名古屋地方裁判所 昭和48年(行ウ)27号 判決 1979年7月13日
原告
山田吉明
同
倉田俊満
右両名訴訟代理人
草島万三
外二名
被告
名古屋南郵便局長
杉原登
右指定代理人
前蔵正七
外八名
主文
原告らの請求を棄却する。
訴訟費用は原告らの負担とする。
事実《省略》
理由
一配転命令
原告両名がその主張の日時に郵政職員に採用され、原告山田が昭和四四年七月一日以来南局保険課内務職員であつたこと、原告倉田が同年六月二三日以来同局保険課外務員であつたこと、被告が昭和四七年四月五日、原告山田に対し、郵便課勤務を、原告倉田に対し、集配課勤務を命ずるとの配転命令を発したこと、原告両名は右命令を不服とし、同年四月一五日人事院に対し、審査請求をしたが、現在に至るまで裁決がなされていないことについては当事者間に争いがない。
二原告らは本件配転命令は原告らの同意なしになされたものであるから、労基法二条一項に違反し無効であると主張する。まずこの点について判断する。
原告らは郵政職員であつて公共企業体等労働関係法(以下公労法という)二条一項イにいう郵便等の事業に勤務する一般職に属する国家公務員であるが(公労法二条二項二号)、その労働関係については、公権力の行使を伴う一般行政作用とは異なり、公共性のある経済活動に従事するものであるという職務と責任の特殊性に基づいて、公共企業体の職員と同じく公労法が適用される。そして、同法四〇条一項によると、労基法等の不適用を定めた国公法附則一六条及び補充的な準用を定めた同法第一次改正法律附則三条の適用が排除されているから、郵便等の事業に従事する現業国家公務員には非現業一般職国家公務員とは異なり、労組法・労基法・労働関係調整法・最低賃金法が適用され、賃金その他労働条件に関する事項は団体交渉の対象とされ、労働協約を締結することができる(公労法八条)。以上の点からすれば、郵便等の事業に従事する現業国家公務員の勤務関係は、国公法が全面的に適用されている非現業一般職国家公務員のそれとは異なり、あるていど当事者の自治に委ねられている面があるということは否定できない。しかし、現業公務員については、国公法のうち一般職国家公務員の勤務関係の基本をなす任免、分限、懲戒、身分保障、服務関係等の規定はその適用を除外されていないのである。その適用を除外されていない国公法三五条は「官職に欠員を生じた場合においては、その任命権者は法律又は人事院規則に別段の定めのある場合を除いては、採用・昇任・降任又は転任のいずれか一の方法により、職員を任命する。」と規定し、人事院規則八―一二第六条一項は「任命権者は、臨時的任用及び併任の場合を除き、採用・昇任・転任・配置換又は降任のいずれかの方法により、職員を官職に任命することができる」と規定し、郵政省設置法二〇条は「郵政省に置かれる職員の任免・昇任・懲戒その他人事管理に関する事項については国家公務員法の定めるところによる」と規定しており、国公法三五条にいう「転任」には「配置換]も含まれていると解せられているところ、採用・昇任・降任については、それぞれ国公法三六条、三七条、七五条、七八条がその要件を定めているけれども、配置換(転任)については要件法規は定められていない。従つて、国公法三五条は、配置換につき個々の公務員の同意を要せず、かつ任命権者の公権力の行使としての配置換をするについて合理的限界内における裁量を許容したものと解すべきである。なお公労法八条二号は、郵政職員など現業公務員について、各種の人事事項に関し当事者自治による決定を認めているが、これはあくまで所定の人事権行使に関する基準についての団体交渉を認めたものであつて、その基準を適用して行われる具体的個別的な配置換命令が任命権者の一方的行為としてなされることになんらの消長を来すものではない。
右と異なる原告らの見解は採用できない。
よつて、本件配転命令は原告らの同意がないから無効であるとの原告らの主張は採用できない。
三本件配転命令の必要性
<証拠>によれば、本件配置換の業務上の必要性、及び原告らを選定した事情について次の事実が認められる。<証拠判断略>。
1 本件配置換の業務上の必要性
南局は、昭和四四年六月二三日熱田郵便局から分離した新設の郵便局で、名古屋市南区一円を受持区域としていた。同局には庶務会計、郵便、集配、貯金、保険の五課があり、職員は局長以下約二〇〇名である。本件配転命令を発令したのは森本義夫局長で、同局長は昭和四六年七月九日から昭和四八年七月一六日まで在任していたが、その赴任当時、同局の業務成績は貯金課が東海郵政局管内で二ないし六位、貯金募集成績は上位三分の一ないし中位以上であり、郵便課の業務運行状況も順調であつたが、集配課及び保険課の業務運行状況は必ずしも良好な成績ではなかつた。
即ち郵便物の取集及び配達を担当する集配課においては、普通通常郵便の配達状況をみるに一日平均配達数と配達未済で滞留する郵便物数(以下括弧内に示す)は、昭和四六年四月約五万五〇〇〇通(約二二〇〇通)、同年五月約五万三〇〇〇通(約四七〇〇通)、同年六月約五万五七〇〇通(約三五〇〇通)、同年七月約五万六三〇〇通(約四九〇〇通)で右滞留物数は東海郵政局管内主要局並びに名古屋市内普通局と比べ著しく多く、郵政局から業務指導が行われる程であつた。
また簡易生命保険の業務担当を主とする保険課においては簡易生命保険の募集成績が昭和四五奨励年度は目標一四六八万円で実績額120.6%、昭和四六奨励年度は目標二一〇〇万円で実績額168.2%といずれも目標額を大幅に上回つているのであるが、これを東海郵政局管内の順位でみると、一二〇局中昭和四五年度が七六位、昭和四六年度が八三位に位置し、管内普通郵便局平均を下回る状況にあつた。
郵便物の滞留については、昭和四六年度の定員算定の基礎となつた前年度の一〇月物数調査の要配物数四万一五〇〇通と比して昭和四六年度の郵便物数が増加した一方道路状況も混雑化しているなど配達をより困難にしている事情は認められるものの、将来の配達物数増を見込んで人員配置がなされているから、右事情は必ずしも郵便物の滞留原因ではなく、むしろ、右集配課及び保険課の業務不振の主たる原因につき森本局長は局職(課長以上が局長室で行う業務運行の会議)と自己の見分を通じて、職員の勤労意欲が低調であること、役職者である主事主任、課長代理等のいわゆる中間管理職の職責意識が低く、部下職員に対する指揮、指導機能が十分に果されていないことにあると判断した。
そこで、その対策として集配課においては、職場のレイアウトの変更、配達資料の整備、通区訓練の実施を、保険課においては、募集専務班を新設し、募集実績の上位者を同班に配置して募集のみに専念させ、成績の向上を図つたが、それとともに全局的な対策として森本局長は、昭和四六年九月の局議において、同人が着任する以前に決定されていた昭和四六年重点施策の①中間管理者体制の強化、②青少年職員の指導育成、③集配業務の整備改善、④セールス活動の積極的展開、⑤窓口サービスの向上徹底、⑥事故犯罪の絶滅のうち、特に①②③の見直し、わけても中間管理体制の強化を重視することとし、更に森本局長独自の案として、集配課と保険課の沈滞した雰囲気をかえるため、職員の一割程度の配置換を行つて職場の中に刺激を与え、人心の一新を期し、もつて職場全体の成績を向上させるべく配置換を提案し、各課長の賛成を得た。
そして、全局的重点施策のうち中間管理者体制強化については①中間管理者講座を設置して毎週一回一時間八回に亘り局長課長を講師とする講座を開催し、②中間管理者打合せ会を各課毎月一回開催して意見交換を行い、③優良な郵便局や他企業を見学させ、青少年職員関係(満二五歳未満)では毎月一回局長室で局長以下の管理者が誕生日を迎える職員と誕生会をもつほか家庭通信、父兄会を実施し、また一回五名位を対象として局長との懇談会を開き、中堅職員(中間管理者と青少年職員を除くその余の職員)と管理者との懇談会を開くなど、各種施策を講じてきた。
2 配置換の実施
(一) 森本局長は、前記の如く昭和四六年九月局議において、人事の刷新という目的達成のため全職員の一割程度を配置換する方針を表明したが、郵便部門を担当している郵便課長及び集配課長から配置換の実施時期について、年末年始郵便の繁忙期を越してから実施すべきであるとの意見が具申されたので、同局長は、当面の配置換を同年八月下旬、庶務会計課の職員が東海郵政局へ転出したために生じた欠員の補充にとどめた。
すなわち、転出した庶務会計課職員の補充として保険課員平田稔を(理由同人は事務的才能に勝れ、孔版、絵画、編集等の特技を有していたこと)、同人の後補充として郵便課職員貫洞節郎を(理由適性あり、希望もしていたこと)同人の後補充として集配課外務職小椋重徳を(理由国家公務員初級試験に合格し、内務職を希望していたこと)を充て、また、貯金課主任塚本匡志が同課の女子職員と結婚したので、人事配置上の観点から、同人と保険課主任西山明を入れ替えて配置換した。
(二) ついで森本局長は昭和四七年二月頃局議に諮つて同年四月の配置換計画を被告主張のとおり決定した。右各職員を選定した理由は次のとおりである。
① 郵便課職員浮洲寿雄は、珠算が得意で経理に適任であつたので、集配課経理事務を強化するため同課へ、
② 集配課経理の鈴木勝利は、珠算不得手で経理事務の適性に欠けていたので、本人の将来を考えて郵便課へ、
③ 郵便課職員伊藤国男は、一〇年以上も同課に勤務しているので、心気一転させるためには配置換により他の業務を担当させることが本人の将来の為になると考えたので保険課へ、
④ 保険課外務職員橋本桂は、募集成績は同課職員の中位であつたが、年齢が四八歳、貯金課に移れば昇任の可能性があり、同人も貯金課を希望していたところから貯金課へ、
⑤ 貯金課外務職員岩佐国夫は、貯金の募集成績最下位、口下手で貯金募集に不向きの反面若く体力があるので集配課の方が適しているため同課へ、
⑥ 集配課外務職員村瀬鈴夫は、説得力があり努力家でもあるので募集担当としての適性が認められたので保険課へ、
⑦ 集配課村松登は、募集担当として適性があり、希望もしていたので保険課へ、
⑧ 集配課早川鈴男は、兄弟三人が集配課にいるため、人事配置上の観点から一人は他の課へつけるがよく、その場合には真中の鈴男が最も募集担当者としての適性があるので保険課へそれぞれ配置換した。
(三) 原告山田を選定した理由
同原告は昭和四四年七月一日瑞穂郵便局郵便課から南局保険課に配置換された。保険課には、窓口、経理(保険加入申込事務処理と現金授受)、徴収(保険料受入票等の整理)の三種類の事務がある。同原告は前記配置換以来昭和四六年一二月までの間経理係をしていた。同係は外務職員が新規に契約してきた保険契約の加入申込書類を審査し、事故のないよう外務職員を指導するなど外務職員と接触する事務であるが、同原告は外務職員の感情を害することがあり、外務職員から同原告に対する批判も再々きかれていた。また事務処理上の事故も他の者と比べて多かつた。こうした事情と同原告自身も窓口事務を希望していたこと、徴収係は第一回の配置換により新人二人が配置されていたことなどから、同原告を窓口係に担務替えした。
然し同原告は窓口係として、郵便局の利用者と応対するについて、必ずしもその言動が適切とはいえない状況であつたので、このような同原告の勤務状況からみて、保険課の窓口係として不適当であり、同原告は現職を希望していたが、他の業務に転換することが適当であり、その場合同原告が瑞穂郵便局当時郵便課に勤務していた経験があるので、これを考慮して郵便課へ配置換した。
(四) 原告倉田を選定した理由
前記2(二)のとおり、集配課から三名を保険課へ配置換することとなつたが保険課は一名が退職し、橋本桂を貯金課へ配置換したのみでは、集配課から三名配置換することにより一名過員となり、過員分を集配課へ配置換する必要があつた。集配課の仕事は、体力を必要とするので、年齢の若い者がよいが、保険課外務員中集配に適している者は望月、多田、原告倉田の三人であつた。そのうち望月は国家公務員初級職合格者で、希望すれば内務員にしなければならず、早晩その必要が生ずるものと本件異動計画時においては推測された。また多田については住所が北区光音寺の郵政寮にあつて通勤に一時間もかかり、保険課より一時間早く出勤しなければならない集配課へ配置換すれば、通勤事情が著しく悪化することが明らかであつた。これに対し原告倉田は南区天白町の郵政寮に住み、通勤は一五分ていどであることなどから、同原告を選定して集配課へ配置換したものである。
前記三1の認定事実によれば、森本局長が着任した当時南局における業務運行状況は、郵便課と貯金課が好成績であるのに反して、集配課と保険課とは東海郵政局管内全体からみて水準以下で、郵政局より業務指導を受けていたのであるから、保険課の募集成績は目標額を突破しており、集配課の配達状況については郵便物数が増加している一方、道路が混雑し配達の便を悪化させている事情などがあるとはいえ、これらは右成績不振の評価を動かすものではなく、そして右不振を解消するためには、各種施策を講ずるのほか更に職員の勤労意欲を刺激し高揚させるため配置換を必要とする相当な理由があつたものというべきである。蓋し、配置換は人事配置の原則である適材適所主義に基づいて実施されるもので、適性を認められて新職場に配置換された職員の勤労意欲が高揚することは勿論、適性を欠くと判断されて他の職場へ配置換された職員も新しい職場で心機一転して職務に精励する機会を得ることにより、一般的には勤労意欲が刺激され好結果をもたらすことになるからである。
また前記三2(三)(四)の認定事実によれば、原告山田は保険課の窓口係としては不適当というのほかなく、その場合同原告の希望に反するとはいえ、同原告は既に保険課内三係のうち経理係から窓口係へ担務替となつており、徴収係には担務替えの余地がないのであるから、保険課以外に配置換えするのほかなく、その経験を考慮して郵便課に配置換したことには業務上の必要性、合理性があるものと認めるのが相当である。
また原告倉田については、前記認定事実によれば、保険課から集配課へ一名配置換する必要性があり、集配課はあるていど体力を要するから若年者が適当であり、該当者としては三名の候補者がいたけれども、他の二名については夫々配置換に支障を来たす事情が認められるところ、原告倉田については他の二名のような事情が存在しないというのであるから同原告を集配課へ配置換したことには合理性があるというべきである。
これに反する原告らの主張は採用できない。
四不当労働行為
原告らは、本件配転命令は配転前の職場において組合活動の中心的な役割を果していた原告らの組合活動を嫌忌し、他の職場へ配転することによつて、原告らに組合活動上も精神的、経済的にも不利益を与えると共に、他方原告らの所属する全逓熱田支部名古屋南総分会を弱体化することを狙いとして行われた点において労組法七条一号及び三号の不当労働行為に該当すると主張するので判断する。
1 <証拠>によれば、次の事実が認められ、<証拠判断略>。
原告山田は瑞穂郵便局勤務中全逓信労働組合(以下全逓という)に加入し、同組合瑞穂支部に所属し、昭和四三年一月職場委員、四四年一〇月全逓熱田支部名古屋南保険分会の副分会長、四五年一〇月同支部青年部常任委員、四六年一〇月同支部執行委員を歴任し、本件配転当時に至つたもの、原告倉田は昭和四四年六月一日全逓に加入し、四六年一〇月全逓熱田支部名古屋南総分会保険分会の青年部副分会長に選任されて本件配転当時に至つたものである。全逓熱田支部は熱田郵便局に勤務する者で組織する熱田総分会約一二〇名、南局に勤務する者で組織する名古屋南総分会約一七〇名で構成される。熱田支部は、支部長、副支部長、書記長、支部執行委員等、本件配転当時の役員は一〇名であつた。書記局は南局に置かれていた。分会の役員は、分会長(各課が一分会を構成するので五名)、副分会長三〜四名、分会補佐二名、青年部長分会長三名、同副分会長二名、職場委員三〇名、組織対策委員六〜七名、労働委員等約七七名であつた。
南局においては昭和四五年九月二三日労務政策変更闘争の拠点に指定されたのがきつかけで、それより以前に結成されていた主事クラスを中心とする南和会のメンバーを中心にして一七名(課長代理一名、主事一〇名、主任二名、一般四名)が熱田支部においては同年一二月二三日頃主事と主任六名が夫々全逓を脱退し、昭和四六年二月頃全郵政南支部、同熱田支部に移行した。本件配転当時前者は約三〇名、後者は約二五、六名であつた。
昭和四六年七月九日森本局長が赴任したのであるが、同局長はほぼ原告ら主張のとおりの管理体制を推し進めていた。従つて森本局長当時の労使関係が可成りの緊張状態にあつたことは間違いのないことである。
原告山田は、昭和四五年九月二四、二五日の年休闘争には副分会長として参加し、戒告処分をうけ、昭和四六年末闘争(集配課物だめ闘争)には支部執行委員として年休をとつて集配課に赴き当局と交渉した。保険課は年配者が多く組合活動も消極的であるが、原告山田、同倉田はワツペン、鉢巻着用など行つていた。
このような労使関係の中で行われた昭和四六年一〇月の配置換については組合も反対しなかつたが、昭和四七年四月の配置換については反対した。その理由は本人の希望が無視され、配置換された一〇人中五名が全逓の組合役員(原告山田は支部執行委員、同倉田は保険分会の青年部分会長、伊藤は集配分会々長、早川は集配分会副分会長、村瀬は分会補佐と職場委員)であるから、組合役員に対する報復配転であるというのである。
本件配転によつても、原告山田の支部執行委員の地位はそのままで変更がなく、支部の組合活動は集配課に替つても、勤務上泊りの日が出てくるので稍々支障を来たすていどである。
原告倉田の保険分会青年部副分会長の地位は、集配課への配転に伴い、所属分会も集配分会に変更になつて自動的に青年部副分会長の地位を失うことになる。
原告らは、本件配転が原告らの組合活動を嫌忌してなされた旨主張するが、以上の認定事実によれば、森本局長の前記のような管理態勢の推進の仕方の当否については、組合として異論はありうるとしても、原告山田については南局内部における職務の変更によつては支部執行委員としての組合活動に不利益を生ずることがないものと認められる。この点について原告山田は支部執行委員といつても出身分会のことを主に指導したり検討するので、慣れた分会を離れることは活動上支障があると述べているが、むしろ他分会を知ることにより、より広く支部執行委員として活動する経験を得ることができるものと考えられるから、右原告の供述は理由がない。
また原告倉田についてみるに、同原告の組合における役員としての地位は決して中核的なものではないのみならず、前記認定事実によれば、南局における組合役員はいわゆる三役の他に職場委員を含めると組合員数一七〇名中七七名も存するのであるから、配置換をすれば比率にして半数に近くはこのような役員が含まれざるを得ないのであるから、原告倉田が組合役員をしていたからという一事を以つて本件配転が組合活動をしていたためになされたものとはいえない。
2 次に原告らは「本件配置換によつて、原告山田は募集手当及び内務手当が、原告倉田は募集手当がそれぞれ支給されないこととなるので、重大な経済的不利益を蒙る」旨主張する。
原告山田が郵便課内務事務に従事した場合と保険課内務事務に従事した場合との収入の増減をみるため、原告山田と俸給が殆んど同じ郵便課職員二名A、Bの昭和四六年度(昭和四六年四月から同四七年三月)分の収入と原告山田の同年度分の収入を比較するに、別表一のとおりであることは当事者間に争いがない。
右表によれば、原告山田とAとの収入の差は年間約一万四〇〇〇円、Bとの収入の差は年間約一万九〇〇〇円であるから、原告山田が郵便課へ配置換になつたことに伴う減収は一ケ月平均一〇〇〇円ないし一六〇〇円程度にすぎない。
次に原告倉田が集配課外務事務に従事した場合と保険課外務事務に従事した場合との収入の増減をみるため、原告山田におけると同様に、原告倉田と俸給が殆んど同じ集配課職員二名C、Dの昭和四六年度分の収入と原告倉田の同年度分の収入と比較するに別表二のとおりであることは当事者間に争いがない。
右表によれば、原告倉田とCとの収入の差は年間約一三万六〇〇〇円、原告倉田とDとの収入の差は年間約一三万四〇〇〇円であるから、原告倉田が集配課へ配置換になつたことに伴う減収は一ケ月約一万一〇〇〇円程度である。
次に原告倉田が集配課へ配置換された後の昭和四七年度分について、前同様の方法により原告倉田と俸給、募集成績が殆んど同じ保険課外務職員二名E、Fと原告倉田との収入を比較するに別表三のとおりであることは当事者間に争いがない。
右表によれば、原告倉田とEとの収入の差は、被告主張のとおり原告倉田が毎月約四〇〇〇円の増収となる。Fとの差は原告倉田が毎月約一万円の減収となる。なお証人村瀬鈴夫の証言によれば集配課においては年末繁忙の超勤手当が大で総収入額は保険課より多いことが認められ、保険課における募集手当が支給されなくなることによる経済的不利益は必ずしも原告らの主張するように著しいものではない。
別表一
(原告山田の比較表)
(単位円)
氏名等
項目
原告
(俸給月額四一、九〇〇)
A
(俸給月額四二、二〇〇)
B
(俸給月額四一、二〇〇)
特殊勤務手当
①内務者手当
一二一、五六八
〇
〇
②募集手当
一七、六二二
〇
〇
③現金出納手当
④区分手当等
三、一六五
一五、九〇五
一六、三二五
⑤超過勤務手当
一六、一七九
八、七一七
七、四九九
⑥夜勤手当
〇
二六、六七九
三二、三三五
⑦祝日給
〇
一二、二二六
一一、一〇九
⑧夏期手当
七一、三二七
七八、三六七
七六、六三一
⑨年末手当
一二五、八六五
一四二、七二九
一三五、二三七
3 更に原告らは、配転に伴い精神的不利益を与えられると主張するが、同じ局内の担務変更により右主張のような不利益を与えられたことを認めるに足りる証拠は存しない。
4 以上認定した事実を総合すれば、本件配転命令は、専ら集配課と保険課の業務不振を打開するためという業務上の理由に基づいて発せられたものと認めざるを得ず、被告が全逓青年部活動家である原告両名に懲罰を加えるとともに、全逓熱田支部名古屋南総分会の組合活動を抑圧し、組合を弱体化することを狙いとして右配転をなしたものということはできない。
よつて、本件配転命令が不当労働行為であるとの原告らの主張は採用できない。
五結論
以上によれば、原告らの主張はいずれも理由がないから、本訴請求は失当として棄却すべく、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法八九条、九三条を適用して主文のとおり判決する。
(松本武 戸塚正二 島本誠三)