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名古屋地方裁判所 昭和44年(ワ)2337号 判決 1978年9月22日

原告(反訴被告) 医療法人資生会

被告(反訴原告) 近藤徳夫

主文

一  本件境界確定の訴を却下する。

二  別紙図面(二)の<イ><ロ><ハ><ニ><ホ><ヘ><ト><イ>点を順次結んだ直線で囲まれた土地は、原告(反訴被告)の所有であることを確認する。

三  被告(反訴原告)は原告(反訴被告)に対し、別紙物件目録記載(二)の土地につき、真正な登記名義回復を原因とする所有権移転登記手続をせよ。

四  原告(反訴被告)のその余の請求を棄却する。

五  被告(反訴原告)の反訴請求をいずれも棄却する。

六  訴訟費用は本訴反訴を通じこれを三分し、その一を原告(反訴被告)の負担とし、その余を被告(反訴原告)の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  本訴

1  第一次的請求の趣旨

(一) 別紙物件目録記載(一)の土地と同記載(二)の土地との境界は、別紙図面(二)の<イ><ロ>点を結ぶ直線であることを確定する。

(二) 訴訟費用は被告(反訴原告。以下被告という)の負担とする。

2  第一次的請求の趣旨に対する答弁

(一) 別紙物件目録記載(一)の土地と同記載(二)の土地との境界は、別紙図面(二)の<ホ><ヘ><ト>点を順次結んだ直線であることを確定する。

(二) 訴訟費用は原告(反訴被告。以下原告という)の負担とする。

3  第二次的請求の趣旨

(一) 主文第二項と同旨。

(二) 別紙図面(二)の<イ><ロ><ヘ><リ><チ><ト><イ>点を順次結んだ直線で囲まれた土地は、原告の所有であることを確認する。

(三) 主文第三項と同旨。

(四) 訴訟費用は被告の負担とする。

4  第二次的請求の趣旨に対する答弁

(一) 原告の請求をいずれも棄却する。

(二) 訴訟費用は原告の負担とする。

二  反訴

1  請求の趣旨

(一) 別紙図面(二)の<イ><ロ><ハ><ホ><ヘ><ト><イ>点を順次結んだ直線で囲まれた土地は、被告の所有であることを確認する。

(二) 原告は被告に対し、別紙図面(二)の<イ><ロ><ハ><ホ><ヘ><ト><イ>点を順次結んだ直線で囲まれた土地を明渡し、かつ、昭和三七年一二月二五日から昭和三九年一二月三一日までは一か月三・三平方メートル当り金二〇〇円、昭和四〇年一月一日から昭和四三年一二月三一日までは一か月三・三平方メートル当り金三五〇円、昭和四四年一月一日から右土地明渡しずみに至るまで一か月三・三平方メートル当り金四五〇円の各割合による金員を支払え。

(三) 訴訟費用は原告の負担とする。

(四) 仮執行宣言

2  請求の趣旨に対する答弁

(一) 主文第五項と同旨。

(二) 訴訟費用は被告の負担とする。

第二当事者の主張

一  本訴

1  第一次的請求について

(一) 請求原因

(1)  公簿上、原告が別紙物件目録記載(一)の土地(以下本件(一)の土地という)の所有者名義を、被告が同記載(二)の土地(以下本件(二)の土地という)の所有者名義をそれぞれ有し、右両土地は相隣接しているところ、右両土地の境界につき原被告間で争いがある。

(2)  本件(一)、(二)の土地の境界は、別紙図面(二)の<イ><ロ>点を結ぶ直線(以下A直線という)である。

その根拠は、次のとおりである。

(イ) 境界線の合意について

本件(一)、(二)の土地は、もと旧字裏山七〇番の一畑約一反五畝二歩として訴外後藤幸三(以下訴外後藤という)の所有に属していたが、終戦後は同人より訴外稲熊長太郎(以下訴外長太郎という)が借り受けて耕作していたところ、旧字裏山七〇番の一の土地に隣接する字山田一番の一の土地を買い受けた被告の先代訴外亡近藤源一(以下訴外源一という)他四名との間に昭和二二年七月頃土地の境界について争いが起き、結局その頃、訴外長太郎と訴外源一が立会いのうえ土地を実測して、A直線を本件(一)、(二)の土地の境界とする旨の合意を結んだのである。

しかしながら、右に述べたように旧字裏山七〇番の一の土地を訴外長太郎と訴外源一の間で分割したにもかかわらず、公簿上は何ら分割の手続が為されなかつたため、昭和二二年一〇月二日国が自作農創設特別措置法に基づき旧字裏山七〇番の一の土地を訴外後藤より買収したのと同時に、国は右土地を訴外長太郎に売渡したのであるが、右実状に符合させるため訴外長太郎に対する右売渡は修正され、右土地は本件(一)、(二)の土地に分割されたうえ、本件(二)の土地が訴外源一に売渡されたのである。

(ロ) 公図について

加藤健一郎の鑑定によると、別紙図面(二)の<オ><ワ>点を結んだ直線(以下B直線という)を、名古屋市昭和区天白町大字八事字裏山七〇番の二、七〇番の八と同町大字八事字山田一番の一の字界線(以下本件字界線という)とした場合、B直線以北の土地が字裏山の公図と相似形にあるのに対し、同図面(二)の<イ><ロ><ハ><ニ>点を順次結んだ直線(以下A´直線という)を本件字界線とした場合にはA´直線以北の土地は字裏山の公図と地形的に異なることが認められる。従つて、公図上B直線とA´直線を比較すれば、本件字界線としてはB直線の方が妥当である。

もつとも、B直線を本件字界線とした場合、B直線以南の土地が字山田の公図と地形的に異なるが、それは字山田一番の一の土地がその西側の土地所有者から東にせりこまれたことが原因なのであるから、B直線がA´直線よりも本件字界線としては妥当であるとの結論に影響しない。

しかし、B直線を本件字界線とした場合、その実測距離は九七・五メートルであるところ、字裏山の公図、字山田の公図より認められる本件字界線の距離は六四メートル、七一メートルであり、実測距離が公図上の距離よりも長すぎることとなり、このことは本件字界線はB直線よりもさらに南に位置していることを示している。別紙図面(二)の二一二度一一分一〇秒地点と一八七度一分〇秒地点の距離が七〇・五メートルで、別紙図面(一)の字裏山の公図、字山田の公図の各<ロ><ハ>点の距離と大体一致し、かつ、別紙図面(二)の二一二度一一分一〇秒地点と一四三度二六分五〇秒地点の距離と別紙図面(一)の字山田の公図の<イ><ロ>点の距離がともに五六メートルで一致することを考えれば、本件字界線は、B直線より南に位置する別紙図面(二)の二一二度一一分一〇秒地点と一八七度一分〇秒地点を結んだ直線と解するのが合理的である。

(ハ) 面積について

前記(ロ)で主張したように、字山田一番の一の土地は西側の土地所有者から東にせりこまれたため、その実測面積が公簿上の面積よりも少なくなつているのであるから、単に面積の広狭だけから本件字界線を判断すべきではない。

(ニ) 占有状況について

訴外長太郎は、A直線を本件(一)の土地の南境としてその北側の土地を占有してきた。

(ホ) 段落について

昭和四五年五月頃、日本電信電話公社が整地するまでは、別紙図面(二)の<ヌ><ル>点を結ぶ直線上に約一メートルの段落が存在し、右段落が本件字界線であつた。

(ヘ) 以上の<イ><ロ><ハ><ニ><ホ>の各事実によれば、A直線が本件(一)、(二)の土地の境界であり、本件字界線は、別紙図面(二)の二一二度一一分一〇秒地点と一八七度一分〇秒地点を結んだ直線と解するべきである。

(3)  よつて、原告は、本件(一)、(二)の土地の境界の確定を求める。

(二) 請求原因に対する認否

(1)  請求原因(1) は、認める。

(2)  A直線は、本件(一)、(二)の土地の境界ではなく、本件字界線の一部であり、本件(一)、(二)の土地の境界は、別紙図面(二)の<ト>点(<イ>点から防災道路八事天白渓線の道路側溝に沿つて北へ直線で一五・五二〇メートルの地点)と、<ホ>点(<ハ>点から北へ直線で一五・一五〇メートルの地点)を結んだ直線(以下C直線という)である。

その根拠は、次のとおりである。

(イ) 字界線の合意について

訴外源一他四名は、昭和二二年七月二二日、字山田一番の一の土地を買い受けたところ、右土地の北側隣接地を耕作していた訴外長太郎が本件字界線を越えて耕作していたため、土地の境界について争いが起きたが、訴外長太郎と訴外源一との間で、別紙図面(二)の<イ><ロ><ハ>点を順次結んだ直線(以下A″直線という)を字山田一番の一の土地と旧字裏山七〇番の一の土地との字界線とする旨の合意が成立し、訴外長太郎は訴外源一に対し、その越境部分を明渡したのである。

(ロ) 公図について

字裏山の公図を基準とした場合、本件字界線はB直線となるが、他方、字山田の公図を基準とした場合、本件字界線はB直線と異なつてくるのである。従つて、公図上からB直線の方がA´直線よりも本件字界線としては妥当であるとの結論は出てこない。

別紙図面(一)の字山田の公図(ロ)の角度は九五度、同図面(一)の字裏山の公図(ロ)の角度は八二度であるところ、同図面(二)の二一二度一一分一〇秒地点と一四三度二六分五〇秒地点を結んだ直線の延長線とA´直線の交差する角度は九五度で、同図面(一)の字山田の公図(ロ)の角度と一致するが、右延長線とB直線の交差する角度は七五度で、同図面(一)の字裏山の公図、字山田の公図の各(ロ)の角度と相違するものであるから、公図上からもA´直線を本件字界線とするのが正しい。

(ハ) 面積について

加藤健一郎の鑑定によると、A´直線を本件字界線とした場合、字裏山七〇番の二、七〇番の八、七〇番の一、七〇番の一四、七〇番の三、七〇番の四の公簿上の総面積は八二五八・九七平方メートル、実測面積は八九九七・〇五平方メートルになり、実測面積が公簿面積より七三八・〇八平方メートル多くなるが、字山田一番の一、一番の二、一番の三の公簿上の総面積は七〇七九・六六平方メートル、実測面積は六七三八・一三平方メートルになり、実測面積が公簿面積より三四一・五三平方メートル少なくなる。

ところが、B直線を本件字界線とした場合には、A´直線を本件字界線とした場合以上に、字裏山七〇番の二、七〇番の八、七〇番の一、七〇番の一四、七〇番の三、七〇番の四の公簿上の総面積が実測面積よりも著しく多くなるのに対し、字山田一番の一、一番の二、一番の三の実測面積が公簿上の総面積よりも著しく少なくなる。

(ニ) 占有状況について

訴外源一他四名は、昭和二二年七月以来、A´直線を本件字界線とし、その南側の土地を字山田一番の一として占有を継続し、昭和二六年七月一日同人らより字山田一番の一の土地を買受けた日本電信電話公社(当時は電気逓信省)もA´直線を本件字界線として、別紙図面(二)の<イ><ニ>の各点に石杭を打ちこみ、その南側の土地に本造瓦葺平家建の社宅を建設し、昭和四五年頃右社宅を取り毀したうえ、鉄筋コンクリートの社宅を新築している。

以上の<イ><ロ><ハ><ニ>の各事実によれば、A″直線は、本件(一)、(二)の土地の境界ではなく、本件字界線の一部であることは明白である。そしてA″直線より北に四八九平方メートルの面積を有する土地が本件(二)の土地なのであるから、本件(一)、(二)の土地の境界は、C直線と解するのが合理的である。

2  第二次的請求について

(一) 請求原因

(1)  訴外長太郎は、昭和二二年一〇月二日又は二三年一〇月二日、別紙図面(二)の<イ><ロ><ヘ><リ><チ><ト><イ>点を順次結んだ直線で囲まれた土地(以下本件係争地甲という)又は<イ><ロ><ハ><ホ><ヘ><ト><イ>点を順次結んだ直線で囲まれた土地(以下本件係争地乙という)を、自己の所有と信じるにつき過失なく占有を開始し、以後その占有を継続した。

(2)  訴外長太郎は、昭和三七年一月二四日死亡し、稲熊捨春(以下訴外捨春という)が訴外長太郎を相続し、本件係争地甲又は本件係争地乙の占有を継続した。

(3)  原告は、昭和三七年一二月二五日、訴外捨春より本件係争地甲又は本件係争地乙を買い受けるとともに、同人よりその占有を承継して現在に至つている。

(4)  従つて、原告は、訴外長太郎が昭和三二年一〇月二日又は昭和三三年一〇月二日の経過によつて民法一六二条二項により時効取得した本件係争地甲又は本件係争地乙の所有権を、訴外捨春、原告と順次承継して取得し、また仮に訴外長太郎の本件係争地甲又は本件係争地乙の占有開始に過失があつたとしても、原告は、訴外長太郎と訴外捨春と自己の占有期間を通算して、昭和二二年一〇月二日又は昭和二三年一〇月二日から、昭和四二年一〇月二日又は昭和四三年一〇月二日ころまで、本件係争地甲又は本件係争地乙の占有を継続して来たから、同条一項により、右期日の経過によつて本件係争地甲又は本件係争地乙の所有権を時効取得した。

(5)  しかるに、被告は、本件係争地甲又は本件係争地乙は被告の所有と主張している。

(6)  仮に、本件係争地甲又は本件係争地乙が本件(二)の土地と同一であるとしたならば、原告は前記のとおり、時効により本件係争地甲又は本件係争地乙を取得しているところ、本件(二)の土地登記簿には、被告が所有権を有する旨の記載がある。

(7)  よつて、原告は被告に対し、本件係争地甲又は本件係争地乙が原告の所有であることの確認を求めると共に、本件(二)の土地につき、真正な登記名義回復を原因とする所有権移転登記手続を為すことを求める。

(二) 請求原因に対する認否

(1)  請求原因(1) のうち、訴外長太郎が昭和二三年一〇月二日以来、本件係争地乙の占有を継続したことは認め、その余は否認する。

本件係争地乙は訴外長太郎が昭和二三年一〇月二日国から自作農創設特別措置法による売渡を受けた土地に含まれておらず、そのことは、売渡にあたり、登記簿、土地台帳、公図の調査をすれば容易に判明したのであるから、その占有の始めに過失があつた。

(2)  同(2) のうち、訴外長太郎が昭和三七年一月二四日死亡したこと及び訴外捨春が訴外長太郎を相続したことは認めるが、その余は否認する。

(3)  同(3) は、認める。

(4)  同(4) は、争う。

(5)  同(5) のうち、被告が本件係争地乙が被告の所有であることを主張していることは認めるが、その余は否認する。

(6)  同(6) のうち、被告が原告主張のような登記名義を有することは認めるが、その余は争う。

(7)  同(7) は、争う。

(三)抗弁

(1)  国の訴外長太郎に対する本件(一)、(二)の土地(当時両土地は旧字裏山七〇番の一と一筆の土地であつた)の売渡処分のうち、本件(二)の土地の売渡処分は、昭和二四年四月二日から同年一〇月二日までの間に取消されて、そのころその旨訴外長太郎に通知が為され、また、昭和二五年三月二日本件(二)の土地が訴外源一に売渡されたことを訴外長太郎は知つていたのであるから、訴外長太郎の本件係争地乙の占有は、所有の意思をもつてする占有ではなかつた。

(2)  訴外長太郎は、本件係争地乙の占有を昭和三四年八月ころから昭和三五年九月一日まで任意に中止した。

(3)  原告は、昭和三七年一二月二五日訴外捨春から本件(一)の土地を買い受け、昭和三八年一月二三日所有権移転登記を為したが、その際、公図を調査して本件係争地乙が訴外源一の所有に属することを知つていたのであるから、そのころ以降の占有は、所有の意思ある占有ではない。

(四) 抗弁に対する認否

(1)  抗弁(1) のうち、国の訴外長太郎に対する本件(一)、(二)の土地の売渡処分のうち、本件(二)の土地の売渡処分が取消されたことは認め、その余は否認する。

(2)  同(2) は、否認する。

(3)  同(3) は、否認する。

二  反訴

1  請求原因

(一) 本件(二)の土地は、もと訴外後藤の所有であつたところ、国は自作農創設特別措置法に基づいて、昭和二二年一〇月二日右土地を訴外後藤より買収し、昭和二五年三月二日これを訴外源一に売渡した。

(二) 本件係争地乙は、右土地の一部又は右土地と同一の土地である。

(三) 訴外源一は、昭和三五年九月一七日死亡し、被告が訴外源一を相続した。

(四) 原告は、本件係争地乙を原告所有の土地と主張し、かつ、昭和三五年九月一日ころ以降占有している。

(五) よつて、被告は、原告に対し本件係争地乙が被告の所有であることの確認を求めると共に、本件係争地乙の所有権に基づき、右土地の明渡及び昭和三七年一二月二五日から昭和三九年一二月三一日までは一か月三・三平方メートル当り金二〇〇円、昭和四〇年一月一日から昭和四三年一二月三一日までは一か月三・三平方メートル当り金三五〇円、昭和四四年一月一日から右土地明渡しずみに至るまで一か月三・三平方メートル当り金四五〇円の各割合による賃料相当額の損害金の支払を求める。

2  請求原因に対する認否

(一) 請求原因(一)のうち、訴外源一が本件(二)の土地の売渡しを受けた日が昭和二五年三月二日であることは否認し、その余は認める。

(二) 同(二)は、否認する。

(三) 同(三)は、認める。

(四) 同(四)は、認める。

(五) 同(五)は、争う。

3  抗弁

本訴第二次的請求(一)(1) ないし(4) と同旨。

4  抗弁に対する認否

本訴第二次的請求(一)(1) ないし(4) に対する認否と同旨。

5  再抗弁

本訴第二次的請求(三)(1) ないし(3) と同旨。

6  再抗弁に対する認否

本訴第二次的請求(三)(1) ないし(3) に対する認否と同旨。

第三証拠<省略>

理由

一  公簿上、原告が本件(一)の土地の所有者名義を、被告が本件(二)の土地の所有者名義をそれぞれ有していること、右両土地が相隣接していること、右両土地の境界について原被告間で争いがあることは、いずれも当事者間に争いがない。

二  そこで、本件(一)、(二)の土地の境界について検討する。

1  成立に争いのない甲第一一ないし一三号証、乙第八号証、第九号証の三、証人稲熊捨春(第一、二回)、同伊藤勉、同山田秀雄(第一、二回)の各証言、原告代表者水谷孝文の尋問結果及び被告本人尋問の結果(第二回)によれば、本件(一)、(二)の土地はもと旧字裏山七〇番の一畑一反五畝二歩として訴外後藤の所有であつたこと、昭和二一年ごろ訴外長太郎が自作農創設特別措置法に基づいて国から売渡しを受ける予定で訴外後藤から右土地を借受け、右土地に該当するものとして、本件係争地乙(約四畝二六歩)、その東側に隣接する土地(約九歩)、その北側に隣接する土地(約五畝)、その南側に隣接する土地(約五畝)合計約一反五畝二歩を耕作していたこと、昭和二二年一〇月二日国は、自作農創設特別措置法に基づき訴外後藤から旧字裏山七〇番の一の土地を買収し、昭和二三年一〇月二日右土地を訴外長太郎に売渡したこと、訴外長太郎は、旧字裏山七〇番の一の土地の南側に隣接する字山田一番の一の土地を昭和二二年七月訴外後藤より買受けた訴外源一から五畝土地が足りないと苦情を言われたため、本件係争地乙の南側に隣接する土地(約五畝)を明渡し、両者の境界をA″直線と決め、以後右直線の北側の土地を訴外長太郎が、A´直線南側の土地を訴外源一他三名がそれぞれ耕作したこと、訴外長太郎に対する右売渡は修正され、昭和二五年四月旧字裏山七〇番の一の土地は本件(一)、(二)の土地に分割のうえ、本件(一)の土地(当時約一反)が訴外長太郎に本件(二)の土地(当時約五畝)が訴外源一に売渡され、以後同人およびその相続人である被告は、本件(二)の土地の固定資産税を他の所有土地のそれと一括して納付してきたが、本件(二)の土地がどこに存在するか知らなかつたこと、訴外長太郎は右売渡処分の修正により約五畝の土地が訴外源一に売渡されたことを知悉していたが、本件係争地乙及びその北側に隣接した土地(約五畝)は自己に売渡された本件(一)の土地(約一反)に該当するものと信じて耕作を続け、同人の相続人の訴外捨春も本件係争地乙及びその北側に隣接した土地(約五畝)を本件(一)の土地として公簿上の坪数(九畝二六歩)で売買代金を定めて原告に売却したこと、原告は右売却を受けた土地を本件(一)の土地として農業委員会に農地転用の申請をしたところ、書類不備という理由で申請が認められず、このことにより、始めて本件(二)の土地の所在することを知り、被告に本件(二)の土地の権利書を渡すことを申入れたこと、被告も原告の右申入により、始めて本件(二)の土地の所在を知つたこと、訴外源一他四名は昭和二六年七月一〇日その耕作していたA´直線以南の土地を字山田一番の一の土地として日本電信電話公社(当時は電気逓信省)に売却し、右公社は別紙図面(二)の<ハ><ニ>の各点に石杭を打ち込み同図面(二)のA´直線以南の土地に社宅を建築して、現在に至つていることが認められ、右認定に反する乙第一号証は前掲各証拠に対比して措信することができず、他に右認定を覆えすに足りる証拠はない。

以上の認定事実によれば、訴外長太郎と訴外源一との間の境界の合意が、本件(一)の土地と本件(二)の土地の境界を定めたものか、旧字裏山七〇番の一の土地と字山田一番の一の土地の境界を定めたものか、そのどちらであるかは不明であるものの、A″直線を右訴外両人の耕作地の境界とする合意が為され、以後A´直線以北の土地は字裏山の土地として、A´直線以南の土地は字山田一番の一の土地として、右訴外両人らの占有が為されてきたことが認められる。

2  次に、本件(一)、(二)の土地及びその周辺土地などの面積について検討する。

加藤健一郎の鑑定結果及び弁論の全趣旨によれば、字裏山七〇番の二、七〇番の八、七〇番の一、七〇番の一四、七〇番の三、七〇番の四の公簿上の総面積は八二五八・九七平方メートルであるところ、A´直線を本件字界線とした場合、実測面積は八九九七・〇五平方メートルで増歩率八・九パーセントとなるのに対し、B直線を本件字界線とした場合、右よりも大きい増歩率となること、字山田一番の一、一番の二、一番の三の公簿上の総面積は七〇七九・六六平方メートルであるところ、A´直線を本件字界線とした場合、実測面積は六七三八・一三平方メートルで減歩率四・八パーセントとなるのに対し、B直線を本件字界線とした場合、右よりも大きい減歩率となることが認められる。被告は、字山田一番の一の土地はその西側の土地所有者から東へせりこまれたために実測面積が少なくなつている旨主張し、証人加藤健一郎の証言にも右主張に添う供述部分があるが、同時にその供述部分はあいまいで合理的根拠を欠くものであることが認められるのでたやすく措信することができず、他に被告の右主張を認めるに足る証拠はない。

右のように、公簿面積と実測面積とが一致しないことは、いわゆる「繩延び」とか「繩ちぢみ」とかいわれ、一般に知られているように往々に存する事態であるけれども、その不一致の程度は隣接との比較において、できるかぎり少なくなるように考えるのが衡平の理念に合するといわねばならない。

右認定事実によれば、本件字界線をA´直線又はB直線のいずれを仮定した場合でも、字裏山七〇番の二、七〇番の八、七〇番の一、七〇番の一四、七〇番の三、七〇番の四の総面積は増歩率を示し、字山田一番の一、一番の二、一番の三の総面積は減歩率を示すものの、右両土地の増歩率と減歩率の差はA´直線を本件字界線とした場合のほうが小さいのであるから、A´直線を本件字界線とするのが衡平に合するということになる。

3  次に、公図その他の図面について検討する。

成立に争いのない甲第八号証の一、二、証人加藤健一郎の証言及び同人の鑑定結果によれば、本件(二)の土地は本件(一)の土地と字山田一番の一の土地に挾まれた位置にあること、字裏山七〇番の二、七〇番の八と字山田一番の一の土地との境界は大略一直線をなし、これが字裏山と字山田の本件字界線となつており、本件(二)の土地は本件字界線より北側に位置していること、B直線を本件字界線とした場合、その北側の土地は字裏山の公図と相似形となるが、その南側の土地は字山田の公図と異なつてくること、字裏山の公図を基準にすれば、B直線が本件字界線と考えられるが、字山田の公図を基準とすれば、本件字界線はB直線と異なつてくることが認められる。

以上の事実によれば、公図上からは、本件(一)、(二)の土地、字山田一番の一の土地等の位置関係は判定できるが、本件字界線としてA´直線とB直線のどちらが妥当であるかの結論を下すことは困難である。

尤も、原本の存在及び成立に争いがなく、証人青山寛美の証言によりその写しであると認められる甲第一〇号証(防災道路八事天白渓線実測図写)及び同証人の証言によれば、昭和三二年頃名古屋市土木局は、防災道路拡張のため本件(一)、(二)の土地及びその周辺土地を測量し、本件(一)、(二)の土地の境界をA″直線と判断して右測量図を作成したことが認められる。しかし、右証人の証言によれば、右測量図は、法務局備付の公図等の図面を参考にして現地を実際に測量して作成されたとはいえ、境界の確定それ自体を目的として作成されたのではなく、道路予定地の地積の確定のために境界を定めたにすぎないことが認められ、更に前掲甲第一〇号証及び同甲第八号証の二(字山田の公図)によれば、字山田の公図では本件字界線の延長線と字山田二番の四、二番の三の境界が防災道路東端で交差しているのに対し、右測量図では本件字界線は字山田二番の三、二番の四の境界線の北に位置し、字山田三番の一、二番の四の境界と防災道路東端で交差していることが認められ、以上の事実を総合すれば、甲第一〇号証(防災道路八事天白渓線実測図写)に記載されている境界の正確性については疑問があるので、甲第一〇号証は境界確定の証拠として採用できないといわざるを得ない。

ところで、原、被告は、それぞれ、自ら主張の字界線の正確さを根拠ずけるために公図上の距離・角度と現況の一致を主張し、証人加藤健一郎の証言及び同人の鑑定結果並びに弁論の全趣旨によれば右主張は概ね認めることができる。

ところで、一般に境界に関する双方の主張の当否を判断するにあたつて、公図の記載との比較が重要な基準となることはいうまでもないことであるが、当裁判所に明らかなところによると、従来公図といわれているものは、明治初年、地租改正の際、短期間にしかも当時の幼稚な測量技術に基づいて作成せられたうえ、その目的が地租の徴収にあつたと考えられていたため、田畑については実際に測量が為されたであろうが、収入のない山林などではそれと同じように測量が為されたとは考えられないところから、境界が直線であるか否か、ある土地がどこに位置しているかといつた定形的なものは比較的正確だとしても、距離・角度といつた定量的なものは不正確なものであり、従つて、公図上の距離・角度から直ちに境界を速断することはできないのである。従つて、字山田一番の一の土地は地目がもと山林であり、その公図上の距離・角度は右に述べたところから正確性に疑問が多いことに加えて、境界確定にあたつて前記認定の占有状況、公簿面積と実測面積の比較といつた有力な資料の存する本件においては、公図上の距離・角度についての事実は、さほど重要な資料とはならないといえる。

4  次に、段落について検討する。

証人稲熊捨春(第一回)、同山田秀雄(第一回)の各証言、原告代表者水谷孝文本人尋問の結果及び被告本人尋問の結果(第一回)並びに弁論の全趣旨によれば、別紙図面(二)の<ヌ><ル>点を結ぶ直線付近に約一メートルの高さの段落があり、段落以南の土地が以北の土地よりも低くなつていたことが認められる。

原告は右段落が本件字界線の一部であると主張し、稲熊捨春の証言(第一回)にも右主張に添う供述部分があるが、同時にその供述部分は伝聞に基づくものであることが認められるところであつて、合理的根拠に乏しいのでたやすく措信することができず、他に右主張を認めるに足りる的確な証拠はないので、原告の右主張は採用することができない。

5  以上の各事実、すなわちA´直線が字裏山の土地と字山田一番の一の土地との境界(字界線)として周辺土地の占有が為されてきていること、本件(一)、(二)の土地及び周辺土地の公簿面積と実測面積を比較した場合、A´直線を本件字界線と考えた方が衡平に合すること、公図上の距離・角度についての事実は本件ではさほど重要な資料とならないこと、別紙図面(二)の<ヌ><ル>点を結んだ直線付近の段落を本件字界線の一部とは認められないことを考慮するときは、A´直線を本件字界線と解するのが相当である。

6  そして、前記3・5で認定した事実及び成立に争いのない甲第八号証の一、第一二号証を総合すれば、本件(一)、(二)の土地の境界は被告主張のC直線と解するのが合理的である。

三  そこで次に、原告主張の時効取得の成否について検討する。

1  前記二項で認定した境界によれば、本件係争地乙は本件(二)の土地に該当するものであることが認められ、訴外長太郎が昭和二三年一〇月二日以来本件係争地乙の占有を継続したこと、訴外長太郎は昭和三七年一月二四日死亡し、訴外捨春が同人を相続したこと、原告は昭和三七年一二月二五日訴外捨春から本件係争地乙を買受けたこと、被告は原告が本件係争地乙を所有していることを争つていること、被告は本件(二)の土地につき、登記簿上所有者名義を有することは、いずれも当事者間に争いない。

2  前記二項で認定した事実及び前記1で認定した事実によれば、本件係争地乙を含む旧字裏山七〇番の一の土地のうち約五畝の土地が国から自作農創設特別措置法により訴外源一に売渡されたのは、旧字裏山七〇番の一の土地が昭和二三年一〇月二日国から同法により訴外長太郎に売渡された後の昭和二五年四月のことであるから、訴外長太郎が昭和二三年一〇月二日本件係争地乙を自己の所有と信じて占有を開始するにつき、何ら過失はなかつたと解せられる。

3  被告は訴外長太郎の本件係争地乙の占有には所有の意思がなかつた旨主張し、右主張に添う事実として訴外長太郎は売渡処分の修正により約五畝の土地が訴外源一に売渡されたことを知悉していたこと、本件(二)の土地の固定資産税を訴外源一及びその相続人の被告が納付してきたことは前記二項の1で認定したとおりであるが、本件全証拠によるも訴外長太郎が訴外源一に売渡された約五畝の土地がどこに位置するのかを知つていたと認めることはできず、かえつて、前記二項の1で認定したとおり、訴外長太郎は本件係争地乙及びその北側に隣接する土地(約五畝)を本件(一)の土地と信じて耕作していたのであるから、訴外長太郎が本件(二)の土地の固定資産税を納付しなかつたこともやむを得なかつたものと認められ、以上によれば被告の右主張は認められず、他に右主張を認めるに足る証拠はない。

よつて、前記1の訴外長太郎が昭和二三年一〇月二日以来本件係争地乙の占有を継続した事実及び前記2・3の各事実によれば、訴外長太郎は昭和三三年一〇月二日の経過を以て本件係争地乙を時効取得したものといえる(従つて、被告の抗弁(2) 、(3) は、いずれも失当である。)。

四  以上によれば、原告は本件(一)の土地及び本件(二)の土地(本件係争地乙)の両土地の所有権を有する結果となるところ、境界確定の訴においては、両当事者が境界によつて分たれる二つの土地のそれぞれ一方の所有者であることが当事者適格の要件であるから、本件において、結局、原告は、境界確定の訴につき当事者適格を欠くこととなる。

五  よつて、本訴のうち第一次的請求である境界確定の訴については、これを却下することとし、第二次的請求については、本件係争地乙の所有権確認並びに本件(二)の土地につき所有権移転登記手続を求める限りで理由があるからこれを認容し、その余の請求は理由がないからこれを棄却し、反訴は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担については民事訴訟法八九条、九二条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 小沢博 谷口伸夫 東尾龍一)

(別紙) 物件目録<省略>

(別紙) 図面(一)<省略>

(別紙) 図面(二)<省略>

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