名古屋地方裁判所 昭和37年(行)39号 判決 1967年3月18日
原告 曾我豊郎
被告 名古屋東税務署長
主文
一、被告が、原告の昭和三五年分所得につき、昭和三七年四月一七日付で、所得金額を金五、三五九、〇七八円所得税額を金一、七八七、二八〇円と更正し、且つ同日付で過少申告加算税を金四六、三〇〇円とした決定は、所得金額金三、一七四、五〇七円、所得税額金八六〇、四〇〇円を越える部分及び過少申告加算税を金四六、三〇〇円とした部分をいずれも取消す。
一、被告が、原告の昭和三六年四月二一日付被告に提出した再評価申告書につき、昭和三七年一月三一日付で、再評価額の合計額を金九九〇、五二〇円、再評価差額の合計額を金八一五、七〇〇円、再評価税額の合計額を金四八、九四〇円と更正し、且つ同日付で無申告加算税を金七、二〇〇円とした決定は、再評価額金五六三、一六〇円、再評価差額金五四九、〇八一円、再評価税額金二三、九四〇円及び無申告加算税金三、四五〇円を超える部分を取消す。
一、原告のその余の請求を棄却する。
一、訴訟費用は被告の負担とする。
事実
第一、当事者の申立
(原告)
一、被告が、原告の昭和三五年分所得につき、昭和三七年四月一七日付で、所得金額を金五、三五九、〇七八円、所得税額を金一、七八七、二八〇円と更正し、且つ同日付で過少申告加算税を金四六、三〇〇円とした決定は、いずれもこれを取消す。
一、被告が、原告の昭和三六年四月二一日付被告に提出した再評価申告書につき、昭和三七年一月三一日付で、再評価額の合計額を金九九〇、五二〇円、再評価差額の合計額を金八一五、七〇〇円、再評価税額の合計額を金四八、九四〇円と更正し、且つ同日付で、無申告加算税を金七、二〇〇円とした決定はいずれもこれを取消す。
一、訴訟費用は被告の負担とする。
(被告)
一、原告の請求は各棄却する。
一、訴訟費用は原告の負担とする。
第二、所得税取消事件についての当事者の主張
(請求原因)
一、原告は昭和三五年分所得に関し、昭和三六年三月一三日付確定申告をしたが、その後同年四月二一日に至り、所得金額金三、一七四、五〇七円(内訳、配当所得金七六〇、九六六円、不動産所得金二七、三六〇円、給与所得金一、九八六、三五〇円、譲渡所得金三九九、八三一円)、所得税額八六〇、四〇〇円として修正確定申告書を提出した。
二、これに対し、被告は昭和三七年四月一七日付で、原告が昭和三五年中に別紙第一号目録、同第二号目録記載の各土地(以下「一号土地」、「二号土地」という)を譲渡したとしてその譲渡所得金二、五八四、四〇二円となし、その余の所得は原告の前記申告を是認して、所得金額金五、三五九、〇七八円、所得税額金一、七八七、二八〇円と更正し、過少申告加算税を金四六、三〇〇円とする決定をなした。
三、そこで、原告は昭和三七年四月二三日付で、名古屋国税局長に審査請求をしたが、同局長は同年一一月九日これを棄却した。
四、しかし、次に述べる如く、原告の譲渡所得についてなした被告の更正決定は違法であるから、取消されるべきである。
(一) 一号土地について
(1) 原告はもと一号土地の所有者であつたが、昭和二八年一二月一五日これを訴外曽我立巳(以下「立巳」という)に代金三〇〇、〇〇〇円で売却し、昭和三五年六月二一日その所有権移転登記手続をなした。その経緯は次のとおりである。即ち、立巳は医師であるが、その開業の際、原告が同人に一号土地を賃貸し、同人はその地上に原告の立替えた金二七六、〇〇〇円で居宅と診療所を建築し、昭和二三年始めに医院を開業した。
そして右建築資金を昭和二八年頃までに分割弁済し、その直後より原告は立巳に対し、その敷地である一号土地の買い取り方を求めた結果、同年一二月一五日同人との間で代金三〇〇、〇〇〇円で売買契約が成立し、立巳は原告に対し、右代金を同日金三〇、〇〇〇円支払つたのを初めとして以後、昭和三二年七月五日までに一二回にわたつて分割して支払を完了した。そして、昭和三五年六月二一日に至つて、一号土地の所有権移転登記手続を実行した。
(2) よつて、一号土地は昭和二八年一二月一五日に、原告より立巳に譲渡されているから、その譲渡所得は原告の昭和三五年分の所得ということができないものであるのに、被告は一号土地が右登記手続のときに譲渡されたものとして、その譲渡価額を金二、五〇〇、五七五円となし、これに基き、原告の譲渡取得を計算したのは違法である。
(二) 二号土地について
(1) 原告はもと二号土地の所有者であつたが、同土地のうち、一一五・七〇平方米(三五坪)を訴外梅村光治に残余三八七・九三平方米(一一七坪三合五勺)を訴外合資会社弘法湯(以下「弘法湯」という)に賃貸していたところ、弘法湯が風呂屋の営業上、右賃借土地が手狭なため、右梅村の賃借部分をも使用したい旨原告に申し入れをし、そこで昭和二九年一月、原告と弘法湯の代表者訴外渡辺幹雄との間で協議の上、二号土地のうち右一一五・七〇平方米(三五坪)と右渡辺所有の名古屋市東区池内本町一丁目一五番、宅地一八二・六四平方米(五五坪二合五勺)(以下「池内本町土地」という)とを交換し、右梅村に右一一五・七〇平方米(三五坪)の賃借権を放棄させて、立退かせ、かわりに池内本町土地を賃貸使用させることとした。
そして、池内本町土地は右渡辺がその前所有者仲井芳子より買受けたまま所有権移転登記を経ていなかつたため、いわゆる中間省略の方法により、右仲井より直接原告に所有権移転登記をしたのである。
(2) そして、昭和三五年六月二九日二号土地の残余部分三八七・九三平方米(一一七坪三合五勺)を弘法湯外一名に代金一、五一二、八二二円で売渡した。右売買契約書には二号土地全部を売渡した如く記載してあるが、うち一一五・七〇平方米(三五坪)は前記の如く交換によつて、すでに右渡辺の所有するところであつたが、その所有権移転登記手続がすませてなく、又弘法湯は右渡辺の経営するものであつたので、登記申請の便宜上、二号土地全部について、あたかも昭和三五年六月二九日付で、原告と弘法湯外一名との間で売買契約が成立した如く記載したにすぎない。
(3) 従つて、右時期に真実譲渡のあつたのは二号土地のうち三八七・九三平方米(一一七坪三合五勺)であるのに、被告が原告において、二号土地全部を譲渡したと認定し、且つその売渡価額が著しく低いとして、その時価を金三、八〇八、七五〇円となし、これに基き原告の譲渡所得を計算したのは違法である。
(被告の答弁および主張)
一、請求原因第一 二、三項並びに第一項のうち譲渡所得以外の原告のその余の所得が原告の確定申告されたとおりの金額であることはいずれも認めるが、同第四項(一)、(二)の各主張事実はいずれも否認する。
二、原告の請求原因第四項(一)、(二)につき、次のとおり主張する。
(一) 一号土地について
(1) 原告は一号土地の譲渡時期が昭和二八年一二月一五日であると主張するが、(イ)原告と立巳間の一号土地に対する昭和三五年四月三日付調停申立書および成立した調停調書には、昭和二五年五月に一号土地の譲渡があつたと記載されているが、原告と立巳の間に当時調停申立によつて所有権移転登記手続をしなければならないような事情は認められず、結局右申立は租税対策であつて、右譲渡時期の記載は使用できないこと、(ロ)本件課税手続中である名古屋国税局長に対する審査請求時においては、その譲渡時期を昭和二五年一一月一日と申し立てていたこと、(ハ)原告は右審査請求が棄却されるや、譲渡の時期は昭和二八年一二月一五日であると主張して本件訴訟を提起していることなどその譲渡時期の主張は区々であつて、信用できず、又確実にこれを証する資料もない。そして、今日社会一般において、不動産の所有権移転登記は所有権移転のしるしとして重視、尊重されているのであるから、一号土地の不動産売渡証書が立巳宛に作成され、これを登記原因証書として所有権移転登記手続のなされた昭和三五年六月二〇日に売買契約が締結され、その所有権の移転があつたというべきである。
(2) ところが原告は本件訴訟に至つて、代金受領を証する出納簿等を発見したと称し、これを証拠に提出しているが、被告に対する審査請求の段階において、担当協議官がかような資料の提出を促したのに対し、その存在を否定していたもので、以前から存在していたものと認めることはできない。
(二) 二号土地について
原告から弘法湯に対し、昭和三五年六月二九日に二号土地全部が譲渡されたものというべきである。即ち、
(1) 昭和三五年六月二九日、弘法湯外一名との間に作成された「不動産売買契約公正証書」には二号土地全部が譲渡の目的とされている。
(2) 原告は二号土地譲渡後、その全部について再評価および所得税の各確定申告を行なつているが、これはその全部について譲渡があつたことを自認しているというべきである。
(3) 二号土地を譲受けた弘法湯の経理帳簿には第五期(自昭和三四年八月一日至昭和三五年七月三一日事業年度)の財産目録に至つて始めて土地四四六・一四平方米(一三四坪九六)(二号土地より共同購入者大野正吾の分を除いた分と認められる)が計上されていて、それ以前には全く計上されていない。
(4) 二号土地の売買代金の月賦弁済額金二五、〇〇〇円は弘法湯と共同購入者訴外大野正吾と各々金二二、一三〇円、金二、八七〇円の割合で分担支払しているが、右割合は二号土地五〇三・六三平方米(一五二坪三合五勺)の各譲受分四四六・一四平方米(一三四坪九六)、五七・四八平方米(一七坪三合九勺)の按分比例額に等しい。
三、一号土地、二号土地の譲渡時の価額の評価および譲渡所得の算定について
(一) 一号土地の譲渡価額は金三〇〇、〇〇〇円、二号土地のそれは金一、五一二、八二二円で共に時価に比し著しく低く、所得税法施行規則第二条に規定する「資産の譲渡のときにおける価額の二分の一に満たない価額」であると認められるので、所得税法第五条の二、第二項により譲渡の時における価額(時価)で譲渡したものと看做し、時価の正確な評価額をつぎのとおり認定した。
(1) 本件土地附近の土地について、本件土地譲渡時期前後における更地売買実例(乙第四号証の一ないし九、乙第七号証)を収集し、二号土地譲渡時期と右売買実例の売買時期が異なるため、二号土地を商業地域にあるものとして、その期間に応じた土地価額の変動指数(不動産研究所の全国市街地価格指数―乙第三号証)によつて、時点修正を行ない、且つ本件土地と右売買実例地との価額差を昭和三五年度における相続税評価額(乙第一四号証)固定資産税評価額(乙第一五号証)を用いて場所的価額差の修正を行なつて評定すると、二号土地の譲渡時期における更地価額(一号土地については角地であるから後述のとおり、画地修正する必要がある)は坪当り最高八六、六七六円、最低二九、九六四円となり、平均五三、五六九円をなつて、右最高値、最低値を除外したものの平均は坪当り五二、二一一円となる。
(2) つぎに、名古屋東税務署長が相続税等に適用する宅地の評価基準決定の参考資料とするため、土地価格の精通者から意見を求めた本件土地附近の土地の昭和三五年一〇月一日現在の精通者意見価額(乙第五号証の一ないし五)を基とし、これを右(1)と同様な方法により修正して評定すると、二号土地の譲渡時の更地価額は坪当り最高六五、八二五円、最低四〇、七八五円、平均五五、七五八円となる。
(3) さらに、別に土地価格の精通者について調査したところ、本件土地の譲渡時における更地価額は坪当り五〇、〇〇〇円ないし六〇、〇〇〇円である(乙第六号証)。
(4) そこでつぎに借地権価額を精通者および売買実例について調査すると、更地価額に対し、五〇%の割合となる(乙第六、第七号証、第八号証の一、二)。
(5) よつて、二号土地の譲渡時における時価は、借地権相当額を控除した坪当り二五、〇〇〇円ないし三〇、〇〇〇円程度と認められるから、これを時価の確実性(換価の容易性)を考慮して、坪当り二五、〇〇〇円と認定したのである。
(6) そして、一号土地は角地のため画地修正率を一〇%増として、坪当り二七、五〇〇円と認定したのである。
(二) 次に右金額にもとずき、次表記載のとおりの方法で原告の譲渡所得金額を算出し、請求原因第二項記載のごとく原告の所得金額、所得税額を更正決定し、且つ過少申告加算税の徴収決定をしたのである。
区分
三・三平方米当り価額
譲渡金額
再評価額
譲渡所得金額
差引課税所得金額
一号土地
二七、五〇〇円
二、五〇〇、五七五円
四二七、三六〇円
二、〇七三、二一五円
二号土地
二五、〇〇〇円
三、八〇八、七五〇円
五六三、一六〇円
三、二四五、五九〇円
計
六、三〇九、三二五円
九九〇、五二〇円
五、三一八、八〇五円
二、五八四、四〇二円
(註) 差引譲渡所得金額の計算は譲渡所得金額より金一五〇、〇〇〇円を控除し、一〇分の五を乗じたもの(所得税法第九条第一項前文、八号)
(被告の主張に対する原告の反論)
一、一号土地、二号土地の譲渡時期等に対する反論
(一) 一号土地について
(1) 原告と立巳とは兄弟であり、且つ一号土地の所有者、賃借人の関係にある。一般に兄弟その他極めて親しい関係にある当事者間において取引が行われるときは契約書その他証拠書類を作成しないのが、我が国では通常であるから、一号土地譲渡において、売買契約書を作成しなかつたのは異とするに足りない。
(2) 本件課税の審査請求手続において、一号土地の譲渡時期、売買代金を証する資料の提出を求められ、原告および立巳方において各自家屋内を極力探した結果、ようやく立巳方において、一号土地譲渡の資料となる大学ノート(甲第六号証の一ないし一一)を発見し、右手続の終結間際にこれを提出した。そして審査請求を棄却された後、原告方において、出納簿(甲第七号証の一ないし六)を発見したのであり、この資料は文書の体裁および記載内容からして、後日遡つて作成されたものでないことは明らかである。そして右各資料により、原告と立巳との間の一号土地の売買契約は昭和二八年一二月一五日に成立したことが証明されるのである。
(3) 立巳は昭和二八年一二月一五日一号土地の所有権を取得して以後、同地上の一部を使用していた訴外溝口義雄より月額金五〇〇円の賃料を徴収していたもので、これは右時期に一号土地が立巳に譲渡されていたことを示すものである。
(4) 被告は不動産売渡証書(乙第一号証)の日付をもつて、一号土地の譲渡のあつた時期と主張するが、右不動産売渡証書は登記申請のため、司法書士に一任して適宜作成させたものであるから、この書面の日付をもつて、売買契約の成立した日と認めるのは不当である。
(二) 二号土地について
(1) 被告は昭和三五年以前の弘法湯の経理帳簿に、二号土地のうち一一五・七〇平方米(三五坪)が計上されていないと主張するが、交換によつて同土地の所有権を取得したのは、訴外渡辺幹雄個人であつたから当然のことである。
(2) 原告が昭和三六年四月二一日付で、二号土地を昭和三五年六月二九日に全部譲渡したとして再評価税および所得税確定申告をしたのは、昭和二九年二月二号土地のうち一一五・七〇平方米(三五坪)を前記渡辺幹雄に譲渡した際、再評価税の申告をしていなかつたし、今回二号土地全部について、併せて所有権移転登記もなされたから、再評価税についても申告洩れとなつていた分を含めて、一括譲渡がなされたかのように、申告したにすぎない。
二、一号土地、二号土地の譲渡価額の評価についての反論
(一) 被告の本件土地の評価額の認定は否認する。右評価の資料は本件土地と立地条件を異にし、或は評価時点を異にすること、土地価額の異常な高騰後の資料が多く使用されていることなどの理由により、時価より高額となつている。
(二) 一号土地について
立巳は昭和三五年六月二一日原告より一号土地の贈与を受けたものとして、名古屋東税務署長より贈与税を課税されたが、その手続では、一号土地の三・三平方米当り(坪当り)更地時価を金三一、八〇〇円、借地権価額を四五%として、一号土地の時価を金一、五九〇、三六五円と評定していて、本件における被告の評価額金二、五〇〇、五七五円とは、一、〇〇〇、〇〇〇円の差異がある。これは被告の評価額の評定が全く恣意的で不当なものであることを示すものである。
かりに、昭和三五年六月二〇日に一号土地の譲渡があつたとしても、被告のその評価額の算定は前記のとおり相当ではない。
(三) 二号土地について
(1) 所得税法第五条の二、第二項の規定は、贈与税又は譲渡所得税を免れるため、極めて低い価額で譲渡がなされるのを防止することを目的とするが、他方時価より低い価額で譲渡があつた場合に、すべて同項の適用があるとすることは本来当事者の自治に委せられている個人間の取引に政府の干渉を許すこととなり妥当ではないから、同項にいう「著しく低い価額」とは時価の三分の一又は無償と同一視すべき程度の低い価額をいうものと解すべきである。
(2) 二号土地は一号土地の近辺に所在し、被告も認めるとおり、両者の価額は同一であると認められるから、右一号土地について述べたと同様に、二号土地の三・三平方米当り(坪当り)更地時価を金三一、八〇〇円、借地権価額を被告主張のとおり五〇%として計算すべきである。従つて、これによれば仮りに二号土地全部の譲渡があつたとしても、「著しく低い価額」とはいえない。
第三、再評価税取消事件についての当事者の主張
(請求原因)
一、原告はもと一号土地、二号土地の所有者であつたが、昭和三六年四月二一日付で、被告に対し、昭和三五年六月二九日に二号土地を譲渡したので、その再評価額金五六三、一六〇円、再評価差額金五四九、〇八一円、再評価税額金二三、九四〇円とする再評価申告書を提出した。
二、ところが被告は原告に対し、昭和三七年一月三一日付で、原告が昭和三五年六月に、一号土地を立巳に譲渡したとしてその分を加算し、再評価額合計額金九九〇、五二〇円、再評価差額合計額金八一五、七〇〇円、再評価税額合計額金四八、九四〇円と更正決定し、且つ同日付で、無申告加算税金七、二〇〇円を徴収する決定をなした。
三、よつて、原告は昭和三七年二月七日、名古屋国税局長に対し、審査請求したが、同年一一月九日付で右審査請求は棄却された。
四、ところが、原告が立巳に一号土地を譲渡したのは、昭和二八年一二月一五日であるから、資産再評価法第九条、第四七条、第五四条により、再評価税の納付期限は昭和二九年三月一五日となるため、会計法第三〇条により、昭和三四年三月一五日に時効により消滅した。従つて、昭和三六年二月一六日より同年三月一五日までに、これが申告をする義務もないから、一号土地の譲渡に関する再評価税および無申告加算税の納付義務はない。
五、一号土地譲渡に関する原告の主張および被告の主張に対する原告の反論は、所得税取消事件の請求原因第四項(一)および被告の主張に対する原告の反論第一項(一)各記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。
(被告の答弁および主張)
一、請求原因第一、二、三項並びに第一項のうち二号土地の再評価額、再評価差額が原告主張のとおりの金額であることは認め、同第四項は否認する。
二、一号土地譲渡に関する被告の主張は所得税取消事件における被告の答弁および主張第二項(一)記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。
三、一号土地の再評価額、再評価差額は、取得価額金一〇、六八四円(賃貸価格金三〇五円二六銭に三五を乗じたもの)に基き、再評価額金四二七、三六〇円(取得価額に四〇を乗じたもの)、再評価差額金四一六、六七六円(再評価額より取得価額を控除したもの)を算出したものである。
第四、証拠<省略>
理由
(所得税取消事件について)
一、請求原因第一、二、三項の事実並びに同第一項記載の原告の昭和三五年度所得のうち、譲渡所得以外の所得が原告の修正確定申告のとおりであることは当事者間に争いがない。
そこで、当事者間に争いのある一号土地の譲渡期間、二号土地の譲渡部分並びに本件各土地の譲渡時におけるその価額如何の点について、以下順次考察することとする。
二、一号土地について
(一) 証人曽我立巳の証言及びこれにより真正に成立したと認める甲第五号証、同第六号証の一ないし一一、同第八号証の一ないし四、同第九号証の一、二、同第一〇号証、原告本人尋問の結果及びこれにより真正に成立したと認める甲第七号証の一ないし六、証人溝口たよ子の証言によれば、次の事実が認められる。
原告の弟立巳は戦時中海軍軍医として軍務に服していたが、昭和二一年一二月初めまで、長崎市国立川棚病院に勤務していた。原告はその頃近く名古屋市へ帰つて来るであろう立巳のために、原告所有の一号土地に、立巳の住宅並びに診療所を新築して、立巳の帰名するのを待つていた。立巳は昭和二二年一二月九日名古屋市へ帰り、原告が建築してくれた右建物に入居し、昭和二三年一月二六日より医院を開業するに至つた。右建物建築のために、原告が金二七六、〇〇〇円を支出していたので、立巳はこれを徐々に原告に償還することを約し、昭和二四年二月一六日から昭和二八年六月二六日までの間に、金三〇〇、〇〇〇円を支払つてこれを完済した。右建築費を完済した頃から、原告と立巳間に、右建物の敷地である一号土地の譲渡に関する話合が進み、立巳はこれを代金三〇〇、〇〇〇円で買い受け、その代金は三年以内に随時分割して支払うという契約が成立した。そして立巳は昭和二八年一二月一五日右売買代金の第一回割賦金として金三〇、〇〇〇円を原告に支払い、その後随時支払つて昭和三二年七月五日までに右売買代金三〇〇、〇〇〇円を完済した。
以上の事実から考えれば、一号土地の売買はおそくとも昭和二八年一二月一五日成立し、右土地の所有権は同日原告から立巳に移転したものと解するを相当とする。
成立に争いのない乙第一号証には右土地売買の日を昭和三五年六月二〇日と記載してあるが、原告本人尋問の結果と成立に争いのない乙第一三号証によれば、右乙第一号証の売買日付は司法書士が登記申請書類を作成するに当り、乙第一三号証記載の登記手続の履行期をそのまま売買日付として記載したものであることが認められるから、右売買日付に特に根拠があるものとは思われず、従つて乙第一号証によるも右認定を履えすに足らない。
成立に争いのない乙第一二号証によれば、立巳は昭和三七年七月一六日名古屋国税局協議団協議官に対し、右土地売買の日を昭和二四年二月と陳述していることが認められ、又成立に争いのない乙第一三号証によれば、立巳と原告間に昭和三五年六月一日に成立した名古屋簡易裁判所の調停において、当事者双方は右土地の売買成立の日を昭和二五年五月五日と主張したことが認められる。又甲第七号証の五、六には昭和二九年一二月二〇日及び昭和三〇年六月二四日に立巳より地代として各金三、〇〇〇円が原告に入金になつた旨の記載がある。更に甲第七号証の一ないし六、同第一〇号証、乙第九号証を対照すれば、日時、金額に一致しない部分があることが認められ、又昭和二八年一二月一五日付の売買契約書も作成されていない。以上のような事実に徴すれば、甲第六号証の一ないし一一、同第七号証の一ないし六も税金対策上後日作成されたものか、そうでないとしても、昭和二八年一二月一五日には一号土地の売買契約は成立していなかつたと疑う余地があるように思われる。
しかし、証人曽我立巳の証言及び原告本人尋問の結果によれば、立巳が右土地売買の日を昭和二四年二月と陳述したのは、同人が昭和二四年二月前記住宅及び診療所の建築費の償還を始めた時、右土地も共に買い受ける心算でいたので、右のように陳述したものであり、又乙第一三号証に売買の日を昭和二五年五月五日と記載したのは、調停当時右土地の売買の日が明らかでなかつたので、大体の記憶に基づいて右のように記載したものであること、更に甲第七号証の五、六に地代と記載されているのは、立巳は一号土地の売買成立前、原告に対し土地使用料として固定資産税相当額を支払つていたので、昭和二八年一二月一五日右土地の売買が成立した後も立巳が持参する固定資産税を原告において地代と記載したに止まること、昭和二八年一二月一五日に売買契約書を作成しなかつたり、或は原告と立巳の作成した書類に喰い違いがあつたりするのは、原告と立巳が兄弟であり、且つ本件土地の売買は、兄が復員して来た弟に対してなした贈与に近いものであるから、自然後日の粉争を慮つて証拠書類を作成しておくということもなかつたためであることがそれぞれ認められる。
そうすれば、前記のような主張の矛盾、或は記録上の齟齬があつても前記認定を覆えすに足らないものというべきである。
(二) 次に、所得税法第一〇条第一項は、収入金額は「収入すべき金額」による旨規定して、権利確定主義を採用していると解される。
これを本件についてみれば、一号土地の所有権の移転した時期、即ち昭和二八年一二月一五日に右売買代金三〇〇、〇〇〇円の全額が原告の「収入すべき金額」となり、同日の属する昭和二八年度における原告の収入金額となるのである。従つて、原告の一号土地に対する譲渡所得金三〇〇、〇〇〇円を原告の昭和三五年度の所得金額として課税した被告の更正決定は違法であるから、この点に関する原告の請求は理由があるというべきである。
三、二号土地について
(一) 成立に争いのない甲第三号証の三、同第四号証、証人渡辺幹雄の証言により真正に成立したと認める甲第三号証の一、二、同第一九号証ないし第二三号証、証人渡辺幹雄(第一、二回)、同梅村光治、同高山一男並びに原告本人尋問の結果によれば、二号土地はもと原告の所有であつたが、原告はそのうち一一五・七〇平方米(三五坪)を昭和二二年頃、訴外梅村光治に、残余の三八七・九三平方米(一一七坪三合五勺)を昭和二四年頃弘法湯に、それぞれ賃貸していたが、右梅村の賃借部分が土地区画整理の実施により、道路への通路が塞がれてしまつたので、同人はできれば他に転居したい気持になつていたところ、他方弘法湯においても、風呂屋営業上、右賃借部分では手狭であつたため、右梅村の賃借部分も併せて使用し、同所に燃料倉庫を建築したいという希望をもつていたことから、昭和二九年一月一八日頃原告と弘法湯の経営者である訴外渡辺幹雄との間で、右渡辺がすでに昭和二八年一一月七日頃、訴外仲井芳子から買い受け、所有権移転登記手続を経ないままになつていた池内本町土地と二号土地の右梅村の賃借部分一一五・七〇平方米(三五坪)とが、ほぼ同価額と評価できるところから、これを相互に交換し、そして右梅村を右賃借部分より池内本町土地に立退かせ、その立退費用等は右渡辺において負担することとの契約が成立したこと、右約旨に基き、池内本町土地について、前記の如く所有名義が右仲井になつていたため、同人より直接原告に対し、所有権移転登記手続がなされたこと、二号土地の右一一五・七〇平方米(三五坪)は右渡辺がその所有権を取得し、弘法湯の営業のために使用することとなつたが、原告は将来二号土地の残余部分を弘法湯に売渡すことを考慮して、登記簿上は原告名義のままにし、後日のために右交換の事実を記載した覚書を作成し、これを右渡辺に差し入れておいたこと、右交換によつて、渡辺の取得した一一五・七〇平方米(三五坪)について右のとおり名義変更の手続がなされなかつたので、その分の固定資産税も原告にに課税されることになるから右池内本町土地の固定資産税を便宜渡辺において負担することとし、昭和三〇年度以降、池内本町土地の固定資産税相当額を渡辺より原告に支払つていたこと、そして昭和三五年六月二九日原告と弘法湯および訴外大野正吾との間に、二号土地のうち、右交換部分を除いた三八七・九三平方米(一一七坪三合五勺)を代金一、五一二、八二二円、その支払方法を昭和三五年七月一〇日三二、八二二円、その後毎月二五、〇〇〇円を六〇回に分割弁済する旨の売買契約が成立し、これにもとずき、弘法湯と大野との間においては、右土地のうち、弘法湯が三三〇・四四平方米(九九坪九合六勺)、大野が五七・四八平方米(一七坪三合九勺)を各取得したことの事実がそれぞれ認められる。
もつとも、甲第四号証によれば、右売買契約の際、作成された契約書には、二号土地全部が目的物件として記載されていること、成立に争いのない甲第一一号証によれば、原告が被告に対して、昭和三六年四月二一日付でなした再評価申告において、昭和三五年六月二九日に二号土地全部を譲渡したとして申告をなしていること、さらに証人渡辺幹雄の証言(第二回)により真正に成立したと認められる乙第一六号証の一および証人鶴田亀鶴の証言(第一、二回)によれば、弘法湯の第五期営業年度決算報告書(昭和三四年八月一日より昭和三五年七月三一日の期間)の財産目録に始めて、一号土地のうち四四六・一四平方米(一三四坪九合六勺)の取得が記載され、それ以前の営業年度の財産目録にはその記載のないことがそれぞれ認められるが、証人渡辺幹雄の証言(第一、二回)および原告本人尋問の結果によれば、右事実はすべて二号土地のうち一一五・七〇平方米(三五坪)が交換された後も、その部分の所有権移転登記手続がなされていなかつたから便宜上、右売買契約のときに二号土地全部が譲渡されたかのように処理したことにもとずくことが認められるから、右各証拠によるも前記認定を覆えすに足りない。
つぎに、被告は二号土地売買代金の月賦金二五、〇〇〇円を弘法湯と大野において、それぞれ二二、一三〇円、二、八七〇円の割合で分担支払しているが、右割合は二号土地全部五〇三・六三平方米(一五二坪三合五勺)の各取得分四四六・一四平方米(一三四坪九合六勺)、五七・四八平方米(一七坪三合九勺)により按分比例した額に等しく、このことは原告主張の交換がなく、売買契約のときに二号土地全部が一括譲渡されたことを示す旨主張する。証人鶴田亀鶴の証言(第二回)およびこれにより真正に成立したと認められる乙第二号証、ならびに証人渡辺幹雄の証言(第二回)およびこれにより真正に成立したと認める乙第一七号証によれば、被告主張のとおり、右各土地面積の按分比例額に等しい割合で、土地代金の月賦弁済金を分担支払していることが認められる。右事実は被告の主張を一応推認させる事実であるが、前記認定事実に掲記の各証拠に対比すれば、右事実をもつてしても、被告の主張を理由があるとすることはできない。
そして、他に前記認定事実を覆えすに足る証拠はない。
よつて、昭和三五年六月二九日に、原告から、弘法湯および大野正吾に対し、譲渡価額金一、五一二、八二二円をもつて譲渡されたのは、二号土地のうち三八七・九三平方米(一一七坪三合五勺)であるというべきである。
(二) つぎに、被告は二号土地の譲渡価額は時価に比較し著しく低いので、所得税法第五条の二、第二項により時価で譲渡されたものと看做し、二号土地の三・三平方米当り(坪当り)更地時価金五〇、〇〇〇円、借地権価額金二五、〇〇〇円として、二号土地の譲渡価額金三、八〇八、七五〇円と評定するのが相当である旨主張するから、この点について考察する。
先づ同条項に規定する「著しく低い価額」について、原告は時価の三分の一または無償と同一視すべき程度の低い価額をいうものと主張するが、土地の価額についても相当程度客観的な価額が存在すること、このような規定のない場合には譲渡所得額の申告に恣意を認め、ひいては脱税を助長するおそれがあることからすれば、所得税法施行規則第二条が規定する「資産の譲渡のときにおける価額の二分の一に満たない価額」をもつて「著しく低い価額」にあたるとすることは相当であるというべきである。
そこで、前記認定のとおり当時弘法湯外一名が賃借中であつた二号土地の譲渡時における更地価額より借地権価額を控除した価額についてみるに、鑑定人後藤一男の鑑定の結果によれば、前記認定のとおりの分割弁済を前提とする二号土地の借地権価額を控除した価額は三・三平方米当り金一八、五〇〇円であることが認められる。
従つて、これを二号土地の譲渡部分三八七・九三平方米(一一七坪三合五勺)に換算すると、金二、一七〇、九七五円となり、本件売買契約における譲渡価額金一、五一二、八二二円はその二分の一を越えることが明らかである。
そして、被告の主張、立証によるも、二号土地の借地権価額を控除した二号土地の譲渡価額は三・三平方米当り金二五、〇〇〇円であることが認められるから、これを二号土地の右譲渡部分に換算すると、金二、九三三、三七五円となり、結局本件売買契約の譲渡額がその二分の一を越えることが明らかである。
よつて、二号土地が著しく低い価額即ち「資産の譲渡のときにおける価額の二分の一に満たない価額」で譲渡された旨の主張は理由がないものといわなければならない。
四、以上の次第であるから、原告が昭和三五年度の譲渡所得について譲渡金額金一、五一二、八二二円より、後記のとおり当事者間に争いのない再評価額金五六三、一六〇円を控除し、所得税法第九条第一項により譲渡所得金額金九四九、六六二円、差引課税所得額金三九九、八三一円と計算し、当事者間に争いのない原告の昭和三五年度におけるその余の所得金額、配当所得金七六〇、九六六円、不動産所得金二七、三六〇円、給与所得金一、九八六、三五〇円と合算して、総所得金額金三、一七四、五〇七円とし、これに対する所得税額は金八六〇、四〇〇円となるから、その旨算出して申告したのは正当であり、従つて、右金額を越えてなされた被告の更正決定および過少申告加算税金四六、三〇〇円を徴収した決定の取消を求める部分につき、理由があるから、これを認容すべく、その余の部分は理由がないから、これを棄却すべきものとする。
(再評価税取消事件について)
請求原因一、二、三項並びに一項のうち二号土地の再評価額、再評価差額がそれぞれ金五六三、一六〇円、金五四九、〇八一円であることは当事者間に争いがない。しかし、一号土地の譲渡時期は前記所得税取消事件において認定のとおり、昭和二八年一二月一五日であるから、同土地の譲渡に基く再評価申告および再評価税を納付すべき時期は昭和二九年三月一五日までの期間であり、従つてその再評価税を納付すべき租税債務は、昭和三四年三月一五日の経過により、時効によつて消滅したというべきである。従つて又これを前提として課せられた無申告加算税の徴収決定も違法であるというべきである。
よつて、原告の昭和三五年度中の資産譲渡に基く、再評価申告義務は二号土地の譲渡に関するもののみとなる。そこで、再評価差額が金五四九、〇八一円であることは当事者間に争いがないから、その再評価税額は金二三、九四〇円(一〇円未満切捨)となることが認められ、次に原告が再評価申告をなしたのが、昭和三六年四月二一日であることは当事者間に争いがないから、無申告加算税は金三、四五〇円となることが認められる。
よつて、原告の請求は被告の右金額を越えてなえてなされた更正決定および無申告加算税を徴収した決定の取消を求める部分につき理由があるから、これを認容すべく、その余の部分は理由がないからこれを棄却すべきものとする。
(結語)
以上の次第であるから、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第八九条、第九二条に則り主文のとおり判決する。
(裁判官 山田正武 井野三郎 林輝)
(別紙目録省略)