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名古屋地方裁判所 昭和48年(ワ)1593号 判決 1978年9月22日

原告

安田相吉

右訴訟代理人

花田啓一

長谷川正浩

被告

医療法人寿康会

右代表者理事

村上治朗

外二名

右被告ら訴訟代理人

江口三五

右訴訟復代理人

戸野部勝司

主文

一、原告の請求を棄却する。

二、訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一、当事者の求めた裁判

一、請求の趣旨

1  被告らは原告に対し、各自、金三、七六三、三三三円及びこれに対する被告医療法人寿康会、被告村上治朗においては昭和四八年七月二五日から、被告藤村昌樹においては同月二六日から各支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2、訴訟費用は被告らの負担とする。

3、仮執行宣言

二、請求の趣旨に対する被告らの答弁

主文と同旨。

第二、当事者の主張

一、請求原因

1  原告は、昭和四六年一月二二日左脛骨、腓骨骨折等の傷害を受け、直ちに、右傷害の診察、治療を求めて、被告医療法人寿康会が開設する村上病院(以下被告病院という)に入院し、入院後ほどなくして、被告藤村昌樹(以下被告藤村という)又は訴外長田博昭(以下訴外長田という)の執刀のもとに右傷害治療のため手術を受けた。

2、被告病院の債務不履行

(一) 原告は、前一項主張のとおり、昭和四六年一月一二日被告病院に入院したことにより、被告病院との間で原告の前記傷害につき十分な診察・治療を受ける旨の契約を締結したものである。従つて、被告病院は原告に対し、善良な管理者の注意をもつて正しい治療をなすべき義務を負担したものというべきである。

(二) しかるに、被告病院の手術担当医である被告藤村又は訴外長田は、原告の前記傷害治療のための手術にあたつて、右注意義務を怠り、(1)手術用ドリルを使用して左下腿骨を穿孔中ドリル先端を折損し、(2)ドリルの折損残片(長さ約二センチメートル)を速やかに除去することなくそれを左下腿骨該当部に遺留したまま手術を終了し、(3)患部を他の病原菌に感染させた。

殊に、ドリル折損残片を遺留したことは、遺留個所周囲の神経などを刺激するなどの障害を生ぜしめ、後日その摘出手術を必要ならしめるのみならず、長時間を要する当該手術により他の細菌に感染するおそれを招いたものといわねばならない。

(三) このため原告は、約半年の治療により回復すべき傷害を負つたにかかわらず、約二か年の長きにわたり再手術を含む治療に専念することを余儀なくされ、かつ後遺症にも悩むこととなつた。

すなわち、手術後の原告の前記傷害の治癒状況は芳しくなく、原告は、昭和四六年六月一一日被告病院を退院したが、患部の痛みがとれず、歩行障害を残し、同年七月二日以降名古屋市内の訴外社会保険中京病院(以下訴外中京病院という)へ転院し、同病院にて通院治療を受け、翌年六月七日に至つてようやく抜釘手術のため同病院に入院し、同月九日右手術を受け、その際ドリルの折損残片の摘出手術も同時に受けたところ、爾後激痛を来し、右折損残片の遺留個所に近い左下腿外側下方部分が腐敗したため、同年七月上旬と同年九月二八日の二度にわたつて同部分を切除し、大腿の肉片の移殖手術をし、同年一一月六日ようやく退院できたものである。

(四) よつて、被告病院は、その履行補助者である被告藤村又は訴外長田の債務不履行により原告の被つた損害を賠償する義務がある。

3、被告らの不法行為

(一) 被告病院に債務不履行による責任がないとしても、原告は予備的に不法行為に基づく損害賠償の請求をする。

(二) 被告藤村又は訴外長田の過失行為の内容及び因果関係は、前記2の(二)ないし(三)のとおりである。

被告藤村、訴外長田は、被告病院に勤務する医師であり、被告村上治朗は、被告病院長として被告藤村又は訴外長田の執刀した原告の手術を監督していたものである。

(三) 従つて、被告藤村は不法行為者として民法七〇九条により、被告病院は同法七一五条一項により、被告村上治朗は同法七一五条二項により、各自、原告の損害を賠償する義務がある。<中略>

三、抗弁

被告病院には、左記事由により原告、被告病院間の契約上の債務の履行につき何ら責に帰すべき事由はない。

1、手術用ドリルは折れ易い固い鋼でできており、しかも弾力がないうえ細いために、手術中どのように注意しても折損することがある。

2、手術用ドリルが折損した場合、その折損残片が骨の外に出ていれば簡単に摘出することができるので、医師としては当然に摘出すべきである。ところが、原告の手術中に手術用ドリルが折損した場合のように、その折損残片が骨の内部にある場合には、それを摘出するとすれば、新たに骨を削る必要があるため、骨に新しい傷害を加え、かえつて骨折の治療経過を悪くする結果を招くことになるから好ましくなく、又折損残片を骨内に残存させても全く無害であるばかりか、骨内で徐々に消化吸収されて増血作用を発揮するに至るのであるから、折損残片は摘出しないで残存させるべきである。

3、被告病院における手術後、原告は機能訓練を受けていたが、その経過は極めて良好であつた。従つて、昭和四七年六月九日原告は、骨折も治癒したとのことで訴外中京病院において抜釘手術を受けたのであるが、右手術の失敗により、手術個所が化膿し、更に二度も右病院において手術を受けなければならなくなつたのである。<以下、事実省略>

理由

一被告村上治朗が被告病院長であること、被告藤村および訴外長田が被告病院に勤務する医師であること、原告が左脛骨、腓骨骨折の傷害を受け、昭和四六年一月一二日被告病院との間で右傷害につき十分な診察・治療を受ける旨の契約を締結し、被告病院に入院したこと、原告は入院後ほどなくして、訴外長田の執刀のもとに右傷害治療のため手術を受けたところ、同人は右手術にあたつて、手術用ドリルを使用し左下腿骨を穿孔中、その先端(約二センチメートル)を折損し、右折損部分を摘出せず、左下腿骨該当部分にそれを遺留したまま手術を終了したこと、その後原告は昭和四六年六月一一日被告病院を退院し、翌年六月七日訴外中京病院に入院して同月九日右病院において抜釘手術を受けたことは、いずれも当事者間に争いがない。

二そこで、まず原告の前記傷害の治療経過について判断するに、<証拠>によれば、原告の受けた傷害は、左下腿骨の複雑骨折(一部紛砕骨折)であつて、原告は、右傷害治療のため、昭和四六年一月二二日被告病院にて内副子をもつて左脛骨を固定する骨接合術を受け、その後右傷害の軽快するのをまつて、同年三月二六日から水治療、同月二九日から徒手矯正並びに機械による左足関節の機能訓練をそれぞれ開始し、同年六月一一日右足関節の運動障害、歩行時の荷重痛を遺して被告病院を退院し、同月二一日と同年七月一日の二回にわたつて機能訓練のため被告病院に通院したが、同年七月三日から住居地に近い訴外中京病院に転院して以後同病院に通院し、徒手矯正、温熱療法などによる機能訓練を受けていたが、内副子などの骨接合材を抜釘するため、昭和四七年六月七日同病院に入院し、同月九日右抜釘術を受けるとともに、前記ドリル折損残片除去の手術を受けたところ、左下腿骨に何らの異常は生じなかつたものの、同月二五日になつて左下腿皮膚面の手術創部分に帽針頭大の瘻孔が形成されたため、その治療として、同年七月一九日二次縫合手術、同年八月二三日植皮手術をそれぞれ受け、右瘻孔の治癒をまつて、機能訓練を再開し、同年一一月一六日同病院を退院して、以後同病院にて通院治療(機能訓練)を受けていたことが認められる。

そして、<証拠>によれば、前記ドリルの折損は、被告病院にて原告の前記骨接合術を担当した訴外長田がドリルを使用して、原告の左脛骨に内副子を固定するための釘をそう入する穴を穿孔中に生じたものであり、訴外長田は、その折損残片を直ちに除去することなく、当該骨内にそれを遺留したまま手術を終了したことが認められるが、<証拠>によれば、手術用ドリルは極めて折れ易く、その使用にあたつて十分な注意を用いていても偶然の因子によつて折損する場合があり、それを未然に防止することは不可能であること、ドリルが折損し、その残片が骨内に残つた場合においても、骨外にその一部が突出しているなど骨に新たな傷害を加えることなく、容易にそれを除去できるとき以外は遺留させるべきであつて、骨内に遺留したことにより人体に何ら悪影響を及ぼすことはなく、かえつてそれを除去することは、骨に新らたな傷害を加え、また細菌感染の機会を与えるなど人体に悪影響を及ぼすおそれのあることが認められる。

三前二項認定事実に<証拠>を総合すると、原告の前記傷害は、その部位・程度によりみて、順調な経過をたどつて快方に向い、その間ドリル折損残片の遺留によつて何らの影響も受けず、被告病院における細菌感染もなく、昭和四七年六月九月抜釘術を受ける程度にまで治癒していたこと明らかであつて、その後も前記瘻孔形成以外に異常はなく、未だ左足関節の運動障害、歩行時の荷重痛が若干遺つていたとはいえ、それは、原告の前記傷害の部位・程度によつて不可避的に生じたものであることが認められる。

そして、<証拠>によれば、抜釘術後の瘻孔形成は、訴外中京病院における右手術の不手際によるものではないかとの疑いを払拭し得ないところもあるが、細菌感染によるものではなく、原告の前記傷害によつて惹起された当該皮下組織および皮膚の血行障害、栄養状態の不良に基づいて生じたものであると推認され(訴外中京病院における抜釘術の際の細菌感染によつて生じたものであるとの被告村上治朗の本人尋問の結果は、他に右の細菌感染を裏付ける証拠のない本件においては、直ちに、採用できない)、この事実に徴すると、瘻孔は原告の前記傷害によつて不可避的に形成されたものと認められ、被告病院における治療行為に基づくものでないと認定するのが相当である。

四前二、三項の認定事実によれば、被告病院の訴外長田が手術用ドリルを折損したことをもつて、直ちに原告、被告病院間の契約の債務の履行につき欠けるとこがあるとか、訴外長田に過失があるとかを断ずることはできず、訴外長田が手術用ドリルの折損残片を骨内に遺留したことも医師として何ら注意義務に違反したものではなく、むしろその場合においては適切な行為といえるのであり、その他、原告の前記傷害の治療につき被告病院の責に帰すべき事由は存しないというべきである。

従つて、原告の債務不履行及び不法行為に基づく各請求はその余の点について判断するまでもなく理由がないといわなければならない。

五よつて、原告の本訴請求はこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(小沢博 谷口伸夫 東尾龍一)

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