名古屋地方裁判所 昭和43年(ワ)852号 判決 1971年3月31日
原告
高橋満
被告
合資会社大越
ほか一名
主文
一、被告らは各自、原告に対し金二五六万四六八八円及びこれに対する昭和四三年三月二九日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。
二、原告のその余の請求を棄却する。
三、訴訟費用は、これを四分し、その一を原告の、その余を被告らの各負担とする。
四、この判決は第一項に限り仮に執行することができる。
事実
第一、申立
一、原告
「被告らは各自原告に対し金三八三万七〇〇〇円及び内金二八三万七〇〇〇円に対する昭和四三年三月二九日から、内金一〇〇万円に対する昭和四六年二月一一日から各支払済まで年五分の割合による金員を支払え。
訴訟費用は被告らの負担とする。」
との判決並びに仮執行の宣言を求める。
二、被告ら
「原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。」
との判決を求める。
第二、請求原因
一、原告は左記交通事故により傷害を受けた。
(一) 日時 昭和四一年一二月一二日午後八時三〇分頃
(二) 場所 名古屋市南区内田橋町先路上
(三) 加害車 被告鬼頭良誠運転の軽四輪貨物自動車
(四) 態様 原告は乗車したタクシーが途中で故障を起し路上に停車してしまつたため、右タクシーの傍らに立つて付近を通行する車輌を誘導していたところ、差しかかつた加害車が時速六〇キロメートル以上の高速のまま原告に激突し、その場に転倒せしめた。
(五) 傷害及び後遺症 右事故の結果原告は両足打撲傷、脳震盪症、頭部挫傷、左側頭骨々折の重傷を負い、昭和四一年一二月一二日より同月末日まで人院加療を受け、その後も現在に至るまで入院あるいは通院して治療を続けたがほとんど軽快せず頭部の激痛、頭重感、局部のしびれ感等が残存している。右の後後遺は労災等級第九級に該当する。
二、被告らは本件事故で原告の受けた損害を賠償する義務がある。すなわち、
(一) 被告会社は、加害車を所有し、被告鬼頭良誠をして加害車を自己の業務のため運転せしめていたのであるから加害車を自己のために運行の用に供するものというべきである。
(二) 被告鬼頭良誠は多量に飲酒の上制限速度を越えて走行し、前方注視を怠りハンドル操作を誤つた過失により本件事故を惹起したものである。
三、本件事故で原告の受けた損害は次のとおりである。
(一) 休業補償 八三万七〇〇〇円
原告は本件事故当時訴外近畿石油輸送株式会社のタンクローリー車の運転手として勤務し月に四万七〇〇〇円を下らない収入を得ていたが、本件事故による傷害のため被告らが補償を中止した昭和四二年六月から少なくとも昭和四三年九月までは全く無収入となり、昭和四二年下期の賞与五万円、昭和四三年上期の賞与三万五〇〇〇円も得ることができなくなつた。右の休業による損害を合計すると頭書の金額となる。
(二) 慰藉料 三〇〇万円
本件事故の態様、原告の傷害及び後遺症の程度、原告の将来に対する不安、被告らの誠意のなさ、その他諸般の事情を斟酌すると右金額が相当というべきである。
四、よつて、原告は被告らに対して右を合計した三八三万七〇〇〇円及び内金二八三万七〇〇〇円に対する本件事故の日の後である昭和四三年三月二九日から、内金一〇〇万円に対する同じく昭和四六年二月一一日から各支払済まで年五分の割合による金員の支払を求めるものである。
第三、請求原因に対する答弁
一、第一項(一)ないし(四)の事実は認め、(五)の事実は争う。
二、第二項(一)の事実は争う。被告会社は加害車の登録上の使用名義人ではあるが、これは、被告鬼頭良誠が被告会社から独立して別の場所に店舗をかまえ食料品の販売をなしていたところ、営業車を購入する資金がなかつたため被告会社が月賦にて購入していた加害車を替つて購入し専ら自己のために運行の用に供しており、使用名義の変更手続が繁雑であつたのでその手続をせず、名義が被告会社に残存していたものであり、被告会社は実質的にはなんら加害車の運行に関与していなかつたものである。
三、第二項(二)の事実は認める。
四、その余の事実は争う。
第四、抗弁
被告鬼頭良誠は本件事故の損害賠償として昭和四二年六月頃三万円、昭和四三年三月一五日頃三万円を支払い済である。
第五、抗弁に対する答弁
認める。
第六、証拠関係〔略〕
理由
一、事故の発生
請求原因第一項(一)ないし(四)の事実は当事者間に争いない。
二、原告の受傷及びその治療経過と後遺症
〔証拠略〕の結果によると、原告は本件事故の結果原告主張の傷害を受け、原告主張の治療経過をたどつて現在にいたつたが、原告主張のような後遺症を残していることを認めることができる。
三、被告らの責任
(一) 被告会社
〔証拠略〕を総合すると次の事実を認めることができる。
被告鬼頭良誠の父鬼頭豊平は被告会社を経営して塩干食料品の販売業を営んでいるが、右会社はいわゆる家内企業で仕事に従事しているのは豊平とその家族のみであつた。被告鬼頭良誠は昭和三六年に高等学校を卒業後、父のもとで仕事を手伝つていたが、同被告が二男であるためもあつて昭和四一年一月結婚生活に入つたのをきつかけに知多郡上野町大字名和字石田五六番地上野百貨センター内に鬼頭商店という名で同じく塩干食料品の販売を営む店を出してもらうことになつた。その際権利金等営業開始に至るまでの費用として七〇万円ないし八〇万円を要したがその大部分は被告会社が出資した。右鬼頭商店は昭和四一年七月に営業を開始し、被告鬼頭良誠は右店の切盛りを妻(内縁)と共に任されていたが、住まいは依然父のもとに同居していた。これより先、被告会社は所有していた二台の自動車のうちの一台のマツダの軽四輪貨物自動車が古くなつたため同じ車種の新車と買換えることにし、昭和四一年五月に加害車を購入した。その所有権は販売者である愛知マツダ株式会社に留保されたままであつたが、登録名義人は被告会社となつており自賠責保険も同被告の名で締結されている。加害車の代金は三二万七一〇〇円であつたが、下取価格四万円のほか頭金六万円を現金で支払い、残額は二〇回の割賦で支払うこととし、その担保として被告会社振出名義の約束手形を差し入れた。右の頭金は被告会社が支払い、割賦金は被告鬼頭良誠が昭和四二年六月に本件事故のため実刑判決を受けて服役するまでは支払つており、その後は被告会社が支払を続けほぼ完済した。加害車は購入後被告鬼頭良誠が専ら使用しており、昭和四一年七月に前記上野百貨センターに店を出す際同被告に与えられたが、夜間の駐車は被告会社前路上あるいは付近の広場にしていた。
以上の事実を総合すると、前記鬼頭商店は、その切盛りは一応被告鬼頭良誠に任されていたが、経営的には相当被告会社に依存しており、その実態は被告会社の出張所とも評価され得るものと考えられ、又、加害車は前記鬼頭商店が営業を開始する昭和四一年七月まではしばしば、それ以降も時折被告会社の用途にも使用されていたものと推認される。
右の鬼頭商店の経営の実態、加害車の使用状況に被告会社の代表者である鬼頭豊平と被告鬼頭良誠の前記の人的関係をも合せ考えると、被告会社は加害車の運行に対し支配を及ぼしていたというべきである。
(二) 被告鬼頭良誠
請求原因第二項(二)の事実は当事者間に争いない。
したがつて、被告会社は自賠法三条により、被告鬼頭良誠は民法七〇九条により連帯して原告が本件事故で受けた損害を賠償する義務がある。
四、損害
(一) 休業損害 六二万四六八八円
〔証拠略〕によると、原告は本件事故当時訴外近畿石油輸送株式会社に勤務し月平均三万九〇四三円の収入を得ていたことが認められるが、原告の傷害の程度及びその治療経過から考えて少なくとも原告主張の期間一六カ月は全く稼働できなかつたものと解される。右の期間の休業による損害を算出すると頭書の金額となる。
なお、賞与の減収については証明が十分でない。しかし、原告は長期の休業の結果賞与面でもなんらかの影響のあつたことは容易に推測されるからこれを慰藉料算定の上で斟酌する。
(二) 慰藉料 二〇〇万円
本件事故の態様、原告の傷害の程度及びその治療経過、後遺症の程度、その後遺症のため将来にわたつてある程度労働力の喪失が予想されること、前記の賞与面への影響、その他諸般の事情を斟酌すると右金額と認めるのが相当である。
以上原告の損害を合計すると二六二万四六八八円となる。
五、弁済
被告鬼頭良誠が本件事故の損害賠償として被告ら主張のころ合計六万円支払つたことは当事者間に争いない。
六、結び
よつて、原告の被告らに対する請求は右の差額の二五六万四六八八円及びこれに対する本件事故の日の後日である昭和四三年三月二九日から支払済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余を棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条を仮執行の宣言につき同法一九六条を各適用の上主文のとおり判決する。
(裁判官 西川力一 藤井俊彦 岩淵正紀)