名古屋地方裁判所 昭和47年(ワ)1789号 判決 1975年12月05日
原告 田中英教
被告 住友化学工業株式会社
主文
一、被告は原告に対し金四九一、六〇一円及びこれに対する昭和四七年八月一一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二、原告のその余の請求を棄却する。
三、訴訟費用はこれを二分してその一を被告の、その余を原告の各負担とする。
四、この判決は第一項に限り仮に執行することができる。
事実
第一当事者双方の申立
一 原告(請求の趣旨)
(一) 被告は原告に対し金一、四四七、九一三円及びこれに対する昭和四五年一月一七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
(二) 訴訟費用は被告の負担とする。
(三) 仮執行の宣言。
二 被告
(一) 原告の請求を棄却する。
(二) 訴訟費用は原告の負担とする。
第二請求の原因
一 (当事者)
(一) 被告(以下、「会社」ともいう。)は、工業製品、合成樹脂、軽金属、医薬、農薬等の製造、販売を目的とする従業員一四、〇〇〇名を擁する資本金四四八億円の株式会社で、大阪市に本店を有し、名古屋市港区千年字イの割一〇番地軽金属事業部名古屋製造所においてはアルミニウムの製造を行なつている。
(二) 原告は、中学校卒業後被告と労働契約を締結し、昭和三八年一二月二〇日から右名古屋製造所で勤務している。以後、最初の一週間の教育期間及び昭和四〇年一〇月一五日から昭和四一年三月三日まで病気で欠勤しその後同年九月末日まで雑作業に従事した期間を除いて昭和四五年一月一六日まで第一製造課操炉班において操炉作業に従事してきた。
二 (本件労働契約の休憩時間に関する内容)
(一) 会社と訴外総評合化労連住友化学労働組合(以下、単に「組合」という。)との間に締結された労働協約の六二条一項は「就業時間は、原則として一日八時間としこれを労働時間七時間と、休憩時間一時間とに分ける。」と規定し同協約六四条一項は「組合員は、業務を妨げない限り、休憩時間を自由に利用することができる。ただし、事業場外に出る場合は、所属長の許可を受けなければならない。」と規定する。また、会社の就業規則八条一項及び一一条一項にも同趣旨の規定がある。
(二) 労基法三四条一項、三項の規定及び右労働協約、就業規則の各規定を総合すれば、会社は原告に対し、一日一時間の休憩時間を与え、かつ、その休憩時間を自由に利用させるべき労働契約上の債務を負担している。
三 (会社の債務不履行)
(一) 原告の操炉班における勤務形態はいわゆる交替勤務で、その就業時間及び前記労働協約、就業規則で定められた休憩時間は左記のとおりであつた。(上段が就業時間、下段が休憩時間)
<1> 昭和四〇年三月まで
一勤 七時から一五時 一二時から一三時
二勤 一五時から二二時四五分 一八時から一九時
三勤 二二時四五分から翌朝七時 二四時から翌朝一時
<2> 昭和四〇年四月以降
一勤 七時三〇分から一五時 一二時から一三時
二勤 一五時から二二時三〇分 一八時から一九時
三勤 二二時三〇分から翌朝七時三〇分 翌朝一時三〇分から二時三〇分
(二) ところが、原告ら操炉班員は前記休憩時間帯においても労働義務から解放されず、会社の指揮のもとにおかれていた。即ち、原告を含む操炉班員は全員食事時間に食堂に行く以外は操炉現場を離脱することを禁止され、四時間に一回の定期原料挿入(定期突つ込み)作業がなくなるだけで、アルミニウム電解炉の原料が切れた場合に必要なフンケン作業(原料挿入、エア入れ、電圧調整、カーボンとり及び炉の点検をその内容とする。)並びにタツピング作業(電解したアルミニウムのとり出し作業)をする際に必要な電圧調整、メタル測定、液測定及びカバーの各作業に従事させられ、そのうえ食事も二グループに分かれ、一グループずつ交互に食堂に行き職場に残るグループは他の班員の作業まで負担しなければならない実情であつた。
(三) 右のとおり、会社は原告が操炉作業に従事していた期間を通じて、原告に対し休憩時間を一時間与え、かつその休憩時間を自由に利用させるべき労働契約上の債務を一貫して履行しなかつた。
四 (原告の蒙つた損害)
(一) 原告は、被告の右債務不履行により労働契約上の労働時間を超過して労働に従事させられたのであるから一勤、二勤の場合は労働契約上定められていた時間外手当、特別作業手当を含めた賃金相当額、三勤の場合はさらに労働契約上定められていた深夜手当をも含めた賃金相当額の損害を蒙つた。したがつて、一ケ月二五労働日とし、そのうち少なくとも八日は三勤として計算すれば、右損害額は別表(一)のとおりとなり、合計三二七、九一三円(別表のとおり計数上は三一九、六九二円となるので計算の誤りと思われる。)となる。
(二) 休憩時間は労働者にとつて必要不可欠なものであり、特に、本件における操炉作業は高熱粉じんの中での作業でその労働環境は劣悪であり休憩時間の必要性は極めて高かつたのであるから、原告が右債務不履行により蒙つた心身の苦痛、労働力の消耗は非常なものであり、慰藉料は一〇〇万円を下らない。
(三) 原告は、被告が南労働基準監督署の改善命令にもかかわらず原告の右損害を賠償しようとしないので、やむなく弁護士に本件訴訟手続を委任したため、少なくとも一二万円(着手金三万円、報酬金九万円)の出捐を余儀なくされた。
五 よつて、原告は被告に対し右損害金合計一、四四七、九一三円及び原告が操炉作業に従事しなくなつた日の翌日である昭和四五年一月一七日より支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
第三請求の原因に対する認否
一 請求の原因一項の事実は認める。但し、原告が病気欠勤したのは昭和四一年三月二日までであり、その後同年一〇月一七日まで昼勤の作業に従事していた。
二 (一) 同二項(一)の事実は認める。
(二) 同項(二)のうち、休憩時間を自由に利用させるべき債務を負担しているとの点は争う。会社が負担する債務は休憩時間の自由利用を妨げないという不作為債務にすぎない。
三 (一) 同三項(一)の事実中、原告の勤務が交替勤務であり、昭和四〇年一二月までの一勤、三勤の就業時間が<1>のとおりであり、昭和四一年一月以降の就業時間が<2>のとおりであることは認め、その余は否認する。
昭和四〇年一二月までの二勤の勤務時間は一五時から二三時までであつた。また、名古屋製造所労働協約並びに就業規則においては、交替勤務者の休憩時間につき「就業時間に介在する一時間をその業務に応じて指定する。」と規定しており、原告主張のような休憩時間帯を定めていた事実はない。
(二) 同項(二)の事実は否認し、(三)の主張は争う。
アルミニウム製造業は、業務の性質上一時も機械の運転を停止させることができず、操炉班員全員が一斉に現場を離れて休憩することはできない。そこで、会社は昭和三六年八月二九日名古屋南労働基準監督署から一斉休憩除外の許可を受けたうえ、前記名古屋製造所労働協約並びに就業規則の規定に基づき就業時間に介在する一時間を業務の都合に応じて休憩時間として指定していた。即ち、操炉班における定期突つこみ作業、フンケン作業等各作業に要する時間は就業時間八時間中四時間三〇分程度であり、残りの時間は何ら作業の必要がなく、会社はこの時間帯に適宜休憩時間を指定してきた。加えて、例えば一勤の場合であれば一一時三〇分から一三時の間定常的作業は一切ないようにし班員が十分休憩できるよう工夫していた。右のような休憩時間を班員は控室で喫煙したり、雑談したり、雑誌などを読んだり、囲碁、将棋、バトミントンを楽しんだり、組合活動をするなど自由に利用していた。
会社の右休憩時間の取扱いは、班員に対して前記就業規則の規定を周知せしめるとともに課長―主任―担任―班長という指揮命令系統を通じて徹底させていた。
四 同四項の事実は否認する。但し、別表(一)中、時間外及び深夜各一時間あたりの賃金相当額の計算方法は認め、その余の認否は別表(二)のとおりである。
第四抗弁
仮に本件につき被告が何らかの損害賠償義務を負うとしても、原告の右請求権は昭和四五年一月分の賃金支払日である同年二月二五日に確定したのであるから、労基法一一五条に規定する二年を経過しているので、既に時効により消滅している。
よつて、被告は本訴において右消滅時効を援用する。
第五抗弁に対する認否
被告の抗弁は争う。本訴において、原告が主張するところは請求原因記載のとおりの債務不履行による損害賠償請求権であつて賃金請求権ではなく、労基法一一五条の適用はない。
第六証拠関係<省略>
理由
一 請求の原因一項の事実(但し原告が病気欠勤した期間及び雑作業に従事していた期間の点を除く。)、及び同二項(一)のとおりの労働協約、就業規則の各規定が存することは当事者間に争いがない。
二 成立に争いのない乙第一号証の一・二、同第二・第三・第四号証、証人宗田岩光の証言及びこれにより成立を認めうる乙第八・第九号証、証人林成一郎の証言及びこれにより成立を認めうる乙第五号証の三、同第六号証の一・二・三、同第七号証、証人佐藤凱秀、同中田征一、同千羽鹿一の各証言、原告本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すれば次の事実が認められ、証人宗田岩光、同林成一郎、同千羽鹿一の各証言中右認定に反する供述部分はたやすく措信できず、他に右認定に反する証拠はない。
(一) 被告は、昭和三五年二月名古屋製造所を建設し、翌三六年八月一日操業を開始した。同製造所第一製造課は、第一操業班と第二操業班とに分かれ、第二操業班にはアノード班、タツピング班等が属し、原告が所属していた操炉班は第一操業班に属していた。
操炉班は第一棟A・B、第二棟C・D、第三棟E・Fの各一ないし三三番の計一九八炉(但し第三棟は昭和三九年一一月に建設された。)を受持ち、一棟を二班で担当していた。一個班は五名編成で、うち一名が班長、他の四名を二組に分けて、一組二名のうち一名を棒心、一名を一般と呼んでいたが仕事の内容はほとんど変らなかつた。そして、右一棟を担当する二班が右一ないし一七番の前半分又は一八ないし三三番の後半分をそれぞれ担当し、各班の各組がその担当炉を按分して担当し、班長がこれを統轄していた。
(二) 前記労働協約、就業規則には、各事業所の就業時間割は事業所ごとに定める旨の規定が存し、これを受けて名古屋製造所社員就業規則は第二条で昼勤作業者の就業時間を八時から一六時、休憩時間を一二時から一三時と定め、第三条で一般交替勤務者の就業時間を一勤七時から一五時、二勤一五時から二三時、三勤二三時から翌朝七時と定め、同時に休憩時間については「就業時間に介在する一時間をその業務に応じて指定する。」と規定している。右交替勤務者の就業時間については昭和四一年一月から一勤七時三〇分から一五時、二勤一五時から二二時三〇分、三勤二二時三〇分から翌朝七時三〇分と変更されたが、右変更の前後を通じて交替勤務者は交替引継を完了の上であれば始業時刻後及び終業時刻前の各一五分の限度内で入場又は退場してもよいこととされていた。(第六条)
名古屋製造所では、操業直後の昭和三六年八月二五日操炉班も含めて交替勤務者につき名古屋南労働基準監督署長に一せい休憩除外認定を申請し、同月二九日同署長から許可を受けた。右許可申請において休憩時間については各勤番とも一時間を各現場の合理的配慮の下に交替で与えるとしていた。
原告の所属した操炉班は、アルミニウム製造の工程上一時も機械の運転を停止させることができないため、右交替勤務制がとられ、当初は五日で勤番が転換されていたが、まもなく三日で転換するようになつた。(原告が交替勤務であり、その当初の一勤、三勤についての就業時間及び昭和四一年一月以降の就業時間が右のとおりであることは当事者間に争いがない。)
(三) 操炉班の仕事は、酸化アルミニウム(アルミナ)を電解炉で電気分解しアルミニウムを析出させることであり、具体的には主たる作業として定期突つ込み作業、フンケン作業があり、タツピング班がタツピング作業(アルミニウムのとり出し作業)をする際にはその場に立会つて電圧調整、メタル測定、液測定等の作業をしなければならず、他にアルミナカバー、ブスバー調整、ケーシング巻き、カーボンとりなどの作業を必要とされる。
定期突つ込み作業は、電解炉のアルミナが電解熱のため硬くなつてクラストができアルミナが電解炉中に入りにくくなるので、突つ込み機を用いて電解炉の片面を突いてクラストを破砕し電解炉中に挿入する作業で、原則として四時間間隔のローテーシヨンを守り、一勤の場合ほぼ前記一ないし一七の前半分の電解炉につき七時三〇分と一一時、一八ないし三三番の電解炉につき九時と一三時に行なわれていた。この作業にはアルミナカバー、電圧調整等の作業が付随する。
フンケン作業は、電解炉の電圧(通常四ボルト程度、これを基準電圧という。)が一時的に急上昇するいわゆるフンケン現象が発生したときに、突つ込み機を用いて電解炉の周辺を突きクラストを破砕する作業で、フンケンは、通常二四時間あたり一炉につき二、三回発生し、ベルやランプにより班員に覚知できるようされていた。フンケン作業にはアルミナカバー、電圧調整等の作業が付随し、フンケンが一段落して一旦電圧をやや高めにセツトした後、三〇分以内に基準電圧にセツトし直すことになつていた。フンケンが多発したり或いは逆に長時間生じない炉は要注意炉とされ、フンケンが発生した場合はできるだけ速やかにフンケン作業にとりかからなければならないとされていた。
右定期突つ込み作業、フンケン作業はともに各組の二名が協同して行なうのが通常であつた。
タツピング班によるタツピング作業は通常一炉につき一日一回行なわれ、その際担当炉の操炉班員は立会つて電圧調整をし、その後保有アルミニウム量の測定(メタル測定)、電解液の量の測定(液測定)をしなければならない。タツピング作業は訴外住友軽金属から受注した分については昼休み時(一二時から一三時)に行なわれることがあり、操炉班員はタツピング作業の対象となる電解炉や時刻について予め知らされておらず、タツピング車のクラクシヨンの音で出かけて行くのが実情であつた。
その他の作業はいずれも付随的作業で、全体の作業に占める割合は微々たるものであつた。
(四) 操炉班では、班員は、一勤の場合一一時三〇分から一二時の間に各班が二組に分かれて交替で食事に行き、現場に残つた班員は食事に出ている班員の担当炉をも受持ち、フンケンが発生すればフンケン作業に従事し、食事に出た班員も急いで現場に戻り自己の担当炉で他の組の班員がフンケン作業をしていればすぐに引継いで作業を続けるということがしばしばあつた。その後、昼勤の従業員の休憩時間帯である一二時から一三時の間も待機所で雑談したり、囲碁、将棋を楽しんだり、またバトミントンをすることもあつたが、フンケンが発生すればすぐさま駆けつけて作業にとりかからなければならなかつた。そのため、班員は現場にある六個の待機所のうち自己の担当炉に最も近い待機所にいるか、或いはバトミントンをするにも自己の担当炉に最も近い通路で行なつていた。組合事務所へ出かけたりする際も上司や同僚に断わつてから行かなければならなかつた。昼休み時間帯は定期突つ込み作業はないが、フンケンの発生が特に少ないということはなく前記のとおりタツピング班のタツピング作業に立会い電圧調整等の作業を必要とされる場合もあつた。他の時間帯についても、班員は自己の担当炉に近い待機所で待機し、フンケンが発生すれば駆けつけ、或いは、定期突つ込み作業の時刻になればそれに従事した。班員は全就業時間を通じてこれらの作業に従事しているわけではなく、実働時間は五時間程度であるが、フンケンの発生を予測することは困難なため、右待機所と各電解炉を往復して作業に就いていた。右待機所には茶飲み道具、ウオータークーラー、机、椅子、長椅子、新聞、雑誌などが備え付けられ、昭和四三年頃にはクーラーも取り付けられた。班員は作業が一段落すれば、班長の「おい、一服しようや。」などの指示により、或いは、特に指示がなくとも待機所に戻り、ここで喫煙したり雑談したり、新聞、雑誌を読んだりしていたが、自己の待機所を離れるには上司や同僚に断わらなければならず、班員全員が現場を離れることは到底許されなかつた。以上のことは、二勤、三勤の場合もほとんど同様であつた。
なお、操炉班の現場は常に外気より一五度程度気温の高い作業場である。
(五) 会社は、昭和四七年前記名古屋南労働基準監督署長から交替勤務者の休憩時間帯を明確に指定するよう是正勧告を受け操炉班においても一五分、一五分、三〇分を時間帯を定め交替でとらせることにした。
(六) 原告は、昭和四〇年一〇月一五日から翌四一年三月二日まで腰痛で欠勤し、次いで同年三月二日から一〇月一七日まで雑作業に従事した期間を除いて、昭和四五年一月一六日まで操炉班で操炉作業に従事した。
三 会社と組合との間の労働協約、会社の就業規則の各規定により、会社は従業員に対し一日一勤務あたり一時間の休憩時間を与えるべき債務を負担していたものというべきである。
労働者は、労働契約に基づいて労働力を一定の条件に従つて使用者に提供することを義務づけられ、その限りにおいて拘束されるのにすぎず、したがつて、右契約により定められた範囲内の時間だけ労働力を使用者に提供するのが労働者の義務であつて、それ以外の拘束時間、即ち休憩時間は使用者の指揮命令から解放されたまつたく自由な時間であり、この時間をいかに利用するかは使用者の施設管理権等による合理的制限を受けるほかは労働者の自由な意思に委ねられているのである。(休憩時間自由利用の原則―労基法三四条三項)この自由利用を担保するためには、休憩時間の始期、終期が定まつていなければならず、特に終期が定かになつていなければ、労働者は到底安心して自由な休息をとりえないことは明らかというべきである。
そこで本件についてみるに、操炉班員は食事に行つている時間を除いて現場を離れることができず、一勤の場合の昼休み時間帯についてもフンケンを覚知しうる範囲内に留まつていなければならず、現場を離れる場合は上司や同僚に断わらなければならず、一旦現場を離れても、フンケン作業は二名で行なうこととされており他の班員に迷惑をかけないためにも急いで現場に戻つてきたであろうことは想像に難くない。定期突つ込み作業やフンケン作業がなく待機所にいる時間についても、喫煙したり雑談したりすることが許されていたとはいつても、フンケンは何時発生するか予測できないものであり、フンケンが発生すれば速やかに作業にとりかからなければならず、以上のことは二勤、三勤の場合も異なるところはなかつたのである。
右のように常にフンケンを覚知しうる範囲内に留まつていなければならないとすることは、到底休憩時間の利用につき労働者に課せられる合理的制限とみることはできず、操炉班員は食事時間を除いて終期が定まつたうえ労働から解放され使用者の指揮命令から離脱できる時間を与えられていなかつたというのほかはない。一五分程度の食事時間についても、その間現場に残つた班員は他の班員の分までフンケン作業に従事しなければならず、食事に出た班員も急いで現場に戻らなければならなかつた実情からして休憩時間とみるに値するものか否か疑問である。
以上のとおり、会社は原告が操炉班に所属していた間一貫して前記一勤務一時間の休憩時間を与えるべき債務を履行しなかつたと解するほかはない。
四 右説示のように、被告は、右債務不履行により原告が蒙つた損害を賠償する責任があると解すべきである。ところで、被告は原告の右請求権は結局賃金請求権であるというべきところ労基法一一五条規定の時効期間を徒過しているから右請求権は消滅している旨主張するが、原告は労働協約、就業規則等により休憩時間中まで労務を提供すべき義務を負つていたものではなく、原告と被告間に休憩時間中も労務を提供すべき旨の合意があつたとは到底解することはできないのであるから、被告が前記休憩時間を与えなかつたことにより原告に賃金請求権が生ずるのではなく、右休憩時間を与えるべき債務を履行しなかつたことにより前記のとおり原告は債務不履行による損害賠償請求権を取得したというべきであるから、右請求権は賃金請求権とは法律上性質を異にするものであり、右請求権について労基法一一五条の適用のないことは明らかであり、被告の時効の抗弁は採用しえない。
五 (一) 原告が被告の右債務不履行により休憩時間中労働契約上の労働時間を超過して労働に従事させられたことにより蒙つた損害の額は、原告主張のごとき方法により算定される賃金相当額であるというべきところ、原告の基礎賃金相当額、一時間あたりの特別作業手当についてはこれを認定するに足る証拠がないから被告が自認する限度において認めるほかなく、昭和四一年三月以降の原告の各勤番における労働日数については弁論の全趣旨により成立を認めうる乙第一〇号証によれば別表(三)のとおりであることが認められ、同月以前の各勤番の労働日数については一、二勤が月一七回、三勤が月八回として計算するのが適当と考えられる。
そうすると、時間外一時間あたりの賃金相当額及び深夜一時間あたりの賃金相当額の各計算方法については当事者間に争いがないから、原告の右損害の額は別表(三)のとおり合計二九一、六〇一円となることが計数上明らかである。
(二) 本件操炉現場が高温の職場であり、班員の休憩の必要性は特に高かつたと考えられ、しかも相当長期間会社の右債務不履行が継続したこと、他面操炉班では比較的待機時間が長く昼休み時間帯などにバトミントンを楽しむこともあつた等の事情を考慮すると、原告の蒙つた精神的損害を金銭に換算すればその額は二〇万円をもつて相当とする。
(三) 本件全証拠によつても会社の本件応訴が不当な応訴、抗争にあたるとは認められないから、原告の支払うべき弁護士費用が右債務不履行により当然生じた損害であるということはできない。
(四) なお、遅延損害金について、原告は被告の右債務不履行の止んだ日の翌日である昭和四五年一月一七日から請求しうべきものと主張するが、被告の右債務不履行による賠償義務が右同日に遅滞に陥つたものと解することはできず、原告が本訴提起以前に被告に対し右賠償の催告をなしたと認めるべき証拠もないから、被告は右賠償義務につき本訴状送達の時から遅滞の責を負うと解するほかはない。
六 以上説示のとおり、原告の本訴請求は前記損害額二九一、六〇一円と右慰藉料二〇万円の合計四九一、六〇一円及びこれに対する訴状送達の翌日である昭和四七年八月一一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるのでこれを認容し、その余は理由がないので失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条本文を、仮執行の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 小沢博 八田秀夫 前坂光雄)
(別表省略)