大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

名古屋地方裁判所 昭和52年(わ)1614号 判決 1984年3月28日

主文

被告人を死刑に処する。

理由

(被告人の経歴、日建土木株式会社の設立経緯等)

一  被告人は、山口県厚狭郡船木町において、父弥三郎、母ヨシ子の長男として生まれ、父が母と別れた後、一緒に生活するようになった林あや子とともに、名古屋での生活を経て、岐阜県土岐市に移り、同市肥田町にある肥田小学校を卒業し、次いで、同県瑞浪市日吉町に転居して、同市立日吉中学校を卒業し、岐阜県立土岐商業高等学校に入学したが、そのころ父が死亡し、一学年の途中で同校を中退した。被告人は、右中退後、右あや子のもとを離れ、名古屋市内でパチンコ店店員、キャバレーのボーイをし、更に、右日吉町に戻って自動車運転の助手をし、その後自動車運転免許を取得して、名古屋市内で自動車運転手やクリーニング店外交員をした後、愛知県愛知郡日進町の建材店でダンプカーの運転手となった。その後、被告人は、トラックを購入し、個人で運送業を営んでいたが、この間、昭和三七、八年ころ、森光子と同棲し、その後同女と別れ、同四一年ころ、谷口敬子と結婚し、長女由香、長男和也をもうけた。被告人は、昭和四八年一〇月、名古屋市西区山田町大字比良字作之内二六一七番地の土地を借りて事務所を設け、一般土木等を業とする協栄興業株式会社(以下「協栄興業」という。)を設立し、代表取締役に就任した。

二  協栄興業は、昭和五〇年八月ころ、不渡手形を出して、約四〇〇〇万円の負債を残して倒産した。被告人は、同年一〇月ころ、義弟の加藤桂を名目上の代表取締役として、日建土木株式会社(以下「日建土木」という。)を設立したが、その実態は、社名を変更したにすぎず、事務所も、前同様同区山田町大字比良字作之内二六一七番地におき、被告人が日建土木の実質上の経営者として、その経営に当たり、また、協栄興業の負債及び事業内容もそのまま引き継ぎ、そのころ、被告人は自己所有の土地を売却して、一部その返済にあてるなどした。

三  被告人は、これより先の昭和四七年ころ、金時会という頼母子講を通じて、保険代理店を営む宮田錦一(以下宮田」という。)や西尾立昭(以下「西尾」という。)と知り合い、徐々に親しく付き合うようになった。西尾は、暴力団菅谷組小車誠会清田連合会長清田武二(以下「清田」という。)の舎弟頭であり、中川雅彦(以下「中川」という。)を自己の舎弟にして、同人の若衆らを輩下においていたが、被告人も西尾と知り合って後、同人が暴力団に所属することを知るに至った。

被告人は、協栄興業時代の昭和五〇年六月ころ、西尾から二〇〇万円を借入れたが、協栄興業の倒産に際しては、協栄興業振出しの手形取得者に対する対策として、債権者西尾立昭、債務者協栄興業とする架空の譲渡担保契約書を作成するなどして、西尾の協力を得、以後一層同人との親交を深めていった。

四  被告人は、前示のとおり、協栄興業倒産後、日建土木を設立したが、日建土木は、協栄興業の負債を抱えていた上、不景気による工事の受注の減少等が重なって、昭和五一年四月ころには、先行き経営状態が悪化し、資金繰りに窮する見込みとなった。また、日建土木の代表取締役には当初前記加藤が就任したものであるが、同人と被告人との間で意見が合わず、同人が辞任を申し出たため、被告人においてその後任を探す必要があったところ、そのころから日建土木事務所にひん繁に出入りするようになっていた西尾が、かつて刑務所に服役中に知り合い、当時西尾の自宅横に寝泊りさせて面倒をみていた北山清(昭和八年五月九日生。以下「北山」という。)を被告人に紹介し、被告人は、昭和五一年四月上旬ころ、北山を日建土木の名目上の代表取締役に就任させ、その後、同人は、日建土木事務所裏の建物で生活することとなった。

五  被告人は、協栄興業設立に際し、宮田の紹介で稲田紀孝から金員を借入したこともあって、その後、宮田と個人的に親しく交際していただけでなく、同人を介して、同人が代理店となっているAIU株式会社(以下「AIU」という。)との間で、協栄興業が所有する自動車の任意の対人対物保険、運送保険、盗難保険、火災保険等各種保険契約を締結し、この関係は日建土木となってからも続いていたものであるが、財団法人全国法人会総連合(以下「全法連」という。)を窓口として、大同生命保険相互会社(以下「大同生命」という。)とAIUとを受託会社とする大同生命の生命保険契約とAIUの傷害保険契約とがセットされた「保険契約者 全法連の会員(法人)、被保険者 会員の役員及び幹部社員、保険料支払人 被保険者の属する法人、保険料の支払方法 法人の取引金融機関から全法連へ毎月二〇日に自動振替え、契約の効力発生時期 全法連が受託保険会社に保険料を払い込んだ翌月の一日(ただし、保険料支払日が、実質上効力発生日となる。)、保険金受取人 契約者である法人」という内容の「法人会の経営者大型総合保障制度」(以下「大型保障保険」という。)に、協栄興業時代は被保険者を被告人としてそのD型(最高保障金額大同生命・AIU各二五〇〇万円)に加入し、次いで、日建土木になってから、被保険者を被告人としてそのE型(同各五〇〇〇万円)に加入したが、更に、昭和五一年三月ころからは、宮田から、そのH型(同各一億五〇〇〇万円)に被告人ほか二名が加入するよう強く勧誘されていた。

(罪となるべき事実)

第一  北山清に対する殺人予備事件関係

一  〔北山殺害の共謀に至る経緯、共謀の成立等〕

1  被告人は、昭和五一年四月には、日建土木の経営が先行き行き詰まっていく見込みとなり、これを乗り切るためには五〇〇万円程度の金員を要していたところ、同月中旬ころの夜、西尾らと飲酒した後、同人を同人の愛人田村みどりが当時居住していた愛知県西春日井郡師勝町二子字曙四六番地所在の曙コーポまで送った際、同コーポ前駐車場の自動車内において、西尾に対し、融資を申し込み、一旦断わられるや、「あることがわかっとるがね。」などと言って、西尾が昭和五〇年夏ころ、小牧市所在の結婚式場吉祥殿の経営者吉田千鶴子と相謀って、同式場に宮田の仲介により火災保険を掛けた上、人に命じて放火させ、保険金を取得した事件を暗示した上、「実は宮田さんから三億円下りる大型保険に入るように言われている。借りた金は保険金が下りたら返せる。」などと言って、保険を掛けて人を殺害し保険金を取得する計画を吐露したが、西尾が、「どういう保険か知らないが、一遍宮田に聞いてみる。」と言ってあいまいな返事をしたため、その場は別れた。

2  西尾は、その後、宮田と会い、大型保障保険について尋ねたところ、同人から「死ねば三億円、片目がつぶれても一億五〇〇〇万の保険だ。」という説明を受けて、被告人の言う大型保障保険が本当にあり、宮田が被告人にこれを勧めていることを確認したが、自らが殺害計画を実行する気にはならなかったところ、その後、昭和五一年四月二六日刑務所を出てきた清田連合会会長清田から「お前銭をつくってくれんか。」と金を無心されたことも手伝って、被告人の企図する保険金殺人計画に加担することを決意した。

3  被告人と西尾とは、同年五月上旬ころ、日建土木事務所で、西尾において、「保険のことだが、やればできるじゃないか。」などと言い、これに対し被告人において、「北さんでどうか。」と言って、ここにおいて、右両名の間で北山に保険を掛けて殺害する旨の共謀が成立した。

また、西尾は、右計画が成功し、保険金を取得するまでは、日建土木を倒産させることができないため、以後、日建土木の資金面については、西尾において面倒をみることとなり、日建土木に対する貸付けを増大させていった。

4  被告人は、大型保障保険に被告人が加入するほか、北山及び日建土木社員石原学(昭和一六年四月二四日生。以下「石原」という。)を加入させることとし、昭和五一年五月一三日ころ、日建土木事務所において、北山及び石原に指定医の身体検査を受けさせた。被告人及び北山については、その検査に合格し、同年六月二〇日第一回目の保険料が払い込まれ、同年七月一日付けで保険契約の効力が発生したが、石原については、同年六月一日ころ再検診の上、同年七月二〇日に第一回目の保険料が払い込まれて、同年八月一日付けで右契約の効力が発生した。

5  北山が保険に加入した後、被告人と西尾とは、日建土木事務所において、北山殺害の方法について話し合い、西尾において、北山は泳げないから川の中に突っ込めばよい旨提案し、また、被告人において、北山は西尾さんの言うことは聞くから一緒に誘い出してくれるよう言い、ここにおいて、右両名間では、西尾が誘って、北山を川に連れ出し、川に沈めて溺死させる旨の殺害方法について概括的な話し合いができた。

他方、西尾は、当時自己のもとで専属の運転手をしていた輩下の若衆である後藤政光(以下「後藤」という。)に右北山殺害を手伝わせることとし、同年七月中旬ころ、愛知県春日井郡師勝町片場三七番地所在の喫茶「トレビアン」において、後藤に対し、中川が外車に乗っているのは吉祥殿に放火して保険金の分配を得たからである旨説明した上、「今から話す話は殺しの話だ。殺しをお前が引き受けるというなら話す。」と持ちかけたところ、後藤が「やれと言うならやる。」と言って北山殺害の実行に加担することを承諾し、ここに更に後藤との間にも共謀が成立した。

二  〔共謀に基づく実行〕

被告人は、前叙のとおり西尾及び後藤と順次共謀の上、日建土木とAIU及び大同生命との間で締結されている大型保障保険契約による保険金を騙取するため、北山(当時四三年)を水死させて殺害する目的で、

1  昭和五一年七月中旬ころ、西尾において岐阜県岐阜市領下一八八二番地所在の西尾方から被告人に電話で連絡の上、被告人が北山を連れて日建土木事務所から西尾方に赴き、被告人、西尾及び右西尾方にいた後藤が魚取り等の口実のもとに、北山を岐阜市溝口川通り地内長良川右岸川原に連れ出し、被告人において北山を川で溺死させようとして、同人に対し川に入るよう誘うなどして殺害の機を窺い、

2  北山が川に入らなかったため、右計画は失敗に終ったが、被告人及び西尾は、後藤に単独で北山を殺害させることとして、同月下旬ころ、西尾が後藤に対し、「岐阜の大内のところに追い込みに行くということで北山を連れ出してやってくれ。」と指示し、後藤において、そのころの夜、北山を前記長良川右岸川原に連れ出して殺害の機を窺い、

3  二回目も北山に怪しまれて失敗に終ったため、更に、同人をダムに突き落として殺害することにし、同年八月七日ころ、被告人及び西尾において一回、西尾及び後藤において一回、それぞれ岐阜県恵那市大井町奥渡地内恵那峡ダムの下見に行き、その水深を測るなどし、かつ、翌八日ころ後藤において右場所で北山を殺害するため、被告人及び西尾において、同日、日建土木事務所で、井上繁を介して、北山を恵那峡への一泊旅行に誘って同人殺害の準備をしもって殺人の予備をした。

第二 石原学に対する殺人未遂事件関係

一1  〔石原殺害の共謀に至る経緯、共謀の成立等〕

(一)  前記北山殺害計画は、北山がこれを察知して逃亡し、しかも後藤が右計画から脱落したことなどから、一時頓挫するところとなったが、西尾は、知人から北山が国鉄岐阜駅前にいるのを見たということを伝え聞いて、被告人及び西尾において二回岐阜市に北山を探しに行ったほか、西尾は、そのころ右殺害計画を知らされていた中川とともに右同様北山を探すなどした。

(二)  西尾は、前叙のとおり、清田から金を無心されていたが、その際、西尾が、日建土木の者には大きな保険が掛けてあり、間違いでもおこれば金が入るなどといったことから、その後、清田から、早く金をつくれ、保険の方はどうなったなどと催促されていたところ、同年八月下旬ころ、名古屋市東区泉二丁目一九番七号ニュー近江屋ビル二階A号室の清田方において、西尾が清田に対し、北山らに掛けた保険の内容や保険金を取得する目的で北山を殺害する計画等を告げて、「やるやつがおらんで、ようやらん。」と言うや、清田は、「やるやつがおれりゃあ、やれるのか。」と確かめた上、自己の輩下の者に殺害させることを約束し、他方、その報酬として六〇〇〇万円を受け取ることを西尾に約束させ、ここにおいて清田との間にも右保険金取得を目的とする殺害の共謀が成立した。

更に、清田は、同日、同人の普通乗用自動車で、西尾とともに、同市中区栄一丁目二二番二号ライオンズホテルに赴き、西尾を同ホテルロビー喫茶店で待たせた上、同ホテル北側駐車場に駐車中の同自動車内において、清田から呼出しを受けて同ホテルに来た清田連合会若頭補佐の中津川博愛(以下「中津川」という。)に対し、「ある人間に保険を掛けておる。その人を殺したらお金が下りてくる。」「実は俺も金がほしい。西尾と相談した結果、お前しかおらん。」「やる人間が主体だから二〇〇〇万やる。俺も二〇〇〇万だ。お前自身がやらんでもいい。」と話して、殺害の実行を促し、中津川もこれを承諾し、次いで、清田が去った後の同車内に、西尾及び中津川が入り、同車内で、西尾が、中津川に対し、「会長から聞いたろう。相手はバタ屋だ、俺が何かの役に立つことがあろうと思って、うちに置いておった。バタ屋を殺して、五〇日したら保険が下りてくる。保険屋が噛んでいるから絶対ばれることはない。ばれたらお前のところで止めてくれ。」と北山殺害計画の概要を説明し、また、殺害方法については、「交通事故に見せかければ三年ですむ。」などと言ったが、詳しい殺害実行方法等については後日連絡を取り合うということにして、西尾及び中津川はその場は別れた。

中津川は、右謀議に従い、そのころ、同市千種区小松町四丁目一三番地からたち荘二階B号の自室において、同人の兄弟分である清野組組長清野喜義(以下「清野」という。)に対し、西尾から聞いた右殺害計画を打ち明け、「分け前は一〇〇〇万だ。」と言って、殺害の実行を依頼したところ、清野は、一旦は渋ったが、結局これを承諾した。

(三)  西尾は、清田及び中津川と右謀議を遂げた後、日建土木事務所において、被告人と会い、被告人に対し、清田に殺害を依頼した旨告げるとともに、「六〇〇〇万くれといっている。」と話すと、被告人は「仕方がないわなあ。」と言って、これを了承した。

(四)  被告人及び西尾は、当初の計画どおり、北山を探し出して、同人を殺害する予定でいたところ、西尾は、同年九月一〇日の前ころ、岐阜市で北山と会った中川から、北山は自己に対する殺人計画を既に知っている旨聞かされ、その後、その旨を被告人に伝え、ここにおいて、被告人及び西尾は、北山に対する殺害を断念することとなった。

(五)  被告人及び西尾は、引き続いてそのころ、話し合い、被告人において、「倒産したら、わしも何にもなしになる。保険には石原も入っているんだで、石原でやれんだろうか。」と言い、西尾において、一旦は、「そんなことできんだろう。ちょっと冷静になって考えてみようや。」と言って、両名において、日建土木事務所を出て、それぞれの普通乗用自動車に乗って、帰途についたが、日建土木事務所近くの新川にかけられた比良新橋付近において、被告人が再度「どうしてもあれだで石原で頼んでちょう。」と言うに及んで、西尾も石原殺害を引受け、ここに、被告人及び西尾との間で、保険金取得を目的として北山にかえて石原を殺害する旨の謀議が遂げられた。

(六)  西尾は、その後、中津川に対し、バタ屋ではなく石原を殺害する旨伝え、両名間では、殺害の方法として、日建土木の近くの路上で交通事故に見せかけて殺害することが話し合われ、西尾は、被告人と相談の上、中津川に、ぶつける車を買う代金の趣旨で七〇万円をあらかじめ渡した。

中津川は、清野に右殺害方法を伝え、清野は、実際に車を石原にぶっつけ、交通事故に見せかけて警察に出頭する者として、自己の輩下の組員坂田親司(以下「坂田」という。)を選び、同人に殺害の実行を依頼したところ、同人もこれを承諾した。

(七)  西尾は、同年九月一六日ころ、被告人の案内で、石原の日建土木事務所から同人の自宅までの通勤コースを下見したが、更に、同月一七日ころの午後八時ころ、小牧空港近くのボーリング場で、中津川並びに同人が連れて来た清野及び坂田と落ち合い、同人らを日建土木事務所や石原の右通勤コースに案内して下見させ、石原の車をも確認させた上、その日は、「今、社長なんかが近くで飲ましておるから。」と言って中津川らと別れた。中津川らは、その後、石原殺しを坂田の飲酒運転による交通事故死に見せかけるため酒を飲むなどしてから、日建土木事務所近くの路上で、石原が帰途につくのを待ち、翌一八日ころの午前〇時三〇分ころ、石原が普通乗用自動車で右事務所を出発するのを認め、直ちに追尾したが、石原が教わっていた通勤コースと違う道を走行したため、その夜は右計画を実行できなかった。

(八)  西尾は、同月一八日ころ、中津川から、「教えてくれた道と違うところを行った。そちらで酒でも飲まして、引っ張って、ちゃんと教えてもらった道を帰るように何とかしてくれ。」と言われ、その旨被告人にも伝え、次の機会をうかがうこととなった。

被告人及び西尾は、同月二〇日、その日が雨降りだったため、日建土木従業員らととんちゃん会という飲み会をすることとしたが、この機会に石原殺害を実行することを企て、同日午後六時ころ、西尾において、中津川に対し、電話で「今晩やる。」旨連絡の上、日建土木事務所でとんちゃん会を行った後、石原をたまたま居合わせた山崎光雄らと一緒に名古屋市中区錦通所在の料理店「柳生」に連れて行き、同店で石原に酒を飲ませるなどした。この間、西尾は、中津川と連絡をとり、同人は、清野及び坂田を呼び寄せ、同日午後一〇時ころ、中津川ら三名は、二台の乗用自動車(中津川を同乗させた清野運転の車及び坂田運転の車。以下「清野車」、「坂田車」という。)に分乗して、日建土木事務所に向かい、途中飲酒した後、同事務所付近に到着して、同事務所北側の堤防下の路上で待機した。

西尾及び被告人は、「柳生」の閉店近くまで飲んで、時間を引延ばした上、石原らとともに日建土木事務所に戻り、それぞれ帰宅することとなったが、西尾は自己の後方から石原が同人の普通乗用自動車(以下、「石原車」という。)を運転して従ってくることを確認して、同事務所を出発し、クラクションを鳴らして中津川らに合図をした。

2  〔共謀に基づく実行〕

被告人は、前叙のとおり、西尾、清田、中津川、清野及び坂田と順次共謀の上、被保険者を石原とする大型保障保険契約による保険金を騙取する目的で、交通事故を装って同人(当時三五年)を殺害しようと企て、同年九月二一日午前〇時四〇分ころ、愛知県西春日井郡師勝町大字久地野字牧野六八番地付近県道五九号線路上において、清野が石原車を追い越すように装って同車の右後部に清野車の左前部をわざわざ接触させて、石原車をその場に停車させ、車外に出てきた石原に対し、口論を仕掛けた上、自車に戻ろうとする同人の胸倉を掴んで、同人を道路中央部付近に押し出し、これと同時に、かねての打合せとおり、坂田が自車で石原を跳ね飛ばして殺害すべく、時速五〇キロメートルで進行し、坂田車左前部を石原の腰部に衝突させて同人を路上に跳ね飛ばすなどして同人を殺害しようとしたが、同人に全治まで約六七日間を要する顔面・頭部挫傷、左鎖骨骨折の傷害を負わせたにとどまり、殺害の目的を遂げなかった。

二  〔保険金の騙取〕

被告人は、前叙のとおり、被保険者を石原とする大型保障保険の保険金を騙取する目的で、同年九月二一日石原を殺害しようとして失敗したが、その際同人に傷害を負わせたので、同人に対する傷害保険金名下に金員を騙取しようと企て、同月二九日ころ、名古屋市中区錦三丁目二三番三一号栄町ビル九階AIU名古屋支店(支店長中澤圭一)において、同会社に対し、真実は前記のとおり、事前の計画に基づき石原を殺害しようとして被告人らにおいて故意に石原に前記傷害を負わせたものであるから、被告人が実質的な経営者である日建土木には保険金受給資格がないのに、石原が過失による交通事故によって右傷害を負った旨の虚構の事実を記載した日建土木代表取締役北山作成名義の大型保障制度傷害事故報告書一通に、交通事故証明書、診断書等必要書類を添付し、これを宮田を介して、提出して保険金を請求し、更に、同年一一月一五日ころ、同市中村区広小路西通二丁目六番地大同生命名古屋支社(支社長藤岡敏二)において、同会社に対し、前同様、虚構の事実を記載した前同作成名義の給付金請求書兼領収書一通に入院証明書等必要書類を添付し、これを宮田を介して、提出して保険金を請求し、右中澤及び藤岡をして、石原が負傷した原因が過失によって発生した交通事故によるものであり、日建土木には保険金受給資格があるものと誤信させ、よって、同月一九日ころ、大同生命から中京相互銀行城北支店の日建土木普通預金口座に入院保障給付金として、二七万円の振込送金を受け、同年一二月三日ころ、AIUから中日信用金庫浄心支店の日建土木当座預金口座に後遺障害保険基本金として四五〇万円の振込送金を、宮田を介して、日額保障金として額面一五三万円の小切手一通(昭和五三年押第二三八号の二)の交付をそれぞれ受け、もって保険金名下に合計六三〇万円相当を利得及び騙取した。

第三 尾関博澄に対する殺人事件関係

一1  〔尾関殺害の共謀に至る経緯、共謀の成立等〕

(一)  被告人及び西尾は、前叙のとおり、石原殺害計画も同人に傷害を負わせたにとどまり、失敗に終った後、再び北山又は石原を殺害するという話し合いもしていなかったが、他方、西尾は、中津川と電話で話すなどしていたところ、殺害計画については、完全に立ち消えもせず、改めて連絡するということで日時が経過した。

(二)  ところで、西尾は、昭和四〇年ころ、尾関博澄(昭和三年七月二四日生。以下「尾関」という。)と知り合い、昭和四八年ころ、尾関が双葉エンジニアリングという名称で公害処理装置関係の事業を始めたことから、同人から手形の割引等金策の相談を受けるようになった。西尾は、昭和五〇年五月ころ、尾関が、双葉エンジニアリングを会社組織にした際、尾関に対し、事業資金として二〇〇万円の融資をしたほか、同人が金融機関から融資を受ける際、西尾の妻名義の不動産を担保に提供するなどして資金面で援助していた。尾関は、西尾に対し、同人の父親の縁故で、土岐市に進出を予定している高島化学工業株式会社(以下「高島化学」という。)の公害処理プラントの設計及び建設工事を請負うことができると話し、西尾は、その工事を日建土木に請負わせれば都合がよいと考え、被告人にもこの話を伝え、西尾及び被告人はこれに期待していた。しかし、尾関は、昭和五一年一月下旬ころ、西尾が恐喝未遂等事件で逮捕、勾留されている間に、西尾の名前を使って髙田千代治(以下「髙田」という。)らから六〇〇万円を借り受けた上、間もなく同会社を倒産させるに至った。尾関は、その後、西尾らのもとから行方をくらまし、横浜に行って三部喜一郎(以下「三部」という。)のもとで働くなどしていたが、同年九月末ころ、西尾にその所在が見付かり、追及を受け、やりかけの仕事を終え次第、再び名古屋に戻ることを条件に三部のもとに再び戻った。ところが、尾関は、同年一〇月ころ、三部の知人の所有する土地の権利証等を不正に使用して借金し、この返済に窮して、三部のもとを飛び出し、名古屋に逃げ戻った。そして尾関は、同月中旬ころからは、日建土木の一室で自らの仕事をするとともに、同月二〇日ころ、右高島化学の工事契約を実現するために日建土木の名目上の取締役に就任した。

(三)  被告人は、尾関が日建土木取締役に就任した後、宮田から、尾関にも大型保障保険を掛けるよう誘いを受けていたところ、石原の傷害に対する保険金が宮田の仲介で早期に交付されることが判明していたため、尾関にも保険を掛けることを決め、同年一一月一五日ころ、尾関に身体検査を受けさせたが、西尾においてもこれをすべて了知していた。

(四)  被告人は、これより先の同月一〇日ころ、高島化学を訪れ、総務部担当の永井久夫と面談し、同人から高島化学の工事契約の実現は望み薄であることを聞かされたが、このままでは、日建土木の経営を建て直すことは極めて困難な状況となった。

(五)  被告人は、同年一二月中旬ころ、尾関が身体検査に通過し、同月二〇日には第一回の保険料が支払われて、大型保障保険の効力が生じることを知ったが、そのころ、日建土木事務所で、被告人において、「尾関が保険に入れた。やろうと思えばやれる。」と言い、西尾において、中津川から「やらせる奴を待たせている。」との電話があった旨を被告人に伝えるなどするうち、被告人及び西尾の両名の間で、尾関は三部らに追われているから、尾関を殺しても警察の目を三部らに向けさせることができると話し合い、ここに、尾関殺害の共謀が成立した。

(六)  西尾は、そのころ、中津川に電話し、東京方面から追い込みをかけられている男がいる、この男は保険を掛けたばかりだがあちこちに借金をしている、この男を殺す、できるだけ東京に近いところでやってくれ、と尾関殺害計画を話し、中津川はこれを承諾した。中津川は、既に同年一一月ころ、兄弟分の関係にある暴力団山口組系一会内坂東組副組長山村俊雄(以下「山村」という。)に、清野らと石原殺害を実行し、失敗したことを話していて、次の機会には、山村に殺し役を頼むことになっていたところ、西尾からの尾関殺害の電話を受けるや、直ちに、名古屋市中区新栄町五丁目三五番地東新総合ビル五〇二号室の坂東組事務所を訪ね、山村に対し、殺害を依頼し、山村も当時多額の借金があったことなどからこれを引き受けた。

山村は、更に、舎弟の早川雅之(以下「早川」という。)及び廣吉治(以下「廣」という。)にも中津川からの依頼の趣旨を話して、両名も右殺害計画に加わることとなった。中津川、山村、早川及び廣は、そのころから同月下旬ころにかけて、前記中津川方等において、数回にわたり殺害方法等について謀議し、他方、中津川は、西尾に対し、山村らを殺し役に選んだことを伝えるとともに、西尾からは、できるだけ横浜に近いところでやることや、死体は発見されやすい所に捨てることなどの指示を受け、これを山村らに伝えた。

(七)  被告人及び西尾は、同月下旬ころ、殺害の実行をいつにするか話し合い、西尾が、「とにかく来年にしよう。」と言い、被告人もこれを了承して、西尾から中津川に対しても、来年にする旨の連絡がされた。

(八)  被告人及び西尾は、昭和五二年一月五日、日建土木で、井上繁(以下「井上」という。)から正月中尾関に三部から何回も電話があったことを聞かされ、尾関殺害のよい機会であると話し合い、その後、西尾は、前記からたち荘付近で、中津川及び山村と会い、山村に対し、清田連合の者に三部と話しをつけてもらうという口実を言って尾関を連れ出し、清田連合組員を装った山村らに引き渡し、これを殺害する旨の計画を説明し、東京寄りの県外でやること、死体は人目につくところにおくことなどを改めて指示し、山村もこれを了承した。その上で、西尾、山村らは、尾関の引渡予定場所である東名高速道路東郷サービスエリアを下見に行き、その際、西尾は、山村に一〇万円を手渡した。

(九)  同月七日夕方、西尾が日建土木に顔を出すと、そのころ三部から尾関に電話があり、被告人に代って西尾が電話に出て、尾関はその場にいないこととして、西尾が三部と話した。その後、尾関はサウナに行き、この間に、三部から再び電話があったが、三部と尾関とが当日会う約束になっていたことがわかり、ここに、被告人及び西尾は、尾関殺害を実行するのに絶好の機会であると話し合った上、西尾が、被告人のいるところで、中津川に電話し、「今日連れ出すから。」と連絡し、西尾及び被告人は、尾関の帰りを待つかたわら、アリバイ作りの話などをした。その後、日建土木事務所裏の建物に住んでいた井上が戻り、次いで、尾関が車で戻ってきたため、被告人は、井上のいる建物に入って、西尾が尾関を連れ出すところを井上に見付けられないようにした。

2  〔共謀に基づく実行〕

被告人は、前叙のとおり、西尾、中津川、山村、早川及び廣と順次共謀の上、被保険者を尾関とする大型保障保険契約による保険金を騙取する目的で、同人(当時四八年)を殺害することを企て、西尾が、同日午後八時過ぎころ、日建土木事務所に戻って来た尾関に、「俺は忙しくて行けんが、会長のところの組の者に頼んでやったで横浜に一緒に行ってもらって話をきちんとしてもらったらどうだ。いま待っておるですぐ連れて行ってもらえる。」などと言って、同人を誘い出し、尾関を車に乗せて、東郷サービスエリアに向って日建土木事務所を出発し、一方、山村らは、縄飛びの縄二本、手袋等を準備して前記中津川方で待機していたが、西尾から「これから出発する。」旨の電話を受けるや、早川が渡辺正男から借りて来ていた普通乗用自動車(岐56に3986)に乗って右中津川方を出発し、途中包丁を買い求めて、同日午後九時三〇分ころ、右サービスエリアに到着し、間もなく到着した西尾から、尾関の引き渡しを受け、山村が運転する右普通乗用自動車の助手席に尾関を乗せ、早川が運転席の、廣が助手席の各後部座席に坐って浜松方面に向けて進行し、同日午後一一時ころ、静岡県浜松市白鳥町字中島一三一〇番地の四先六所神社北側農道上に停車中の右自動車内において、廣が助手席に坐っていた尾関の背後からその頸部にロープを巻き付け、廣及び早川がその両端を引っ張って緊縛し、更に、山村が尾関の頸部に別のロープを巻き付けて首を絞め、その場で同人を窒息死させて殺害した。

二  〔保険金の騙取未遂〕

被告人は、前叙のとおり、被保険者を尾関とする大型保障保険の保険金を騙取する目的で尾関を殺害したので、西尾とのかねてからの共謀に基づき、尾関の死亡による保険金名下に金員を騙取しようと企て、被告人が、同年二月二五日ころ、前記AIU名古屋支店に対し、真実は前記のとおり、事前の計画に基づき尾関を殺害したものであるから、被告人が実質的な経営者である日建土木には保険金受給資格がないのに、尾関が被告人以外の他人によって殺害された旨装って、日建土木代表取締役北山作成名義の保険金請求書兼領収書一通に死体検案書等必要書類を添付し、これを郵送提出して保険金を請求し、更に、同年三月一九日ころ、前記大同生命名古屋支社に対し、前同様装って、前同作成名義の保険金請求書兼領収書一通に必要書類を添付し、これを郵送提出して保険金を請求し、前記AIU名古屋支店長中澤及び大同生命名古屋支社長藤岡の両名をして、尾関が大型保障保険の事実上の契約者である被告人以外のものによって殺害されたものであり、日建土木に保険金受給資格があるものと誤信させて、保険金名下に金員を騙取しようとしたが、右中澤らにおいて、尾関が死亡した原因、経過等に不審を抱き、支払いに応じなかったため、その目的を遂げなかった。

第四 その他の保険金騙取関係

被告人は、

一  鈴木英男がAIUとの間に個人賠償責任保険契約を締結していたことを奇貨として、同人の請求名義によりAIUから保険金請求名下に金員を騙取しようと企て、右鈴木と共謀の上、昭和五〇年七月二九日ころ、前記AIU名古屋支店において、宮田を介して、同支店に対し、真実は被告人の妻山根敬子が愛知県小牧市大字小牧原新田字鷹の橋六三二番地で経営していた麻雀荘「宝」従業員内田鉄男が同荘のフロントガラス一枚を破損したものであるのに、右鈴木が誤って右ガラスを破損した旨の虚構の事実を記載した右鈴木作成名義の新種保険事故報告書一通にガラス修理代請求書等必要書類を添付し、これを提出して保険金を請求し、前記AIU名古屋支店長中澤らをして、右保険の契約者である右鈴木が誤って右ガラスを破損したもので、正当な権利者による適法な保険金請求であると誤信させ、よって、同年八月一五日ころ、名古屋市西区山田町大字比良字作之内二六一七番地協栄興業事務所において、宮田を介し、AIUから額面七万五〇〇〇円の小切手一通(同押号の八二)を交付させて、これを騙取し、

二  AIUとの間に被告人所有の普通乗用自動車に対する自動車保険対物賠償保険契約を締結していたことを奇貨として、AIUから保険金名下に金員を騙取しようと企て、後藤政光と共謀の上、昭和五一年三月二九日ころ、前記AIU名古屋支店において、宮田を介して、同支店に対し、真実は右後藤が自己所有の普通乗用自動車を荒牧信廣運転の乗用自動車と接触させた事故によって破損したものであるのに、被告人が被保険車両である自己所有の普通乗用自動車を運転中、誤って右後藤所有の普通乗用自動車に接触し、同車右側面を損傷した旨の虚構の事実を記載した被告人作成名義の自動車事故報告書一通に自動車修理代請求書等必要書類を添付し、これを提出して保険金を請求し、前記中澤らをして右保険の契約者である被告人が被保険車両である被告人所有の右普通乗用自動車を運転中、誤って右後藤所有の普通乗用自動車に損傷を与えたもので、正当な権利者による適法な保険金請求であると誤信させ、よって、同年四月五日ころ、AIUから、同市西区山田町大字比良字作之内二六一七番地日建土木事務所に、額面一〇万三九九〇円の小切手一通(同押号の八三)を郵送送付させて、これを騙取し、

三  日建土木がAIUとの間に日建土木所有の普通貨物自動車に対する自動車保険対物賠償保険契約を締結していたことを奇貨として、AIUから保険金名下に金員を騙取しようと企て、岡田和夫と共謀の上、同年九月一四日ころ、前記AIU名古屋支店において、宮田を介して、同支店に対し、真実は右岡田が同人所有の普通乗用自動車を自損行為によって破損したものであるのに、日建土木従業員鈴木松男が被保険車両である日建土木所有の右普通貨物自動車を運転中、誤って右岡田所有の普通乗用自動車に接触し、同車のフロントバンパー等を損傷した旨の虚構の事実を記載した日建土木作成名義の自動車事故報告書一通に見積書等必要書類を添付し、これを提出して保険金を請求し、前記中澤らをして、右保険の契約者である日建土木の従業員である右鈴木が被保険車両である日建土木所有の右普通貨物自動車を運転中、誤って右岡田所有の普通乗用自動車に損傷を与えたもので、正当な権利者による適法な保険金請求であると誤信させ、よって、同月二二日ころ、AIUから、同市瑞穂区御莨町一丁目一二番地の右岡田あてに、額面六万二四〇〇円の小切手一通(同押号の八四)を郵送送付させて、これを騙取した。

(証拠の標目)(省略)

(補足説明)

一  弁護人は、判示第一ないし第三の各犯行につき、被告人には、北山、石原及び尾関を殺害する動機もなく、右各犯行は、被告人が加担したものでない旨主張し、被告人もこれに沿う供述をする。

当裁判所は、事実に鑑み、取り調べられた証拠を検討し、結論として、判示した各事実はこれを優に認定し得ると思料したが、以下において、主要な争点のいくつかについて、補足的に説明を加えることとする。

二  本件において、被告人の犯行加担の態様は、判示のとおりであるところ、その態様から明らかなとおり、これを直接証明するものとしては、判示第一の北山に対する殺人予備事件関係で、第二二回公判調書中の証人北山清の供述部分(以下「北山証言」という。)、第三五回、第三六回公判調書中の証人後藤政光の供述部分(以下「後藤証言」という。)、後藤政光の五二・一一・二四付検面調書があるほかは、証人西尾立昭の第一六ないし第一九回公判調書中の供述部分及び当公判廷(第五五ないし第六〇回公判)における供述(以下、特に断りのない限り、これを一括して、「西尾証言」という。)以外に存しない。

そこで、まず、西尾証言のうち、被告人との共謀成立の中核部分である謀議の内容について供述するところをみるに、その要旨は、北山に対する殺人予備事件について、

昭和五一年四月中旬ころ、被告人と飲酒して、被告人の車で、愛人田村みどりの住む曙コーポまで送ってもらった際、同コーポ道路脇の駐車場付近の車内で、被告人から、「会社が今まで借金しているし、もう何ともならん。このまま行くと会社が潰れてしまう。金がいるが貸してもらえんだろうか。」と借金を申し込まれたが、被告人に貸してあった二〇〇万円の返済さえ受けていなかったため、「銭なんかないわ。」と返事すると、被告人が「そんなはずはないがね。あることがわかっとるがね。」と言うので、「何でや。」と聞くと、被告人が吉祥殿のことについて話をしてきたのでこれはまずいと思った。それで隠しようがないので「いくらぐらいいる。」と聞くと、被告人は、「五〇〇万ぐらいほしい。」と言い、「実は宮田さんから三億円下りる大型保険に入るように言われている。借りた金は保険金が下りたら返せる。」と言うので、被告人に「保険で誰をどうするんだ。」と尋ねたところ、被告人から「北さんで。」と言われ、北山に保険をかけて殺害し、保険金を取るつもりだと思った。そこで、自分としても、被告人の言う保険があるかどうか確かめなければ決められないので、被告人に「どういう保険か知らないが、一ぺん宮田に聞いてみるわ。」と言って、その場は別れた。その一日か二日後、宮田に会い、被告人の言うような保険があるのか確かめたところ、宮田から「新しくできた三億円という保険あるぞ。死ねば三億円、片目がつぶれても一億五〇〇〇万円の大型保険がある。日建に持っていっている。火災だと物があったとかなかったとか理由つけられてなかなか満額下りんけれども、この保険は死ねばうんもすんもなく全額下りる。」などと言われて、被告人の言っていた大型保険が本当にあることを確認し、その後、被告人に会って、「保険のことだが、やればできるじゃないか。」と言って、北山を保険にかけて殺すことを承諾した。

というものであり、次いで、石原に対する殺人未遂事件については、

同年九月一〇日過ぎころ、中川から聞いた、北山は感づいているから駄目だという話を伝えた上、「もうあかんよ。」と言ったところ、被告人の「このままでは、どっちにしても背に腹はかえられん。倒産したら、わしも何にもなしになっちゃうで、つぶすにしても、ダンプ一台だけでも、自分で運転できるようにでも、なんとかならんだろうか。」という話から、今度は「保険には石原も入っているんだで、石原でやれんだろうか。」と言われたが、それまで、二人で仲良く会社組織にしてやってきたような、長い付合いの話を聞いておったから「そんなことできんだろう。ちょっと冷静になって考えてみようや。」「今日は遅いで帰ろう。」ということで、自分が先に出て、車に乗って比良新橋まで来て、赤信号で車を止めたところ、後から来た被告人から「どうしても、あれだで石原で頼んでちょう。」と言われ、「本当に頼むんか、石原で。」と確かめ、二人で信号が変ってもほかの車が来なかったから長いこと話合った結果、石原殺しを引き受けた。

というものであり、更に、尾関に対する殺人事件については、同年一二月中旬ころ、日建土木事務所において、中津川から電話があったことを被告人に話したところ、被告人から「やろうと思えばやれる。」「尾関さんは保険に入れたんだ。」と言われた。自分としては、尾関が死亡すれば尾関に対する貸金が取れなくなるため、このことで被告人と話し合ったところ、「いつ返してもらえるか分からんようなものを待っておるより、保険金さえ下りりゃ、遺族に会社が二〇〇〇万円か三〇〇〇万払わなきゃならん銭がある。その銭をあんたの見とる前で遺族に渡すから、あんた債権で取りなさい。」「会社の方の銭も会社として一度に出すことはできんわな。一時的にそういう表向きに出してもええ銭をあんたから会長の方に回してもらった方が本当はええわな。」とも言われ、結局尾関殺害も承諾した。そのころ尾関には三部から追い込みがかかっていることがあったため、そちらに目を向けさせるんだという話にもなった。そして、その時期については、自分が「年末で、自分のこともあるし、とにかく来年のことにしよう。」と持ちかけ、被告人もこれを了承した。

というものである。

右西尾証言の内容は、謀議を特徴づける基本的な点において、具体的かつ詳細であり、臨場感にもあふれ、実際に体験した者でなければ語れないことばで供述されており、また、当公判廷における供述態度に照らしても、被告人との共謀の成立というその大筋においては、判示認定の限度で十分措信することができ、その信用性に疑いを入れる余地はない。

また、北山に対する殺人の共謀の成立後、尾関殺害に至るまでの経過についての西尾証言は、右同様、判示認定の限度で十分信用できる。特に、被告人との関係で、北山に対する殺人予備事件につき、北山を溺死させて殺害する旨の殺害方法について謀議したときの状況、恵那峡に下見に行ったときの状況、石原に対する殺人未遂事件につき、犯行当夜、被告人が「石原は酒好きだから酒飲まして、遅くまで引っ張ってやらせようか。」と言い、とんちゃん会をやり、その後「柳生」に飲みに行った状況、尾関に対する殺人事件につき、犯行当夜、尾関がサウナに行った後、西尾が被告人のいるところで三部と電話で話し合った後、尾関を待つ間両名で話し合った状況、井上が予想より早く帰ってきたため、被告人が井上のところに赴いた状況等について供述するところは、極めて具体的に、率直、自然に表現されていて、十分に信用できるものといわなければならない。

更に、押収してある総勘定元帳二冊(昭和五二年押第二三八号の三、六)、司法警察員作成の五二・八・五付(謄)、五二・八・二九付(謄)、五二・一一・一四付各捜査報告書(甲14、15、13)等日建土木の経営状態に関する関係証拠によれば、被告人が北山に対する殺人計画を西尾にもちかけた当時、日建土木にあっては、先行き資金繰りに窮する見込みで、被告人がこれに苦慮する状況にあったこと、前記共謀成立後の昭和五一年五月以降、西尾の日建土木に対する貸付け金の額が急増したことが認められ、右西尾証言を客観的に十分に裏付けている。もっとも、この点については、被告人は、尾関が持ち込んだ高島化学の工事が受注できそうなので、そのつなぎに西尾に融資を依頼し、西尾が「契約できるまでの少々の金だったら、わしが面倒をみてやってもいい。」と言ってくれたことによるものであると弁解するところであるが、前掲関係証拠によって認められるところの、高島化学の受注の話も当時さほど具体化するまでに至っていない事実、尾関はそのころ名古屋を離れていた事実に照らしても、右弁解はとうてい採用できない。

次に、北山証言及び北山清の五一・九・一〇付員面調書(謄、甲67)によると、北山は自己に多額の保険が掛けられていることに不審を感じていたところ、判示第一の二の各予備のうち、第一回目の予備につき、「被告人から、川の中へ入れと誘われた。」「被告人、後藤の二人くらいで泳げと誘いにきた。」こと、第三回目の予備につき、明日ダムに行くと西尾から命令が出た、こりゃ助からんと思ったので、翌朝西尾の妾のところに預けていた通帳を返してもらいに行き、日建土木事務所に戻ると、被告人がおって、どこも行くなという命令が出た、被告人は自分に待っておれ、と言い、石原に見とれよ、と言って出て行ったので、いよいよ駄目だなと思って、タバコを買いに行くと言って逃げたことが認められる。被告人は、第一回目については、単に泳ぐのを誘っただけであり、第三回目については、待っとれと命令したことはなく、石原に対して「見とれよ。」と言ったのは、留守にするから会社をよく見とれと言った趣旨である旨弁解するが、北山証言でいわれているその場の状況、雰囲気に照らし、あまりに不自然で、とうてい信用できない。してみると、右北山証言は、判示第一の予備に被告人が関与したことを一部直接証する証拠であるとともに、被告人と西尾との間に本件犯行の共謀があってはじめてよく理解できることに照らすと、西尾証言の信用性を補強していることも明らかである。

更に、後藤証言、後藤政光の五二・一一・二四付検面調書(甲497)について検討するに、その内容は、北山に対する第一回目の予備の前に、西尾から喫茶店で、北山に保険が掛けてあり、殺したら三億円が入る、殺してくれと依頼され、これを承諾したこと、第一回目の殺人予備について、被告人、西尾、北山と長良川に行ったが、その際、被告人が北山を川に引きずり込むという趣旨のことをいい、その表情は真剣であったこと、自分はこんな昼間からヤバイと思ったこと、第二回目の殺人予備について、西尾に命じられて、大内美代吉のところに債権取立てに行くという口実で、北山を長良川に誘い出し、川に沈めようと企てたが、北山が不審がったため断念したこと、第三回目の殺人予備について、西尾と恵那峡にあらかじめ下見に行き、北山を連れ出して、釣りを見に行くということにしてダムに沈めることとしたが、北山がいなくなったため、実行できなかったことというものであるところ、右は、北山殺害の共謀の時点を除いて、西尾証言と大筋において合致し、西尾証言を裏付けているのみならず、第一回目の予備について、被告人の犯行を証明するものである。

もっとも、弁護人主張のとおり、後藤証言は、「覚えていない。」旨の供述部分が多く、その信用性の判断については慎重を要するところであるが、しかし、一回目の殺人予備について、「今から北を引きずり込んで沈めるか。」と言われたかの問いに対し、「今ちょっと分らないですけどとにかくそのようなこと言われたこと記憶がある。」と答え、「そのときの山根君の顔つきですが、冗談のようでしたか、それとも真剣に言っているようでしたか。」との問いに対し、「やっぱり顔見てこれ、ヤバイなと思って……」と答えているところは、後藤の自己の体験を踏まえたものと認められるから、この点についての後藤証言は十分に信用性があると思料される。

ところで、西尾と後藤との間の北山殺害についての共謀の成立時期については、北山に対する殺人予備の第一回目の前か後の点で、西尾証言と後藤の証言及び後藤の前記検面調書との間では、明らかに違いがある。そこで案ずるに、北山証言によれば、前叙のとおり、被告人のほか後藤からも「泳げ」と誘われたというのであって、当時殺害計画を感づいていた北山からみて、後藤には事情を知った者としての言動があったこと、仮に、後藤が第一回目の予備後に、北山殺害計画を知らされたとすると、第一回目の予備に後藤を同行させることが不自然であること、後藤が「ヤバイ」と思ったことは、右計画を知っている者にしてはじめてもち得る気持であること、被告人及び西尾は、北山に対する保険が正式に効力を生じた同年七月一日過ぎころ、北山の殺害方法について謀議したものであるが、西尾が、被告人に北山は泳げないから溺死に見せかけて殺害するのがよいと殺害方法について被告人に積極的に提案していて、その際、いわば協力者として後藤にこれを手伝わせることが話し合われたとみても何ら不自然でないことなどに照らすと、この点については、後藤証言及び後藤の前記検面調書に信を措くことができ、この限度で、西尾証言は信用できない(なお、後藤が「ヤバイ」と思ったことと、北山からみて後藤において北山を泳ぐよう誘うような行動があったこととはただちに矛盾するものではないと考えられる。)もっとも、証人西尾は、この点について、繰り返しての質問に対して、第一回目の殺人予備の前に後藤に犯行計画を打ち明け共謀した事実はないと明確に述べているところ、これは、証人西尾が、要するに、少なくとも、北山に対する殺人予備事件の当初にあっては、自らが北山殺害に関与するのではなく、被告人においてこれを行い、自らはそれが実行されるまで日建土木を存続させ、金員を貸し付けるという自己の立場を信じていることから生じた記憶違いとも考えられ、そうとすると、この点において西尾証言は信用できないとはいえ、前判示に供した限度で被告人との共謀そのものに関する西尾証言の信用性は、いささかも左右されるものではないといわなければならない。

三  被告人と西尾との間の共謀、被告人の本件犯行加担の状況等について、直接にこれを証する証拠は以上のとおりであるが、被告人と西尾とが共犯者の関係にあることを推認させ、西尾証言を補強し、裏付けるものとして、次のような事実が認められる。

1  司法警察員作成の五二・一・二七付検証調書(謄、甲20)によると、昭和五二年一月二〇日、日建土木事務所及びその付属建物について検証が行われ、ルミノール反応検査が実施されたことが明らかであるところ、西尾証言によれば、西尾は、その後、警察の捜査について、被告人から「今日も来て、床に何か塗ってやっとる。」と言われ、西尾が「ルミノール検査というやつじゃないか。あんなところで何もやっとれせんで。何にもわかっておらんのだなあ。」と言ったことが認められること、

2  西尾証言によれば、尾関殺害後、保険金入手ができるかどうかについて、西尾は被告人から、事件には暴力団がからんでいるので警察の指導でおりないと言われ、また、「これは、マノとかいう、被告人のいとこかその夫から、その親戚に当る江口刑事から聞いた。」と言われていること、

3  西尾証言によれば、西尾は、石原に対する殺人未遂事件後、被告人から、被告人が坂田と会ったことを聞かされ、その際、坂田につき、「弱々しいが大丈夫か」と言われていること、これらによれば、西尾は、自ら見聞していないことについて被告人を通じて聞かされており、また、その話の中味に照らせば、被告人は、警察の動きその他について西尾と話し合っていたことが窺われるのであって、被告人と西尾とが共犯関係にあることを前提にしてはじめてよく理解できるものといわなければならない。

更に、前同様の趣旨で、次のような事実も認められる。

被告人は当公判期日における供述部分において、被告人又は日建土木が西尾から借入した金額は、「七〇〇万から八〇〇万円にすぎない。」と述べるが、他方、被告人の五二・一・一一付員面調書(謄、乙8)によれば、被告人が本件後始めて事情聴取された浜松中央警察署の取調べにおいて、西尾からの融資額は日建土木になって二〇〇〇万円と述べている。この差は、被告人がいうように、当初の取調べの際、度忘れして二〇〇〇万円と述べたとみるには余りに大きすぎて、不自然であるところ、これは、西尾証言どおり、同年一月一〇日午後一一時過ぎころ、「すし健」において、被告人と西尾との間で貸借金額につき二〇〇〇万円とする旨の打合せがあったからであるとみるのが合理的である。被告人は、当夜、西尾と会っていない旨供述するが、西尾証言のみならず、「すし健」経営者山口健の五二・九・二二付員面調書(甲141)に照らしてもとうてい信用し難く、また、当夜は、西尾及び被告人のほか、宮田及び髙田も同席していたのであるから、事件に関係ない第三者のいるところで、西尾証言のいうようなアリバイ工作の話をするはずがない旨の弁護人の主張も、西尾証言によれば、その際の話は、西尾が当日参考人としての取調べを受け、後日被告人も取調べを受けることを予想し、打合せをする必要があると考え、被告人に、「尾関さんが帰って来ん前に二人が出たんだということと、日建との貸借関係について一応細かい数字は言ってないけど警察には二〇〇〇万円弱だという話にしてある」と伝えたというものであって、その話の内容、程度からみて、カウンターで隣り合わせた西尾が被告人に小声でそのような話をしたとしても、何ら不自然ではないから、右主張も採るを得ない。

次に、西尾証言によれば、西尾は、尾関殺害後、中津川から早く金をつくるように催促されていたが、同年六月二〇日前後ころ、中津川から電話で、「早く銭をつくれ。もう我慢できない。実行行為をやった連中の誰かがほかの事件で逮捕されていて、もう、うたって、早くきれいにした方がいいわ、と言っておるから、もう待てれんぞ。」と強く言われ、その電話は、「好きなようにしろ。」と返事して喧嘩別れになったが、その旨被告人に話しておかなければならないと思い、一品料理店「やしま」で被告人と会う約束をし、「やしま」の店内に入ると、そこに被告人のほか、髙田及び宮田がいたので、「やしま」前の道路向かい側の駐車場隅に被告人を連れ出し、中津川からの右電話内容を伝え、「覚悟せないかんぞ。」と言ったところ、被告人は、真青な顔をしてしばらくものが言えんような状態であったものの、被告人から、「西尾さんの方からバレてきたら、西尾さんまでで止めてくれ。日建に関係なかったら、保険金は下りるんだ、家族のことは保険金が下りてくれば全部面倒をみる。」などと頼まれた、というのであるところ、鈴木節子の五二・八・二〇付員面調書(甲140)によれば、同年六月一三日のほか、同月二二日にも、被告人、西尾、髙田及び宮田が「やしま」を訪れていることが認められる。

ところで、被告人は、捜査段階の当初において、「やしま」で西尾と会ったことさえ否定していたが、被告人の五二・一〇・一七付員面調書(乙14)において、「当日、私、宮田、髙田の三人で映画を見たが、私を探していた西尾と電話連絡がとれて「やしま」で会い、飲食後、西尾の車で日建土木まで送ってもらう途中の車中で、はじめて西尾から「手形を貸してくれんか。」と頼まれ、翌日、日建土木で西尾に手形三通(額面計三〇〇万円)を手渡した。後日この手形は多治見市の伊藤さんに回っていたことを知った。西尾と手形以外の話がなく、また、「やしま」の駐車場で西尾と話したことはない。」旨述べ、次に、被告人の五二・一〇・二八付員面調書(乙23)において、「私の後から「やしま」に来た西尾が「ちょっと、山ちゃん」と呼び道路をはさんで向い側の駐車場に連れ出され、西尾から手形の話を持ち出された。手形を必要とする理由について何も言っていない。これまで駐車場での話を隠して、嘘を言っていたことは悪いと思うが、西尾が私を共犯だというので、私の都合の悪いことを言っていると思っていたので、つい嘘を言ってしまった。また、手形を西尾に貸したのは「やしま」に行った翌日と言ったのは記憶違いで、何日か後であり、結果的に嘘をついてしまった。」旨供述し、更に、当公判期日における供述部分で、西尾から「やしま」の駐車場の隅に連れ出され、西尾が同じ組の味岡から借りていた金の請求がきついので金を都合してくれと頼まれたが金がないと言うと、西尾から「手形を切って欲しい。」と頼まれ、手形を渡すことにし、大分日が過ぎてから手形を切った旨述べている。

この点についての西尾証言が、第一四ないし第一六回公判期日における証人中津川博愛の供述部分(以下「中津川証言」という。)にも沿い、西尾自身の立場が具体的に語られていて信用性が高いと認められるのに反し、被告人の右の点に関する供述の変遷は、「やしま」において現実に起こったことを供述し得ないために、弁解に苦慮していることを示しているとみるほかない。右変遷につき、被告人は、同年九月下旬、髙田、宮田と飲食店「駒屋」に行った際、宮田から「やしま」で西尾と会ったことは知らんことにしておくと言われたから、当初は「やしま」で西尾と会ったことを否認したが、その後、宮田が言っとると警察から追及されて、隠す必要もないと思って話した旨弁解し、弁護人は、事前に宮田から、「やしま」や「駒屋」で会ったことについて、警察で調べられるとうっとうしいから知らんと言っておくで、お前も知らんと言っておけと言われたため、被告人としても事件に関係のないことでもあったので、宮田と口裏を合わせたにすぎないのであって、特に他意があったわけではない、旨の主張をするが、いずれも採るを得ない。

右に指摘した「すし健」及び「やしま」における被告人と西尾との間の会話は、まさに、被告人と西尾とが共犯者であることを如実に物語っているといわなければならない。

四  ところで、弁護人は、西尾証言は、第一〇回及び第一一回並びに第四〇回公判期日における証人宮田錦一の各供述部分、証人宮田錦一の当公判廷(第六一回)における供述(以下、一括して「宮田証言」という。)、北山証言、第三八回公判期日における証人中川雅彦の供述部分、証人中川雅彦の当公判廷(第六〇回)における供述(以下、一括して「中川証言」という。)、中川雅彦の五二・八・一〇付、五二・八・一一付及び五二・八・一八付各員面調書(謄、甲253、254、255)、後藤証言と対比してみても矛盾しているばかりか、西尾証言、西尾の各員面調書自体も自己矛盾があり、その信用性のないことは論を俟たない、ひっきょう、西尾は、その前歴、性格からみて、昭和五二年八月八日、犯行を自白して後、このままでは一連の犯行の主犯は自分であると断定され、とうてい死刑を免れ得ないと考え、被告人が本件に関与しているという供述をする八月一三日までの五日間に、留置場において思案を重ねた結果、被告人を事件に巻き込み、死刑を免れんとし、虚偽の供述をしたものと考えるのが妥当である、と主張するので、以下、この主張の主要な点に対する当裁判所の判断を示す。

1  宮田らの証言等に矛盾するとの主張について

(一)  弁護人は、西尾証言、宮田が吉祥殿の火災が放火によるものであることを知っていた、それは、宮田から報酬を請求され、宮田に対し、敦賀市の山林約一六〇〇坪の所有権移転登記手続をしたことからも明らかであるというが、右の点は、宮田証言、第三二回公判調書中の証人髙田千代治の供述部分に反するし、何よりも、福井地方法務局敦賀支局登記官尾崎登作成の不動産登記簿謄本(弁12)に照らしても虚偽であり、しかるとき、西尾が被告人から昭和五一年四月中旬本件の発端となった犯行の依頼を受けた際、拒否できなかったのは、被告人が吉祥殿事件の放火の件を知っていたのが最大の理由であり、かつ、被告人が吉祥殿放火の件を知るに至ったのは、報酬をもらってこれを知っていた宮田から聞いたのではないか、とする証言は、宮田が真相を知り得ないのであるから、虚偽であること明白であると主張する。

たしかに、右不動産登記簿謄本によれば、右土地については、吉祥殿火災より二年以上前の昭和四八年二月一七日受付で宮田に所有権移転登記手続がとられている事実が認められる。しかし、証人西尾は、第五五回公判において、弁護人主張のような趣旨にとれる供述をしているものの、第五八回公判において、更に詳細に供述していて、この供述によれば、右登記が昭和四八年にされていることと必ずしも矛盾するものでないこと、また、宮田、髙田、西尾らの当時の交友関係は異常に親密であって、金銭的貸借について捕捉も困難であることは同人らの各証言、供述部分によって明らかであること、そして何よりも、宮田証言は、同人が本件にかかわった態様に照らし、にわかに信を措くことはできないのであって、弁護人の右主張はその前提を欠いて失当であり、西尾証言の信用性を左右するものではない。

(二)  次に、弁護人は、西尾証言が、石原事件によって日建土木が受領した保険金のうち、AIU振出しにかかる一五三万円の小切手は見たこともないとする点を捉えて、宮田証言等に照らし右証言は虚偽であり、しかるとき、西尾は、被告人にさえ内密に右保険金一五三万円を領得していたのであり、嘘でかためた西尾の性格を如実に物語っていると主張する。

たしかに、右小切手一通を見たことがない旨の西尾証言中のこの部分については、宮田証言、第二四回公判調書中の証人栗木守二の供述部分に照らし、疑いを入れる余地がある。

しかし、右の点をもって、西尾証言全部の信用性を問題にする余地は全くない。すなわち、中央相互銀行山田支店回答書綴(弁8)、第四二回公判調書中の証人吉川和子の各供述部分、押収してある小切手一通(額面一五三万円のもの、同押号の二)及び同総勘定元帳一冊(同押号の三)を総合すれば、同銀行山田支店の日建土木名義の普通預金口座は、昭和五一年一二月三日付けで開設されたこと、同月一四日同口座から五〇万円が払い戻され、他方、現金五〇万円が日建土木の現金勘定に雑収入(AIU)として入金されていること、同月一五日同口座から一〇〇万円が払い戻され、他方、現金一〇〇万円が同現金勘定に雑収入として入金されていること、右普通預金口座からの払い戻しに当たっては、うち一〇〇万円のものについては、普通預金払戻請求書の筆跡が日建土木事務員吉川和子のものであることが認められ、これによれば、右小切手一五三万円のうち一五〇万円は、日建土木のために使われていることは明らかである。なお、被告人は、捜査段階においては、逮捕される前、被告人の五二・八・五付員面調書(謄、乙12)、五二・八・六付検面調書(謄、乙35)で、石原事件の保険金の使途につき詳細に説明し、逮捕勾留後も、日建土木でこれを費消していることを否定していなかったものである。そうすると、小切手を見たこともない、右普通預金口座の開設も知らないという西尾証言が、仮に真実に反するとしても、西尾が被告人に内密に一五三万円を領得したとは認められないのであって、これを前提に、西尾証言全体に信用性がないとする弁護人の右主張も採用の限りでない。

(三)  弁護人は、中川証言及び中川の前記三通の員面調書によると、西尾は被告人から北山殺しを頼まれる前に「北山殺し」を中川に依頼し、被告人から石原殺しを頼まれる前に「石原殺し」を中川に依頼し、更に、被告人から尾関殺しを頼まれる約三か月前、尾関が未だ保険に加入していないときに、「尾関殺し」を中川に依頼していたことになるところ、これは、西尾がいずれも被告人と無関係に単独で中川に依頼したものであり、本件一連の犯行は、西尾が被告人と全く無関係に単独で行ったことを裏付けており、これに照らしても、西尾証言の虚偽性は明白であると主張する。

しかし、前判示のとおり、中川は、本件当時、西尾の輩下であり、北山殺害にかかわり合い、したがって、本件について、西尾から話を聞かされていることは認められるが、中川証言は、いちいち挙げるまでもなく、矛盾に満ちており、また、当公判廷(第六〇回公判)における供述における供述態度、内容に照らしてもとうてい信用性を認め難いから、その供述するところが真実であることを前提に西尾証言の虚偽性をいう弁護人の右主張は当を失していること明らかである。

(四)  更に、弁護人は、北山証言中の、保険加入のための身体検査終了後、第一回目の殺人予備の前に、北山が西尾から蒲郡方面の海に誘われた旨の部分をとらえて、西尾の単独犯行を裏付けるものであるかの主張をするが、北山証言中の右部分自体、時期の点を含め、あいまいな内容であって、直ちにはこれをもって的確に事実を認定することもできず、また、これをもって弁護人の主張を直ちに裏付けるものとも言い難いこと明白である(また、弁護人は、後藤証言及び同人の前記検面調書につき、その信用性がないと主張するとともに、西尾証言との矛盾を指摘するが、この点についての当裁判所の判断は先に示したとおりであるので、繰り返さない。)。

2  西尾証言、員面調書にはそれ自体に矛盾があるとの主張について

(一)  弁護人は、西尾は、共犯者である坂田、清野、中津川らの供述が端緒となって、昭和五二年七月二一日逮捕され、逮捕直後犯行を否認したが、その後取調官の追及を免れることができず、逐次本件一連の犯行を自供したが、その供述経過をみると、五二・七・二二付員面調書(謄、甲260)で、石原事件に関して中津川との共謀を自白し、四日後の五二・七・二六付員面調書(謄、甲261)で石原事件に関し清田との共謀を自白し、同月二八日には夕方まで取調べを拒否した上、尾関に対するいわゆる懺悔文を書いて、尾関事件への関与を認め、同年八月四日から全面的な自供をするに至ったもので、同月四日から同月七日にかけて作成された員面調書は、その自白の経過に照らしても、また、その内容が非常に詳細で、写実性に富んでいることからも十二分に信用性があるところ、これによれば、西尾と清田との間では、同五一年四月末か五月初めころに第一回目の、同年六月に第二回目の、更に、同年八月中旬ころに第三回目の共謀があり、そのほか二回にわたる電話での話合いがあり、西尾と被告人との間の共謀の事実と矛盾する、と主張する。

西尾の捜査段階における供述経過については、右に摘示した限りで、所論のとおりであるところ、西尾が捜査段階の当初において被告人との共謀を否認し、その後、これを認めるに至った理由について検討するに、西尾証言は、まず、被告人との共謀を否認していた理由として、第一として、前示の「やしま」における被告人との話合いをあげ、「とにかく山根さんのことを伏せておけば保険が下りるんだ。」ということで嘘を通そうとしたこと、第二として、「少しは頑張らなくてはならないと考えていた。」からであること、第三として、被告人との共謀を自白すれば、その経過から、吉祥殿放火事件についても供述せざるを得なくなるからであることをあげ、次いで、被告人との共謀を認めるに至った理由としては、日建土木に下りる保険金をどうやって被告人から取るつもりであったか、取調官から厳しく追及され、被告人にもうけ話とか手形を持ち込むなどして、五、六〇〇〇万なら引っぱり出せるなどと述べていたが、結局不自然な嘘は通らないので、被告人との共謀を認めたというものであるところ、右証言内容は、極めて自然で、首肯し得るものがあり、また、被告人との関係について取調官から追及を受け、弁解に窮していたことは、例えば、五二・八・六付員面調書(謄、甲271)中の「日建と山根との関係はあとで詳しく説明する。」旨の記載からも窺えるのであって、十分信用できるものがある。

そうすると、西尾証言と西尾の昭和五二年八月八日までの間の捜査段階における供述との間に矛盾があるのは当然のことであり、また、西尾と清田との共謀の成立については、弁護人のいう第一回目の話合いが伏線となって、そのいうところの第三回目の時に共謀が成立するとして何ら矛盾はない。

(二)  次に、西尾は、前叙のとおり、二回にわたり、証人として証言しているものであるが、弁護人は、第一回目の西尾証言が、内容が非常に具体性に欠け、特に月日について全くあいまいなのに比して、第二回目のそれは、矛盾点はあるものの、一応つじつまがあわされている、しかし、四年の歳月が流れた二回目の証言の方が第一回目に比して詳細、具体的であることは通常考えられず、これは、第二回目の証言に際し、検察官が懇切丁寧な事前面接をした結果にほかならず、かかる点からも、第一回目の証言はもとより、第二回目の証言は全く信用できないと主張する。

そこで検討すると、第一回目と第二回目の各証言を比較すると、第二回目の方がより詳細にわたっている部分があること、また、第二回目の証言に際し、検察官が西尾と会って尋問の準備をしたことは所論のとおりである。しかし、右準備をしたことが、直ちに違法、不当であるといえないことは明らかであるのみならず、第一回目の証言中に、多少とも粗雑ともいえる点が窺えるところも、尋問方法にやや問題があったほか、当時西尾自身の事件が一審継続中であったことを考慮すると、理解し得なくはないところである。しかも、両証言は、本件一連の犯行の大筋について述べるところは、いずれも具体的で、重要な点で完全に合致しているのであって、虚構の事実を繰り返し述べているとはとうてい考えられない。

また、弁護人が、両証言が完全に矛盾している例として具体的にあげているところをみるに、石原殺害について、第一七回公判調書中には、中津川に頼むということは、被告人は知らない、被告人は誰がやるかわからない趣旨の供述部分があるのに反し、当公判廷では、『そこで、向こうから、「あれだで頼んでちょう。」と中津川に頼んでちょうということだもんで、「本当にあれか」ということで』と供述していることが認められる。弁護人は、これは完全な矛盾であると主張するが、当公判廷の供述をその供述全体の流れの中で理解すれば、被告人が中津川の名前をあげて依頼した趣旨でないことは明らかであるから、両証言に矛盾はないと解せられ、弁護人の右主張も理由がない。

3  西尾証言は、死刑を免れたいという自己保身から出たもので、その虚偽性は明白であるとして、弁護人の主張する主要な点について、当裁判所の判断は以上のとおりであり、その他、二、三の点は、既に各別に判断し、又は判断するところであり、その余は、独自の見解というほかなく、いずれも理由がない。

五  被告人の弁解、弁護人の主張のうち、その余の点について判断する。

1  弁護人は、本件の発端となった昭和五一年四月には、日建土木の経営は順調であって、被告人には当時本件犯行を西尾に依頼する動機がない旨主張し、被告人もこれに沿う供述をする。

しかし、日建土木の経営状態に関する前掲関係各証拠によれば、たしかに、同年三月及び四月にあっては、各月別収支が収入超過であることは認められるが、そもそも日建土木は、協栄興業の債務を引き継いでいるために、常時経営上苦しい状況にあったものであり、しかも、右依頼時においては、同年五月以降の日建土木の経営を念頭においていることは自然の理であるところ、前述のとおり右各証拠によれば、同年五月以降同年八月まで、各月別収支は大幅な債務超過を示しているのであり、したがって、被告人において、同年四月中旬ころ右依頼をする動機もなかった旨の主張はとうてい採り得ない。

また、西尾証言によれば、同年四月中旬ころ、被告人が本件犯行を依頼した際、吉祥殿放火の件を持ち出したとされているが、そもそも右放火なるものが存在したかどうか強い疑問があると弁護人は主張する。

右放火については、これを自認する西尾を含めて何人も起訴されていないことは所論のとおりであり、当裁判所も、右真偽をいまここで判断する立場にはない。しかし、刑事裁判において有罪とされたものがいないということが、すなわち社会的事実として犯罪行為がなかったことにならないことは論を俟たないところであって、西尾証言及び北山証言を総合すると、放火と疑われる状況のもとで火災が発生し、保険金受取人において示談という形でAIUから保険金を受け取っていること、被告人が右保険金受領事実を知っていたこと、したがって、被告人が西尾らにおいて放火の上、保険金を騙取したと認識しても決して不自然でない状況にあったことが認められ、これに反する中川証言及び宮田証言並びに被告人の弁解はとうてい信用できない。

弁護人の右主張は、右放火事件が刑事裁判になっていないという事実のみに依拠した立論というほかない。

2  弁護人は、被告人が昭和五一年一二月当時、西尾に日建土木の印鑑等を取り上げられ、その経営の実権も西尾に奪われていたもので、経理面に関与できない状況にあったから、被告人は、前記のとおり、石原に関する小切手一五三万については知らなかったし、また、尾関が身体検査に通って同月二〇日第一回目の保険料が口座から引き落とされたことも知らなかった旨主張し、被告人もこれに沿う供述をし、また、第一二回及び第一四回並びに第四二回公判調書中の証人吉川和子の各供述部分(以下一括して「吉川証言」という。)中にはこれに沿う部分が存するほか、中津川証言中にも、西尾が中津川に会社の実権は俺が握っている旨説明していたことを窺わせる供述部分もある。

そこで検討するに、一五三万円の小切手に関する判断は前示のとおりであるところ、西尾証言によっても、同年一二月上旬ころ一時日建土木の印鑑等を預ったことがあることが認められ、そのころ、被告人と西尾との間で押収してある動産譲渡担保設定契約書(同押号の一)が作成されていることなどに照らすと、西尾は、石原殺害に失敗し、次の行動も不明の状態で、日建土木に対する債権回収に不安を感じ、また、被告人の行動に不信感を抱くなどし、日建土木の経営にも口出しをするような状況になっていたのではないかと推認され、この限度で、西尾証言も不正確とみる余地もあるが、他方、当時会社の実権を西尾が握っていたという吉川証言も甚だあいまいであって具体性に欠けるのみならず、吉川証言によれば、日建土木の支払日になれば、どこにどれくらいの支払いがあるかをメモして被告人に報告し、少なくとも全体の額がいくらであるかを報告しており、同年一二月中も同様のことをしていたこと、同証言、西尾保の五二・八・一五付員面調書(甲215)、前掲総勘定元帳一冊(同押号の三)によれば、被告人は、昭和五一年一二月二〇日の支払いに窮し、わざわざ手形を割引いて現金九二万余を得て、保険料支払いを含む支払いにあてていることが認められ、保険料の支払い額が、尾関の分として新規に増額されたものを含め、合計四七万三八四〇円の高額に達していることに鑑みれば、西尾が当時会社の経営にいかなる程度に関与していたかについて論ずるまでもなく、被告人においては、尾関につき、第一回目の保険料が支払われることを認識していたことは明らかである。これに反する被告人の弁解は、不自然でとうてい信用できない。

更に、被告人は、日建土木にとっては、高島化学の仕事が社運をかけた大仕事であり、これと契約するためには尾関はなくてはならない存在であって、被告人が尾関殺害を考えるはずはないと弁解するが、前判示のとおり、永井久夫の五二・五・一三付員面調書(甲150)によれば、昭和五一年一一月一〇日ころ、被告人は、永井久夫から、右契約は見込みがないことを聞かされていたのであり、また、右契約は尾関と高島化学の社長との間で秘密裡に行われている旨の尾関の言葉を信じていた旨の弁解も、極めて不自然であるからとうてい採用し難い。

3  その他被告人は本件犯行に関与していないとして、被告人が供述、弁解するところを虚心に聞いてみても、本件大型保障保険に加入した経緯について、宮田に対する義理からであるとする点が、第一〇回及び第一一回公判調書中の証人堀口政男の各供述部分に照らしても、不自然であることをはじめとして、右供述、弁解は不自然、不合理であるというほかない。

六  以上の次第で、当裁判所は、西尾証言は、判示認定の限度で、十分信用性を認めることができるとの確信に達し、その他関係証拠を総合の上、前記のとおり認定したものである。

(法令の適用)

被告人の判示第一の各所為は、包括して刑法六〇条、二〇一条本文に、判示第二の一の所為は、同法六〇条、二〇三条、一九九条に、判示第二の二の各所為は包括して同法二四六条に、判示第三の一の所為は同法六〇条、一九九条に、判示第三の二の各所為は包括して同法六〇条、二五〇条、二四六条一項に、判示第四の一ないし三の各所為はいずれも同法六〇条、二四六条一項に該当するところ、所定刑中、判示第二の一の罪につき有期懲役刑を、判示第三の一の罪につき死刑をそれぞれ選択し、以上は同法四五条前段の併合罪であるが、同法四六条一項本文により被告人を死刑に処し、他の刑は科さないこととし、訴訟費用は、刑事訴訟法一八一条一項但書を適用して被告人に負担させない。

(量刑の理由)

一  本件の判示第一ないし第三の一連の犯行は、判示のとおり、日建土木の実質上の経営者であった被告人が、会社の営業資金等に窮していたところ、AIU代理店を営む宮田から、事故死の場合、保障額三億円の大型保障保険への加入を勧められていたことを機に、会社の債務を弁済し、その経営を建て直すためには、この保険を利用して保険金を入手するほかないと考えるに至り、暴力団菅谷組小車誠会清田連合幹部西尾に会社の窮状などを訴えて、同人の協力を求め、そのころ清田連合会長清田から金を無心されていた西尾においてもこれに加担することを決めて、ここに西尾と相謀って、右三億円の保険金の騙取を目的とした殺人計画を企て、順次暴力団員を共犯者に巻き込んで、昭和五一年七月中旬ころから翌五二年一月七日までの間に、判示第一の北山殺害に及ばんとし、これが予備の段階で北山に感ずかれて実行不能となるや、判示第二の石原殺害の実行に及び、これも未遂にとどまって、殺害目的を達しなかったところ、更に、判示第三の尾関殺害の実行に至り、遂に殺害目的を遂げたが、この間、判示第二の石原の関係で、石原の傷害に基づき保険金名下に六三〇万円を騙取したものの、判示第三の尾関の関係では、結局、保険金三億円の騙取に失敗したという事案である。

このように右一連の犯行は、順次発展的に遂行されたものであるが、まず、本件各事実について、殺害の対象となった被害者の選択を含む犯行の計画、犯行の手段、態様等について述べる。

1  北山に対する殺人予備事件

被告人は、前述のとおり、保険金騙取目的による殺人を企て、西尾にこれを持ちかけたが、その際、殺害の対象に選んだのは、これより前、西尾の口添えで日建土木の名目上の代表取締役になり、日建土木事務所裏の建物に住み込んでいた北山であった。北山は、それまで西尾に生活上の面倒をみてもらったことがあるものの、生命を狙われるような不義理はしていなかったのであって、北山が殺害の対象となったのも、同人ならば、独り暮しのバタ屋で、保険加入の点を含めて、西尾の指示に従いやすいなどという被告人らの犯行の便宜からであったとしか考えられないのであって、このことからも、自己の利を図るため、人を人とも思わない被告人の非情性、冷酷性が窺われるのである。そして、被告人及び西尾は、殺害方法について、北山が泳げず、しかも、溺死が事故死にみせかけやすいことから、同人を溺死させることとし、西尾の輩下である後藤を抱き込み、その一回目においては、被告人自ら北山を長良川にひきずり込もうとしたほか、犯行予定場所の下見、同所への北山誘い出しなど種々画策の上、執拗に殺害目的を果たそうとしたものであって、たしかに未だ暴力団組織を利用した多数人による組織的犯行とまではいえない面があり、また、結果として、途中で北山が不審を抱いて逃走したため、予備にとどまっているものであるが、生身の北山を水中に引き込み、あるいは突き落として溺死させようという被告人らの行為は、冷酷、非情というほかない。

2  石原に対する殺人未遂事件

被告人及び西尾は、北山に逃げられ、後藤も殺害計画から離脱し、ここに保険金騙取目的殺人計画も、その対象及び手段を失うかのごとき状態になったところ、その後、西尾が清田から六〇〇〇万円で殺害を引き受ける旨言われ、殺害実行者として清田連合若頭補佐の中津川を紹介されて、西尾が被告人にその旨伝えるや、これを了承した被告人は、西尾とともに再び計画を実行する決意を固め、所在のわからない北山を西尾とともに岐阜市に行くなどして探し求め、西尾から、北山が殺害計画を察知している旨の中川の報告を聞いて、遂に、北山殺害を諦めたが、被告人自ら、西尾に、殺害の対象を石原に変更するよう申し出て、ここに殺害計画の対象は石原と決められたものである。ところで、石原は、被告人が個人で運送業を営んでいた時代から自動車運転手として被告人のもとで働き、協栄興業、日建土木時代を通して、いわば番頭役として会社のために尽くし、被告人とは苦楽をともにしてきた間柄であり、被告人らに生命を狙われるいわれは何もなかったのであって、石原が殺害の対象になったのは、この時点では、大型保障保険に加入していて殺害の対象たりうるのは石原以外にいなかったという理由だけであると考えられる。そして、右に述べたところからも明らかなように、被告人は、石原殺害を積極的に提言しているのであり、被告人と石原との右間柄に思いを至すとき、被告人の非道さは筆舌に尽くし難いというほかない。

しかも、石原殺害の場合においては、既に、殺害実行のために、被告人及び西尾のほか、清田が介在し、同人の命を受けたいわば殺し屋としての中津川、更には、そのもとで実行を担当する清野、坂田が加わるようになって、犯行は暴力団の組織を利用した多人数による大がかりなものへと発展し、その目的達成の可能性は大きく高まっていったのである。更に、西尾、中津川、清野及び坂田の間では、二台の車を使って、最初に石原の車にかぶせてぶつけ、車を降りた石原に因縁をつけた上、道路中央に突きとばし、後続車で轢き殺すという交通事故を装った巧妙な計画を立て、各自の分担を決め、後続車を運転する坂田は、犯行後警察に直ちに出頭することまで打ち合わせ、前もって犯行予定場所を下見するなど綿密な計画のもとに実行の準備を重ねた上、その筋書きどおり犯行に及んだのである。

被告人は、具体的な殺害方法については、直接その謀議に加わっていないものであるが、その概略を知り、犯行に際し、前もって西尾に犯行予定場所となる石原の通勤コースを教え、次いで、犯行当夜においては、石原を飲酒に誘って、犯行予定時刻まで石原を引きとめるなどしており、実行行為そのものを分担していないとはいえ、実行面においても相応の役割を果たしているのである。

これらに照らすと、被告人らの企図した殺害方法は、人をあたかも人形にでも見立てて殺害行為に及んでいるのであって、計画の巧妙さとともに、その行為の冷酷さ、残忍さ、大胆さには驚かされるというほかない。

その上、被告人は、石原殺害が未遂に終ったものの、石原が傷害を受けるや、同人が交通事故にあったと信じているのに乗じ、直ちに平然と右事故が殺害の意図でなされたものであることを秘匿してAIU及び大同生命に保険金の支払いを請求し、六三〇万円の保険金を騙し取り、自己及び日建土木のためにすべて費消しているのであって、この点でも、犯情悪質なものがある。

3  尾関殺人事件

被告人は、右のとおり、六三〇万円の保険金を取得したが、なお日建土木の経営難を打開することはできなかったところ、これより先、尾関に対して大型保障保険加入のための身体検査を受けさせ、その検査に通ることを知るや、西尾に尾関殺害を持ちかけ、西尾においても、自己の尾関に対する債権の回収を心配して逡巡はしたものの、被告人に説得されるかたわら、中津川からも、実行行為者を用意している旨再三言われていたこともあって、ここに尾関殺害を承諾するに至ったものである。

たしかに、尾関は、その人柄に不誠実な面があり、西尾に対し背信行為を重ねたことは認められるところであるが、しかし、そのことが殺害の対象となった理由とは、特に被告人にあっては考えられず、北山及び石原の場合とほぼ同様に、尾関が殺害の対象となったのは、同人が既に身体検査を受けて大型保障保険加入が可能になったこと、同人が西尾を信用していて西尾の指示には従うこと、そして、特に同人が当時横浜の三部から追い込みをかけられており、警察の目を横浜に向けさせることができることなどの理由によるものであった。しかも、被告人は、西尾に対し、早期に実行に移すように働きかけ、西尾はその旨中津川に伝え、中津川は、一〇〇〇万円という多額の報酬を支払う約束で、暴力団副組長山村を、更に、同人を介して、早川及び廣を犯行に引き込み、西尾において、殺害場所を名古屋以東で横浜に近いところにすることや、死体を容易に発見されやすいところに捨てるように指示した上、殺害方法については、中津川が殺し屋である山村らと綿密に計画し、西尾、中津川及び山村において、尾関の引渡し場所を下見するなどして慎重に準備した上、犯行当夜、西尾が、三部からの追い込みをおそれている尾関に対し、「話をつけてくれる人を紹介するから一緒について行って貰え」などと欺して誘い出して、山村らに引き渡し、山村らにおいて、予定どおり殺害の実行に及んだものである。その殺害方法は、尾関に抵抗の遑も与えず、ロープを首に巻き付けて絞頸死させたもので、その手段、態様は残虐であり、加えて、尾関の死体を放置した非情さは否定すべくもないところ、被告人は、西尾が三部と電話し、あるいは、当夜殺害を実行するために中津川に電話した際もその横にあって、事態の推移を見守るなどして、西尾が尾関を連れ出すときまで、終始西尾と行動をともにしていたのである。

しかも、被告人は、尾関殺害後、直ちに、必要書類を取寄せ又は作成するなどして、昭和五二年二月二五日には、保険金請求手続をし、保険会社が支払いを渋ると、執拗に請求し続けているのであって、本件の目的がまさにこの保険金騙取にあったとはいうものの、その利欲追求の執拗さには驚かされるものがあるというほかない。

二  以上のとおり、本件は、保険制度を悪用して三億円という多額な保険金を騙取しようという悪質、重大な企てのもとに、何ら責められるべきところもない北山、石原及び尾関の生命を次々と狙い、遂に尾関に至って、その殺害目的を遂げたというものであり、犯行に当たっては、犯行を確実に遂行し、また犯行の発覚を防ぐため、周到な計画のもと、下見をするなど準備を重ねているほか、暴力団組織に特有な義理と犯罪性に着目して、いわば犯罪集団を築き上げて、その実行に及んでいるものである。しかも、北山、次いで石原と殺害に失敗し、このような計画の無謀さをさとり、殺人を思いとどまる機会がったにもかかわらず、かえって、更に、巧妙さを増した形でその目的を遂げていることにも注目せざるを得ない。このような冷酷、非情にして計画的な犯行を執拗に、かつ、より巧妙に繰り返していることから窺われる関係者の犯罪危険性は測り知れないものがあり、慄然たるものを感じるというほかないのである。

そこで、更に、このような犯罪集団の中で果たした被告人の役割について考えてみると、前叙のとおり、被告人は、保険金騙取目的の殺人計画を西尾にもちかけた発案者であり、また、殺人が成功した場合、保険金を騙取する利得の主体でもあるのであって、被告人こそ本件一連の殺害計画の中心にあった主謀者である。

たしかに殺害計画を具体的に実行する上での主謀者としての西尾の役割も重大であるが、保険金騙取という最終目的のなかで、被告人の存在こそは不可欠なものであって、被告人と西尾とは、いわば車の両輪のごとき関係で、主謀者としての地位を占めていたとみるほかない。

こうしてみると、被告人は、三億円という多額の保険金を入手するためにいとも容易に身近にいた者を殺害対象者と決めるなどしていて、その動機において利己的、利欲的にして、かつ、冷酷、非道であり、犯行に当たっては、被告人自身は暴力団組織に所属してはいなかったものの、西尾の資金力や暴力団組織の義理と犯罪性とを巧みに利用し、西尾の背後において、右にみたような冷酷、非情、残忍な各犯行の態様を知悉した上で、これら犯罪集団に殺害を委ね、もって自己の身の安全を図りながら執拗に自己の欲望を満足させようとしているのであって、犯情まことに悪質というほかなく、本件の各犯行関与者のなかでも、西尾とともに最高の責任を負う立場にある。

三  ところで本件では、殺害に成功したのは、第三の尾関の事件のみで、この関係では、三億円の保険金騙取に失敗しているのである。そして、刑の量定を考えるに当たっては、その結果発生の有無、大小も十分考慮されるべきことは当然である。

しかしながら、本件では、被告人が、北山逃走後、石原に殺害対象を変更し、未遂に終ったとはいえ、死亡に至らなかったのがむしろ偶然とさえいえる行為態様で実行に及び、全治六七日間を要する顔面頭部挫傷、左鎖骨骨折の傷害を負わせ、右傷害による保険金を騙取するという軽視し難い結果を発生させた上で、更に、尾関の尊い生命を奪っているのであって、本件結果も、このような経緯とともに評価されなければならない。

尾関は、西尾の言葉を信じ、被告人らの凶悪な殺害計画によって間もなく殺されることなど夢想だにせず、西尾の車に乗り込み、やがて山村らに引き渡され、死地に赴く少し前まで、過去の自らの生活歴などを山村に語るうち、遂に、山村らの手により、抵抗の遑もなく無惨にも絞殺され、その上、発見されやすいようその死体は真冬の草むらに放置されたものであり、四八年の生涯を非業の死をもって終えた尾関の無念さと痛恨は察するに余りあるものがある。また、尾関には妻及び二人の子供がおり、被告人らの金銭欲だけのために、その妻にとっては夫を、子供らには父を、奪われた遺族の心情を考えるとき、その悲しみと憤りとは想像に余りあるものがある。

たしかに、尾関には、不誠実な面もあり、西尾らに迷惑をかけていたことは認められるが、そのことが殺害対象に選ばれたこととさしたる関連がないこと前叙のとおりであり、また、尾関が当時家庭人として妻や子に尽くすところが足りず、必ずしも妻や子から敬愛を受けていなかったことは認められるが、これらの事情も、本件結果の重大性を左右するものではない。

これを要すれば、被告人から遺族に対し、何らの慰藉の途も講ぜられないことも併せ考え、本件被害の結果は、まことに重かつ大というほかない。

四  更に、本件のごときいわゆる保険金目的による殺人事件のもつ特殊性は、刑の量定の上で、一般予防の観点からも考慮されなければならない。

すなわち、本件がまさにそうであるように、この種事件にあっては、殺人が保険金を得ようとする者の犯罪によることが発覚してはならないため、その犯行も綿密周到な計画に基づいて巧妙に遂行され、その限りで発覚しにくくなること、多額の金額が容易に入手し得るところから犯行が発覚しない限り繰り返されやすく、しかも、利を求めて多数の者が関与し、実行も分担されるため罪の大きさに比べ罪の意識が稀薄となって、安易に犯行に加担しやすいことが認められる。

そして、今後とも高額保険制度が一般化し、ますます利用される状況のもとで、かかる犯罪が発覚されないとき、同一人によって繰り返され、また、他人に更に模倣される危険性が極めて大きいのであり、本件の量刑に当たっては、この種犯罪の絶滅を期するためにも、一般予防の観点から厳しい態度を保つ必要がある。

五  以上のとおり、本件犯行の動機は利己的、非人道的で酌量の余地一遍たりともなく、その態様は計画的で、冷酷、非情、無惨であって、罪質及び結果は極めて重大であるこというまでもなく、犯行後の行動も悪質であり、遺族の被害感情、社会的影響も深刻重大であるというほかない。

被告人は、この犯行を発案し、西尾とともに計画し、多くの仲間を引き入れた上、その中心となって主謀し、主導した者であってみれば、その反社会性、犯罪性は強固にして、危険であるとみるほかなく、被告人には罰金以外の前科がないこと、保険代理店の側にも本件犯行を助長するような言動がみられ、これが本件犯行の一因であることも否定し難いことなど被告人のために酌むべき一切の事情を考慮に入れても、被告人の刑事責任は法の予定する最も重大なものといわざるを得ない。

以上の次第であるから、死刑の適用は慎重に行われるべきはいうまでもないが、被告人に対しては、その責任を生命をもって償わせることもやむを得ないと認め、被告人を死刑に処するのが相当である。

よって、主文のとおり判決する。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例