名古屋地方裁判所 昭和37年(ヨ)125号 判決 1962年6月11日
申請人 藤本静江 外一名
被申請人 一栄毛織株式会社
主文
本件申請をいずれも却下する。
申請費用は申請人らの負担とする。
事実
申請代理人は「被申請人の申請人らに対する昭和三六年一二月二五日付解雇は申請人らが被申請人に対し追つて提起する解雇無効確認の訴の本案判決確定に至る迄その効力を停止する。訴訟費用は被申請人の負担とする。」との裁判を求め、申請の理由として、
申請人らはいずれも被申請会社の従業員であるが、昭和三六年一二月二五日付で金融難により事業縮少と併せて合理化のため解雇する旨の言渡を受けた。
右解雇は申請人らの労働組合活動を理由とするもので不当労働行為として無効である。すなわち、被申請会社の従業員約六〇名は昭和三六年五月一八日労働組合を結成したが、申請人藤本静江は右組合結成の首唱者であり、組合結成について総評系統の人達に相談し、又組合結成と同時に執行委員に選ばれ活溌に労働組合活動をなし、被申請人の推薦した組合三役の改選署名を集めた。また申請人宮崎積子も労働組合活動に挺身した。このため申請人らはいずれも被申請人から好ましくない人物とみられていたのであつて、被申請人のいう解雇事由は労働組合活動をした人達を馘首するための口実である。
申請人らは年少であり且つ就労しなければ生活を営むことができず本案判決を待つことは多大の苦痛を伴うから本申請に及んだのである。
と述べ、
申請人藤本静江が昭和一七年九月一三日生、申請人宮崎積子が昭和二〇年三月八日生であることは認めるが、被申請人のいう解雇事由は否認する。と答えた。(疎明省略)
被申請代理人は主文同旨の裁判を求め、次のとおり述べた。
申請人ら主張の事実のうち、申請人らが被申請会社の従業員であつたこと、昭和三六年一二月二五日付で申請人ら主張の如き理由で解雇の言渡がなされたこと、被申請会社の従業員約六〇名が昭和三六年五月一八日労働組合を結成したこと、申請人藤本静江が執行委員に選ばれたことは認めるが、申請人らが現在従業員であること、被申請人が申請人らをその行動の故に好ましくない人物としていたことは否認する。その余の事実は不知。
被申請人は従業員七〇名をもつて毛織物(紳士服地)の製造販売業を営んでいるものであつて、申請人らを解雇したのは不況に対処するための企業整備による人員整理である。すなわち国内産業における設備投資の異常増加により我国の国際収支が悪化し昭和三六年七月以降金融引締め政策がとられたので経済界一般が不況に陥つたが、特に繊維市況は急激に悪化した。そのため被申請会社も昭和三六年八月より一一月迄に製造した昭和三七年度春物について註文先からの製品引取拒否或は販売代金の回収の著しい遅延にあい、更に右春物製造中に註文を受ける昭和三七年夏物について註文が激減する一方次第に金融難が顕著となり将来の見とおしも悲観的でこのままでは会社の倒産が必至となつたので、昭和三六年一二月一日より製造工程の二部制を一部制にあらため、これに伴う余剰従業員を整理し企業規模の縮少をはかつて不況に対処することとし、右従業員の整理については日頃の勤務成績を中心に対象者を人選した。申請人らは次の如く勤務状況が不良であつたため整理対象者となつたのである。
申請人藤本静江は昭和三三年四月入社し、昭和三六年一〇月二四日まで経通し(へとおし)作業に従事し、同月二五日より織布係となつたものであるが、(い)昭和三六年七月二七日より同月二九日まで、同年八月五日、七日、一八日より二〇日まで以上合計七日間無断欠勤した。(ろ)経通し作業経験年数が長く職場の主任格にあたり外の従業員の模範として勤務に精励すべきであるのに、勤務中屡々仕事の手を休めて従業員横谷則広と雑談に夢中になり、また無断で職場を離脱し、しかも森工場長が注意してもこれに従わなかつた。(は)昭和三六年一二月中旬織布係として勤務中、機械を動かしたままわざわざ織機のかげに隠れて申請人宮崎積子と雑談していた。
申請人宮崎積子は昭和三六年一月三一日入社し経通し作業に従事していたが、(い)同申請人は糸通し係であつて糸分け係と組んで作業するにつき、被申請人が糸分け係として指定した従業員と組むのを理由なく嫌つたため、被申請人は人員配置上非常に苦労した。(ろ)昭和三六年七月二九日、同年八月一二日、同月一八日乃至二〇日の合計五日間無断欠勤した。(は)昭和三六年九月頃二部制作業の際遅出番であるのに屡々無断で交替して早出番となり、そのため遅出番には糸分け係のみが残つて経通し作業ができなくなつた。(に)昭和三六年一一月中旬頃勤務時間中に「こんな安い給料では仕事ができない」旨怒号し、その外担当作業についての森工場長の命令に従わないことがあつた。(ほ)昭和三六年一一月中旬頃見廻り係堀光子の作業上の注意に対し反抗した。(へ)昭和三六年一二月中旬頃勤務時間中に織布係の申請人藤本静江のところへ赴きわざわざ機械のかげに隠れて雑談した。
右の如く被申請人は不況乗り切りのため事業を縮少せざるを得なくなり人員整理として勤務成績の不良な申請人らを解雇したものであつて、本件解雇が不当労働行為にあたらないことは勿論である。また解雇が言い渡された昭和三六年一二月二五日に申請人藤本静江は解雇予告手当金一二、二七六円、退職手当金一四、一六〇円を、申請人宮崎積子は解雇予告手当金一〇、五五六円をそれぞれ異議なく受領している。
なお、申請人藤本静江は昭和一七年九月一三日生、申請人宮崎積子は昭和二〇年三月八日生である。(疎明省略)
理由
申請人らが未成年者であることは当事者間に争いのないところである。
そこで未成年者に本件訴訟行為をなす能力があるか否やについて考察する。
労働契約より生ずる争訟について未成年者に訴訟能力があるか否やについては、学説及び下級裁判所の裁判例において種々見解を異にして争われているところであるが、その見解を大別すると全ての労働契約より生ずる争訟について未成年者に訴訟能力を認める積極説と、全てこれを否定する消極説と、賃金請求に限り訴訟能力を認め、その他の労働契約上の争訟についてはこれを否定する中間説とが存在する。
結論から言えば、当裁判所は右三説のうち消極説を採るものである。以下その理由を説明し、他の説に対する批判を述べることにする。
未成年者等の行為無能力者の訴訟能力については、民事訴訟法第四九条に規定せられているところであるが、同条は「未成年者及禁治産者ハ法定代理人ニ依リテノミ訴訟行為ヲ為スコトヲ得、但シ未成年者カ独立シテ法律行為ヲ為スコトヲ得ル場合ハ此ノ限ニ在ラス」と規定している。その規定からみれば、民事訴訟においては未成年者は原則として訴訟無能力者であり、ただ例外的に但書に該当する場合に限り訴訟能力を有するものであることは明白である。
そこで未成年者の労働契約より生ずる争訟につき、右但書に該当し未成年者が訴訟能力を有すると認められる場合があるかどうかが問題となる。
この点につき、積極説を採る論者は、先ず労働基準法第五九条の規定をもつて民事訴訟法第四九条但書に該当するという。論者は労働基準法第五九条の「未成年者は独立して賃金を請求することができる」という規定は、未成年者に実体法上賃金請求権を認めたのみならず、賃金請求の訴訟法上の請求権をも認めたものと解すべきであり、またかく解することにより法定代理権の濫用を防止せんとする労働基準法の趣旨が貫徹されるのであるから、未成年者に対し労働契約上の争訟につき一般的に訴訟能力を与えたものであるという。しかしながら、右規定の賃金請求は厳格な意味において法律行為ではないので、必ずしも未成年者に賃金請求の実体法上の請求権を与えたものと解し難いのみならず、実体法上の請求権が認められた場合は全て訴訟法上の請求権をも認められたものと結論することもできない。労働基準法第五九条の規定の解釈と訴訟の遂行を考慮するときは(此の点については後に中間説に対する批判において詳述する)、右規定をもつて訴訟法上の請求権を認めたものと解することはできない。なお且つ、賃金請求についてのみの規定をもつて、労働契約から生ずる全ての争訟について訴訟能力を肯定するのは文理解釈の範囲を逸脱するものというべく、また賃金請求が例示的規定であると解すべき根拠も乏しい。
従つて、労働基準法第五九条の規定をもつて民事訴訟法第四九条の但書に該当するとの見解は採ることができない。
次に労働基準法第五八条の規定をもつて民事訴訟法第四九条但書に該当するという見解がある。この見解は名古屋高等裁判所第二部の採るところ(昭和三五年一二月二七日同部決定。労働関係民事裁判例集第一一巻第六号一五〇九頁所載)であり、同裁判所は当裁判所の上級審であり、殊に右決定は当裁判所の未成年者に訴訟能力なしとして仮処分申請を却下した決定(昭和三五年一〇月一〇日決定。労働民事裁判例集第一一巻第五号一、一一三頁所載)を取り消して差し戻した裁判であるから、右見解についてここに一言触れざるを得ない。
右名古屋高等裁判所の決定は「労働基準法第五六条第一項と第五八条とを対比すると、労働契約の締結は未成年者保護と親権者の権利の濫用の防止の立場から満十五才以上の未成年者が自らなすべきで親権者又は後見人は代つてなすことが出来ないところであるから満十五才以上の未成年者は労働契約に関する訴訟を自ら有効になすことが出来ると解する(民事訴訟法第四九条但書)」と判示している。
判文が右の如く至極簡単であつて、何故労働基準法第五八条の規定が民事訴訟法第四九条但書に該当するか(判文によれば、労働基準法第五八条の規定は民事訴訟法第四九条但書に該当すると明言していないが、判文の末尾に括弧して民事訴訟法第四九条但書を掲記しているところからみると右但書に該当するとの見解に立つものと認められる)、その理由を詳細に知る由もないが、労働基準法第五八条の規定の趣旨が未成年者の保護と親権者の権利の濫用を防止するために設けられたものであることは所論のとおりであるけれども、それだからと言つてどうして右規定が未成年者に訴訟能力を認めたことになるのであろうか。その間十分の理由付けを欠くものと言わねばなるまい。労働基準法第五八条の規定が民事訴訟法第四九条但書の規定に該当するということは右労基法の規定の文理解釈上は無理であり(同説、東大労働法研究会労働判例研究。ジユリスト第二四三号八六頁所載)、また右規定の趣旨から未成年者に訴訟能力を認めたものと解することも相当ではない。右名古屋高等裁判所の決定は満十五才以上の未成年者に対し労働契約に関する訴訟能力を認めるのは当該未成年者の保護になるという見解と見受けられるが、満十五才位の未成年者はその思考判断力において未だ成熟しないものがあることは顕著な事実であり、かかる未成熟者に訴訟能力を与えることが、果して未成年者の保護になるのであろうか。民事訴訟法において未成年者の訴訟無能力の規定を設けたのは一つに未成年者の保護の趣旨に出ている。未成年者の保護は、労働契約の締結その他労働条件等については労働基準法により考えなければならないと共に、訴訟の提起、追行については民事訴訟法の観点より考慮すべきものである。訴訟行為は種々の攻撃防禦の方法を伴い、その遂行は複雑にして困難であり、訴訟の結果は当事者に重大な利害を及ぼすものである。それだからこそ民事訴訟法は未成年者の訴訟無能力制度を設け、思考判断力において未成熟な未成年者が自ら訴訟に関与することを原則として禁じ、法定代理人をして未成年者に代つて訴訟をなすことにしたのである。この趣旨からすれば、労働契約上の争訟につき未成年者に訴訟能力を否定するのは未成年者保護の趣旨に反すると結論することはできないのみならず、却て訴訟無能力者とすることが未成年者を保護する所以であると言わなければならない。
ただ、右の如く未成年者を訴訟無能力者とするときは、親権者が親権を濫用して未成年者のために訴訟を提起しない場合に未成年者の保護を欠くから親権濫用防止の趣旨において未成年者に訴訟能力を認むべきであるとの反論がある。成程右の如き場合には未成年者の保護に欠けるところがあることを否定することはできないが、権利濫用は異常の場合であつて、かかる特別の場合のみを考慮して一般的に通常の権利行使の場合にも未成年者に訴訟能力を与えるというのは妥当でないのみならず、親権濫用について親権喪失の宣言を請求する等の救済方法も存するから、親権濫用の場合を強調して未成年者に全般的に訴訟能力を認めるのは相当でない。
なお、ある積極論者は、未成年者に訴訟能力を認めても、実際には訴訟代理人に委任することが多いであろうし、また本人訴訟をなすときは民事訴訟法第一三五条の規定を活用して、本人の陳述禁止、弁護士の附添命令を発することにより未成年者の保護に欠けるところはないというが、これは法律論とは言い難い。右前段は弁護士強制制度を採つていない我が国においては法律上未成年者の保護に欠けると論断せざるを得ず、また後段の如く論ずれば未成年者の訴訟無能力制度そのものが不用となるであろう。
右の如く労働基準法第五八条は我が国において親が子を食いものにするという封建的悪習が残存するに鑑みて、未成年者保護のために親権者等が未成年者に代つて労働契約を締結することを禁じた趣旨であるに止まり、未成年者に訴訟能力を与えたものではないと解すべきであり、前記名古屋高等裁判所の決定には到底賛同することはできない。
次に、未成年者の親権者又は後見人が民法第八二三条、第八五七条の規定により子が職業を営むことを許可したときは民法第六条第一項の営業を許可した場合に当り、民事訴訟法第四九条但書に該当するとの説について批判する。
民法第六条にいう「営業」とは商業又は広く営利を目的とする事業に限られるのであるが、「職業」の概念は広く継続的な業務をいい、営利を目的とすると否とを問わないのであつて、営業よりも広い概念である。従つて、民法第八二三条、第八五七条の規定より親権を行なう者が未成年者に対し職業を営むことを許可したからといつて直ちに同法第六条の営業を許可したものということはできない。すなわち、民法第六条により営業を許可せられた者は自己の計算において事業をなすものであつて、営業許可がなされる場合には一応当該未成年者が取引その他法律行為をなす能力があるか否やを勘案し、その能力があると認められるときに許可を与えるのが一般であるから営業を許可された未成年者に成年者と同一の訴訟能力を与えても未成年者の保護に欠けるところはないと言えよう。しかし、労働契約は単に被用者として他人の計算における事業に労務を提供してその対価を得るという関係に過ぎないから、そのような職業に就くことの許可を営業許可の場合と同一視することは相当でない。両者を同一視して当該未成年者に成年者と同一の訴訟能力を認むべしとする決論は当然には導き出すことはできない。
以上により労働契約より生ずる争訟につき、民事訴訟法第四九条但書に該当するものとして未成年者に訴訟能力を認めんとする積極論は全て理由がないものというべく、右但書に該当するものと認むべき規定は存在しないから同条の原則に基き未成年者は訴訟能力がないものと論定すべきものである。
更に進んで中間説について批判を加える。
此の説は労働基準法第五九条前段に「未成年者は独立して賃金を請求することができる」旨の規定を根拠とし、右は賃金請求につき未成年者に実体法上の請求権を認めたのみならず、訴訟法上の請求権をも認めたものであるという。しかしながら前記の如く右第五九条にいう賃金の請求や受領は厳格な意味において法律行為ではない。未成年者に例外的に訴訟能力を認めた民事訴訟法第四九条但書の趣旨が成年者と余り変りのない法律行為の可能な未成年者を予定していることに鑑みるときは厳格な意味の法律行為に限らざるを得ない。また実際論からいうも、賃金請求訴訟といえども、相手方より弁済、相殺、時効等の抗弁が提出されることはもとより、賃金請求の前提となる労働契約そのものの効力が争われることがある。殊に解雇の有効無効が争われるような場合には、訴訟関係は複雑化し、未成年者の能力をもつてしては訴訟の追行に不安なきを期し難い。また、此の中間説を採るときは、解雇無効を原因とする賃金請求訴訟において解雇無効確認の請求を併わせて求めればこの分につき訴訟能力を欠き、賃金請求のみを求めれば訴訟能力を有することとなり、その実態は同一でありながら訴訟能力の有無を生じ不徹底たるを免れない。
かように考えると、労働基準法第五九条前段の規定を目して未成年労働者に賃金請求の訴訟行為能力を与えたものと論断することはできない。右規定は同条後段の規定と相まつて労働基準法第二四条の賃金直接払いの原則を特に未成年者の場合につき反面から注意的に規定したに過ぎないものと解すべきである。
従つて、賃金請求に限り未成年者に訴訟能力を認める見解も失当というの外はない。
以上によつて当裁判所は未成年者は労働契約より生ずる争訟につきすべて訴訟能力を有しないものとの見解を採り、これに従つて本件申請人らの法定代理人に対し訴訟能力の欠缺を補正すべきことを命じたのであるが、所定期間内に右補正命令に応じなかつたから本件申請を不適法として却下すべきものとし、申請費用につき民事訴訟法第八九条を適用し、主文のとおり判決する。
(裁判官 伊藤淳吉 村上悦雄 渡辺一弘)