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名古屋地方裁判所 昭和43年(行ウ)10号 判決 1978年4月28日

原告

加藤千代子

外二名

原告ら訴訟代理人

天野雅光

被告

右代表者法務大臣

瀬戸山三男

右指定代理人

鰍沢健三

外八名

主文

一  愛知県収用委員会が昭和四二年一二月二〇日付でなした、原告ら所有の別紙第一物件目録記載の土地の収用による損失補償額を五四九、五九六円とする裁決を一、〇三〇、五〇〇円と、同第二物件目録の土地についての原告らの占用権の収用による損失補償額七一九、九八五円とする裁決を一、三五〇、〇〇〇円と、同四三年三月一八日付でなした、緊急使用に伴う損失補償額を四三一、九四一円とする裁決を四五七、三九八円とそれぞれ変更する。

二  被告は原告らに対し、金一、一三六、三七六円およびうち金一、一一〇、九一九円に対する昭和四二年一二月二九日から、うち金二五、四五七円に対する同四三年三月三一日からそれぞれ完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

三  原告らその余の請求を棄却する。

四  訴訟費用はこれを一〇分し、その九を原告らの、その余を被告の負担とする。

事実《省略》

理由

一別紙第一物件目録記載の土地(以下、本件第一土地という)が原告らの所有であつたことおよび同第二物件目録記載の土地(以下、本件第二土地という)が愛知県海部郡立田村地内のいわゆる福原輪中堤の一部に属する堤防であること、昭和三九年六月二日被告を起業者とする土地収用法(昭和二六年法律二一九号、但し同四二年法律七四号同法の一部を改正する法律による改正前のもの、以下同じ)二〇条に基づく長良川福原改修事業の事業認定の告示がなされ、次いで同年九月二一日本件土地(右第一および第二土地)につき土地細目の公告がなされ、原告主張の経緯により愛知県収用委員会は同四二年一二月二〇日付本件第一土地につき土地収用、本件第二土地につき権利(占用権)収用の各裁決、同四三年三月一八日付本件土地の緊急使用に伴う損失補償裁決をそれぞれなしたこと、本件輪中堤を構成する環状堤について大正二年一二月二四日付愛知県告示三七三号河川区域認定処分および昭和一四年八月四日付同告示八九四号河川付属認定処分がなされたことは当事者間に争いがない。

二本件第二土地を含む本件環状堤について前記河川区域認定処分および河川付属物認定処分がなされたことは当事者間に争いがないところ、旧河川法(明治二九年法律七一号)一、三、四条二項によれば、認定河川並びにその敷地、認定河川付属物並びにその敷地は私権の目的となりえないとされ、さらに河川法施行法(昭和三九年法律一六八号)四条により右河川敷地等は国に帰属するものとされているから、本件環状堤については前記各認定処分により私権(所有権)が消滅したということができる。そして、原告らは河川法施行規程(明治二九年勅令二三六号)九条、一一条に基づき本件環状堤、従つて本件第二土地につき占用権を取得したものである。

三原告らは、本件第一土地の土地収用による損失補償額につき右収用裁決時(昭和四二年一二月二〇日)における右土地の価格は3.3平方メートル当り三、〇〇〇円、本件第二土地の権利(占用権)収用による損失補償額につき、右収用裁決時(同日)における右土地の価格は同じく三、〇〇〇円がそれぞれ相当であると主張し、被告は右各土地の価格は右各裁決における一平方メートル当り二四二円が相当であると主張するので、以下右各裁決時における右各土地の価格について検討する。

1  さて、土地収用法七二条によると、収用する土地に対する損失補償は近傍類地の取引価格等を考慮して算定した収用裁決時(同法七一条)における相当な価格をもつてなされ、また、同法五条三項、一三八条一項一号により前記七二条は本件のごとき占用権の収用に準用されるところ、ここに相当な価格とは収用土地の客観的取引価格(市場価格)と解され、右客観的取引価格は収用土地の客観的利用価値によつて形成されるものというべきである。

2  <証拠>を総合すれば、本件第二土地は本件輪中堤の一部に属し、同輪中堤は木曾川に架る国道一号線上の尾張大橋から木曾川西岸堤沿いに北方約五キロメートルの所に位置し、木曾・長良・揖斐三河川がそれぞれ堤を隔てて合流する地点に木曾・長良両河川に挾まれて存在し、付近には長良川本流を隔てて西側に宝歴治水工事で名高い千本松締切堤があること、本件輪中堤は徳川時代初期に原告らの祖先が当時の尾張藩に築造を出願し、地代金を上納して免許をえ、私財を投じて造成しその後地震・水害等の災害により損壊する度に私費を投じて維持修復しながら、徳川・明治時代を通じ代々管理所有し(但し、被告国も昭和三五年以降台風等による決壊の復旧工事をなして管理している。)、原告らが相続によりその所有権を取得したこと、本件輪中堤は環状堤および突出堤からなる全長二キロメートルの「6」字型の堤防で、その横断面はほぼ台形で平均高さ五メートル、同上底四メートル、同底辺二〇メートル、同面積六〇平方メートルであり、木曾・長良両河川に挾まれて生じた三角洲の上流部分に上流に向つて釣鐘状の堤防を盛土して築き、その内側に土砂を堆積させ、一定程度堆積した段階で下流部分を締切ることによつて長円形の堤防に造成されたもので、西側の一部は玉石等により根固め(護岸)されていること、本件輪中堤の内側に沿つて約二〇戸の人家が建ち、右環状堤に囲まれた土地は田畑(面積は周辺の堤外田畑を加えると約三〇ヘクタール)として耕作されて右輪中堤内は一個の村落共同体が形成され、右人家および田畑は右輪中堤により水害から防禦されてきたことおよび昭和四八年一月一九日当時は長良川改修工事により本件輪中堤を縦断する形で南北に通じる新堤防が築造され、右新堤防の西側部分は川原様の荒地、東側部分は田・畑および人家が存在し、本件輪中堤は右東側部分に一部残存することをそれぞれ認めることができ、右認定を覆えすにたる証拠はない。

また、<証拠>によれば、本件第一土地を含む本件突出堤は本件環状堤と共に本件輪中堤を構成し、長方形の右環状堤から「6」字型に接続し突出している全長三、四〇〇メートルの堤防で、その横断面はほぼ台形で高さ二メートルないし五メートル・平均上底四メートル・同底辺二〇メートル・同面積六〇平方メートルであること、平常時においては長良川上流からの流水の水勢が右突出堤により緩和され突出堤と本件環状堤北部とに囲まれた字堤外一番割地区は静水域になつていることを認めることができ、従つて右突出堤は長良川出水時には激流が右地区および右環状堤北部に直接流入し衝突するのを防ぐ機能を有していたことがうかがわれ、当事者間に争いのない右突出堤の避難路および沃土堆積の機能を併せ考えると、右突出堤は流水によつて生ずる公害を除却軽減する効用を有する施設即ち堤防ということができ、このことは前掲証人伊藤滋の証言により認めることができる。現実に前記地区に約一〇戸の人家および多数の耕作地が存在していた事実、さらには明治時代に原告らの祖先が改修を願い出て許された事実からも十分推認することができる。被告は長良川の水位が東京湾中等潮位二メートル前後の出水で前記字堤外一番割地区が冠水し、また同潮位四、五メートルをこえる出水の場合は本件突出堤は環状堤防禦の効用を果さないと主張し、<証拠>によれば、大正七年から昭和三九年までの四六年間に水位が右四、五メートルをこえる出水が六回、延日数二三日あつたことを認めることができるが、前記認定の本件突出堤の高さ・形状・平常時の作用からいつて、少なくとも右水位以下の出水の場合、流水の前記地区および環状堤北部への流入・衝突を相当程度防ぐことができ、また、右四、五メートルをこえる出水においても突出堤が存在しない場合に比べて少なからず右流入・衝突が緩和されたであろうことは否定できないところであるから、右認定のごとく突出堤の高さをこえる出水が過去数回あつたからといつて右突出堤の堤防としての機能を否定することはできない。

3  原告らは前記のとおり本件土地(堤防敷地)の3.3平方メートル当りの相当な価格は三、〇〇〇円であると主張し、その根拠として本件土地を含む長島地区一帯に観光開発等の開発計画が進められていること、近傍土地の取引価格および昭和四〇年一月の原告ら被告間の貯水槽等公益的施設敷地の売買価格が3.3平方メートル当り二、五〇〇円であつたことを挙げる。

<証拠>によれば、三重県桑名郡長島町は昭和三八年同町南端に温泉が涌出したことから、同県開発公社等による温泉観光地・宅地造成地等として観光開発計画およびその実施が進められ、そのための土地買収が各所で行われ、同町大字松之木字堤外の土地三筆(田二筆・池沼一筆)が同四三年一二月二八月同公社により3.3平方メートル当り五、〇〇〇円で売買(但し、同四〇年一二月二〇日売買予約)されたことを認めることができる。前掲甲第一八号証中右売買の時期が同年三月頃であるとの記載部分は同乙第三〇号証の一、二に照らし措信できない。

ところで、<証拠>を総合すれば、前記長島町は三重県の東北端、木曾・長良・揖斐三河川が合流する河口地点に位置する南北に長い平坦な三角洲地帯で、同町を横断する国鉄関西線以北の地区は昭和四〇年以降給与所得者人口、農地転用件数建築着工件数の各増加傾向を認めることができ、温泉涌出により観光開発・宅地造成が進められていることは前記認定のとおりであるから、同地区は宅地化傾向の顕著な地域ということができる。他方、本件敷地が所在する愛知県海部郡立田村福原地区(同村船頭平閘門以北)は右長島町の北端に接し、前記認定のとおり本件輪中堤および堤内田畑を中心に人家が集落して一個の村落共同体を形成し、昭和四〇年以降においても人口の六〇パーセント以上が農業に従事し、農地転用・建築着工もほとんどなされていない農業地域ということができるのであり、また、<証拠>によれば鉄道・主要道路からの距離についても、前記長島町北部地区大字松之木については近鉄長島駅から1.8キロメートルおよび国道一号線から0.7キロメートル、福原地区については同じくそれぞれ5.9キロメートルおよび五キロメートルであることを認めることができるので、右交通事情からは右長島町北部地区の方が福原地区に比較し、より便利であるということができるから、結局、両地区には近傍類地としての類似性がなく、しかも前記売買例の土地はいずれも堤防敷ではなくその価格は開発利益を見込んだ特殊な価格というべきであるから、本件堤防敷地の相当な価格を算定するうえで原告主張にかかる前記松之木の土地三筆の取引事例は適切なものではない。

4  他方、被告は前記のとおり本件堤防敷地の相当な価格は一平方メートル当り二四二円であり、右価格は取引事例比較法によつて算定した額等からみて相当であると主張する。而して、<証拠>を総合すれば、本件敷地から約六キロメートル下流にあたる三重県桑名郡木曾岬村加路戸地区に昭和三八年三月二七日四筆の堤敷の売買事例があり、右売買価格はいずれも坪当り二〇〇円であること、右地区付近を流れる木曾川派川鍋田川の締切りに伴う木曾川の水位上昇を避けるための同地区引堤工事の用地について、所有者が現に宅地・田畑等の用に供している土地については、鍋田川廃川敷地に造成した土地と交換し、それ以外の原野・堤敷については右のごとき交換ではなく買収が行われ、前記四筆を含む一六筆が買収されたこと、右買収価格は「建設省の直轄の公共事業の施行に伴う損失補償基準」(昭和三八年建設省訓令五号)に則り算出されたこと、右買収価格につき本件各裁決において定められた各収用時期(同四二年一二月二八日)と前記売買時期(同三八年三月二七日)との時間差による価格の変動を、財団法人日本不動産研究所作成の土地価格指数に基づく時点修正率を乗じて考慮すると別表二のとおり坪当り二〇九円となること(但し、堤敷としての価格指数がないので、堤敷と類似する山林〔薪炭林〕を準用)、さらに右価格につき本件敷地と前記事例地との場所的格差をその固定資産税評価額に基づき場所的価格差修正率を乗じて考察すると別表三のとおり坪当り二四七円となること、前記中央信託銀行名古屋支店が建設省中部地方建設局木曾川工事事務所長の依頼により本件堤防敷地の近傍類地を市場資料比較法により鑑定評価したところ、本件輪中堤の一部分で、本件堤防敷大字福原新田字弐番割三四一番の二に隣接する同番の一・地目山林・現況堤防敷の所有権価格が坪当り三〇〇円(昭和三九年八月二一日当時)であることおよび愛知県収用委員会は本件土地収用および権利収用各裁決において、本件突出堤および環状堤敷地の位置・形状・環境その他の立地条件を総合的に比較考量した結果、右各敷地の相当な価格を各一平方メートル当り二四二円と認めたことをそれぞれ認めることができる。

しかしながら、右認定のとおり前記売買事例に基づきいわゆる取引事例比較法により本件堤防敷地の相当な価格が坪当り二四七円と算出されたことおよび前記近傍類地(堤防敷)の所有権価格が同三〇〇円と鑑定評価されたことを以つて、被告主張の右相当価格一平方メートル当り二四二円の論拠とするのは、右主張額が右各価格を上回るとはいえ両者の間に約三倍もの格差があり、その格差の根拠につき何ら主張立証がないことから考えると妥当を欠き、また、前記各裁決における価格を以つて論拠とするには、その算定根拠が未だ不明確であつてこれまた妥当ではない。

5  しかし、昭和四〇年一月原・被告間において用排水路等の敷地(立田村大字立田字三番割三一六番の一)の売買が3.3平方メートル当り二、五〇〇円でなされたことは当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、同三八年一二月一一日の被告調査時、本件輪中堤内西端部所在の右敷地(約九五坪)は以前ポンプアップ施設としての水車小屋があつた現況宅地と評価されたことおよば右敷地のうち水車小屋の敷地部分はその部分のみ若干高くなつている広さ約一〇坪程度のもので右敷地の他の部分は用排水路・敷地・水田・輪中堤敷であつたことを認めることができるので、右敷地は現況宅地ではなく、むしろ用排水路・水車小屋等農業用施設の敷地として農地類似の土地というべきで、本件敷地とは距離も近く土地上に施設が付着しているという点で類似性があり、右取引が特殊な事例であることを認めさせるような事情もうかがえないし、しかも、本件裁決時たる昭和四二年一二月二〇日に比較的近い時点における原告ら被告間の取引であることも考え、前記用排水路等施設敷地(農地類似の土地)の取引価格3.3平方メートル当り二、五〇〇円を本件敷地の所有権相当価額算定の基準にするのが妥当であると考える。もつとも<証拠>によれば、前記用排水路等施設敷地の所有権価格は、中央信託銀行名古屋支店により現況準宅地、坪当り一、六〇〇円と鑑定評価されていることを認めることができるが、他方、同鑑定は右敷地が準宅地であるといつても、農家用のもので一般的な宅地として使用可能なものではなく、単に堤防上の平坦地という程度の土地であると判断し、右評価額も山林の比準価格を基礎に算定されていることを認めることができるから、右鑑定評価の結果は前記取引を近傍類地の取引事例として考慮することの妨げとはならない。ところで、<証拠>によれば、原告ら代理人である伊藤滋の依頼により株式会社名古屋不動産研究所(代表取締役不動産鑑定士近藤信衛)が本件敷地の所有権価格(前記各裁決時)を鑑定評価したところ、昭和三九年七月の本件輪中堤に隣接する田・畑の取引価格一平方メートル当り三九三円および原告ら・被告間の前記取引価格等を取引事例として比較検討して右敷地の近隣地域内の標準的耕地(田畑)の標準価格(右各裁決時)を同七〇〇円と評価し、本件敷地が右耕地と比較して、堤防敷であつて直接収益を生ずる不動産ではなく公共的色彩の強い点を考慮して、右標準価格に対して三〇パーセントの減価を行つた同四九〇円(3.3平方メートル当り一、六一七円)をもつて右敷地の所有権価格としたことを認めることができること並びに本件敷地が堤防敷であることから田畑ないし農地に比べ取引の対象となりにくく、またその利用も限定されるという客観的取引価格ないし客観的利用価値についての減価要因および原告ら・被告間の前記取引の取引時期と右各裁決時との時点修正を併せ考えるならば、基準となる前記取引価格3.3平方メートル当り二、五〇〇円に対して前記三〇パーセントより高率の四〇パーセントの減価を施した3.3平方メートル当り一、五〇〇円をもつて、本件各収用裁決時における本件土地の相当な価格であると思料するものである。

なお、右名古屋不動産研究所の鑑定評価は、原告ら・被告間の前記取引を取引事例として斟酌しているが、右取引が本件土地(堤防敷地)の相当な価格を算定するうえで適切な事例であることは先に認定したとおりであり、また、<証拠>によれば、前記田・畑の取引価格については、一部一平方メートル当り三三〇円、三六〇円とするものがあるが、大部分が同三九〇円であることを認めることができるから、右田・畑の取引事例を斟酌したことが適切を欠くともいえない。

四本件福原輪中堤が堤防であることは前記認定のとおりであるところ、右堤防がそれ自体別個の構築物として、損失補償の対象となるか否かについて、以下検討する。

土地収用法が収用土地上の物件について、事業に必要のない物件については原則として移転させ(同法七七条)、移転困難移転料多額の場合には当該物件を収用できることとし(同法七八、七九条)、事業に必要な「土地に定着する物件」については別個独立に収用使用できるとしている(同法六条)ことから考えると、同法にいう土地の定着物とは、土地に継続的に付着された状態で使用されるのがその物の本来の使用形態であり、かつ、土地から分離して移転することが社会通念上可能である物をいうものと解すべきであるところ、本件輪中堤はその敷地から分離して移転することが社会通念上不可能であるから、同法にいう土地の定着物とはいえず、敷地に付加され敷地と一体となつて効用を果たすいわゆる付加物則ち敷地の構成部分ということができる。従つて、本件輪中堤は堤防自体その敷地と別個独立に損失補償の対象とはならないから、右輪中堤の一部である本件土地も堤防として別個独立に損失補償の対象となるものではない。

ところで、<証拠>によれば、同証人が鑑定時に実地に見た結果の常識的な判断としては、土壌の単なる堆積即ち土地の構成部分ではなく、土地とは別個の物件で土地収用法上の定着物であり、このことは、右輪中堤が人工的に作られ、それなりの歴史・由来があり、鑑定当時も人工的に作られた堤防としての原形を失なつていなかつたことから裏づけられるとする見解のあることを認めることができるが、同法上の定着物か否かは前述のとおり専ら物自体の客観的な性状によつて定まるのであつて、その物が人工的に作られたかどうか、その物の持つ歴史・由来がいかなるものかということには左右されないというべきであるから、本件輪中堤を定着物であるとする同証人の右見解は採用できない。

原告は、また、堤防が敷地と一体であるなら堤防の価値を堤防敷地の価格の中に含ませるべきであると主張するが、右に論述したように本件輪中堤は輪中堤敷地の付加物として右敷地と一体となつて存在し、右敷地はいわば堤防状土地というべきであるが、前記四に認定のとおり右敷地の一部分たる本件堤防敷地の相当な価格は付加物たる堤防が存在することを前提として堤防状土地としての価格であるから、原告主張のように堤防の価値をも含んでいるとみることができ、従つて、堤防自体の価値なるものがあるとしても、右価格とは別に補償を要するものではない。

五原告らは本件輪中堤の文化財的価値についての損失を、土地収用法八八条に規定する土地の収用使用によつて土地所有者らが通常受ける損失として、その補償を求めているものと解せられる。

ところで、原告主張の文化財的価値について考えてみるに、右は文化財保護法(昭和二五年五月三〇日法律二一四号)にいう文化財と同等の価値であると解せられるが、同法にいう文化財とは、要するに建造物・家屋・古墳・都城跡等でわが国にとつて歴史上・学術上価値の高いもの等(同法二条一項)であり、かかる文化財としての価値は単なる主観的感情的価値とは異なり、一個の客観的な価値というべきであり、しかも、経済的に評価しうるものであると考えることができる。そして、土地収用法八八条は、一般的な客観的利用価値(同法七二、七三条はかかる価値についての損失補償である)以外の特殊な客観的価値についての損失をも通常受ける損失として補償する趣旨と解せられるから、右文化財的価値についての損失は右通常受ける損失として補償の対象になるというべきである。

被告は損失補償の対象たりうる文化財的価値は文化財保護法等により文化財として指定され、または、指定するにたりる程度のものでなければならないと主張するが、同法による文化財の指定は文化財保護行政上の目的からなされるものであるから、右指定の有無ないし指定するにたりるかどうかは損失補償の要否を決する基準とはならないので、右主張は採ることができない。

前記三において認定した本件輪中堤(本件突出堤および環状堤)の築造経緯・形状・機能等についての各事実に、<証拠>を総合すれば、本件福原輪中堤の特質は、一 形成過程から見た場合、右輪中堤はその環状堤が江戸時代初期に形成され、昭和四二年当時まで完全に連続した形で残存した唯一の輪中堤であつたこと(岐阜・三重・愛知三県下に江戸時代数多く存在した輪中堤は明治時代以降、いわゆる三河川分流工事等により大きく変更、増築がなされたのが実状であつた。)、請負新田を開発した地主加藤家が自費で独自に築造し、明治時代以降も同家が主体的に維持してきたものであつたこと(輪中堤を新しく作るといつた大工事は何らかの形で幕府・大名の資金的援助を仰ぐのが実状であつた。)および輪中堤内の住民が輪中堤の維持・強化に日夜腐心して自らの手で生命・財産を保全し、輪中堤を中心とした地域共同体の自治の象徴的存在であつたこと(明治政府以降、河川管理に関する国の力が強化されるにつれ、輪中堤の管理も次第に国の手に移り、それにつれて、輪中民の自ら輪中堤を維持強化していくという意識が弱まるのが実態であつた)。二 水防機能からみた場合、本件輪中堤のうち突出堤は、明治時代中期、前記三河川分流工事に関連して立退きを余儀なくされた住民十数戸を環状堤外に収容するために環状堤北部に築造されたもので、洪水から右住民を護り、突出堤・環状堤間の区域を浄水域にし、土砂を堆積させ、併せて環状堤を補強するといつた諸機能を有し、他の輪中堤には見られない特色ある性格を持つていたこと。三 輪中堤としての一般的特質を見た場合、輪中堤は治水の基本策として発展し、わが国治水史上独自の位置を占める。即ち、一五、六世紀以降、農業を中心とした社会的生産の発展と共に、大河川下流域の開発がなされるに至つたが、木曾・長良・揖斐三河川流域においては、中流域の扇状地と下流域の三角洲地帯が直ちに接合する河流状態は河道を極めて流動的にし、流出土砂の堆積によつて網の目状の河流の各所に開発可能な高所を造成するに至るという地理的条件に対応して、その高所のうち比較的に安定した土地が耕地として開発されることとなつたが、右開発の過程における治水策が輪中堤生成という形で現われたのであり、前記二において認定したとおり、本件輪中堤は正にかかる輪中堤のうちの一つであつたこと、従つて、本件輪中堤は江戸時代末期以降の築堤技術の推移・新田開発による農業生産の発展、治水事業の進歩および村落共同体の実態等を知るうえでまたとない資料を提出するものであつて、従つて、また、高等学校の社会科地理の教科書において、村落形成の形態の一つとして「輪中」即ち本件輪中堤が紹介されていることをそれぞれ認めることができる。

右認定事実によれば、本件輪中堤は歴史的・人文地理学的にすぐれて価値の高いものであるということができるから、右輪中堤は前記文化財価値を有するものということができる。

かかる文化財的価値が、本件各収用にあたつてどのように補償せらるべきかは問題であるが、公共事業の施行に伴う公共補償基準(昭和四二年二月二一日閣議決定)によれば、公共施設等の補償は、同等物を建設してするとしている。そしてその一四条によれば、公共機能が失われても公益を害しないような場合には一般の補償基準によるとしていることから考えて、本件輪中堤は先に認定してところより公共施設となることができるが、国による新堤の建設のため収用により公共施設としての機能を失い、かつ、他に同等の施設が必要ともいえない本件においては、等質物の建設費を以つて補償することもない。結局輪中堤の経済的価値を算定し、その限度で補償すべきこととなろうが、前記のとおり、歴史的・人文地理学的な価値は、いわば一般国民全体にとつての公共的価値であり、本件の如く本件輪中堤を所有・占用する個人の経済的利益が増加するものでもないと考えられるし、そもそも右にいう文化財的価値自体には経済的価値は算定することができないものと考えるべきであろう。

ところで前顕各鑑定の結果によれば、各鑑定人において、本件輪中堤の文化財的価値の評価額が、右堤防の再調達原価(再建設費用)に対する一定比率を以つて算定し、かつ、右一定比率につき裁判例(鳥取地方裁判所昭和四四年(ワ)二一〇号同四七年三月一七日判決)における神社大鳥居の再建費用に対する歴史的価値の比率七対二を参考にして、それぞれ三対一、二対一と算出していることを認めることができるけれども、その算定根拠について首肯するに足りる合理的説明が未だ十分でなく、当裁判所の採らないところである。而して、他に前記文化財的価値を補償すべきであることを認めさせるに足りる適切な証拠はない。従つて、右の補償を求める原告の主張は理由がない。

六原告らは、本件土地の緊急使用により生じた損失の補償(土地収用法一二四条一項)について、本件第一土地および第二土地占用権の各評価額の六パーセントが年間の使用料であり、その使用日数分が損失補償額である旨主張するが、本件土地が堤防として別個独立の補償の対象とならないことは先に論述したとおりであるから、その緊急使用による損失についても右堤防敷のそれと別個独立に考慮されるものではないし、同条項によれば緊急使用による損失については同法七三条(土地使用の損失補償)が準用され、当該土地および近傍類地の地代、借賃等を考慮した使用開始時における相当な価格をもつて補償されるべきであるところ、原告主張の本件堤防敷地相当価格の六パーセントをもつて右相当な価格であるとするにはその根拠が明確でなく、右主張を認めさせるにたりる証拠もない。却つて、本件長良川福原改修事業のごとき建設省直轄公共事業の施行に伴う損失補償の基準となる「建設省の直轄の公共事業の施行に伴う損失補償基準」(昭和三八年建設省訓令第五号)二四条、「同基準の運用方針」(同年四月一三日建設事務次官通達)第八によれば、土地使用の補償は使用する宅地・宅地見込地・農地についてはその正常な取引価格に六パーセント、林地・その他の土地については五パーセントを乗じて得た額を参考にするとされており、他に前記相当な価格を定めるにつき適切な資料のない本件においては、当裁判所は本件堤防敷地を右にいうその他の土地とみて(但し、占用権については七一条が準用される趣旨から考えて)右敷地の正常な取引価格の五パーセントをもつて補償されるべきであると思料する。そして、土地収用法七一条の収用土地の相当な価格とはその客観的取引価格と解されていることは前述したとおりであつて、右敷地の相当な価格をもつて右正常な取引価格とみなすことができるから、前記認定にかかる右相当価格3.3平方メートル当り一、五〇〇円の五パーセント同七五円をもつて本件堤防敷地即ち本件土地の3.3平方メートル当りの緊急使用による損失補償額というべきである。

七原告らは、本件土地の土地収用および権利収用によつて生ずる本件輪中堤東部の残存個所(残存私有堤・認定堤)について、本件収用法七四条の残地または残地の占用権(同法一三八条による七四条の準用)に生ずる損失の補償を請求するが、前記六において論述したように、堤防は土地収用法上別個独立に損失補償の対象となるものではないから、かかる堤防について残存堤防を同条にいう一団の土地における残地と考える余地はないものというべきである。従つて、原告らの右残地補償請求は理由がない。

八以上の各認定に基づき、本件収用および緊急使用により原告らの受けた損失額を算出すると、

(一)  本件第一土地の土地収用による損失

第一土地(堤防敷地)の相当な価格一、〇三〇、五〇〇円(六八七坪×一、五〇〇円)

(二)  本件第二土地の権利収用による損失

第二土地(堤防敷地)占用権の相当な価格一、三五〇、〇〇〇円(九〇〇坪×一、五〇〇円)

(三)  本件土地の緊急使用による損失

本件第一土地使用および第二土地占用権使用五四、四五八円

立竹木補償  四〇二、九四〇円

(当事者間争いない)

合計     四五七、三九八円

以上総合計二、八三七、八九八円となる。

九以上の次第で、本件土地収用裁決における損失補償額五四九、五九六円、本件権利収用裁決における損失補償額七一九、九八五円、本件緊急使用に伴う損失補償裁決における損失補償額四三一、九四一円はそれぞれ変更を免れず、原告の右各損失補償額裁決の変更を求める各請求は右各認定の限度において正当として認容し、原告の給付を求める各請求については、右各認定の損失補償額の合計二、八三七、八九八円から、右各裁決額の合計額一、七〇一、五二二円を差し引いた一、一三六、三七六円及びうち第一、第二各土地に対する裁決額と前記認定額の差額一、一一〇、九一九円に対する本件各収用時期昭和四二年一二月二八日の翌日より完済に至るまで、うち本件土地緊急使用に対する裁決額と前認定額との差額二五、四五七円に対する本件補償時期同四三年三月三一日より完済に至るまで、それぞれ年五分の割合による金員の各支払を求める限度において正当であるから各認容し、その余は失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条を適用し、仮執行の宣言は付さないことにして主文のとおり判決する。

(山田義光 鏑木重明 樋口直)

第一物件目録、第二物件目録、別表(一)〜(三)<省略>

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