名古屋地方裁判所 昭和50年(行ウ)10号 判決 1992年3月18日
三一号事件原告
河合幸男
同
白井勝
同
杉野敏雄
同
小林重男
同
小松晴治
同
福井健
同
藤井保
同
宇都野時太郎
六号事件原告
亡船井寿美夫訴訟承継人
船井正義
同
伊藤元
同
大林正敏
一〇号事件原告
伊藤省三
右一二名訴訟代理人弁護士
谷正男
右訴訟復代理人弁護士
山脇晢子
三一号及び一〇号事件各被告
名古屋法務局田原出張所登記官
山本栄次郎
六号事件被告
名古屋法務局豊橋支局登記官
田畑博
右両名訴訟代理人弁護士
関ロ宗男
右両名指定代理人
天野登喜治
外二名
主文
一 原告らの請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実及び理由
第一請求
一原告ら
1 三一号事件
被告名古屋法務局田原出張所登記官(以下「被告田原出張所登記官」という。)が、昭和四八年一二月二〇日、三一号事件原告らのした別紙第一物件目録記載の各土地に係る土地滅失登記抹消登記申請を却下した決定をいずれも取り消す。
2 六号事件
被告名古屋法務局豊橋支局登記官(以下「被告豊橋支局登記官」という。)が昭和四三年九月二七日別紙第二物件目録記載の各土地についてした土地滅失登記処分をいずれも取り消す。
3 一〇号事件
被告田原出張所登記官が、昭和四九年一二月一三日、一〇号事件原告のした別紙第三物件目録記載の土地に係る土地滅失登記抹消登記申請を却下した決定を取り消す。
二被告ら
1 (本案前)
本件訴えをいずれも却下する。
2 (本案)
原告らの請求をいずれも棄却する。
第二事案の概要
本件は、満潮時に海面下に没し干潮時に海面上に一部現れる干潟の一部である別紙第一ないし第三物件目録記載の物件(以下「本件係争地」という。)について、原告らが、被告登記官が「年月日不詳海没」としてした土地滅失登記(以下「本件滅失登記」という。)処分又は右登記の抹消登記申請却下決定(以下合わせて「本件処分」という。)の取消しを請求した事件である。
原告らの主張の骨子は、本件係争地は所有権の客体たる土地に当たるのであるから、土地滅失の事実はなく、本件処分は違法であるというものである。これに対し、被告らの主張の骨子は、まず、原告らが協力感謝金の名目で金員を受領して本件係争地に関する権利を放棄したことを理由に、原告らは、本件処分の取消しを求めるにつき法律上の利益を有しないということ、更に、右干潟は公有水面下にあって土地ではなく、私人の所有権の対象とならないものであるから、本件滅失登記をして土地登記簿を閉鎖したことは、本件係争地が登記されるべき土地として存在しないという実体的な法律状態に符合する適法なものであり、また、原告らは登記の回復を期して被告らの処分の取消しを求める利益を有しないということである。
一争いのない事実
1 本件処分の経緯
(一) 本件滅失登記前の登記
本件係争地は、かつて、地目を池沼又は原野として土地登記簿に登記され、三一号事件原告らは別紙第一物件目録記載の物件(以下「本件第一係争地」という。)につきそれぞれ持分六四分の二の共有持分の登記を、また、六号事件原告らは別紙第二物件目録記載の物件(以下「本件第二係争地」という。)につきそれぞれ持分三四九分の一の共有持分の登記を、さらに、一〇号事件原告の被相続人伊藤類二は別紙第三物件目録記載の物件(以下「本件第三係争地」という。)につき持分一〇〇分の二〇の共有持分の登記をそれぞれ経由していた。
(二) 本件処分等
(1) 本件第一係争地について
イ 本件第一係争地については、昭和四四年九月一八日、三一号事件原告ら全員の委任を受けた石原常治により登記原因及びその日付を「年月日不詳海没」とする滅失登記申請が名古屋法務局田原出張所に提出され、同日第五八九六号で受理された。
ロ 被告田原出張所登記官は、昭和四四年九月二四日、本件第一係争地につき、登記原因及びその日付を「年月日不詳海没」とする滅失登記処分をし、当該登記用紙を閉鎖した。
ハ 三一号事件原告らは、昭和四八年一二月一四日、被告田原出張所登記官に対し、錯誤を原因として右滅失登記の抹消登記申請をしたが、同被告は、同年同月二〇日、右申請を却下した。
(2) 本件第二係争地について
イ 本件第二係争地は六号事件原告らほか三四六名の共有名義であったところ、昭和四三年九月二七日、右共有名義人のうち大林逸司、山本近及び田中一美の三名により登記原因及びその日付を「年月日不詳海没」とする滅失登記申請が名古屋法務局豊橋支局に提出され、同日第二四七八一号で受理された。
ロ 被告豊橋支局登記官は、右同日、本件第二係争地につき、登記原因及びその日付を「年月日不詳海没」とする滅失登記処分をした。
(3) 本件第三係争地について
イ 本件第三係争地は伊藤類二ほか三名の共有名義であったところ、昭和四四年二月一三日、右共有名義人全員(ただし、中神藤吉については相続人中神安雄)により登記原因及びその日付を「年月日不詳海没」とする滅失登記申請が名古屋法務局田原出張所に提出され、同日第一〇六〇号で受理された。
ロ 被告田原出張所登記官は、右同日、本件第三係争地につき、登記原因及びその日付を「年月日不詳海没」とする滅失登記処分をした。
ハ 一〇号事件原告は、昭和四九年一〇月二九日、被告田原出張所登記官に対し、錯誤を原因として右滅失登記の抹消登記申請をしたが、同被告は、同年一二月一三日、右申請を却下した。
2 本件係争地の状況等
田原湾は、愛知県豊橋市大崎町、老津町及び杉山町並びに同県渥美郡田原町にまたがる湾であり、古くから、藻草魚貝の採捕等を行う漁場となっており、船舶の出入りも行われていた。本件係争地は、この田原湾の沿岸に位置し、満潮時には海水下に没し、干潮時には砂泥質の地表を海水上に現す干潟(以下「本件干潟」という。)の一部である。もっとも、干潮時においても、本件干潟の地表全部が露出するわけではなく、澪筋と呼ばれる川状の部分は水面下に残り、船舶は、右の澪筋を通って田原港に出入りすることができる。田原湾の潮の干満の差は最大約三メートルに達し、昭和四四年九月二三日の秋分の日のほぼ満潮時における本件係争地の水深は0.6メートルないし2.3メートルであったが、この潮の干満の程度は昔も今もあまり変わりはない。
3 本件係争地の権利関係等
(一) 徳川幕府の新田開発許可等
尾張国名古屋桑名町平民堀田徳右衛門(以下「堀田」という。)は、本件係争地を含む田原湾内の大崎村ほか七か村地先の海面を埋め立て新田を開発することを計画し、安政五年(一八五八年)、徳川幕府から新田開発許可を受け、地代金三一両一分と永一四〇文を上納して開発に着手したが、資金の欠乏から失敗に終わった。
なお、堀田が新田開発許可を受けた区域においては、古くから、右の村々の住民が田の肥料とするために藻草を採取し、また、魚貝を捕取していたため、堀田は右の村々との間で、新開場落成までの間は右の村々の住民は自由に右区域で捕魚採藻をしても差し支えない旨の約定を結んでいた。
(二) 本件地券の下付等
堀田は、明治七年七月二日、当時の愛知県令鷲尾隆聚に対し、徳川幕府から新田開発許可を受けていることを理由に、前記八か村地先の海面の新開大縄反別一三七八町歩のうち、本件係争地を含む新開反別八四三町七反歩につき、地券の下付を願い出て、同月四日、鍬下年季(地租免除期間)中の新開試作地として地券(以下「本件地券」という。)の下付を受けた。
なお、堀田は、明治一三年一二月二七日、大崎村惣代に対し、新開場中捕魚採藻貝取等は新開場落成にならない間はその村において自由にできること、及び地券に記載された土地を他へ譲渡するときは、後の所有者にこの旨を必ず引き継ぐことを約した。
(三) その後の経緯等
本件干潟については、地租台帳及び土地台帳に池沼・汐留として登載されて課税対象とされたほか、不動産登記法施行後は土地登記簿に地目を池沼又は原野として登記され、金融機関に対して根抵当権設定登記がされたこともあった。さらに、その共有持分につき、大蔵省、愛知県及び田原町による差押え・公売処分が行われたこともあった。
なお、本件係争地は、埋め立てられないまま、堀田から他へ転々と譲渡され、原告ら(原告船井正義及び同伊藤省三についてはそれぞれその被相続人)は、その共有持分を取得したとして共有持分の登記を経由した。
4 「協力感謝金の授受」等
(一) 東三河臨海地域が昭和三八年七月工業整備特別地域に閣議決定(指令同三九年九月)され、同年三月に三河港が国の重要港湾に指定されたこと等から、愛知県は、そのころ工業団地造成事業として本件干潟の埋立造成を計画し、その事業を円滑に進行させるために、本件干潟の土地登記簿上の共有持分権者に土地滅失登記の申請を行うことを勧告し、これを承諾した者に対して、協力感謝金の名目で一坪当たり二五〇円の金員を支払った。
なお、愛知県は、右勧告を、春分、秋分の日の満潮時に海面下にある地盤は土地ではないのでそれについて所有権は存在しないとする基本的立場に立って行ったものであり、また、右協力感謝金は、愛知県の予算執行及び勘定科目上は「補償費」として処理された。
(二) 愛知県は、三一号事件原告らとの間では昭和四四年九月一七日に、六号事件原告らとの間では同四三年九月二六日に、更に一〇号事件原告の被相続人伊藤類二らとの間では同四四年二月八日に、それぞれその代理人ないし代理人と称する者との間で合意をし、それを証する協定書(<書証番号略>以下それぞれ「本件第一協定書」、「本件第二協定書」及び「本件第三協定書」といい、合わせて「本件各協定書」という。)を作成した。原告らは、本件各協定書の定めた内容に従って、愛知県から、本件係争地一坪当たり二五〇円の割合による協力感謝金という名目の金員の支払を受け、これを受領している(ただし、六号事件原告らについては、同原告らが所属する大崎海面下土地管理組合の昭和四四年四月二六日総会決議に基づき、同原告ら共有登記名義人は各五万円のみを受領し、残額は公共施設への寄付、同組合の予備費等に充てられた。)。
二争点とそれに関する当事者の主張の要旨
1 本件処分の取消しを求める法律上の利益について
(一) 原告らの主張
(1) 本件各協定書は、既に完了していた自主的な土地滅失登記申請に関する共有者らの協力行為に対し、協力感謝金を支払うための一連の請求及び受領の手続を定めたにすぎないものであり、本件係争地に関する一切の権利放棄の和解契約を定めたものではない。そのことは、以下の事実により明らかである。
イ 本件各滅失登記手続は、本件各協定書の成立した日より短い場合でも九日、長い場合には約五か月も前に既に完了していた。
ロ 愛知県は、昭和四三年当時、本件干潟の共有者等と交渉するに際し、本件干潟が土地ではなく、その共有者等は本来何らの権利も有しない者であることを前提に、「協力感謝金」という言葉を使用し、その内容は、歴史的経緯を考慮した滅失登記申請協力に対する「見舞金」であり、滅失登記を奨励するための「報償金」であり、滅失登記申請に要する費用を補填するための「補償金」であると説明し、県議会でもそのように答弁していたのであり、原告らを含む本件干潟の共有者等も全員そのように認識していた。
ハ 坪当たり二五〇円という金額は、当該干潟の位置、水深、地形、土質、漁業権等の設定の有無、実測面積等の本来被告が放棄されたと主張する権利の内容を決定することになるべき諸要素を一切考慮しないで、愛知県が一方的かつ一律に決定したものである。また、右金額は、当時の本件干潟の価値に比べると著しく低い金額である。
ニ 本件各協定書に係る本件干潟の共有者等作成の各委任状には、委任の内容として「土地(海没地)の滅失登記に伴い愛知県より交付される金額の請求受領に関する一切の権限」と記載されているだけで、「一切の権利の放棄の和解契約の締結」という事項は全然記載されていない。
ホ 本件各協定書には、本件干潟に係る権利放棄を定める条項はない。
ヘ 本件滅失登記申請は、誤って本件係争地が滅失したと信じた原告らによってされたものであり、本件係争地に関し所有権を含む一切の権利を放棄する意思でされたものではない。
ト 愛知県ないし国が「一切の権利放棄の和解成立」という主張を始めたのは、本件各協定書が作成されてから七年以上経過した後の昭和五二年になってからである。
チ 本件干潟の共有者の中には、愛知県から全く金銭を受け取っていないにもかかわらず、滅失登記処分を受けた者がいる。
(2) 和解契約は当事者間において処分可能な権利義務につき互いに譲歩をして紛争を終結させることを約する契約であるところ、土地の滅失ないしその反射的効果として生じる当該土地所有権の消滅というような物理的ないし客観的に生じる事実は当事者間の意思表示によって処分可能なものではないのであるから、このような事実についての認識の違いに係る紛争は和解契約の対象にならないと解すべきである。すなわち、仮に、本件係争地が所有権の客体である土地でないのであれば、もともと一切の権利を放棄する和解は成立する余地がないし、逆に、本件係争地が所有権の客体である土地であれは、土地の滅失という客観的事実がないにもかかわらず土地が滅失したとして見舞金等を受領する合意をしたとしても、その合意の効果として土地が滅失することはないし、土地所有権を喪失することもない。
(3) 仮に、原告らと愛知県との間に被告ら主張のような和解契約(以下合わせて「本件各和解契約」という。)が成立したとしても、原告らは本件係争地が土地として存在しないものと誤信し、かつ、協力感謝金は土地滅失登記申請の協力行為に対する感謝金であると誤信して本件各和解契約を締結したものであり、本件係争地が存在し、それに関する権利を放棄するという内容であると知っていればこれを締結しなかったはずであるから、本件各和解契約は、いずれも契約の要素に錯誤があるものとして無効である。
(4) 本件第二係争地(六号事件)について
本件第二係争地については、大崎海面下土地管理組合組合長大林逸司が六号事件原告らを含む共有者三四九名の代理人として和解契約を締結したとされているが、同組合においてそのような契約締結を行うことを承認する決議がされたことはないし、また、共有者全員の同意がなければ、共有者全員の権利放棄を内容とする和解契約を締結することはできないはずである。
(5) 本件第三係争地を含む土地については、春分、秋分の日の満潮時にも海没しないごく一部分(九九平方メートル)を分筆して残し、残余の本件第三係争地について滅失登記がされている。右分筆に係る部分については、亡伊藤類二(共有持分一〇〇分の二〇)以外の他の共有者の共有持分全部を愛知県が昭和四四年一〇月二三日売買により買い受けている。仮に、愛知県と亡伊藤類二との間に一切の権利放棄に関する和解が成立したのであれば、右分筆部分も含めて行ったはずである。
(6) 愛知県は、昭和五一年一二月頃、田原地区の保安林を高価に買い上げた際、一〇号事件原告伊藤省三ほかの本件干潟の一部分の共有者に対し、既に滅失登記手続済みの右部分につき坪当たり一〇〇〇円の割合で合計二億三九三四万円を支払うこととし、同原告分の一二七五万六〇〇〇円を除きすべてその支払を行っている。右事実は、本件干潟の共有者との間で本件干潟につき一切の権利を放棄して円満に和解する内容の合意がされていないことを示すものである。
(ニ) 被告らの主張
原告らは、以下に述べるとおり、本件各和解契約により本件係争地の所有権を失っており、本件処分が取り消されたとしても、実体に合致する抹消回復登記を受けることはできないのであるから、本件処分の取消しを求める訴えの利益を有さず、右取消訴訟の原告適格を有しない者というべきであり、本件訴えは、不適法な訴えである。
(1) 本件各和解契約は、愛知県と原告らを含む本件干潟の共有登記名義人との間において本件干潟が土地であるか否かの争いがあったので、これを解決するために、本件干潟が土地であるか否かは別として、①原告らは、本件係争地につき滅失登記の申請をし、これにより本件係争地に関する一切の権利を放棄し、今後本件係争地につき何らの異議を申し述べないこと、②愛知県は、原告らに対し、本件係争地につき坪当たり二五〇円の割合による金員を支払うことを内容とする合意を行ったものである。そして、原告らは、本件各和解契約に基づいて、自主的に滅失登記の申請を行ったものであるが、本件各協定書における「海没地の滅失登記を行う」という記載については、不動産登記簿上所有者として登記されている者が滅失登記申請手続をすることは、結果として、その物件に関し所有権を含む一切の権利放棄をすることを意味すると解すべきものであり、このことは、法律知識に疎い者であっても極めて容易に理解し得るところであるから、原告らのした本件係争地の滅失登記申請は、本件係争地に関し所有権を含む一切の権利放棄をする意思でされたものというべきである。
また、協力感謝金は、権利放棄の対価とみるべきものであり、坪当たり二五〇円という金額は、原告ら主張の見舞金等としてはあまりに過大な金額であり、権利放棄の対価として相当な金額である。
(2) 本件各和解契約は、原告らと愛知県との間の契約であるが、原告らがいずれも本件係争地について自主的に滅失登記を申請していること、及び三一号事件原告ら及び一〇号事件原告らの右滅失登記申請書に添付された委任状に「土地(海没地)の滅失の申告及び登記の申請手続に関する一切の権限」との記載があり、右記載は、本件各和解契約により原告らが一切の権利を放棄したことを前提として、右登記申請に際し、登記官に対して、原告らが本件係争地に関し何らの権利も有しないことを認めたものというべきであることから、本件各和解契約に基づく権利放棄は、右申請によって国に対しても効力を有するというべきである。
(3) 仮に、右のような法律効果が認められないとしても、そもそも原告らが本件係争地について主張する権利たる所有権は物権であるが、物権には一物一権主義が採られていて、権利者は対世的に自己の所有権を主張することができるものであり、そのような権利の放棄が相対的関係でのみされることは考えられないところであるから、原告らが本件各和解契約によって愛知県との間で所有権を放棄することにより、その放棄の効力は対世的に生じたものというべきである。
(4) したがって、本件係争地は、原告らを含む所有者全員の権利放棄により無主物となり、その所有権は国庫に帰属(民法二三九条)していることになる。そうであるとすれば、仮に、原告らが本件係争地について抹消回復登記を受けたとしても、それは実体に合致しない登記であり、実体的権利者たる国からの所有権に基づく所有権移転登記請求に応じざるを得ない登記である。
2 本件係争地が所有権の客体たる土地に該当するか否かについて
(一) 本件係争地が当然に土地といえるか否か
(1) 原告らの主張
所有権の客体としての「土地」の概念は、法律上所有権の対象となり得る性質を備えるものであるか否かによって決定されるものであり、「土地」というためには、人による事実的支配が可能であって経済的価値を有する地表面であることをもって足りると解すべきである。したがって、海面下の地盤であっても、右の要件を充足する限り、これを「土地」と認めて差し支えない。
(2) 被告らの主張
私的所有権の対象となる土地、すなわち、民法にいう土地とは、日本国の領土内の陸地部分をいい、その外廷を画する基準については、春分、秋分の日における満潮位を標準とし、右満潮位上にある陸地をいうものと解すべきであり、右標準において海面下にある本件係争地は土地ではない(ただし、自然海没地又は国が過去において他の海面から区別し私人の所有に帰属させた地盤のみはその例外であると考えられるが、本件係争地は古来から海面下にある地盤であり、かつ、本件係争地につき国が過去において他の海面から区別し私人の所有に帰属させた事実は存在しないのであるから、やはり、本件土地は、私的所有権の対象となる土地、すなわち、民法にいう土地には該当しない。)。
(ニ) 地券の下付により所有権の客体たる土地になったか否か
(1) 原告らの主張
イ 徳川幕府時代においては、全国の土地は概ね幕府の直轄領と各藩の領地に別れており、各藩の領地については、各藩(領主)がそれぞれ独占的排他的に支配権(領有権)を有していた。他方、領民は領主の許可によって領地につき使用収益権、埋立開墾権等を取得していたにすぎず、領民が土地に対する排他的総括支配権を取得する余地はなかった。明治政府は、このような仕組みを根本的に改めて近代的所有権制度を創設し、従来領民の有していた使用収益権、埋立開墾権等の実態を調査確認した上で、国の有する土地処分権限に基づき、領民に対し、地券を下付することによって近代的土地所有権を付与したものである。
したがって、地券は、従来の領民の使用収益権等を確認してこれを前提とする土地の所有権を公証する証明文書であると同時に、土地の所有権そのもの(近代的土地所有権が地券に化体されている。)としてその下付により所有権を創設する設権文書でもあったのであるから、地券の下付を受けた者は、それによって、近代的所有権制度のもとで土地所有者として確定され、近代的土地所有者となった。このことは、明治五年二月二四日大蔵省達第二五号「地所売買譲渡ニ付地券渡方規則」の第六則が「地券ハ地所持主タル確証」と定め、明治五年正月「地券発行地租収納規則」の第二二則が「地券ヲ申受ケ所持致シ候上ハ基地所ノ持主ニテ」と定め、更に明治七年一〇月三日太政官布告第一〇四号が「地所売買致シ候節代金受取ノ證文有之トモ地券申受ケサレバ買主ニ其地所所有ノ権無之候」と定めていること等からも明らかである。
ロ 本件地券は、明治六年七月ニ八日太政官布告第二七二号別紙「地租改正条例」に係る大蔵省達「地租改正施行規則」第一二則(新開場鍬下年季中ノ分ハ其年季中無税ノ積相心得新開試作地反別何程ト相記無代価ノ券状可相渡事」)という規定に基づいて下付された改正地券であるから、前記イの効力を有するものである。すなわち、本件地券は本件係争地を民有地と認めて下付されたものであり、これにより堀田は近代的土地所有権者として確定されたものである。
このことは、次の事実によっても裏付けられる。すなわち、明治一一年一二月、三河国渥美郡老津村総代理中村吉五郎ほかの者が当時の愛知県令安場保和に対して、本件地券下付後鍬下年季中に開墾が行われていないから本件地券を引き上げてほしい旨の上申がされたが、同県令はこの上申を採用しなかった。また、同一二年二月八日、石黒宗左衛門及び七か村惣代鈴木弥平は、堀田らを相手方として、豊橋警察署に対し地券冒認(無効)の告訴をしたが、同年四月八日、右告訴は却下された。その後、現在に至るまで、本件地券が官に還付されたり、国等から本件係争地の返還を求められたりしたことはない。また、本件干潟の一部分について、海軍省による買上げや豊橋市に対する賃貸がされたりしたこともある。
ハ なお、本件は、国がその処分権限に基づいて下付した地券の効力を国自身が無効であるとして争っている事案であり、真実の所有者と非真実の所有者との間で所有権の帰属が争われているものではないのであるから、本件地券が設権文書であるか証明文書であるかによって本件の結論が左右されるものではない。すなわち、仮に、国の地券下付に瑕疵があったのであれば、まず地券下付という行政処分を取り消すべきものであるが、本件係争地についてはこのような措置は執られていないのであるから、本件係争地を民有地と認め、かつ、堀田をその所有者と認めた本件地券下付の効力は適法かつ有効に存続しているものというべきである。
(2) 被告らの主張
イ 明治時代以降、海面下の地盤については所有権の対象とは認めず、埋立て(土地の作出)が完成し排他的総括支配が可能となったものについてのみ所有権の取得を認めるという法制度が採用されており、ただ法制度が完備していなかった明治初期の一時期において、明治四年八月大蔵省達第三九号「荒蕪不毛地払下ニ付一般ニ入札セシム」(以下「明治四年大蔵省達」という。)及び同八年二月七日内務省達乙第一三号「湖海沼池等埋立地附寄洲等開墾出願ノ節処分方」(以下「明治八年内務省達」という。)が例外的に海面下の地盤につき入札払下げ及び無償下げ渡しを認めていたが、本件地券の下付がされた明治七年七月四日当時は、明治四年大蔵省達は既に明治六年七月二〇日の太政官布告第二五七号により廃止されており、また、明治八年内務省達は未だ発布されていなかったのであるから、本件地券の下付が明治四年大蔵省達又は明治八年内務省達に基づいてされたものでないことは明らかである。したがって、海面下の地盤である本件係争地については、それが所有権の対象としての土地であることを例外的に肯定し得る場合には該当しないというべきである。
ロ 地券は証明文書にすぎず、設権文書ではないのであるから、地券の下付はそれ自体が土地の払下げではなく、地券の下付により土地所有権の得喪が生ずるものではない。これは、本件地券についても変わりはない。
ハ 堀田が徳川幕府から受けた新田開発許可は海面開発権ないし埋立権を取得させるものにすぎず、海面を埋め立てて新田を開発して検地を了した時点で土地所有権が与えられるというものであるところ、右新田開発許可に基づく工事は防潮堤の完成も見ずに挫折し、検地も行われていないのであるから、右許可の存在は当該土地所有の確証とはなり得ないものである。したがって、本件地券の下付は堀田の土地所有の確証の存在という前提事実を欠くものであるから、これによって、堀田が本件係争地の所有権を取得するいわれはない。
また、本件地券は、将来の埋立てによる、いわば将来の土地の所有権を保全するための仮の地券というべきものであって、埋立てが為されるまでは、土地所有権を証する地券としては実体を伴わないものであった。
したがって、いずれにしても、本件地券の下付をもって、本件係争地が土地であったとか、土地所有権を下付されたものであったとは到底いえない。
第三当裁判所の判断
一本件処分の取消しを求める法律上の利益について
1 前記の争いのない事実と弁論の全趣旨によれば、原告ら(原告船井正義及び同伊藤省三についてはそれぞれその被相続人)は、本件滅失登記がされる以前に、本件係争地の共有持分を取得したとしてその旨の登記を経由していた者で、仮に、原告ら主張のとおり本件係争地が所有権の客体となる土地であるとすれば、その適法な共有権者と認められるべき者であり、更に仮に、被告ら主張のとおり原告らが本件係争地の共有持分権を放棄したのであれば、原告らの有していた本件係争地の持分は、他に共有者がいるときは当該共有者に帰属し(民法二五五条)、右のような共有者がいないときは国庫に帰属する(同法二三九条二項)こととなる。
ところで、右のような他の共有者又は国の持分権取得は、実体法上は、放棄によって持分権は一旦消滅するのでいわゆる原始取得であると解される。しかし、このような場合にいかなる登記手続をなすべきかは、手続法である不動産登記法の規定ないし法意により決定されるべきものであるところ、不動産登記の対象は不動産の表示又は不動産に関する所有権等の権利の設定、保存、移転、変更、処分の制限若しくは消滅であり(同法一条)、個々の不動産に関する権利変動の経過を登記簿上に明確に表示することが同法の法意であると解されるから、持分権放棄という物権変動の場合には、いわゆる移転的承継取得の場合と同様に一定の原因により権利が一人の帰属を離れると同時に他人に帰属したという状態を登記簿上に明確に表示することが同法の法意に合致すると解すべきであり、持分権放棄を登記原因として持分権の放棄者から他の共有者又は国への持分権移転登記手続をすべきものである(最高裁昭和四三年(オ)第六〇二号同四四年三月二七日第一小法廷判決・民集二三巻三号六一九頁、大審院大正三年一一月三日決定・民録二〇輯八八一頁等参照)。
したがって、共有持分を放棄した者が任意に右持分権移転登記手続をすることに応じない場合には、当該共有持分権を取得した他の共有者又は国は右放棄者に対しその持分権移転登記手続に応ずべきことを訴求することができ、他方、右放棄者又は他の共有者若しくは国は、そのような持分権の放棄による物権変動、すなわち、放棄者の持分権消滅及び他の共有者又は国の持分権取得という物権変動について、右持分権移転登記手続を経由しない限り、これを第三者に対抗することができないと解するのが相当である。
2 以上のとおりであるから、仮に、被告ら主張のように原告らが自ら持分権の放棄をしたものであったとしても、原告らは、そのような自らの意思で生じさせた物権変動を土地登記薄上に明確に表示し、自己の共有持分権の消滅及び他の共有者又は国の当該共有持分権の取得につき対抗要件を具備することについて、不動産登記法によって個別的に保護された権利利益を有するものということができるところ、原告らは、本件処分によって、本件処分の根拠法規たる同法により個別的に保護された右権利利益を侵害され、又は必然的に侵害されるおそれがある者であるということができる。なお、本件処分は必ずしもその本来的効果として右権利利益に制限を加えているものではないということができるければも、同法は、土地に関する権利を有する者の右のような権利利益を保護することを目的として、登記官が現状に反する土地減失登記をすること又はそのような登記の抹消登記申請を却下することを制約しているものと合理的に解釈することができるのであるから、右の制約に反して本件処分がされたことにより右権利利益の保護を無視されたとする原告らは、その取消しを訴求する原告適格を有すると解するのが相当である。
3 次に、原告らが訴えの利益を有するか否かについて検討するに、土地滅失登記がされた場合には、土地の表示を朱抹し、登記用紙の表題中原因及びその日付欄に閉鎖の事由を、登記の日付欄に閉鎖の年月日をそれぞれ記載し、登記官が捺印して、登記用紙を閉鎖するという手続がとられる(不動産登記法八八条、不動産登記法施行細則六四条)が、その際、各権利の登記は抹消されないのであるから、土地滅失登記を取り消し、又は抹消することにより、従前の権利の登記を含めて当然に滅失登記がされる直前の登記と同一の状態に復することになり、原告らは、自己の共有持分権の処分権につきその物権変動の過程を登記簿上に表示して対抗要件を具備できるようになる。このように、本件処分を取り消すことによって、原告らに現に生じている法律によって保護された権利利益の侵害状態を解消させ、右権利利益の回復を図ることができるのであるから、原告らは本件処分の取消しを求める本件訴えの利益を有すると解するのが相当である。
4 以上のとおり、原告らは本件処分の取消しを求める法律上の利益を有する者であり、被告らの本案前の主張は採用できない。
二本件係争地が所有権の客体たる土地に該当するか否かについて
1 本件係争地が当然に土地といえるか否か
不動産登記法による登記の対象となる土地とは、私法上の所有権の客体となる物としての土地をいう。所有権の客体となる物は、人が社会生活において独占的・排他的に支配し利用することのできるものであることを要する。海水とその敷地(海床)とをもって構成される統一体としての海は、社会通念上、海水の表面が最高高湖面に達した時の水際線をもって陸地から区別されている。そして、海は、古来より自然の状態のままで一般公衆の共同使用に供されてきたところのいわゆる公共用物であって、国の直接の公法的支配管理に服し、特定人による排他的支配の許されないものであるから、そのままの状態においては、所有権の客体たる土地に当たらないというべきである。ただし、私有の土地が自然現象により海没した場合については、当該海没地の所有権が当然に消滅する旨の立法は現行法上存しないから、当該海没地は、人による支配利用が可能でありかつ他の水面と区別しての認識が可能である限り、所有権の客体たる土地としての性格を失わないものと解するのが相当である(最高裁昭和五五年(行ツ)第一四七号同六一年一二月一六日第三小法廷判決・民集四〇巻七号一二三六頁参照)。
これを本件についてみるに、前記の争いのない事実によれば、本件係争地は古くから満潮時には海水下に没する干潟の一部で、昭和四四年九月二三日のほぼ満潮時における本件係争地の水深は0.6メートルないし2.3メートルであったのであり、本件係争地は、昔から海のままの状態にあり海没地でないことが明らかであるから、そのままの状態においては所有権の対象となる土地に当たらないというべきである。
2 地券の下付等により所有権の客体たる土地になったか否か
(一) 海も、およそ人の支配の及ばない深海を除き、その性質上当然に私法上の所有権の客体となり得ないというものではなく、国が行政行為などによって一定範囲を区画し、他の海面から区別してこれに対する排他的支配を可能にした上で、その公用を廃止して私人の所有に帰属させることが不可能であるということはできず、そうするかどうかは立法政策の問題であって、かかる措置をとった場合の当該区画部分は所有権の客体たる土地に当たると解することができる。現行法は、海について、海水に覆われたままの状態で一定範囲を区画しこれを私人の所有に帰属させるという制度を採用していないことが明らかであるが、過去において、国が海の一定範囲を区画してこれを私人の所有に帰属させたことがあったとしたならば、現行法が海をそのままの状態で私人の所有に帰属させるという制度を採用していないからといって、右区画部分の所有権の客体たる土地としての性格が当然に消滅するものではなく、右区画部分は今日でも所有権の客体たる土地としての性格を保持しているものと解すべきである(前掲最高裁昭和六一年一二月一六日第三小法廷判決参照)。
したがって、本件係争地が所有権の客体たる土地に当たるかどうかは、国が過去において本件係争地を他の海面から区別して区画し私人の所有に帰属させたことがあったかどうかにかかるものということができ、この観点から、本件地券の下付が本件係争地を他の海面から区別して区画し私人の所有に帰属させたものであったか否かが検討される必要がある。
(ニ) 前記の争いのない事実によれば、堀田は、明治七年七月二日、当時の愛知県令鷲尾隆聚に対し、徳川幕府から新田開発許可を受けていることを理由に、田原湾内の大崎村ほか七か村地先の海面の新開大縄反別一三七八町歩のうち、本件係争地を含む新開反別八四三町七反歩につき、地券の下付を願い出て、同月四日、鍬下年季(地租免除期間)中の新開試作地として本件地券の下付を受けたものである。
しかし、当時の地券発行の根拠法令である明治五年二月二四日大蔵省達第二五号、同年七月四日大蔵省達第八三号、同年九月四日大蔵省達第一二六号、明治六年三月二五日太政官布告第一一四号及び同年七月ニ八日太政官布告第二七二号に照らすと、地券は、土地の所持(排他的総括支配権)関係を証明する証明文書であって、土地を払い下げるための文書あるいは権利を設定するための文書ではないことが明らかである(大審院大正七年(オ)第三九四号同年五月二四日判決・民録二四輯一五巻一〇一〇頁、同昭和八年(オ)第一九五九号同一二年五月一二日判決・民集一六巻一〇号五八五頁、前掲最高裁昭和六一年一二月一六日第三小法廷判決参照)。
そうすると、本件地券の下付があったからといって、それによって、国が本件係争地を堀田に払い下げ、同人の所有に帰属させたものということはできず、本件係争地が所有権の客体たる土地としての性格を取得したものということができない。
(三) なお、原告らは、たとえ本件地券が証明文書であるとしても、国がその処分権限に基づいてした地券下付という行政処分が取り消されていない以上、堀田を本件係争地の所有者と認めた右処分の効力は適法かつ有効に存続している旨主張するが、前述のとおり、地券下付は、土地の所持(排他的総括支配権)関係を証明する行為であって、独立の創設的効力を有しないものと解するのが相当であるから、証明の対象となる本件係争地に排他的総括支配権が成立していないときは、その前提要件を欠くので何らの効力をも生ずるものではなく、その意味で無効な行政行為であると解するのが相当であるから、その取消し又は更正がされていないからといって、被告らが本件係争地は所有権の客体たる土地ではない旨主張することが妨げられるいわれはない。
3 以上のとおり、本件係争地は昔から海のまま状態にあり、本件地券の下付によって国が本件係争地を他の海面から区別して区画し私人の所有に帰属させたということはできず、そのほかに国が過去において本件係争地を他の海面から区別して区画し私人の所有に帰属させたという事実の主張も立証もないのであるから、本件係争地は、私法上の所有権の客体たる土地に当たるものということはできない。
三結論
以上のとおり、本件滅失登記は、本件係争地が登記されるべき土地として存在しないという実体的な法律状態に符合するものであるから、本件処分は、いずれもこれを違法ということはできない。
なお、本件係争地は、かつて陸地であったが後に海没したというものではなく、もともと土地には当たらないものであるから、「海没」ではなく「不存在」又は「錯誤」を登記原因として表示登記の抹消登記をするのが本来の手続であったというべきであるところ、「海没」を登記原因とされたことに争いのない本件滅失登記も、実体的な法律状態に符合したものである以上、右の手続的瑕疵をもってその取消し又は抹消の原因とすることはできない。
よって、本件請求は、いずれも理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民訴法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官瀬戸正義 裁判官杉原則彦 裁判官後藤博)
別紙第一ないし第三物件目録<省略>