名古屋地方裁判所 昭和47年(ワ)330号 判決 1977年11月14日
原告
吉田昭子
ほか二名
被告
西濃運輸株式会社
主文
一 被告は、原告訴訟承継人らに対しそれぞれ金一四八万六、四五三円およびこれに対する昭和四七年二月二九日から支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告訴訟承継人らのその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用はこれを四分しその一を被告の、その余を原告訴訟承継人らの各負担とする。
四 この判決は原告訴訟承継人ら勝訴の部分にかぎり仮に執行することができる。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告は原告訴訟承継人らに対しそれぞれ金五五八万四、二三四円およびこれに対する昭和四七年二月二九日から支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告訴訟承継人らの請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告訴訟承継人らの負担とする。
第二当事者の主張
一 請求原因
1 原告吉田功は、昭和四五年一二月三日午後三時五五分ころ、名古屋市港区大江町九番地の一先交差点を自動二輪車(豊田市さ五五六八)で直進走行中、同方向道路中央部から左折をしようとした被告会社従業員訴外石田堅一運転の大型トラツク(福岡一い六六〇三)に接触されて地上に転倒し腰部挫傷、左下腿右足関節足打撲擦過創の傷害を負つた。
2(一) 被告は右加害車両を所有する保有者である。
(二) 本件事故は、前記石田が交差点において左折するに際しあらかじめ道路の左側に寄り、かつできるかぎり道路の左側端に沿つて徐行しなければならないにもかかわらずこれを怠り道路中央部路面電車軌道上より急激に左折した過失により惹起されたものであり、右石田は被告の従業員で本件は業務従事中に起した事故である。
3 原告は本件事故を機に言語障害、知能障害、右下肢筋力弱化、知覚障害、排尿障害、歩行障害に陥り小脳性失調を呈し右各症状は完治不可能でまた病状は重篤で復職は不可能であつた。原告は右各病状からくる身体的苦痛、職場復帰不可能等を理由とする将来への不安、子供二人をかかえての生活不安、病床で寝たまま過ごす絶望による精神的苦脳に耐えられず昭和四八年八月一三日自殺するに至つた。原告の罹病原因が仮に本件事故によるものでないとしても、少くとも原告の病状を増悪化し原告の復職の可能性を奪い、ひいては生命まで奪つたのは本件事故による受傷が原因である。よつて本件事故と原告の右疾病ないし自殺との間には因果関係がある。
4 本件事故により原告が蒙つた損害は左のとおりである。
(一) 自動二輪車修理代 三万七、〇〇〇円
(二) 逸失利益 一、二二一万五、七一五円
原告は当時名古屋港管理組合に吏員として勤務しており給与等は左のとおりであつた。
給与月額 八万八、〇四八円(基本給七万七、九〇〇円+調整手当六、四四八円+扶養手当二、七〇〇円)
期末手当 支給日 毎年三月一日、六月一日、一二月一日
支給率 右各支給日に基準給(基本給+調整手当+扶養手当)の一〇〇分の五〇、一〇〇分の一〇〇、一〇〇分の二〇〇
勤勉手当 支給日 毎年六月一日、一二月一日
支給率 各基準給の一〇〇分の六〇
(1) 原告は本件事故による受傷のため昭和四六年九月一日から死亡に至るまで休職し、休職期間中給与、期末手当および勤勉手当の二〇パーセントが支給されなかつた。これによる損害は左のとおり三八万三、八八九円である。
88,048×(15×+500/100+180/100)×20/100=383,889
(2) 原告は、昭和四八年八月一三日に三八歳で死亡し、定年である五五歳までの逸失利益は、定期昇給分を見込まず生活費を年収の三分の一とすれば次のとおりである。
88,048×(12+47)×(1-1/3)×12.07=11,831,826
(三) 慰藉料 四五〇万円
原告は本件事故により前記各症状、精神的苦痛に悩まされ自ら命を断つに至つた。原告は一家の支柱でその苦しみも一入であつたことを考えれば少くとも四五〇万円が相当である。
(四) 以上合計一、六七五万二、七一五円である。
5 原告吉田功は昭和四八年八月一三日に死亡し、吉田照子、吉田みか、吉田寿京が功の妻および子として相続をし、その相続分は各三分の一である。
6 本件訴状は昭和四七年二月二八日に送達された。
よつて原告訴訟承継人らは被告に対しそれぞれ一、六七五万二、七一五円の三分の一である金五五八万四、二三四円およびこれに対する訴状送達の翌日である昭和四七年二月二九日から支払済に至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1の事実は認める。
2 同2(一)の事実は認める。同2(二)の事実のうち、過失の態様は否認しその余の事実は認める。
3 同3の事実のうち原告が昭和四八年八月一三日に自殺したことは認めるがその余の事実は否認する。
原告の本件事故による傷害は約二週間で治癒する腰部、下肢挫傷であつて原告主張の各症状は右傷害となんら関係なく発生したものである。
4 同4(一)(三)の事実は知らない。同4(二)の事実は否認する。
5 同5の事実は認める。
第三証拠
一 原告
1 甲第一号証ないし第一四号証
2 証人加藤、同三好秋馬、同松山家久の各証言、原告訴訟承継人吉田昭子尋問の結果
3 鑑定の結果
4 乙号各証の成立はいずれも認める。
二 被告
1 乙第一号証の一、二、第二号証、第三号証の一ないし六
2 証人大渓紀男、同三好秋馬、同松山家久、同加藤寿雄の各証言
3 鑑定の結果
4 甲第五号証、第六号証の成立は知らない。その余の甲号各証の成立は認める。
理由
一 昭和四五年一二月三日午後三時五五分ころ、名古屋市港区大江町九番地の一先交差点において、原告運転の自動二輪車(豊田市さ五五六八以下原告車という)と訴外石田堅一運転の大型トラツク(福岡一い六六〇三以下被告車という)とが接触し、原告が路上に転倒して腰部挫傷、左下腿右足関節足打撲擦過創の傷害を負つたことは当事者間に争いがない。
二1 被告は右石田運転の大型トラツクを所有する保有者であること、右石田は被告の従業員であること、業務従事中に右事故が発生したことは当事者間に争いがない。
2 成立に争いのない乙第三号証の一ないし六によれば、被告車は竜宮町方面から南区加福町方面に南進し前記交差点を左折しようとしていたところ同じく左折しようとする大型トラツクがあつたことから道路中央寄りに信号待ちのため停車し、一方原告も被告車と同じ道路を南進して道路左方被告車の左後方に信号待ちのため停車していた。信号が青に変つたので両車とも発進したが原告車は直進被告車が左折したため右交差点内北東部において原告車と被告車左前方とが接触したものである。右事実によれば被告車を運転していた石田は、左折するに際してはできるかぎり左側端に寄らなければならないのにかかわらずこれを怠りしかも道路中央寄りから左折するのであるから自車の左方後方の安全を確認しなければならない注意義務があるのにこれを怠つた過失があるものと認められる。
三 原告が昭和四八年八月一三日に自殺したことは当事者間に争いがない。原告の罹患した疾病、事故と疾病および自殺との因果関係につき争いあるところ、成立に争いのない甲第二号証、第三号証、第四号証、第七号証、第一二号証ないし第一四号証、乙第一号証の一、二、第二号証、証人加藤の証言により真正に成立したものと認められる甲第五号証、証人大渓紀男、同加藤、同松山家久、同三好秋馬、同加藤寿雄の各証言、原告訴訟承継人吉田昭子尋問の結果および鑑定の結果を総合すると以下の事実が認められる。
1 原告は昭和一〇年八月一一日に生れ三二歳で結婚して二子を儲け、名古屋港管理組合に電気技師として勤務していたもので、生来健康で今回に至るまで病気けが等にかかつたことはなかつた。
2 昭和四四年九月ころ、しやつくりが一ケ月から二ケ月間止まらず、胃の不快感が続くということがあり、そのころ口腔粘膜に有痛性アフタが生じた。このアフタは二〇日間位続いては消え年に三、四回出現するものであつた。
3 昭和四五年七月上旬に、排尿に時間がかかる、少量しか排尿できない、夜間尿失禁を起す等の症状が現われはじめ、同年八月二七日愛知県豊田市の加茂病院で受診し排尿困難、急迫尿失禁の症状が確認されている。このころには仕事は普通にすることができ歩行も正常であつた。
4 同年一二月三日本件交通事故に遭遇、事故直後は意識ははつきりしていたが救急車に乗つてから不明となり気がつくと病院のベツドの上であつた。事故により前述のとおり外傷を受けたので山口病院でその治療を受け頭痛はあつたが当日帰宅している。
5 同年一二月七日自宅に近い加茂病院に転院六回通院し一二月一八日に外傷は一応治癒、原告自身としては足首と膝が痛んで歩きにくい、腰がぐらぐらして安定がないなどの自覚症状があつたが取り上げられず、仕事も気にかかるため翌日から出勤した。
6 昭和四六年一月三日尿失禁が再発同時に便失禁も出現しこれらは週に一、二回程度であつた。一月下旬になると尿失禁を毎日起すようになり便失禁の症状も悪化しさらに陰萎ともなつた。また、下肢がつつぱつて背伸をしてからでないと歩き出せない、膝ががくがくする、ふらつくなど歩行困難症状が現れ、同時に言語障害もみられるようになつた。
7 同年二月には右各症状は悪化し、両下肢のつつぱりが強く、転倒、階段から落ちるなどすることが多くなり、あらたに頭・肩の鈍痛や週に一、二回の頭痛が現れるようになつている。
8 同年三月ころから不定の発熱が持続し週に一、二回三八度五分にも上昇することがあつて、仕事の能率も低下してきた。
9 同年五月に陰部に疼痛のある水泡が生じそれが拡大して糜爛状態を示しかなり重い症状であつた。記憶力の低下等もあつて仕事にも支障を来し、このころ単純作業に配置換となつている。
10 右陰部の治療のため五月二四日から六月二二日まで加茂病院に入院した。この期間中注射部位の化膿、右上下肢筋力低下、知覚障害、右膝関節痛、両下肢散在性のかゆみのある紅斑などが出現した。また入院中自動車学校に通つたがブレーキ、クラツチを踏んでも力が入らず退校させられたということがある。
11 退院時には糜爛状態は全治、その他の症状は軽快したものの二週間後にはもとに戻つてしまつた。七月になると尿失禁は日中にも起り右膝関節痛、口唇アフタ等の症状が生じ下肢の痙性障害は悪化して起座困難となり七月九日朝には下肢がこわばつて起き上れなかつた。そこで七月一二日から加茂病院に入院して脳外科的な検査をしたが異常はなく、総合的検査のため同年八月一〇日名古屋大学医学部附属病院に入院したのである。入院中の症状としては、病的反射、痙性失調性歩行障害、関節痛、口唇アフタ、注射部位の化膿、皮膚感覚の異常等の知覚障害、発熱、頭痛、筋肉のこわばり、体をそらす時の腹部の筋肉痛、吐気、腹部不快感、言語障害、記憶力の低下、知的作業能力の低下、感情の無抑制等多岐にわたり、それぞれの症状は動揺性であつた。髄液検査の結果では細胞数、蛋白、白血球の高値が認められた。また、精神的疲労時に呼吸困難、健忘、下肢の不動、失語症を伴う発作を一、二回起したことがある。右病院で検査と治療が続けられたが本人の転院の希望もあつて九月三〇日に退院、そのころには症状は少し軽快したようである。
12 右退院後加茂病院に入院加療、一〇月二七日退院以後同病院にて通院加療を続けたが病状の改善はみられなかつた。翌昭和四七年三月になると突然複視が出現し二、三日から二週間続くことがあつた。同年五月には歩行障害等の症状がやや進行を示し八月から一二月にかけて徐々に悪化、一一月には再び複視が出現、一二月七日の時点では諸症状は悪化して起立がかろうじて可能という程度に進行した。
13 昭和四八年一月五日原告は広島に転居、同月一五日複視出現、一八日一九日としやくりが止らずその度にチヨコレート様の嘔吐があつたため一月二〇日広島大学医学部附属病院に緊急入院した。右入院中の症状は病的反射の昂進等要するに前記諸症状の昂進状態を示すもので、歩行はできず車いすを使用していた。右病院では機能訓練等の治療がなされ、歩くことができる程度に症状が軽快したので同年四月三日に退院した。
14 同年八月一三日原告は病気を苦にして自殺した。
15 原告の症状ないし疾病については多発生硬化症とノイロベーチエツト病(神経ベーチエツト症候群)の二種の診断がなされているが現在のところノイロベーチエツト病の蓋然性がきわめて濃い。ノイロベーチエツト病の原因は不明で治療方法もわかつておらず、症状が緩解することはあつても治癒することはなく、その予後は重篤で、ある調査によれば死亡率は二三パーセントを示している。その神経病理学的特色は、小軟化巣、脱髄巣、神経膠症、小静脈周囲性のリンパ球集積などが脳下半部特に脳幹部、脊髄などにみられることである。
叙上認定の事実によれば、本件事故による外傷はさ程重いものではなく、頸、頭等神経的症状と直接結びつき得る外傷も認められていないところから、原告の広範な神経症状が本件事故に直接起因するものとは認められない。また、原告がいつノイロベーチエツト病に罹患したかは定かではないが、少くとも本件事故以前に罹患していたことおよび外傷がノイロベーチエツト病の直接の発生原因となつているという症例・文献は見あたらないことは鑑定の結果により認められるところである。したがつて本件事故を起因としてノイロベーチエツト病に罹患したこともまた認められない。しかしながら、原告はノイロベーチエツト病に罹患していたがその本件事故までの症状は口腔粘膜アフタと尿失禁だけで仕事には何ら支障がなかつたものであるのに、事故後約七ケ月の間にノイロベーチエツト症候群のほとんどあらゆる症状が発現ししかも急激に悪化して起臥も困難な程に至つている。このような急激な変化を示すについて他に特段の事情が認められないかぎり、本件事故が病状の急な変化に関与しているものと推認せざるを得ない。鑑定の結果によるも、ノイロベーチエツト病は過労、気象、条件の変化、心情的憂悶などストレスに対し過敏で事故が症状を増悪化する可能性はあり、また外傷が増悪化因子として作用したことは否定できないとしている。したがつて本件事故が原告の右疾病を増悪化させた限度において事実的因果関係を肯認することができる。
以上の事実関係からみると昭和四六年七月に症状が悪化した後諸症状は消失、再発、軽快、悪化を繰り返し病状の進行が止まり時には軽快することもあつたが、全体としては右疾病は進行し症状は重篤化している。広島大学病院退院時には少し軽快していたものの、右のような病気の進行状況および前記認定のノイロベーチエツトの神経病理学的特質からするとそのまま緩解状態ないしより軽快に向つたとは考えにくい。また右疾病の運動障害、知能障害を含む多様な症状からすると復職、就職はかなり困難であつたと思われる。右のような状況において他に特段の原因が認められない本件の場合、一家の支柱である原告の自殺は原告の右疾病による症状、これによる肉体的精神的苦痛が原因であると推認することができる。そして、原告のノイロベーチエツト病が仮にいずれの日にか自殺前に示した各諸症状を呈するに至るものであるかも知れないとしても、早期に各症状を発現させ増悪化させたことに対して本件事故が関与し、かつそのようにして症状が重篤化したことが自殺に結びついたのであるから、自殺の原因となつている右疾病を増悪化させた限度において事故と自殺との事実的因果関係を認めざるを得ない。
さて、右のとおり事実的因果関係が部分的に認められるとしても、全治約二週間の腰部挫傷、左下腿右足関節足打撲擦過創の傷害により、休職する程に症状が悪化することおよび被害者が自殺することは通常生じうることであると認めることは困難であり、かつまた、被害者がノイロベーチエツト病に罹患していたことおよび被害者の自殺という事情を予見しまたは予見しうべきであつたと認めることも困難である。しかしながら、元来過失により突発的に生ずる事故においては事故後にならなければ被害者が誰であるかも判明せず、このような被害者の特殊事情について予見可能であることはほとんどあり得ないことであるので、不法行為による損害賠償について予見可能性を問題にすることは無意味である。しかも通常生ずべき損害ではないからといつて被害者に生じた損害について全く責任無しとすることは、過失ある不法行為者にではなく過失ない被害者にもつぱら損害を負担させることとなり損害の公平な分担という損害賠償の理念に悖る結果となる。したがつて損害の発生ないし拡大に過失ある行為が寄与したと認められる場合には、その事実的因果関係の存在をもつて過失ある行為者の責任は肯定されるものと解するのが相当である。そして、被害者の素因あるいは行為が損害の発生ないし拡大に寄与していると認められる事情の存する場合には、これを損害賠償額を定めるにつき斟酌し損害額から控除しうるものと解すべきである。即ち、過失相殺の規定は公平の理念に基くものであるところ、過失ある行為ではないとは言え被害者の何らかの事情が損害の発生ないし拡大に原因を与えている場合にこれを斟酌し評価したうえで控除することは、損害の公平な分担に合致するものと考えられるからである。
四 原告の損害は左のとおりである。
1 原告訴訟承継人吉田昭子尋問の結果およびこれにより真正に成立したものと認められる甲第六号証によれば、原告が事故当時運転していた自動二輪車は本件事故により破損しその損害額は修理費相当の三万七、〇〇〇円であることが認められる。
2 成立に争いのない甲第八ないし第一一号証原告訴訟承継人吉田昭子尋問の結果によれば原告は当時名古屋港管理組合に勤務し、六等級一八号俸七万七、九〇〇円の基本給、配偶者子二人あての扶養手当二、七〇〇円および右合計の一〇〇分の八に該当する六、四四八円の調整手当計八万七、〇四八円の月収があつたこと、期末手当は三月一日、六月一日、一二月一日に基本給扶養手当調整手当合計額のそれぞれ一〇〇分の五〇、一〇〇分の一〇〇、一〇〇分の二〇〇の割合を以て、勤勉手当は六月一日、一二月一日にともに右額の一〇〇分の六〇の割合を以て支給されること、休職後半年間は支給額の一〇〇パーセント、以後は八〇パーセントが支給されることが認められる。前記認定のとおり原告は昭和四六年七月から入院しており原告訴訟承継人吉田昭子尋問の結果によれば同年八月か九月かに休職しているとのことであるから少くとも原告主張のとおり同年九月から休職したものと認めることができる。また前述のように原告は昭和一〇年八月一一日生れで死亡当時三八歳であり、妻と子二人の家族であるから原告の生活費は収入の三分の一と見ることが相当である。以上の事実に基き原告の逸失利益を算出することとする。
(一) 休業損
二〇パーセント控除された期間は昭和四七年三月から四八年七月まで一七ケ月(原告主張の一五ケ月は明らかな計算違いと思われる。)、右期間中の期末手当支給率合計は一〇〇分の五〇〇、勤勉手当支給率合計は一〇〇分の一八〇であるから、その損害は四一万四、三四八円である。
87,048×(17+500/100+180/100)×20/100=414,348
(二) 死亡後の逸失利益
年収は 87,048×(12+50/100+100/100+200/100+60/100+60/100)=1,453,701
被害者の年齢からみて、同人が死亡しなければ向後一七年間は前記管理組合に勤務稼働することが可能であつたと考えられる。一七年間のホフマン係数は一二・〇七であるからその損害は一、一六九万七、四五二円である。
1,453,701×(1-1/3)×12.07=11,697,452
(三) 右合計は一、二一一万一、八〇〇円である。
(四) ところで、右逸失利益は原告がノイロベーチエツト病に罹患していたところ本件事故により増悪化された結果休職し更に自殺したことによつて生じたもので、右損害の発生ないし拡大に原告の素因と行為が寄与しており、特に本件においては前記認定のとおり右疾病が事故後の症状、自殺に与えた影響は大きくまた自殺という原告の意志に基く行為も介在している点をも考慮して右各事情を斟酌すれば、逸失利益の八割を控除し残額についてのみ被告の負担に帰せしめるのが相当である。即ち被告の賠償すべき損害額は二四二万二、三六〇円である。
3 本件事故においては被告車を運転していた石田に重大な法規違反と過失があること、被告車は一一トントラツク原告車は自動二輪車であること、原告は一家の支柱であること、事故による傷害はさ程重くはなかつたこと、結局原告は死亡するに至つたこと等諸般の事情を考慮し慰藉料として二〇〇万円を相当と認める。
4 よつて損害額合計は四四五万九、三六〇円となる。
五 吉田昭子が原告の妻として、吉田みか、吉田寿京がそれぞれ原告の子として相続したことは両当事者間に争いが無い。相続分は各三分の一であるから吉田功の前記損害賠償請求権を各一四八万六、四五三円づつ取得したことが認められる。
六 以上の事実によれば原告訴訟承継人らの本訴請求のうちそれぞれ一四八万六、四五三円およびこれに対する本訴状送達の翌日であることが記録上明らかな昭和四七年二月二九日から支払済に至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるからこれを認容しその余の請求は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条を、仮執行宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 至勢忠一 熊田士朗 糸井喜代子)