すべき事由はないものといわなければならない。本件解雇については前記(一)乃至(三)に述べた如く右にいう懲戒解雇事由が存在しないのであるから、被申請人のなした本件解雇の意思表示は権利の濫用として無効というべきものである。

申請人本人尋問の結果によれば、申請人は昭和三六年三月二九日失業保険法第二六条の二に基く就職支度金を受け取つて豊田市の黒川米穀店に勤務するに至つたが、右黒川米穀店は申請人の兄が経営するものであつて給料も食費程度であり、被申請人が解雇と共に名古屋法務局岡崎支局へ供託した金員中、賃金六、六九〇円は昭和三七年二月二日受領したが、解雇予告手当金九、〇〇〇円は未だ受け取つておらず、また右勤務前である昭和三六年一月二三日本件解雇につき愛知県地方労働委員会に不当労働行為救済の申立をなしているのであるから、右勤務は本件解雇について争つている間の一時的なものであつて右就職支度金を受け取つたことをもつて直ちに申請人において被申請会社を退職する意思を表明したものとみることはできない。

申請人は前記認定の如く豊田市の黒川米穀店に勤務するに至つているが、右黒川米穀店は申請人の兄が経営するものであつて給料も食費程度であり家内的手伝の域を出ない。申請人は満二六才であつて今後独立して生計を立てて行く必要があり、しかも本案訴訟の確定をまつていては技能の習得その他被申請会社における従業員としての地位に影響するところが大であるから、仮りに被申請会社外山工場の従業員としての地位を認められるべき必要性が存する。

しかしながら被申請人は労働者である申請人に対し労働契約上の権利として労務の提供を請求する権利を有するが、労務を受領すべきことを強制されるものではなく、ただ労働者である申請人は労務の提供により債務者としての責任を減免され債権者である被申請人に対し受領遅滞による損害賠償請求をなし得るに過ぎないものというべきであるから、仮就労を求める申請人の申請は失当である。

よつて申請人の申請のうち本件解雇の意思表示の効力を本案判決確定に至る迄停止することを求める部分は正当として認容し、仮就労を求める部分は失当として却下することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九二条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 伊藤淳吉 村上悦雄 渡辺一弘)

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