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名古屋地方裁判所 昭和45年(ワ)3386号 判決 1972年8月24日

原告 春日井利和

<ほか一名>

右両名訴訟代理人弁護士 佐治良三

同 水野正信

同 楠田堯爾

同 水口敞

右両名訴訟復代理人弁護士 服部優

同 高橋貞夫

被告 岡崎市

右代表者岡崎市長 内用喜久

右訴訟代理人弁護士 黒河衛

主文

被告は、原告らに対し、それぞれ金一一二万六一八八円およびこれに対する昭和四五年五月一〇日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

原告らがその余の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は、これを二分し、その一を被告の、その余を原告らの各負担とする。

この判決は、第一項にかぎり、仮りに執行することができる。

事実

第一、当事者の求めた裁判

一、原告ら

被告は、原告らに対し、それぞれ金二五八万五、八三三円およびこれに対する昭和四五年五月一〇日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。

との判決ならびに仮執行の宣言。

二、被告

原告らの請求はいずれもこれを棄却する

訴訟費用は原告らの負担とする。

第二、当事者の主張

一、請求原因

1、事故の発生

原告らは訴外亡春日井希代子(当時一歳七か月)の両親であり、被告は岡崎市若宮町所在岡崎市立病院を所有、管理しているものであるところ、希代子は、昭和四五年五月九日、希代子を含む原告らの三人の子供とともに原告久代に連れられて同原告の姪にあたる訴外三田知子を見舞いに同病院を訪れたものであるが、同日午後三時四〇分ごろ、右知子の入院する四階四七二号病室の知子のベッドにいた希代子は、原告久代が希代子のむつきを探している間にバランスを失い、開いていた窓の北西隅から約六・四〇メートルの地上一階建ボイラー室のコンクリート製屋上へ転落し、翌一〇日一六時四〇分ごろ同病院内において、頭部脳内骨折のため死亡するにいたった。

2、被告の責任

右事故は、被告の営造物の設置および管理の瑕疵に基づくものである。すなわち、前記知子のベッドは四七二号室の北側の窓の下に密着して置かれてあり、しかもそのベッドと窓の下端との高低の差はわずか約二〇センチメートルしかなかった。病院管理者が知子のベッドを右位置に置いたのは、このベッドの横の鉄製手すりは片側にしかなかったため、もう一方の側の手すりの代用として窓下の壁を利用していたものと思われる。そして、右病室は小児科病棟内にあって入院している患者も幼児であり(知子は当時一歳であった)、面会に訪れる者にも幼児連れが多いことは社会通念上予想されるのであるから、この様な位置にベッドを置くこと自体患者その他の入室者をベッド上から屋外に転落させる危険があるものと言わなければならず、しかも病院側は、患者の入院中、一日につき、看護婦の検温が三回、医師の回診が一回あったので、ベッドの配置が前述のとおりであることを熟知しながら何らの疑念も抱かなかったのであるから病院としての管理上の瑕疵があるばかりでなく、さらに窓に格子、柵網等を設けて安全対策に極力留意すべきであったにもかかわらず、これをまったく設けていなかったことは、病院としての設置に著しい瑕疵があるものである。

3、損害

右営造物の設置・管理の瑕疵に基づく希代子の死亡により、原告らはつぎの損害を蒙った。

イ 希代子の逸失利益                 二一七万一、六六六円

死亡当時の年令                           一歳七か月

就労可能年数                   一八歳から六〇歳まで四二年間

平均月収額 二万一、一〇〇円(労働省労働統計調査部昭和四三年第一巻全国個人別賃金産業大分類のうち「産業、企業規模、労働者の種類、性、学歴および年令階級平均月間きまって支給する現金給与額、平均月間所定内」表。一八歳女子労働者の平均所定内給与額。)

平均年間賞与その他特別給与額         三万〇、四〇〇円(右同表による)

平均年収                          二八万三、六〇〇円

生活費                             平均年収の五割

平均年間純益                        一四万一、八〇〇円

就労可能年数 四二年の場合のホフマン式計算による現在価額 二一七万一、六六六円

右損害金を原告らは等分に相続した。

ロ 原告らの慰藉料                  各自につき一五〇万円

原告らは、将来を期待していた三女の希代子が不慮の最後をとげたことによって両親として言語に尽せない精神的苦痛を受け、これに対する慰藉料は原告ら各自につき一五〇万円が相当である。

4、よって、原告らは、被告に対し、それぞれ金二五八万五、八三三円およびこれに対する希代子の死亡の日である昭和四五年五月一〇日から支払いずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二、被告の答弁

1、請求原因1項の事実を認める。

2  同2項の事実中、事故当時の情況として知子のベッドが四七二号室北側の窓の下に密着して置かれていたこと、ベッドと窓下端との高さの差が約二〇センチメートルであることを認め、その余はすべて否認する。

被告には、原告ら主張の瑕疵に基づく責任を問われることはない。すなわち、

イ ベッドの表面と窓の下端との高さの差は約二〇センチメートルあるうえに、窓下際の壁の厚さは室内側二一センチメートル、室外側三二センチメートルの合計五三センチメートルもあるので、一歳七か月の幼児が容易にその障害を越えられるものではない。また、窓に手すりを設けなかったのは、病院新築の際の病院内の打合わせの結果、小児病棟に手すりを設けると子供はこれにもたれかけたりしてかえって危険を誘発するおそれがあるので、むしろ取付けない方が安全度が高いという結論に達したものであり、格子、柵、網等は、精神病以外の病人を収容するものとしては不適当である。なお、現況の構造の病院について、保健所当局もその開設を許可しているものである。

ロ 因みに四七二号室は患者二名収容のものであるが、当時は知子一名が窓に近い方のベッドを使用して同室を独りのために使用していたもので、窓に近い方のベッドは正規には窓際から五〇センチメートルを隔てて置かれていたのであるが、知子の付添人が、看護婦からベッドを窓に近付けてはならない旨注意されながらも、事故当時これを窓際に密着させていたものである。

3、同3項の事実はすべて知らない。

三、過失相殺の抗弁(仮定的)

仮りに、被告に何らかの責任があるものとしても、原告久代にはつぎの過失があるので、被告の責任は軽減されるべきである。すなわち、原告久代は、窓際に密着したベッドの上に希代子をあげたばかりでなく、同女のむつきを取りはずしたまま自由行動を許して放置し、同女から眼を離してベッド下のむつきを探している間に同女が窓から転落したのであるから、親としての監護責任を果さなかった過失も大きいものである。

四、抗弁に対する原告らの答弁

過失相殺の被告主張はこれを争う。

第三、証拠≪省略≫

理由

一、事故の発生

請求原因1項の事実は当事者間に争いがない。

二、事故発生時の四七二号室の情況および事故の模様

≪証拠省略≫によれば、

1、本件四七二号室は、地上六階建岡崎市立病院の四階の北側に面した患者二名収容の病室であって、窓は北側にだけあり、出入口として南側のドアが使用され、同室内東側と西側は壁となっていること、

2、そして右窓は、床上八八センチメートルの所から上へ約一三〇センチメートルの高さがあり、別紙第一図面記載のように、中央に窓全体のほぼ二分の一の広さの固定された部分があり、その東西両端にほぼ各四分の一の広さでそれぞれ中央部分に向かって開閉の自由な部分があり、窓の下には、別紙第三図面記載のように、室内側に二六センチメートル、室外側に三六センチメートル出っぱった厚い壁の部分(以下これをカウンター部分という)があること、

3、ベッドの位置について、病院では、普段は別紙第一図面記載のように窓側のベッドは床頭台の分だけ窓から離して置いているが、事故当時のベッドおよび二つの床頭台の位置は別紙第二図面記載のように窓側のベッドは窓に密着して置かれてあったこと、

以上の各事実が認められ、これに反する証拠はない。

また、≪証拠省略≫によれば、

1、原告久代は、当日、原告らの子供である六歳と三歳の二児とともに希代子を連れて知子を見舞いに四七二号室を訪れたもので、当時同病室には、知子、その兄、知子らの母三田満子、知子らの祖母三田さだがいたが、事故直前には、三田満子と三田さだは席をはずしており、知子の兄と原告らの希代子を除いた子供二人がベッドの下で遊んでおり、知子一人が窓側のベッドにいたこと、

2、原告久代は、希代子に近くのお手洗いで用を足させた後四七二号室へ帰り、希代子が知子のいる窓側のベッド上のおもちゃを要求したため、下半身裸のまま、わら布団上に一枚布団を置きその上に毛布を敷いたベッド上の東南隅あたり、知子の足下の空いた部分に立たせたこと、

3、そして、原告久代は、そのベッドの真下に置いてあった買物かごのビニールの袋の中に入れてあった希代子のむつきを取り出していたとき、希代子は西側の窓から外へ転落したこと、

以上の各事実が認められ、これに反する証拠はない。

三、営造物の設置・管理の瑕疵

1、ベッドの位置および情況

原告は、ベッドは病院側が窓に密着して置いたものと主張し、≪証拠省略≫は知子の入院した当初からベッドは窓に密着していた旨の供述をするが、これらは≪証拠省略≫に照らしただちに措置し難く、他にこれを証するに足りる証拠はなく、さらに本件全証拠によるも、知子入院後に病院側が正規の位置からこれを移動させ窓に密着させたことを証するに足りる証拠はない。したがって、病院側がベッドを窓に密着して置いた旨の原告の主張は認めることができない。

しかし、≪証拠省略≫によれば、同病院のベッドは自由に動かせられること、本件ベッドには、横の転落防止用鉄製手すりは窓の反対側だけに取り付けられ、窓側には付けられていなかったこと、そして、これは、一般的に、付添人が幼児の患者に添寝する際、乗り降りの便宜のためであること、ベッドを窓に密着させた場合、別紙第三図面記載のように、ベッドの端は二六センチメートル巾の室内側カウンターにくっつく状態になるが、カウンターの上端は窓の最下端と同じ高さになり、ベッド上のわら布団の上に一枚敷かれた布団の上から右窓の最下端の部分(右カウンターの上端)までの高さの差が一八センチメートルになること、そしてこの場合、窓の固定部分の長さ(一・三五五メートル)に比べてベッドの長さ(一・九五メートル)は、窓の開閉できる部分にまで相当部分はみ出ること、同病院のベッドは建物完成後入れたものでその高さはまちまちであること、以上の各事実が認められ、これに反する証拠はない。

2、ベッド以外の建物の情況

≪証拠省略≫によれば、同病院では、当初の設計の段階では必ずしも危険防止の目的ではなかったものの小児科病棟は二階であったが、その後の事情から現在の四階に変更されたこと、小児科病棟の窓には、手すり、柵、格子等の安全施設はいっさいなされていないこと、四七二号室の窓はアルミサッシの窓枠でできており、大人の小指で動かせる程度、また当時二歳一か月であった知子でさえ窓を押さえて締めることができる程度の軽いものであり、同窓の施錠設備については、三田満子は窓の下の方についていないので当初窓に錠のついていることを知らず、本件事故後看護婦から聞いて初めて知ったこと(ちなみに、検証調査には同施錠器具がとりつけてない旨記載されている)、以上の各事実が認められ、これに反する証拠はない。

3、人的な安全対策の情況

≪証拠省略≫によればつぎの各事実が認められる。

すなわち、ベッドの位置に関して、

イ  病院側においては、患者やその付添人に入院中の諸注意を与えるいわゆるオリエンテーションを施すが、その際の注意事項の一つにベッドを窓に密着させる人が往往にしてあるので、これを必ず窓から放すようにとの事項が入っていること、しかし、右注意事項の説明方法は、患者が入院した直後、患者あるいはその付添人に対し、病室内において担当の看護婦が三〇余の項目の注意事項を記載した用紙を約二〇分程度かけて、必要箇所を説明しながら読みあげる方式によるもので、右用紙は一病棟に一枚だけ備え付けられているので、読みあげられた後は看護婦の詰所に引きあげられること、

ロ  本件知子の場合にも、前記の方法で知子の母三田満子に説明されたが同女は、入院直後で慌ていて気が動転していたため、ベッドを窓から放すようにとの注意は頭の中に入っておらず、憶えていなかったこと、

ハ  事故当日の午前一一時一五分から二〇分ぐらいの間に投薬のため四七二号室に入った看護婦は、本件ベッドが窓に密着していることに気づいたにもかかわらず、当時同室には大人が三人もいたのでこれを黙認したこと、(原告は、病院側は医師の回診、看護婦の検温―一日につき三回―の際ベッドの位置を熟知しながら疑念を抱かなかったと主張するが、本件全証拠をみるも、本件事故当日においては、右の外に原告主形事実を証するに足りる証拠はない。)。

ニ  二階産婦人科の八人収容の病室においては、窓側のベッドは初めから窓に密着して置かれてあること、

さらに、見舞客の面会その他に関して、

ホ  病院側においては、事故当時、四階ホールの真中の衝立へ巾三〇ないし三五センチメートルの貼紙をはり、あるいは、入院患者や付添人に交付する「入院のご案内」と称するパンフレットを交付し、あるいは前記オリエンテーションの際、幼児を連れた見舞客の面会は、伝染病の流行期(春から夏にかけて)は遠慮して欲しい旨表示していたこと、(ちなみにこの貼紙とオリエンテーションに使われる用紙とは、本件事故後、「伝染病予防のため」に代えてあるいはこれに加えて「事故防止のため」と訂正された)しかし、原告久代は右貼紙には気がつかなくこれを見ていないばかりか、希代子を含む三人の子供を連れて知子を見舞ったのは本件事故当日が二回目であり、さらに、知子の見舞客に子供連れが希代子達の外に二回あり、それらの間、看護婦に会うこともあったが、いずれの場合も、原告久代も三田満子も看護婦からは何らの注意を受けていないこと、

ヘ  病院側においては、見舞客の面会はすべて看護婦の詰所でその許可を得て行うようにしており、子供連れの見舞客には遠慮してもらうか早く用事を済ませてもらうことになっていたこと、しかし、同病院では、病棟の四方八方に入口があり、非常階段からも出入りができるようになっているため、見舞客は詰所を通らなければ面会できない構造にはなっておらず、また現実にも看護婦はなかなか注意し難い面もあって、子供の見舞客禁止の原則は守られていない実情にあること、

ト  さらに、事故当時、四階の小児科病棟だけ五一床のベッドがあり小児三二名が入院していたが、普段看護婦の数は准看護婦を含めて整形外科併わせて四階病棟として約二〇名配置されているところ、本件事故当時は土曜日の午後のため四名しか配置されていなかったこと、

以上の各事実が認められ、これに反する証拠はない。

4、設置および管理の瑕疵

およそ、人の生命、健康を守ることを目的とする病院においては、その入院患者は勿論、そこへ出入りする患者の家族や見舞客等関係者の身体、生命の安全確保には何にもまして留意しなければならず、このことは、小児科病棟の場合、右関係者にはいきおい幼児、子供が多くなることが当然予想されるものであることから考えると、より一層右安全策には万全を尽さなければならないものである。

ところで、本件の場合、前認定の諸事実によれば、イ、四階に小児科病棟があること、ロ、病室内のベッドは自由に動かせるものであり、ベッド横の転落防止用の柵が窓の反対側の片側にしかないので、柵のない方を窓に密着させ柵代わりの効用を期待し、あるいは、窓外の風景を眺めたり採風のためベッドを窓に密着させることは当然考えられること、ハ、ベッドを窓に密着させた場合、ベッドの敷布団の上から窓の最下端(室内側カウンターの上端)までの高さがわずか一八センチメートルしかないうえに、室外側カウンターの巾は三六センチメートルはあるものの、室内側カウンターの巾はわずか二六センチメートルしかないこと、ニ、窓全体の中央ほぼ二分の一の部分が固定されていても両端が開閉自由で、きわめて開閉の軽い自由な窓となっており、しかも、施錠設備も通常人が通常見ていて気がつかない程度の不十分なもので、両端の窓が開いておれば勿論、仮りに閉められていても、施錠されていなければ幼児の手によってあるいは幼児が倒れかけたときの体圧等で自由、自然に開くことが当然考えられること、以上の諸事情を総合して考えると、ベッドを窓に密着させた場合、判断力、行動力に乏しい幼児や子供がベッド上あるいは室内・外のカウンターに乗った場合、そこから室外に転落する危険性はきわめて大きいといわなければならず、そして、転落した場合の被害の大きいこともいうまでもないところである。しかも、ベッドを窓に密着させないこと、面会は詰所を通すこと、あるいは子供の面会は遠慮することとの注意を周知徹底させるための手段方法として病院側の採っていた前認定の患者、付添人に対するオリエンテーションの際あるいは前認定のその他の方法だけでは、看護婦の数自体余りにも少数であることに加えて、さらにその注意の与え方等がきわめて不十分な実態にあることを併わせ考えると、右人的安全対策の下においては、四階にある小児科病棟の場合、右転落の危険防止のため、窓の床上からの高さを一段と高め、ベッドとの高さの差を幼児が転げ落ちるのを防止できる相当程度大きく設け、あるいは手すりを設置し、施錠設備を完備すること等の必要があったものと考えられ、したがって、本件の場合、右窓の高さおよび安全設備の不備の点につき病院本来としての安全性を欠いたもの、すなわち営造物の設置上および管理上の瑕疵があったものといわなければならない。

そして、前認定の諸事実によれば、本件事故と右瑕疵との間に相当因果関係のあることは肯認できるものである。

なお、被告主張の、ベッドと窓の高さ、窓下際のカウンターの厚さは十分であったとの点についても、ベッドを窓に密着させた場合には必ずしも十分であるとはいえず、また手すりを設けなかった点について被告が主張するところも、むしろ転落の危険を予め予想しえたことになるばかりでなく、結局十分な人的設備を備えかつ看護婦等による危険防止上の適切な措置が採られることを前提にして結論を出しているものであり、さらに、保健所当局が病院開設を許可したことも、前判断の瑕疵を否定するものにはならない。なお、≪証拠省略≫中、窓に高い柵を設けることは火災等の災害の際窓から避難する際の障害になる旨の供述がある。しかし、同各証言によれば、同病院では各室毎に脱出袋などの設備があるわけでもなく、四階病棟全体として、以前から脱出施設は一つしかないので、実際問題として、本件病院の場合窓から避難するにしても一時窓の外のひさしに身を寄せることによってある程度の避難ができることを病院側では考えていることが認められ、これに反する証拠はない。したがって、これによれば、現実に右程度の避難の際の便宜を考慮するのであれば、設ける柵の高さ如何によっては、必ずしも、その障害になるとまでは断定できないものと考えられる。

四、原告久代の過失

≪証拠省略≫によれば、希代子は本件事故当時すでにしっかり歩くことも走ることもできたこと、室内側カウンターにはおもちゃが一杯乗せてあったことが認められ、これに反する証拠はない。そして、右事実に前述二項認定の諸事実を併わせ考えると、希代子を窓に密着したベッド上に乗せた場合、同女が知子の側やカウンターの方へ歩いていくかまたは近づこうとして転倒し、その場合窓から外へ転落するおそれのあることは当然予測されうることであったから、原告久代が右ベッド上に同女を下半身裸にし自由行動を許したまま乗せ、しかも原告久代のほかに当時同室内には大人はいなかったのに希代子から眼を離しまったく監視の届かないベッド下のむつきを探していたことは、いかに同女を北西隅の窓からベッドの最も遠い部分に乗せたとはいえ、親としての監護義務を十分に果さなかった点で本件事故の重大な一因となっていることは否定し難い。

五、損害

1、希代子の逸失利益

希代子は死亡当時一年七か月の幼児であったことは当事者間に争いがなく、≪証拠省略≫によれば、希代子は健康な女児であったことが認められ、第一二回生命表によれば、同女の平均余命は七二・二六年であるから少なくとも満一八歳から満六〇歳までの四二年間稼働できたものと推認される。

労働大臣官房労働統計調査部労働統計年報昭和四三年第六九表「産業、企業規模、労働者の種類、性および年令階級別年令、勤続年数、労働時間数、きまって支給する現金給与額、所定内給与額および特別に支払われた現金給与額の平均ならびに労働者数」によれば、昭和四三年における一八歳、女子労働の平均月間きまって支給する現金給与額のうち所定内給与額は二万一、一〇〇円、同平均年間特別に支払われた現金給与額は三万〇、四〇〇円となる。そして、同女の支出すべかりし生活費、租税等は、右稼動期間を通じて収入の五割をこえることはないとみるのが相当である。

そこで右期間中の純収入についてホフマン式計算法に従い年五分の割合による中間利息を控除して、同女死亡当時の現在価額を算定すると

(21,100×12+30,400)×1/2×(27.1047-12.0769)=2,130,942(円未満切捨て)

となる。したがって、希代子は、死亡当時右金額相当の得べかりし利益を喪失したこととなる。

ところで、前認定のとおり原告久代の過失を被害者側の過失として過失相殺の対象として考慮すると、結局被告は、右希代子の逸失利益のうち四割を賠償するのを相当と考える。そして、原告らが希代子の両親であること当事者間に争いがなく、弁論の全趣旨から原告両名において希代子を相続したものと認められこれに反する証拠はないので、原告らはそれぞれの二分の一ずつの損害賠償請求権を相続し、その額は、それぞれ金四二万六、一八八円(円未満切捨て)となる。

2、原告らの慰藉料

本件にあらわれた一切の事情、ことに本件事故の態様、原告らにとってかわいいさかりの希代子を思いもかけぬ本件事故で失った原告らの悲しみ、他方原告久代の過失等諸般の事情を考慮すれば、原告らの受けるべき慰藉料は各自につき金七〇万円が相当である。

六、結論

以上により、原告らの本訴請求は、原告各自につきそれぞれ金一一二万六、一八八円およびこれに対する希代子の死亡した日である昭和四五年五月一〇日から支払いずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条第一項本文を、仮執行の宣言につき同法第一九六条第一項を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 杉本孝子)

<以下省略>

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