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名古屋地方裁判所 昭和37年(わ)557号 判決 1962年11月17日

主文

被告人金大俊を懲役四年に、被告人鬼頭武を懲役三年に処する。

被告人金大俊に対し、未決勾留日数中六〇日をその刑に算入する。

被告人鬼頭武に対し、この裁判確定の日から、四年間その刑の執行を猶予する。

訴訟費用中、証人河野茂明に関する分は、被告人金大俊の負担、証人遊佐誉に関する分は、被告人両名の連帯負担とする。

理由

一、罪となるべき事実

第一、被告人両名は、河野茂明と共に、昭和三五年二月二八日午前三時頃、名古屋市熱田区花表町一丁目一番地、高橋アルミニユーム再生工業株式会社内の半製品置場で、同社代表取締役高橋政雄管理の、アルミニユーム新塊一本ほか一二点を窃取し、河野が運転してきた大型貨物自動車に積み込み、なおも窃盗を継続していたところ、間もなく同所と道路をへだてた東側にある同社の寮に泊まつていた工員遊佐誉(当時二〇年)に発見されてしまつた。

そこで、右自動車で逃走しようと、河野は運転席に飛び乗り車をスタートさせ、被告人両名は、その荷台に飛び乗つたのであるが、右遊佐もまた、被告人らを逮捕しようとして進行し始めた自動車の荷台に飛び乗つてきたので、荷台に乗つていた被告人両名は、逮捕を免がれるため進行中の車上から遊佐を路上に突き落そうと暗黙のうちにその意思を通じあい、両名相前後して遊佐につかみかかり車上で揉み合いながら同人を運転席の屋根附近に押しつけ、更に運転席近くの荷台の右側(進行方向を基準として)に同人を押しこんだとき、車が停車しかけたので、(窃盗現場より約七〇〇米北方、東洋プライウツド株式会社附近路上)遊佐は、「このうえ運転している男(河野)まで加わることになれば、とうていかなわない」と思いその場から逃げようとしたため、その動きと相まつて、同人を荷台上から路上に転落させるに至らしめてその抵抗を抑圧し、再び車をスタートさせてその場より逃走し

第二、被告人金大俊は別表記載、一乃至九、及び一五乃至三八、被告人両名は、別表記載一〇乃至一四の事実につき、別表記載の共犯者とそれぞれ共謀のうえ、昭和三五年二月上旬頃から、同年五月一一日頃までの間、別表記載のとおり他人の財物を窃取し

たものである。

二、証拠の標目≪省略≫

三、確定裁判

被告人金大俊は、昭和三六年五月一六日名古屋地方裁判所で窃盗罪により懲役一年(二年間執行猶予)に処せられ、右裁判は同年五月三一日確定したものであつて、この事実は前科調書によつて認められる。

四、法令の適用

被告人両名の判示第一の所為は、いずれも刑法六〇条、二三八条、二三六条に、判示第二の所為は、いずれも同法六〇条、二三五条に該当するが、被告人金大俊については、以上の各罪と前記確定裁判のあつた罪とは同法四五条後段の併合罪の関係にあるから、同法五〇条により、また裁判を経ない判示第一、第二の各罪につき更に処断することとし、同法四五条前段、四七条本文、一〇条により、又、被告人鬼頭武については、判示第一、第二の各罪は、同法四五条前段の併合罪であるから同法四七条本文、一〇条により、それぞれ重い判示第一の罪の刑に、同法一四条の制限内で法定の加重をし、なお、犯情を考慮し、同法六六条、七一条、六八条三号によりそれぞれ酌量減軽をした刑期の範囲内で、被告人金大俊を懲役四年に、同鬼頭武を懲役三年に処し、被告人金大俊については、同法二一条を適用して未決勾留日数中六〇日を右の刑に算入することとし、被告人鬼頭武については、本件各所為における被告人の責任は、決して軽くはないが、本件犯行による実害が少ないこと、相当程度の被害弁償がなされていること、事件後すでに相当の年月が経過していること、事件前後を通じ、真面目に学業或いは家業にいそしんでいたものであり、交通違反の前歴を除き他に前科その他非行歴は認められないこと、被告人の性格、犯行の態様、回数現在までの行状などからみて、本件は一過性のものであり、改悛の情も顕著で、再犯のおそれは全くないと認められること、その他被告人の年令、家庭の情況など諸般の情状を考えると、今被告人に実刑を科し、獄舎に呻いせしめるよりは、しばらく刑の執行を猶予して、本人の自覚と母親、近親者、などの監督の下に、このまま実社会において社会人として更生の途を歩ましめることこそ、刑政の真の目的に合致するものと考えられるので、同法二五条一項により、この裁判確定の日から、四年間その刑の執行を猶予することとし、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文、一八二条により、証人河野茂明に関する分は、被告人金大俊の負担、同遊佐誉に関する分は、被告人両名の連帯負担とする。

なお、検察官は、判示第一の所為を、強盗傷人罪に問擬したが、判示のとおり、当裁判所は、これを事後強盗罪と認定したのでこの点についての当裁判所の見解を示す。

医師近藤巌作成の診断書、被害者遊佐誉の検察官に対する供述調書によれば、起訴状記載どおりの傷害が被害者に生じたことは、一応これを認めることが出来る。

しかし、第二回公判調書中の右遊佐の供述記載によれば、問題の傷害のうち、右足蹠挫創の点は、被告人らの暴行によつて生じたものではなく、被告人らが逃走した後、附近の交番へ窃盗の被害を申告するため、裸足で砂利道を相当距離走つた際に生じたものとも考えられ、結局この点が証拠上確定し得ない以上、これをもつて強盗傷人の罪責を問うことは出来ない。

次に左手背、右中指の傷害の点であるが、これは右と異り、被告人らの暴行に起因するものであることは、証拠上明白といわねばならぬ。しかし、刑法上に所謂傷害とは、医学上のそれと直ちに同一とはいい難く、各法条の規定の趣旨、更には一般社会通念をも参酌して、目的論的にその内容が決定さるべきであり、しかして刑法二四〇条前段の構成要件が、同法二三六条に比し、無期又は七年以上という重い法定刑に値する事実を類型化したものである以上、そこにいう傷害も又、当然かかる類型性をもつたものでなければならないものと考えられる。

従つて、さしたる生理的機能障害を惹起せしめず、日常生活に支障を来たさず、日常生活上看過されうる程度のものであり、例えば、家庭でマーキユロクロームなどを塗布しておくだけで自然に治癒する程度のもので、通院加療といつた医療行為を特別に必要としない程度の軽微なものであれば、医学上の意味においては傷害といいうるものであつても、刑法二四〇条前段にいう傷害をもつて論ずることは出来ないと解するのが相当であろう。蓋し強盗罪(事後強盗罪の場合も含む)の構成要件としての暴行は、被害者の反抗を抑圧する程度のものであることを要するところ、右にのべた範囲内 の傷害であれば、これが発生することがむしろ一般でありこのようなものは 右暴行に伴う当然の結果として暴行々為のうちに含ましめて然るべきものと考えられるからである。(従つて仮に右傷害が刑法二〇四条に所謂傷害といい得るものであつても、別個に傷害罪として評価処断されるべきものではない。)

そこで、本件について考えてみると、前記公判調書中の、被害者の供述記載、同人の検察官に対する供述調書、実況見分調書などによれば、被害者は交番で被害申告を終つてほつとした際はじめて左手背、右手中指のところがすりむけて血が滲んでいるのに気がついたということであるが、その傷というのは左手の甲に長さ二糎位の引つかき傷のようなものが二本、右手中指の傷は直径一糎位の円型に表皮がはがれたようなものであり、左手の傷は一寸薬を塗つて繃帯をしたがこれも翌日にはとつてしまい間もなく自然治癒してしまつたといつた程度で、右手中指の傷については現在は傷をうけたという記憶すらなくなつているという情況である。

問題の傷害がかかる程度のものであるとすれば、前述の基準にてらし、これが強盗傷人罪の構成要件を充足するに足る傷害といいえないものであることは明白であるといわねばならない。

以上の次第により、当裁判所は、判示のとおり被告人らの本件第一の所為をもつて、事後強盗罪が成立するにとどまるものと認定した訳である。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 野村忠治 裁判官 川坂二郎 上野精)

<以下省略>

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