名古屋地方裁判所 昭和40年(ワ)708号 判決 1967年9月30日
原告
鈴木辻一
被告
合資会社清水鈑金製作所
右訴訟代理人
山本朔夫
主文
一、被告は名古屋市昭和区小針町三丁目二一番の一所在の軽量鉄骨スレート葺二階建工場から発生する音量が、原告肩書住所地所在の原告居宅内の中央部に、五五ホン以上流入しないよう防音設備を施すこと。
二、被告は原告に対し、金四万三、〇〇〇円及びこれに対する昭和四〇年四月七日から支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
三、被告は原告に対し、昭和四〇年四月一日から前記防音設備を施すまでの間、一カ月金三、〇〇〇円の割合による金員を支払え。
四、原告の、その余の請求を棄却する。
五、訴訟費用は四分し、その一を原告、その余を被告の負担とする。
六、この判決は二項及び三項に限り、仮りに執行することができる。
事実
第一、双方の求める裁判
一、原告の申立
1 被告は原告に対し金一四万二、五〇〇円及びこれに対する本訴状送達の日の翌日から右支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
2 被告は名古屋市昭和区小針町三丁目二一番ノ一所在の軽量鉄骨スレート葺二階建工場(以下本件工場という)から発生する音量を原告肩書住所所在の原告居宅内の中央部において五五ホン以上にならないよう防音施設をなし、昭和四〇年四月一日から右防音施設をなすまでの間、一カ月金九、五〇〇円の割合による金員を支払え。
3 訴訟費用は被告の負担とする。
4 仮執行の宣言。
二、被告の申立
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
第二、原告の請求原因
一、原告は昭和三〇年一一月二〇日から肩書住所地に居住し神職にあるかたわら太霊会鈴木晨道なる筆名にて著述出版業を営んでいる者で、昭和二五年四月以来、左の著書を公刊した。
心霊実話 清恭物語 B六判二五〇頁 一、〇〇〇部
宗家正伝 飯綱神法 半紙判和綴 二〇〇部
神伝飯繩法術(権、現二巻) 二〇〇部
神伝ふとまに術 和綴 二〇〇部
神伝祈祷術 和綴 二〇〇部
飯繩正伝神通霊媒術秘録 和綴 二〇〇部
神占極秘ふとまに術伝書 和綴 二〇〇部
新戸隠神社と飯繩の法 B六判パンフレット 二、〇〇〇部
心霊に導れて B六版一五〇頁 五〇〇部
三密具足霊媒祈祷術秘書 和綴 二〇〇部
神通霊媒術秘録改訂本 和綴 一〇〇部
その他、中部日本新聞社、中外日報社、神社新報社をはじめ神霊文化、信州及び信州人等の雑誌社からも送稿を依頼されていた。
二、被告は昭和三九年一月中旬頃から本件工場の操業を開始したものである。
三、そのため、午前八時から午後一〇時頃まで不快音と振動が続き、原告は原稿を書くどころか必要な手紙さえ書けぬノイローゼ気味となり、被告の操業開始後は一篇の原稿も送ることができず、全く無収入の状態となつた。
そのため、原告は機会あるごとに被告に対し、その不法と防音を訴えているが被告は何ら対策をたてず、名古屋市公害対策課員の勧告も効なく、念のため昭和三九年九月二二日午後、原告が名古屋市衛生研究所に依頼してその騒音レベルを測定した結果は、原告居宅内の中央部において本件工場の定常的な作業音は六二ホンから六五ホンであり、本件工場のシヤリンブ音の最高音は実に八五ホンから八七ホンとなつた。ところで原告居住地区は商業地域に指定されており、愛知県公害防止条例に基づく愛知県告示第四一一二号「騒音の基準」による基準音量は、原則として工場または事業場の境界線から外へ五メートルの地点で、地上から一メートルの高さにおいて測定した場合において、午前八時から午後八時までの間は六五ホンとされている。従つて被告工場の騒音は右の基準にも既に違反している。しかしながら後記損害を原告に蒙らせないためには被告は本件工場の騒音を五五ホンに止めなければならないのである。
四、原告は被告の操業する本件工場の右の騒音と振動のため左の損害を蒙つている。
1 昭和三九年一月以来の得べかりの利益の喪失分一カ月金六、五〇〇円但し、昭和二五年から昭和二八年までの間の原告の著述出版業による月間平均収入(原稿料二、〇〇〇円、出版物の売上利益四、五〇〇円)
2 同じく一カ月金三〇〇〇円相当の精神的苦痛
五、よつて被告は原告に対し、原告居宅内の中央部において五五ホン以上にならないよう本件工場に防音施設をすることを求め、かつ、昭和三九年一月から昭和四〇年三月までの一五カ月間における前記損害の賠償として金一四万二、五〇〇円及びこれに対する本訴状が被告に送達された日の翌日である昭和四〇年四月七日から右支払済に至るまで年五分の割合による遅延損害金を求めるとともに、昭和四〇年四月から右防音施設をなすまでの間、一カ月金九、五〇〇円の割合による損害金の支払いを求める。
第三、被告の答弁
一、請求原因一項記載の事実のうち、原告が肩書住所地に居在していることは認めるが、その余の事実は知らない。
二、同二項記載の事実は認める。
三、同三ないし五項記載の事実のうち、原告居住地区が商業地域に該当することは認めるが、その余の事実は争う。
四、本件工場の規模と作業音の程度について
被告の本件工場は所謂家内工業の程度であつて従業員も五、六人であり、機械設備もそれに見合う程度の設備であり、騒音、振動等が問題になるような工場ではない。本件工場の周囲は一方が道路で他の三方はいずれも隣家があるが、苦情を云うのは原告だけである。被告代表者さえ、本件工場の二階を近い将来、住居として使用する方針でいる。このことから見ても、本件工場の音量は何ら隣人の生活に支障なきこと明らかである。
本件工場周辺は商業地域であり、愛知県公害防止条例に基づく騒音基準によれば午前八時より午後八時まで六五ホンとされていて、本件工場の定常的な作業音は原告主張によつても右基準に違反するものではない。原告は再三、名古屋市公害対策課に苦情を申立て、当局より本件工場の視察、見分があつたが、現在にいたるも前記条例に基づく知事の勧告も同条例に基づく改善命令もないことは、当局においては原告側に原告主張のような生活支障がないと見ているからに外ならない。本件工場付近には木工場、塗装工場、自動車鈑金工場など多数あり、更にはすぐ近くを国鉄中央線が通つていて騒音、振動は一般的に激しい地域である。従つて被告工場だけが騒音、振動を発しているものではなく、その程度も他の工場と大同小異である。むしろ国鉄中央線通過の列車の騒音、振動の方が激しい状態である。
五、不法行為の成否について
被告が本件工場において操業することは権利の正当な行使であり、その結果原告に損害が発生したからといつて直ちに被告側に不法行為責任が発生するものではない。被告に不法行為責任があるとするには被告の権利行使が権利濫用として違法性を帯びるのでなければならないが、被告の本件操業が権利濫用にわたつていないことは監督官庁が視察見分しながら何らの勧告も改善命令も出していないことからも明らかである。さらに、被告には、原告の権利を侵害せんとするがごとき故意や相当な防止措置を講じようとしなかつたという過失は存しない。即ち、被告は操業開始前に原告に出来るだけ迷惑をかけまいとして原告宅と被告工場の境界線に防音設備のための塀を構築する工事に着手したところ、原告は何故か執拗にこれを妨害し、遂に原・被告は喧嘩となつたことがある。よつて被告としてはこれ以上無益な争はしたくないと思い、やむなく塀の構築を断念したのである。従つてそのため騒音が激しく損害が生じたとしても、その責任は原告にあるといわねばならない。
六、原告の損害について
原告は著述出版を業としていた旨主張するが、仮りにそのような事実があつたとしても、原告は被告が本件操業を開始したときから二年もさかのぼる昭和三七年頃からは何らの著作活動をしていない。もし被告の操業と原告の不活動との間に何らかの関係があるとしても原告が著述出版を業とすることは被告の全く知らなかつたところであり、原告の蒙つた損害は通常予見しえない損害というべきである。
(証拠)<省略>
理由
一原告が肩書住所地に居住していること、被告が昭和三九年一月中旬頃から本件工場において操業を開始したこと及び原告居住地区は商業地域と指定されていること、はいずれも当事者間に争いない。しかして昭和三九年九月二日施行の愛知県公害防止条例に基づく愛知県告示第四一一二号「騒音の基準」(昭和四〇年八月四日施行)によると、商業地域における音量の一般基準は、原則として工場または事業場の境界線から外へ五メートルの地点で、地上から一メートルの高さにおいて測定した場合において、午前八時から午後八時までの間につき六五ホンとされている。
二被告工場の作業状況と作業音の程度について
<証拠>検証の結果に弁論の全趣旨を綜合すると、本件工場における操業開始後の作業状況と作業音の程度は次のようなものであると認められる。すなわち、
被告工場は原告居宅西側窓及び壁面と五〇センチメートル足らずを隔てて建築された軽量鉄骨スレート葺二階建の鈑金工場で、そこで被告代表者の兄弟のほか従業員五、六名が稼動しており、一階部分は東隅に事務室と便所があるほかは工場南側にある空地とともに全て作業場として使用されており、作業場には鉄板などの鉄材の折り曲げに使用する油圧ベンダー、鉄板などの鉄材の裁断に使用するシヤリング、鉄板などの鉄材の曲線切断に使用するバイブロシァー、アングル、パイプなどの鉄材の切断に使用するカットグラインダーがそれぞれ一台と、溶接箇所の仕上げに使用するサンダーが三台あり、これら機械のうちシヤリングと油圧ベンダーは作業場のうちでも東側端の、原告居宅には最も近いところに設置されているほか、板金作業全体がどちらかといえば被告工場の原告居宅寄りで行なわれており、前記各種の機械とハンマーを使用しての作業音や振動は格別の遮音物もないまま被告工場東側のスレート壁を越えて原告居宅に流入し、名古屋市衛生研究所が原告の依頼に基づいて昭和三九年九月二二日抜打ちに測定したところでは、グラインダー音や音源を特定できない機械器具による作業音は原告居宅中央において六二ホンないし六五ホン、同じく西側窓辺において六五ホンないし七三ホン、シヤリング使用音は原告居宅中央において七五ホンないし八〇ホン、同じく西側窓辺において八五ホンないし八七ホン、ハンマー音は原告居宅中央において七二ホンないし七四ホンに達しており、このような作業音は通常、被告工場が作業を開始する午前八時頃から作業終了時の午後八時頃、ときに午後九時過きまで原告居宅内に流入し、日曜、祭日も午前八時頃から夕刻に及ぶことのあつたこと、もつともその後昭和四一年五月頃にいたり、被告工場東側のスレート壁のみは厚さ約六センチメートルのモルタル壁塗装とされ、また、備付けのシヤリングには防震ゴム土台五箇をとりつけたのち最近では振動が少ないといわれる新型シヤリングと買替えられ、作業時間も原則として午前八時から午後八時までとなり、日曜、祭日は休業するようになつたこと、がいずれも認められ、<反証排斥>
三被告作業音の原告に与える影響について
<証拠>を綜合すると、前認定のような作業音が原告居宅に流入することにより、原告に与えている影響は次のようなものであることが認められる。すなわち
原告は昭和三一年設立された宗教法人新戸隠神社の代表役員であり、原告居宅は右神社所有の一階六〇・九九平方メートル、二階二四・七九平方メートルの礼拝用建物であり、原告は右建物に妻鈴木たみ子と昭和三〇年頃から居住し、妻とともに、この建物において右神社に奉仕するかたわら、ときに太霊会鈴木晨道という筆名で神道関係の著書を公刊したり、新聞などに送稿するなど、その居宅において平静な毎日を過していたものであるが、原告居宅の西側五〇センチメートル足らずのところに接近して建てられた被告工場が昭和三九年一月中旬頃から操業を開始してからは、被告工場の作業音は作業時間中、先に認定の程度で絶えず原告居宅に流入し、鉄板を切断する音、叩く音、曲げる音、削る音、擦る音その他雑多で不規則な金属音とそれに伴う振動は原告に心理的にも生理的にも甚だしく苦痛を与え、被告工場の操業開始前において原告が享受していた住居の平穏は、以来全く失われるにいたつていること、この悪影響は、被告工場における前認定の程度の自粛によつては殆んど改善されるに至つていないこと、がそれぞれ認められる。
四被告の不法行為責任について
(一) 以上認定の事実からすると、被告が本件工場において操業することにより原告の生活を継続的に妨害していることは明らかであるが、もし、被告の操業行為にして、被害者たる原告が受忍すべき範囲を超越した範囲の生活妨害結果を惹起しているということであれば、原告の受忍範囲を超えた限度で被告の操業行為は違法のものというべきである。
しかして、一般に生活妨害における被害者の受忍すべき限度を判定するに当つては、いわゆる公害について公法上の基準を設けている地域にあつては私法上においても原則として右基準にしたがうのを相当とする。なぜなら、社会共同生活を営む上においては、われわれは、その社会における平均的一般人として当然受忍しなければならないと想定される程度の生活妨害は、これを甘受しなければならないが、ある時代の、ある地域の産業保護と住民保護との調和を図るという大なる社会的要請のもとに制定されたのが公法上の基準であるから、相隣り合う企業と住民との相対立する利害についての、その地域におけるその時代の調和点が一応、そこに在る、と見るべきだからである。
(二) ところで原告居住地区が愛知県公害防止条例に基づく愛知県告示「騒音の基準」(昭和四〇年八月四日から施行)において、商業地域として、午前八時から午後八時までの間につき許容される音量は六五ホンとされていることは既に述べたところであるから、被告の操業行為によつて流出する作業音が先ず右公法上の基準に適合したものかどうかを検討してみるに、右の告示において基準とされる音量は、工場または事業場における通常の作業から発生する標準的な作業音について、これを一定の高さと距離において把え測定すべきものと考えられるところ、既に認定した被告工場の規模、業種及び作業状況などから判断すると、被告工場から流出する標準的作業音は、その発生音が集積、合計されて、今日においても少くとも七〇ホンから七五ホンに達しているものと認められる。この点、甲第六号証の名古屋市衛生研究所の音量測定成績の結果中に「グラインダー音等を含む定常的な作業音」として原告居宅中央部において六二ホンから六五ホンと測定してあることと一見相容れない認定のようであるが、右測定成績によれば、午後二時二〇分から午後三時までの短時間内に、同一場所でシヤリング音として七五ホンから八〇ホン、ハンマー音として七二ホンから七四ホンをも同様に記録しているところであるし、このことに被告工場の業種、作業状況を考え併せると右のシヤリング音やハンマー音を被告工場における一時的、例外的な作業音であるとみるのは適当でなく、右の測定において定常的作業音とされたところのものを被告工場の標準的作業音と同一に解することはできないから、甲第六号証の記載は必ずしも前記認定と抵触するものとはいえない。被告は、名古屋市当局からの視察、見分があつたが前記条例に基づく改善命令も勧告も受けていないというが、ばい煙、粉じん、ガス、臭気、汚水、廃液などと共に騒音や振動の実態を把えることは、ことの性質上、前記名古屋市衛生研究所が行なつたような抜打ち検査によらなければ難かしいし、このことは本件検証当日における被告工場の作業音についても云えることで、抜打ち検査結果が前記のとおり存在するのに、名古屋市当局の見分時や裁判所による検証時における作業音の程度をもつて被告工場の通常の作業による標準的な作業音だとしては、世人を納得させることができないのである。
してみると、被告工場は公法上の基準音量を超えた騒音を原告居宅に流入せしめていることになり、その騒音に対しては平均的な一般人として、何人も受忍すべき義務はないものといわねばならない。
(三) しかしながら、公法上の基準が想定したところの地域的、抽象的調和が個々的、具体的な私法上の生活妨害の事案についてそのまま妥当しない場合のあることも、基準なるものの性質上当然であり、具体的ケースにおいて事案の特異性が証明された限り、右の基準は修正されなければならないし、ここに被害者の受忍限度の軽減を、まれには加重を考えなければならなくなる。そして、この被害者の受忍限度の軽減または加重の事由となりうべきものとしては、侵害行為の社会的有用性(公共性)、当該地区の現実の土地利用状況(地域性)土地利用開始の先後関係、加害者の防止措置についての怠慢などが一応考えられる。
ところで本件において、被告は、原告居宅と被告工場との境界線に防音のための塀を構築しようとして着工したところ原告の執拗な防害にあつて構築できず、止むなく断念したいきさつがあるから、騒音がひどいとしても原告に責任があると主張し、原告は、公法上の基準によらず、原告の受忍限度を五五ホンと主張している。そこで本件においても平均的一般人としての受忍限度を特に修正しなければならないような特段の事由が存するかどうかを検討しなければならないが、既に掲げた証拠のすべてを綜合すると、次のような事実が認められる。
(イ) 原告居住地区は商業地域とされているが、原告居宅付近一帯は木工場や自動車修理工場など散見されるけれども全体としては住家風の建物が多く見受けられ、現実の利用状況はかなり遅れており、昭和二九年一二月一日に施行され、昭和四〇年八月四日、愛知県公害防止条例に基づく前記「騒音の基準」の施行時まで効力のあつた名古屋市の「騒音防止に関する指導基準」の適用においては永らく第三種区域(商業地域のうち第二種区域に含まれる区域を除いた区域)として扱われ、その制限音量は五五ホンとされていたこと、
(ロ) 原告は昭和三〇年以来、現在の住所地に居住している者であるが、被告は昭和三八年頃から原告居宅の西側空地において本件工場の建築に着工し、翌三九年一月中旬から操業を開始したものであること、
(ハ) 原告居宅は宗教法人新戸隠神社所有であるため北側道路に面して高さ三メートル程の鳥居があることから、被告としては西側空地を利用するにあたり、隣家の住人がいかなる職業にあり、いかなる生活環境を必要とするものであるか知ることができたはずであり、そうでなくても、工場建築の前後を通じ原告との間に空地使用をめぐつて後述のようなトラブルがあつた機会に、充分知るにいたつていたこと、
(ニ) しかして被告は、被告工場において、前認定の機械器具を用いて操業を開始するときには、その作業音や振動がどのような激しいものであるかを当然知つていたのであるし、その騒音、振動が隣家に絶えず流出するときは、隣人たる者が心理的、生理的にどのような苦痛を味わうこととなるかも当然予測していたと思われるし、仮りに予測できなかつたとしても操業開始後においてこれを認識したのに、四囲の壁を普通の薄いスレートをもつて張りめぐらしただけで他に何の防音措置も施さないまま操業を開始し継続したこと、
(ホ) 本件訴訟となつてからでも、被告に原告の苦痛を和らげんと努める誠意があれば、防音のための措置として、例えば、多少の不便は伴うであろうが、原告居宅寄りのシヤリングや油圧ベンダーを西側に移し、作業全体が工場の西側寄りで行なわれるようにして音源を原告居宅から遠ざけるようにすれば作業音の流出も減少するのであるし、西側にある事務所や便所を東側に移すだけのことでもかなりの遮音効果をあげえると思われるのにこのような工夫(この点については本件検証の際、当裁判所が被告に勧告したところであつたが)をなさないで、結局は昭和四一年五月頃、被告工場東側のスレート壁だけを厚さ約六センチメートルのモルタル塗装壁とするなどの、すでに認定した程度の自粛を示しただけであること、
(ヘ) 被告の主張する塀の構築を中止したいきさつというのは、全証拠のほか当裁判所に顕著な事実をも綜合するに、そもそも原告居宅の敷地も被告工場敷地も共に訴外加藤清夫の所有で、原告が同人から賃借した当時は原告居宅敷地の西側一帯は空地であつたところ、加藤清夫は右空地全部を被告に賃貸し、その旨の登記も了した。ところが原告は右空地の一部は原告において後日、神社敷地として利用するため加藤清夫との間に条件付賃貸借契約があつたと主張して同人と争い、原告が同人を被告として提起した損害賠償請求事件につき名古屋地方裁判所は原告主張の契約を認めず請求を棄却した。しかし名古屋高等裁判所はこれを肯認して原告請求を一部認容し、現在、右事件は最高裁判所に係属している。このように、原告と加藤清夫とが相争う間に被告は原告居宅の西側にある板塀一杯まで加藤清夫から借受けたとして右板塀から約四〇センチメートルを隔てて本件工場の建築に着工し、かつ、右原告方板塀に平行接着して板塀を設けようとしたため原告と被告とも争うこととなり、その間に原告の妻鈴木たみ子が被告代表者の亡父清水常助の塀の構築作業を咎めた際に同人から怪我をさせられたことで騒ぎが起り、清水常助は警察の取調べを受け、当裁判所昭和三九年(ワ)第一五〇四号損害賠償請求事件においては鈴木たみ子に対し金四万三〇〇円の支払いを命じられるにいたつたことがあり、結局、塀の構築は中止されてしまつていることを指すものであること、なお当裁判所には更に新戸隠神社が原告となつて本件被告に対し、敷地占有の回収、防音設備の設置と損害賠償の請求等をなす昭和三九年(ワ)第一五六一号事件が係属している。
以上の事実がいずれも認められる。被告代表者尋問の結果中右認定に反する部分は措信できず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。
しかして、これらの認定の諸事実を綜合考慮すると、被告工場の騒音による生活妨害に対し原告が受忍すべき限度については、公法上の基準より一〇ホンを減じた五五ホンの音量(因にこれは前記「騒音の基準」において、住居地域と指定された地域について許容されるところのものと一致する)までとするのが、相隣り合つた原、被告間に固有の事情のもとにおいては、最も公平というべきである。
被告は、被告代表者でも本件工場の二階を近い将来、住居として使用する方針でいるくらいであるから、本件工場の騒音が原告の生活に支障あるはずがないともいうが、企業を活発にすればするほど利潤にあずかる企業者が我慢できるからといつて、それをもつて企業と無縁である隣人の我慢度を計算することはできないであろう。
また、被告のいう国鉄中央本線の騒音振動なるものは、その程度を推知すべき証拠はないが、仮りに相当程度のものであつたとしても、列車運行の高度の公益性から、私企業に対するとは異なつた受忍限度を考慮すべきことは、受忍限度の軽減または加重の事由として既に述べたところからも明らかと思われるが、このような高度の公益性が、それによつて恩恵をこうむるはずの平均的一般人の被害感情をかなり和らげる作用を有することにも思いを致すべきであろう。被告が本件で、国鉄中央本線の騒音振動を引合いに出すのは失当である。
五原告の損害賠償請求について
(一) 以上認定のところから、本件工場で操業が開始された昭和三九年一月中旬から以降現在にいたるまで、被告工場から流出する音量は原告の受忍すべき限度を超えて原告の生活を継続的に妨害していることは明らかであり、このような被告工場による生活妨害が将来とも継続するであろうことも充分推測できることであり、このような受忍限度を超えた生活妨害が継続することにより原告が過去において多大の精神的苦痛を味わい、将来、被告が本件工場からの流出音量を原告の受忍限度までに止めるまでは、今後とも苦痛を味わい続けるであろうことも充分推測できることである。なるほど、被告によつて防音措置が徐々に講じられるときは、それにつれて原告の苦痛も徐々に減少する道理であるが、前認定の五五ホンまでに流出音量を抑えたからといつて原告の苦痛がなくなるものでないことは注意を要する。右の五五ホンは原告の苦痛の出発点ではないのであつて、原告が被告のために受忍するほかないところの限界点だということが理解さるべきである。
しかして原告は、右の精神的苦痛に対する慰藉料としては一カ月あたり金三、〇〇〇円をもつて相当とする旨主張しているのであるが、本件におけるような違法な生活妨害による精神的損害をいくばくとすべきか、特に拠るべき基準とて無いけれども、本件に顕われた一切の事情を綜合斟酌すると、原告の右主張額は過大というより、むしろ控え目な苦痛の評価であると認められる(控え目な評価だということは、仮りに被告が一カ月当り金三、〇〇〇円の金員を原告に支払い続けるかぎりは、被告は現状のまま本件工場を操業し得ると逆算することによつても認められよう)から、そのまま肯認するのを相当とする。
よつて原告の被告に対する慰藉料請求部分については、昭和三九年一月分としては被告工場が明らかに操業した一月下旬の分に相当する金一、〇〇〇円の慰藉料、同年二月から昭和四〇年三月までは一四カ月分として金四万二、〇〇〇円の慰藉料、以上合計四万三、〇〇〇円に対する各不法行為後の日である昭和四〇年四月七日から右払済に至るまでの間の年五分の割合による遅延損害金、昭和四〇年四月から被告において被告工場の流出する音量を原告の受忍限度を超えないようにするまでの間は一カ月金三、〇〇〇円の割合による慰藉料、の各支払いを求める限度で認容すべきものである。
(二) 原告は被告による本件違法の生活妨害により、原告の著述出版業も悪影響を受け、一カ月金六、五〇〇円相当の損害を蒙つている旨主張しているが、原告が太霊会鈴木晨道という筆名で神道関係の著書を公刊したり新聞などに送稿していたことは前に認定したところるあでが、<証拠>を綜合すると、昭和三七年以降、特に掲記すべきほどの著述活動は原告に見当らず、果して原告が今日においても著述を業とする者と云いうるか甚だ疑問あでるし、出版業のごときは本件のような生活妨害により特に影響を受けるものとは考えられないし、昭和三九年から始まつた生活妨害と原告主張の減収との間に因果関係ありと認めるに足る証拠は特にないから、原告の被告に対する、この点の請求は失当として棄却するのを相当とする。
六原告の防音設備設置請求について
本件におけるような違法な生活妨害が継続するという場合、既に発生した損害、将来発生するであろう損害を加害者に賠償させることにくらべて、継続的な損害をもたらす違法な生活妨害そのものを違法な限度、すなわち受忍限度を超えた限度で停止させることは、被害者の救済として、より重要なことである。
しかして、被害者の有した快適で円満な生活を享受すべき利益、これを生活享受権とも称すべきものが受忍限度を超えて違法に侵犯されたきは、そのような違法な生活妨害を受忍限度までに差止めるべきことを侵犯者に要求できるところの、あたかも物権における物上請求権に類似するところの権利、これを生活妨害排除権とも称すべきものが、前記の生活享受権から派生流出するというべきである。民法七〇九条は、既に生じた損害についての賠償責任を規定するものであるが、それが、将来も継続する違法な生活妨害が存在するとき、その差止めを求めることのできる、いかなる権利の発生をも否定している趣旨だとは解されない。民法七〇九条は、一回性、一過性の典型的侵害行為を特に念頭においた原則的規定と解することもできるからである。
果してそうだとすると、本件において、原告が被告に対し、原告の受忍限度を超えることを理由に、原告居宅内の中央部において原告の受忍限度である五五ホン以上とならないよう本件工場に防音設備を施すよう求めることは正当であり、そのまま認容すべきものである。
七よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条を適用し、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用し、主文のとおり判決する。(井野三郎)