名古屋地方裁判所 昭和52年(ワ)1588号 判決
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【判旨】
第一事故の発生
<中略>
二<証拠>を総合すれば、次の事実を認めることができる。
「1 本件の一連の交通事故は、昭和五一年一〇月五日午前五時ころ、静岡県引佐郡三ケ日町都築二五〇番地の七東名高速道路東京起点250.7キロポスト付近において発生した。現場は、ほぼ東西に延びる東海自動車道(いわゆる東名高速道路。以下「東名高速道路」という。)上で、アスフアルト舗装されており、平たんで、事故当時路面は乾燥していた。右高速道路は、現場の東方の、東京起点250.4キロポスト付近から東側では、北方に向けてやや曲線を描き、右ポストから西方東京起点250.9キロポスト付近まではほぼ直線状となり、以降西側にかけて、南方へゆるやかな曲線を描いていた。
現場付近では、上り線は、北側から路肩約三メートル、加速車線約3.6メートル、走行車線約3.6メートル、追越車線約3.6メートル、路側帯約0.8メートルとなつており、中央分離帯約三メートルをはさんで、下り線は、路側帯、追越車線、走行車線、路肩の構造となり、各幅員は、上り線の各部位とそれぞれ同一となつていた。上下線とも、追越車線、走行車線の区画線は、白色破線が引かれていた。中央分離帯は、高さ約二〇センチメートルから約三〇センチメートルまでの高さに盛土され、約五メートル間隔に、高さ約九五センチメートルの支柱が打たれ、これに直径約二センチメートルのガードロープ五本が張られ、支柱間には、約1メートルから約1.5メートルまでの高さの植木が植えられ、上下線を完全に分離していた。
現場の見通しは、上下線とも、妨害物がなく、見通し状況良好であつた。現場上り線の路肩には、四〇〇キロワツトの水銀灯一〇基が設置されていたが、事故当時は、加速車線西端部にある四基の水銀灯だけが点灯されていた。現場付近においては、特別の交通規制はされていなかつた。
2 中川靖男(以下「中川」と略称する。)は、大型貨物自動車(ニツサンデイーゼル、神戸一一か七〇〇二号、以下「A車」と称することとする。)を運転して東名高速道路上り線を走行し、現場付近に至り、前部の方向指示器に故障があつたので、これを修理するため、前同日午前二時五〇分ころ、北側の東京起点250.7キロポストから約18.6メートル西方の路肩上に停止し、修理作業を終え、その位置に停車したまま、同日午前三時ころから車内で仮眠した。
そのまま停車していたA車は、同日午前五時ころ、後記水野正己の運転する普通貨物自動車(日野トラツク、名古屋一一い一七二六号、以下「B車」と称することとする。)の前部に、右後部を衝突された。(以下この衝突事故を「第一事故」と称することとする。)その結果、A車は、約五〇センチメートル東方に押されて停止した。中川は、第一事故の発生後、引き続いて後続事故が発生することを慮り、懸命になつて発煙筒を探したが、発見できないまま、後記の第二事故が発生した。
3 水野正己(以下「水野」と略称する。)は、B車を運転して、東名高速道路上り線を走行し、時速七十数キロメートルの速さで、現場付近まで至つたが、現場にさしかかるあたりから、睡眠不足のため仮睡状態に陥り、同日午前五時ころ、前記停車中のA車右後部に、自車前部を衝突させた。この第一事故により、B車は、前部がA車の右後部に接触し、後部が進行方向に向つて、約四五度の角度をなすほど振られ、全体として左斜め向きの形で停止した。停止したB車は、加速車線、走行車線を完全にふさぎ、さらに、右後部の一部が数十センチメートル追越車線にまで入りこんでいた。
第一事故から三〇秒ないしは四〇秒たつて、水野が第一事故の衝撃で動けないでいるうちに、B車は、後方から進行してきた後記中村益男運転の大型貨物自動車(日野トラツク、神戸一一か六三二号、以下「C車」と称することとする。)の前部に、その後部を衝突された。(以下この衝突事故を「第二事故」と呼ぶこととする。)その結果B車は北側の東京起点250.7キロポストから西方約二二メートルの地点で、前部を北に、後部を南に向けて、進行方向に向かつて右に横転、停止した。
4 中村益男(以下「中村」と略称する。)は、C車を運転し、東名高速道路上り線を、時速約八四キロメートルの速度で走行し、現場付近にさしかかつたが、第一事故により路上前方に停止していたB車を発見するのが遅れ、急制動の措置を取つたが及ばず、B車後部に自車左前部を衝突させた。C車の制動措置は引き続いて取られたにもかかわらず、この第二事故の衝撃により、C車は、中央分離帯を突破して下り車線に入り、南側の東京起点250.7キロポストから東方約三四メートルの地点で、ちようど下り車線を走行中の後記湯前政昭運転の大型貨物自動車(いすずトラツク、名古屋一一か二〇六四号、以下「D車」と称することとする。)の車体右側に、前部が接触し(以下この接触事故を「第三事故」と呼ぶこととする。)、さらに、南側の東京起点250.7キロポストから東側約40.2メートルの地点まで進み、右地点で、D車に続いて下り車線を走行してきた高橋実運転の大型貨物自動車(いすずトラツク、名古屋一一き五六一号、以下「E車」と称することとする。)と衝突し(以下この衝突事故を「第四事故」と呼ぶこととする。)、同地点から東側約7.9メートルの地点で停止した。
5 湯前政昭(以下「湯前」と略称する。)は、D車を運転して東名高速道路下り線の走行車線を時速約七五キロメートルの速度で走行し、現場付近にさしかかり、南側の東京起点250.6キロポストの東方約一二〇メートルの地点(C車との接触地点から東方約一八〇メートルの地点)で、対向車線上を走行中のC車を北側の東京起点250.8キロポストの西方約八六メートルの地点(自車前方約四〇〇メートルの地点)に発見したが、南側の東京起点250.6キロポストの西方約二三メートルの地点(C車との接触地点から東方約43.5メートルの地点)まで進行し、北側の東京250.8キロポストの東方約81.5メートルの地点(自車前方約九六メートルの地点)に至つたC車の前照灯が、急に自車の方向に向いたのを認め、さらに、南側の東京起点250.6キロポストから西方約四一メートルの地点(C車との接触地点から東方約25.5メートルの地点)まで至つて、C車が中央分離帯を突き破つて、走行して来るのを自車前方約五二メートルの地点に発見し、直ちに急制動の措置を取つたが及ばず、さらに進行して、自車の車体右側とC車の前部が接触するに至つた。D車は、この第三事故により、接触地点から約九〇メートル西方まで進行して、前部を中央分離帯に突つ込み、後部を左方に振つて停止した。
6 高橋実(以下「高橋」と略称する。)は、E車を運転し、東名高速道路下り線の走行車線を、約六、七〇メートルの間隔を置いてD車に続き、ほぼD車と同じ速度で走行したが、D車の後方から、C車が中央分離帯をつき破つて走行して来るのを発見し、さらにD車とC車の第三事故を、その接触地点から東方約六八メートルの地点で発見したので、やや遅れて急制動の措置を取つたが及ばず、前記のとおりC車と衝突した。」
以上の事実を認めることができ、<証拠判断略>。
第二事故の原因
一第一事故
1 前記第一において認定した事実(本第二項においては以下単に「認定事実」ともいう。)によれば、B車を運転していた水野は、睡眠不足の状態にあつたのであるから、運転中止義務があつたのに、これを怠つて、いわゆる居眠り運転によつて第一事故を起こしたもので、同事故の発生については過失があることは明らかである。
2 次いで、A車の駐車と第一事故との間に相当因果関係があるか否かの点及びA車を現場に駐車させた中川に第一事故の発生についての過失があるか否かの点を認定事実に基づいて、検討する。
(一) 前記第一において認定した第一事故の態様に照らせば、A車が現場に駐車されていなかつたとすれば、第一事故は発生しなかつたと判断されるから、A車の駐車と第一事故との間に条件関係があることは否定できない。
(二) それでは、本件の認定事実のもとで、通常人の立場に立つて、A車の駐車という中川の行為から第一事故という結果の発生する予見可能性があつたということができるであろうか。
道路交通法七五条の八の一項は、本件現場のような高速自動車国道においては、同項において定められた一定の場合を除いては、自動車は駐車してはならない旨を規定している。その趣旨は、高速自動車国道においては、一般の自動車が法令によつて指定された以上の高速で走行することが予定されているから、路上に駐車車両があるときは、高速で進行する他の自動車との間で衝突事故を発生させるなどして車両交通の安全と円滑が害されるおそれがあるので、危険性が特に小さいか又は危険性があつても必要性の方がより大きい一定の場合のほかは、一般的に路上駐車を禁止したものと解される。したがつて、高速自動車国道における自動車の駐車ということが、それだけで、車両交通の安全と円滑を害することになるのは、容易に推測されるところであるが、本件における中川の駐車行為は、二時間余にも及び、しかも、それは、後続の自動車運転者が、いわゆる居眠り運転等の不規則運転に出ることも十分予測される深夜から早朝にわたる時間帯においてのことであつたことをも考慮すると、その危険性は相当高められているということができる。
また、このように、高速自動車国道の路上に駐車された自動車が、後続車両との衝突事故を誘発することが場合によつてありうることは、自動車を運転する者にとつては容易に認識しうるところである。
右のような理は、中川がA車を駐車させた場所が通常の路肩でなく、走行車線との間に加速車線がはさまれた路肩であるとの事実によつていささかも影響を受けるものではない。なぜならば、通常の自動車運転者がその程度の差こそあれ、危険性を感ずるであろうことは、本件の場合と路肩のすぐ横が走行車線である場合とで異なるとは考えられないからである。そして、他に右予見可能性のあることを覆すに足りる証拠はない。
そうすると、本件の認定事実のもとでは、通常の運転者の立場に立つて、A車の駐車から第一事故が発生する予見可能性を肯定することができる。
(三) 右予見可能性を肯定できる以上、A車の駐車と第一事故との間には、相当因果関係があると断ずるのに何らの妨げはないし、また、中川に第一事故の発生について過失を認めることもできる。もつとも、認定事実によれば、中川が現場にA車を駐車させた目的はA車の故障箇所を修理することにあつたと認められるが、その作業に要した時間はわずかに一〇分程度であつたことも明らかにされているから、中川には、修理作業後速やかにA車を発進させるべき義務があつたということができ、右事実の存在によつて中川に過失がなかつたということにはならない。
二第二事故
1 認定事実によれば、C車を運転していた中村に前方不注視の過失があり、その結果第二事故をひき起こしたことが認められるから、同事故の発生について中村に過失があることは明らかである。
2 次いで、第一事故の発生と第二事故との間に相当因果関係があつたか否かを判断する。
(一) 認定事実に表われた第二事故の態様によれば、第一事故が発生しなかつたならば、第二事故は発生しなかつたと考えられるから、両事故の間の条件関係を肯定することができる。
(二) そこで、第一事故から第二事故が発生する予見可能性の有無について検討する。
なるほど、認定事実によれば、第一事故の発生から第二事故の発生までには、三〇秒ないし四〇秒の時間があつたことが認められるから、C車を運転していた中村において、前方を注視し回避措置を取つていたならば、第二事故の発生を十分回避することができたということができる。
しかしながら、前記一の2の(二)において検討したとおり、高速自動車国道においては、自動車を路上に駐車させることだけでも、車両交通の安全と円滑を害することになると判断されるところ、認定事実によれば、第一事故の結果、B車は、加速車線のほか走行車線を完全にふさぎ、さらに追越車線の一部まで車体の一部が入りこんでいたのであるから、なおさら、後続車の運転者が前方不注視その他の理由によつて停止するのが遅れこれに衝突する事態の発生する可能性は大きかつたということができ、しかも、右のような事態は通常の自動車運転者にとつて決して異常な事態ではなかつたと考えられる。認定事実によれば、現に、中川は、第一事故の発生したのち、直ちに後続の事故が発生することを予見して、発煙筒を探す努力を払つていたことが明らかにされているが、この事実からしても右の点をうかがい知ることができる。
そうすると、認定事実のもとでは、通常の自動車運転者の立場に立つて、第一事故の発生により第二事故が発生する予見可能性があつたと考えられるから、前者と後者との間に相当因果関係があるということができる。
3 右のとおり、第一事故の発生と第二事故の発生との間に相当因果関係の存在が認められ、一の1及び2のとおり、水野及び中川に第一事故の発生につき過失があることが認められ他に特段の事情の認められない本件においては、水野及び中川に第二事故の発生についても過失のあることを否定することはできない。
三第三事故及び第四事故
1 認定事実によれば、第二事故が直接の原因となつてC車が対向車線上を暴走し、その結果第三事故及び第四事故が発生したことが認められ、本件の全証拠によつてもこれを覆すことはできない。
そうすると、二において検討したとおり、第二事故の発生について過失の認められる中村、水野及び中川は、第三事故及び第四事故の発生についても過失があることは否定できず、右両事故は、右三名の共同不法行為の結果発生したものと認められる。
2 次に、D車、E車をそれぞれ運転していた湯前、高橋に第三事故、第四事故の発生について過失相殺の対象となる過失があつたか否かを検討する。
(一) 認定事実によれば、本件現場付近の中央分離帯は、幅が約三メートルあり、ある程度の高さにまで盛土され、支柱の間にガードロープが張られ、さらに植木が植えられていて、上下線を完全に分離していたことが認められる。
このような、中央分離帯を有する高速自動車国道においては、対向車が右分離帯を越えて進行して来ることは、通常予想しえないことであるから、自動車運転者としては、対向車が自車線上に進行して来るなど事故発生の危険性が具体化するまでは、対向車が対向車線内を適切に進行することを信頼して運転すれば足り、これが中央分離帯を越えて自車線内に入り、自車との間で衝突又は接触等の事故が発生することまでも予見すべき義務はなく、右危険性が具体化して初めて、右予見義務が発生するものと解される。
(二) そこで、まず、湯前の過失の有無について検討すると、認定事実によれば、湯前は、D車を運転し、時速約七五キロメートルで進行し、C車との接触地点から東方約一八〇メートルの地点で対向進行して来るC車を発見し、右接触地点から東方約43.5メートルの地点まで進行してC車の前照灯が急に自車方向に向いたのを認め、さらに右接触地点から約25.5メートルの地点まで至つてC車が中央分離帯を突き破つて走行して来るのを発見し、直ちに急制動の措置を取つたが、間に合わず、第三事故に及んだことが認められる。本件の認定事実のもとでは、対向車の前照灯が自車方向に向いただけの時点では、対向車が単なる車線変更をしたにすぎないこともありうるから、対向車による危険が現実化したとは言えない。本件においては、D車にとつてC車による危険が現実化したのは、C車が中央分離帯を突き破つた時点以降であると考えられるが、右時点におけるD車の存在地点から接触事故の起きた地点までの距離(約25.5メートル)は、当時のD車の速度について経験則上考えられる停止距離(経験則上、停止距離は、滑走距離と空走距離との和であつて、滑走距離のメートル数は、走行時速のキロメートル数の二乗値を摩擦係数に二五九を乗じた値で除した数値であり、空走距離は、走行速度と空走時間の積であるところ、時速を控え目に七〇キロメートルとし、摩擦係数を0.7とすれば、滑走距離は27.0メートルとなり、空走時間をやや少なめに0.6秒とすると、空走距離は11.7メートルとなるから、両者を合算した停止距離は少なくとも38.7メートルとなる。)に足りず、また、急停止以外の方法によつて事故が避けられたとも認められないから、右時点における湯前に第三事故回避の方法はなかつたと判断される。右のほかに湯前の過失をうかがわせる事実を認めるべき証拠は見当らない。そうすると、湯前に過失のあつたことを認めることはできない。
(三) 次いで高橋についての過失を検討すると、認定事実によれば、高橋は、E車を運転し、D車とほぼ同じ速度でその後方を走行し、C車が中央分離帯をつき破つて走つて来るのを認めながら、その瞬間には何の措置も取らず、やや遅れて第三事故の発生を発見したのちに急制動の措置を取つたものの及ばず、第四事故に及んだこと、C車が中央分離帯をつき破つて進行してきたときのE車の位置は、C車とE車との衝突地点から少なくとも八五メートル以上東方であつたこと(認定事実によれば、右時点においてD車は、C車とD車の接触地点より東方約25.5メートルの地点にあり、E車はそれよりさらに約六八メートル東方にあつたと認められるところ、C車は、D車と接触したのち、E車と衝突するまでに約6.2メートル東方に進行したことも明らかにされているので、以上を加除すれば、約87.3メートル東方となる。)が認められる。ところで、E車の速度について経験則上考えられる停止距離は多くとも63.4メートルである(時速をやや多めに八〇キロメートル、摩擦係数をやや少なめに0.6とすると、滑走距離は、41.2メートルとなり、空走時間をやや多めに1.0秒とすれば、空走距離は22.2メートルとなるので、停止距離は、両者を合算した63.4メートルとなる。)。また、認定事実によれば、中村は、急制動の措置を取つていること、C車の走行は第二事故、第三事故によつて大きく影響を受けたことが認められ、これらによれば、C車はE車との衝突時までに相当程度速度が落ちていたことが推認でき、E車と衝突地点において衝突しなかつたとしても、右地点より東方へさほど移動しなかつたであろうと認められる。
以上によれば、C車が中央分離帯をつき破つて自車線上に走行して来るのを発見したときに、高橋が遅滞なく急制動の措置を取つていたならば、第四事故の発生を回避することが可能であつたと認めることができ、急制動の回避措置を取るのが遅れた高橋にも過失相殺の対象となりうる過失があることは否定できない。(なお、被告名古屋珠洲運輸は、高橋について車間距離不保持の点にも過失があることを主張するが、認定事実に表われた第四事故の態様に照らすと、E車とD車との車間距離の大小が直ちに右事故の発生に影響を与える原因とは考えられないから、右の点を過失相殺されるべき高橋の過失というのは失当である。)
そして、以上によると、C車を暴走させるのに原因を与えた中村、水野、中川の過失割合が九五パーセント、高橋の過失割合が五パーセントと認めるのが相当である。
(成田喜達)