名古屋地方裁判所 昭和48年(ワ)2238号 判決 1982年1月22日
原告
有限会社小池商会
右代者者
小池正明
右訴訟代理人
加藤保三
外二名
原告補助参加人
株式会社新潮社
右代表者
佐藤亮一
原告補助参加人
仁尾一三
右補助参加人両名訴訴代理人
多賀健次郎
外二名
被告
愛知県
右代表者知事
仲谷義明
右指定代理人
早川順子
外六名
被告
楢府直大
右被告両名訴訟代理人
佐治良三
外二名
主文
一 原告の被告らに対する請求はいずれもこれを棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実《省略》
理由
一請求原因1(当事者)の事実は当事者間に争いがない。
二ところで、昭和四八年六月ころ、魚介類の水銀汚染問題が、新聞、テレビ等で報道され、国は国民が魚介類を食べる限度として、アジは一人一週間に何匹以内等と規準を公表したこと、原告代表者が同年六月二九日被告県に対し、電話で、当日市場に入つた魚類を直ちに検査し、水銀汚染されていないならば、これを公表して消費者が安心して食べられるよう措置を講じて欲しい旨要請したが、被告県は、検査には数日を要するからこれに応ずることは困雄である旨応答したことは、当事者間に争いがない。
右争いのない事実並びに<証拠>を総合すれば次の事実が認められる。
原告は、昭和四八年当時、五台の冷凍車をもつて、紀伊長島、尾鷲、福井などで直接鮮魚を仕入れ、愛知県と岐阜県の一部において産地直送の移動販売方式でそれらを販売し、一か月金三〇ないし四〇万円の売上げを得ていた。ところが同年五月ころ熊本大学医学部により、有明地区で定型的水俣病と全く区別できない患者が発見された旨の報告がなされ、同年六月ころ、第二の水俣病として、新聞、テレビ等で報道された。そして、厚生省に「魚介類の水銀に関する専門家会議」が設置され、右専門家会議の意見にもとづき、厚生省は各都道府県に対し魚介類の水銀の暫定的規制値として、マグロ類及び湖沼産の魚介類を除き、総水銀量については、0.4ppmとの通達を出した。原告の売上げは、このため三分の一以下に低下し、倒産する同業者も出てきた。そこで、原告代表者は、同年六月二九日、被告県の水産課に架電して、当日市場に入つた魚類を直ちに検査して発表できないかと要請したが、当時、衛研も県内で販売される魚介類の水銀汚染の実態を把握するため、その検査、分析で多忙をきわめており、水産課は、右要請に対し、検査には数日を要し、また多忙のため一般の人の検査依頼に応ずることは困難である旨応答した。
右認定を覆すに足りる証拠はない。
三原告代表者が昭和四八矩七月二日と翌三日の両日ころ、京都の島津製作所を訪ね、同社で水銀分析方法を教わつたこと、島津製作所より原告のもとにUV二〇一が到着したことは、当事者間に争いがない。
右争いのない事実並びに<証拠>を総合すれば次の事実が認められる。
原告代表者は、魚介類の水銀汚染問題が報道されたころから、自ら水銀分析を実施しようと考え、同年六月二〇日ころ、知人であつた名古屋大学公衆衛生研究室の訴外大橋邦和(以下、単に大橋という。)に紹介された名古屋市衛生研究所の訴外近藤某(以下、単に近藤という。)から右分析の器機としてUV二〇一がよいとの助言を得、同月二二日ころ、島津製作所の代理店である入江製作所からUV二〇一を購入する旨の契約を結んだ。そして、島津製作所から機械の繰作と前処理について技術指導する旨の連絡を得て、同年七月三日ころ、同製作所分析センターに赴き、同製作所川勝技師他一名から右の技術指導を受け、またそのころ右大橋、近藤からも、水銀分析法について説明を受けた。そして、同月九日、右UV二〇一が到着して分析を開始し、同月一四日から、分析結果を表示して、販売する方法を始めた。
右認定を覆すに足りる証拠はない。
四原告の水銀分析及びその結果を表示してその販売方法がその頃、日刊新聞に報道され、テレビでも放映されたことは当事者間に争いがない。
そして、<証拠>によれば、被告楢府は、昭和四八年七月六日付中日新聞によつて、原告の水銀分析についての記事が掲載された翌日、被告県の衛生部長から、UV二〇一の機械の性能及びこれによる分析方法について調査を命ぜられ、同月一〇日、京都市の島津製作所を訪ね、同製作所において川勝技師他一名から、機械の説明及び原告代表者に指導した分析方法について説明を受け、これに基づき、本件比較表の添付された本件報告書を作成し、翌一一日衛研所長にこれを提出したことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
五被告楢府が仁尾記者の取材に応じたこと、本件比較表の写しを仁尾記者に交付したこと、週刊新潮の昭和四八年七月二六日号に本件記事が掲載されたこと、この記事の中に、被告楢府発言部分として本件記事①、②、③、④の記載があることは当事者間に争いがない。
<証拠>によれば本件記事の構成は、まず、原告による分析法等の紹介及び原告代表者のコメントがあり、続いて「しかし、化学的素養のない者にもそれほど簡単にできることなのだろうか」との問題提起がなされ、被告楢府のコメント、東京都衛生研究所のコメントがあつて、最後に記者の論評として「公的研究機関の人員、施設を増強して、一般の不安に対処すべきなのではないだろうか。」としめくくつていること、本件記事は、仁尾記者によつて書かれたものであることが認められる。
六ところで、本件記事は、原告の実施している水銀分析方法が信頼性のおけないものであることを要旨としているものであるが、その信頼性のないことの内容をなしているものは、本件記事①ないし④の論評の前提をなす事実に集約できるものと考えられる。そこで、以下、本件記事①ないし④が、被告楢府の発言内容と一致しているのか否かを検討する。
1 ①について
被告楢府が①を発言したとの点は、これに沿うかのごとき証人仁尾一三の証言部分もあるが、同証言自体の中に「本件比較表を見せてもらい、被告楢府が調べたものと理解した」「部長が自ら行つても、部下の者をやつて調べさせても同じことだと思い、部長自ら行つて調べたとの表現にした」旨の部分があること及び<証拠>に照らし、にわかに採用することができず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。また、被告楢府が仁尾記者に対し、原告を訪れていない旨述べたとの事実及び本件比較表の「魚商実施方法」については島津製作所が原告代表者に教えた方法であつて、原告方において調べたものでない旨述べたとの点もこれに沿う被告楢府本人尋問の結果部分はにわかに採用することができない。そして、<証拠>によれば、仁尾記者が原告方における取材の際、原告方を被告県の公害課その他の職員が訪れたことがある旨、聞知したこと、被告楢府において本件比較表を示して仁尾記者の取材に応じたことが認められ、この事実に前記認定のとおり本件比較表には衛研実施法と魚商実施法と表示し、これを対比させて記載されていることを総合すれば、仁尾記者は、被告楢府またはその部下が原告を訪れて調査した事実の存否について確認しないまま、直接の調査をしたものと速断、誤解して、①部分を記載したものと認定するのが相当であり、これに反する<証拠>は採用できない。
2 ②③④について
<証拠>によれば、本件記事は、被告楢府が仁尾記者の取材に応じて述べた事項を逐一記載したものではないものの、本件比較表の写しに仁尾記者は、被告楢府の説明を聞きながら書きこみをしたこと、本件比較表の写しの魚商実施法の試料採取量の項に「一g」、粗解装置の項に「やや不完全(開放型)」と記載があること、後者の記載の下部に仁尾記者の書きこんだメモとして「捕集装置必要、六〇%以上逃げる」旨の記載があること、仁尾記者の取材の際に書いた取材メモには「◎資料がわずか一gで、0.4ppm以下はわからん」「〓ふつう一検体に二度やる」「トコロが魚屋は一発勝負→データに信頼性がない」「とかくデータを出せばいいというのがシロウト」「ただ出せばいい」との記載があることが認められ、以上を総合すると、被告楢府は、②③④と同旨の内容をもつものと理解し得る発言をなしたことが認められる。
右認定に反する<証拠>は採用できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。
判旨七そこで、以上の認定事実を前提として、被告楢府の仁尾記者に対する発言内容が名誉毀損と認められるかどうかについて考えてみるに、まず、同被告が直接原告方に赴いて調査したことを前提とする本件記事①の記載部分は、同被告がこれを明言しているものではなく、専ら仁尾記者の速断誤解に起因するものであり、かつ、このような不正確なものを記事として公表する場合、その誤りは取材側における確認義務の範囲に属することがらであり、これを同被告の責任に転嫁させることはできない。そして、同被告の本件記事②③に関する発言内容は、後記八記載のとおり原告が現実に行つている分析方法ではなく、島津製作所が原告に指導したとする分析方法を前提とした発言であり、さらに、本件記事④に関する発言内容は、後記八記載のとおり仁尾記者の取材を前提としてなされた発言であるから、原告に向けられた信用毀損の表現は、本件記事と比較して、間接的であり、かつ毀損の程度においても低いものであるといわねばならない。
しかしながら、これらの点を前提において考えた場合においても、その発言内容は、「分析のための試料が一グラムであり、あまりにも少い。」こと、「フラスコに捕集装置がない。」こと、本来「何回か分析して誤差を確かめるべきであるのに、この魚屋の場合一発勝負であり、このような点から、この分析方法には信頼性がおけない。とにかくデータさえだせばよいということではない。」こと、を内容とするものであり、このような記事を一般読者が通常用いる注意と読み方をもつて読むものとすれば、当時このような分析方法を採用し、一般の魚介類販売業者の取扱つている魚介類より以上に水銀汚染度が少なく、より安全な魚介類を顧客に販売していることを宣伝文句としている原告会社の魚介類が、一般魚介類販売業者に比し、さほど信頼性を措けるものでないものと理解するであろうことは容易に推認しうるところである。ところで、名誉が毀損された場合とは、一般に人の社会的評価ないし信用を害し、又はそのおそれのある行為がなされた場合を指称するものと解されるところ、本件のように、一般魚介類販売業者より以上に汚染度の少ない、より安全な魚介類の販売をしていることを宣伝文句としており、かつ、この営業上の信用が継続している以上、この宣伝効果を減殺する前記発言は、原告会社の営業方針及びこれによる社会的信用を低下毀損させるものであり、その毀損の程度はともかくとして、原告会社の名誉を毀損するに足る行為であるといわざるをえない。
八しかしながら、右認定のような信用毀損行為があることから、直ちにその責任ありと速断すべきではなく、論評目的及び対象が公益に関するものであり、かつ論評の前提となる主要事実が真実であるか、又は真実と誤信するについて相当な理由がある場合は免責されるものと解すべきである。
そこで、これを本件について検討してみるに、まず、被告楢府の発言内容は、前記二ないし四に認定したように、本件記事の取材当時、国民の間に魚介類の水銀汚染問題に関する関心が高まり、原告の行つている水銀分析方法を各新聞社がとりあげ報道していた社会的背景のもとで、魚介類の水銀分析を公的機関以外の私人が行なうことについての問題点を対象としてとりあげ、水銀分析という超微量分析を実施する場合の方法の困難さについての社会一般に対する啓蒙と、水銀分析に関する非専門家が不正確なデータを検出し、これを盲信することに対する警告を発することにあつたことは明らかで、その対象が公共の利害に関し、その動機、目的も公益に関する正当なものであつたものと認められる。また<証拠>によれば、前提となつた主要事実のうち、本件記事②③に関する同被告の発言は、同被告が島津製作所において調査を行つたさい、同製作所が原告代表者に対して指導した試料採取量が一グラムであり、かつ捕集装置をつけていなかつた旨の報告をうけたので、これを前提としてそのような発言をしたものであることが認められる。さらに、同被告の発言のうち、本件記事④の発言部分は、本件記事の全体の文脈からすると、一検体に対する分析回数を多く行つて誤差を確かめることなく、一検体について一回しか分析をしていないことを意味するものと解されるところ、同被告が島津製作所に赴いて、同製作所から聴取した原告の分析方法として、原告が右のような分析方法を採用していた旨の報告を受けたことは本件全証拠によつてもこれを認めることはできず、かえつて<証拠>によれば、同被告は、島津製作所において、同製作所の川勝優技師から、原告代表者が分解装置を二組設置したことを聞き、同被告としては、右装置の数から、原告は一検体について少くとも二回分析を行つているものと推測していたことが認められる。したがつて以上の認定からすると、同被告の右発言は、少くとも、島津製作所から聴取した原告代表者の分析方法を前提とするかぎり、理解しがたい発言であるといわざるをえない。そして、<証拠>を合わせ考えると、他面仁尾記者は、被告楢府に対する取材に先だつて、原告代表者宅を訪問し、同人の行つている分析機械及び分析方法の説明を受けたが、そのさい、同人から分析方法の説明として「生活がかかつているので、順ぐりにクサリ作業をせずに、一検体について一回しかやつていない。」旨の説明を受けたので、同記者としては原告方では一検体一回分析の方法で行つているものと考え、この取材を終えた後、被告楢府に面会し、原告代表者に対する取材を前提として、同被告に対し、その見解を求めたところ、同被告から「普通水銀分析方法では一検体について二度やつている。」旨の発言を得たもので、同記者としては、原告代表者の実施している方法と大変な相違点になると考え、取材メモ中に「ふつう一検体に二度やる。」と記入し、その個所の冒頭に三重丸を記入したことが認められ、ほかに右認定を動かすに足る証拠はない。以上の認定によれば、被告楢府の右発言の経緯は、原告代表者が一検体について一回の分析を行つていたこと、仁尾記者は右事実を原告代表者から取材し、これを前提として、被告楢府に対し取材を行い、その結果、本件記事④記載の趣旨の被告楢府の発言を得たので、これを記事として公表したものと認めるのが相当であり、右認定に反する<証拠>は措信できず、ほかに右認定を動かすに足る証拠はない。
以上の各認定を前提にして考察すると、被告楢府の発言内容は、論評の目的及び対象が公益に関するものであり、論評の前提となる主要事実は、島津製作所において聴取した原告に対する指導内容及び仁尾記者の原告方における取材結果を前提とするかぎりにおいて、真実性をもち、少くとも真実であると信ずるにつき相当の理由があつたものというべきである。したがつて、このような前提事実に基づいてなされた同被告の発言ないし論評は免責されるのが相当と考えられる。
なお、付言するに、原告は、被告楢府が仁尾記者に対し、前記各認定の発言をするにあたつては、事前に原告に面談するなどして、充分に事実関係を調査すべき義務があるのに、これを尽さず、かつ、事実関係を調査しないまま本件比較表(乙第一号証)の写しを同記者に交付した点を論難する。しかしながら、前記認定のように、被告楢府は、島津製作所で得た資料及び調査結果、並びに仁尾記者の原告方に対する事前調査を前提として同記者の取材に応じたものであるから、これを公表する場合において、右前提事実が原告の現実に行つている分析方法と同一であるか否かの確認は専ら取材側の職責に属し、これを前提として取材に応じた者が、原告の現実の分析方法についてまで調査確認すべき責任を負担すべきいわれはない。
九してみると、原告の被告らに対する本訴請求は、いずれも失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について、民訴法八九条を適用して主文のとおり判決する。
(加藤義則 谷口伸夫 山田貞夫)
(別紙一)
本件記事
「私自身が魚屋に出向いて調べてみた①」という愛知県衛生研究所の楢府・食品部長が、専門家の立場から解説――
「装置そのものは三年前から三〇〇台近く売られてよく知られているし、各自治体研究所、学校で使われている信用のあるものです。それに、この紫外線分析法は、われわれの使つている原子吸光法(特殊な電子管で水銀を検出する)と、原理も同じです。
ただ使い方が問題です。第一の懸念は試料が一グラムとあまりにも少ないから、どうしても信頼性に欠けやすいことです。やはり一〇ゲラムから二〇グラムは必要で②す。その分だけ時間はかかりますがね。さらに、酸で溶かすときに開放型といつて、フラスコに捕集装置がな③いので、シロウトがやる場合、水銀が飛んでしまう心配もあります。
最も問題なのは、一検体について何回も分析して、誤差を確かめる必要があるのに、この魚屋の場合は“一発勝負”ですからデータに信頼のおけないことです。“とにかくデータさえ出せばいい”というものではないのですから④ね……」