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名古屋地方裁判所 昭和47年(ワ)2879号 判決 1976年9月27日

原告

柴山美恵

右法定代理人親権者

柴山一郎

同母

柴山晶子

原告

柴山一郎

原告

柴山晶子

右三名訴訟代理人

川嶋冨士雄

被告

社会福祉法人

恩賜財団済生会

右代表者理事

千田嘉八

右訴訟代理人

鈴木匡

外四名

主文

一  被告は原告柴山美恵に対し金一、〇七五万五、〇八六円及び内金九三六万九、一一二円については昭和四八年一月一七日から、内金一三八万五、九七四円については昭和五〇年一二月一日から各完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告は原告柴山一郎、同柴山晶子に対しそれぞれ金六〇万円及びこれに対する昭和四八年一月一七日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

三  原告らのその余の請求はいずれもこれを棄却する。

四  訴訟費用中、原告柴山美恵と被告との間に生じたものはこれを二分し、その一を同原告の、その余を被告の各負担とし、原告柴山一郎、同柴山晶子と被告との間に生じたものはいずれも被告の負担とする。

五  この判決は原告ら各勝訴部分につき仮りに執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一、請求の趣旨

1  被告は、原告柴山美恵に対し金二、一三九万一、四四五円及び内金九三六万九、一一二円については訴状送達の日の翌日から、内金一、一六四万七、四一三円については昭和五〇年一二月一日から内金三七万四、九二〇円については昭和五一年四月一九日から各完済に至るまで年五分の割合による金員、原告柴山一郎、同柴山晶子に対しそれぞれ金一〇〇万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日から各完済に至るまで年五分の割合による金員を各支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行の宣言。

二、請求の趣旨に対する答弁

原告らの請求を棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一、請求原因

1  原告ら及び被告

原告柴山美恵(昭和四二年七月二六日生――以下「原告美恵」という)は、原告である父柴山一郎(以下「原告一郎」という)、同母柴山晶子(以下「原告晶子」という)との間に出生した女子である。

被告は、東京都港区三田一丁目四番三六号に主たる事務所を有し全国各地に従たる事務所を設けて医療機関を設置、経営し、生活保護法の指定を受けている患者及び生活困窮者のための無料または低額診療を行なうことなどを目的とした社会福祉法人であり、名古屋市西区上更通り一丁目一七番地においても愛知県済生会病院を経営しているものである。

2  原告美恵の骨折

原告美恵は、昭和四六年四月一五日午後〇時一〇分頃、鉄棒で遊技中に左上腕骨果上骨折の傷害を受けた。そこで右傷害の治療のため、原告美恵は原告晶子に伴われて被告経営の愛知県済生会病院を訪れ、同病院整形外科医霞秀夫、同呉文徳らの治療を受けた。

3  治療の経過

(一) 右同日、霞医師は呉医師外二名とともに、原告美恵に麻酔を施したうえその左腕にギブス包帯を巻き、付き添つてきた原告晶子に対し「手の色が変つたり、しびれたりした時には夜中でも連れてきてください。それがなかつたら土曜日(同月一七日)に来てください。」と指示した。同日夜原告美恵の手が変色し、赤くはれて冷たくなつているような気配があつたため、原告晶子は、直ちに前記病院へ原告美恵を連れていつたが、当直の外科医師から「この程度なら大丈夫だ。」と言われ、安心して帰宅した。

(二) 同月一七日(土曜日)、原告晶子は原告美恵を連れて同病院へ行き、呉医師の診療を受けたが別に異常はないとのことであり、この時ギブス包帯の親指部を切除し、親指が露出するようにしてもらつた。ところが右ギブスから表われた親指は変色をきたし、腫れあがつていたため、心配になつた原告晶子は同医師に対し、「毎日通院するのか。」と尋ねたところ、同医師からは「三週間でギブスをはずす。だから五月六日に来ればよい。」と指示された。

(三) 同月二一日午後二時頃、自宅で昼寝をしていた原告美恵の左手が紫色に変色し冷たくなつていたため、原告晶子は原告美恵を同病院へ連れて行き、呉医師に診察してもらつたところ、同医師は「色の悪いのは手の置き方や位置によつて変わるからだ。上にあげるとこのとおり色が変る。心配することはない。」と言い、さらに「せつかく来たのだからギブスを少しゆるめてやろう。」と言つて約一センチ五ミリ巾でギブスを縦に切割し、ギブスの間をあけゆるめた。

(四) 同月二四日、原告晶子は原告美恵を連れて同病院を訪れ霞医師の診察を受けた。そして、同医師が、ギブスの上に巻いてある包帯をとつたところ、三日前にギブスを切割し間をあけたところから、肉がふき出し、水泡状になつていたため、同医師は直ちにギブスを除去し、原告美恵の手を湯の中に入れてマツサージを施した。

(五) 一旦は帰宅したものの原告美恵の紫色にはれ上つた手を見て不安を感じた原告晶子は、同日午後六時頃同病院へ連絡じて診察を頼んだところ、同病院当直医師水野から一晩様子を見るため入院するよう勧められ、同日入院した。

(六) 翌二五日霞医師らは原告美恵の手の血液循環障害を除去するため手術を施すこととし、呉医師の執刀により同女の腋窩動脈を切開したうえカテーテルを使用して右動脈内にヘパリンを注入した。ところが手術終了後になつて右切開部から多量の出血があり、そのため原告美恵は血圧・脈搏に異常をきたし呼吸困難の状態に陥つたことから直ちに呉医師執刀のもとに再び創部を切開し腋窩動脈を結紮する手術を施行した。

(七) その後次第に原告美恵の左手指は壊死状態になり、その領域も指先から手掌中央部付近まで拡大するに至つた。

4  左手五指の亡失

そして、その後原告美恵は同年七月一三日名古屋大学医学部附属病院分院に転院し、同分院において左手五指の切断手術を余儀なくされ、ついに左手五指を亡失するに至つた。

5  医療措置の不適切・不完全

原告美恵の左手指が壊死状態に陥り、その領域が拡大し、ついには左手五指切断という事態になつたのは、済生会病院におけるつぎのような不適切かつ不完全な医療措置により惹起されたものである。

(一) 初診時における血行障害の有無の不確認

小児に多い左上腕骨果上骨折は血行障害を起しやすいのであるから、まず血行障害の有無を確認し、血行障害のある場合は直ちに手術する等して右障害を除去すべきであるのに、霞医師は血行障害の有無を確認しなかつた。

(二) 初診時における不適切な整復方法

血行障害のない場合には以後右障害が発生しないように最も安全な方法、即ちギブス副子を用いまたは牽引療法によつて整復すべきであり、また骨折部が腫脹するのを予想してある程度ギブスをゆるくしあるいはこれを縦に割るなどすべきであるのに霞医師・呉医師らは右のような最も安全な方法をとることなく単にギブス包帯を固く巻きつけるという方法をとつた。

(三) 血行障害発見の遅滞

前記(二)のように上腕骨果上骨折は血行障害が発生しやすいから手指の変色・腫脹などの血行障害の徴候を外部から観察できるようにすべきであり、また右のような症状が発現したときはその原因を探求して血行障害を早期に発見しそれに対する対症療法を直ちに行なうべきであるのに、霞医師らは指先から肩までをギブス包帯でおおい隠して外部観察を不能にし、そして前記3記載のとおり初診日(四月一五日)の夜から同月二四日までの間前後四回にわたつて原告美恵が手指の変色・腫脹につき霞医師らの診察を受けているのに、同医師らは「この程度なら大丈夫だ。」、「三週間後に来ればよい。」、「寝方が悪いのだ。」などと言うだけでこれを重大視しなかつたのであり、このような軽卒な診療態度をとり続けたことから、霞医師らは原告美恵の手指の血行障害を早期に発見することができず、またこれに対する適切な治療もとれなかつたのである。特に同月二四日診察を受けた際には原告美恵の腕はギブスの割れ目から肉片がふき出し、腫脹並びに水泡形成が著しい状態であつたのに、霞医師は単にギブスを除去して温水中でマツサージをしただけであり、さらにその後も入院させる等して引き続きマツサージを根気よくくり返すなど適切な治療をすべきであるのに、これをすることなくそのまま帰宅させ、そして当日夜原告らが見るに見かねて同病院へ診察してもらいに行つた時には家族が神経質になつているという理由で入院させているのである。以上のように霞医師・呉医師の初診時におけるギブス包帯のまき方が不適切であつたことと、その後の粗診粗療によつて原告美恵の血行障害の発見が遅れ、適切な対症療法をとれなかつたのである。

(四) 二度にわたる不適切な手術

同月二五日朝霞医師および呉医師は原告美恵の手指の血行障害を除去するため同原告の腋下動脈を切開しペパリン注入手術(以下「一次手術」という)を行なつたが、同日夜右切開部から多量の出血があつたため、同医師らは再び創部を切開し出血部の結紮手術(以下「二次手術」という)を施した。ところで右各医療措置にはつぎのような不適切かつ不完全な点がある。

(イ) 手術決定前の患部の診療及び検査の不実施

本件一次手術を決定する前に、霞医師・呉医師は血行障害の原因を探るべく原告美恵の患部を診察し、血管撮影をする等して血栓の有無を確保すべきであるのに、これをすることなくヘパリン注入手術を施した。

(ロ) 血管専門医の不立会い

本件一次手術は当然多量の出血が予想されるし、また霞医師らにとつては一度も経験したことのない手術であり、二次手術については前記のとおり右多量出血を止めるためのものであるから、これらいずれの手術にも血管外科の専門医が立会うべきであるのに(同病院は総合病院であるから容易に血管外科専門医の援助は受けられる)、右のような専門医を立会わせることなく一次二次手術を行なつた。

(ハ) ヘパリンの使用

原告美恵のような場合、血行障害を除去するためには血管収縮作用をしている動脈周囲の交感神経を剥離するなどの手術をすべきであるのに、血行を大きく改善し得る可能性が少なくまた多量の出血が予想されるヘパリンの注入手術を行なつた。

(ニ) カテーテルの使用

本来カテーテルを使用して薬品を導入するのは写真撮影をするときに用いる方法でありまたカテーテルを使用すれば血管を切開しなければならず必然的に出血多量を伴うことになるから、注射器を用いるべきであるのにカテーテルを使用してヘパリン注入手術を行なつた。

(ホ) 一次手術における不適切な止血方法

腋窩動脈を止血するには血管縫合をすべきであるのに、一次手術の際には右のような措置をとることなくスポンゼルのみで止血した(スポンゼルによる止血が可能なのは毛細血管からの出血ぐらいである)。

(ヘ) 二次手術における不適切な止血方法

腋窩動脈を止血するには血管縫合すべきであるのに、二次手術の際には腋窩動脈自体を結紮した。

以上のように霞医師・呉医師は現に原告美恵の手指に血行障害のあることを発見したのであるから、右障害を除去し、最少限度に壊死領域の拡大を防止すべきであるのに、右(イ)ないし(ヘ)記載のような不適切かつ不完全な医療措置により、ついには腋窩動脈を結紮して壊死状態に陥らせ、さらに右領域を拡大させた。

6  以上によれば、被告は、原告美恵の左手五指亡失の結果、原告らが蒙つた損害につき一次的には医療契約上の債務不履行による責任を理由として、二次的には霞医師・呉医師の使用者たる地位に基づき民法七一五条所定の責任を理由として、これらを賠償する義務がある。

7  原告美恵の左手五指亡失の結果原告らが蒙つた損害はつぎのとおりである。

(一) 後遺障害慰藉料

金六〇〇万円

原告美恵の後遺障害は、左手五指を亡失したものとして後遺障害等級表のうち第六級に該当するところ、その精神的苦痛に対する慰藉料は自賠責保険の第六級後遺障害補償費金七五〇万円の八割にあたる金六〇〇万円が相当である。

(二) 後遺障害による逸失利益

金一、〇三三万九、五三四円

後遣障害第六級は労働能力喪失率が六七パーセントであるところ、昭和四八年度の女子一八才の全国平均賃金は月額金六万五、七〇〇円、そして原告美恵は昭和五一年七月二六日には満九才になることから就労の始期を一八才、終期を六七才として逸失利益の現価(ホフマン式計算)を算出するとつぎのとおりである。

65,700×12×67/100×(26.852−7.278)=10,339,534

(三) 入院通院に対する慰藉料

金四四八万円

原告美恵は被告の医療過誤により昭和四六年四月二四日から同年七月三日まで済生会病院に入院(七一日間)、同年七月一〇日から同年九月一八日まで名古屋大学医学部附属病院入院(七一日間)、同年一一月一六日から同月二九日まで同分院入院(一三日間)、昭和四七年一月三一日から同年二月一〇日まで同分院入院(一一日間)、同年三月二二日から同月二四日まで同分院入院(三日間)、以上合計一六九日間入院した。

原告美恵は五指の切断・移植・整形手術等のため右のとおり入院を余儀なくされ、かつその後現在まで四年間以上にわたつて通院し治療を受けていることを考えると、右入通院による慰藉料は金四四八万円を下らない(入院一ケ月につき金二〇万円、通院一ケ月につき金七万円で、実通院日数は四年間として計算)。

(四) 治療費

金三五万二、二一一円

原告美恵は被告の医療過誤により長期の入通院を余儀なくされたが、その間の治療費として金三五万二、二一一円を支出した。

(五) 入院雑費 金五万七〇〇円

原告美恵は前記一六九日間の入院期間中一日につき金三〇〇円の割合で諸雑費を支出し、合計金五万七〇〇円の損害を蒙つた。

(六) 付添費

金一六万九、〇〇〇円

原告美恵の入院中原告晶子は右美恵が幼児のため付添をしたが、これを金銭に換算すると一日につき金一、〇〇〇が相当であるから合計一六万九、〇〇〇円が損害となる。

(七) 弁護士費用

原告一郎と同晶子は本訴訟提起を原告代理人に委任し、判決認容額の一割にあたる金二〇〇万円を、それぞれ金一〇〇万円ずつ支払うことを約した。

8  よつて、被告に対し、原告美恵は右7の(一)ないし(六)の損害合計金二、一三九万一、四四五円及び内金九三六万九、一一二円については訴状送達の日の翌日である昭和四八年一月一七日から、内金一、一六四万七、四一三円については該金員の拡張請求をした日である昭和五〇年一二月一日から、内金三七万四、九二〇円については同拡張請求をした日である昭和五一年四月一九日から各完済に至るまで、また原告一郎、同晶子は前記7(七)の弁護士費用各金一〇〇万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和四八年一月一七日から各完済に至るまでそれぞれ民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二、請求原因に対する認否

1  請求原因1は認める。

2  同2は認める。

3(一)  同3(一)は認める。

(二)  同3(二)のうち原告晶子が四月一七日原告美恵を連れて来院し呉医師の診察を受けたこと、呉医師がギブス包帯の親指部を切除し親指が露出するようにしたこと、三週間後にギブス包帯をはずすため来院するように指示したことは認めるが、その余は不知。

(三)  同3(三)は認める。なお呉医師が原告美恵のギブスを切割したのは万全を期す予防的処置として行なつたものである。

(四)  同3(四)は認める。骨折の治療期間を考えると未だその時期ではないのに霞医師がギブスを除去したのは、原告美恵の患部を壊死から救うための救急措置であつた。

(五)  同3(五)は認める。

(六)同3(六)のうち、原告美恵が脈搏に異常をきたし呼吸困難に陥つた点、および腋窩動脈を結紮したとの点はいずれも否認し、その余は認める。

(七)  同3(七)は認める。

4  同4のうち移植手術の点は不知、その余は認める。

5(一)  同5(一)は否認する。

(二)  同5(二)は否認する。

(三)  同5(三)は否認する。

四月二四日霞医師が原告美恵をそのまま帰宅させたのは温水中でのマツサージによつて血行改善の微候がみられたからである。

(四)(イ)  同5(イ)は否認する。

手術に際し霞医師・呉医師は原告美恵の患部を診察している。

(ロ)  同5(四)(ロ)は否認する。

本件一、二次手術はいずれも呉医師執刀のもとに行なわれたものであるが同医師にとつては何度も経験済みの手術である。

(ハ)  同5(四)(ハ)は否認する。

原告の主張する交感神経の剥離は本件一次手術と同時に施行している。また原告はヘパリンを動脈内に注入するのは効果も少なく危険であると主張するが、この方法は血行改善の方法として血管外科では三、四〇年も前から行なわれているものである。

(ニ)  同5(四)(ニ)は否認する。

原告はカテーテルではなく注射器を使用すべきであつたと主張するが、三才の幼児の血管はもともと細く、しかも原告美恵の血管は虚脱状態に陥り薄い平板状になつていたため普通の注射針では血管内に入れることができなかつた。無理に注射針を使用すれば血管内壁を傷つけることになり、また注射器による注入は長時間(一、二時間)を要し適切でない。そこで呉医師はゴム製のやわらかくて細いカテーテルを使用しヘパリンを注入したのである。

(ホ)  同5(四)(ホ)は否認する。

呉医師は血管創口を閉鎖することによつて止血したのである。

(ヘ)  同5(四)(ヘ)は否認する。

腋窩動脈自体を結紮したとすれば手指はみるみるうちに紫色に変色し壊死領域は上腕部にまで拡大するはずであり、また結紮部以下の動脈には脈搏がなくなり、その後支脈が成長したとしても極めてかすかなものとなつてしまうはずである。手術記録中「腋窩動脈結紮」とあるのは原告美恵の手術に立会つた鳥本医師の記載したものであるがその趣旨は腋窩動脈切開部の周辺を結紮したという意味である。

6  同6は争う。

7  同7は全部不知。

8  原告美恵の手指の血行障害は原告側にその原因がある。

(一) 原告美恵は四月二二日。同二三日には済生会病院に診察を受けに来ていないが、これは原告美恵の手指に何らの異状がみられなかつたからである。ところが翌二四日朝診察を受けに来た時には血行障害の徴候であるギブス切割部の腫脹および手指の変色がみられたのである。これは、この間に血行障害を引き起す何らかの原因、たとえば原告美恵の寝方が悪く患部を圧迫した等のことがあつて、その結果、血行障害を起こしたのではないかと考えられる。

(二) 原告晶子は四月二四日原告美恵を森接骨医へ連れて行き、同接骨医に骨折部を何度も引つぱるようなことをさせている。そして同夜済生会病院を訪れたときには入院の指示をしなければならないほどの状態になつていたのである。

第三  証拠

理由

一医療契約の成立

請求原因1、2の事実は当事者間に争いがなく、この事実によれば、原告美恵と被告との間で、同原告の左上腕骨果上骨折の治療を目的とする医療契約が締結されたものと認められ、そして霞医師・呉医師は被告の被用者として右医療契約に基づき、善良な管理者の注意をもつて原告美恵の治療にあたるべき被告の債務の履行補助者たる地位にあつたものというべきである。

二左手の血行障害と壊死発生及びその領域拡大

原告美恵の左手はその指先から手掌中央付近まで全域にわたつて壊死化し、名古屋大学医学部附属病院分院において五指切断手術を受けたことは当事者間に争いがない。

原告美恵の左手血行障害と壊死発生の原因につき争いがあるのでまずこの点につき判断する。

鑑定人天児民和の鑑定結果及び証人天児民和の証言によれば、原告美恵の左手血行障害とそれによる壊死発生の原因としては、一応(一)上腕動脈が骨折と同時に挫傷を受け、このため血栓が形成される場合、(二)高度の腫脹と浮腫のため軟部に血行障害が起こる場合、(三)骨折端が血管を圧迫する場合、(四)ギブス包帯を強く緊縛し過ぎて血行を阻害する場合の四つが考えられるところ、まず原告美恵の左手に血行障害の著明な症候が表われたのが受傷後六日目であることから血行障害の症候が短期間のうちに表われる(三)、(四)の場合である可能性はなく、つぎに軟部の腫脹・浮腫による場合は、阻血性拘縮といわれる手指屈曲筋の瘢痕化と短縮を起すもので手指の壊死を起こすことはないことから(二)の場合である可能性もなく、そして、動脈が圧挫され内壁が損傷を起こし、そこに血栓が形成された場合には、受傷後数日にして血行障害が発生する傾向があり、前記のような血行障害発現の時期からすれば、原告美恵の血行障害は(一)の場合である可能性が強く、従つてその壊死発生の原因は、動脈が骨折と同時に挫傷を受け最初は血液が流れていたもののその後血栓が形成せられて血管腔に閉塞をきたし、その結果血流を阻害したことによるものであることが推定される。

原告は血行障害及び壊死発生の原因につき、ギブス包帯を強く緊縛し過ぎたことによるものと主張するが、右主張は前記鑑定の結果並びに証人天児民和の証言に照らしにわかに採用できない。

また被告は原告美恵の左手血行障害及び壊死発生の原因につきつぎのとおり主張する。即ち同原告が四月二一日に済生会病院で三回目の診察を受けて以後二日間病院に来院しなかつたのは原告美恵の手指に何らの異状がなかつたからであり、これに対して同月二四日来院した時には腫脹と手指に変色が生じていたのであるから、この間に血行障害を発生させる何らかの原因、たとえば、原告美恵の寝方が悪くて患部を圧迫したこと等によるものである。

しかし、<証拠>によれば、原告美恵の左手指は同月二二日、二三日の両日とも同月二一日と同様変色をきたしていたこと(なお原告晶子は同原告の本人尋問において二二日、二三日とも原告美恵の手指に異常はなかつた旨供述しているが、その趣旨は甲第二号証の一に照らせば、二一日の手指の状態との対比において特段悪化してはいないという意味であると解せられる)、とくに二二日においては原告美恵が手指の痛みを訴え済生会病院を訪れようとしたことがそれぞれ認められ(以上の認定を左右するに足る証拠はない。)右事実によれば原告美恵の左手指は同月二一日に引き続き、二二日、二三日の両日とも異常が認められたのであり、右両日何らの異常がなく突如として二四日に異常が発生した旨の被告の主張は、この点においてまず失当であるばかりか、証人天児民和の証言によれば被告が主張するような血行障害発生の可能性はほとんどないことが認められ、その他被告の右主張を認めるに足る証拠はない。

つぎに、被告は原告美恵の血行障害の発生並びにその増悪の原因として、同月二四日の森接骨医での措置を主張している。<証拠>によれば、同月二四日夜原告美恵は森接骨医において左手を二度にわたつて引つぱられていることが認められるが、証人天児民和の証言によれば森接骨医での右措置が血行障害の発生およびその結果としての壊死化の原因とまでは考えられないことが認められ、その他被告の右主張を認めるに足る証拠はない。

その他原告美恵の左手血行障害及び壊死発生の原因につき、前記推定を覆すに足る証拠はないから、この推定のとおりであると認められるのが相当である。

つぎに壊死領域の拡大についてであるが、<証拠>によれば、原告美恵は四月二五日上腕動脈を切開してカテーテルによりヘパリン合計一〇CCを注入する手術を受けたが術後創部から徐々に出血し始め、包帯・ガーゼで圧迫しても出血は止まらずシヨツク症状があらわれて生命が危ぶまれるような状態になつたこと、そのため同日夜再び霞医師が助手を勤め呉医師執刀のもとに創部を切開し上腕動脈を結紮したこと、その後同月二九日には原告美恵の左手指先に壊死が発生し六月初旬ころにはその領域が手掌中央付近まで拡大するに至つたことが認められる。

証人霞秀夫は「本管(動脈)には絶対にタツチしていない。動脈周囲の毛細血管を止血した。」旨証言し、証人呉文徳は第二回の証人尋問において「上腕動脈の切開部を縫合し、そして動脈周囲の毛細血管を止血した。」旨証言しているが、右各証言はいずれも毛細血管を止血し上腕動脈は結紮していないという点では一致しているものの最も重要な点である上腕動脈の止血方法については呉医師が動脈切開部を縫合した旨証言しているのに、同じ手術に助手として立会つた霞医師の証言中には「本管には絶対にタツチしていない。」旨の証言があるのみで動脈切開部縫合の点については何ら証言がなされておらず、このように証言相互間に重要な点でくい違いのあること、そして前掲甲第一号証中には四月二五日の二度目の手術につき「同夜多量出血にて上腕動脈結紮」なる旨の記載があること、さらに前記鑑定の結果によれば、動脈切開部が大きく同箇所からの出血をくい止めるためには最悪の場合右動脈を結紮せざるを得ない場合があることが認められること、そして原告美恵の場合右認定のとおり術後創部からの出血のためシヨツク症状に陥り生命が危険な状態にまでなつたこと、以上の各事実に照らし証人霞秀夫、同呉文徳(第二回)の前記各証言は措信できず、その他前記認定を左右するに足る証拠はない。(なお被告は、動脈を結紮した場合手指はみるみるうちに紫色に変色して壊死領域は上腕部まで拡大し、また脈搏が無くなるか、あるいはその後支脈が生じたとしても極めてかすかなものになつてしまう旨主張するが、右主張のような医学上の経験則を認めるに足る証拠はない)

そして証人天児民和の証言によれば、動脈を結紮した場合、壊死領域は、動脈内血栓形成だけの場合より拡大することが認められるのであるから、この事実と前認定の事実を総合すれば、原告美恵は四月二五日の二度目の手術の際、上腕動脈を結紮されたために、既に生じていた動脈内血栓形成と相まち左手手掌中央付近まで壊死領域が拡大したと認めるのが相当である。

三医療措置の不適切・不完全

1  原告は、左上腕骨果上骨折は血行障害を起しやすいから、霞医師は四月一五日の初診時に原告美恵に血行障害が発生していたか否かを確認すべきであつたのにこれを怠つた不適切がある旨主張する。証人霞秀夫の証言によるも同人が初診時、原告美恵の血行障害発生の有無につき確認をするための措置をとつたことは認められないが、前記鑑定の結果によれば、小児の場合本件のように手指の壊死を起こすことは稀であるから右壊死の原因となつた動脈内の血栓形成を早期に発見することは困難であることが認められ、この事実に照せば霞医師が仮りに血行障害発生の有無を確認するための措置を講じたとしてもこれを確認できたかどうか極めて疑わしく、従つて霞医師が右のような措置をとらなかつたとしてもこれをもつて不適切であるということはできない。

2  つぎに原告は、血行障害が発生しないように最も安全な牽引療法等によつて整復し、あるいは骨接部の腫脹を予想してギブスをある程度ゆるく巻く等すべきであるのに、霞医師らは右のような措置をとることなく単にギブス包帯を固く巻きつける方法をとつたのが不適切である旨主張するが、原告美恵の血行障害の原因は前認定のとおり、骨接と同時に動脈が挫傷を受けこれによつて血栓が形成されたことによるものであるから、これと前提を異にする原告の右主張は判断するまでもなく失当である。(ギブス包帯により左腕全部を緊縛したこと自体が、右挫傷に因り生じた血栓進行の一因となり得るとしても、それ自体として本件血栓形成の原因となつたものと認め難いことはさきに判断したとおりである。)

3  また原告は、霞医師らの初診時におけるギブス包帯の巻き方が不適切であつたことおよび四月一五日の初診日の夜から同月二四日までの間の前後四回にわたる診療が不適切であつたことから血行障害並びにその原因の発見が遅れ、適切な治療がとれなかつた旨主張するのでこの点につき判断する。

<証拠>によれば原告美恵に対する治療の経過はつぎのとおりである。

原告美恵は四月一五日左上腕を骨折したため済生会病院において診察を受け、その結果左上腕骨果上骨折と判明したので同病院整形外科医霞秀夫のもとで治療を受けることになつた(以上の事実は当事者間に争いがない)。同日霞医師・呉医師らは原告美恵に麻酔を施したうえ肩先から指まで指先を少し残して腕および手指の全面に亘つてギブス包帯を巻きつけた。そして霞医師は付き添つてきた原告晶子に「手の色が変つたりしびれたりした時は夜中でも連れてくるように。もしそれがなかつたら土曜日(四月一七日)に来るように。」と指示した。

同日夜原告美恵の手が赤く腫れて冷たいような気がしたため原告晶子は原告美恵を連れて同病院を訪れ、診察を受けたところ「この程度なら大丈夫だ。」といわれ安心して帰宅した。

同月一七日、原告美恵は呉医師の診察を受けたが、異常は認められなかつた。そして親指が露出するようギブス包帯の一部を切除してもらつたところ、中から表われた親指は変色して腫れていたが、呉医師は骨折の通常の過程で表われる変色や腫れで、正常の範囲内のものであると考え別段気にもとめず、五月六日にギブスをはずすからその時来院するよう指示した。

同月二一日午後二時頃原告晶子は、昼寝をしている原告美恵の手指が冷たく、しかも紫色に変色して腫れ上つているのに気づいたので済生会病院を訪れ、呉医師の診察を受けさせ、そして昼寝から醒めたら手指が紫色になつていた旨説明した。呉医師は、原告美恵が同月一七日に来院してから同月に二〇日まで三日間来院していないことから、その間は何ら異常がなかつたものと判断し、また原告晶子に対し「手の位置や置き方が悪いと、腕を圧迫して血行を障害し、色が悪く変色するのだ。」等の説明をした。しかし同医師はギブスによる緊縛の程度を緩めるため、ギブスを一センチ五ミリ巾で縦に切割した。

同月二四日原告美恵の手指は黒みがかつて腫れていたため、原告晶子は心配になり同病院に赴き霞医師の診察を受けさせた。そこで、同医師は、ギブスの上に巻いてある包帯をとつたところ、三日前にギブスを切割した部分に血行障害の徴候である水泡の発生がみられたため、骨の整復よりも血行障害の除去を優先させるべきであると判断し、美恵の腕を圧迫しているギブス包帯を除去してその腕に温水マツサージを施した。

同日夜、原告晶子は医師の指示に基づき原告美恵の手指にマツサージを繰り返したがこれをやめるとすぐ元の悪い色に戻るため心配になつて再度済生会病院を訪れ、当直の水野医師の診察を受けた結果、様子を見るため一晩入院することになつた。

右のような事実を認めることができ、この認定を左右するに足る証拠はない。

以上認定の事実をもとに以下前記原告の主張について判断する。

まず原告は、霞医師らが原告美恵の骨折を整復するのに指先から肩までをギブス包帯でおおい隠し外部観察を不能にしたのが不適切である旨主張するが、右認定のとおり、指先も全部ギブス包帯の中に巻き込んだわけではなく、指の先端部分は露出するようにしてあつたのであるから同所からの外部観察は可能であり従つてこの点に関する原告の主張は前提を異にするから失当である。

つぎに原告は、四月一五日から同月二四日までの間の霞医師・呉医師らの不適切な診療により原告美恵の血行障害発見が遅れた旨主張するのでこの点につき順次検討する。

<証拠>によれば、一般的にいつて骨折による腫脹がピークに達するのは骨折後一、二日目であり、その後は腫脹が徐々に消退していくことが認められる。

右の事実に照らせば、前認定のとおり四月一五日夜および同月一七日原告美恵の手指が変色・腫脹しているのを診察した呉医師らが、右の症状は骨折の通常の過程であらわれる変色・腫脹であると判断し特別の措置をとらなかつたのはやむを得ないところであり、これを不適切であるということはできない。

同月二一日の原告美恵の症状を呉医師は前認定の理由から一時的な血液循環障害であると判断し、ギブスを一センチ五ミリ巾で縦に切割しただけでその他格別の措置をとらなかつのは前記のとおりであるが、骨折時から二、三日目というならともかく、すでに六日間を経過した段階でなお手指が紫色に変色し腫脹しているというのは明らかに正常な骨折の治癒の経過とは異なつたものであるから、診察にあたつた呉医師としては、原告美恵が来院していない同月一八日から二〇日までの間の同女の手指の変色・腫脹の状況を原告晶子に仔細に尋ねるのはもちろん、前診察時である同月一七日における原告美恵の手指の状況、右一八日から二〇日までの間の状況、そして二一日の変色・腫脹状況を詳細に比較検討し、右の変色・腫脹が単にギブスの圧迫による一時的な血行障害に起因するのか、その他の可能性は考えられないか等慎重に検討・判断したうえ、これに対する有効かつ適切な検査・治療を講ずべきであり、そして右のような慎重な検討並びに適切な検査がなされたなら原告美恵の血行障害の原因である血栓形成も右の段階で発見でき、これに対する適切な治療により壊死化を未然に防止できたと推認されるのである。しかるに呉医師は右のような慎重な検討を怠り、前記のような理由から原告美恵の変色・腫脹を一時的な血行障害によるものであると速断し、ギブス包帯を縦に一センチ五ミリ巾で切割しただけでその他格別の措置をとることなくそのまま放置したのは、不適切かつ不完全な医療措置であるといわざるを得ない。

同月二四日における霞医師の原告美恵に対する治療の内容は前認定のとおりであり、原告は、霞医師が温水中でのマツサージをさらにくり返し施す等適切な措置を講ずることなくそのまま帰宅させたのが不適切であると主張するが、<証拠>によれば、原告晶子と同一郎は同日徹夜で原告美恵の手指にマツサージを施したにもかかわらず翌二五日には右手指は壊死の一歩手前の状態になつていたことが認められるのであるから、右事実に照らせば、仮りに霞医師が原告美恵を帰宅させることなく入院させ、ひき続きマツサージを施したとしても手指の壊死化を免れ得たとまで推認することはできず、また同月二五日には原告美恵の手指が壊死化の一歩手前まできていたという前認定の事実に照らせば、その前日である二四日の段階でその他の適切な医療措置をとつたとしても原告美恵の手指が壊死するのを未然に防止できたとまで推認するのは困難である。従つて二四日における霞医師の治療が原告主張のように不適切・不完全であつたとしてもこれと壊死の発生との間に因果関係を認めることができず、この点に関する原告の主張は理由がない。

以上の次第で、四月二一日における呉医師の診察並びに治療は不適切かつ不完全なものであるといわなければならないが、その余の点については原告の主張は理由がない。

4  さらに原告は、霞医師・呉医師が行なつた二度にわたる各手術に請求原因5(四)の(イ)ないし(ヘ)記載のとおり不適切・不完全な点があつたと主張する、しかしながら、原告美恵の左手壊死が手掌中央付近まで拡大したのは上腕動脈結紮によるものであるという前認定の事実に照らせば、原告事実のうち右(イ)ないし(ホ)の点について霞医師・呉医師が適切・妥当な措置を講じていたとしても原告美恵の左手壊死拡大は免れ得なかつたのであるから、仮りに右各点において霞医師・呉医師の措置が不適切・不完全であつたとしてもこれと左手壊死拡大との間に因果関係を認めることはできない。

従つて原告主張の(イ)ないし(ホ)の点については判断するまでもなく失当である。

そこで残つた(ヘ)の点、即ち二次手術の際呉医師が上腕動脈自体を結紮したのが不適切であるか否かの点について判断するに、呉医師が二次手術の際創部からの出血を止めるため上腕動脈自体を結紮したこと、そして右結紮と原告美恵の左手壊死拡大との間に因果関係が認められることは前記説示のとおりであるが、呉医師としては右のような場合上腕動脈を縫合することによつて止血すべきであるのにこのような措置をとることなく上腕動脈自体を結紮したのは明らかに不適切な医療措置というべきである。

四以上において検討したところから判断すると、呉医師の四月二一日における診療、並びに同月二五日における二次手術の際の止血方法にそれぞれ不適切・不完全な点があり、これらの不適切・不完全な医療措置は本件医療契約に基づく被告の前記債務の履行補助者たる医師の過失によるものであるというべきであるから、上記説示のとおり右各不適切・不完全な医療措置と原告美恵の左手壊死の発生・拡大ひいては左手五指切断との間に因果関係の認められる以上、被告は本件医療契約に基づづく前記債務の不完全履行によつてこれらの結果を招いたものであるといわざるを得ず、従つて本件医療契約の当事者である原告美恵が蒙つた損害を賠償する義務があるといわなければならない。

五そこで、さらに進んで原告らの蒙つた損害について判断する。

1  まず、左手五指切断による後遺障害により原告美恵が蒙つた精神的損害についてみるに、原告美恵が名古屋大学医学部附属病院分院において左手五指切断手術を受けたことは当事者間に争いがないところ、<証拠>により昭和五〇年一一月三日当時の原告美恵の左手の写真であると認められる甲第八号証の一、二、鑑定嘱託の結果、および原告晶子本人尋問の結果によれば、原告美恵は右分院において昭和四六年七月一三日左手の親指・示指・中指を抜去し、そして薬指・小指は第一関節以下を残していずれも切除したうえ示指手甲部の骨を親指部の骨に接続して新たに親指部を形成する整形手術を受けたこと、そして現在同原告の左手は親指部に相当する肉の突出部分とその余の部分の二つに分れており、あたかも野球のグローブの如く醜く変形していること、現在機能訓練を受けているものの物を握る力と挾む力は弱いこと、そして同原告は昭和四二年七月二六日生れの女子であり(この事実は当事者間に争いがない)現在幼稚園に通園しているが、集団生活においては種々の不自由を余儀なくされ、また外を歩く時も人目に触れるのが嫌で左手をポケツトにつつ込んだまま歩かざるを得ないことが認めらる(この認定に反する証拠はない)。

右認定の事実によれば、原告美恵は幼くして左手五指を失い、一生を身体障害者として過ごすことを余儀なくされたばかりか、右の後遺障害が将来の学校生活・就職・結婚・出産・子の養育等に多大の障害となることは容易に推測できるところであり、右のような事情に前認定のような不適切・不完全な医療措置の態様、その他諸般の事情を合わせ考えるなら、これらの精神的苦痛を慰藉するには金三〇〇万円をもつて相当とすべきである。

2  つぎに、原告美恵の後遺障害による逸失利益についてみるに、同原告の左手は現在、親指に相当する肉の突出部とその余の二つから形成され、機能回復訓練を受けているものの握力・挾む力が弱いことは前認定のとおりであるが、右の事実によれば、後遺障害の認められるのは右手ではなく左手であり、しかも手指の機能を果たす部分を全部喪失したわけではなく一応親指部とその余の部分の二つが形成されているから、極めて不十分ながらもある程度は右機能を代替できるものと解する余地があること、そして機能回復訓練を将来にわたつて継続すれば握力・挾む力もある程度は出てくる可能性も否定できないこと等からすれば、原告美恵の労働能力喪失率は四割と認めるのが相当であり、後記稼働可能期間中右同率の労働力を喪失したというべきである。

そして原告美恵が昭和四二年七月二六日生れの女子であることは当事者間に争いがないから、同原告は控え目にみても満一八才から満六七才までの四九年間、平均的女子労働者と同程度の稼動をなし得るものと推認されるところ、当裁判所に顕著な昭和四九年資金センサスによれば、産業計・企業規模計・学歴計・女子一八才ないし一九才の労働者平均給与額は金六万四、五〇〇円であり、また右による年間賞与等特別給与額は金一〇万二、七〇〇円であるから、これらによつて年収額を算出すると金八七万六、七〇〇円となり、右金額並びに前認定の労働能力喪失率四割を基準としてホフマン式計算方法(係数17.677)により同原告が四九年間に取得しうべき利益額から中間利息を控除し同原告が前記後遺障害固定時(前掲甲第五号証並びに弁論の全趣旨によれば昭和四六年と認めるべきである)において一時に請求しうる金額を計算すると六一九万八、九七〇円(円未満切捨て)となり、同原告は被告の前記不完全履行によつて右同額の得べかりし利益を喪失したものといえる。

3  さらに原告美恵の入通院による慰藉料についてみるに、<証拠>によれば、原告美恵は、原告主張の期間中済生会病院において合計七一日間、名古屋大学医学部附属病院分院において合計九九日間、以上合計一七〇日間入院したこと、そして昭和四六年六月二八日から昭和五〇年八月一八日までの合計一六九日間通院したことが認められ(これに反する証拠はない。なお<証拠>によるも昭和四八年五月一六日以降の通院状況は明らかでないから、右同日以降昭和五〇年八月一八日までの通院状況は甲第九号証の三二二ないし三五五によつて認定した。原告は右認定の一六九日間を超える四年間を実通院日数と主張するがこれを認める証拠はない。)、右認定の事実とその他諸般の事情を考慮すれば、同原告が右入通院によつて蒙つた精神的苦痛を慰藉するには金一〇〇万円をもつて相当とすべきである。

4  治療費についてみるに、<証拠>によれば、原告美恵は愛知県済生会病院並びに名古屋大学医学部附属病院分院における治療費として合計金三五万二、一一六円の支出を余儀なくされたことが認められ、これに反する証拠はない。

5  入院雑費についてみるに、原告美恵が一七〇日間入院したことは前認定のとおりであるが、右期間中の入院雑費は一日あたり金二〇〇円を下らないものと認められるから同原告が要した入院雑費は合計金三万四、〇〇〇円となる。

6  付添費についてみるに、原告美恵は前記のとおり昭和四二年生れの幼女であるから前記一七〇日の入院期間中付添看護を必要としたことは明らかであり、弁論の全趣旨によれば同原告の母である原告晶子がその付添をしたことが認められるところ、その付添費としては一日あたり金一、〇〇〇円を下らないと認められるから、原告美恵はこれにより合計一七万円の損害を蒙つたというべきである。

そして以上の原告美恵が蒙つた入院雑費・治療費の各支出による損害と付添費相当額の損害は、いずれも被告の前記不完全履行と相当因果関係にあるものというべきである。

7  最後に弁護士費用について判断するに、弁論の全趣旨によると、被告は原告美恵のつ蒙た損害を任意に支払わないので原告一郎・同晶子は訴訟手続によりその支払いを請求することにし、弁護士川嶋冨士雄に訴訟代理を委任したこと、その報酬として金二〇〇万円につき、それぞれ金一〇〇万円ずつ支払うことを約したことが認められるが、本件事案の内容・立証の困難性・認容額その他諸般の事情を老慮し、右弁護士費用のうちその相当額と認める金一二〇万円(それぞれ金六〇万円ずつ)をもつて、被告の被用者である呉医師の前記過失行為により原告一郎・同晶子が蒙つた損害であるというべきである。

六以上のとおりであるから、被告は、原告美恵に対しては、右五の1ないし6認定の損害金合計一、〇七五万五、〇八六円並びにその内金九三六万九、一一二円については本訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな昭和四八年一月一七日から、残金一三八万五、九七四円については該当金額をこえる金員の拡張請求をした日であることが記録上明らかな昭和五〇年一二月一日から、それぞれ完済に至るまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があり、また原告一郎・同晶子に対しては、右五の7において認定した損害金各六〇万円及びこれに対する訴状送達の翌日である昭和四八年一月一七日から完済に至るまで年五分の割合による遅延損害金をそれぞれ支払う義務があり、従つて右の限度で原告らの請求は理由があるからこれを認容することとし、その余は失当としてこれを棄却し、訴訟費用の負担については民訴法八九条、九二条、九三条を適用して主文のとおり判決する。

(山内茂克 村上敬一 熊田俊博)

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