名古屋地方裁判所 昭和44年(ワ)3687号 判決 1970年7月06日
原告 愛知商工協同組合
右代表者代表理事 吉田浜治
被告 黒部八重子
服部昇市
右両名訴訟代理人弁護士 島田新平
同 島田英樹
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は、原告の負担とする。
事実
原告は、「被告両名間において、別紙目録記載の建物につき、昭和四四年一月六日被告黒部を賃貸人、被告服部を賃借人とし、期間を三年、借賃を月額一万五、〇〇〇円、敷金四〇〇万円、特約転貸可として締結された賃貸借契約を解除する。被告服部は、原告に対し別紙目録記載の建物について昭和四四年一〇月一四日名古屋法務局受付第三七一七六号をもってなされた五番停止条件付賃借権移転付記登記の抹消登記手続をせよ。訴訟費用は、被告らの負担とする。」との判決を求め、請求の原因として、
一、原告は被告黒部八重子所有に係る別紙目録記載の建物に対し名古屋法務局にて左記のとおり登記されたる根抵当権を有し原告を申立人訴外黒部雄一を相手方とする愛知中村簡易裁判所昭和四四年(イ)第二二号約束手形金請求和解事件の和解調書正本にもとづく請求債権約束手形金弐百八拾壱万五千円也のうち金弐百万円についての右根抵当権によって担保されている被担保債権を現在有しているものである。
根抵当権設定の表示
昭和四参年九月弐五日受付第参壱八七弐号
原因昭和四参年九月壱参日手形貸付手形割引並に金融取引契約の同日設定契約
元本極度額金弐百万円
損害金日歩八銭弐厘
債務者黒部雄一
根抵当権者愛知商工協同組合
二、被告黒部八重子所有に係る別紙目録記載の建物に対し右建物の敷地とともに先順位根抵当権訴外株式会社中京相互銀行から被担保債権元本債権金弐千弐拾七万七千円也を請求債権として抵当権の実行を受け昭和四四年七月七日競売手続が開始されその旨昭和四四年七月八日名古屋法務局受付第弐四六九七号にて登記せられた。
三、右の競売手続の開始に伴い執行官の賃貸借取調によって被告黒部八重子が賃貸人被告服部昇市が賃借人となり昭和四拾四年壱月六日に前記の建物につて期限契約日より参ヶ年間借賃月額壱万五千円敷金四百万円特約転貸できるとの条件をもって賃貸借契約を締結し被告服部昇市がこれを占有し現在も占有継続なしていることが確認された。
四、競売手続による目的物件の賃借権等の負担のないものとしての鑑定評価額は前記建物の価額は四百八拾八万円右建物の敷地(共同担保物件)の価額は四百九拾七万円にて合計九百八拾五万円でこの価額は先順位抵当権者訴外株式会社中京相互銀行の有する根抵当権による競売申立日に確定した請求金額弐千弐拾七万円也(但し元本債権)及び原告の有する根抵権による請求金額弐百万円を合算した金弐千弐百弐拾七万円也を下廻ってはいるが右競売物件を特別に欲求する競落人があればその競落価額が右の合計した請求金額に達し後順位抵当権者である原告の請求債権を満足せしむることができる。
しかるに前記の通り被告服部昇市は原告のなした根抵当権設定後において被告黒部八重子と賃借契約を締結し民法第六〇二条に定むる短期賃貸借ではあるが敷金として金四百万円也を賃借人服部昇市は賃貸人黒部八重子に支払をなしている。右敷金は競落人がこれを負担すべきものであるから、右目的物件を特別に欲求する競落人の価額による価額から四百万円也減額されて競落せられることは明らかである。
したがって右の如き敷金の存在する賃貸借契約がある以上原告の請求債権を満足することは望み難いのである。
五、前記のとおり根抵当権者原告の請求債権は勿論先順位根抵当権者訴外株式会社中京相互銀行の請求債権いづれも根抵当物件を換価してもその換価代金をもって満足できないことが著しいことが明らかであるに関らず被告服部昇市の賃借権がたとえ保護を受けられる短期賃貸借であったとしてもこれが賃貸借が存在するために賃貸借がない場合の競落価額から相当金額減額されることは明らかであり既に抵当権者に著しく損害を与えるものであるところそのうえ敷金四百万円也の競落人の当然分担すべき金額が存在しているのであるから前記のとおり被告等のなした賃貸借契約に基く被告服部昇市の占有行為は原告に対し著しき損害を及ぼすものである。
そこで民法第三九五条の但書によって被告等のなした前記の賃貸借の解除を求めるものである。尚、民法三九五条の抵当権者とは抵当物件に対する短期賃借権設定以前のすべての抵当権者を指すから、たとえ原告が賃借権の有無にかかわらず、配当を受けえないとしてもかかる解除を求めうるものである。
六、被告黒部八重子所有に係る前記の建物については賃貸人被告黒部八重子賃借人訴外渡辺武を当事者とする昭和四拾参年拾弐月弐拾六日停止条件付賃貸借契約によって名古屋法務局昭和四四年壱月弐弐日受付第壱九参六号をもって停止条件付賃借権設定仮登記の登記がなされている処被告服部昇市は右の賃借権につき昭和四拾四年拾月参日譲渡をうけ昭和四四年壱〇月壱四日名古屋法務局受付第参七壱七六号をもって停止条件付賃借権移転の登記をなした。
しかるに被告服部昇市が現在なしている右建物の占有行為は前記のとおり賃貸人被告黒部八重子賃借人被告服部昇市を当事者とする昭和四四拾年壱月六日付の賃貸借契約に基くものであることは明らかであるから前記の停止条件付賃借権に基くものではない。
第三者に対抗できる賃借権の登記があるが右の賃借権が事実と合致しない賃借権であることが前記のとおり明らかであるから右のような架空の賃借権設定登記は抵当権者に損害を与えるものであるから抹消さるべきものである。
そこで原告は被告服部昇市に対し前記の建物について名古屋法務局昭和四拾四年拾月拾四日受付第参七壱七六号をもってなされた五番停止条件付賃借権移転登記の抹消を請求するものである。
と述べ、抗弁事実を否認し(た)。≪立証省略≫
被告らの訴訟代理人は、本案前の答弁として訴却下の判決を求め、本案前の抗弁として、
原告の主張自体明らかな如く、競売の目的とせられる本件不動産の価額は合計金九八五萬円であり、原告に優先する競売申立抵当権者(株式会社中京相互銀行)の被担保債権額金二〇二七萬七〇〇〇円の半ばにも満たない。とすれば、仮令、本件短期賃貸借が解除せられたとしても、原告の被担保債権が満足を得られるに至らないことは明白であるといわぬばならない。かかる場合においては、短期賃貸借の存在によりて原告が損害を受けるものとは言い難く、結局、原告には民法第三九五条により、賃貸借の解除を求める訴の利益は存しない。
と述べ、本案の答弁として、主文同旨の判決を求め、請求の原因に対し、原告の債権の存在および本件賃貸借が抵当権を害するとの主張を争い、その余はすべて認める、と述べ、抗弁として、被告黒部八重子の夫である訴外黒部雄一は昭和三五、六年頃から原告より金融を受けるようになり、一時は四八〇萬円にものぼる多額の債務を負担していたが、日歩一五銭もの高金利にも拘らず、元利金を支払い、現在までに八〇〇萬円にも達する支払を了しており、利息制限法の範囲内において充当関係を清算すれば、既に全額支払済である。
その後原告は同訴外人の無知を利用して、請求原因記載の如き和解調書を作成せしめたが、同和解は存在しない債務の弁済を目的として、なされたものであって前提事実に錯誤が存し無効たるを免れない。
と述べ(た)。≪証拠関係省略≫
理由
一、被告は、本件賃貸借の解除の有無にかかわらず、本件建物競売による原告への配当はないから、原告には本件賃貸借の存在による損害はなく、解除を求める利益はなく訴を却下すべきである、と主張するが、損害の有無は訴の利益の問題ではなく、実体法上の解除請求権の存否したがって本案の当否の問題と考えられるので、本案前の抗弁は理由がない。
二、本案につき考えるに、民法三九五条但書の抵当権者が原告の主張するように解除さるべき賃借権設定前の全抵当権者(その云わんとするところは、競売開始決定によって差押の効力を生ずる以前に登記されたる全抵当権者の意味と考えられる。)と解すべきであるかは疑問である。たしかに抵当権の実行は抵当物件の上に存するすべての抵当権のための一括的清算として、最先順位抵当権設定登記時の物件の状態を前提して行われることに鑑みれば原告の主張も一理あるのであるが、しかし民法三九五条にいう損害というのは配当額減少という財産的損害を意味するのであるから、賃貸借解除の有無にかかわらず配当予想額に影響のない抵当権者(たとえば、解除の有無にかかわらず全額配当を予想される者、或いは全然配当を予想されない者)には、賃借権存在による具体的損害なるものはないというべく、その解除請求はなしえないものと解すべきである(我妻栄、新訂担保物権法三四七頁参照)。けだし、かかる抵当権者は、解除請求により何の財産的利益(即ち配当の増大)をも期待しえないからである。
そこで、原告の本件解除請求をみるに、原告の先順位抵当権者である訴外株式会社中京相互銀行は、本件建物とその敷地につき確定元本債権金二〇二七万円の根抵当権を有するのに、右各物件の鑑定評価は賃借権等の負担のないものとしてもそれぞれ金四八八万円と金四九七万円の計九八五万円であるというのであるから、本件解除請求が認容されたところで、物件価格は右評価額以上にはなりえず、したがって原告への配当のごときは到底予想されえないところである。そうとすると、右訴外銀行より解除請求をするのはよいとしても、原告がこれをなしうる、との理由はない。
よって、本件解除請求は理由がない。(尚、≪証拠省略≫によると被告服部の賃借権なるものが、競売開始決定当時対抗要件を備えていたかどうか疑問であり、もし備えていないとすれば、抵当権者や競落人との関係では無効であるから、解除するまでもないことになろう)。
三、つぎに、停止条件付賃借権設定仮登記の抹消登記手続請求(原告は右登記の移転(付記)登記の抹消を求めているが、その真意はかかるものと解される)について考えるに、かかる仮登記により保全されているのはいまだ効力の生じていない停止条件付賃借権であって、賃借権そのものではないのである。
しかるところ、被告服部の有する賃借権は昭和四四年一月六日設定(賃料月額一万五〇〇〇円)のものであり、右停止条件付賃借権は昭和四三年一二月二六日設定、同四四年一月二二日仮登記同年一〇月一四日被告服部への移転付記登記(条件昭和四三年一二月二六日商取引契約の債務不履行、賃料月額二〇〇〇円、権利者渡辺武)のものであるから、前者のため後者の登記がされたとは考えられず、したがって、両者が一致しない故を以て後者の登記を架空のものと云うことはできない。とすると、右登記が被告服部の有する賃借権と相異するが故に架空なりとして、右登記の抹消登記手続を求める本訴請求は理由がない。
四、以上により、原告の本訴請求をすべて棄却し、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法八九条を適用し、主文の判決をする。
(裁判官 笹本忠男)
<以下省略>