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名古屋地方裁判所 昭和41年(わ)2170号 判決 1968年9月03日

主文

被告人を懲役六月に処する。

ただし、この裁判の確定した日から一年間右刑の執行を猶予する。

訴訟費用は全て被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は弁護士でなく、かつ法定の除外事由がないのにかゝわらず

第一、報酬を得る目的で、昭和三八年一一月四日頃、佐藤宗太郎から貸金八〇万円の取立方依頼を受け、同人の代理人として、債務者亡山田秀巌の相続人岩田孝一に対し右貸金の支払を請求し、右秀巌の遺産である岐阜市大久和町所在の不動産の売却代金を以て弁済すべく示談交渉を重ねたうえ、翌三九年三月一二日頃名古屋市東区主税町一の一名古屋地方裁判所内名古屋第一検察審査会事務局長室において、債務者岩田孝一は、(1)債権者佐藤宗太郎に対し金六二万円を、(2)亡山田秀巌の内妻水野秀順に対し金五万円を、(3)被告人に対し代理人として要した費用として金三万円をそれぞれ支払うことなどの条項で右佐藤・岩田間に和解を成立させ、右岩田孝一から現金合計七〇万円を取立て、

第二、報酬を得る目的で、昭和三九年三月上旬頃田林トメから同女の視戚である加藤一男の加藤篤に対する手形債権一一万円の取立方依頼を受け、加藤一男を代理して、右加藤篤に対し右債務の弁済を請求し、分割弁済の交渉をなしたうえ、同年三月一二日頃、前記局長室及び前同所裁判所構内弁護士会館二階控室において、右債権を五回に分割して弁済すること、もしこれに違反すれば違反金として金一〇万円を支払うことなどの条項で右一男・篤間に和解を成立させたうえ、同月三一日から同年六月六日頃までの間三回にわたり前記事務局長室等において右一男を代理して篤から現金合計七万五、〇〇〇円を受領し、その後同人が残金を支払わないため昭和四〇年一一月二六日頃違約金を含め金一三万五、〇〇〇円を支払うよう内容証明郵便で催告し、

第三、報酬を得る目的で、昭和四一年二月一五日頃高阪きくから、同女の夫倉次郎が山根竜三の運転する自動車に衝突されて死亡した交通事故に関し、加害者山根竜三との示談交渉など損害賠償の請求について依頼を受け、この頃から数回にわたり右きくを代理して、右山根竜三と示談交渉をなし、同年三月二三日頃前記事務局長室において、山根竜三は、高阪きくに対し慰藉料等として金二〇万を支払うこと、診療費・葬儀費を一切負担すること、および自動車損害賠償責任保険金の請求は、被害者高阪きくにおいてなすことなどの条件でこれを取りまとめ、同年四月二七日頃前同所で右金二〇万円の授受を仲介し、前記保険金については同年三月中旬頃名古屋市中区栄三丁目一番一号日産火災海上保険株式会社名古屋支店において、前記きくを代理して、同社に対し自動車損害賠償責任保険契約に基づく保険金の請求手続をなし、同月二四日仮払金として額面三〇万円の小切手一通を、同年五月二日頃残金として額面七八万一、五〇〇円の小切手一通をそれぞれ受領し、

第四、同年二月頃内海新市から、同人が買い受けていた小牧市大字下末字狩山戸所在の畑二筆計約一、八七三平方米(但し登記簿上の所有名義は亡宮地金左衛門及び宮地幸で、内海は所有権移転請求権保全仮登記を有するのみのもの)が東名高速道路建設のため日本道路公団の買収対象地となつたので、その売買交渉手続一切を取扱われたい旨依頼を受け、報酬を得る目的で、右内海を代理して、同年三月頃から同年八月頃までの間春日井市ことぶき町八丁目一番地日本道路公団高速道路名古屋建設局春日井工事事務所等において、同事務所用地課長三浦正と交渉し、一平方米当り二、八〇〇円で同公団に売却する旨の取り決めをし、同年六月一二日頃小牧市大字下末一、三〇二番地の前記宮地金左衛門の相続人宮地かね子方で同女に対し所有権移転登記手続を請求し、同月下旬頃右三浦を介して、右宮地かね子および宮地幸に対し本登記に協力する代償としてのいわゆる「判代」として一坪当り九〇〇円を支払うを条件に所有権移転登記手続に必要な押印をうけることを取り決めた上、同年七月二九日頃から同年一〇月一七日頃までの間四回にわたり、前記春日井工事事務所等において、前記畑の買収代金として右記判代、愛知用水土地改良区宛負担金及び謝礼金等を控除した金四六二万二、六五〇円を受領し、

もつて法律事件に関して法律事務を取り扱い、

業として、

第一、昭和四〇年二月中旬頃、名古屋市東区長〓町五丁目一番地弁護士林武雄方に於て、名古屋地方裁判所に提起された鈴木典鋳から小山常雄に対する同裁判所昭和四〇年(ワ)第二四二号土地明渡請求事件につき、右小山のため弁護士林武雄を訴訟代理人として周旋し、

第二、昭和四一年一月中旬頃、同市北区深田町二丁目六七番地弁護士加藤博隆方に於て、中島屋ナシヨナル電化家具販売株式会社の解散に伴う同社の松下電器産業株式会社に対する買掛金減額方等の交渉を内容とする交渉事件につき、右中島屋ナシヨナル電化家具販売株式会社清算人山内富子のため弁護士加藤博隆を代理人として周旋し、

第三、同年二月頃、同市東区清水町一丁目一番地弁護士加藤義則方に於て、井村半三郎から豊田恭介に対し、名古屋地方裁判所に提起する損害賠償請求事件につき、右井村のため弁護士加藤義則を訴訟代理人として周旋し、

第四、同年七月頃、前記第三記載の加藤義則方に於て、株式会社桜井茂助商店から加藤工業合資会社に対し、名古屋地方裁判所に申立てる破産申立事件につき、右株式会社桜井茂助商店のため弁護士加藤義則を申立人代理人として周旋し、

第五、同年九月中旬頃、前記第二記載の加藤博隆方に於て、名古屋地方裁判所に提起された大垣達彦から石川武一外二名に対する同裁判所昭和四一年(ワ)第二四八三号貸金並びに詐害行為取消請求事件につき、右石川等のため弁護士加藤博隆を訴訟代理人として周旋し、

もつて法律事務の周旋をなし

たものである。

(証拠の標目)(省略)

(弁護人らの主張に対する判断)

第一、判示第一事実について

弁護人は、被告人が貸金八〇万円の取立の委任を妥けたのは、佐藤宗太郎からではなく、右債権の譲渡を受けて債権者となつた水野秀順からであり、しかも被告人と秀順とは信仰上の交際を通じ親子の如き特別な関係にあつたもので、被告人に「報酬を得る目的」は無かつたものであると主張する。

そこで、先づ被告人が貸金取立の委任を受けたのは、佐藤宗太郎か水野秀順かについて考察する。

(一)  佐藤宗太郎は、名古屋市西区深井町四三番地所在大師寺の信徒総代であつたが、同寺住職山田秀巌と親交があり、終戦後七~八年の間に数回にわたり同住職に対し金員を貸与しているうちその額が殖えたので、昭和二七年五月九日正式に右両者間で金八〇万円の「借用金証書」(証第一号)を作成し、返済期限を二年後の昭和二九年五月一〇日と定めた。

(二)  しかし、昭和二九年四月一三日債務者山田秀巌が死亡したため、佐藤宗太郎は右秀巌の内妻水野秀順(明治二一年生)に対し右貸金の返済を請求した(証第六号)が、容易に弁済を受けられなかつたので、同年六月一四日秀順に対し、同女と岩田雄(亡山田秀巌の甥)両名の署名した誓約書(証第一号)を差入れさせ、「借用金の返済に対しては亡山田秀巌の遺産を以てなし、なお不足分を生じたる時は水野秀順が責任を以て支払う」ことを誓約させた。

(三)  しかし、佐藤宗太郎は、山田秀巌の唯一の遺産であつた岐阜市大久和町所在の不動産につき、金にならないと考えたので、秀順からはとても債権の弁済を受ける見込がないものとあきらめ、一時は「借用金証書」を破ろうかと思つたが、寺の御影堂の修理費用の寄附という名目で右証書を大師寺住職水野秀順に交付した。

佐藤宗太郎は、右交付に際し、水野秀順を債務者亡山田秀巌の法律上の妻であり、亡秀巌に対する貸金債務の正式の承継者と信じており、従つた秀順に対しては財産的価値ある債権の譲渡として「借用金証書」を交付したものではなく、また貸金債務の真の相続人であつた岩田孝一らに対しては債権譲渡の通知もなされなかつた。

(四)  被告人は、昭和三六年頃から大師寺に出入りするうち水野秀巌と親しくなり山田秀巌の名義であつた岐阜の前記不動産を同女のために管理し、家賃の取立などもしていたが、秀巌の死後右不動産の名義を水野秀順にするため名古屋家庭裁判所に申立をしてその手続をしたところ、意外にも秀巌の甥に当る岩田孝一、照、雄ら十数名の相続人が現われ、同人らは右不動産の秀順への名義変更を承認しなかつた。そこで被告人は、前記の如き経緯でたまたま「借用金証書」が水野秀順の手元にあるのを利用し、債権者佐藤宗太郎の代理人として右貸金の取立をなし、債務者亡山田秀巌の相続人岩田孝一らが相続した岐阜の不動産の実質的利益を水野秀順のために得ようと企てた。

(五)  被告人は、亡山田秀巌の債務を相続した岩田孝一らに対し「借用金証書」を示してその債務を承認させると共に、佐藤宗太郎に対し秀巌名義の岐阜の不動産が売れるようになり岩田孝一らがこれを相続したので、債権者として同人らから貸金を取立て、現金で大師寺に寄附して貰いたい、その際秀順が交付を受けた「借用金証書」は被告人の手元にあるのでその取立を被告人に委任して貰いたいと頼んだ。

(六)  佐藤宗太郎は岐阜の不動産が売れて金になると聞いたので、昭和三八年一一月四日正式に被告人に対し岩田孝一らから債権を取立てることを依頼し、これが解決の一切の権限を付与する委任状を送付した(証第八号)。

正式に依頼を受けた被告人は、昭和三八年一一月七日債権者佐藤宗太郎の代理人として岩田孝一宛内容証明郵便で弁済を催告したが(証第三号)、かなりきびしい調子であつたため岩田孝一らは、債権者佐藤宗太郎(水野秀順に対しては弁済の必要を全く認めていなかつた)方を訪問し、同人に対し代理人の被告人抜きで直接話合いたい旨申入れたが、容れられなかつた。

かくて、被告人は、佐藤宗太郎の代理人として岩田孝一らとの間で交渉し、昭和三九年三月一二日判示の如き内容で示談を取まとめ、自ら佐藤宗太郎の代理人であることを明記した示談解決書(証第二、九号)を作成した。

(七)  被告人は、水野秀順と共に、右和解が成立した二日後の同年三月一四日佐藤宗太郎方を訪問し、前記「示談解決書」を示して和解の結果を報告したところ、佐藤宗太郎はこれを承認すると共に、取立てた現金七〇万円は大師寺の御影堂の寄附という名目で住職水野秀順に贈与したが、同女が老齢で金遣いが荒いため、右現金の管理を被告人に委ね、また被告人の取立の功績に対する謝礼として、右七〇万円の一割五分即ち一〇万五、〇〇〇円を被告人に渡すように秀順に指示し、被告人もこれを了承していたものである(証第九号、第一〇号)。

以上の事実を綜合すれば、債権者佐藤宗太郎が水野秀順に対し「借用金証書」を交付して寄附すると云つたのは、債権を譲渡したのではなく、同女に対する債権の放棄即ち債務免除の意思表示をなしたものと解すべきであり、しかもその後山田秀巌の遺産である岐阜の不動産が売れるようになり、真の債務者岩田孝一らが存在することが分るや、右免除の意思表示とは関係なく、同人らに対する債権の取立を被告人に委任したものと解すべきである。

従つて、被告人が貸金八〇万円の取立の委任を受けたのは、水野秀順からではなく佐藤宗太郎からであり、これに対する弁護人の主張は採用しない。

次に「報酬を得る目的」の有無について考察する。

仮に弁護人主張の如く、貸金取立の委任をしたのが水野秀順であつたとしても、被告人と秀順との関係は、信仰上の交際を通じ或る程度特殊な関係にあつたとはいえ両者間には血縁、親族の関係は全然なく、起居を別にしかつ証第一〇号の帖簿によつても窺えるように両者間は経済的に世帯が別であり親子の如き特別な関係の存在にとうてい認められず、しかも被告人は本件処理にあたり前記の如く確実に謝礼として金一〇万五、〇〇〇円を利得している事実等を綜合すれば、被告人に「報酬を得る目的」があつたことは明らかである。

第二、同第二事実について

被告人は、田林トメから手形債権回収の相談を受け、加藤義則弁護士に依頼してやつたところ、同弁護士事務所に勤務する福永滋弁護士が和解取まとめをしたもので、被告人は右取まとめには関与しておらず、また報酬も受取らずその目的もなかつたものであると主張する。

しかしながら前掲関係証拠によれば、

(一)  もと検察審査員であつて被告人と知合の田林トメは、夫の姪加藤とし子から本件約束手形(証第二〇号)取立方の相談を受け、寸志でやつてもらえると考え被告人にその取立を依頼し、関係書類(証第二〇、二一、二二、一三号)を手渡した。

(二)  被告人は、昭和三九年三月上旬二回にわたり債務者加藤篤と面会し、手形債務の弁済につき交渉をなし、同年三月一二日一応四回払の話にまとまつた。(同日中に五回払に修正された)

(三)  同日名古屋弁護士会館応接室において、被告人、田林トメ、加藤篤立会のうえ、福永弁護士によつて示談の結果が覚書(証第一一、一二号)に作成されたが、同弁護士は単に覚書の書き役をつとめたに止り覚書に署名をせず、他方被告人は加藤一男の代理人として署名押印した。

(四)  その後被告人は、昭和三九年三月三一日(証第一五、一四号)、同年四月三〇日(証第二三号)、同年六月六日(証第一二、二二号の封筒書き)の三回にわたつて各二万五、〇〇〇円宛加藤篤から受領し、同人に対し右一男の代理人として領収証を発行した。

(五)  判示の如く、その後加藤篤が残金の支払を怠つたため、被告人は、昭和四〇年一一月二六日加藤一男のため右篤に対し内容証明郵便(証第一六、一八、一七、一九号)で違約金等の支払を催告した。

(六)  被告人は、本件手形債権取立の依頼を受けて間もなく、田林トメから交通費名目で金五、〇〇〇円を受取り、さらに前記覚書作成後同女の問に対し謝礼金二万円をほのめかしたが、結局同女から金一万円を受取つた。

以上の事実を綜合すれば実質的に示談交渉をまとめたのは被告人自身であり福永弁護士ではない。しかも被告人が報酬目的を有していたことは前説明で明らかである。

第三、同第三事実について

被告人は、示談取まとめにつき、高阪きくからの依頼を引受けたことなく、単に山根竜三の提案を右きくに電話連絡して取次いでやつたに過ぎず、双方の意思が合致して示談が成立したもので、被告人の行為は弁護士法第七二条の「法律事務の取扱」にはあたらないと主張する。

しかしながら、前掲関係証拠によれば、被告人が介在して示談交渉を重ね、これを取まとめたことは優に認められるところである。

また被告人は自動車損害賠償責任保険金の請求につき、保険会社との間に争があつて請求するものではなく、単に自賠法に基く当然の権利を請求するだけであり、かつ請求手続も保険会社に備付の印刷書類に書込むだけで何人でも容易になしうるものであるから右「法律事務」というには値しないと主張する。しかしながら、関係証拠によつて認められる如く被告人がなした保険金請求手続の内容は、事柄の性質上相当の法律的知識を前提とし、高度の判断作用と複雑な手続を経てその目的を達しうるものであり、これを示談と切り離しそれ自体として観察しても弁護士法第七二条にいわゆる「その他の法律事務」に該るものと解すべきであるが、本件において被告人が、高阪きくから委任を受けたのは、保険金の請求及び受領行為のみではなく、亡倉次郎の死亡事故による損害の賠償請求に関する一切の件であり、それ故に被告人は加害者山根竜三との間で示談を交渉のうえ取まとめると共に、保険金の請求及び受領をなしたものであつて、両者は切離して考えるべきものではなく、包括して観察し全体として法律事務に該るものと解するのが相当である。

なお、被告人は高阪きくから受取つた合計金六万円は、示談交渉ではなく保険金請求の代筆をたのまれた謝礼であつて、後日形をかえて返済のつもりであつたし、また山根竜三から受取つた金二万円は、亡高阪倉次郎の香典としてきくに手渡したもので、被告人は始から報酬目的はなかつたと主張する。

しかしながら、高阪きくの証言によれば、被告人は、昭和四一年三月二四日保険金仮払金三〇万円がきくに支払われた際に同女から金三万を、同年五月二日保険金残額七〇万円が支払われた際に同女から七万円をそれぞれ謝礼として受取つている。被告人は本件において相手方である山根竜三からも謝礼として金二万円を受領している。即ち、山根竜三、高阪きくの各証言及び渡辺健次の検察事務官に対する供述調書並びに証第二七号、同第三一号によれば、保険会社から支給された治療費は七万三、〇〇〇円に過ぎないのであるが、判示の示談書第三項に明記の通り治療費は山根において負担すべきものである。被告人も保険会社宛保険金請求手続をなすに際して診療明細表に附籤を貼り治療費は高阪きくに支払うよう注意をうながして居り保険会社の側においてもこの点について山根竜三に照会し確めているのである。然るに保険会社から治療費、休業補償費、看護料計八万一、五〇〇円を含む七八万一、五〇〇円が支払われると、被告人はそのうち端数の八万一、五〇〇円を山根に交付し、その際即座に同人から二万円を謝礼として受取つているのである。即ちきくから一〇万円竜三から二万円を受領し計一二万円を利得しているのである。尚これよりさき、被告人は昭和三六年高阪きくの実兄加藤文吉のため同人が蒙つた交通傷害に基く損害賠償請求につき、加害者と交渉して金一七万円で示談を成立させ、その謝礼として加藤文吉から金一万五、〇〇〇円を受領しているのである。(加藤文吉の検察官に対する昭和41・11・16付供述調書但し第三項を除く及び同人妻加藤まつのの検察官に対する供述調書)。以上のことよりして本件の場合に報酬目的の存在したことは明かである。

第四、同第四事実について

被告人は、本件土地の買収価格やいわゆる判代につき、公団又は登記名義人らと何ら折衝したことはなく、公団と内海新市との間で必要書類を機械的に取り次ぎ、また単に内海新市の代理人として買収代金の受領および判代の支払をしたのみで、なんら法律事務を取扱つたものではなく、報酬目的もなかつたものであると主張する。

しかしながら、前掲関係証拠によれば、次の事実を認めることができる。

(一)  内海新市は、昭和四〇年初頃もと自己が買受けた本件土地が東名高速道路の買収予定地となり、公団によつて測量のための杭打がなされたことを知るや、被告人に対し本件土地の実質的所有権が右内海にあることを公団に通知するよう依頼した。被告人は昭和四〇年三月八日春日井工事事務所宛内容証明郵便で通告書(証第四三、五七、五八号)を差出し、本件土地の買収交渉や代金支払につき公団側が土地所有名義人を相手としないよう申し入れた。

(二)  その後昭和四一年春内海新市は板津次郎と共に宮地かね子方を訪問し、所有権移転登記に必要な押印を求めたところ、相当な代償を請求され、また宮地幸は北海道に移住して容易に連絡がつかない情況であり、その解決策に窮し、知合の不動産屋に相談したが早急な返答は得られなかつた。

右のようにむづかしい問題が存在したので、法律的に詳しく、手数料が安くて済む被告人にその解決を依頼することになつた。

(三)  昭和四一年二月頃内海新市夫妻は被告人方を訪問し本件土地の事情を説明し、本登記人や公団との交渉、買収価格の決定、必要経費の清算等一切の関係を依頼し、関係書類を預けた。

(四)  右依頼を受けた被告人は、昭和四一年三月一日日本道路公団春日井工事事務所を訪問し、以後内海新市の土地買収に関する一切の代理人として三浦正用地課長と交渉を続けた。

土地買収価格については、先づ道路公団と地元の地主との団体交渉が行われここで妥結した基準により、内海新市の土地に関して公団側より一平方米当り金二、八〇〇円の申出を受けるや、被告人は内海の了解を得て異議なくこれを承諾し、公団側より交付された必要書類(土地売買契約書、請求書、収入印紙領収書、承諾書、委任状等、記録一、二七八丁以下参照)の所定欄に必要事項を記入・押印のうえ、これを公団へ提出し、宮地金左衛門(相続人かね子)名義の土地(九四五平方米、買収代金二六四万六、〇〇〇円)については昭和四一年七月一四日、宮地幸名義の土地(九二八平方米、買収代金二五九万八、四〇〇円)については同年八月二〇日付でそれぞれ正式に売買契約が締結された。

(五)  一方いわゆる判代については、被告人は昭和四一年六月一二日内海新市の代理人として宮地金左衛門に会うべくかね子方を訪問し、同女に対し本登記に必要な押印を求めたが、同女は金左衛門死亡の事実を秘し、同人は不在であると口実を設けこれをことわつたため、被告人は後日改めて来訪する旨告げて帰つた。しかしその際被告人からその官職名付きの名刺(証第八七号)を示された同女は、ことの処理に困惑し、その数日後近くに住む小牧市長神戸真に相談したところ、同市長はかね子のため春日井工事事務所に電話し、他の登記名義人なみに仮登記権利者から判代をとつてもらいたい旨依頼した。右市長の依頼により小牧市会議員鈴木一一と三浦用地課長が宮地のため仲介することとなり、必要な手続も同人らによつてなされた。

そのため被告人は北海道に移住した宮地幸に対し印鑑証明書送付方を要求したり(証第四八号)、委任状や登記承諾書(証第四七号)など本登記に必要な書類を準備しようとしたが、直接交渉の必要はなくなつた。

かくて、被告人は三浦用地課長から、地元で決定した判代として坪当り九〇〇円の申出を受けるや、これを承諾し、宮地かね子に対しては金二五万六、五〇〇円(二八五坪分)、宮地幸に対しては二五万二、〇〇〇円(二八〇坪分)の判代の支払を認めた。

(六)  以上の経過をへて、本件土地に関し昭和四一年七月二九日から同年一〇月一四日まで前後四回にわたり公団から代金合計五二四万四四〇〇円が支出され、この中から前記判代、愛知用水土地改良区宛負担金および前記市会議員鈴木一一への謝礼金等が控除され、判示の如き金員が内海新市の代理人である被告人の受領するところとなつたのである。

(七)  被告人は、右判代の支払にあたり、宮地金左衛門相続人かね子に対しては昭和四一年七月二九日付、宮地幸に対しては同年八月一一日付でいずれも内海新市宛約定書(証四二号その一、二)を差入れさせ、本登記を承諾するにあたり判代を受領することで一切を解決し、今後何等の請求をしない旨の誓約をさせた。

(八)  内海新市は、第一回代金受領の直後、被告人の骨折に対する謝礼として金一〇万円(証第四六号)を妻鈴子を介して被告人方に持参し交付した。

以上の事実を綜合すれば、土地の買収価格や判代につき、公団と地元地主間の交渉の結果に従つたため、被告人は、公団又は宮地かね子らと具体的な折衝の必要はなかつたとしても、しかし単に書類の取次や代金受領などの機械的行為のみをしたのではなく、内海新市の代理(必ずしも民法上の代理のみに限定されず、広く事実上本人のためにこれに代つて紛議の処理に関する各般の行為をなすことをいう)として、重要な法律上の効果の発生する事項の処理をなしたもので、弁護士法第七二条にいう法律事件にかんし法律事務を取扱つたことに該当し、かつ報酬目的を有していたことも十分認めることができる。

第五、判示乙の第一乃至第五について

弁護人は、被告人には報酬を得る目的はなく、かつ法律事務の周旋を業としたものではないから犯罪を構成しないと主張する。

しかしながら、弁護士法第七二条後段の罪は必ずしも「報酬を得る目的」を必要とせず、また前掲関係証拠を綜合すれば、周旋行為を現実に反覆継続した事跡が認められるから「業とした」ものといわざるを得ない。

よつて弁護人の右主張はいずれも採用できない。

(法令の適用)

被告人の判示甲第一乃至第四の各所為はいずれも弁護士法第七二条本文前段第七七条に、判示乙第一乃至第五の所為は包括して同法第七二条本文後段第七七条にそれぞれ該当するところ、本件は検察審査会事務局長の地位に在つた被告人がその肩書と専門的智識を利用して報酬を得る目的で法律事務を取り扱い又は業として法律事件を弁護士に周旋したもので、その犯行の日時、場所、方法、回数、報酬額等においてその態様悪質な点も認められ、これがため検察審査会延いては裁判所全体に対する信用を失墜せしめた点は看過し難くその責任は重いと謂わなければならないので所定刑中いずれも懲役刑を選択し、以上は刑法第四五条前段の併合罪であるので同法第四七条第一〇条を適用し犯情最も重い判示甲の第三の罪につき定めた刑に法定の加重をなした刑期範囲内において被告人を懲役六月に処すべきところ被告人が本件において法律事件に関係を持つに至つたのはその殆どが平素被告人と職務上又は信仰上懇意の間柄に在つた者から紹介若しくは依頼によるものであり、その「報酬目的」の点についても酌量すべき余地の存するものもあり、また弁護士周旋の点についても相手方弁護士の責任は不問に付されている点も考慮しなければならない。被告人は大正一五年裁判所に入り爾来四〇年余職務に精励しその間累進して昭和二七年一二月には名古屋第一検察審査会事務局長に就任し本件起訴による休職に至るまで一四年近く同局長の地位に在つたが、自己の地位を一部の部外者に対し「裁判官や検察官のお目付役」と誇称したり果ては判示の如き行動を累ねるに至るまでの被告人に対し周囲から何等適切な忠言が与えられなかつたことは被告人にとりまことに不幸であつたと謂わなければならない。その他諸般の事情を考慮するときは被告人に対しては刑の執行を猶予するのを相当と考えるので、同法第二五条第一項を適用して一年間右刑の執行を猶予する。

訴訟費用は刑訴法第一八一条第一項本文に則り被告人にその負担を命ずる。

よつて主文の通り判決する。

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