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名古屋地方裁判所 昭和44年(行ウ)42号 判決 1970年4月11日

愛知県愛知郡日進町折戸字藤塚五六の六三五

原告

大森敏直

右訴訟代理人弁護士

竹下重人

名古屋市中村区牧野町六番地

被告

名古屋中村税務署長

小村武

右指定代理人

山本忠範

井原光雄

山下武

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告は原告の昭和四二年分所得税について被告が昭和四三年九月三〇日付でした更正処分を取消す。訴訟費用は被告の負担とする。との判決を求め、請求の原因として(一)原告は医師であるが昭和四二年分の所得税について法定申告期限内に被告に対しつぎのとおり確定申告をした。

事業所得の金額 七、七五六、二一五円

給与所得の金額 一八一、四一二円

計総所得金額 七、九三七、六二七円

所得控除の金額 四五八、九〇〇円

課税所得金額 七、四七八、〇〇〇円

算出所得金額 二、八〇七、八〇〇円

(二)右の確定申告について被告は昭和四三年九月三〇日付をもつてつぎのとおりの更正処分ならびに過少申告加算税の賦課決定処分をした。

事業所得の金額 七、七五六、二一五円

給与所得の金額 一八一、四一二円

譲渡所得の金額 一、四八八、八七七円

計総所得金額 九、四二六、五〇四円

所得控除の金額 四五八、九〇〇円

課税所得金額 八、九六七、〇〇〇円

算出所得税額 三、五五二、三〇〇円

(更正処分により納付すべき税額) 七四四、五〇〇円

過少申告加算税額 三七、二〇〇円

(三)右更正処分の理由は原告が所有していた名古屋市千種区徳川山町三ノ六五の宅地とその地上建物を昭和四二年五月二〇日付で訴外大森(現桝岡)恭に譲渡したにもかゝわらず譲渡所得の申告がなされていないからであるとされている。(四)しかし右各不動産は原告と右右訴外人との間の名古屋家庭裁判所昭和四一年(家イ)第九八三号離婚等調停事件の調停が昭和四二年五月一〇日に成立し、その調停の結果財産分与として譲渡したものであつて右各不動産の譲渡によつて原告は何等の所得も得ていないのであるから右更正処分は違法である。(五)よつて原告は右(二)の更正処分につき昭和四三年一〇月一九日被告に対し異議申立をしたが被告は昭和四四年一月二九日原告の申立を棄却する決定をした。原告は昭和四四年二月二八日付で名古屋国税局長に対して審査請求をしたが同局長は昭和四四年八月一三日原告の請求を棄却する裁決をし、原告は同月一四日右裁決の通知を受けた。と述べ、被告の所説に対し(一)譲渡所得課税の本質は譲渡差益に対する課税であつて値上り益に対する課税ではない。所得税法第三三条第三項に定める譲渡所得の金額の計算方法によれば「譲渡所得の金額は、・・・・その年中の当該所得に係る総収入金額から当該所得の基因となつた資産の取得費及びその資産の譲渡に要した費用の額の合計額を控除し、その残額の合計額(・・・・以下この条において「譲渡益」という。)から譲渡所得の特別控除額を控除した金額をいう。」とされており、右にいう「総収入金額」に算入すべき金額(金銭以外の物又は権利その他経済的利益をもつて収入する場合には、その金銭以外の物又は権利その他経済的利益の価額)とされ、(同法第三六条第一項)右にいう「取得費」はその資産の取得に要した金額並びに設備費及び改良費の額の合計額とされている。右の諸規定を通じて解釈する限り譲渡所得の基因となるべき「資産の譲渡」とは対価を伴ういわゆる有償譲渡を意味し、譲渡所得の本質はその譲渡による対価収入がその資産の取得、維持管理に要した支出金額並びに当該譲渡契約のために支出した金額を超過する場合のその差益(譲渡益)を把握するところにあることが明らかである。この差益の内容を構成するものは通常は当該資産の値上り益であろうがそのことは譲渡所得の本質が値上り益課税であることを意味するものではない。例えば時価金一千万円の土地を売主との縁故関係等により金五百万円で取得したがその後数年経つてその土地は環境の変化等のため金八百万円に値下りした場合に所有者がその時価金八百万円で売却したとすれば値上り益は存しないが譲渡益は存し課税の対象となるのである。また資産の値上り益(客観的時価の上昇による差額)と前述の意味の譲渡益とが一致しないとき、税法はその客観的値上り益を譲渡益として課税しようとするのではなく、前述の意味の現実的な譲渡益を課税の対象とするのである。譲渡所得課税の本質は資産の値上り益に対する課税であるから譲渡所得発生の基因となる資産の譲渡は対価を伴う有償譲渡に限られらいとする被告の主張は実定法の根拠を有しない独自の見解にすぎず、また被告引用の最高裁の判決は資産の贈与もしくは低額譲渡の場合これを時価による譲渡とみなして譲渡所得の計算をすることとされた特別の規定の立法趣旨の説明としてなされたものであつてこれを譲渡所得の本質論に援用するのは相当でない。(二)本件土地、建物の取得の経緯および取得の日時並びにこれが原告の特有財産であつたことは被告の指摘するとおりである。原告と恭との間に被告主張のとおり離婚等調停が成立し、その調停条項に従つて被告主張の日に本件土地、建物が恭に譲渡されたことを認める。右調停において原告は恭に対する慰籍料として現金一、四五〇万円および長女由香子の養育費として現金三六〇万円を分割して支払うこと並びに本件土地、建物を分与することを承諾したが相手方代理人から「慰籍料の支払を受けても税金はかからないが財産分与として受ければ贈与税が課税されるかもしれないから本件土地、建物の譲渡も慰籍料としてくれ。」と依頼されて調停調書の記載は一括して慰籍料と記載したに過ぎず、実質は財産分与である。右の相手方代理人の配慮は誤解に基づくものであつて、慰籍料も財産分与もそれが相当な額でなされるかぎりその受益者について課税されることはなく、その相当な額を超えた場合にその超える部分については名目が慰籍料であつても財産分与であつても贈与による益として課税されることになるのである。一般にも右のような誤解があつて離婚に伴う財産の清算を一括して慰籍料の支払と表示することが多いが、これは当事者間の協議の内容、結婚生活の実態、離婚原因に対する責任の度合等を勘案して実質的に慰籍料相当額、財産分与の額を判断すべきものであつて、当事者が使用した用語や法律形式に拘泥すべきではない。原告と恭との婚姻期間、離婚に至る状況等に照らせば慰籍料並びに養育費として現金一、八一〇万円の支払、財産分与として恭の居住する本件建物及びその敷地の譲渡は誠に適正な措置であつたものというべきである。仮に右土地、建物が慰籍料の支払としてなされたとしてもそれは所得税法第三六条第一項にいう収入金額を伴う取引ではないから同法第三三条第一項に規定する「資産の譲渡」に該当せず課税の対象とならない。(三)本件更正処分の内容となつた譲渡所得の金額の計算について被告の主張はこれを争わない。(四)財産分与による資産の譲渡も所得税法第三三条第一項に規定する「資産の譲渡」に該当し譲渡所得税の原因となるという被告の主張は所得税法の規定を無視した謬論である。即ち財産分与の法的性質をどのように解するにせよ、これが無償行為であることは明らかであり、所得税法第三三条は無償行為としての資産の譲渡を課税の原因としていないことは前述したとおりである。無償による譲渡について課税をする必要がある場合について特に同法第五九条に贈与による譲渡について規定しているところからも同法第三三条は無償譲渡を含まないことは明白である。しかも無償で資産を譲渡した者についてまで譲渡所得税を課税することが過重な負担となることに対する救済の措置として課税時期の繰延べを定めているのであるがこのような同法第五九条の規定はその文言からみて本件のような財産分与については適用されない。従つて財産分与による資産の譲渡については譲渡所得は発生しないのであつて増加益を云々する被告の主張は当らない。と述べた。

被告は主文と同旨の判決を求め、答弁として、請求の原因たる事実(一)、(二)、(三)の各点を認め、同(四)のうち宅地とその地上建物が原告と訴外桝岡恭との間の調停が成立によりその履行として譲渡された点を認め、その余の点を争い、同(五)の点を認め、(但し昭和四三年一〇月一九日とあるは昭和四三年一〇月三〇日である。)被告のなした更正処分(譲渡所得が申告洩れであるとして更正した。)の課税根拠については(一)一般に譲渡所得に対する課税は資産の値上りによりその資産の所得者に帰属する増加益を所得として、その資産が所有者の支払を離れて他に移転するのを機会に、これを清算して課税する趣旨のものと解されている。(最高裁昭和四一年(行ツ)第八号昭和四三年一〇月三一日判決)したがつて課税の対象となる譲渡所得は現実に譲渡の対価を取得したか否かを問わず、過去における資産の値上りによる含み資産として既に潜在的に発生しているのであり、それが譲渡行為によつて顕在化したとき課税所得として把握され、課税の対象とされるのである。しかも、譲渡所得の計算はその性格上、他の給与所得や事業所得のように特定の源泉から毎年継続して生ずる所得とは異なり、その譲渡益から譲渡所得の特別控除を控除し、さらにその残額の二分の一(長期譲渡の場合のみ)相当額を他の所得額と合算する特別の課税方法をとつているものである。(所得税法第二二条及び同法第三三条)(二)ところで本件更正処分の基因となつた譲渡資産である土地、建物(建坪のうち三七・三九平方米は昭和三五年一二月二〇日増築)は原告が昭和二九年五月三一日名古屋市から買受けてその所有権を取得し、同年八月一六日右土地の、また同年九月八日右建物の所有権移転登記を了したもので右はいずれも原告の特有財産であつた。(民法第七六二条第一項)そこで昭和四二年五月一〇日原告とその妻恭との間に原告の所有する右土地建物を離婚に基づく慰籍料として恭に譲渡する旨の調停(名古屋家庭裁判所昭和四一年(家イ)第九八三号離婚等調停事件)が成立し、原告はその履行のために昭和四二年五月二〇日慰籍料による譲渡を原因として同年一二月八日右土地建物の所有名義を恭に移転する登記手続を了した。右移転行為は原告が負担すべき慰籍料を譲渡所得の基因となる本件土地建物をもつて弁済したものであるからこれは所得税法第三三条第一項に規定する資産の譲渡にあたるというべきである。一般に債務の履行として自己の有する資産を相手方に譲渡した場合にはその譲渡時における当該資産の価額に相当する額の弁済があつたことになり、このことはこの資産を他に処分してこれが代価を相手方に与えるに等しいものである。これはまさしく原告が調停により生じた債務をいわば現物で弁済したか現金で弁済したかの相違があるに過ぎず、財産の譲渡処分がなされたというべきである。従つて譲渡処分時において前述した増加益が顕在化した以上これを譲渡所得として課税しなければ資産を他に譲渡し現金で債務の弁済に充てた者との税負担の公平を欠く結果となるものである。そこで本件慰籍料支払のための譲渡は正に調停時の価額をもつて資産の譲渡が行なわれたものとみるべきであり、原告はその調停時において資産の増加益を現実に享受するに至つたものであり、この時点で既に原告に帰属していた増加益に対し所得税法第三三条の規定によつて譲渡所得の課税を行うことは適法である。(三)以上の理由から被告は右土地建物を所定の方法により時価評価し、その額を本件譲渡における収入金額として次のとおり譲渡所得金額を算定して本件更正処分をなしたものである。

<1>  本件土地、建物の収入金額 金四、三三五、〇〇〇円

<2>  本件土地、建物の取得価額 金一、〇五七、二四五円

<3>  譲渡益(<1>と<2>の差額) 金三、二七七、七五五円

<4>  譲渡所得の特別控除 金 三〇〇、〇〇〇円

<5>  譲渡所得金額〔<省略>〕 金一、四八八、八七七円

(四)なお仮に本件資産の譲渡が離婚に伴う慰籍料支払のためではなく、又はこれのみでなく、夫婦共通財産の清算及び相手方配偶者の離婚後の生活についての扶養を目的とする財産分与であるとしても、右財産分与による財産の移転も所得税法第三三条に規定する資産の譲渡に該当することに変りはない。即ち夫婦の一方が婚姻中に得た財産の所得関係については種々の立法形態が存しうるのであるが、現在の民法上はこれを当然に夫婦の共有になるとはしていない。夫婦の一方が婚姻中に自己の名で得た財産はその者の婚姻前から有する財産と同じくその者の完全な所有に属し、自由に使用収益し又処分することを得るものであつて資産の値上りによる利益もその者に帰属することは当然である。このようにして夫婦の一方の有していた財産が離婚に伴う財産分与によつて他の一方の所有に帰するのであるからここに財産権の移転が生ずるのであり、これは右資産の譲渡にあたるというべきである。(五)夫婦の一方が他方にその財産を分与すべき義務はその婚姻生活中に抽象的に存在しているのであつて、それが離婚に際し諸般の事情を考慮して当事者間で協議し、またはこれに代えて家庭裁判所の処分により具体的に決定されるのであつて、夫婦の一方は相手方に対しその債務の履行として分与するのである。このように債務の履行として財産分与の対象となつた資産は分与時の価額をもつて分与されることになるのであるから正にそのときに従前の所有者は資産の増加益を現実に享受するに至るものであつて、この時点で既に所有者に帰属していた増加益に課税するのは相当であるというべきである。(六)本件についてみると原告には原告の特有財産である本件土地、建物の値上りによる利益が既に生じていたところ恭に対しその所有権を移転し、これが顕在化することにより右の利益に対する租税納税義務は具体化したものということができる。従つて前記調停の成立によつて原告から恭に対する右土地建物の所有権が移転されたことをもつて原告の譲渡所得が顕在化したとみられるのでこれに対し課税することは適法であるというべきである。と述べた。

証拠として、原告は原告本人尋問の結果を援用して乙第一号証の成立を認め、被告は乙第一号証を提出した。

理由

請求の原因たる事実(一)、(二)、(三)の各点同(四)のうち宅地とその地上建物が原告と訴外恭との間の調停成立によりその履行として譲渡された点、同(五)の点(異議申立の日は昭和四三年一〇月三〇日である。)は当事者間に争がない。而して成立に争のない乙第一号証によると右各不動産は右調停により原告より恭に慰籍料として譲渡せられたことを認定しうる。原告本人尋問の結果によると右各不動産は財産分与として譲渡すべく話合われたことは事実なるも双方協議の末右の如く慰籍料とせられたことも明らかであり、右乙第一号証にみるとおり調停調書上明白に慰籍料として記載せられた以上これをもつて慰籍料にあらずして財産分与なりと論ずるのは誤りである。右各不動産が原告の特有財産であつたことは原告においてこれを争わず、それらの恭に対する前記譲渡は所得税法第三三条第一項の譲渡所得にあたることは同法第三六条第一項括弧書の中・・・・・その他経済的な利益をもつて収入する場合には・・・・・その他経済的な利益の価額とある点に徴して明らかであつてこの点に関する被告の所説は首肯しうる。これをもつて無償譲渡なりとする原告の所説には遽に組しがたい。又譲渡所得課税の本質に関する本件論争の認定に直接関係はない。尚本件更正処分の内容となつた譲渡所得の計算についての被告の主張は原告においてこれを争わないところであり、これと当事者間に争のない請求の原因たる事実(一)、(二)の各点とを合せ考えると被告のなした本件更正処分は正当であることが明らかであり、他にこれを取消さねばならないような瑕疵も認められないので原告の請求を失当として棄却し、民事訴訟法第八九条により主文のように判決する。

(判事 小沢三朗)

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