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名古屋地方裁判所 昭和36年(ワ)1136号 判決 1972年3月31日

原告

国鉄労働組合

右代表者

中川新一

右代理人

小山斉

外二名

被告

小林長信

外六一名

右代理人

小川剛

主文

一、別紙債権目録記載の被告のうち、番号30大森晴臣、同62小塚清光を除く各被告らは、原告に対し同目録認容額合計額記載の各金員およびこれに対する昭和三六年一〇月一〇日から支払いずみまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

二、前項の被告らのうち、別紙債権目録記載の番号48渡辺正夫、同53宇佐美吉次郎、同54山田正之、同55山田聡一、同58稲穂和男を除く各被告らに対する原告その余の請求は、いずれもこれを棄却する。

三、原告の別紙債権目録記載の番号30被告大森晴臣および同62被告小塚清光に対する各請求は、いずれもこれを棄却する。

四、訴訟費用は、原告と各被告らにつきこれを十分し、別紙債権目録訴訟費用負担割合欄記載のとおりの負担とする。

五、原告は第一項に限り仮に執行することができる。

事実《省略》

理由

一、(当事者間に争いのない事実)

原告組合は、公労法四条に基づき日本国有鉄道の職員によつて結成された単一労働組合であること、被告らは、いずれももと原告組合の組合員であり、別紙準備手続の結果の要約書引用にかかる目録(以下「別紙目録」という。)記載のとおり、原告組合名古屋地方本部名古屋工場支部の各分会に所属していたが、同目録番号58(別紙目録と別紙債権目録の番号は同じ)記載の被告稲穂和男を除く被告らが、原告組合から脱退したことは、当事者間に争いがない。

二、(被告らの脱退時期)

そこで、被告稲穂和男を除く被告らの脱退時期につき判断する。

(一)  (争いのない被告らについて)

別紙目録番号60記載の被告宮下晃が昭和三四年七月に、同目録番号62記載の被告小塚清光が同年一二月に、それぞれ原告組合から脱退したことは、当事者間に争いがない。

(二)  (木機分会所属の被告らについて)

<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

1、昭和三三、四年当時の原告組合ないし木機分会の組織は、次のとおりであつた。

原告組合は、本部を東京都に置き(原告組合規約一条)、日本国有鉄道職員のうち原告組合に届け出て、その組合員名簿に登録された者をもつて組織されているものであるが(同規約五条二一条)、原告組合規約によれみ、各地方鉄道管理局相当地域ごとに、その地方における主たる行動と団体交渉の単位としての決議執行機関である地方本部を設け(同規約六条)、地方本部には、その設置要綱の定めるところにより支部、分会を置くとされている(同規約七条)。そして、原告組合の本部には、最最高決議機関としての「大会」および大会につぐ決議機関として「中央委員会」ならびに大会、中央委員会の決議執行および緊急事項処理のため「中央執行委員会」がある(同規約一二条、一五条、一七条、一九条)。また、原告組合規約五〇条によると、地方本部は、本部規約に反しない限り自主的な規約を設けることができ、この場合は本部に届け出なければならない旨定めている。

名古屋地方本部(以上「名地本」という。)は、右地方本部の一つであつて、本部の前記機関に対応する「地方大会」地方委員会」および「地方執行委員会」を有する(名地本規約一〇条、一三条、一五条、一七条)。同規約五条によれば、支部は、原則として地域ごとまたは県別に設置する決議執行機関と定め、また分会は、原則として支部内の業種別ごとに設け、名地本の事業は分会内で行なう旨定め、支部および分会は、地方本部の決定に従う義務があるとされている。

名古屋工場支部(以下「名工支部」という。)は、名地本規約に基づき設置された一支部であつて、名古屋工場支部所属の原告組合員で組織され(名工支部規約五条)、同組合員は届け出により支部組合員名簿に登載されており(同規約一八条)、同支部も「支部大会」「支部委員会」および「支部執行委員会」を有する(名地本規約五条、名工支部規約九条、一一条、一三条、一五条)。

木機分会は、名地本規約に基づき名工支部内に設置された一分会であり、決議機関として「分会大会」および「分会委員会」を有していた(各工支部規約一〇条)。

2、ところで、木機分会に所属する被告らを含む組合員は、昭和三三年七月ごろ、名地本の組合財政処理面に不正があると指摘し、その解明および責任追及にのり出した。右指摘にかかる不正とは、名地本において、組合専従者一名が既にやめて実在しないのに、原告組合から同専従者に対する給料の支払いを受け、かつ、名地本の一執行委員が、機関決定を経ることなく無断で、保管にかかる右給料および組合費計約六〇万円を、当時参議院議員選挙に三重県地方区から立候補予定の、名地本出身者菊川孝夫に貸付けた疑いがあるというものであつた。

ところが、木機分会組合員らの指摘にかかる右不正事件の存否につき、名地本が誠意をもつて解決する方針であるのかどうかはつきりしないため、木機分会は、同年七月以降数回にわたり全員職場集会を開催するなどして検討した結果、当時同分会が毎月二三日に分会組合員から徴収し、名工支部を通じ名地本ついで原告組合に上納していた組合費を、名工支部に上納しないで銀行に預金することとし、いわゆる組合費の凍結を申し合わせた。右申合わせによりその後同分会所属のほとんどの組合員の組合費は凍結されるに至つた。

そして、同分会は、同年一一月ごろ、名工支部あてに右不正事件の解明および責任追及等の申入をすると共に、これに対する同分会組合員の結束を固めて統一行動を図るため、有志の署名簿を作成した(当時木機分会に所属する組合員約一二〇名中、別紙目録記載の同分会所属の被告ら((ただし、同目録番号27の岡田熊男を除く。))を含む九三名は、わら半紙大の用紙二枚にそれぞれ署名押印した。)。そして、被告恒川直一ほか四名は、右九三名の代表者に選ばれ、同年一一月ごろ、名工支部副執行委員長に対し右署名簿を交付した。その後、右署名簿につき、名工支部との間で数回にわたり「受けとれない」「受けとれ」といつたやりとりがあつたけれども、最終的には同支部が受領し保管するに至つた。名工支部は、木機分会の前記申入れに基づき同年一二月九日ごろ、名地本に対し同趣旨の申入れをした。

そこで、名地本は、地方執行委員会を開いて検討し、その決定に基づき同年一二月二五日、名地本の臨時会計監査を実施した。右会計監査の結果、名地本は財政面に不足金額のあることを認め、昭和三四年一月八日ごろ、名工支部あてに監査報告書を添付のうえ、右不足金額に対する措置を明らかにし、遺憾の意を表明すると共に、「今後の措置については同支部の意見をきいて検討したい」旨回答した。

ところが、名工支部は、右回答を不満として支部委員会を開いたうえ、その決定に基づき同月九日ごろ、名地本あてに臨時地方大会の開催を要求した。

しかし、名地本は、同月二六日ごろ、名工支部あてに、地方執行委員会の決定に基づくものとして「この時期に臨時大会を開催することは、そのニュースが商業紙の取り上げるところとなり、参議院議員選挙に際し全国区から出馬予定の名地本執行委員長および三重県地方区から出馬予定の菊川孝夫の選挙に、それぞれ重大な影響を与えるばかりでなく、春闘を前に一般組合員に対しても悪影響を及ぼすものと推察される。会計監査の指示は早急に行ない、臨時大会にかえて地方委員会をもつて問題の経緯と処理を明らかにしたい」旨回答した。名地本は、同月三一日付名工支部の再度にわたる臨時大会開催要求の申入れに対しても、同日右と同趣旨の回答を繰り返し、これを拒否した。

木機分会は、このような名地本の態度に強い不満をもち、同分会職場大会の名において、同年三月九日、名工支部あてに「不正事件につき納得できる解明があるまで、組合の指令を辞退する」旨の決議文を提出し、更に同年四月一日ごろ、名地本に対しても、「不正事件の詳細な説明および責任者の即時退陣を要求すると共に、それまでの間、名地本の指令を辞退し組合費を凍結する」旨の同日付決議文を提出した。更に、その後同年四月中旬ないし下旬ごろ名工支部執行委員長あてに、名地本から納得のいく解決が得られなかつたとして「木機分会組合員有志一丸となり、組合体制の民主化を希望し、ここに国労より脱退を宣言する」旨の「宣言」と題する書面を提出した。

そこで、名工支部は、そのころ当時の木機分会副会長松田俊夫と共に、前記保管中の木機分会組合員九三名の署名簿に基づき、ひとりひとり脱退意思の有無を検討し、説得ないし勧告により脱退意思がないと認められた者については、署名簿上その氏名を抹消した。

右署名簿上、別紙目録記載の木機分会所属の原告ら(ただし、同目録番号27の岡田熊男を除く。)は、全員抹消されないで、いずれも登載された儘となつており、名工支部は、前記宣言と題する書面に右署名簿を編綴し、両書面を一体の文書(甲第二四号証)として現に保管している。

ところで、右被告らは、前記脱退宣言につき名工支部、名地本および原告組合からなんらの連絡もなかつたので、木機分会脱退者一同の名において、同年七月一七日ごろ、名工支部あてに「われわれの脱退を認めよ」ほか四項目の回答を求める書面(甲第四七号証)を提出した。そして、同被告らは、名工支部の他の分会組合員と共に、同年八月一一日、名古屋工場地方労働組合を結成した。

3、また別紙目録番号27記載の被告岡田熊男は、当初木機分会所属の被告らと行動を共にしなかつたが、後になつて名工支部に対し「先に木機職場より提出された脱退届に加入します」旨記載した脱退届を提出した。右脱退届には、日付の記載がないけれども、前記名古屋工場地方労働組合の組合員名簿には、当初から組合員として登載されている。

4、以上の認定事実によれば、原告組合は、前記一のとおり単一労働組合であるが、全国的な規模を有し組合員が多数であることから、その下部組織として地方本部、支部および分会等を設けていたこと、名地本および名工支部は、いずれも右下部組織であり、組合規約を有する決議執行機関であり、原告組合規約ないし上部機関の指令指示に反しない限度でそれぞれ自治権限が付与されていることは明らかである。そして、被告らの脱退につき、下部組織である名工支部に対する脱退の意思表示の到達をもつて、その効力を生ずることとは、原告の自認するところである(付言すれば、労働組合からの脱退は、組合員の自由意思に委ねらるべき性質のものであるから、組合の機関に対し、その旨の意思表示をすることによりその効力が生じ、たとえ規約上組合機関の承認を要する旨の定めがあつても、右意思表示の効力に何らの消長を及ぼすものではない。)

そして、木機分会に所属する別紙目録番号1ないし26、28および29記載の被告ら計二八名は、前記認定のように脱退の意思表示を記載した宣言と題する書面を名工支部に提出した昭和三四年四月中旬ないし下旬ごろ、原告組合に対し脱退の意思表示をしたものと認めるのが相当である(右の時点で名工支部は、宣言と題する書面を署名簿と一体をなすものと理解していたことは先に認定したとおりである。)なお、右宣言と題する書面提出の日時については、被告恒川直一本人尋問の結果と、前記認定の昭和三四年四月一日付決議文提出以降、木機分会所属の被告らは、従来のように同分会の名において、名工支部に対し決議文を提出し、あるいは同年五月一日のメーデーに参加するなど、原告組合の活動をした形跡がなんら存しないこととをあわせ考えると、前記のように同年四月中、下旬ごろと認定するのが相当であると考える。)。

また、同目録番号27記載の被告岡田熊男については、前記脱退届提出の日時を確定できる証拠はないけれども、同被告が昭和三四年七月一〇日脱退したことは原告の自認するところであるから、同被告は遅くともそのころ原告組合に対し脱退の意思表示をしたものと認められる。

木機分会所属の被告らは、昭和三三年一一月、名工支部副執行委員長に対し原告組合を脱退する旨の意表示をしたと主張し、<証拠>中にはこれに符合する部分が存するが、これら部分は前記認定のような同被告らの昭和三四年四月始めまでの言動に照らし、たやすく採用できない。

また、原告は、別紙目録番号22記載の被告永田敏は、脱退の意思表示がなかつたので、同被告が前記名古屋工場地方労働組合に加入した昭和三五年三月三一日をもつて脱退したものとみなし、脱退扱いとしたと主張し、<証拠>中、これに添う供述部分が存するけれども右各供述部分はたやすく信用し難く、他に右主張を認めるにたりる的確な証拠は存しない。もつとも、前掲甲第二四号証によれば、前記署名簿中被告永田敏の署名捺印部分はいつたん抹消されていることが認められるけれども、<証拠>によれば、右抹消は過誤によるものとして抹消の取り消しがなされていることが認められるから、前掲甲第二四号証の右抹消部分の記載は前記認定をくつがえし、原告の右主張を維持するにたりる証拠とはなし難い道理である。

更に原告は、右被告を除く木機分会所属の被告らは、いずれも昭和三四年七月一〇日脱退した旨主張し、<証拠中>には、右主張に添う部分が存するけれども、右各部分はいずれもたやすく信用し難く、他に前記認定をくつがえし、原告の右主張を維持するにたりる証拠はない。

(三)  (用品倉庫分会所属の被告について)

<証拠>によれば、別紙目録番号30記載の被告大森晴臣は、昭和三四年七月二日ごろ、原告組合本部に到達の同中央執行委員長あて脱退届を郵送し、その後間もなく右脱退届は名工支部に転送されたこととが認められ、これに反する証拠はない。

右事実によれば、同被告は、昭和三四年七月二日ごろ、原告組合に対し脱退の意思表示をしたことが明らかである。

同被告は、同年五月名工支部執行委員長に対し脱退の意思表示をした旨主張するけれども、これを認めるにたる証拠はない。

(四)  (貨車分会所属の被告らについて)

<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

1、貨車分会所属の組合員の一部は、前記二(二)2認定のような名地本における組合財政処理面の不正事件のため、昭和三三年一二月ごろから木機分会同様、集団的に組合費を凍結していた。そして、名地本の右不正事件に対する措置に対する不満から、遂に別紙目録番号31ないし47記載の被告らは、昭和三四年五月六日付の原告組合執行委員長あて脱退届に連署押印し、これをそのころ名工支部に提出した。右脱退届は、その後名工支部と同被告らとの間で、数回にわたり「受けとれない」「受けとれ」といつたやりとりがあつたが、最終的には同支部が受領し現に保管している。

2、また、別紙目録番号48ないし50記載の被告ら三名は、貨車分会所属の本件被告ら以外の二名の組合員および客車分会所属の同目録番号53ないし57記載の被告ら五名と共に、昭和三五年九月三〇日付原告組合中央執行委員長あての脱退届に連署押印のうえ、被告渡辺正夫、同宇佐美吉次郎の両名が、これを同年一一月中旬、名工支部に持参提出した。名工支部は、このような脱退届記載の日付と提出日のくい違いから、いつたん右脱退届を返戻したこともあつたが、結局そのころこれを受理した。

3、次に、別紙目録番号51記載の被告岩谷吉行は、昭和三四年七月三一日ごろ、名工支部あてに脱退届を提出した。

4、以上の認定事実によれば、前記二(二)4に説示したと同じく、別紙目録番号31ないし47記載の被告ら計一七名は昭和三四年五月六日ごろ、同目録番号48ないし50記載の被告ら三名は昭和三五年一一月ごろ、同目録番号51記載の被告岩谷吉行は昭和三四年七月三一日ごろ、それぞれ原告組合に対し脱退の意思表示をしたことは明らかである。

別紙目録番号32、33、36、38ないし40、44、47記載の被告ら八名は、昭和三三年一二月、名工支部執行委員長に対し脱退の意思表示をした旨主張し、<証拠>中にはこれに添う供述部分があるけれども、前掲各証拠に対比するときは、いずれもこれを採用することができない。

同目録番号31、34、35、37、42、46、51記載の被告ら七名は昭和三四年一月、同目録41、43、45記載の被告ら三名は同年二月に、それぞれ名工支部執行委員長に対し脱退の意思表示をした旨主張するけれども、いずれもこれを認めるにたる証拠はない。

同目録番号51記載の被告は、右主張が認められないとしても、同年五月、脱退届を提出した旨主張するけれども、これを認めるにたる証拠はない。

同目録番号48ないし50記載の被告ら三名は、昭和三五年七月、名工支部副執行委員長に対し脱退の意思表示をした旨主張するけれども、前同様これを認めるにたる証拠はない。

また、原告は、別紙目録番号31ないし47記載の被告ら計一七名は、昭和三四年七月一六日に脱退した旨主張し、<証拠>中には、同被告らが右日時に脱退の意思表示をしたことを肯定する部分が存するけれども、<証拠>に対比すると、右証拠はたやすく採用できない。

他に前記認定をくつがえすにたる証拠はない。

(五)  (客車分会所属の被告らについて)

1、別紙目録番号53ないし57記載の被告ら五名が、昭和三五年一一月ごろ、名工支部に対し貨車分会所属の組合員らと連署押印の脱退届を提出したことは、前記二(四)2に認定したとおりであり、<証拠>によれば、別紙目録番号52記載の被告早瀬利春は、昭和三四年七月三〇日ごろ、名工支部に脱退の意思表示をしたこと、また同目録番号59記載の被告岡田敏明は、同年五月二三日ごろ、名工支部に対し脱退届を提出したことが認められる。

2、右事実によれば、前記二(二)4に説示したと同じく、別紙目録番号52記載の被告早瀬利春は昭和三四年七月三〇日ごろに同目録番号53ないし57記載の被告ら五名は同年一一月ごろ、同目録番号59記載の被告岡田敏明は同年五月二三日ごろ、それぞれ原告組合に対し脱退の意思表示をしたことが明らかである。

被告早瀬利春は、昭和三三年一二月客車分会長に対し脱退の意思表示をし、仮にこれが認められないとしても、昭和三四年三月同分会長に脱退届を提出した旨主張し、<証拠>中、これに添う供述部分があるけれども、前掲各証拠に対比するとたやすくこれを信用できない。

別紙目録番号53ないし57記載の被告ら五名は、昭和三五年九月、名工支部副執行委員長に対し脱退届を提出したと主張し、<証拠>中これに符合する部分は、<証拠>と対比すると、たやすく信用できない。

また、被告岡田敏明は、昭和三三年一一月、名地本書記長に対し脱退の意思表示をし、仮にこれが認められないとしても、昭和三四年三月客車分会長に脱退届を提出した旨主張するけれども、いずれもこれを認めるにたる証拠は存在しない。

他に前記認定を左右するにたる証拠はない。

(六)  (塗工分会所属の被告について)

<証拠>によれば、別紙目録番号61記載の被告鈴木乙次郎は、昭和三四年五月二三日ごろ、名工支部に脱退届を提出したことが認められる。

右事実によれば、前記二(二)4に説示したと同じく、同被告は昭和三四年五月二三日ごろ、原告組合に対し脱退の意思表示をしたことが明らかである。被告鈴木乙次郎は、昭和三三年一一月、名地本書記長に対し脱退の意思表示をし、仮にこれが認められないとしても、昭和三四年三月客車分会長に脱退届を提出した旨主張するけれども、いずれもこれを認めるにたる証拠はない。

他に前記認定をくつがえすにたる証拠は存在しない。

(七)  以上のとおりであるから、前記二の(二)ないし(六)の被告らは、別紙債権目録の認定脱退年月日欄記載の日に、原告組合から脱退したことが明らかである。

三、(被告稲穂和男の除名扱い)

次に、原告主張の別紙目録番号28記載の被告稲穂和男の除名扱いにつき判断する。

<証拠>によれば、原告組合は、組合規約にいて、組合員の組合費納入義務(原告組合規約二四条四号、名地本規約二二条四号、名工支部規約二〇条四号)および組合員の除名は地方大会または本部大会できめる(原告組合規約二五条、名地本規約二二条、二三条)旨をそれぞれ規定していること、被告稲穂和男は、昭和三四年二月分以降長期間にわたり毎月納入すべき組合費の支払いを怠つていたこと、そこで、名地本は、地方大会の決定に基づき右組合費の徴収処理手続上、昭和三五年六月三〇日をもつて、同被告を除名扱いとしたことが認められる。

同被告は、昭和三四年二月、客車分会長に対する脱退の意思表示により原告組合を脱退した旨主張し、<証拠>中にはこれに添うような供述部分があるけれども、前掲各証拠と対比するとたやすく信用できず、他にこれを認めるにたる証拠はない。

他に前記認定を左右するにたる証拠はない。

四、(一般組合費)

(一) <証拠>によれば、昭和三三年ないし昭和三五年当時、原告組合の組合費は、毎年原告組合の大会で月額をもつてきめられ(原告組合規約三九条二項)、原告組合本部は右組合費を一覧表に作成したうえ地方本部にその徴収を指令し、地方本部は、これをさん下の各支部に指示し、更に各支部は、これをさん下の各分会に通知すると共にその徴収を指示していたこと、名工支部所属の各分会は、右組合費を毎月二三日ごろ分会組合員から徴収して名工支部に上納し、名工支部はこれをまとめて名地本に上納し、名地本は各支部の分をとりまとめて翌月五日までに原告組合本部に上納していたこと、原告組合の経費は、組合費、寄付金その他であてられ(原告組合規約三九条一項)、名地本および名工支部の経費は、主として組合費による原告組合本部からの交付金によつてまかなわれている(名地本規約三五条、名工支部規約三四条)ことが認められ、これに反する証拠はない。

(二) ところで、原告組合においては、脱退等により非組合員となつた日時か、月の五日までの者については、当月分の組合費を徴収しないことにされていることは原告の自認するところであるが、前記二(七)4認定のとおり別紙目録番号1ないし26、28、29、48ないし50、53ないし57記載の被告らは、その脱退日時が当月一日から五日までであつたことを認めるにたる証拠はない。そして、前記認定のとおり組合費が規約に則り、その額、使途、徴収方法が定められていることと、組合費は労働組合の経済的基礎をなすもので、これが確実に徴収されない場合は、原告組合の存立自体を左右するものであることからすれば、他に特段の定めがあることの主張、立証がない以上、右被告らはもちろん、脱退が月の六日以降の途中の場合でも、当該脱退月一か月分の一般組合費を納入すべき法律上の義務があると解するのが相当である。

(三) そして、別紙目録番号30、60、62記載の被告ら三名を除くその余の被告らの一般組合費月額が、原告主張すなわち別紙目録の組合費欄記載のとおりであることは当事者間に争いがなく、同被告らにおいて右組合費につき弁済の主張ないし立証をしないから、原告組合に対し同目録の組合費欄記載の最初の月から前記二、三認定の脱退ないし除名扱いとされた月までの一般組合費を納入すべき義務があり、右合計額が別紙債権目録の認容額一般組合費欄記載のとおりとなることは、計算上明らかである。

五、(臨時組合費)

(一)  (総評闘争資金、犠救弾圧対策資金、本部闘争資金、名古屋地本闘争資金について)

1、原告組合が、昭和三三年一一月の原告組合中央委員会において、臨時組合費として原告組合員一人あたり総評闘争資金一五円、犠救弾圧対策資金四五円、本部闘争資金一五円の徴収を決議し、本部指令二〇号をもつて右徴収を指令したことは当事者間に争いがない。

2、<証拠>を総合すれば、昭和三三年当時、原告組合規約三九条二項ただし書きは、組合費に関し「中央委員会で必要と認めた時は、臨時に徴収することができる」旨規定していたこと、また当時の名地本規約三五条は、地方本部の経費につき「なお必要あるときは、組合の承認を得て臨時に徴収することができる」旨規定し、「臨時地方本部費の徴集」は地方委員会の決議事項とされ(同規約一六条四号)、かつ、臨時組合費徴収の承認手続に関する規定を設けていたこと(国鉄労働組合名古屋地方本部会計事務取扱規則七条)、名地本は、昭和三三年一一月ごろ開催の地方委員会で、秋季、年末闘争および春季闘争のため、闘争資金として組合員一人あたり二五円の臨時徴収を決議したこと、原告組合中央委員会は、そのころ、名地本から承認申請のあつた右闘争資金の臨時徴収を承認したこと、そして、名地本は同年一二月三日、さん下の各支部、分会等あて書面(甲第九号証)をもつて、組合員一人あたり前記本部指令二〇号に基づく各資金計七五円および名地本の右闘争資金二五円の合計一〇〇円を、同月一五日の年末手当支給日に徴収すべきことを指示したこと、右指示はそのころ被告らに告知されたことが認められ、これに反する証拠はない。

3、被告らは、右名古屋地本闘争資金は名地本規約に基づくもので原告組合の本部規約に反し無効であり、仮にそうでないとしても、それは組合員の任意履行にかかるものである旨主張するけれども、右闘争資金の徴収は、前記認定のとおりなる程直接には名地本規約に基づき名地本の地方大会で徴収を決議したものであるが、名地本は、原告組合の下部組織として一定の自治権限が認められていることは前二(二)4のとおりであり、かつ、原告組合中央委員会は、右徴収を承認したのであるから、右各臨時組合費は、規約に則り適法に徴収の決議がなされているのであり、先に認定したその使用目的に照らし、明らかに労働組合の目的の範囲内に属すると考えられるから、右徴収決議は原告組合員に対し組合費を納入すべき法律上の義務を生じさせるものというべきである。これに反する被告らの右主張は採用できない。

4、よつて、別紙目録番号2、30、41、44、48ないし50、52ないし58、62記載の被告らを除くその余の被告らは、いずれも原告に対し臨時組合費としての総評闘争資金、犠救弾圧対策資金、本部闘争資金および名古屋地本闘争資金計一〇〇円を支払う義務があることは明白である。

(二)(名古屋地方災害贈与金基金、年末助け合いカンパについて)

1、<証拠>を総合すると、昭和三三年当時、原告組合規約四六条は、組合の罹災者救援等に関しその資金積立てを規定し、また名地本規約四〇条は「地方本部組合員が災害を受けたときで、組合の罹災者救援規則の適用をうけないものには、災害贈与金を贈る。災害贈与金の取扱については別に定める」旨規定し、これに基づき制定された名古屋地方本部災害贈与金取扱内規六条二、三項には「この特別会計の資金として毎年一二月各組合員より一人当り三〇円を徴収し積立てる。資金が不足し、早急に支給を必要とする時は、地方委員会の議を経て臨時に徴収ることができる」旨規定していること、名地本は、昭和三三年八月二三日から同月二六日まで一宮市で開催の第九回地方大会において、年末助け合いカンパを含む名古屋地方災害贈与金基金の拠出をきめたことが認められる。

そして、<証拠>には、右贈与金基金等の拠出は、前記名地本規約ないし内規に基づく臨時組合費としての徴収を意味し、原告組合中央委員会は、そのころ、名地本から承認申請のあつた右のような臨時組合費として、組合員一人あたり三〇円を徴収することを承認した旨の供述部分が存する。

2、ところが、名地本が、同年一二月一二日、さん下各支部、分会等にあてた書面(甲第一〇号証)には次のとおり記載されていることが認められる。

「第九回地方大会に於て決定した地本災害贈与金基金と年末助け合いカンパを含める三〇円の徴収については一三日の局報甲雑報欄の内容により拠出されたい。一、組合員は一人六口を申込むこと(災害贈与金一人五口、年末助け合い一口)一、分会長は二三日に各現場長から一人五口分を受取り、残金の一口分については非組合員の拠出分と合わせて、局報記載の通り生活相談所へ送付させること。一、現場長から受取つた五口分については、各職場毎に取りまとめて地本総務部宛送付のこと。一、自動車支部関係分会の中、下諏訪、伊那分会については二〇円(三〇円の中、一〇円は年末助け合いカンパ長野管理局納人)その他の分会は三〇円を地本総務部宛送付のこと。」

右事実によれば、甲第一〇号証は、名地本が前記災害贈与金基金等の拠出を指示した文書であることは、その記載文言自体から明らかであるが、同書面中に記載の局報雑報欄の内容についてはこれを認めるにたる証拠はなく、同書面が組合員に対する右拠出につき「申込むこと」の文言を使用し、かつ、原告組合と関係のない非組合員の拠出分についても指示している点をあわせ考えると、右指示が各支部、分会等に対し徴収を義務づけ、また組合員に対し納入を義務づけたものと解することは困難といわなければならない。特に、右に認定したような甲第一〇号証の記載文言は、前記五(一)認定の臨時組合費徴収についての同じく名地本の各支部、分会等あて指示文書である甲第九号証の記載文言と対比すると、後者は明らかに組合員に対し「徴収する」旨の文言をもつて記載され、前者と異なつた表現であることが明白である。

このような観点からすれば、原告主張の名古屋地方災害贈与金基金および年末助け合いカンパは、前記名地本の規約ないし内規に基づく臨時組合費と認めるに充分でなく、かえつて、組合員の理解と協力により、あくまでもその自由意思に基づく任意の拠出を求めたものと推認することができる。

<証拠>は、前掲甲第一〇号証の記載文言に照らし、いずれもたやすく信用することができない。

そして、他に右災害贈与金基金等が、前記認定の原告組合規約等に基づく臨時組合費として、組合員に納入を義務づけたものであることを認めるにたる証拠はない。

3、よつて、原告の前記五(一)4記載の被告らに対する名古屋地方災害贈与金基金および年末助け合いカンパ計三〇円の支払いを求める請求は理由がない。

(三)  (王子製紙支援義務カンパについて)

1、<証拠>によれば、原告組合は、昭和三三年一一月ごろ、王子製紙労働組合の労働規約改悪反対による無期限スト支援のため、各地方本部に対し組合員一人あたり一〇円の義務カンパを指令したことが認められる。

そして、<証拠>中には、右義務カンパはいわゆる任意カンパと異なるものであり、原告組合中央委員会が、臨時組合費として徴収を決議した旨の供述部分が存する。

2、しかしながら、右義務カンパにつき、名地本が昭和三三年一一月一八日、さん下の各支部、分会等あてに指示した書面(甲第八号証)には、次のとおり記載されていることが認められる。

まず右書面は、「王子製紙、瀬栄陶器両労組に対するカンパについて」と題し、前記認定のような王子製紙労働組合のほか、愛知県下の瀬栄陶器労働組合の賃上げ要求による無期限ストの実情を訴え、続いて「王子については、総評としても既に各単産を通じ義務カンパの要請を発し、国労本部からも指令してきているところである。地方本部は右のような情勢にかんがみ、中央および県評の要請にもとづき、この両組合の闘争を勝利させるため、次により資金カンパを実施することとした。諸情勢は非常に困難な時期ではあるが、全組合員の溢れる友情を心から期待し御協力を要請する。」と結び、右指示事項として「組合員一人二〇円のカンパを行う。これは本部指令による王子の義務カンパ一〇円を含むものである。」「各級機関はオルグその他によつて、この主旨を充分組合員に徹底するよう配慮すること」等を記載している。

右事実とさきに説示した臨時組合費徴収についての名地本の各支部、分会等あて指示文書(甲第九号証)の記載文書をあわせ考えると、原告主張の王子製紙支援義務カンパは、各支部、分会等に対し臨時組合費として徴取を義務づけ、また組合員に対し納入を義務づけたものと解することができず、「義務」カンパの文言のみからこれを臨時組合費と認めるに充分ではなく、かえつて、右義務カンパは、前記認定の記載文言からも明らかなとおり、文字どおりカンパとして組合員の自由意思に基づく任意の拠出を求めたものと推認できる。

<証拠>は、右事実に照らしいずれもたやすく信用できない。

そして、他に右義務カンパが臨時組合費であることを認めるにたる証拠はない。

3、よつて、原告の前記五(一)4記載の被告らに対する王子製紙支援義務カンパ一〇円の支払いを求める請求は理由がない。

(四)  (政昂臨徴について)

1、<証拠>を総合すると、名地本は、昭和三四年五月二日、第三二回地方委員会を開催し、議題の一つとなつていた「参院選挙闘争について」、当時参議院議員選挙に際し、全国区から立候補予定の名地本執行委員長後藤俊男および三重県地方区から立候補予定の名地本出身者菊川孝夫に対する選挙運動を支援するため、名地本に所属する組合員一人あたり一〇〇円の資金カンパを徴収することを決議し、右徴収時期を選挙終了後の同年六月二三日の夏期手当支給日とする旨きめたこと、原告組合中央委員会は、そのころ、名地本から承認申請のあつた右臨時徴収を承認したこと、そして、名地本は同年六月八日、さん下の各支部、分会等あてに書面をもつて、右決議に基づく徴収を指示したことが認められ、これに反する証拠はない。

右事実によれば、原告主張の政昂臨徴は、参議院議員選挙に際し、名地本の組織内ないし出身者の立候補予定者に対する選挙運動を支援するための、前記原告組合規約三九条二項ただし書き、名地本規約三五条に基づく臨時組合費であることが推認される。

2、ところで、被告らは、右のような政昂臨徴は労働組合の目的をこえるもので、強制徴収できない旨主張するので、この点につき判断する。

元来、労働組合の目的は、労働者が団結権(憲法二八条)に基づき団体行動によつてその経済的社会的地位の向上を図ることにあるが、現実の政治、経済、社会機構のもとにおいては、単に使用者に対する団体行動によるだけでは、右のような労働組合の目的を充分に達成することができないから、その手段として右目的達成に必要な範囲内において、必要な政治的、社会的活動を行なうことは妨げない。

従つて、参議院議員選挙をひかえて、全国的規模を有する原告組合が、組合員の生活利益の擁護と向上を図ることに役立たしめるため、その利益代表を国会に送り込む目的をもつて組合組織内ないし出身者である特定の立候補予定者に対する選挙運動を支持、支援することは、もとより許容さるべきであるけれども、その意思決定(機関による決議)は、その所属組合員が市民として有する政治信条の自由(憲法一九条)に抵触しないことを要すると解するのが相当である。

このような見地からすれば、本件のように選挙資金カンパを臨時組合費として強制徴収する旨の決議は、所属組合員の政治信条の自由と抵触し、これを侵すものであるから、右決議に法的強制力を認めることはできないと解するのが相当である。

もとより本件徴収決議は、組合員に対し、前記特定候補者以外の候補者に対する支持ないし資金カンパを一般的包括的に禁止するものではないから、このことを理由として右決議は、組合員に対する政治信条の自由と抵触するとはいえないとの見解も成立し得る。

しかし、右見解に従い右決議に強制力を認めるとすれど、結果として組合員は臨時組合費納入という形において、特定候補者を支持することを余儀なくされるばかりか、場合により納入を拒むときは、組合費滞納を理由に制裁処分を受ける可能性も生ずるわけであつて、かような事態は、明らかに組合員の政治信条の自由、ないしこれに由来する政治活動の自由を侵害するものというべきであるから、かような事態の発生を招来する前記決議は、当初から組合員の政治信条の自由と本来的に抵触していると解するのが相当である。

従つて当裁判所は右見解を採用することができない。

3、そうすると、原告の別紙目録番号48、53ないし55記載の被告らを除くその余の被告らに対する政昂臨徴一〇〇円の支払いを求める請求は、同目録番号1ないし26、28、29記載の被告らについては、原告組合が政昂臨徴を決議する以前の昭和三四年四月ごろ、脱退したことは前記二(七)4認定のとおりであり、既に原告組合員の地位を喪失していた以上理由がなく、その余の被告らについても理由がないことが明らかである。

六(結論)

以上の次第であるから、別紙債権目録番号30、62記載の被告らを除くその余の被告らは、原告に対し同目録認容額合計欄記載の金員およびこれに対する弁済期経過後の昭和三六年一〇月一〇日から支払いずみまで、民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務がある。

よつて、原告の本訴請求中、同目録番号48、53ないし55、58記載の被告らに対する請求はいずれも全部認容し、同目録番号1ないし29、31ないし47、49ないし52、56、57、59ないし61記載の被告らに対する請求は、いずれも右の限度で認容し、その余は棄却することとし、同目録番号30、62記載の被告らに対する請求は、いずれも全部棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、仮執行の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(松本武 角田清 植村立郎)

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