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名古屋地方裁判所 昭和50年(ワ)1525号 判決 1978年11月29日

原告 榊原作平 外四名

被告 愛知県 外二名

主文

一、被告らは、各自、原告榊原作平、同榊原あきに対し各金六〇万円、原告榊原絹枝に対し金一、〇八〇万三、九五六円、原告榊原加代、同榊原智佳に対し各金八〇八万三、九五六円及び右各金員に対する昭和五〇年四月一五日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二、原告らのその余の請求を棄却する。

三、訴訟費用は、これを五分し、その三を被告らの負担とし、その余を原告らの負担とする。

四、この判決は、原告ら勝訴の部分に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告ら

1、被告らは、各自、原告榊原作平、同榊原あきに対し、各金六五万円、原告榊原絹枝に対し、金一、九九七万五、六五二円、原告榊原加代、同榊原智佳に対し、各金一、三五七万六、〇〇二円及びこれらに対する昭和五〇年四月一五日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2、訴訟費用は被告らの負担とする。

3、仮執行宣言

二  被告ら

1、原告らの請求をいずれも棄却する。

2、訴訟費用は原告らの負担とする。

3、(被告愛知県につき)仮執行免脱の宣言

第二当事者の主張

一  請求原因

1、事故の発生

(一) 日時   昭和五〇年四月一四日午前八時五分ころ

(二) 場所   愛知県高浜市高取町宮南三五番地の一先路上

(三) 加害車  大型貨物自動車(三河一一う二九二〇号)

(四) 右運転者 被告孫宗吉(以下単に「被告孫」という。)

(五) 被害車  原動機付自転車(半田市う六八八号)

(六) 被害者  榊原邦彦(以下単に「邦彦」という。)

(七) 態様   邦彦が、被害車を運転し、事故現場を東進していたところ、後続の加害車がこれを追い越そうとして並進状態となつた。その際、対向車が接近してきたため、加害車は道路左側の路側帯付近に進入させたが、その付近だけ道路が低くなつており、路側帯と車道の一部に土砂が堆積していたため、前夜半の降雨により、路上が泥深くなつており、その結果、邦彦はハンドル操作の自由を失い、加害車と衝突し、右側へ転倒して、加害車の後輪に頭部をひかれ、即死した。

2、責任原因

(一)、一般不法行為責任(民法七〇九条)

本件事故現場は、追い越しのためのはみ出し禁止の交通規制の施された自動車往来の激しい幹線道路で、道路の片側幅員が約三・二五メートルの場所であるが、他方加害車の幅は約二・四九メートルあるから、加害車が道路中央ぎりぎりの所を進行したとしても、加害車の左端から外側線までわずか約七六センチメートルしか残らず、幅約六四センチメートルの被害車を追い越すことによつて、その転倒などの事故の発生が十分予測されたから、追い越しをさし控えるべき注意義務があつたのに、右義務を怠つて、追い越しを開始し、対向車の接近により、道路左側に寄り、被害車を道路の路側帯に進入させて、これを転倒させた過失がある。

(二)、運行供用者責任(自動車損害賠償保障法三条)

被告金田運輸株式会社(以下単に「被告会社」という。)は、加害車を自己のために運行の用に供していた。

(三)、公の営造物の管理の瑕疵による賠償責任(国家賠償法二条)

(1) 、本件事故現場の道路は、愛知県道であつて、その管理責任は被告愛知県(以下単に「被告県」という。)にある。

(2) 、本件事故発生当時、本件事故発生現場の被害車が加害車と衝突した地点付近には、道路に沿う東西の方向には、その地点の西方約五メートルの地点から東方約六五メートルにわたり、また、道路と垂直の南北の方向には、路側帯のみならず、外側線の中心から約三五センチメートルも車道の内側に入る範囲にわたり、ぬかるんだ小石まじりの泥土が覆つており、その厚さは約四センチメートルにも及ぶ所があつた。この泥土は、徐々に堆積したもので、前夜の降雨により突如として出現したものではなかつた。

(3) 、本件事故現場は、県道岡崎半田線と呼ばれる主要地方道の高浜市内の部分にあり、交通量が相当多く、特に本件事故の発生したいわゆる通勤ラツシユのころそれが顕著であるうえに、走行する自転車、原動機付自転車等の二輪車類が多い場所でもあつた。したがつて、路側帯上を通行すべき自転車のためにはもちろんのこと、通常は外側線の内側車線を通行するが、時には大型トラツク等に側方を追い越し又は追い抜きされやむをえず路側帯を進行せざるをえない原動機付自転車、自動二輪車のためにも、本件事故現場付近の路側帯及び車道の外側線付近は、常時良好な状態に保たれ、一般交通に支障を及ぼさない状態になければならないのに、右(2) のような状態に置かれていた。右の状態では、二輪車類は、泥の中に突つこんでスリツプし、泥の厚みでハンドルを取られ、平均を失つて転倒する危険があり、また、泥を避けようとして車道内を進行することにより側方を進行して行く大型トラツク等と接触、衝突する危険もあつた。そして、被告県においても、右の危険性を認識し、本件事故発生前に建設会社に対して、本件事故現場付近の道路の補修工事を発注していた。

したがつて、被告県の本件事故現場の管理には瑕疵がある。

3、身分関係

原告榊原作平(以下単に「原告作平」と略称する。他の原告についても同じ。)、同あき、同絹枝、同加代、同智佳は、それぞれ邦彦の父、母、妻、長女、二女である。

4、損害

(一)、邦彦の損害 金三、九七三万〇、八二六円

(1) 、逸失利益

邦彦は、本件事故当時、三八歳で、日本電装株式会社に勤務し、事故前年度の昭和四九年の年間所得は、金二三九万六、八三二円であつた。ところで、同株式会社の賃金の平均上昇率は、各前年度比で、昭和五〇年分、昭和五一年分、昭和五二年分、昭和五三年分がそれぞれ、一四・六四パーセント、一一・〇五パーセント、一〇・四七パーセント、八・〇〇パーセントであるから、昭和五〇年から昭和五三年までの得べかりし年収は、それぞれ、金二七四万七、七二八円、三〇五万一、三五二円、三三七万〇、八二九円、三六四万〇、四九五円となる。そこで、昭和五〇年分については四月一三日までの分を除き、昭和五四年分以降については、昭和五三年分の年収を基礎とし、六七歳に至るまで新ホフマン式により年五分の中間利息を控除し、なおそれぞれの年分について三〇パーセントの生活費を控除すると、逸失利益は、合計金四、九〇五万五、六〇二円となる。

(2) 、各種保険による受領金の控除

邦彦の死亡により、次のとおり各保険金が支払われているので、邦彦の右逸失利益から、それぞれの額を控除する。

(イ)、労働者災害補償保険法に基づき、昭和五三年八月五日までに合計金二六二万四、四二六円の給付金が支払われた。

(ロ)、自動車損害賠償保障法に基づき金九七〇万〇、三五〇円の保険金が支払われた。

(3) 、慰藉料 金三〇〇万円

(二)、原告ら固有の損害

(1) 、原告絹枝分 金七四〇万円

(イ)、慰藉料 金五〇〇万円

(ロ)、葬祭費 金四〇万円

(ハ)、弁護士費用 金二〇〇万円

(2) 、原告作平、同あき分

慰藉料 各金一〇〇万円

(3) 、原告加代、同智佳分

慰藉料 各金一〇〇万円

(三)、邦彦の損害の相続

原告絹枝、同加代、同智佳は、邦彦の損害を各三分の一ずつ(金一、三二四万三、六〇八円ずつ)相続した。

5、本訴請求

よつて、原告らは、被告ら各自に対し、原告作平、同あきについて各金一〇〇万円、原告絹枝について金二、〇六四万三、六〇八円、原告加代、同智佳について各金一、四二四万三、六〇八円の本件事故による損害金の支払請求権を有するが、右各損害金のうち、原告作平、同あきについて各金六五万円、原告絹枝について金一、九九七万五、六五二円、原告加代、同智佳について金一、三五七万六、〇〇二円と右各金員に対する本件不法行為ののちである昭和五〇年四月一五日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する被告会社、同孫の認否

1、請求原因1の(一)から(六)までの事実は認めるが、(七)の事実は否認する。邦彦が、転倒後、加害車に頭部をひかれたことはない。邦彦は、路上に頭部を叩きつけられたにとどまる。

2、同2の(一)の事実は否認する。後述の被告会社の抗弁1に記載のとおり、被告孫には過失はない。同2の(二)の事実は認める。

3、同3の事実は不知。

4、同4の事実中(一)の(2) は認めるが、その余はすべて不知。

三、請求原因に対する被告県の認否

1、請求原困1のうち(一)ないし(六)の事実及び(七)のうち邦彦が被害車を道路左端の路側帯に進入させたことは認めるが、本件事故現場付近だけ道路が低くなつていたこと、車道の一部にまで土砂があつたこと、降雨のため路上が泥深くなつていたこと及びその結果邦彦がハンドル操作の自由を失つたことは否認する。邦彦の被害車がスリツプした原因は、道路の湿潤であつて、土砂のためではない。その余の(七)の事実は不知。  2、同2の(三)の(1) の事実は認める。同(2) 及び(3) の事実は否認する。

仮に、道路上の上砂が被害車のスリツプの原因であるとしても、国家賠償法二条一項にいう営造物の管理責任の根拠は、管理者の安全確保義務違反にあると解すべきところ、次のとおり、被告県に安全確保義務違反はなく、本件道路の管理に瑕疵はない。

(一)、本件事故は、追い越しを始めた加害車に進路を譲るため一時停止又は徐行すべきであるのに、これを怠つたうえ、さらに、車両の通行の禁止された路側帯に被害車を進入させた邦彦の過失のある運転に起因する。このような違法運転は全く予見しえない運転方法であるから、被告県にとつて、本件事故は、不可抗力というべきである。

(二)、仮に、そうでないとしても、土砂のあつたのは、本件道路の路側帯上であつて、車両等の通行が禁じられ、現に他車の通行のなかつた所であるから、通常その上を通行する車両のあることは予想されないから、被告県にその上の安全まで確保すべき義務はない。

(三)、先行車両を追い越そうとする車両の運転者としては、反対方向からの交通及び先行車両の前方の交通に十分に注意し、かつ、先行車両の速度及び進路並びに道路の状況に応じてできる限り安全な速度と方法で進行すべきこととされているところ、被告孫は、本件事故現場付近では、道路の幅員が狭く、安全に被害車を追い越せないことを認識したのであるから、幅員が広い場所に達するまで追い越しを中止すべき義務があるのに、これを怠り、不適当な方法で追い越しを始めた結果、本件事故はひき起こした。道路管理者は、このような第三者の無謀運転まで予想して道路を管理しなければならないものではない。

(四)、本件道路のように、盛土式道路で保護路肩のある所では、そこから土砂が道路の舗装部分に流出、堆積することは、ある程度避けがたいが、被告県は、愛知県道路パトロール実施要領及び愛知県道路修理機動班設置要領に基づき、愛知県知立土木事務所において、二台のパトロール車を使用し、一週間に少なくも一回、月に四回ないし一〇回パトロールして危険箇所発見に努めるほか、道路応急修理班においても、道路の発見に努める態勢を整えていたもので、現に、本件事故の数日前にもパトロールが行われた。本件道路の管理者である被告県が本件事故の発生を防止するためには、二四時間監視態勢又は毎日の早朝パトロールを実施するほかなかつたと考えられるが、これには、莫大な予算措置を要するのに対し、道路の利用者の邦彦の側では容易に本件事故を回避しえたのであるから、右の被告県の実施したパトロールにより、道路管理者としての相対的安全確保義務は尽くされているというべきである。

(五)、また、土砂が道路上にあふれたのは、事故の前夜半の降雨によるものに対し、本件事故は当日午前中に発生したもので、遅滞なく土砂を取り除いて、道路を安全良好な状態に保つことは、時間的に不可能であつた。

仮に、土砂の堆積が道路の管理瑕疵に該当するとしても、前記(一)及び(三)の邦彦及び被告孫の過失がなければ本件事故が発生しなかつたことは明らかであり、邦彦と被告孫が注意を払つておれば本件事故の発生を防止することができたから、右管理瑕疵と本件事故との間に相当因果関係はない。

3、同3の事実は不知。

4、同4の事実中(一)の(2) は認めるが、その余はすべて否認する。(一)の(1) の逸失利益は、邦彦の昭和四九年の現実所得を年収の基礎とすべきであり、定年後は、新制中学卒業者の平均年収を基礎とすべきである。また、生活費控除の割合は五〇パーセントとすべきである。

四  被告会社の抗弁

1、本件事故は、もつぱら、邦彦の過失又は邦彦と被告県の道路管理の瑕疵により発生したもので、被告孫には何ら過失がなかつた。

すなわち、被告孫は、同一方向に進行する邦彦の被害車を前方に発見し、これを追い抜く状況となつたが、安全を確保するため、自車右側車輪が中央線より対向車線側へいくらかはみ出す程度に中央に寄り、被害車との間隔を十分に取つて走行したから、対向車発見後、被害車の安全を確かめつつやや左に転把したものの、自車左側にはなお相当の幅の車道の余地を残していたもので、被害車の走行に対し何の危険も与えなかつた。邦彦は、車道と路側帯とを区分する白線上付近を走行し、前方の路側帯付近に堆積した土砂を発見しながら、その手前で停止又は徐行することを怠り、従前の速度のまま進行して土砂に乗り上げ、スリツプして転倒したものである。前車に追随走行していた被告孫にとつて、路側帯付近に土砂が堆積していたことを予見することはできなかつたから、同被告に過失はない。

2、加害車には、構造上の欠陥も機能の障害もなかつた。

五  右抗弁に対する認否

右抗弁1の事実は否認する。

六  被告県の抗弁

1、仮に被告県に営造物管理の責任が認められるとしても、邦彦には、前記三の2の(一)に記載の重大な過失があるほか、きわめて容易にスリツプを免れえたはずであるのに、運転操作を誤つてスリツプ事故に至つた過失があり、これらの過失が本件事故の有力な一因となつているから、大幅な過失相殺がされるべきである。

2、原告絹枝について、昭和五一年一月二七日、労働者災害保障保険法上の遺族補償年金として、金一〇四万三、七三九円を支給する旨の決定がされた。同原告の余命は四〇年と考えられるから、弁論終結時からその死亡に至るまで、新ホフマン式により年五分の中間利息を控除すると、将来同原告が同法により受領するはずの年金債権の現価は金二、二五八万九、二二五円となる。右支給決定に基づき将来受領すべき年金額も、本件損害額から控除すべきである。

3、原告絹枝は、被告会社から、葬儀費名で金三〇万円を受領しているので、その損害から右額を控除すべきである。

七  右抗弁に対する認否

1、右抗弁1の事実は否認する。

2、同2の主張は争う。将来受給すべき年金は損害から控除すべきではない。

第三証拠<省略>

理由

第一事故の発生

一  請求原因1の(一)ないし(六)の事実については、当事者間に争いがない。

二  いずれも成立に争いのない甲第二号証の一、二、第三ないし第七号証、第八号証の一、二、第九ないし第一一号証、乙第一ないし第四号証、第一七号証、証人神取芳文(第一回、第二回)、同植木淳之、同川口勝郎、同市川強平の各証言、被告孫宗吉の本人尋問の結果(但し証人神取芳文(第二回)及び同市川強平の各証言並びに被告孫宗吉の本人尋問の結果については、後記採用しない部分を除く。)、検証の結果に前記当事者間に争いのない事実を総合すれば、次の事実を認めることができる。

1、本件事故は、昭和五〇年四月一四日のいわゆる交通量のピーク時の午前八時五分ころ、愛知県高浜市高取町宮南三五番地の一先県道岡崎半田線道路上で発生した。右県道は、ほぼ直線で東西に延びているが、その構造は、北側から幅約一・二五メートルの路肩、幅約〇・一メートルの外側線をはさんで幅約六・四五メートル(うち西から東へ向かう車線の幅は約三・二五メートル)の車道部分となり、さらにその南側に歩道が続いており、右路肩のうち北側約〇・六〇メートルの部分のみ未舗装で保護路肩となつているのに対し、路肩のうちの約〇・六五メートルの部分と車道は舗装されていた。車道にはそのほぼ中心部分に、黄色実線が施されていた。現場付近は、見通しのよい場所で、交通ひんぱんな非市街地であつた。その付近では、時速四〇キロメートルに最高速度が制限されていたほか、駐車禁止、追い越しのためのはみ出し禁止の交通規制が実施されていた。現場付近の路面は、非常にゆるやかな坂となり、後記衝突地点より西方約三〇メートルの地点が、あたりで最も低くなつていた。本件事故当時、路面はやや湿潤の状態であつた。当時右県道の現場付近の北側の路面上には、後記衝突地点の西方約五・〇メートルの地点から東方にかけて約六五メートルの範囲にわたり、最も広い部分で路肩の舗装部分の端から約〇・八五メートルの幅に広がつた、泥土におおわれていた。右泥土は、外側線の中心部から車道中心線の方向へ最も著しい所で約〇・三五メートルはみ出し、最深部分で約四センチメートルに達していた。その形態は、降雨のため田の土に似たドロドロの状態で、黒つぽく、中に小石がまざつており、路面上のこの泥土におおわれた部分は、すべり易くなつていた。

2、被告孫は、しばしば県道岡崎半田線を通行していた者であるが、大型貨物自動車(三河一一う二九二〇号、長さ約一一・七八メートル、幅約二・四九メートル、以下「甲車」と称する。)を運転し、右県道を西から東へ向けて時速約四〇キロメートルの速度で進行して現場付近にさしかかり、後記衝突地点より六十数メートル西方の地点に至つて、同一方向に進行中の邦彦運転の原動機付自転車(半田市う六八八号、以下「乙車」と称する。)を左前方約一五・八メートルの地点に発見した。甲車の前方には被告孫の同僚の運転する先行車が進行していたが、そのころ、同車が乙車を追い越した。被告孫も、乙車を追い越そうとして、前記速度のまま、やや右に転把し、自車右車輪を道路の右側部分に若干はみ出す状態で走行し、後記衝突地点から約一九・五メートル西方の地点に至つて、乙車に追いつき、その右側を並進する格好になつたが、ちようど、その地点で、進路前方約七二メートルの地点に、対向進行して来る普通乗用自動車を発見した。しかし、被告孫は、追い越しが不可能ではないと考えて、右対向車との接触を避けるためやや左転把の措置を取つただけで、追い越しを続け、右並進状態となつた地点から東方へ約二五・八メートル進行したとき、バツクミラーで左後方を確認したところ、自車の側に倒れこんできた乙車が衝突地点(同市高取町宮南三五番地の一所在の人家前の電柱から約一七・三メートル、右人家の北側の右県道をはさんで右人家と向いあつた電柱から約二四・四メートル、同電柱の西方約四〇メートルの地点にある電柱から約一九・一メートル、それぞれ隔てた地点。)において、自車左側サイドバンバーに衝突したのを発見し、直ちに急制動の措置を取つたが、間に合わず、自車左後輪で邦彦の頭部を轢過した。その結果、甲車には、左側サイドバンバーに二か所のすべり傷及び左後輪軸外輪外側に黒くこすられた一か所の痕跡が残され、路面上には、甲車の右後輪軸内輪一本によるすべり痕跡が約一四・四メートルにわたり、はじめはきわめて薄く、次第に濃くなる形で印象された。

3、邦彦は、乙車(幅約〇・六四メートル)を運転し、右県道を西から東に向けて進行して現場手前にさしかかり、まず、被告孫の同僚の運転する自動車に追い越された。その後、邦彦は、右県道の外側線寄りの車道上(外側線から約〇・一五メートルのあたり)を走行していたが、前記の衝究地点から約一九・五メートル西方の地点まで進行して、後方から追い越しをかけてきた被告孫の運転する甲車に右側に並ばれ、さらに左側に幅寄せされたため、やや左に転把し、路肩方向に向つて、外側線上付近を進行した。ところが、乙車の進路上の路面は、前記のとおり、路肩から車道上にかけて泥土におおわれていたため、乙車は、外側線上及びさらに進入した路肩上でスリツプし、平衡を失つて右側へ倒れこんで、前記衝突地点において、右側部分が甲車の左側サイドバンバーと衝突した。その結果、邦彦は、衝突地点から東方約四・二メートルの地点に倒れ、着用していたヘルメツトの上から甲車左後輪に頭部を轢かれ、頭蓋骨後頭部複雑骨折により、即死した。乙車の進路上には、衝突地点の西方約四・九メートルの外側線上付近から東方にかけて約八メートルにわたり、始端から約〇・五メートルの部分は薄く、その余の部分は泥土にはつきりと車輪による痕跡が残されていた。

以上の事実を認めることができ、被告孫宗吉の本人尋問の結果中、被告孫は、乙車と並んで対向車を発見したのちに、左転把の措置を取つたことはないとの供述部分は、前記甲第二号証の一に添付の交通事故発生見取図上甲車のすべり痕が進路に向つてやや左側向きであること及び証人神取芳文(第一回)の証言内容に比べて採用できず、証人神取芳文(第二回)及び同市川強平の各証言中事故当時衝突地点手前の外側線上には土砂がなかつたとの証言部分は、右交通事故発生見取図上示された乙車の車輪による痕跡と泥土の状況並びに前記甲第二号証の一に添付された三枚目の写真及び前記甲第八号証の二に添付された五枚目の写真特に後者の写真に表われた状況に比べて採用しがたく、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

第二責任原因

前記第一において認定した事実(以下単に「認定事実」と称することもある。)に基づいて、被告らの責任の有無を検討する。

一  被告孫の責任

1、前記認定事実によれば、甲車を運転する被告孫が乙車を追い越そうとしなかつたならば、邦彦が乙車を本件道路の外側線上から路肩上に進入させることはなく、したがつて、泥土によつてスリツプ事故を起こすこともなかつたであろうと認められるから、被告孫の甲車の運転方法と本件事故との間に条件関係があつたことは、明らかである。

2、前記認定事実によれば、本件現場は、追い越しのためのはみ出し禁止の交通規制が施された片側車線の幅が約三・二五メートルにとどまる道路であつたのに対し、甲車は、車幅が約二・四九メートルにも達する大型車であり、甲車が中央線に接して走行した場合でも、その左側には、約〇・七六メートルしか車道部分が残されないことになること、乙車にも約〇・六四メートルの車幅があつたことが明らかにされている。甲車が、このような場所で乙車を追い越そうとすれば、たとえ少々対向車線にはみ出して走行したところで、きわめて接近して乙車の側方を通過することになり、走行状態がもともと不安定な二輪車である乙車と直接接触する危険性があるほか、直接接触しなくても、乙車に風圧、震動等の物理的影響を与え又はその運転者に対して心理的に重大な影響を与え、さらに不安定な走行方法を強いることになり、その結果、他の何らかの原因ともあいまつて、乙車が進路を誤り、あるいは転倒する等の事故が発生する危険性が生じることは容易に予想がつくことである。まして、本件現場は交通ひんぱんな道路であつて、被告孫もしばしばこの道路を利用してこれを知つていたことも明らかにされているのであるから、追い越しの途中に対向車が現われ、その結果甲車が左転把を余儀なくされ、乙車の進路が急にせばめられる可能性があることを考えると、なおさらである。

3、そうすると、通常人の立場に立つて、被告孫の追い越しにより本件事故が発生することの予見可能性はあつた、と判断される。したがつて、右追い越しと本件事故との間には、相当因果関係のあることを肯定することができる。また、右によれば、被告孫は、右のような事故の発生を予見して、本件現場での追い越しをさし控えるべき義務があつたと考えることができるから、右義務を怠つて無理な追い越しを始めて本件事故を発生させた同被告に過失があつたことは否定できない。

4、したがつて、被告孫は、不法行為者として、民法七〇九条によつて、本件事故による損害を賠償すべき義務がある。

二  被告会社の責任

1、請求原因2の(二)の事実については、当事者間に争いがない。

2、被告孫に、本件事故の発生について過失があつたことは、前記一のとおりであるから、被告会社の抗弁1は理由がなく、その余の抗弁事実について検討するまでもなく、被告会社の抗弁は失当である。

3、そうすると、被告会社は、自動車損害賠償保障法三条によつて、本件事故による損害を賠償すべき義務がある。

三  被告県の責任

1、請求原因2の(三)の(1) の事実は、当事者間に争いがない。

2、前記第一における認定事実によれば、本件事故の直接のきつかけは、乙車のスリツプによる転倒であり、乙車が進入した本件道路の外側線から路肩にかけての路面上に泥土があつたことが、右スリツプをもたらした原因の有力な一因であると判断されるから、右の泥土が本件事故発生の重要な一因となつたことが明らかである。

3、ところで、国家賠償法二条一項によつて公共団体が負う損害賠償責任は、いわゆる無過失責任であると解され、同項にいう営造物の管理の瑕疵とは、営造物が通常有すべき安全性を欠いていることをいい、これに基づく国又は公共団体の賠償責任については、その過失の存在を要しないと考えられる(最高裁判所昭和四五年八月二〇日判決、民集二四巻九号一二六八頁参照)。もつとも、右責任は、管理の瑕疵によつて理由づけられるものであるから、営造物の管理者にとつて管理が不可能な場合に限つては、免責も認められないわけではない。そこで、これを道路の管理の瑕疵の場合についてあてはめてみると、道路は、その上で交通が円滑安全に行なわれることを目的とするから、交通上通常予想される危険に対する安全性を当然備えておらなければならず、これを欠くときは、管理の瑕疵が認められるが、ただその場合でも、不可抗力ないしは回避可能性のないときは、免責されると考えることができる。

4、そこで、まず、本件道路の外側線上から路肩上に泥土があつたことから、右道路は、交通上通常予想される危険に対する安全性を欠いていたか否かを検討することとする。

(一)、成立に争いのない乙第二号証、証人川口勝郎の証言、検証の結果に前記第一における認定事実をあわせれば、(1) 本件現場の道路は、非市街地にあるが、主要地方道上にあつて、昭和四九年度秋の愛知県の交通量調査によれば、本件現場付近の愛知県高浜市高取町における交通量は、一二時間で自動車類が八、四一〇台であるが、いわゆるピークの単位時間には、二輪車類が一〇九台、自動車類中小型車類が八一〇台、大型車類が一〇四台を数え、交通ひんぱんな場所であつたこと、(2) ところが、現場付近の道路の東進車線(北側部分)の車道の幅員は、約三・二五メートルと比較的狭かつたこと、(3) 本件事故当時、現場付近道路の北側路肩部分から車道の北端あたりにかけて、前記第一の二の1に記載のとおりの泥土がおおつており、このため、右路肩部分及び車道の一部はすべりやすい状態となつていたこと、(4) 本件現場の道路の管理を所管する愛知県知立土木事務所においては、本件事故前に、右現場道路に土砂が堆積していることを了知し、降雨のあつたときは、右土砂のため歩行者が歩行困難となること及び車両の通行にとつて危険が生ずることをも慮つて、昭和五〇年四月七日、建設業者に本件道路維持補修工事を指示し、本件事故の翌日及び翌々日にあたる同月一四日及び一五日に路肩整正等の工事をさせて、右土砂を除去させたこと、をそれぞれ認めることができ、証人川口勝郎の証言中本件現場付近道路はむしろ大型車の通行は少ない方であるとの部分は、右乙第二号証とも対比すれば、主要地方道の最も交通量の多い道路との比較においてであつて、しかもさほどの差があるとの趣旨でなく、むしろ、他の道路と比べれば、かなり交通量の多いことまで否定する趣旨とは解されないから、右認定を覆すに足りず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

(二)、ところで、道路の外側線と路肩のうち、より外側部分の路肩について考えてみると、なるほど路肩は、道路交通法上車両の通行することが予定されておらず、やむを得ず横断する場合等一定の例外を除いて通行が禁止されてはいる(同法一七条)が、路肩とは、道路の主要構造部を保護し、又は車道の効用を保つために、車道等に接続して設けられた帯状の道路の部分のことである(道路構造令二条一〇号)から、道路法上の道路の一部であることは明らかである。したがつて、路肩についても、道路法二九条が定めるとおり、道路の構造は、当該道路の存する地域の地形、地質、気象その他の状況及び当該道路の交通状況を考慮し、通常の衝撃に対して安全なものであるとともに、安全かつ円滑な交通を確保することができるものでなければならない、との原則が適用されると考えられる。

そして、右の路肩設置の目的、効用のうち「車道の効用を保つ」ということの意味は、主として、側方余裕幅として自動車の走行速度を確保することによつて車道の効用を保つという趣旨であると解される。すなわち、もし道路にこの側方余裕幅がないと、車道の端を通行する車両は車道をはみ出した場合直ちに危険が生ずるため、走行速度が制限されるうえ、車道中央部分に集中してしまい、結局道路の交通容量が低下し、車道端の部分が無用に帰して、道路の効用が著しく阻害されることになるからである。

そうすると、車両が車道を外れることが予見されうるような四囲の状況があり、かつ、路肩上に、右の目的、効用を妨げるような要因があるときは、車両とりわけ平衡を失いやすい自動二輪車、原動機付自転車等が車道を外れた場合直ちに事故等の危険にさらされることになるから、安全かつ円滑な交通を確保することができなくなり、道路としての安全性を欠くことになると考えられる。

そして、右と同様の理が、路肩より内側の外側線上についてあてはまるのは当然のことである。

(三)、そこで、右の点を右(一)において認定した事実に基づいて検討すると、大型自動車類と二輪車類が、本件事故現場付近の比較的狭い道路を相当台数走行し、とりわけ、いわゆるピーク時間のころには、それが顕著であることが明らかにされている。したがつて、二輪車類特に制限速度の遅い原動機付自転車が、追い越し又は追い抜きされるなどして、大型車等の自動車と並進せざるをえない事態が発生することが十分予測される状況にあつたということができる。(現場道路には、追い越しのためのはみ出し禁止の交通規制が施されていたから、多くの場合大型車の走行方法は道路交通法に反する違法なものとなるであろうが、そのことから右予測ができなくなるものではないことはいうまでもない。)そして、その結果、二輪車類が、事故等の危険を避けるため、外側線上から路肩上にはみ出して走行したり、徐行し若くは一時停止するために路肩上に進入したりするような事態がひき起こされることも通常予想されるところである。(なお、証人川口勝郎、同神取芳文(第二回)の各証言によれば、本件事故現場付近において、本件事故までにこれと同種の事故の発生しなかつたこと、事故当時、付近路肩上に他車の進行したことを示す跡は見当らなかつたことが認められる。しかしながら、事故の発生がなかつたことから右のような事態が起きえないということはできないし、特定の範囲に降雨後まもない間に跡が残されていなかつたからといつて、付近一帯にいつも右のような事態が起きることが予測しえないというのも早計であつて、これらの事実から、右のとおりの予測可能性を否定することはできない。)

ところが、本件道路は、路肩上から、一部車道上にまで泥土におおわれて、すべりやすくなつていたのであり、しかも、放置されてよいほど軽微な状態でなかつたことも明らかにされている。これでは、右のとおりの走行も十分予測される二輪車類が、スリツプして事故等の危険にさらされる事態の発生を防ぐことはできなかつたというほかない。

(四)、したがつて、本件道路は、道路として交通上通常予想される危険に対する安全性を欠いていたと判断せざるを得ない。

5、次いで、本件事故の発生が不可抗力によるもの又は回避可能性のないものであつたか否かを検討する。

(一)、本件現場付近道路のように未舗装の保護路肩と舗装された路肩部分とが接する形の道路の構造が相当一般的に採られていること及びその場合、ある程度必然的に舗装された路肩部分の路面に徐々に土砂が堆積することは、証人植木淳之、同川口勝郎の各証言によつてこれを認めることができる。

(二)、しかし、成立に争いのない乙第八、第九号証、証人川口勝郎の証言によれば、路肩上に堆積した土砂の除去は、機械又は人手によつてなされうるものであること、現に、本件現場付近については、被告県からの本件事故前の指示に基き、事故後、建設業者の手によつて草刈とともに右作業がなされたが、右作業の実施について要した費用は格別高額ではなかつたことが認められる。したがつて、右土砂の除去の作業は、道路管理者にとつて、さほどの困難を伴わないですることのできる作業であると認められる。

(三)、それでは、本件の場合、事故現場付近にあつた泥土を事故の発生前に発見して除去することが不可能であつたといいうるであろうか。

被告県は、この点について、右泥土は、前夜半の降雨によつて道路上にあふれ出たものであるのに対し、本件事故は、当日午前中に発生したのであるから、時間的に右の除去は不可能であつた、との主張をしている。

なるほど、成立に争いのない乙第三、第四号証、証人植木淳之の証言によれば、本件事故の前日の昭和五〇年四月一三日午後三時三〇分から七時三〇分の間と当日の同月一四日午前六時から一二時の間、それぞれ降雨があつたことが認められるが、右各証拠に成立に争いのない乙第五、第六号証、第九号証、証人川口勝郎の証言を総合すれば、右二日の降雨量は、四月一三日分が約一・八ミリメートル、四月一四日分が約一・〇ミリメートルと、いずれも少量であつて、とうてい事故現場にあつたほどの土砂を一度で流出させ堆積させうるほどの雨量ではなかつたこと、被告県においては愛知県道路パトロール実施要領及び愛知県道路修理機動班設置要領を定めて、相当周到な道路の管理体制を定め、本件現場付近の道路の管理を担当する愛知県知立土木事務所では、一週間に一回以上、道路パトロールを実施して、道路の保全管理に努力していたが、そのパトロールによつて本件現場の土砂を除去する必要のあることを発見し、前記のとおり、昭和五〇年四月七日に建設業者に本件道路維持補修工事を指示したことを認めることができ、以上によれば、事故の原因となつた土砂は、事故の前日か当日に急に流れ出したものではなく、前々から堆積していたもので、ただ前日来の降雨により泥土に変わつたにすぎないこと、被告県の側でも右の土砂の堆積を知つて、除去すべき必要を感じていたことが認められる。

そして、被告県が昭和五〇年四月七日以前に本件現場の土砂を除去する必要性を発見しながら、本件当日までに、建設業者に対して、本件道路維持補修工事を指示し、それを実施させることができなかつたことが不可抗力に基づくものと認められる事情については、主張立証がない。(業者の都合によつて工事が遷延したようなことが右事情にあたらないことは自明のことである。)

そうすると、被告県が、事故現場付近の土砂を除去することは不可能ではなかつたと判断される。

(四)、なお、被告県は、路側帯に乙車を進入させた邦彦の違法な運転は、全く予見しえない方法であり、その結果起きた本件事故は、被告県にとつて、不可抗力であつたと主張する。

邦彦にも過失があつたことは後記第三において検討するとおりであるが、しかし、本件の現場道路にあつては、邦彦のように路側帯に進入する二輪車のあることが十分予想可能であつたことは、前記4の(三)において検討したとおりであるから、右主張は失当である。

(五)、そうすると、本件事故の発生が不可抗力によるものとも回避可能性のないものとも言いえないことは明らかである。

6、なお、被告県は、道路管理者たる被告県には、被告孫のような無謀運転までも予想して道路を管理すべき義務はなく、また、邦彦と被告孫の過失がなければ、本件事故は発生しなかつたはずであるから、本件の道路の管理の瑕疵と事故との間には相当因果関係がないと主張しているが、以上に検討したところ、特に前記4において検討したところに照らせば、右主張が失当であるのは明白である。

7、以上によれば、本件事故は、被告県の道路の管理に瑕疵があつて発生したものであるから、被告県は、国家賠償法二条一項によつて、本件事故による損害を賠償すべき義務がある。

第三過失相殺

一  次いで、邦彦にも過失相殺されるべき過失があつたか否かを検討する。

二  前記第一における認定事実によれば、邦彦は、甲車に右側に並ばれたのち、やや左に転把して外側線付近に進路を取り、さらに路肩上に進入したこと、乙車は甲車に並ばれた地点から衝突地点までに約一九・五メートル進行したが、甲車はその間に約二五・八メートル進行したこと、甲車の走行速度は時速約四〇キロメートルであつたことが、それぞれ明らかにされている。右によれば、邦彦は、甲車と並進状態になつてから衝突地点まで時速約三〇キロメートルの速度で走行したことが認められ、このことから邦彦は、やや左転把はしたものの、特に停止又は減速の措置を取らないまま衝突に至つたことが、推認される。前記第一の二の3において認定した乙車の車輪による痕跡は、急制動によるスリツプ痕でなく、タイヤ痕と理解することができるから、右痕跡があるからといつて、右認定を覆すことはできず、他に右認定に反する証拠はない。

三  そして、前記第一における認定事実によれば、甲車は乙車よりも最高速度が高い車両であつたこと、乙車に追いついた甲車と道路中央との間に甲車の通行に十分な余地がなかつたことが認められるから、邦彦としては、甲車に追いつかれた時点で、道路交通法二七条二項に従い、甲車に対して進路を譲るべき義務があつたと考えられるが、本件の事実関係のもとでは、進路を譲る方法は、道路の左側端に寄るだけでは足りず、一時停止又は少なくとも徐行をすべきであつたと認められ、しかも邦彦が甲車に追いつかれて直ちに一時停止又は徐行して甲車に進路を譲つていたならば、本件事故は回避されえたと判断される。そうすると、右二において認定した邦彦の走行方法は、一時停止又は減速をしなかつた点において過失があつたものと認められる。本件事故の態様、被告孫の過失の内容及び程度、被告県の道路の管理瑕疵の内容及び程度、邦彦の過失の内容及び程度その他の事情を総合すると、過失相殺によつて損害の二割を減額するのが相当であると認められる。

(なお、被告県は、邦彦には、進入を禁じられた路側帯に進入した点及び容易にスリツプを避けられ得たのに運転操作を誤つてスリツプ事故を招いた点にも過失があると主張しているが、路側帯への進入自体は、前記第一における認定事実のもとではやむをえなかつたと見られるから、これを目して過失というのは相当でなく、一時停止又は徐行以外の運転操作によつてスリツプ事故を回避しえたことについては、証明が十分でないから、これらの点は過失相殺の対象となる過失としては考慮しない。)

第四身分関係

一  弁論の全趣旨によれば、原告作平、同あきは、それぞれ邦彦の父母であり、原告絹枝は邦彦の妻であり、原告加代、同智佳はそれぞれ邦彦の子であること、他に邦彦には子はないことが認められる。

二  右事実によれば、原告絹枝、同加代、同智佳は、それぞれ各三分の一ずつの相続割合による邦彦の相続人であると認められる。

第五損害

一  邦彦の損害

1、逸失利益

(一)、成立に争いのない甲第一〇号証、甲第一六号証の二、第一七号証の三、第一八号証、乙第一九号証によれば、邦彦は、昭和一一年六月四日生であつて、死亡当時三八歳で、日本電装株式会社に勤務し、死亡前年の昭和四九年中に同株式会社から金二三九万六、八三二円の給与支払を受けていたこと、同株式会社は東京証券取引所におけるいわゆる一部上場企業であること、同株式会社における給与の平均上昇率は、昭和五〇年、同五一年、同五二年、同五三年の分が、それぞれ、一四・六四パーセント、一一・〇五パーセント、一〇・四七パーセント、八・〇〇パーセントであることが認められる。

(二)、ところで、不法行為によつて死亡した者の逸失利益の額を認定するにあたり、死亡当時安定した収入を得ていた被害者において、生存していたならば将来昇給等による収入の増加を得たであろうことが相当の確かさをもつて推定できる場合には、予測しうる範囲で控え目に見積つて将来の得べかりし収入額を算出することも許されるものと解される(最高裁判所昭和四三年八月二七日判決、民集二二巻八号一七〇四頁参照)。

(三)、これを本件についてみると、右(一)における認定事実によれば、邦彦の死亡当時における収入はかなり安定したものであり、邦彦が生存していたならば、同人の収入が、昭和五〇年から昭和五三年までの間に右(一)における認定割合により、増加したであろうことは相当の蓋然性をもつて認めることができる。したがつて、邦彦の逸失利益の算定の基礎となる収入額につき、昭和五〇年から昭和五三年までの各年分については、昭和四九年度分の収入に対し、各年の上昇率を順次乗じて得られる金額を、昭和五四年分以降(終期については後記のとおり。)については、右の方法によつて得られた昭和五三年分の収入を、それぞれ採用することができる。

(四)、そして、成立に争いのない乙第二二号証に弁論の全趣旨を総合すれば、前記株式会社における定年退職年齢は満六〇歳であること、邦彦は、原告らのうち原告絹枝、同加代、同智佳と同居し、これらの原告らを扶養していたことを認めることができる。右によれば、逸失利益の算定にあたつては、邦彦の収入から生活費としてその三〇パーセントを控除するのが相当であり、邦彦が満六〇歳に達する日までは、毎年前記昭和五三年分の収入額による収入を、その後満六七歳に達する日までは、毎年右金額の七〇パーセントに相当する金額の収入を得たはずであると認めるのが相当である。

(五)、以上にしたがつて、邦彦の逸失利益を、年別のホフマン式により年五分の割合による中間利息を控除して計算すると、事故時の現価(原告らは、事故の日の翌日からの遅延損害金の支払を求めているので、現価は事故時において計算するのが相当である。)は、金四、〇三一万四、七〇〇円となる(その計算過程は別紙のとおり)。

(六)、請求原因4の(一)の(2) のうち(イ)の事実については、当事者間に争いがない。

ところで、労働者災害補償保険法に基づく保険給付は、事故の発生が被害者の故意による場合等一定の場合を除いては、被害者に全面的な過失があつてもなされるべきものである(同法一二条の二)から、右保険による給付金は、過失相殺前の損害額からこれを控除すべきであると解される。

そこで、右(五)において得られた金額から右保険による給付金二六二万四、四二六円を控除すると、金三、七六九万〇、二七四円となる。

(七)、右に得られた金額について、前記第三の三において得られた割合の過失相殺を施すと金三、〇一五万二、二一九円となる。

2、慰籍料

本件事故の態様、邦彦の過失その他諸般の事情を考慮すると、邦彦自身の慰藉料額としては金二〇〇万円が相当であると認める。

3、自動車損害賠償保険法による受領保険金の控除

右1、2の合計額は金三、二一五万二、二一九円であるところ、請求原因4の(一)の(2) のうち(ロ)の事実は当事者間に争いがないので、右金額から金九七〇万〇、三五〇円を控除すると、金二、二四五万一、八六九円となる。

二  原告ら固有の損害

1、慰籍料

本件事故の態様、邦彦の過失、親族関係その他諸般の事情を考慮すると、原告ら固有の慰籍料は、原告作平。同あきにつき各金六〇万円、原告絹枝につき金二〇〇万円、原告加代、同智佳につき各金六〇万円が相当であると認める。

2、葬祭費

弁論の全趣旨と経験則によれば、邦彦の死亡によつてその葬祭費として、原告絹枝が金四〇万円を下らない出費を要したことが認められるが、これに前記第三の三において得られた割合の過失相殺を施すと金三二万円となる。

三  邦彦の損害の相続

原告絹枝、同加代、同智佳は前記第四のとおり、各三分の一ずつの相続割合による邦彦の相続人であるから、右一の邦彦の損害を、各金七四八万三、九五六円ずつ相続によつて取得すべきものである。

四  損害の填補

1、被告県は、労働者災害保障保険法に基づく年金の未受領分も原告絹枝の損害から控除すべきであるとの主張をしている。

しかしながら、同法に基づき政府が将来にわたり継続して保険金を給付することが確定していても、いまだ現実の給付がない以上、将来の給付額を受給権者の損害賠償債権額から控除することを要しないと解される(最高裁判所昭和五二年一〇月二五日判決、民集三一巻六号八三六頁参照)から、右の主張は失当である。

2、被告県の抗弁3の事実については、原告らは明らかに争わないから、これを自白したものとみなす。したがつて原告絹枝の損害から金三〇万円を控除すべきである。

五  原告らの損害

以上によれば、原告らが本件事故によつて受けた損害の額は、原告作平、同あきにつき各金六〇万円、原告絹枝につき金九五〇万三、九五六円、原告加代、同智佳につき各金八〇八万三、九五六円となる。

六  弁護士費用

本件事案の内容、審理経過、認容額等に照らすと、原告絹枝が本件事故による損害として賠償を求め得る弁護士費用の額は金一三〇万円とするのが相当であると認められるので、原告絹枝の損害額に右金額を加算する。

第六結論

以上のとおりであつて、原告らの本訴請求は、被告らに対し、各自、原告作平、同あきについては各金六〇万円、原告絹枝については金一、〇八〇万三、九五六円、原告加代、同智佳については各金八〇八万三、九五六円の本件事故に基づく損害金と右各金員に対する本件事故の後である昭和五〇年四月一五日から支払ずみまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから、それぞれこれを認容し、その余は失当であるからいずれもこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用し、なお、仮執行免脱の宣言の申立についてはその必要がないものと認め、これを却下することとして、主文のとおり判決する。

(裁判官 成田喜達)

別紙<省略>

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