名古屋地方裁判所 昭和48年(ワ)2139号 判決 1974年12月16日
原告
小島昭博
外四名
右原告ら五名訴訟代理人
浪川道男
被告
刈谷市
右代表者市長
宮田一松
右訴訟代理人
大野憲光
外一名
主文
一 被告は、原告小島初枝に対し金一〇万円、原告小島妙子に対し金三七七万四、五〇六円、原告小島昭博、同ゆかり、同幸代に対しそれぞれ金二〇六万六、三三七円および右各金員に対する昭和四六年五月七日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告らのその余の請求はいずれも棄却する。
三 訴訟費用はこれを三分し、その二を被告の負担とし、その一を原告らの負担とする。
四 この判決は主文第一項に限り、仮に執行することができる。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一、請求の趣旨
1 被告は、原告小島昭博、同小島ゆかり、同小島幸代に対し各金三〇〇万円、原告小島妙子に対し金五〇〇万円、原告小島初枝に対し金一〇〇万円および右各金員に対する昭和四六年五月七日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 仮執行宣言。
二、請求の趣旨に対する答弁
1 原告らの請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
第二 当事者の主張
一、請求原因
1 事故の発生
訴外亡小島俊一(以下亡俊一という)は、昭和四六年五月七日午後一一時頃、普通貨物自動車(以下本件自動車という)を運転して市道井ケ谷国道線(以下本件道路という)を北進中、愛知県刈谷市西境町蒲生池九六の一先にかかつている通称どんど橋(以下本件橋という)の左側南端の親柱に本件自動車を衝突させ、このため同日午後一一時四〇分頃知立市で死亡するに至つた。
2 被告の責任
本件道路は、国道一号線の刈谷市東宿から分岐して同市井ケ谷町に至る市道であつて、その道路幅員は、東宿から本件橋にさしかかるまでの間が約八メートルであるが、本件橋から井ケ谷町方向が約四メートルに減少しているので本件橋付近で急激に狭くなつている。そして本件橋の左右両側には高さ約五〇センチメートルのコンクリート製の親柱が設置されている。ところで本件道路は井ケ谷町方面に向かつて右にカーブしているうえに橋の手前から左斜め方向に幅員約2.5メートルの農道が分かれており、そのために井ケ谷町方面に進行する自動車運転者には橋のかかり口において道路幅員が急に狭くなつていることを知ることが不可能であり、ことに夜間進行する場合には右状況に気付かないまま直進して右親柱に衝突する危険があつた。そこでこのような危険を防止するために、橋の手前に照明施設および橋の欄干(親柱)の存在を示す道路標識が設置されていなければならないのに、本件橋の手前には当時何らこのような設備がなかつた。したがつて、本件道路には設置管理に瑕疵があつたものというべきである。
亡俊一は、本件自動車を運転して、井ケ谷町方面に向かつて本件道路を進行し本件橋にさしかかつたところ、本件道路の右瑕疵に加えて事故当時闇夜であつたことから、本件道路が急に狭くなつていることおよび東宿寄り端の左側に設置されている親柱に気付かないまま進行し、その結果右親柱に本件自動車を衝突させて、本件事故に至つたものであるので、本件事故は、本件道路の設置管理の瑕疵によつて発生したものである。
そして、本件道路は一般交通の用に供される公の営造物であつて、被告が設置管理しているものであるから、被告は国家賠償法二条一項に基づき、本件事故によつて生じた後記損害を賠償する責任がある。
3 損害
(一) 亡俊一の損害
(1) 死亡による得べかりし利益の喪失
亡俊一は、昭和一四年七月二五日生れで事故当時三一才一〇か月の健康な男子で、年間一二〇万円を下らない収入を得ており、本件事故に遭遇しなければ、なお三一年間にわたり稼働が可能であつた。他方、同人の生活費は、右収入の三分の一以下であつたので、右年収によつて計算した三一年間の収益合計額から右期間中の生活費を控除した残額相当の得べかりし利益を喪失したことになるが、これをホフマン式計算方法により年五分の割合による中間利息を控除して事故発生当時の現価に換算すると一 四七三万七、一七六円となる。
(2) 亡俊一の慰藉料
亡俊一は、本件事故当時健康な働き盛りの男子であつて母・妻および子供三名(うち一名は事故当時胎児)を抱えて円満な家庭を営んでいたもので、本件事故によつてその余命を絶たれたことにより甚大な精神的苦痛を被つたというべく、これを慰藉するためには少なくとも一〇〇万円を下らない。
(3) 亡俊一の死亡により、原告小島妙子(以下原告妙子という)はその妻として三分の一の相続分を、原告小島昭博(以下原告昭博という)、同小島ゆかり(以下原告ゆかりという)、同小島幸代(以下原告幸代という。なお同原告は事故当時胎児であつた)はその子として各九分の二の相続分をもつてそれぞれ亡俊一の権利を相続により承継した。
よつて、前記(1)(2)の損害賠償請求権について、原告妙子は五二四万五、七二五円、原告昭博、同ゆかり、同幸代は各三四九万七、一五〇円を相続により取得した。
(二) 葬儀費用
原告妙子は、本件事故による亡俊一の死亡により、同人の葬儀を執行し、その費用として五〇万円を支出した。
(三) 原告らの固有の慰藉料
原告らは、亡俊一の母または妻もしくは子として一家の支柱であつた亡俊一を本件事故により失い、その精神的苦痛は言語に絶するものがある。よつてこれの慰藉料として原告妙子、同初枝は各一五〇万円、原告昭博・同ゆかり、同幸代は各一〇〇万円をもつて相当とする。
4 結論
よつて、被告に対し、原告昭博、同ゆかり、同幸代はそれぞれ前記(一)(三)の合計額四四九万七、一五〇円のうち三〇〇万円、原告妙子は前記(一)ないし(三)の合計額七二四万五、七二五円のうち五〇〇万円、原告初枝は前記(三)の一〇〇万円および右各金員に対する本件事故発生の日である昭和四六年五月七日以降完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
<以下省略>
理由
一請求原因第1項の事実(事故の発生)は当事者間に争いがない。
二被告の責任
1 本件事故現場の状況
<証拠>を総合すると次の事実が認められる。
(一) 本件道路は、国道一号線の刈谷市東宿から分岐して同市井ケ谷町に至る市道であつて、その道路幅員はもと四メートルであつたところ、被告は本件道路の幅員を九メートルに拡張することを計画してその工事に着手し、本件事故当時東宿から本件橋の約三〇メートル手前の十字型交差点までの区間について右拡張工事を完了したが、残余の区間については将来拡張することにし、右拡張区間と未拡張区間の接続につき本件橋の約一九メートル手前までの区間は右拡張区間とほぼ同一の幅員のまま延長し同地点からは本件橋上でもとの幅員四メートルになるような形状になつていた。そして本件道路のうち東宿から本件橋の約一九メートル手前までの区間につきアスファルト舗装をし、右舗装区間に限り道路中央にセンターラインを設けた。ところで、本件道路は東宿から本件橋にさしかかる直前まで直線であるが、橋にさしかかる直前で井ケ谷町に向かつて右方にカーブしており、前示のとおり橋の直前で道路幅員が急激に狭くなつているため、右カーブは、全長にわたつて道路幅員が拡張された場合より鋭いカーブを描くこととなる。しかるに右センターラインの端は本件道路がそのわずか前方で右方にカーブしているにもかかわらず直線であつた。さらに本件橋の直前から左斜め方向(すなわちY型をなしている)に農道が設置されており、その道路幅員は約2.5メートルであるが、本件道路から右農道への入口付近はかなり広くなつており、東宿方面からは容易に右農道に進入することができる。もつとも右農道の入口付近は、本件道路を通行する車両によつて砂利等が寄せられていたので、本件道路よりも多少高くなつているが、このことによつて右農道への進入を妨げられるに至らない。また右農道の入口付近には草は生えていなかつた。
(二) 本件橋の左右両側にコンクリート製の親柱が設置されており、その高さは約九〇センチメートル、その巾は約三〇センチメートルであつた。そのうち東宿寄りの端の左側に設置されていた親柱は、前記カーブを曲り終る地点付近にあり東宿方面から前記センターラインに沿つて本件道路左側部分のほぼ中央を進行して直進してくると、ちようどその正面に突き当る位置にあつた。なお右親柱の根元付近に雑草が生えていたため、それの一部分(上部)のみが見えた。また本件橋の下を流れていた川は、本件事故当時すでに埋立てられており、本件橋は架設の必要性を失つていた。
(三) ところで、本件橋から井ケ谷町方面には本件道路の左右両側に家屋が建ち並んでいるが、本件橋の数拾メートル手前の地点から本件橋までの区間には本件橋の約二〇メートル手前に家が建つているのみで、周囲は田であるから本件橋の数拾メートル手前の地点から橋への見通しの障害となるものは存しない。さらにこれに加えて本件道路の路肩に沿つて雑草が生育しているために道路端の部分を認識することができしかも本件橋から井ケ谷町方向に建ち並んでいる建物の状況から本件道路が右方にカーブしていることを予知することができるので、車両の運転者は、昼間においては通常の注意を払つて進行さえすれば、本件橋にさしかかるかなり手前から本件道路が本件橋の直前で幅員を急激に狭くしながら右方にカーブしている状況および雑草で見えにくくなつている前記親柱の位置を予知することができ、したがつて誤つて前記農道に進入する恐れはない。
(四) しかしながら、本件事故発生時である午後一一時頃の時刻の場合には本件橋の約一二メートル手前の道路左側に夜光塗料を塗つた「注意」の標識が存在したが、これは本件道路の前記状況を具体的に指示するものではなくたんに運転者に対し注意を促すものにすぎない。さらに東宿寄り端の左側の親柱には頂上から約一〇センチメートル下の位置に二〇センチメートル四方の赤色の反射テープが貼りつけられていたが、右テープは貼付されてから半年近く経過していたのでその効用は減少しており、また本件道路が右方にカーブしているため橋の直前に至らなければ本件道路を進行してくる車両の前照灯によつて反射せずしかも右テープの貼付された位置付近まで生育していた雑草のために反射を妨げられていたので、右テープによつて親柱の位置を確認することは至難であつた。そして右標識および右テープ以外に本件道路の前記状況および橋の親柱の位置を運転者に認識させるべき照明、標識等は全く存在しなかつた。
また前記農道入口の段差も夜間の自動車のライトでは直前まで判明し難い状況であつた。
したがつて、当時本件橋にさしかかつた車両運転者としては、路肩に生えている雑草ならびに本件橋から井ケ谷町方面に建ち並んでいる家屋を前照灯によつて照らして始めて本件道路の前記のような状況を認識するほかなかつたものであるが、後記のとおり前照灯のみでは右状況を十分に認識できないから、本件道路が右方にカーブしていることに気付かずに前記農道を自己の進路の一部と見誤つてそのまま直進して本件橋の親柱に衝突する危険があつた。
2 本件事故発生の経過
<証拠>を総合すると、亡俊一は、当日仕事を終えたのち仕事の打合せのために、午後八時頃石川金数とともに本多幸男方に赴いたところ、同人が亡俊一および右石川に対し食事とともに酒を供したが、右石川が自動車を運転して自宅まで帰る亡俊一に対し供された酒を飲むことを禁じて、自らこれを飲んでしまつたので、亡俊一は全く酒を飲まないまま石川とともに午後一〇時三〇分頃本多方を辞し、さらに帰宅の途中亡俊一の使用人であつた松浦方に赴くため本件自動車の助手席に石川を同乗させてこれを運転し、国道一号線を時速四〇キロメートルで走行したのち本件道路に進入し、午後一一時頃本件事故現場にさしかかり右速度を上廻る速度で進行中、東宿寄り端の左側親柱に自車のほぼ中央部をはげしく衝突させたが、右衝突直前に亡俊一が制動をかけた痕は見当らずまたハンドルを転把した様子もない。
3 道路の設置・管理の瑕疵
本件道路が一般交通の用に供される公の営造物であり、被告が設置管理していることは当事者間で争いがない。そこで前認定の諸事実から見て本件道路の事故現場付近の設置管理に瑕疵があつたといえるかどうかについて検討する。
亡俊一が自動車の前照灯を照しながら本件橋の手前にあつた「注意」の標識を見て前方に危険な箇所があるかも知れないと予想し減速徐行し万全の前方注視義務を尽していれば、本件道路の前記状況および親柱の位置を認識することができ、これとの衝突を回避する可能性があつたといえる。しかしながら、本件道路のような国道から分岐して幅員の比較的広い舗装した直線の道路でしかも道路の具体的状況等について何ら標識等の存在しないところを夜間はじめて進行する車両の運転者にとつては、進路の前方が道路幅員を急激に減少させながら右にカーブし同時に左斜め方向にも道路が分岐してその中央部にコンクリート製親柱があることまでは予測しないのが通常であり、道路上の交通の安全を確保するにあたつては、車両の運転者が常に万全の前方注視義務を怠らないことを前提にし本件道路の前記状況を前照灯のみで認識することに期待するだけでは十分とはいえず、当該道路をはじめて通行する運転者が通常の注意力を働かせた場合に安全に通過し得るように設置管理しなければならないと考える。
前示のとおり、本件事故現場付近の状況は、本件道路の前記状況を予知せしめて危険回避の措置をとりうるような設備等がないために本件のような親柱と衝突する危険を包蔵しており、<証拠>によると本件事故発生前後に東宿方面から進行してきた車両が本件橋の欄干および親柱に衝突ないし接触した事故が二、三件あつたことが認められ、また<証拠>によると本件事故現場付近の住民は本件橋を通過するたびに危険を感じており、本件事故発生後区長を通じて被告に対し一刻も早く用をなさない本件橋を撤去して欲しいと陳情したことが認められ、これらのことも本件事故現場付近の状況の危険性を裏づけるものである。
したがつて本件道路がかかる危険性を包蔵しているのであるから、道路管理者としては、東宿方面から進行してくる車両の交通の安全を確保するために、車両運転者が車両の前照灯の照明のみによつて本件道路が急激に狭くなりつつ右にカーブすると同時に左斜め方向に入口の比較的広いために誤つて進入する恐れのある農道が分岐しているという状況を確認することに委ねることなく、それ以外に右状況を予知せしめるような設備、たとえば橋の手前に右状況を照しうる照明または右状況を予告する道路標識を設置しあるいは橋の手前のセンターラインを右方に湾曲せしめて右状況を予告せしめるなどの措置をとる必要があつたというべく(ちなみに被告は本件事故発生後幅員減少の標識および街燈を設置した)、これらの設備を欠いた道路管理者たる被告には、本件道路の管理に瑕疵があつたものと認められる。
4 道路管理の瑕疵と本件事故との困果関係
前認定の本件事故発生の経過に鑑みると、もし本件事故現場付近に本件道路が急激に狭くなりつつ右方にカーブし同時に左斜め方向に入口の比較的広いために誤つて進入する恐れのある農道が分岐している状況を予告させるような前示諸設備があれば、亡俊一においても、本件事故を回避することができたであろうことは十分に推測しうるところであるから、本件道路の前記瑕疵と本件事故との間には因果関係があるものと認められる。
よつて、被告は国家賠償法二条一項に基づき原告らの被つた後記損害を賠償すべき義務がある。
三損害
1 亡俊一の損害
(一) 亡俊一の逸失利益
<証拠>によると、亡俊一が昭和一四年七月二五日生れで事故当時三一才の健康な男子であつて、左官として一か月につき二五ないし二六日稼働し、少なくとも一〇万円の収入(一日当り三、三〇〇円に残業手当を加えたもの)を得て家族四名を扶養していたことが認められ、これを左右する証拠はない。ところで昭和四六年簡易生命表によれば、三一才の平均余命は四六・四一年であり、亡俊一の職業に照すと、同人は六三才までの三二年間就労可能というべく、またその生活費は扶養家族数等から考慮して収入の三割と認めるのが相当である。そこで同人の死亡による逸失利益をホフマン式計算法により年五分の中間利息を控除して計算すれば一、五七九万七、〇四〇円となる。
計算式 100,000×12×0.7×18.8060=15,797,040(円)
(三二年のホフマン係数)
(二) 亡俊一の慰藉料
前記認定の亡俊一の年令職業その他諸般の事情(但し、後記過失相殺の点を除く)を考慮すれば、同人の精神的損害を慰藉するには一〇〇万円をもつてするのが相当である。
(三) 原告初枝を除くその余の原告らが亡俊一の妻、子であることは当事者間に争いがないので、亡俊一の前記損害賠償請求権のうち原告妙子が妻としてその三分の一を、原告昭博、同ゆかり、同幸代は子としてそれぞれ九分の二を相続により承継した。
2 葬儀費
<証拠>によると、原告妙子は、本件事故による亡俊一の死亡にともない、同人の葬儀を執行し、かつ仏壇を購入し、その諸費用として合計九九万三、三五〇円の出費を余儀なくされたことが認められ、右認定に反する証拠はないところ、葬儀費、仏壇費用はその家庭、宗門、地域等の習俗、慣習に左右される要素が強いため右のうち葬儀および仏壇購入費用として本件事故と相当因果関係をもつ損害は三五万円と認めるのが相当である。
3 原告らの慰藉料
亡俊一の死亡により、原告初枝はその母として、原告妙子はその妻として、その余の原告らはその子として、いずれも甚大な精神的苦痛を受けたことは容易に察せられる。そこで原告らの年令、亡俊一との身分関係その他諸般の事情(但し、亡俊一の後記過失の点を除く)を斟酌して、原告らが請求し得る慰藉料額は、原告初枝が二〇万円、原告妙子が一六〇万円、その余の原告らが各四〇万円をもつて相当と認める。
4 過失相殺
本件事故は、本件道路の管理の瑕疵に加えて亡俊一が夜間注意標識があるにもかかわらず減速徐行を怠りかつ進路前方に対する注視義務を怠つたために発生したものというべきであるから、同人の右過失も本件事故の一因をなすものというべく、同人の右過失を考慮すると、原告らの被つた損害のうちその五割を被告に賠償させるのが相当である。
そうすると、原告らの損害を計算すると
四結論
以上説示したとおり、被告は、原告初枝に対し一〇万円、原告妙子に対し三七七万四、五〇六円、その余の原告らに対し各二〇六万六、三三七円および右各金員に対する本件事故発生日である昭和四六年五月七日から右完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があるというべく、原告らの本訴請求は右の限度で理由があるからこれを認容し、その余の請求は失当としてこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条本文、九三条一項本文を、仮執行の宣言につき同法一九六条を各適用して主文のとおり判決する。
(丸山武夫 安原浩 打越康雄)