名古屋地方裁判所 昭和44年(わ)903号 判決 1972年2月15日
被告人 竹内義次
昭二三・一〇・一二生 学生
佐々木了
昭一八・四・四生 会社員
主文
被告人佐々木了を懲役六月、同竹内義次を懲役二月に処する。
この裁判確定の日から、被告人佐々木に対し二年間、被告人竹内に対し一年間それぞれその刑の執行を猶予する。
訴訟費用は、その二分の一ずつを各被告人の負担とする。
被告人竹内に対する本件公訴事実中、道路交通法違反の点については、同被告人は無罪。
理由
(罪となるべき事実)
第一、被告人両名は二十数名の者と共謀のうえ、昭和四四年四月二八日午後一一時ころ、名古屋市中区錦三丁目二二番二四号付近広小路通り車道上において、同車道一杯に丸太、鉄筋コンクリート角柱、鉄製枠付金網、立看板等を並べて障壁を構築したうえ、その付近に立ちはだかるなどして車両の通行を阻止し、もつて陸路を壅塞して往来の妨害を生ぜしめ
第二、被告人佐々木了は、十数名の者と共同して同日午後一一時過ぎころ、同区錦三丁目二二番二三号所在愛知県中警察署栄派出所付近の路上から、同派出所正面引戸などをめがけてコンクリート塊を十数回投げつけ、さらに同所正面に至り角材で右引戸および同所備付の電話器などを数回強打し、もつて前記警察署長警視正加藤甚平管理にかかる引戸の鉄線入り特殊ガラス、門燈、電話器など合計二十数点(被害額六万四千円余相当)を損壊し
たものである。
(証拠の標目)(略)
(法令の適用)
被告人両名の判示第一の所為は刑法第一二四条第一項、第六〇条、罰金等臨時措置法第三条第一項第一号に、被告人佐々木の判示第二の所為は暴力行為等処罰ニ関スル法律第一条、刑法第二六一条前段、罰金等臨時措置法第三条第一項第二号に該当するので、いずれも所定刑中懲役刑を選択し、被告人佐々木の判示各所為は刑法第四五条前段の併合罪であるから同法第四七条、第一〇条により重い判示第二の罪の刑に法定の加重をし、右それぞれの刑期の範囲内で被告人佐々木を懲役六月に、同竹内を懲役二月に処し、情状により同法第二五条第一項を適用してこの裁判確定した日から被告人佐々木に対して二年間、同竹内に対して一年間それぞれその刑の執行を猶予し、訴訟費用は刑事訴訟法第一八一条第一項本文を適用してその二分の一ずつを各被告人に負担させることとする。
(弁護人の判示第一の犯罪の成否についての主張に対する判断)
弁護人は、往来妨害罪における「壅塞」の概念は極めて厳格に解すべきであつて、それは陸路、水路、橋梁の損壊と等価値の交通妨害行為でなければならないところ、本件妨害行為は、小数の者により短時間のうちになされ、その復元も容易なものであり、また現にその障碍物を乗りこえて通行する車両もあつたから、未だ「壅塞」というに該らないというべく、かりに「壅塞」行為があつたものとしても、判示道路の北側車道部分について認められるに過ぎない旨主張するが、「壅塞」とは、有形の障碍物をおいて道路を遮断することであり、その結果人や車両の往来を困難ならしめる状態を招来すれば、本罪の成立することは論をまたないところであつて、判示第一の所為は優に右構成要件を満たすに足るものであることが明らかである。右障碍物による道路の遮断行為が短時間のうちに容易になされたか否かは、本罪の成否に影響するものでなく、また行為の性質、内容を異にする「損壊」行為との難易を比較し本罪の成否を決せられるべきものではない。また、前記挙示の各証拠を綜合すると、障碍物を乗りこえて通過する車両もあつたが、多くは余儀なく迂回するかそのまま停止していたものであり、右障碍物を乗りこえて通過した車両も「壅塞」行為の完了する以前においてみられたに過ぎないものであることが認められるから、判示の「壅塞」行為は、往来の妨害を生ぜしめるに至る程度のものであつたことは明らかである。また、判示道路の北側車道部分には、ほぼ列をなして前示証拠物の敷石破片、コンクリート塊、小石などが多数並べられていたことが認められ、一般的にみて、車両が安全を保持してそれを通過し難い状態に至つていたということができるから、判示認定のとおり道路全体にわたり壅塞による往来妨害の結果が生じていたものと認定できる。従つて弁護人の右主張は理由がない。なお付言するに、前記挙示の証人山口久幸の供述記載中、被告人竹内が率先して判示第一の行為をなしたが如き内容の供述部分は、これを目撃したとするその前後の状況に照らしみてたやすく措信し難いが、被告人両名が右犯行に関与したことは当公判廷および検察官に対しそれぞれ自供しているところであり、これと前記挙示の各証拠を綜合すれば、判示第一の事実のとおり認定することができる。
(無罪の判断)
被告人竹内に対する道路交通法違反の公訴事実は「被告人は数十名の者と共謀のうえ、愛知県中警察署長警視正加藤甚平の許可を受けないで、昭和四四年四月二八日午後一〇時四〇分ころから同五〇分ころまでの間、名古屋市中区栄三丁目二番七号付近から同区錦三丁目二三番一七号付近に至る広小路通車道上において、五、六列の縦隊を組み、同車道一杯にわたるうず巻行進、だ行進などを繰り返えし、もつて一般交通に著しい影響を及ぼすような通行の形態で集団行進をしたものである」というにある。
よつて、判断するに、(証拠略)を綜合すると、被告人竹内が他の者らと共に、愛知県中警察署長の許可を受けないで、右日時、場所において、集団行進をしたことが認定できるが、以下について述べるとおり、右集団行進が、参加人員、行進の態様、道路および交通の状況に照らしみて、一般交通に著しい影響を及ぼすとみられる形態でなされたものとは認められない。すなわち、
一、(1) 集団行進の参加人員については、それを目撃した右各証人の証言内容が、六、七〇名、五〇名位、三、四〇名、二、三〇名というようにまちまちであり、しかも、いずれも概ねの目安で述べているに過ぎないので、いずれの証言内容が正確かをたやすく断定し難いが、右各証言を綜合検討してみると、概ね三、四〇名程度のものであつたと認めるのが相当と思われる。
(2) 鈴木仁外一名作成の昭和四四年四月三〇日付実況見分調書添付図面第三によると、右集団行進のなされた前記広小路通り車道は、東西に通じ、その総幅員が二一メートルで、中央部分四・〇四メートルは市電軌道敷となつていてレールが敷かれ、その北側部分が九・一メートル、南側部分七・八六メートルの車道となっており、右車道の両側にはそれぞれ四ないし四・五メートルの歩道が設けられていること、集団行進のなされた名古屋市中区栄三丁目二番七号(明治屋)付近から同区錦三丁目二三番二一号(安藤証券ビル工事場)付近に至る距離は、約六〇メートルないし七〇メートル位であり、右栄三丁目二番七号付近において明治屋東側の呉服町通りと称する南北に通ずる幅員一一・〇五メートルの通路が交叉していることが認められる。
(3) 証人村上克尚の証言を除く前掲各証拠を綜合すると、広小路通りにおける右三、四〇名の者による集団行進は、右栄三丁目二番七号明治屋北東角付近から発進し、右呉服町通りとの交叉点の横断歩道を北側車道に渡り、次いで北側車道上を東進し、右錦三丁目二三番二一号(安藤証券ビル工事場)手前で一時中断して歩道に上り、次いで再び同所付近の道路を南側に横断して、車道で集団行進をはじめ、西進して呉服町通りとの交叉点付近に達し、同所付近で歩道に上り、集団行進を終了したものであることが認められる。ところで、証人村上克尚は、デモ隊が広小路通りの右区間における集団行進を二、三回繰り返えした旨証言しているのであるが、前記各証言に照らして右証言部分は採用し難い。次いで、その行為の態様をみるに、(証拠略)を綜合すると、右集団行進は明治屋北東角から発進し、横断歩道寄りにそつて北側に渡り、当初は気声をあげ蛇行進するなどして東進したこともあつたが、それも瞬時のことであり、その後は、道路を横断する際には青信号を待つて進行し、さらに西進した際は歩道寄りにそつて直行し呉服町通りの交叉点に至つたものであることが認められる。
(4) 右各証拠および前記実況見分調書によると、集団行進のあつた右広小路通りは、名古屋市市街地の最も中心部を通る主要道路であり、従つて日常の交通も頻繁であるが、右集団行進のあつた当時においては、当日デモ行進のあることを知つてか通行する車両も比較的少く、右集団行進によつて、一時徐行する車両も若干みられたのみで殆んど交通に支障を及ぼすことがなかつたことが認められる。
なお、司法警察員鈴木仁外一名作成の昭和四四年五月二一日付実況見分調書には、右警察官らが昭和四四年五月一九日午後一〇時三〇分から五分間、同一〇時四〇分から五分間、右集団行進の行なわれた前記広小路通りの通行車両数を測定した結果、東進する車両、西進する車両を合わせて第一回目が計一七五台、第二回目が計一七七台である旨の記載があるが、右集団行進を目撃した前掲各証人の証言によつても、集団行進の行なわれた当時車両の通行がひん繁であつたことが窺えないのみならず、司法巡査中尾淳一郎作成の現認報告書により明らかなとおり、右集団行進のあつた当日夜は、名古屋市中区栄三丁目所在通称久屋市民広場を中心に広小路通にも及んで反安保沖繩斗争実行委員会など主催の「沖繩奪還、安保粉砕」を目的とする集会およびデモが行われたのであるから、これを知つて広小路通りの通行を避けた車両が多かつたため当日夜の車両の交通量に影響を及ぼしているとも考えられないでないから、日を異にした前記交通量測定の結果のみをもつて、ただちに右集団行進のあつた日の交通状況を推測するのは当を得ない。
二、ところで、愛知県内において、道路において集団行進する場合、あらかじめ所轄警察署長の許可を要することを定めた前記愛知県道路交通法施行細則第九条第一項第四号は、道路交通法第七七条第一項第四号の委任規定、すなわち所轄警察署長の許可を受けることを要するものとして、「前各号(同項の第一ないし第三号)に掲げるもののほか、道路において祭礼行事をし、又はロケーシヨンをする等一般交通に著しい影響を及ぼすような通行の形態、若しくは方法により道路を使用する行為又は道路に人が集まり一般交通に著しい影響を及ぼすような行為で、公安委員会が、その土地の道路又は交通の状況により、道路における危険を防止し、その他交通の安全と円滑を図るため必要と認めた者」をも含ましめることとした右条項に基づいたものであるが、右委任の趣旨に照らすと、施行細則において事前の許可を要すべき一般交通に著しい影響を及ぼす形態の集団行進に該当するものか否かは、当該道路および交通の状況とも照応して類型的に決せられるべきものであると解する。換言すれば、一定の形態の集団行進が、一定の道路および交通の状況の下において、一般交通に著しい影響を及ぼす虞れが生ずると一般的にみられないものについては、要許可事項としての、一般交通に著しい影響を及ぼす形態の集団行進に該当しないというべきである。なお、要許可事項としての集団行進が、本件のように思想表現の一形態としての示威行進であるにおいては、その事前規制が、憲法によつて保障される表現の自由の制限につながるものであることは自明であり、この点をも考慮するならば、右施行細則が、行為のなされる道路および交通の状況に照らし、一般交通に著しい影響を及ぼす虞れのない集団行進をも要許可事項とした趣旨と解することは、憲法違背の疑念も生ずることとなり、その解釈の不当であることは明らかである。
三、右観点にたつて、前記認定したところに従い、被告人竹内が参加してなされた右集団行進が、一般交通に著しい影響を及ぼす態様のものと言えるか否かを検討するに、右集団行進は参加人員三、四〇名位の小規模のものであり集団行進をなした距離もそう長いものでなく、その所要時間も行進を中断した時間を入れて一〇分に満たない短時間のものとみられること、一時集団行進が蛇行進によりなされたこともあつたが、道路幅が広いうえ参加人員も少いこともあつて、その際にも道路をへい塞するようなことはなく、全体的にみて集団行進自体は平穏裡に終つたこと、集団行進のなされた場所は、市中心部の主要道路であるが、時刻も午後一一時近く、前記のような事情で当時の交通量がそう多くなかつたことの諸点を綜合して考えると、右集団行進が、一般的にみて、一般交通に著しく影響を及ぼすような態様のものであつたとは断じ難い(現に、右集団行進によつて車両の通行に対する影響が殆んどなかつたことは前記認定のとおりである)。なお、検察官の冒頭陳述によると、右集団行進の開始が被告人竹内の合図によつてなされたというのであるが、全証拠を精査するもそのような事実を認め得る証拠はない。
以上のとおり、被告人竹内の参加した本件集団行進は一般交通に対する影響を及ぼすような形態のものとは認められず、従つてあらかじめ所轄の愛知県中警察署長の許可を要しないものであつたから、同被告人の右所為は道路交通法第七七条第一項第四号、第一一九条第一項第一二号、前記同法施行細則第九条第一項第四号に違反するものということはできず、結局同被告人の道路交通法違反の公訴事実について犯罪の証明がなかつたことになるので、同被告人に対し刑事訴訟法第三三六条後段により無罪の言渡をすべきものである。
よつて、主文のとおり判決する。